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公民権運動を描いた映画、ドキュメンタリーなどを観て黒人たちの闘いに感動しました。これは主に南部のいくつかの出来事を振り返り、その史跡を訪ね歩いた記録です。

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● キング牧師の暗殺 (1968)

[Memphis]

1968年4月4日、Martin Luther King, Jr.(キング牧師)はテネシー州メンフィスのモテルで暗殺されました。彼のメンフィスでの常宿はLorraine Motel(ロレイン・モテル)といい、ダウンタウンからほど遠い、やや裏寂れた一角にあります。ノーベル平和賞受賞者といえど黒人だからという理由でダウンタウンの一流ホテルには泊まれず、黒人オーナーが経営するこのモテルがメンフィスにおける常宿だったそうです。

【註】"Motel"は日本では「モーテル」と呼ばれますが、英語の発音は「モテル」(伸ばさず、"Hotel"同様「テ」にアクセント)です。ここでは正しい発音で表記します。

南部の公民権運動で幾多の成功を納めたキング牧師でしたが、Malcolm X(マルコム・X)やBlack Panther(ブラック・パンサー)の登場以後“ブラック・パワー”という暴力に結びついた運動に押され、黒人の若者たちから「非暴力運動はもう古い」とまで云われるようになりました。特に1965〜1967年当時のロサンジェルスやシカゴ、デトロイト、クリーヴランドなどでは暴徒と化した黒人集団を抑え切れず、キング牧師の影響力に翳りが見えて来ました。

1968年、彼はヴィエトナム戦争に巨額の税金が使われていることを指弾し、その金は貧しい人間の福利厚生に使われるべきだという運動を始めました。これは公民権運動から政治運動へ転換したものとみなされ、NAACP(全国黒人地位向上協会)すらが反撥しました。NAACPは「大統領Lyndon B. Johnson(リンドン・B・ジョンスン)は、歴代の大統領の中で最も黒人のために動いてくれている、その彼を攻撃するわけにはいかない」と考えていたのです。そんな折り、同じように戦争問題と貧困問題に悩んでいたRobert Kennedy(ロバート・ケネディ)上院議員が、「アメリカ中の貧しい人々をワシントンD.C.に集めては?」という案をキング牧師に間接的に伝えました。キング牧師は「それはいいアイデアだ!」と飛びつき、すぐさま'Poor People's Campaign'(貧民大キャンペーン)のための資金集めを開始しました。

当時、メンフィスのゴミ収集組合が待遇改善を求めるストライキに入っていて、彼等は毎日市役所までのデモ行進を展開していました。キング牧師は「貧民大キャンペーン」にゴミ清掃人たちも含めたいと考え、その運動をサポートするためにメンフィス入りしました。1968年4月3日、ある教会でスピーチをする予定でしたが、彼の健康がすぐれませんでした。彼は人並み外れた強靭な身体の持ち主で滅多に病気にかからなかったそうです。希にストレスがたまると流感のような症状が訪れ、数日の安静が必要だったとか。実はこの時期がキング牧師にとって最悪で、教会のスピーチをキャンセルしようとし、盟友でもある牧師Ralph Abernathy(ラルフ・アバーナシィ)にスピーチの代理を頼みました。しかし、Ralph Abernathyは満場に溢れる聴衆の数に驚き、キング牧師に「数分でいいから話してくれ」と迎えをやります。キング牧師は急遽やって来ると、原稿もなしでスピーチをしました。これが有名な"I've been to the mountaintop"(私は山の頂きに立った)という最後のスピーチです。

[King]

丁度10年前の1958年9月、彼の最初の本'Stride Toward Freedom'が出版され、キング牧師はニューヨークで著者サイン会を行なっていました。歩み寄って来た黒人女性が「あなたがキング牧師?」と聞くのに"Yes."と答えた刹那、彼女はキング牧師の胸にペーパー・ナイフを突き刺しました。一命はとりとめたものの、ペーパー・ナイフは大動脈スレスレに刺されており、The New York Times(ニューヨーク・タイムズ)は「キング牧師が一度でもくしゃみをしたら、大動脈が切れ呼吸困難で死ぬところだった」と伝えました。入院中、彼は沢山の見舞いの手紙を貰ったそうですが、忘れられない一つの手紙はある白人女子高校生からで、「Dr. King、あなたがくしゃみをしないで良かったと思います」という内容でした。

この日のスピーチでキング牧師は、「もし私がくしゃみをしていたら…」と、様々な公民権運動の進展について触れ、「こうした運動を見ることは出来なかったろう」と述べ、次のように続けます。

「メンフィスに着いた時、人々は我々に対する脅迫に言及し、“病的な白人の兄弟たち”が私に何かするかも知れないと云った。何が起るか分らない。まだ困難が控えている。しかし、それは私には問題じゃない。私は山の頂きに立ったからだ。誰しもが望むように私も長生きはしたい。しかし、今、私にはそれもどうでもいいことだ。私は神の望まれることをするまでだ。神は私に山の頂きへ行くことをお許しになった。そこで、私は約束の地を見た。そこへあなたがたと一緒に行くことは出来ないだろう。しかし、今夜、あなた方に知って頂きたい。私たちは約束の地へ行けるのだ。だから、私は今夜幸せである。何も心配せず、誰をも恐れていない。私の目は神の栄光ある降臨を見たからだ」この、死を予感したかのようなスピーチの後、キング牧師は失神したようにRalph Abernathyの腕の中にくずおれました。

