[English] [Japanese] [Studio BE] [America Offline] [高野流居・夢庵] [公民権運動] [英語の冒険] [英語の冒険2] [Golf] [Hummingbird]



[Banner]


[cover]

    ■ 前説


       ■ 収録数300本達成記念「カットバック」
       ■ 「アメリカ映画“南部もの”、私のベスト10」


はじめに

アメリカ“南部もの”映画の代表的作品群を御紹介しようという試みです。これが南部だからいいようなもので、私がTexasに住んでいて“西部もの”大全集をやろうとしても不可能です。多過ぎます:-)。

しかし、南部と云ってもどこからが南部なのか、その定義によっては映画の数も異なります。南北戦争で南軍を構成した11州を南部とすることも出来ますが、これにはテキサス州も含まれていれば、ヴァージニアやフロリダも含まれています。これらを純粋に南部と云うのは一寸ためらわれます。

[Deep South]

そこで、"Deep South"(深南部)と呼ばれる四つの州を主に取り上げることにしました。"Deep South"は、南部で最も旧弊な州であるジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州を括った呼び方です。綿花、サトウキビ、タバコ栽培などのプランテーション、黒人差別、K.K.K.、男尊女卑、"southern hospitality"(南部の歓待)…など、どの要素を取っても他州より過激で濃厚です。そのため、映画の題材にも多く取り上げられています。"Deep South"に限ることなく、南部全体を対象にしたいとは思っていますので、既にいくつかその他の州も混じっています。

リストアップした映画の大半はかつて観たものですが、今回記事を書くにあたり、全部ヴィデオを観直しました。うろ覚えでいい加減なことも書けませんし、ちゃんと観直すと新たな発見が多々あり、私自身勉強になりました。

“南部もの”を御覧になる際に必要な予備知識を少しメモしておきます。いますぐお読みになる必要はありませんが、いつか目を通して頂き映画鑑賞のお役に立てて下さることを願っています。

なお、各映画の紹介はPart 1とPart 2に分れています。Part 1は鑑賞へのお誘いという意味で、物語の初めの部分、見どころ、歴史的背景、出演者の紹介などを書きました。Part 2は映画鑑賞が済んだ後にお読み頂くという前提で、撮影余話、撮影地の情報、私の個人的感想などを記しました。感想には“毒”が含まれていることが多く、Part 2を読んでから映画を御覧になることはお勧め出来ません。御承知おき下さい。


南北戦争

南北戦争(1861〜1865)は日本では奴隷解放のための戦争として捉えられていますが、実はそう簡単ではありません。経済の基盤が南部は広域農業で奴隷の労働力を必要としました。気候が農業に向いていない北部は工業、商業に傾き、奴隷を必要としませんでした。ヨーロッパで人道的見地から奴隷制度の見直しが起り、その気運が北部諸州に影響を与えました。合衆国は奴隷を使う州と奴隷を解放する州とに分れましたが、逃亡した奴隷の引き渡しを巡って州間のいざこざが頻発し、遂に武力行使まで起る状態に突入。

奴隷使用を継続しようとした南部諸州は、合衆国から脱退して南部連合国を作ろうとしました。1860年にサウス・キャロライナが先頭を切り、1861年にミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナが脱退し、その後テキサス、ヴァージニア、アーカンソー、ノース・キャロライナ、テネシーと続きました(最終的には11州)。当時のリンカーン大統領は州の脱退を認めず武力によって早期終結をめざしたものの、南部諸州の猛反撃を制圧出来ず、四年に及ぶ泥沼へと突入しました。

足掛け五年間の内戦の結果、北軍の死者総数36.4万人、南軍の死者総数13.4万人、他に捕虜として死亡した南軍兵士3万人を含め、計53万人が死亡しました。これは、第一次大戦、第二次大戦で死亡したアメリカ兵士の合計総数に匹敵します。“内戦”としては未曾有の犠牲を出したことになります。

