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[文法・表現]

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[・] It's Megan

最近のProgressive(プログレッシヴ、自動車保険会社の一つ)のTV-CMに次のようなものがありました。

この会社の支店の店頭で、若い女性が契約をしようとしていると、近くにいた他の保険会社の男が「Mary(メアリ)!ここで何してるんだい?」と声をかけます。他の保険会社に勤めている男がライヴァルのProgressiveの店内をうろうろしているのは変なのですが、彼が勤めている会社よりProgressiveの保険料が安いので、彼は個人的にProgressiveと契約しているというシチュエーションなのです(これは人気シリーズなので、視聴者は彼のことをよく知っています)。

"Mary!"と声をかけられた女性は"It's Megan."(メーガンよ)と訂正し、「あなたんとこより、Progressiveの方がディスカウントしてくれるし、サーヴィスもいいの。だから、こっちで契約するの」と云います。

私が気になったのは"It's Megan."という台詞です。「私はメーガンよ」なら"I'm Megan."となるところです。電話が掛かって来て"Can I talk to Ms. Megan?"(メーガンさんとお話したいのですが?)と云われたら"This is she."(私がメーガンです)となります。しかし、この場合は、「電話線のこちらの声はメーガンです」という意味の習慣から"This is..."を使うのであって、相手と面と向かっている場合は別です。

多分、"Though you called me Megan, you are wrong. It's Megan."(あなたは私をMaryという名で呼んだけど、それは間違いで、ほんとはMeganよ)という意味なのだろうと思いました。カミさんに聞いたところ、その通り、「名前はメーガンよ」だそうです。"it"は"my name"を指しているわけです。

私の場合、あまり親しくない人から"Aja"(エイジャ)と呼ばれたりします。"Asia"からの連想でしょう。そういう時、必要であれば"I'm Eiji."でなく"It's Eiji."(エイジだよ)と云うべきなのです(どっちにしても意味は通じますが)。

よく考えれば次のような会話と同じですね。
ガイジン:"I don't like Okonomiyaki because it contains octopus."(お好み焼きは蛸が入っているから嫌いデース)
日本人:"It's Takoyaki."(それはたこ焼きですよ)

(December 20, 2011)

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[・] Salad days

英語の「表現・語源辞典」を引っくり返していて、たまたま目に止まったのが"salad days"という言葉です。「サラダ記念日」の語源かと思ったら違いました。"days"と複数になっていますから「記念日」ではなく「時期」を示しています。

その辞典によれはShakespeare(シェイクスピア)の戯曲の一つ'Antony and Cleopatra'『アントニーとクレオパトラ』の、第一幕第五場の最後のクレオパトラの台詞に含まれる言葉となっています。私は『アントニーとクレオパトラ』も読んでいましたが(翻訳でですけど)、「サラダ」に関する表現があったとは気づきませんでした。

その台詞の原文は次のようなものです。

Cleopatra: "My salad days,
When I was green in judgement, cold in blood,..."

意訳すると、「私がサラダ菜のように判断が青く、しかも全てに冷ややかだった頃…」と云っているわけです。面白い。美女クレオパトラとサラダの取り合わせも絶妙ですし、「青二才の頃」を「サラダ菜の日々」と表現しているのもユニーク。なぜ、この名文句が日本で有名になっていないのか不思議でした。で、いくつかの翻訳を調べてみました。

坪内逍遥訳:「ありゃわしの、まだ分別の青かった生菜の頃ぢゃ…」

福田恒存訳:「あれはいはば菜の味しか知らぬ頃のこと、分別もまた青くさく、情も知らず…」

小津次郎訳:「あれはまだわたしが青っぽいころの話。あの時分は物を見る眼がなかったし、情も湧かなかったのね…」

つまり、誰も「サラダ」とは訳していないのです。この中では坪内逍遥が一番原文の味に近いと思いますが、「生菜(なまな)」というのは読み物では字面から理解出来ても、舞台で台詞として云われたら判り難かったと思われます。福田恒存は、クレオパトラがサラダばかり食べてダイエットしていたことにしちゃっていますが、これは勇み足でしょう。

「サラダ」と翻訳(?)すれば日本でも名文句として定着したでしょうに…。Shakespeareは日本の翻訳者たちを怨んでいることでしょう。

(November 20, 2011)

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[・] 体格

アメリカ人に日本語の形容詞を教えるために、英語の形容詞の痩身から肥満体までの序列を知ろうと思いました。で、 rotund, obese, fat, stout, roly-poly, chubby, plump, NORMAL, thin, slight, slim, slender, lean, bony, skinnyなどという単語を印刷した紙を数人に渡し、順番をつけて貰いました。

roly-poly, fat, stout, chubbyの部分と、slender, thin, slim, lean, slightの部分は人によって入れ替わりました。つまり、roly-poly>fat>stout>chubbyとは云い切れず、slender>thin>slim>lean>slightとも云えないのです。これらの言葉は重量を表わしておらず、胴回りの寸法も示していないというわけです。

"skinny"よりも痩せている表現として"bag-of-bones"(痩せこけた人[動物]、骸骨)と"rail-thin"(カマキリみたいに細い)を付け足した人もいました。

以下は標準的と思えるオーダーですが、上に述べたように厳密なものではありません。

rotund(丸々と太った)
obese(でっぷり肥えた、太り過ぎの)
fat(太った)*脂肪が多く異常な太り方を意味するので要注意
stout(どっしりした、恰幅のいい)
roly-poly (丸々とした)
chubby(丸ぽちゃの)
plump(丸々とした)*いい意味で肉付きがよい意味合いで、主に赤ん坊や若い人に用いる
【NORMAL】
thin(ほっそりした)*不健康に痩せているという意味合いもある
slight(痩せ型の、痩せて弱々しい)
slim(見た目に優美でほっそりした、華奢な)
slender(ほっそりした、すらっとした)
lean(贅肉がなく引き締まっている)
bony(骨張った、痩せた)
skinny(痩せこけた、骨と皮ばかりの)

(October 10, 2011)

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[・] consistent

"consistent"および"inconsistent"という言葉には泣かされて来ました。13年前から「ゴルフ『80を切る!』日記」というサイトを公開していますが、これの重要部分はアメリカのゴルフ雑誌、ゴルフ単行本、TV、DVD、オーディオ・テープなどから仕入れてメモした“ゴルフのコツ”なのです。それらの出版物、メディアなどにしょっちゅう登場するのが"consistent"および"inconsistent"でした。

・研究社新英和中辞典(第六版)
【consistent】1. (言行・思想など)首尾一貫した、矛盾のない、調和して、2. (人が)言行一致した、信念のある
【inconsistent】1. 矛盾の多い、調和しないで、2. (人・言動など)無定見な、無節操な、気まぐれな

・研究社リーダーズ英和辞典(第二版)
【consistent】1. (言行・思想など)首尾一貫した、矛盾がない、調和して、2. (人が)言行一致した、堅実な
【inconsistent】1. (二つ以上の物が)相互に一致(調和)しない、2. 矛盾した、首尾一貫しない、無定見な、無節操な

・LDCE
【consistent】1. (of a person, behaviour, beleifs, etc.) continually keeping to the same principles or course of action [「言行一致」に相当], having a regular pattern
【inconsistent】1. (of ideas, opinions, etc.) not in agreement with each other with something else 2. tending to change [「矛盾した」、「無節操な」に相当]

これらは「(言行・思想など)」と限定されているように、ゴルフのスウィングにはそのままは当てはまりません。

例文:"The hips will turn as fully as possible consistent with keeping the right knee in place."

これは「右膝を定位置に保つことと矛盾しない程度に、可能な限り腰を廻す」ですから、辞書の訳語通りで問題ありません。私は「右膝が定位置からずれない程度に、可能な限り腰を廻す」と意訳しました。

しかし、ググって出て来る次のような表現(見出し)には、上の辞書の定義は当てはめられないのです。

"4 Secrets to a Consistent Golf Swing"
"Four Keys to a Consistent Swing"
"The Fastest Way to a Consistent Swing"
"How To Build A Consistent Golf Swing"

これらを「首尾一貫したスウィング」、「矛盾のないスウィング」、「堅実なスウィング」などと訳してもぴったり来ません。私は13年もの間、この"consistent"に悩まされて来たのですが、このほどやっと適切な訳語を見つけることが出来ました。

【consistent】ムラのない
【inconsistent】ムラがある

"consistent play"なら「堅実な/手堅いプレイ」でいいのですが、ゴルフ・スウィングには「堅実な/手堅いスウィング」というのはないのです。常に適切な方向・距離に打つのが"consistent swing"ですし、ショットが左右にぶれたり、飛び過ぎたり短か過ぎたりすれば"inconsistent swing"です。これらはそれぞれ「ムラのないスウィング」、「ムラのあるスウィング」とするとぴったり来ます。

ある本に次のような箇所がありました。これもゴルフ関連で恐縮ですが。

"There are thousands of players who are consistently short on every uphill and consistently long on every downhill putt."

