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公民権運動を描いた映画、ドキュメンタリーなどを観て黒人たちの闘いに感動しました。これは主に南部のいくつかの出来事を振り返り、その史跡を訪ね歩いた記録です。
● Birmingham(アラバマ州)の教会爆破事件 (1963)公民権運動の盛り上がりはK.K.K.など白人至上主義者を苛立たせました。1963年9月15日、アラバマ州北部の商業・工業都市Birmingham(バーミングハム)の公民権運動の拠点16th Street Baptist Church(16番通りバプティスト教会)にダイナマイトが仕掛けられ、日曜学校に来た黒人女子小・中学生4人が死亡しました。Addie Mae Collins(アディ・メエ・コリンズ、14歳)、Cynthia Wesley(シンシア・ウェズリィ、14歳)、Carol Robertson(キャロル・ロバートスン、14歳)、Denise McNair(デニーズ・マクネア、11歳)でした。当時、Birminghamのいくつかの学校で人種統合が予定され、黒人生徒が白人の学校に転・入学することになっていました。人種差別主義者たちはその動きを阻止しようと躍起となっていて、この教会爆破事件もその一環と考えられました。しかし、犠牲となった4人の少女たちは誰一人として白人学校への転入予定者ではなく、公民権運動のデモ行進にさえ参加したことさえありませんでした。 Birminghamは工業、鉱業の町として発展し続けていて、別名"The Magic City"。現在は自動車工場などがいくつも出来て商業的に栄え、アラバマ州最大の都市(人口100万)となっています。爆破事件のあった16th Street Baptist Churchは、ダウンタウンを西へ一寸離れたところにあります。二つの尖塔と広い階段を持つ独特のデザイン。ガイドがいて、爆発した場所を見せてくれます。地下が集会所になっていて、今は台所として改造された部屋が当時は女性の更衣室だったそうです。午前10時過ぎ、四人の少女達は聖歌隊の衣装に着替えるためその更衣室へ。10時22分、その部屋の外壁に置かれた爆発物が炸裂。四人の少女達を即死させ、礼拝中の会衆20人を負傷させました。 同日、他の場所で一人の黒人青年が警官によって殺され、もう一人の黒人青年が暴徒によって殺されました。この日はBirminghamにおける最もおぞましい日となりました。 実は1940年代後半から60年代半ばにかけて、Birminghamでは人種偏見に基づく爆破事件が50件も起り、そのどれもが未解決でした。人々は「Birminghamじゃなくて、"Bombingham"だ」と囁き合ったそうです。ただ、それまでの爆破事件には概ね2本のダイナマイトが使われていたのに対し、16th Street Baptist Churchでは20本ものダイナマイトが使われたことによって、その残虐さが際立っています。 爆破事件から三日後、同教会で少女達の合同葬儀が行なわれ、Martin Luther King, Jr.(キング牧師)が弔辞を述べました。 この教会爆破事件はアメリカばかりでなく、世界中を震撼させました。各地から「爆破犯人情報への報奨金」のための寄付金が寄せられ、その額は$76,000になりました。警察やFBIは膨大な数の証言収集、事情聴取、K.K.K.メンバーに対する尋問を行いましたが、なぜか爆破グループを特定することも、個人を起訴することも出来ず、報奨金は虚しく寄付者に返還されました。 爆破事件当時、アラバマ大法学部で卒業を控えていたWilliam Baxley(ウィリアム・バクスリィ)は、少女たちの死に愕然とし、同級生に「この事件解決のために何かしたい。絶対何かするつもりだ」と語っていました。彼は1964年に卒業し、アラバマ州最高裁の事務官になり、後年検事の職に就きました。1970年に州司法長官の椅子を射止めると、彼が真っ先に行ったことは教会爆破事件再調査のチームを編成することでした。「この事件は私の四年の任期の最重要課題だ」と彼は語っています。しかし、事件後十年も経っていて、再調査は難航しました。一番のネックは事件当時最先端で捜査にあたったFBIの資料が閲覧禁止に分類されていて、William Baxleyのチームがアクセス出来ないことでした。 【詳細1】 やっとFBI資料の閲覧が可能になった頃は、すでに州司法長官William Baxleyは任期の二期目に突入していました。1976年、彼はBob Eddy(ボブ・エディ)という43歳の男を雇い、Birminghamに駐在してFBI資料の閲覧と事情聴取を始めることを命じます。Bob Eddyの調査で浮かび上がって来たのはRobert Chambliss(ロバート・シャンブリス)という、Birmingham周辺のK.K.K.の中でも最も粗暴で過激な男でした。この男は"Dynamite Bob"(ダイナマイト・ボブ)というニックネームを持つほどで、市内の爆破事件のいくつかへの関与が噂されていましたが、いずれも起訴を免れていました。しかし、豊富なFBI資料とBob Eddyの執念がRobert Chamblissを有罪に出来る証人発掘につながります。 1977年11月14日、巡回裁判所における裁判が始まりました。最も効果的な証人はRobert Chamblissの姪(Robert Chamblissの妻の姉の娘)で、彼女は事件前日にRobert Chamblissが「日曜になれば分る」と云ったり、事件を伝えるTV画面に向かって「誰も傷つけるつもりじゃなかった。