南軍は降伏しました。しかし、"The South will rise again."(南部は再び起つ=南軍はまだ負けていない)という言葉があるように、まだ敗北を認めない人達がいます。半分冗談であり、半分本気です。建国の父ワシントンの誕生日は全米の祝日ですが、リンカーンの誕生日を州によっては祝日にせず、南軍のリー将軍の誕生日を祝うところもあるそうです。冗談ではない証拠です。


南部の象徴

[Confederate flag]

南部連合軍の象徴は連合軍の旗と'Dixie'という曲です。旗は南部諸州の州旗の一部に取り入れられて、まだ残っています。サウス・キャロライナ州の州庁舎には、2000年まで南軍の旗(オリジナルそのまま)が毎日掲揚されていました。黒人達の「時代錯誤であり、黒人に圧迫感を与える」という粘り強い抗議の結果、遂にこの旗は下ろされました。この影響で、州旗デザイン変更を考える州も出て来ました。

[Two flags]

例えばミシシッピ州ですが、左のは1894年から“慣習的に”州旗として使われて来たもので、一角に南部連合軍の旗が残されています。右のは2001年に考えられた改定案。2001年4月17日に州全体で投票が行なわれましたが、65%:35%という比率で、古いデザインが改めて正式な州旗として制定されました。いかに保守的な土地であるかの一例でもあります。


音楽'Dixie'『ディキシー』を聞く

'Dixie'は「宮さん、宮さん」のように南軍兵士の行進歌として広まりました。うちのカミさんの父親などは子供時代毎日学校で歌わされ、それが国歌だと思っていたというほどです。行進曲の作曲家・指揮者スーザは、南部でのコンサートでは一曲毎に'Dixie'を演奏したという話もあります。Jon Ford(ジョン・フォード)の'Rio Grande'『リオ・グランデの砦』は北軍の騎兵隊の話ですが、隊長の南部出身の奥さんに敬意を表する意味で'Dixie'が演奏されます。北軍兵士が南軍の曲を演奏するという趣向がジンとさせました。'With a Song in My Heart'『わが心に歌えば』という女性歌手の映画には、第二次大戦でヨーロッパにいる米軍兵士を慰問するシーンがあり、兵士の出身地に合わせた歌を歌います。南部は一番最後で、このシーンを最も盛り上げる歌として'Dixie'が歌われました。


人種差別

南軍の敗北の結果、合衆国全体が奴隷を解放することになりました。しかし、戦争終結後100年経っても差別は無くなりませんでした。黒人の学校は白人とは別、黒人の投票は妨害され、図書館に入れず、裁判の傍聴席も白人は一階、黒人は二階、バス、食堂のテーブル、トイレや水飲み場も別…という状態が長く残っていました。黒人達はNAACP(National Association for the Colored People=全国黒人地位向上協会)という組織を作って差別撤廃を訴え、選挙権行使などの運動を展開しました。ケネディ大統領によって公民権確立が宣言されても、なお差別は残り、白人至上主義者による暴力的弾圧は続きました。黒人たちが1954年〜1970年頃にかけて展開した差別撤廃・選挙権行使を求める運動は公民権運動と呼ばれています。詳しくは私のもう一つのサイト「公民権運動・史跡めぐり」をご覧下さい。

【註】"NAACP"は「エヌ・エー・エー・シー・ピー」とも「エヌ・ダブルエー・シー・ピー」と呼ばれます。後者は"007"を「ダブルオー・セヴン」と読むのと同じです。

白人至上主義者の最たるものはK.K.K.(Ku Kluks Klan)という秘密結社で、黒人、ユダヤ人、北部人などを迫害しました。黒人を支援した白人は"nigger lover"(黒人に味方する奴)と呼ばれて、黒人以上にK.K.K.から憎悪されました。"K-K-K"と発音せず、単に"Klan"と呼ぶ場合もあります。