これを「上り坂ではムラなくショートし」、「下り坂ではムラなくオーヴァーする」と訳すことは出来ません。もちろん、「矛盾無くショート」、「堅実にオーヴァー」も駄目です。この場合は「お定まりのように(あるいは、「決まって」)」と訳すのがいいようです。

「上り坂のパットだとお定まりのように(=決まって)ショートし、上り坂だとお定まりのように(=決まって)オーヴァーするゴルファーはゴマンといる」

ま、この場合は「必ず」と云い換えてもよさそうですが。

(July 30, 2011)

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[・] 不思議な"a"

'Nashville'『ナッシュヴィル』(1975)という映画を観た時、C&Wの大物歌手を演ずるHenry Gibson(ヘンリィ・ギブスン)が'Keep a goin''という歌を自作(共作)自演していました。その時から「この"a"は何なんだろう?」と思っていました。

2011年7月の新聞のNCAA(全米大学体育協会)に関する記事の見出しが、"Change is a comin'"となっていました。これはAPの記者の記事の転載であり、地元の南部生まれの記者が書いたものではありません。

たまたま、公立図書館のスタッフに新たに加わったJohanna(ジョハナ)という年配の白人女性が英語専攻で教師の免許も持っていると聞き、彼女に上の二つの文について聞いてみました。彼女は'Keep a goin''は"keep on going"のくだけた云い方であると説明してくれましたが、"Change is a comin'"については「解らない」と云いました。

私は当サイトの「一般」の分類で「ネイティヴ」という記事を書きました。「Q&Aサイトの『ネイティヴはこう云っている』という回答を眉に唾して読むように…」という内容でした。Johannaの例がいい証拠です。英語専攻で教師の免許を持っていても解らないことがあるのです。単に白人であるとか英米国籍であるというだけのネイティヴの意見が、どれだけ信用出来るかは推して知るべしです。

私の友人Mike(マイク)に聞いてみました。彼はオクラホマ州で育ち、現在大学の名誉教授(数学)ですが、演劇俳優でもあり、詩作もするという多芸多彩な人物。

彼は言下に「南部や西部、中西部などの口語的表現だ。その"a"は無視して考えてよい」と答えました。'Keep a goin''や"Change is a comin'"だけでなく、様々な表現で"a"が挿入されるのは珍しくないそうです。ま、彼の意見も100%正しいとは云い切れませんが。

Googleで"a comin"を「フレーズ検索」すると3,950,000件もヒットします。で、ずーっとスクロールすると、ほとんどが歌詞なんですね。"a goin"は750,000件ですが、こちらも歌詞が多い。ということは、調子を取るために挿入された"a"であると云っていいのかも知れません。「一、二、三」ではなく「一、二の三」というような感じで。

(July 30, 2011)

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[・] 日本語と英語の大きな違い

アメリカ人に日本語を教えていると、否応無く日本語の特徴に気づかされることになります。

英語では、
1) "I don't think he is a good man."
…という表現の方が、
2) "I think he is not a good man."
…よりも好まれると云われてます。

http://www.alc.co.jp/eng/grammar/faq/15_01.html の「I don't think 〜 か I think 〜 not ... か」に、このケースについての質疑応答が出ていますが、私が学んだ印象とちょっと違います。
質問は「1) I don't think people should be allowed to own a gun. と、2) I think people shouldn't be allowed to own a gun. はどう違うのですか」というもので、このサイトの説明ですと「(1) では not は think を否定していますが、(2) では people should be allowed to own a gun を否定しています。(2) より (1) のほうが穏やかな言い方です。なぜなら、(1) のように I don't think 〜(私は〜とは思いません)と言うほうが、議論の余地を残し、否定の意味合いを弱めることになるからです」となっています。

私は "I don't think..."と始めるのは「(以下に述べることを私は否定する…と)旗幟を鮮明にする」ことと、「結論(否定の論旨)を先に出す」ことだと思っていました。英語の方が直截的・機能的であって「議論の余地を残し、否定の意味合いを弱める」のは日本語の得意芸であると思っているからです。

【日本語】「展示品の写真を撮ってはいけません」
【英 語】 "Don't take pictures of exhibits."

この例は命令形ですが、日本語で話される場合「展示品の写真を撮って…もいいです」なのか、「展示品の写真を撮って…はいけません」なのか最後の部分を聞くまで予測がつきません。「展示品の写真を撮ってもいいですが、三枚程度にして下さい」などとなる場合だってあり得ます。英語の方は"Don't..."と「全面禁止」の意図をハッキリ打ち出しています。

上のような日本語の特徴を活かしたのが「旗上げゲーム」です。「白上げないで、赤上げる」なのか「白上げないで、赤上げない」なのかは最後まで聞かないと分りません。全く予断を許さないのです。私はこのゲームを英語に移植しようと考えましたが、不可能であることを痛感しました。理由は言語構造の違いです。

この特徴は、「このプロジェクトが失敗に終ること…は明らかです」と話すつもりだったのに、参加者の顔色を見ながら途中で「このプロジェクトが失敗に終ること…のないよう祈念します」に変更出来る余地を残しています。「議論の余地を残し、否定の意味合いを弱める」どころか、全く逆のエンディングに変えられるのが日本語の特徴です。これほどフレキシブルな言語がほかにあるでしょうか?

(July 10, 2011)

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[・] あんな遠くへ

ゴル友のMike(マイク)とラウンドしていた時のこと。あるホールで前の組がもたもたしていました。しばらく待っていましたが、明らかに私の飛距離の範囲外だったので、私はボール打つ体勢に入りました。

Mikeが「もう少し待ったら?」と云いました。彼は強打者なので、彼が打つと前の組を驚かすようなボールになるでしょうが、私は大丈夫です。私は「あんな遠くには飛ばせないよ」と云うつもりで、"I can't hit such far."と云いました。

しばらくして二人とも打ち終わり、ゴルフ・カートで一緒にボールに向かった時、Mikeが「ああ云う時は"I can't hit THAT far."と云うんだよ」と云いました。私はよく彼に英語の表現について質問していますので、彼は親切に指摘してくれたのです。アメリカ人の誰もがこんな風に英語の表現を直してくれるわけではありません。

私はOxford University Press 'A Practical English Grammar' の日本語版『実例英文法』で調べてみました。

"such"は形容詞なので、"such a short time"とか"such a lovely day"などのように名詞句を形容します。Mikeは「"such"を使うのであれば、"I can't hit such a long shot."と云うべきだ」と云っていました。

「比較を表わす節」という項に【注意】として、「口語では『that + 形容詞』で比較を表わすことがある」として、"It won't be (all) that expensive."[=It won't be as expensive as that.](それほど高くはあるまい)という用例が載っています。これに倣ってMike推奨の"I can't hit that far."を書き換えると、"I can't hit as far as that."(あれほど遠くへ飛ばすことは出来ない)となり、完全に納得出来る文章になるわけです。

(June 20, 2011)

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[・] Little hope

"a little hope"は「僅かな希望」(肯定的)だが、"little hope"は「ほとんど望みがない」(否定的)であることは御存知の通り。

[hope]

私の住むアパートの住人(黒人女性)が、隣町の教会のマイクロバスの運転手になりました(多分ヴォランティア)。車の横に"Little Hope Baptist Church"と書かれています。私が教わった英語教育からすると「(祈っても)ほとんど望みのない教会」と解釈出来ます。この車の脇を通る度に笑ってしまいます。

この教会の名前についてアメリカ人に話すと、一様に二通りの反応が帰って来ます。
1) 「その町の名が"Little Hope"に違いない」
 そうではありません。町の名は車体に書いてあるようにToomsuba(トゥームスーバ)であり、"Little Hope"ではありません。

2) 「その町に"Hope Baptist Church"という大きい教会が既にあり、その系列の小さい教会なので"Little Hope Baptist Church"と名付けたのだろう」
 私は電話番号簿やインターネットで調べましたが、"Hope Baptist Church"なるものは存在しません。

Googleのフレーズ検索で"Little Hope Baptist Church"をサーチすると、結構な数がヒットします。

http://www.philiplamb.com/LitHope.html にはテキサスの"Little Hope Baptist Church"の正面の写真と共に、この命名に「こんな名をつけるなんて、正気かい?」という呆れたコメントが掲載されています。サイト主はオクラホマ州生まれでテキサス州に住んでいる人です。別サイトで"Funny Signs"(おかしな看板)の写真を集めている人が、"Little Hope Baptist Church"への矢印付き看板の写真を載せています。つまり、日本人の私ばかりでなく、アメリカ人も"little hope"とは妙な名前だと思っている証拠です。

Googleでヒットする"Little Hope Baptist Church"は、テキサス州、アラバマ州、テネシー州、ミシシッピ州、アーカンソー州など南部諸州と、隣接するケンタッキー州に存在します。南部を中心に展開する教会チェーンと云っていいのでしょう。(教育レヴェルの低い)南部生まれだとすると、この妙な命名も「さもありなん」という気もします:-)。

(May 20, 2011)

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[・] 持ってけ、ドロボー!