翌4月4日はモテルでゆっくり休養を取り、部屋の中で友人たちと枕投げをしたり、フットボールの試合のように皆で折れ重なって倒れたり、とてもハッピーな時間を過ごしたそうです。

その日の夕刻。親しい地元牧師に招かれたディナーの時刻となり、キング牧師は友人たちと二階の306号室を出ましたが、「コートがいるな」と側近がコートを取って来るまで、しばしドアの前で佇みました。その時、轟音一発。キング牧師は倒れました。救急車で病院に運ばれたものの、撃たれて30分後には死亡を宣告されました。39歳でした。1963年のJ.F.K.暗殺に次ぐ、アメリカの偉大な損失でした。

[Motel1] [Motel2]

現在、このモテルはキング牧師が滞在した棟の外観だけを残し、全体が建て替えられてThe National Civil Rights Museum(公民権展示館)となっています。成人$12.00、シニア(55歳以上)$10.00です。高いだけのことはあって、展示館は二つに別れているのです。本館は公民権運動の歴史を辿るもの、別館はキング牧師を暗殺したとされる男が住んでいた下宿ビルを改造し、暗殺者捜査の過程を展示しています。別館では、本館で千切られた半券を提示します。

本館では先ず短いヴィデオを見せられます(これはどこの展示館でも同じ趣向)。展示コースに移ると、ヘッドフォンを手渡されます(現在は英語だけ)。有名俳優によるナレーションを聞きながら、主な展示を見て行きます。ここの特徴は奴隷時代の黒人の歴史から説き起し、非常に多彩・詳細な図版による展示がなされていること。実物の展示も豊富で、アラバマ州モンガメリでボイコットしたバスや爆破された「フリーダム・ライダー」のバスのレプリカまであります。

展示の最終段階はキング牧師が宿泊した部屋の内部の展示で、出来るだけ当時のままを再現しているそうです。友人たちとふざけた後だけにベッドは乱れ、喫みかけのコーヒー・マグや吸殻が一杯の灰皿などもあります。

モテルの表には当時の地元の友人たちが迎えに来たそのままにキャディラックが二台並んでいます。キング牧師が倒れた場所の手摺りにはリースが飾られています。

別館へ行くと、殺人犯James Earl Ray(ジェイムズ・アール・レイ)がモテルを見下ろしていた浴室の窓が見られます。彼は強盗の前科があり、銃も見つかり、有罪を認めたため、裁判抜きで99年の刑を宣告されました。後に、彼は「銃は殺人者たちが置いて行ったもの」と無罪を主張しました。調査が再開され、最新の弾道検査も実施されましたが、その結果はJames Earl Rayに味方せず、そのうちに彼は獄死してしまいました。

[Tomb]

James Earl Rayと話したり、彼を調べた人々によれば、「彼の知性はこのような陰謀を企むレヴェルではなく、公民権運動に関する知識も貧弱だった」そうで、J.F.K.暗殺同様の多数による謀略と推理する人も少なくありません。

「キング牧師暗殺さる」の報は全米の黒人たちを怒らせ、各地で暴動が起りました。

キング牧師の遺体は故郷アトランタに送られました。葬儀は先ずキング牧師親子が仕えていたEbenezer Baptist Churchで、近親者、友人たち、公的人物のみが参加して行われました。【詳細1】Robert Kennedy(ロバート・ケネディ)上院議員夫妻も駆けつけ、キング未亡人を慰めました。

一般が参加出来る告別式は、そこからかなり離れたMorehouse College(モアハウス・カレッジ)で行われました。お棺の付添人たちはデニムの上下を着用し、粗末な木の馬車にお棺を乗せ、二頭のロバに引かせました。これは貧しい人々のキャンペーン活動を模したものでした。ゆっくりと進む馬車には50,000人とも100,000人とも云われる参列者が従っていました。カレッジにおいてキング牧師とのお別れをする人々の長い列は、その後尾を見定めることが出来ないほどだったそうです。【詳細2】


[MLK_Day]

全米でキング牧師追悼の動きが起り、約500ヶ所の通りがMartin Luther King, Jr. Boulvard (あるいはStreet)と命名されました。私が住む町Meridian(メリディアン)にもMartin Luther King, Jr. Boulvardがあります。

1983年、1月20日のキング牧師の誕生日は国民の祝日と制定されました。2003年の私の町のパレードと式典を見てみました。始まって四回目だそうですし、小さい町ですからパレードといってもそう派手なものではありません。ルイジアナ州から来てくれた海軍のマーチング・バンドが唯一目立つ程度で、後は教会単位の参加者(主に青少年)が歩いたり、車に乗ったりして行列しました。ニュー・オーリンズのマルディ・グラはビーズのネックレスなどを山車から投げますが、このパレードではキャンディが降って来て子供たちが争うように拾っていました。