南部人を蔑視する言葉に"red neck"という言葉があります。もともとは日焼けした赤い首筋を持つ貧しい農場労働者を指した言葉ですが、単に「無教養な田舎者」という意味以外に、「人種差別(あるいは女性差別)主義者」という意味でも使われます。

現在、南軍の旗はK.K.K.を含む差別主義者が公然と使うシンボルです。この旗を家に掲げたり、自動車のプレートに付けている人間は非常に危険な存在です。映画でこれが出て来たら、何か良くないことが起る前兆と考えて間違いありません。

K.K.K.は今でも存在していて、時折田舎町で行進したりします。


環境

南部では温暖な気候を利用し、タバコの栽培、綿やサトウキビのプランテーションが隆盛を極めました。アフリカから連れられて来た黒人奴隷たちは、南部各州のプランテーションに売られて行きました。そのアメリカにおける一代目の父祖の地ということか、黒人たちの血が温暖な気候を求めるのか、彼等は南部に住むことを好みます。K.K.K.が存在し、差別が顕著だった時でさえそうでした。一旦は北部を目指しても、また南部に戻って来る黒人が多いと聞きます。

'Gone With the Wind'『風と共に去りぬ』の女主人公は、Tara(タラ)というプランテーションの象徴として赤土を握り締めます。ミシシッピ川流域(ミシシッピ州、アーカンソー州、ルイジアナ州)だけが粘土質かと思っていましたが、Taraのあったジョージア州もそうだとすると、赤土は南部全体の地質の象徴かも知れません。

"Southern hospitality"(南部の歓待)という言葉があります。白人、黒人に限らず、南部の人々はお客を大事にして精一杯のもてなしをします。日本ですと北海道や九州の人々に似た感じです。


言語

南部訛りはあまり口を動かさずに、怠け者風に発音します。"I"(私)も"eye"(目)も"Ah"(アー)になります。"My"(私の)は"mah"(マー)。さらに長い言葉を短くします。"You all"を"Y'all"(ヨール)とか、"You hear"を"Y'hear"(ユヒア)という具合。そうしておいて、全体をダラダラと伸ばすように話します。

南部の人間でも教養の無い白人、黒人になると、文法の細かい点が無視され、"You is"とか"Does you"とかいう表現まで出て来ます。"That"が"dat"になったりするのも黒人英語の特徴です。

「黒人」を表す言葉が色々ありますが、"negro"は辞書には「《軽蔑》黒人」とあるものの、'To Kill a Mockingbird'『アラバマ物語』の弁護士も使っていますので、最悪ということは無さそうです。最悪は「黒ん坊」というニュアンスの"nigger"(ニガー)で、これは《タブー語》です。"Black people"も普通に使えます。"African-American"という言葉は最近のもので、最も無難です。

白人を蔑視する言葉としては、前述の"red neck"の他に"white trash"(白人のクズ)というのがあります。

ニューオーリンズで有名なルイジアナ州は、ナポレオンの時代まではフランス領でした。そのため、フランス語風の地名も沢山あれば、黒人でさえフランス語を喋るという珍しい光景が観られます('Eve's Bayou'『プレイヤー/死の祈り』)。また、ルイジアナ州にはケイジャン(カナダから南下して来たフランス系移民)と呼ばれる人達の文化(料理が有名)も強く残っています。


謝辞

“南部もの”を集めて紹介するという試みは、私の“Internet上の友人”である井原さんのお勧めによるものです。井原さんは映画通で、Webマガジンやメーリング・リストで活躍されている方です。最後で恐縮ですが、井原さんに感謝いたします。

(April 17, 2001)


 

■ 収録数300本達成記念「カットバック」

六年前にこのサイトを始めた時、なぜ『大全集』などと大それた名前をつけたのか、はっきり覚えておりません。多分「50本も見ればほぼ全部だろう」と思っていたのでしょう:-)。まさか300本以上もあり、それを自分が視聴することになるなどとは想像もしていませんでした。