[steal]

日本の「持ってけ、ドロボー!」という台詞は、叩き売りをする業者のヤケッパチで可笑しい表現です。そこには「泥棒」という言葉の持つ嫌味、否定的要素は全くありません。こんな表現は日本独特のものだと思っていたら、最近写真のようなチラシが新聞に挟まれて舞い込んで来ました。

これは全国チェーンのJC Pennyというデパートの大売り出しの広告です。この期間全店で値引きするらしいのですが、特にこの週の土曜日の9:00〜1:00に限って"4 HOUR STEALS!"と銘打たれた限定商品は最大50%オフになると書かれています。

「四時間限定持ってけドロボー!セール」というわけです。結局、日本にある表現はちゃんと欧米にもあり、欧米の表現に似たものも日本に存在するということなのかも知れません。英語の諺にそっくりな表現が日本語に結構ありますが、それが偶然の一致なのか、輸入されて定着したものなのか定かではありません。研究材料として面白いと思います。

(March 30, 2011)

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[・] ridiculousとludicrous

"ludicrous"という言葉に出会いました。辞書を引いて、「あれ?"ridiculous"と同じじゃないの!」と思いました。

・ridiculous 馬鹿げた、途方もない、滑稽な 【語源:フランス語 or ラテン語=laughable】
・ludicrous 《奇抜・不条理・誇張などによって》笑いを誘う、滑稽な、おかしな、笑うべき、馬鹿馬鹿しい 【語源:ラテン語「戯れの」の意】

意味はほとんど同じです。どう使い分けるのか見当もつきません。単語として見掛けたり聞いたりする頻度は、圧倒的に"ridiculous"が多い。

"ridicurous ludicrous difference"というキーワードでググルと、"What's the difference between ridiculous and ludicrous"と云ったQ&Aがわんさとあります。途方に暮れているのは私だけではなかったのでした。色んな意見の中で最も合点が行ったのは次のような回答です。

「普通"ridiculous"を使って済むところを、わざわざ"ludicrous"を使うのには何かわけがある。悪意にせよ皮肉にせよ、発話者がその語の意味を強調している意図を考える必要がある」

「馬鹿者」と「愚か者」のニュアンスの違いという感じでしょうか。

(February 10, 2011)

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[・] Exceptとexcept forの違い

ある読者から質問を受けたのですが、正直云いまして私は「exceptとexcept forの違い」など考えたこともありませんでした。で、私が愛用する'Basic English Usage' by Michael Swan (Oxford University Press, 1984)で調べた結果は、以下の通りです。

・「全て」を表す表現の後ではどちらを使ってもよい。「全て」を表す表現とは、all, any, every, no, anything, anybody, anyone, anywhere, everything, everybody, everywhere, nothing, nobody, no one, nowhere, wholeなど。その他の場合は常にexcept forを用いる。

【例】 括弧内の"for"は使っても使わなくても、どちらでもよい。
He ate everything on his plate except (for) the beans.
He ate the whole meal except (for) the beans.
He ate the meal except for the beans. [NOT...except the beans.]

I've cleaned all the rooms except (for) the bathroom.
I've cleaned the whole house except (for) the bathroom.
I've cleaned the house except for the bathroom. [NOT...except the bathroom.]

・前置詞と接続詞の前ではexceptを用い、except forは用いない。

(January 10, 2011)

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[・] その気になれない

私が作ったオリジナルDVDをカミさんに見せようと渡したのですが、忙しいのと忘れてしまうのと両方で、中々見てくれません。私は"I guess you are awkward to watch it because..."と云いましたら、彼女から「"awkward"は"clumsy"と同意義なので、この場合は"reluctant"が相応しい」と指摘されました。

実は"awkward"を使うには一抹の不安もありました。しかし、私が本や雑誌で目にする"awkward"には「ぐずぐずする」というような意味合いもあったと思い、エイヤっと使ってしまったのでした。辞書を見ると、確かに"awkward"は「不器用な」、「下手な」で、これらは私が云いたいこととは異なりました。"clumsy"には「動きの鈍い」という語義がありますが、大勢において"awkward"と変わりません。

"reluctant"は「気が進まなくて」という形容詞で、これこそ私が云いたかった台詞にぴったりでした。

なお、上の私の表現は言葉の選択ばかりか、「あなたはDVDを見るのが下手である、何故なら…」という全く意図していない内容になっていて失格でした。"I guess you feel..."とか、"You look..."として「DVDを見るのが億劫なようだが」という表現をしなければいけないところでした。

(November 30, 2010)

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[・] 再帰代名詞

'The Great Movies II' by Roger Ebert (Broadway Books, 2005)という本の『東京物語』の章を読んでいました。次の文章で私は何か物足りない思いをしました。ここで"he"とは監督・小津安二郎のことです。

"He likes trains, clouds, smoke, clothes hanging on a line, empty streets, small architectural details, and banners blowing in the wind (he painted most of the banners in his movies himself)."

映画評論家である著者は、いわゆる小津安二郎の"empty shot"(空ショット)について説明しています。空ショットとは、誰もいない部屋、路地、看板、廊下、煙突、空などで、場面転換や時間経過などのために小津安二郎が好んで用いた静的ショットのことです。ここで筆者は"banner"と云っていますが、小津安二郎の映画に「垂れ幕」や「横断幕」が出て来た記憶はないので、これは電柱や塀に貼られた宣伝文句の紙を指しているのだと解釈します。

問題は”he painted most of the banners in his movies himself"(彼は自分の映画の"banners"のほとんどを自分で描いた)の、最後のhimselfです。私にはこのhimselfに何にも前置詞がついていないのが物足りなかったのです。私だったら"by himself"とでもするところです。

カミさんにこの文を見せると「何も付ける必要はない」と云うだけでした。彼女は英会話の先生はやってましたが英語の先生ではないので、「何故前置詞をつけないか」について説明してはくれませんでした(多分、説明出来ない)。私が「例を挙げてみせてくれ」というと、"He went to the hospital himself."というセンテンスを示しました。

Oxford University Press 'A Practical English Grammar' の日本語版『実例英文法』で調べてみました。すると次のような「強調用法」の例が出ていました。

a) Ann herself opened the door. (アン自身が戸を開けた)
b) Tom himself went. (トムは自分で行った)

これらはよく見る用法であり、何の不思議もありません。ところが説明は続き、「動詞が他動詞の時は、再帰代名詞を目的語の後ろに置いてもよく、自動詞の場合は動詞の後ろに回してもよい」とあり、上の例を次のように書き換えています。

a') Ann opened the door herself.
b') Tom went himself.

つまり、小津安二郎の例は”he himself painted most of the banners in his movies"と同じことだったわけです。

私は『英語の冒険』(正篇)の「文法・表現」のページに「See for yourself」という記事を書きましたが、『実例英文法』には、それを補う「注意」が掲載されています。

「次の二つの文の相違に注意されたい。
1) I did it myself. (= It was done by me and not by someone else.)(自分でそれをやりました[他の人がやったのではない])
2) I did it by myself. (= I did it without help.)(独りでそれをやりました[手伝って貰ったわけではない])」

小津安二郎の場合は明らかに「他人ではなく彼自身が"banners"を描いた」という内容ですから、前置詞無しの例1が正しく、"by himself"は間違いということになります。

(November 10, 2010)

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[・] お客の色々

一口に「お客」と云っても、どういう店(施設)のお客かによって英語の表現は変わります。

・訪問客 visitor、caller
・面会人 visitor
・パーティなどの招待客・ホテルの客 guest
・賓客 guest
・下宿の客(間借り人) lodger
・店の客 customer
・商店・ホテルなどの常連客 patron
・乗り物の客 passenger
・弁護士事務所・会計事務所などの客 client
・診療所・病院などの客 patient
・図書館・公的資料館などの閲覧者 reader
・観覧客 spectator
・テニスやゴルフ・トーナメントなどの見物客 gallery
・劇場などの客 audience
・観光客 sightseer、(地元民から見れば)visitor
・商人とグルの客(さくら) decoy
・詐欺に遭う客(カモ) sucker(=おめでたい人)
・弔問客(会葬者) mourner

(October 20, 2010)

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[・] 来る日も来る日も

英語の口語では"day in day out"という云い方がよく聞かれます。「来る日も来る日も」の云い方の一つです。日本語では月日は「やって来る」のですが、この表現だと「出たり入ったり」するわけです。日本人の意識では「月日は百代の過客にして、行(いき)かふ年も又旅人也」という感覚から、月日が「来ては去る」ものと受け止められていると思います。

"day in day out"は"week in week out"(来る週も来る週も)、"month in month out"(来る月も来る月も)、"year in year out"(来る年も来る年も)へと延長可です。

同じ意味で"day after day"という表現もあり、"week after week"、"month after month”、"year after year"があるのも同様です。"in...out"と出たり入ったりするのに較べると、"...after..."は月日が行列しているイメージであり、日本人好みの「来ては過ぎて行く」に通じるところがあります。

何故"in...out"になるのか調べてみましたが、突き止められません。ひょっとすると"check in"と"check out"に似た感じかも知れません。月日がホテルのカウンターにやって来てチェックインして宿泊し、滞在を終えるとチェックアウトして去って行く。これなら日本語も英語も同じイメージ:「月日はやって来ては去って行く」になりますが。

(September 20, 2010)

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[・] yetの諸相

ある日の新聞にシニアの素人楽団の記事が載り、その見出しは"Are we old yet?"となっていました。常々「yetって、時々妙な使われ方をするなあ」と感じていたことが思い起こされました。上の見出しの場合、"Are we old already?"と同じと理解するのが普通でしょうが、"already"ではなく"yet"を使っているのには何か理由があるのだろうか?