[MLK_Day]

ダウンタウンの広場で行われた式典が興味深いものでした。1,000人近い参加者を得て、お祈りと国歌に続いて'Black National Anthem'が歌われました。これは教育の場の人種統合以前は黒人の国歌でした。しかし、統合化が進むにつれ歌うのは禁止されました。会場では式次第と'Black National Anthem'の歌詞を印刷した紙が配られていました。年配のご婦人たちは紙など見ないで歌っていましたが、若い世代にとっては無理のようです。ある黒人のご婦人に聞きましたが、どのくらい長く禁止されたか覚えていないとか。「1950年以前であることは確かだけどね。政府が禁止したのか、南部一帯で禁止されたのか知らない。Isn't it something?"(興味深い点だわよね?)」と云っていました。いつ、どのような経緯で復権したのか、確かに興味深いところです。【詳細3】

ある黒人牧師は祝辞の中で「白人至上主義はいけないが、黒人至上主義もいけない」と述べました。これはキング牧師の言葉でもありますが、ここではもっと深い意味があります。最近の国勢調査でこの町の白人対黒人の比率が逆転し、40:60ぐらいで黒人が多くなったのです。そういう背景からの発言ですが、それもキング牧師らが推進した選挙権獲得運動が実ったからこそ云える台詞です。人数だけ増えても選挙権無くしてはパワー足り得ないからです。この牧師は最後にキング牧師の"I Have a Dream"(私には夢がある)という有名なスピーチの後半を再現しました。キング牧師の口調を真似た語り口で、私は最初「不遜ではないか」と思いましたが、原文の強さで次第に引き込まれてしまいました。黒人の聴衆も手を上げたり、"Yeah!"と云ったり、共感を素直に表現していました。キング牧師の夢はまだ実現されていないのです。

二つの国歌は正調の独唱として歌われましたが、来賓の祝辞の間に歌われた賛美歌はさすが南部、黒人の聖歌隊がほとんどロック・グループという感じのモダンなアレンジで、手拍子付きで歌います。伴奏はドラムス、キーボード、ボンゴ、コンガなど。参加者も身体を揺すり、手拍子で合わせます。最後に参加者全員が手をつないで'We Shall Overcome'を歌いました。これはキング牧師がリーダーだった時期の公民権運動のテーマ・ソングでした。舞台の上では白人の市長と黒人の牧師たちが手をつないでいます。私も近くの黒人女性たちと手をつなぎました。私にとって人前でこの歌を合唱するのは初めての体験でしたが、キング牧師が生きた時代にタイムスリップしたような、不思議な感動を覚えたことでした。

キング牧師を支え、四人の子供を育てたキング夫人Coretta Scott King(コレッタ・スコット・キング)が2006年1月31日に亡くなりました。78歳でした。彼女はキング牧師の死後、夫の“夢”を実現すべく努力し、1959年に夫の名を冠した「非暴力社会変革センター」を設立、映画やTV、ヴィデオ・ゲームなどの暴力シーンを無くすよう運動し、同時に歴代大統領に夫の誕生日を国民の祝日とするよう働きかけ、レーガン大統領の任期中に署名させました。Rosa Parks(ローザ・パークス)といい、「公民権運動」の証人たちがどんどんこの世を去って行きます。



【旅のメモ(MemphisおよびAtlanta篇)】MemphisおよびAtlantaを訪ねてみようと思われた方は是非御覧ください。


【参考文献】

'Eyes On The Prize' (PBS video)
Blackside, Inc. (Turner Home Entertainment, 1987)

'Voices of Freedom'
by Henry Hampton and Steve Fayer (Bantam Books, 1990, $22.95)

'The Civil Rights Movement'
by Steven Kasher (Abbeville Press, 1996, $27.50)

'King 1929-1968'
by Charles Johnson & Bob Adelman (Viking Studio, 2000, $40.00)

'To The Mountaintop'
by Stewart Burns (HarperSanFrancisco, 2004, $27.95)


Index

  1. イントロダクション
  2. ブラウン対教育委員会・最高裁判決 (1954)
  3. モンガメリ(アラバマ州)のバス・ボイコット (1955)
  4. リトル・ロック(アーカンソー州)セントラル高校の人種統合 (1957)
  5. ニュー・オーリンズ(ルイジアナ州)のルビィ・ブリッジス(6歳)の入学 (1960)
  6. ミシシッピ大学初の黒人学生ジェイムズ・メレディスの転入にともなう暴動 (1962)
  7. ミシシッピ州NAACP代表メドガー・エヴァーズの暗殺 (1963)
  8. バーミングハム(アラバマ州)の教会爆破事件 (1963) 
  9. ミシシッピ州「フリーダム・サマー」活動家三人の暗殺 (1964)
  10. セルマ→モンガメリ(アラバマ州)選挙権獲得をめざす大行進 (1965) 
  11. ジェイムズ・メレディスの「恐怖への行進」(ミシシッピ州) (1966)
  12. メンフィス(テネシー州)のキング牧師の暗殺 (1968)
  13. 終章・黒人たちの抱える問題 (2006)





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