私には蒐集癖があります。『ナントカ全集』という名称を目にすると、本であれレコードであれ、つい惹かれてしまいます。実際、何組かの本の全集は揃えましたし、ジャズやバロック音楽のレコードで、独自の“全集”を完成させたりもしました。この“南部もの”も、『大全集』と銘打ったことと私の性癖とが相まってここまで発展してしまったのです。

スタート時、まだレンタル店がVHS主体の時期で、DVDは忍び足で侵入し始めた頃だったのが幸いでした。レンタルVHSの爛熟期でしたから、駄作や隠れた名作などもVHS化されていました。現在、そのようなVHSは消え去って視聴困難になっており、多分DVDにもならないであろうと思われます。ですから、私の決意がもし数年遅れていたら、視聴出来た映画の数は200本にも満たなかったでしょう。

“南部もの”の探索ですが、IMDbサイトを"South"("Southern"も同時にチェック可能)なるキイ・ワードで検索し、その映画の題名をメモしました。それを携えて当地にある四軒のレンタル店を廻り、見つけたものは順に借り出しました。また、VHSの外箱の写真から南部臭さがあるものを見つけたり、南部ものによく出演する俳優の作品をチェックしたり、箱の説明に"South"とか"Southern"という文字がないか目を皿のようにして読みまくったりしました。レンタル店にないものは、CATVのTCM(Turner Classic Movies)での放映予定を一ヶ月分ずつチェックしました。それでも見つからないものは、amazon.comのマーケットやeBayで中古のVHSの出物がないか探しました。当時はまだ懐の余裕があったので中古VHSも買えましたが、その後車の修理代に途方もなくお金が出て行くようになり、数年前からそんなことは不可能になっています。

2004年2月に220本目のリヴューを終えたところで、2006年1月まで長いブランクがありました。その原因はElvis Presley(エルヴィス・プレスリィ)の'Kissin' Cousins'『キッスン・カズン』(1964)です。彼が二役を演じる馬鹿馬鹿しい映画で、とても真面目にリヴューなど書く気になれなかったのです。しかし、何とか気を取り直して再開後、その映画も渋々含めました。当時は300本が目標だったので、一本でも大事だったのです。300本が射程距離になってみると、もう数をこなす気にはなれなくなり、水準以上の内容で何か南部情報が付け加えられる映画でなければ取り上げる気にならなくなりました。ちなみに'Bad Boys'『バッドボーイズ』(1995)、'Big Momma's House'『ビッグ・ママス・ハウス』(2000)など何本かの映画は、視聴したもののリヴューは書いておりません。

再開後の『大全集』を助けてくれた恩人は私のカミさんです。私を宅配DVDレンタルNetflixの年間会員にしてくれたのです。私には月10ドル払う余裕もなかったのですが(現在は値下げして8ドル)、入会してみて借り出し可能な作品群を見てびっくりしました。町のレンタル店などには絶対にない大昔の映画から、あまり人気もないであろうドキュメンタリーまで膨大なコレクションだったのです。Netflixのおかげで『大全集』への採録数が数十本は増えました。しかし、それもほぼ見尽くし、あと数本を残すばかりとなっています。

300本を越えた現在の目標をお伝えします。当サイト発足当初のリヴューにはかなり短いものが多く、最近のものとバランスが取れていません。以前はVHSやTV視聴が多かったので、台詞を100%理解出来ませんでした。DVDの多くは字幕が表示出来ますので、DVDで再視聴してリヴューを改訂・増補しようと考えています。“南部もの”として重要な作品のDVDにコメンタリーがついていれば、それからの情報も加味出来るでしょう。

というわけで、今後は新しいリヴューよりも改稿が多くなります。「改訂・増補 履歴」メニューに御注目下さい。同時に、更新はこれまでのように定期的ではなくなると思います。適当に間をあけておいで下さいますよう。