"Is the BBQ ready?"(バーベキューは料理出来た?)に対し"Not yet."(まだだよ)という用法は解ります。"Are we there yet?"となると、一寸まごつきます。"Aren't we there yet?"(まだそこ[目的地の領域=テキサス州とか]に入ってないの?)なら、「まだ」の解釈を延長出来ますが、"Are we there yet?"だとどう訳せばいいのか?

LDOCEを見ると、色々な定義が出ていました。
1) 【疑問文や否定文で】up until now/then(今まで/その時まで)、by a particular time(ある時まで)、already(もう、既に):"Has John arrived yet?"(もうジョンは着いた?)

"Are we there yet?"の場合もこれに入るのでしょう。"Are we there already?"(もうそこ[目的地の領域=テキサス州とか]に入ってる?)という感じで。

2) 【未来に関し】in spite of the way things seem now(現在の様子とはうらはらに):"We may win yet."(おれたちにだって勝つチャンスはあるんだ)

3) even, still(まだその上に、もっと、今なお):"yet another reason"(もっと他の理由)、"a yet worse mistake"(もっと酷い過ち)、"She is talking yet."(彼女はまだ喋っている)【『リーダース英和』の例文】

4) in spite of that, but(…だが):"a simple yet very effective system"(単純だがとても効果的なシステム)、"strange yet true"(不思議だが真実の)

5) still(まだ):"He is yet a child."(彼はまだ子供だ)
 【註】『研究社英和中辞典』によれば「stillは前の動作や状態がその時なお続いている場合に用い、yetは動作や状態がもう終ったか、まだ終らないかを云う場合に用いる」とあります。

『リーダース英和』を見ると、他の定義もありました。
6) 【最上級に伴って】今までのところ:"the largest diamond yet found"(これまでに発見された最大のダイヤモンド)

7) まだその上に、さらに:"Play the tape yet another time."(いま一度テープをかけて)

8) 【比較級を強めて】まだ[さらに]一層:"a yet more difficult task"(なお一層難しい仕事)

まだまだ定義と用例は続くのですが、この後は省略。"yet"=「まだ」という感覚だと訳しようがないケースが沢山ありますね。

(August 20, 2010)

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[・] ステロタイプとクリシェ

英語の"stereotype"(ステリオタイプ)が、日本では訛って「ステロタイプ」になっています。この"stereo"(ステリオ)はオーディオの「立体音響装置」とは無関係で、鉛版(=stereo)【紙型に溶融金属[プラスティック、ゴムなど]を注いで作る複製版】を指します。そこから“型にハマった”という意味が派生し、「決まり文句」、「固定観念」、「常套手段」などとして使われるようになっています。

[Mr. Yunioshi]

以前、世界的には「日本人」というとずんぐりした体型、眼鏡をかけ、いつも首からカメラをぶら下げていると見られていて、映画から漫画に至るまでそういう日本人が多数出て来ました。これが"stereotype"です。

'Up In The Air'『マイレージ、マイライフ』(2009)という映画を観ていたら、この言葉を動詞として使っている例が出て来ました。解雇通告のプロGeorge Clooney(ジョージ・クルーニィ)は年がら年中旅客機で全米を飛びまわっているビジネス旅行の達人。彼が新人の女性社員Anna Kendrick(アナ・ケンドリック)に空港チェックインの秘訣を伝授します。

George: 「子連れや老人の後ろに並んではいけない。彼らはノロい。中東風髭面は時間をかけて念入りにチェックされるから、その後ろに並ぶのは最悪。アジア人ビジネスマンの後ろが一番だ。彼らは手荷物も少なく、旅慣れている」
Anna:「それって人種差別だわ」
George:"I'm like my mother. I stereotype. It's faster."(母親譲りだ。類型化するのさ。ものごとの判断が素早く出来る)

似たような言葉に"cliché"があります。日常会話では"stereo type"よりこちらの方がよく使われます。これは普通「決まり文句」、「常套句」、「紋切り型」と訳されますが、文章に対してだけ使われるわけではありません。次は“陳腐な表現”という意味で使われた例:

'My Dog Skip'『マイ・ドッグ・スキップ』(2000)という“南部もの”映画についてカミさんと話していたら、カミさんは"So many clichés."(ありきたりの表現ばっかし)とうんざりした顔をしました。型に嵌めた人物描写で南部人を笑いものにしているような感じが嫌だったらしいのです。われわれも日本人が出て来る場面で中国風の銅鑼(どら)が「ジャーン!」と鳴れば「またか!」とうんざりします。日本では客船の出港時以外で銅鑼なんか鳴りませんもんね(木魚ならともかく)。銅鑼は日本人と中国人を混同している誤解なのです。誤解や思い込みに基づくclichéほど鬱陶しいものはありません。

'Brothers'『マイ・ブラザー』(2009)というアメリカ映画は、Natalie Portman(ナタリィ・ポートマン)演ずる人妻が、学生時代チア・リーダーをしていてフットボールの選手とデイトし結婚したことについて、"I am such a cliché."(あたしって、そういう月並みな女なのよ)と云います。これは人格・性格に対して使われた例です。

【おことわり】画像はhttp://images.complex.com/にリンクして表示させて頂いています。

(July 30, 2010)

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[・] double dip

'The Professional' by Robert B. Parker (2009)を読んでいたら、次のような一節がありました。

"It's sort of an elaborate scam," Susan said. "Isn't it?"
"Kind of," I said. "But he gets a double dip out of it."
"Sex and money?" Susan said.
"Yep. With an assortment of handsome women."

"He gets a double dip out of it."は「奴は二重の利益を得ようとしてる」で、ここでの「奴」とは、金持ちの美人の人妻たちを誘惑してセックスし、その後で彼女たちを「夫にバラすぞ」と脅して多額の金をせしめようとしている男です。

私が初めて"double dip"という言葉を聞いたのは、TVのコメディ・シリーズ'Seinfeld'(1990-1998)でした。一寸厚かましいところのある脇役George(ジョージ)が、あるパーティに出掛けた時のこと。彼はクラッカーかチップスにdip(ドレッシング)を"dip"(ちょいとつける)します。一口噛んで、残りの半分でもう一度"dip"。この行為を見咎めた客の一人が「あんた、いま"double dip"したね!」と詰(なじ)ります。狼狽するGeorge。

要するに、口で噛んだものを、もう一度dipにつけるのは無作法なのです。自分一人で食べる際には何の問題もありませんが、みんなでつけるdipに一度口に入れたものを又つけるのは衛生上も行儀作法上もいけないわけです。「dipは一度切り」が原則です。

辞書には別の定義が並んでいます。「(年金と給与など)金の二重取り」、「アイスクリームの二掬い分」などですが、Georgeのようなケースは出ていません。

Robert B. Parkerの小説の場合は、「情事でいい思いをした上に、さらに金をせしめようという欲張った行為」を指しています。

(July 10, 2010)

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[・] Hand off ass!

アメリカ映画'The Proposal'『あなたは私の婿になる』(2009)をDVDで観ました。女優Sandra Bullock(サンドラ・ブロック)演ずるニューヨークの出版社のカナダ人鬼編集長が、出入国管理法違反でアメリカ滞在のヴィザ更新が出来なくなり、彼女の若いアシスタントRyan Reynolds(ライアン・レイノルズ)との偽装結婚でしのごうとします。彼女の強引さに辟易しつつも、夢の編集者になるためRyan Reynoldsは承諾します。二人はRyan Reynoldsのアラスカの実家に赴き、婚約発表をすることになります。

[The Proposal]

Ryan Reynoldsの実家(実は富豪の家)へはモーターボートで行くしかありません。ボートが舫(もや)ってある桟橋に下りるには梯子を使わねばならない。ハイヒールのSandra Bullockには難行苦行です。Ryan Reynoldsが助けようとして彼女のお尻を片手で支えます。【偽装結婚ですから、二人には肉体関係はありません、ですから、これは一寸行き過ぎの行動】

Sandra Bullock:"Hand off ass! Off ass!"