予定時刻に爆発しなかっただけだ」と呟いていたと証言しました。当時K.K.K.仲間だった男の妻で、事件の二週間前に夫婦でRobert Chamblissの家を訪れ、トイレを探していて間違えて開けたドアの向こうで話しているRobert Chamblissと夫、そして床に並べられたダイナマイトを見たという証言も有力でした。 11月17日、最終論告には州司法長官William Baxleyが立ちました。彼は4人の少女たちの写真を手に、「陪審員の皆さん、今日は少女たちの一人Denise McNair(デニーズ・マクネア)の誕生日です。もし、彼女が生きていれば、23歳になっていた筈です」と口を切り、少女たちの生命を奪った犯罪の証拠をおさらいしたあと、こう続けました。「73歳の被告に同情なさるのなら、この写真を見て頂きたい(彼は少女たちの検死写真を陪審員席に向けて並べた)。Denise McNairに誕生日のプレゼントを上げて下さい」 判決は「有罪」で、Robert Chamblissは終身刑を云い渡されました。実は調査員Bob Eddyは判決以前にその有罪を確信していました。Robert Chamblissの妻は、彼に一言も「夫は無罪だ」と述べたことはなく、「有罪となったら、彼は罰を受けるしかない」と漏らしていたからです。Robert Chamblissは服役中の1985年10月に病死しました。81歳でした。 1965年の「Selma→Montgemory大行進」の直後に公民権運動支援の白人女性を殺したK.K.K.数名が有罪となり、1967年にミシシッピの「活動家三人の暗殺」の首謀者・実行犯のK.K.K.数名が有罪となったことはありましたが、いずれも「公民権を覆す陰謀」という連邦政府による告訴で、刑も長くて十年という軽いものでしかありませんでした。この教会爆破事件の裁判は、深南部の州による告訴で初めて「殺人事件」として有罪をかちえた画期的な実績となりました。 なお、教会爆破事件の犯人の一人(教会にダイナマイトを置いた人物)はテキサスに逃げていて、長らく捕まりませんでした。元親族の証言などにより、年老いた元K.K.K.メンバーは逮捕され、有罪が確定したのは2002年春のことです。少女たちが亡くなって39年経っていました。 教会のガイド(黒人の中年女性)に「もうBirminghamには人種的トラブルはありませんか?」と聞くと、「とんでもない。就職とか出世にはまだ厳然と差別がある。古い世代が各界のトップから去って、世代交代するまでは駄目ね」私が「今の子供たちは白人も黒人も一緒に遊んでいますが」と云うと、「そう、彼等が市や企業の要職に就くまで、待たなきゃならないのよ」「かなり長い辛抱ですね」「そうだわね」彼女は(その頃は私はお婆さんで、就職も出世も関係無いわ)という言葉を呑み込んだように見えました。云っても詮ないことですものね。 16th Street Baptist Churchの斜め前にKelly Ingram Park(ケリィ・イングラム公園)があります。ここは黒人たちのデモ行進の出発地点や集会場として使われた場所だったそうです。一見、ごく普通の公園に見えますが、中を歩くとびっくりします。金属で作られたモニュメントがいくつか立っているのですが、それらは警察権力による黒人デモ隊迫害をリアルに表現したものなのです。白人警官が警察犬を黒人少年にけしかけている立像、消防隊の強力な放水を受ける少年少女。「私たちは拘置所を恐れない」と題された鉄格子に歩み寄る男女。圧倒的なのは、両側から警察犬が飛びかかろうとしている小径です。金属で出来た犬とはいえ、その間を歩くのは背筋が凍ります。 16th Street Baptist Churchの前には、市によって建てられたBirmingham Civil Rights Institute(公民権会館)という大きな建物があります。付属の展示館は敷地をフルに使ったスケールの大きいものです。ヴィデオでBirminghamが白人と黒人両方の力で隆盛への道を歩み始めた時期、白人勢力が黒人を疎んじ始めた時期、そしてK.K.K.が黒人を弾圧し始めた時期までを見せ、スクリーンがスルスルと上がると、その向こうが展示のスタート地点になっています。黒人たちの暮らし、差別の実態、公民権運動の歩みなどがヴィデオやリアルな展示で理解出来るようになっています。最後はMartin Luther King, Jr.による有名なスピーチ"I Have a Dream."(私には夢がある)の大画面による映像。1963年8月、リンカーンによる奴隷解放宣言から100年経ったのを機に、Washington D.C.で大行進が行なわれ、全米から25万人が参加しました。その最後はリンカーン記念堂前における大集会で、Martin Luther King, Jr.は締めくくりのスピーチを担いました。このスピーチはCDやヴィデオでも聞けますが、この展示館のヴィデオは大聴衆のリアクションを交えて編集されていて、スピーチ単独よりも感動的でした。 この事件についての映画もあります。紹介は以下のページです。 ・'4 Little Girls'(TV映画、本邦未公開)(1997) 【旅のメモ(Birmingham篇)】Birminghamを訪ねてみようと思われた方は是非御覧ください。 【参考文献】
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