御愛読に感謝いたします。

(December 08, 2007)


 

■ アメリカ映画“南部もの”、私のベスト10

1) 'To Kill a Mockingbird' 『アラバマ物語』'(1962)アラバマ州
 田舎町の男やもめの弁護士一家(父、幼い長男・長女)に、黒人の冤罪裁判を絡ませた物語。子供の世界と大人の世界、どちらもあたたかいタッチで綴り、人種偏見の犠牲となった黒人の裁判の陰鬱さとの対比が絶妙。童心の描き方は郷愁を感じさせ、親子の触れ合いは微笑ましく麗しい。白黒映像も隙がなく格調高い。

2) 'The Miracle Worker' 『奇跡の人』(1962)アラバマ州
 舞台劇の凝縮された迫力を完璧に映画に移した傑作。わがまま一杯に育てられた乱暴な盲目・聾唖の少女ヘレン・ケラーを、住み込み教師が“調教”し、言葉を教える物語。少女と教師の凄まじい“対決”は鳥肌が立つほど。登場する全員の演技が素晴らしく、白黒映像も見応え充分。

3) 'Tomorrow'【本邦未公開】(1972) ミシシッピ州
 南部の作家William Faulkner(ウィリアム・フォークナー)の短編を戯曲化して成功した舞台の映画化。極貧の男と薄幸な女の出会いと触れ合いを描く珠玉の佳篇。荒涼とした風景をバックに、抑制された渋い演技と演出、カメラワーク(白黒撮影)が透明でピュアな世界を現出させ、観る者の心の垢を洗い流してくれる。

4) 'Sounder' 『サウンダー』(1972)ルイジアナ州
 多くを望まず地道に暮らす貧しい黒人農夫の一家。それにもかかわらず訪れる生活の危機。少年の目と行動を通して、大恐慌下の田舎の黒人農家の生活が感動的に描かれる。日本映画で云えば『キューポラのある街』や(寅さんシリーズ以外の)山田洋次作品に匹敵する、貧しい人々へのあたたかい視線が素晴らしい。

5) 'Driving Miss Daisy' 『ドライビング・MISS・デイジー』(1989) ジョージア州
 オフ・ブロードウェイのヒット戯曲の映画化。人種偏見濃厚だった時代の南部の誇り高き老婦人(ユダヤ人)と無学文盲の老運転手(黒人)の足掛け20年にわたる交流の物語。ユーモアを交えながら、人種の壁を越えた友情を描く、心あたたまる佳篇。

6) 'Freedom Song' 『フリーダム・ソング』(2000)ミシシッピ州
 全米各地で公民権運動が熱く展開されている中、最も差別が激しいミシシッピ州で運動が芽生えないことに苛立っていた黒人青年たちが、ついに自分たちで運動をスタートさせ、強い絆で展開して行くさまを克明に描いた作品。黒人が白人の役で黒人相手に「黒ん坊め!」と悪態をついたり頭にケチャップをかけたりするトレーニングが泣かせる。キング牧師の影響が濃厚だった時期の、黒人青少年たちの純粋でひたむきな願いと行動が観る者の感動を誘う。自由・平等を求める歌(フリーダム・ソング)の数々も素晴らしい。

7) 'Norma Rae' 『ノーマ・レイ』(1979)アラバマ州
 労働組合を組織することが許されなかった旧弊な南部の紡績工場で、たった一人組合設立を訴えた女性の物語。どこにでもいそうなノンポリのシングル・マザーが、次第に逞しい活動家となって行く経緯が人間味豊かに描かれる。都会から来たオルガナイザー(男性)との間に生まれる清々しい友情も、ハリウッド的でなく味わい深い。