私はこれを聞き、字幕を表示させて確認し、考え込んでしまいました。「お尻から手をどけろ」と云っているのは明らかなのですが、これは一体どういう英文なのだろう?と不思議だったのです。どこにも動詞がありません。

Internetで調べてみると、上の台詞は結構有名になったらしく、いくつかの英語サイトで引用されたり真似されたりしています。しかし、どこにも文法的な解説は見当たりません。

友人のMike(マイク)に聞いてみました。「"Take your hand off ass!"の先頭の二語が省略されているんだ」とのこと。カミさんにも聞いてみました。全く同じ答えでした。カミさんは「意味が解るんならいいじゃないの。"off"は副詞よ」と云いました。LDCEや『リーダーズ英和』の"off"の"adv."(副詞)の項をみると、「離れて」という定義が出ています。『リーダーズ英和』の文例には"Off!"だけで「去れ!」、「あっち行け!」という例が載っています。しかし、"off"+名詞という用例はどちらにも載っていません。"Hand off ass!"は文章的には特殊なものだという気がします。

"ass"は卑語であり、上品な女性が使う言葉ではありません。"pain in the ass"(うんざりさせられるもの/こと)という成句は辞書では「米俗」となっていますが、ある女性料理研究家の本では(爆発して飛び散った野菜のお掃除について)"pain in the butt"と云い替えていました。この女性は上品なわけです。ただ、コメディを演ずるSandra Bullockの場合、ほとんど常に上品とは云えませんから、"Hand off ass! Off ass!"は、さしずめ「ケツに触るな、ケツに!」と訳すべきなんでしょうね:-)。

【おことわり】画像はhttps://upload.wikimedia.org/にリンクして表示させて頂いています。

(May 30, 2010)

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[・] Monkey see, monkey do

下手っぴ同士がゴルフしていて、一人がミス・ヒットし、次の人物も同じような失敗をすると"Monkey see, monkey do."という台詞が聞かれます。日本語だと「猿真似」ですね。ゴルフの場合は意図して真似るわけではないのですが、悪いイメージ(印象)が他人に悪影響を与えるのは珍しいことではありません。最初にミスしたゴルファーAが次のゴルファーBに"Monkey see, monkey do."(おれと全く同じミスだぜ)と云うこともあるし、BがAに"Monkey see, monkey do."(あんたと同じミスしちゃったよ)と云うこともあります。

英語版Wikipediaには、もう一つの解釈「どういう結果になるかも知らずにプロセスを真似すること」にも使われると書かれています。『花咲か爺』の意地悪爺さんの行動がこれに該当すると思います。

私の疑問は英文法の「数」の問題です。猿が単数なら動詞は"sees"および"does"になるべきでしょうし、動詞が"see"と"do"なら猿は"monkeys"になるべきです。

私のゴルフ仲間に、「エイジ、この言葉を知ってるか?」と俗語・卑語の類いを私に教えようとする爺さんがいます。その爺さんにこの猿の単数・複数の問題を提起したところ、何にも云いませんでした。答えられなかったのです:-)。

Googleで対象地域を「アメリカ合衆国」に限定し、「フレーズ検索」してみました。
・"Monkeys see, monkeys do." 1,200件
・"Monkey sees, monkey does." 9,210件
・"Monkey see, monkey do." 205,000件

つまり、文法的に正しくない云い廻しが一般的であるが、正しく表現しようという努力もないわけではない…ということになります。

(May 30, 2010)

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[・] 「全て」は単数か、複数か

この問題が「全体を個々の集合体」として捉えるか、「分離出来ない一塊」として捉えるか…を内包していることは知っていました。しかし、私の脳には"All's Well That Ends Well"(終り良ければ全て良し)というShakespeare劇の題名が刷り込まれていて、ややもすると「allは単数」として書いたり喋ったりしがちでした。

'The Professional' by Robert B. Parker (2009)を読んでいたら、次のような文が出て来ました。 "All of whom," Susan said, "are married to older men."(その女たちの全てが年配の男と結婚している)

文法書には、「allとeachの使い分け」などは「allの後にtheが来る」、「all ofとなる場合、ならない場合」などは説明されていますが、「allは単数なのか複数なのか」については書かれていません。こういう時の強い味方は文法書より『研究社 ライトハウス和英辞典』です。以下は『ライトハウス』の説明。

「allは個体の集まりを意味するときは複数扱い、また物質名詞・抽象名詞などの内容を表わすときは単数扱い。後に普通名詞がくると複数形になる。
【例文】
・All of us were there in the room.(私たちは全てその部屋にいた)
・All men are created equal.(全ての人間は平等である)【米国の独立宣言の中の言葉】
・All is not gold that glitters.(光るものの全てが金ではない)」

つまり、"All's Well That Ends Well"は抽象名詞なので単数、"All men are created equal."は人々の集合体なので複数ということなのでした。

(May 10, 2010)

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[・] 〜と解釈していいですか?

'The Professional' by Robert B. Parker (2009)を読んでいたら、次のような件(くだり)がありました。

【背景説明】私立探偵Spenser(スペンサー)は、浮気した相手から強請(ゆす)られている人妻数人のグループのために、女たらしからの脅迫をやめさせる仕事を請け負います。女たらしの身許調査を進めて行くと、その男は以前ある女子大の校長(中年女性)を誘惑し、強請ろうとした前科があることが分ります。その校長は勇敢にも離婚と解職を覚悟で夫と理事会および生徒たちに浮気を告白し、女たらしを告発したのでした。Spenserはその女子大を訪れ、校長から一部始終を聞きます。

Spenser: "If any of my victims were willing, would you talk with them?"(被害者の幾人かが望んだら、【あなたの顛末について】彼らに話してくれますか?)
Principal: "The sisterhood is strong."(女の連帯感は強固なものよ)
Spenser: "I'll take that for a yes."(その答えをイエスであると受けとめますよ)
Principal: "You may."(結構よ)

この"I'll take that for a yes."は色んなことを考えさせてくれる表現です。先ず、「それをイエスであると受けとめますよ」という日本文を私が英語にしたらどうなったか?多分、"I interpret your answer as yes."あるいは"I understand/ assume that your answer is yes."とかにするでしょう。

大きな違いの一つは"take"です。私の身体を逆さ吊りにして揺さぶっても、この場面で"take"などという言葉は転げ出て来ません。調べると、LDOCEの"take"の21番目の定義として(21番目ですよ)"consider"という意味が出ています。【例文】"I took your nod as a sign of approval." (私はあなたの頷きを賛意とみなした)つまり、上の文は"I'll consider that for a yes."と同じわけです。

さて、その"for a yes"も私には書けない英文です。私にはここに'for"を持って来る頭脳がありません。これもLDOCEを調べると"for"の13番目の定義として、"representing"(表わす、示す、意味する)、"meaning"、"as sign of"という意味が出ています。【例文】"What's the word for 'to travel' in French?"(「旅行する」を表わすフランス語は何ですか?)、"Red is for danger."(赤は危険を意味します/危険のサインです) …これで"for"が使われている理由がやっと呑み込めました。

しかし悲しいかな、私には"a yes"と"yes"に冠詞を付ける発想もないのです。"yes"にも名詞があり、『リーダーズ英和』には「yesという言葉(返事)」という定義があり、用例としては"refuse to give a Yes or No answer"(イエス・ノーの返事を拒む)が出ています。"a yes"とか"a no"なんて想像もしていませんでしたね。

"I'll take that for a yes."という一文で、私は以上のように考えさせられ、自分の未熟さにがっかりさせられました。映画評論家・故水野晴郎風に云えば、「いやぁ英語ってほんとに難しいもんですね〜」です。

(March 30, 2010)

【追記】

'The Proposal'『あなたは私の婿になる』(2009)というアメリカ映画を観ました。女優Sandra Bullock(サンドラ・ブロック)演ずるニューヨークの出版社のカナダ人鬼編集長が、出入国管理法違反でアメリカ滞在のヴィザ更新が出来なくなり、彼女の若いアシスタントRyan Reynolds(ライアン・レイノルズ)との偽装結婚でしのごうとします。彼女の強引さに辟易しつつも、夢の編集者になるためRyan Reynoldsは承諾します。しかし、彼女の弱みにつけ込み、すぐに自分を編集者に取り立てること、衆人環視の中で膝をついて自分に結婚申し込みをすること(普通は男性がするのだが、ここでは逆)などを要求します。

ロマンス・コメディですから、紆余曲折の後、二人は本当に愛し合ってしまいます。出版社の編集部の衆人環視の中でRyan Reynoldsは結婚を申し込み、Sandra Bullockにキスします。すると、彼女が彼の耳元で囁きます。

Sandra Bullock:"Aren't you supposed to get down on your knee or something?"(膝をつくか何かすべきなんじゃないの?)【以前の一件の敵討ちです】
Ryan Reynolds:"I'm gonna take that as a 'yes.'"(それはイエスだと解釈するよ)
Sandra Bullock:"Oh, OK."(ええ、いいわ)

Robert B. Parkerの小説の"I'll take that for a yes."に似ていますが、こちらでは"for"ではなく"as"が使われています。この方が私にはしっくり来ます。ただし、"a 'yes'"である点はどちらも同じです。

(April 20, 2010)

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[・] 冠詞に関してアメリカ人をテストする

アメリカ人のテストの前に、先ずあなたもテストに参加して頂きたい。以下の文章の誤りを正して紙に書いて下さい。誤りがない場合もありますので御注意。その後で、記事を読みながら解答を照合されるよう希望します。

1) What kind of puzzle do you want to buy―easy one or complicated one?
2) Which kind of story do you like―happy one or sad one?
3) How much slower is JR express train than Bullet Train?
4) Which kind of dog do you want―lazy one or active?
5) What kind of room do you want to stay in―spacious or small?

これらは、私の日本語指導の形容詞の学習用例文を英訳したものの一部です。本来、日本語が適切ならそれで充分で、英訳は文の意味を伝える補助的なものですから完璧な英文である必要はないのです。しかし、教える立場からすると、言語の学習をする際に言語の一部に問題があるというのは落ち着きません。で、テキストを作る度にカミさん(Barbara)にチェックして貰っています。

文法は私の苦手な部分です。しかし、上のような易しい構文で、構文上の大きな間違いをするほどひどくはありません:-)。誤りの多くは冠詞の問題です。

五ヶ月ほど前にBarbaraに上の文章をチェックして貰いました。その後、ある疑問が湧いたので、再度彼女にチェックして貰ったのですが、五ヶ月前と最近で答えが違うのです。呆れました。彼女はカレッジを出ていますし、秘書になる講座も受講したことがあり、英作文は得意な方です。それでも、その日その日で冠詞の使い方が変わるとはねえ。ついでに私の友人のMike(マイク)にも同じ問題を見せ、彼にも文を修正して貰いました。彼は大学卒で、大学の数学の教授を勤め、詩作もするという理数系と文系を兼ね備えた人物です。







1) What kind of puzzle do you want to buy―easy one or complicated one?

Barbara 1(五ヶ月前): "an easy one or a complicated one?"【両方に不定冠詞を追加】
Barbara 2(最近):"an easy or a complicated one?"【最初の"one"を不要とした】
Mike:"an easy one or a complicated one?"【barbaraの「五ヶ月前」と同じ】

「特定のパズル」ではないので"the"でないのは確かで、おまけに「沢山あるパズルのどれか一つ」ですから、"a"か"an"が必要だったわけです。英語は本当に数にうるさい言語です。

なお、Mikeはダッシュ(―)よりカンマを好むようで、全てのダッシュを消してカンマに変えていました。しかし、アメリカの物書きのバイブルである'The Elements of Style' by William Strunk Jr. (1972)によれば「文の流れを急に中断する区切り、長い同格や要約を述べるためにはダッシュ(―)を用いなさい。ダッシュは、区切る記号としてはカンマよりも強力で、コロンよりも形式張らず、カッコよりくだけた感じがする」と定義されています。ですから、ここはダッシュでもカンマでも、どちらでもいいわけです。

2) Which kind of story do you like―happy one or sad one?

Barbara 1: "a happy one or a sad one?"【両方に不定冠詞を追加】
Barbara 2:"happy or sad?"【両方の"one"を削り、よって冠詞も不要になった】
Mike:"a happy one or a sad one?"【barbaraの「五ヶ月前」と同じ】

3) How much slower is JR express train than Bullet Train?

Barbara 1: "the JR express train than the Bullet Train?"【両方に定冠詞を追加】
Barbara 2:"the JR express train than the Bullet Train?"【五ヶ月前と同じ】
Mike:"a JR express train than a Bullet Train?"【両方に不定冠詞を追加】

これについては多少疑問があったので調べてみました。「地域」を「アメリカ合衆国」に限定したGoogleの「フレーズ検索」では、"the JR express"はたった17件しかヒットしませんでした。これだと"the"は要らないのではないか?という気がします。"the Bullet Train"は59,400件で、少なくもありませんが多くもありません。アメリカの鉄道"Amtrak"に"the"を付けた検索結果(これも「アメリカ合衆国」限定)は、544,000件でした。これなら「鉄道名にも定冠詞を付ける」と考えてよさそうです。二人の"the"と"a"の違いは、日本に住んだことのあるBarbaraにはJRや新幹線についての具体的イメージがあるのに対し、そうでないMikeには具体性がなかったのが理由でしょう。

4) Which kind of dog do you want―lazy one or active?

Barbara 1: "a lazy one or an active?"【両方に不定冠詞を追加】
Barbara 2:"a lazy one or an active one?"【"one"を繰り返している】
Mike:"a lazy one or an active one?"【barbaraの「最近」と同じ】

偶然ですが、私は"lazy one or active one?"とせず、"lazy one or active?"と後者を形容詞だけにしていました。形容詞に冠詞は不要ですから、カミさんも最初は"a lazy one or active?"としました。しかし、五ヶ月後になると最後に"one"を足したので、自動的に冠詞"an"が必要となりました。

5) What kind of room do you want to stay in―spacious or small?

Barbara 1:修正無し
Barbara 2:修正無し
Mike:"a spacious one or a small one?"

これは形容詞なので冠詞は要らない筈ですが、Mikeは他の例と同じ扱いに統一して"one"を足し、それぞれに冠詞を付けたわけです。

たった三件のサンプルで結論を出すのは乱暴ですが、アメリカ人にとっても「これが正しい冠詞の用法」というのはないのではないか?という感じです。もちろん、英語教師であれば「冠詞の正しい使い方はこうだ」と即座にルールを提示するでしょうが、一般のアメリカ人は結構いい加減なようです。教養あるnative English speakerでも上のような状態で、しかも同一人物でも時によって冠詞の付け方がころころ変わるのです。英語の「冠詞」は外国人にとって使い分けが難しいものですが、母国語として話す人々がこういう感じなら、われわれもあまり神経質にならずに話したり、書いたり出来るというものです。

(March 10, 2010)

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[・] 試練に挑む人々

最近はhandicappedあるいはdisabledなどと云わないで、"challenged"が全盛です。調べてみると実に色々な表現があります。

mentally challenged child 知恵遅れ児童
emotionally challenged adults 情緒不安定な大人
color-challenged 色盲

Challenged Athletes Foundation 身体障害者スポーツ基金
The Physically Challenged Golf Association 身体障害ゴルファー協会
Physically Challenged Bowhunters of America ボウ(弓矢)・ハンター(協会?)

the financially challenged 金欠病
weight challenged 肥満症
techno-challenged 技術音痴
visually challenged people 視覚障害者

私などは"financially challenged person"(金欠病)であり、"linguistic challenged in English"(英語落第坊主)であり、"calcium challenged"(カルシウム欠乏症)および"hemorrhoidal challenged"(痔病)でもあります。まだまだ“障害”は沢山ありますが、段々恥ずかしくなって来るのでやめときます:-)。

(February 10, 2010)

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[・] 生存者

"survival"という言葉は、「サヴァイヴァル・ゲーム」などとして日本でもよく知られています。ですから、"survivor"と云えば、「生き残り」あるいは「生存者」と考えるのが普通でしょう。

こちらのローカル紙には"Obituary"(死亡者略歴)という欄があり、100語までなら無料、250語までなら$45.00、250語以上は$55.00、写真を入れたい場合は$15.00追加。これは日本の新聞の黒枠の広告と異なり、記事と同じ扱いで紙面に掲載されます。

そういう記事の中に"Survivors includes a son, [名前], and his wife [名前], granddaughter [名前] and her husband [名前]..."という件(くだり)を見つけてびっくりしたことがあります。故人は家族旅行で一家全員が飛行機事故か海難に遭ったのだろうか?と思いました。上の文句は曾孫や妹、姪、甥まで延々と続きます。凄い家族旅行です。よく見ると、他の故人たちも皆事故に遭っているようです。そんな凄いニュースは無かったのに妙です。

要するに、この欄における"survivors"は「遺族」なんですね。確かに、故人から見れば遺族は「生き残り」に違いありません。よく考えれば「遺族」という日本語も「遺された人々」という意味なので、"survivors"と似通っているようです。

なお、死亡記事の文章には"She is survived by her husband, [名前], sons, [名前], [名前]..."という書き方も見られます。

(December 20, 2009)

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[・] be finished

最近の新聞の'Dear Annie'という身の上相談のコラムに、"Sorry, I wasn't finished"という題の記事が掲載されました。内容は、こちらが話している最中なのにそれを遮って話し始める無作法な輩にどう対処すべきか?という相談で、答えはタイトルのように"Sorry, I wasn't finished."(ごめん、まだ話し終えてないの)と宣言して話を継続すればよいというものでした。

私は驚きました。そういう云い方(作法ではなく語法)は間違いだと思い込んでいたからです。数年前、'Under the Tuscan Sun'(『トスカーナの休日』、2003年公開)という映画を観ました。失意のアメリカ女性がイタリア旅行中、ある一軒のボロ家に一目惚れし、修理して住み込む決意をします。配管工事などは業者に頼むのですが、数週間後、修理工の若者が"We are finished."と云います。私は、本当は"We finished the repairs."というべきところなのに、「おれたちはもうお仕舞いだ」と追いつめられたギャングの台詞みたいになっていて可笑しいと思いました。英語の得意でないイタリアの若者の一面がユーモラスに描かれていると評価したほどです。

しかし、"Sorry, I wasn't finished"が正しいのなら、イタリアの若者の英語は正しく、英語の得意でない日本の馬鹿者(=私)が勘違いして喜んでいただけということになります。お恥ずかしい。

黒澤 明監督の『椿三十郎』(1962)に、三十郎が悪党共に「お前(めえ)たちは、もうおしめえだ」と云うシーンがあります。この映画の英語字幕は"You're finished."となっていました。私の脳内辞書の"be finished"の先頭の語義はこれでした。

私の勘違いは"finish"に"finished"という形容詞があることを忘れていたことに由来します。私だって、「もう私たちの関係も終りね」というような場合に"We are finished."と云ったり、「金仕上げ」などという時に"gold finished"と称することは知っていました。しかし、"finished"に「(仕事を)終えた、完成した」という形容詞があることを明確には知らなかったのでした。

(October 30, 2009)

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[・] We appreciate you.