8) 'Glory' 『グローリー』(1989) マサチューセッツ州、ジョージア州、サウス・キャロライナ州
 南北戦争が激化し、黒人だけの初めての部隊マサチューセッツ第54連隊が編成された。兵士たちは徴兵によってではなく、みな自発的に馳せ参じた勇猛かつ誇り高い黒人たちばかり。この映画の俳優たちもギャラを値下げしてまで馳せ参じたという、アメリカ映画の良心を代表するような背景が感動的。黒人兵士たちの訓練段階から、果敢な集団自殺的攻撃に至るまでを瑞々しいタッチで描いた巨編。

9) 'Songcatcher' 『歌追い人』(2000)ノース・キャロライナ州
 アパラチア山脈(北アメリカ大陸東部を南西方向に縦断する山地)の奥に住む人々に、アイルランド=スコットランド民謡に酷似した歌が継承されているという一大発見をした音楽史研究家(女性)の、フィールドワークとロマンスを綯い交ぜにしたユニークな物語。音楽のルーツを辿るというアイデアを映画にした点に脱帽。登場する素朴な歌の数々も魅力的。

10) 'Ghosts of Mississippi' 『ゴースト・オブ・ミシシッピ』(1996)ミシシッピ州
 公民権運動活動家(黒人)が暗殺され、容疑者(K.K.K.)が特定されているのにオール白人の陪審員たちはその男を二度も無罪放免にした。事件後30年を経た三度目の裁判までの流れを、ある検事補の執念と努力を通して描いた作品。南部人の旧弊さと人種差別が的確に描かれている。裁判の描写も淀みなく、解りやすい。無理にドラマ化された'Mississippi Burning'『ミシシッピ・バーニング』(1988)よりも事実に近く、真面目な作風に好感が持てる。

☆次点
・In the Heat of the Night『夜の大捜査線』(1967) ミシシッピ州
・Deliverance『脱出』(1972)ジョージア州
・The General『キートンの大列車追跡』(1927)ジョージア州〜テネシー州

ここに'Gone With The Wind'『風と共に去りぬ』(1939)も、'A Streetcar Named Desire'『欲望という名の電車』(1951)も入ってないのに驚かれたでしょうか?別に天の邪鬼でも奇を衒ったわけでもなく、自分が何度でも観たい作品だけを選んだからです。『風と共に去りぬ』も『欲望という名の電車』も、撮影・演出などが素晴らしいのは確かですが、主人公たちがどうも好きになれないのです。だから、何度も観たい映画とは云えません。それに、それらは私が選ばなくとも褒める人が多いので、読者も黙っていても御覧になるでしょう。何も私までが応援する必要はないと思うのです。

そういう観点で選んだため、私の「ベスト10」は南部各州を網羅してもいず(テネシー州、アーカンソー州、フロリダ州がない)、様々なジャンルをカヴァーしてもおりません(道中ものや囚人ものなどがない)。極めて不完全な「ベスト10」です。まあ、300本以上ある“南部もの”をたった10本で代表させるなんて無茶ですが。

白黒作品が三本、ミシシッピ州を舞台にしたものが三本、アラバマ州が三本。戯曲の映画化が三本、青少年が活躍する映画が四本。どれも地味なネタなので大ヒットが見込めるわけもなく、削りに削られた予算で作られた作品ばかりです。低予算の映画がいいとは限らないのですが、上に挙げたものにはどれにも「観客にいい映画を届けたい」、「こういうメッセージを伝えたい」という志(こころざし)があり、その面では目的を達成していると思います。二度、三度の視聴に耐えられるというのは大変なことです。その結果、これらの少なくとも半数は批評家たちから評価され、観客にも受け、興行収入にもつながりました。後の半数は幻の映画となっているか、それに近いものです。これらには応援が必要です。観てやって下さい。

(August 24, 2008)


Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.




[English] [Japanese] [Studio BE] [America Offline] [高野流居・夢庵] [公民権運動] [英語の冒険] [英語の冒険2] [Golf] [Hummingbird]



Copyright ©  高野英二  2001-2012 [Mail]
Address: 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, Mississippi 39301, U.S.A.