[appreciate]

『英語の冒険』正篇(「文法・表現」)の"I appreciate it."という記事で、「参考書を見ると、『"appreciate"は人の行為に感謝するのであって、人そのものが対象ではない』という説明がありました。つまり、"I appreciate you."(人)は不可で、"I appreciate your kind help."(行為)でなくてはいけないということでした」と書きました。

写真は当地のローカル紙が企画した読者人気投票の結果発表の紙面に、「産婦人科部門」の人気ナンバー1に選ばれた診療所ドクターの御礼の広告です。でかでかと"We appreciate you!"とあります。本文には「当診療所のドクター何某がナンバー1に選ばれたのはこれで三回目です。Dr. so-and-so and his staff really appreciate YOU, the people who enrich lives each day."とあり、御丁寧にここでも"appreciate you"となっています。私は「産婦人科医なんて文法も知らないのか?」と呆れました。

私が日本語を教えている元眼科医の男性にこの広告を見せましたが、文面のどこに私の関心があるのか判らない状態でした。私が「私は日本で"I appreciate you."とは云わないと教わったのだ」と云っても不可解な顔をして、「文法的なことは判らないが、口語的にはよく使われる表現だ」と云いました。

私のカミさんは「"We appreciate you."は変だ」と、私と同じ見解でしたが、「些細な問題だ」とも云いました。

で、色々調べてみたのですが、私はどの参考書を見たのか思い出せないばかりか、現在手持ちの書物を全て引っくり返しても「"I appreciate you."は間違い」という記述は見つかりませんでした。英英辞典'LDOCE'も単に"I appreciate your help."という例文を載せているだけですし、詳しい解説が売りの『研究社 ライトハウス和英辞典』の「感謝の表現」の項にも「"I appreciate you."は間違い」という説明はありません。

Googleで"I appreciate you"を検索してみましたが、「これは間違いである」というのは日本語の記事ばかりでした。ひょっとすると、日本の英語学者がばら巻き、神話化した迷信なのかも知れません。

(September 20, 2009)

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[・] 続・比較にならない比較級

『英語の冒険・正篇』で「比較にならない比較級」という記事を書きました。"No"や否定形を伴った比較級は、実は最上級の表現であるという内容で、以下のような例を記しました。

・"Nothing's better."(これ以上のものはない=これが最高)
・"No Lower Price."(これより安値はない=どこよりも安い値段)
・"No father had a better son."(お前よりいい息子を持つ父親は存在しない=最も素晴らしい息子)

最近のTVのあるゴルフ中継で、メインの解説者Judy Rankin(ジュディ・ランキン)が、ある女子プロの練習熱心さや上達について触れた際、サブ解説者Jane Crafter(ジェイン・クラフター)が"I can't agree more, Judy."とコメントしました。

私はJane Crafterの出だしの"I can't agree..."でびっくりしました。メインの解説者がマイクを通して喋ったことにサブ解説者が「私は同意出来ない」などと云うのは僭越としか云えません。同意出来ないのなら、放送中は沈黙しているのがマナーの筈です。しかし、仕舞いに"more"がついて"I can't agree more."となれば話は別です。「完全に同意します」と云っているわけです。しかし、ハラハラさせられる人騒がせな表現ではありませんか。

『明解解説 英語の基本』(牧 雅夫著、北星堂書店)に次のような解説がありました。

「最上級の意味を表すには、必ずしも最上級を使う必要はない。否定の言葉(never、nothing、nobodyなど)と比較級を組み合わせると最上級の意味が表せる。
・"Never had life seemed lovelier to him."(人生がこれ以上素晴らしく思えたことはなかった)
・"There is nothing worse than war."(戦争ほど悪いことはない)
・"No one was more surprised than Stalin when China went Communist."(中国が共産主義になった時に、誰よりもびっくりしたのはスターリンだった)

(August 20, 2009)

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[・] キザな(?)仮定法

数年前、新聞のスポーツ欄に次のような記事が載っていました。ハワイ生まれの15歳(当時)のアマチュア少女ゴルファーMichelle Wie(ミシェル・ウィ)に関するものでした。

"Wie, who shared second place with Cristie Kerr, would have earned $78,787 were she not an amateur."(クリスティ・カーと二位を分け合ったミシェル・ウィは、アマチュアでなければ$78,787を手にするところだった)

問題は後半の"were she not an amateur."という部分。これが仮定法であることは解ります。しかし、私にはどういう場合にこういう語順にするのか、普通の仮定法とどう違うのかが判りませんでした。で、元高校英語教師のDiane(ダイアン)に聞きました。

「それは"if she were not an amateur."と同じことよ。《表現は語数が少ないほどよい》というルールがあるから、語順を逆にして文章を短くしたのね」
「でも、短くなったと云っても、たった二文字(if)だけですよ」と私。
(語数と文字数を数え直し)「あなたの云う通りだわ。あまり違いないわね」とDiane。

Dianeに仮定法の中でも、このように語順を逆にする用法の文法的定義を聞こうとしました。彼女は分厚い文法の本を引っくり返していましたが、この件に該当する説明は見当たらないようでした。

「これがスポーツ・ライターによって書かれたものだというのは驚きだわ」とDiane。
「気取った表現だということですか?『おれはハーヴァード出身なんだ』とでも云うような?」と私。
「あはは。そうも云える。とにかく、アメリカ南部の人間はこういう風に書いたりしない。読んで理解はするけど」

私は色んな本を読みまくっていますが、このテの表現にでくわすのは年に一回か二回です。あまり気にしない方がいいのかも知れません。

(June 30, 2009)

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[・] 不思議な形容詞

"politer"と書いてから、「あれ?"more polite"という言葉も聞いたことがあるような?」と思いました。『研究社 英和中辞典』を見ると「【形容詞】politer, politest; more polite, most polite」とありました。両方可能な、こんな形容詞もあるんですね。

私が日本語を教えているアメリカ人たち(シニア男女数名)に渡すプリントに"politer, politest"と印刷し、念のため「私の辞書ではpoliterでもmore politeでもどっちでもいいと書いてある」と説明しました。ある御婦人は疑わしそうな顔をして「私はmore politeと云う」と断言しました。

あるウェブサイト(http://www.englisch-hilfen.de/en/grammar/adjektive_steig.htm)によれば、両方のスタイルが許される形容詞はpolite以外にも次のようなものがあるそうです。

・common
commoner/ more common、commonest/ most common

・likely
likelier/ more likely、likeliest/ most likely

・pleasant
pleasanter/ more pleasant、pleasantest/ most pleasant

・simple
simpler/ more simple、simplest/ most simple

・stupid
stupider/ more stupid、stupidest/ most stupid

・subtle
subtler/ more subtle、subtlest【編註:"most subtle"は存在しない】

・sure
surer/ more sure、surest/ most sure

これらの単語を日本語のクラスで読み上げ、「"politer"も間違いではない」と伝えました。以前「私はmore politeと云う」と断言した御婦人は、その後クラスに来なくなりました。アジア人から英語を教わるのは屈辱だったのかも知れません:-)。

(June 20, 2009)

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[・] 数字の書き方

Houghton Mifflinという出版社刊の'English'というアメリカの高校生向けの教科書があります。その'Using Numbers in Writing'という一節を見ますと、次のようになっています。

・100以下(ですから100を含む)と100台に丸められた数字(200とか600など)は、算用数字でなくスペル・アウトすること(31ではなくthirty-oneのように一字一字綴る)。"nine thousand"とか"two million"など、大きい数字でも丸められていれば、同様。100を越える数字(で丸められていないもの)は算用数字を用いる。
・文の冒頭に数字が来る場合は算用数字でなく、スペル・アウトする。あるいは、文を書き換える。
・a.m.やp.m.で表さない時間はスペル・アウトする。"o'clock"が付く時間もスペル・アウトする。【"2 o'clock"は駄目で"two o'clock"とする】
・年月日、道路の番号、部屋番号、電話番号、ページの番号、金額などは算用数字でよい。パーセントも数字でよいが、"17%"ではなく"17 percent"とする。丸められた短い金額はスペル・アウトした方がよい(例:twelve dollars)。
・年月日を書く場合、-st、-nd、-rd、-thなどを加えないこと(例:"June 18th, 1960"、"April 4th"などは駄目で、"June 18, 1960"、"April 4"あるいは"fourth of April"とすること)。

「文の冒頭に数字が来る場合」については次のような例文が載っています。
×"1986 marked the sesquicentennial of the state of Illinois."(註:sesquicentennialは150年祭)
○"Nineteen eighty-six marked the sesquicentennial of the state of Illinois."

上の書き方が嫌であれば、次のように「文を書き換える」方法が推奨されています。
○"The state of Illinois marked its sesquicentennial in 1986."

(May 20, 2009)

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[・] Preaching to the choir

私のサイトの一つ『アメリカ映画 南部もの大全集』のために'Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood'『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』(2002)というDVDを観ていたら、次のような表現が出て来ました。

Sandra Bullock(サンドラ・ブロック)の母親の仲良しの婦人が、母親について云います。

婦人:"She's mad as a hatter. That won't change."(彼女は凄く怒ってる。手がつけられないわ)
Sandra Bullock:"Preaching to the choir."

"mad as a hatter"は、'Alice's Adventure in Wonderland'に出て来る気違いの帽子屋が原典で、"(as) mad as a hatter"という成句になっています。「完全に気が狂って」、「非常に怒って」という意味です。この映画ではSandra Bullockは母娘喧嘩しています。

で、Sandra Bullockの返事が奇妙でした。"Preaching to the choir."という彼女のこの表現の意味は、実は最近になって知りました。'Preaching to the Choir'(2005)というそのものズバリの題名の映画があったのです。字面は「"choir"(教会の聖歌隊)に説教をする」ということですが、説教は会衆にすべきものであって、既に信心深い境地に達している聖歌隊の面々に説教しても仕方がないわけです。日本語だと「釈迦に説法」という感じかも知れませんが、聖歌隊はお釈迦様ほど偉くないので、「坊主に説教」程度でしょうか。いずれにしても、Sandra Bullockは「先刻承知よ」、「何を今さら」という応答として使っているわけです。

(March 30, 2009)

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[・] 布地と衣類

私はテーブル・クロスなどの"cloth"(布地)の複数"cloths"の発音が、辞書の発音記号は「クローズズ」のようになっているものの、実は「ズ」は一つ発音すればいいとカミさんから注意されていました。

その印象が強かったのと私が阿呆なせいで、「布地が集まって衣類になるのだろう」と、「衣類」という場合にも"cloths"と書いて「これは間違いよ」と注意されました。

「衣類」は"clothes"と語尾が"es"にならなくてはならないのでした。発音は「クロウズ」。『研究社 英和中辞典』には「clothes:衣服、衣類【cloth(服地)の複数形から】」と紛らわしい説明があるのですが、clothの複数は"cloths"であって、"clothes"ではありません。『研究社 リーダーズ英和辞典』にはそんな説明はなく、単に「clothes:n pl 着物、衣服」とあるだけ。語源のところをよく見ると[OE clathas(pl) < CLOTH]となっていますが。

なお、"clothes"は「複数扱い」の名詞です。

ところで、「物干竿」は"wash-line pole"と云うようですが、「物干しロープ」は何と云うか?これは"clothesline"と、上で学んだように複数なんですね。

(February 10, 2009)

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[・] 「心配である」と云う場合

"anxious"という形容詞とその名詞"anxiety"について、ずっと「心配して」、「心配、不安」と思い込んでいたのですが、英語の本や雑誌を読んでいるとどうもチグハグな場面でこれらの言葉が使われているのに出くわします。例えば「赤ん坊の誕生について"anxious"だった」とか、「初優勝に"anxious"だった」など。お産も安産ばかりとは限らず、初優勝も楽ではありませんから不安になったとしてもおかしくないのですが、その段落のコンテキストと溶け合わないのです。「心配して」いるというより、「待ち望んで」いるという風がふさわしい感じでした。

で、私は「腰痛が完治していないので、ゴルフするのは不安である」とか、「まだ腰に不安を感じる」と云いたい場合、"anxious"、"anxiety"を使っていいのだろうか?と“不安”になってしまいました。

『ネイティブの英語 The Way I Say It』(C.A.エディントン著、安藤ちか子訳、1987年、The Japan Times刊)を読んでいたら、"anxious"には「切望して」、"anxiety"には「熱望」という意味もあることに気づかされました。上に挙げた二つの例はどちらもこういう意味だったのです。これなら、話の筋が通ります。

これは、一つの単語に正反対の意味があるという厄介な例です。『ネイティブの英語』では「心配して」と云いたい場合、"I'm worried about my test."と"worried"を使うことを勧めています。これなら“心配”一筋で、反対の意味はありませんから“安心”です。

(January 10, 2009)

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[・] 大人の仮定法

アメリカ映画'Resurrecting the Champ' (2007)を観ました。これは、迅速・正確ではあるが情感を込めた記事が書けず馘になりそうな新聞記者(スポーツ担当)Josh Hartnett(ジョシュ・ハートネット)が、たまたま出会ったホームレスで元プロ・ボクサーSamuel L. Jackson(サミュエル・L・ジャクスン)の特集記事に起死回生の一発を賭けるというお話。

Josh Hartnettは、新聞社の若い女性見習い記者Rachel Nichols(レイチェル・ニコルス)にSamuel L. Jacksonに関する資料集めを頼みます。「ヴィデオ、写真、新聞・雑誌の記事、何でもいい」と…。彼女は有能で、ある日、若き日のボクサーの試合のヴィデオと数々の資料をJosh Hartnettに渡します。それだけではなく、ボクサーと対戦したことのある超有名ボクサーとのアポイントメント、ボクサーの息子の電話番号まで調べ上げていて、彼を大感激させます。直後の二人の会話。

Josh Hartnett: "I could kiss you, right now."
Rachel Nichols: "I could sue you."

Josh Hartnettは彼女をハグしてもいい距離で上の台詞を云いますが、それ以上は接近しません。彼は最初彼女の名前すら覚えていなかったほどで、さほど親しくないのです。単に会社の同僚と云うに過ぎません。彼女の方は、自分の働きが評価されて誇らしく、かつ嬉しく、彼からハグぐらいならされても抵抗がなかったでしょうが、これまでの間柄から云ってキスはちと唐突であると思っています。

ですから、二人の言葉は全く実行を伴わない仮定の内容で、彼の「いますぐ感謝のキスをしたりして…」に対し、彼女は「(そんなことしたらセクハラで)私が訴えたりして…」と軽くはぐらかし、二人はさらりと別れます。シンプルですが、中々いい台詞です。この仮定法、使えるじゃありませんか?

(December 20, 2008)

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[・] アメリカ人の1/5

私の日本語指導のテキストの例文として、「アメリカ人の10人に一人は肥満体である」という文を作りました。私が作った英文は"One out of ten Americans is obese."というものでした。私のテキストは必ず出来上がるとカミさんにチェックして貰うのですが、この英文はパスしました。

その後、実際には「アメリカ人の五人に一人が肥満体である」というデータに出会い、私は例文を"One out of five..."と改定しようとしたのですが、同時に「そう云えば分数の表現法があったな」と思い出し、"One fifth of Americans is obese."に変更しました。

この文を眺めていたら、次のような疑問が湧いて来ました。アメリカの人口は約300,000,000人なので、その1/5と云っても約600万人になります。この膨大な数を受けるのに"is"という単数はおかしいんじゃないか?

Oxford University Pressの 'Basic English Usage'という簡便な文法書を見ると、「1以下の分数の後の動詞は単数形を用いる」となっています。1/5は明らかに「1以下」ですから、上の例では"is"が正しいということになります。しかし、私の「600万人が単数ってのはないだろ」という疑問は晴れず、"fraction, singular, plural"(分数、単数、複数)というキィ・ワードでGoogle検索し、ある数学系のサイトの次のような記事に出会いました。

その英文を読むと、「われわれは"2/3 of the road are open"(道路の2/3が開いている)とは絶対に云わない。【編註:道路は車線や区間には別れていても全体を通して一本であり、分けて考えるべきものでないから】しかし、"2/3 of the students are present"(生徒の2/3が出席している)とは云う。なぜなら、生徒が一人ということはあり得ないからだ。英国人は"2/3 of the class are present"と云うが、アメリカ人は"2/3 of the class is present"と云う。われわれは集合名詞は単数として扱うからである」(http://mathforum.org/library/drmath/view/57224.html)

上の記事は数学の教授が執筆したものです。英語の先生はどうか?私の英語コンサルタントである元高校英語教師Diane(ダイアン)に聞いてみました。彼女の答えは明解でした。

《対象全体を一単位とみなす場合は単数として扱う》
・One-fifth of America is covered with water. (one land area)
・One-fifth of my class is absent. (one body of students)

《対象を個々の構成員を主にして見る時は複数に扱われる》
・One-fifth of my students are absent.
・One-fifth of Americans are obese.

"class"(学級)は「二年一組」 などという一単位なので、「アメリカ」同様一体として扱われるので単数。「学生(生徒)たち」や「アメリカ人」は個々の人間によって構成されているので複数。

かくして、私の「600万人が単数ってのはないだろ」という疑問は正しかったことになります。アメリカ英語では「1以上」とか「1以下」ではなく、上のように集合名詞の捉え方によって単・複が変わるのです。

Dianeはメールに次のような問題をつけて来ました。「正しいbe動詞を選べ」
1) Two-thirds of the pie (is, are) saved for tomorrow.
2) Two-thirds of the slices of pie (is, are) saved for my mother.

彼女の質問の分数の部分に御注目!"Two-thirds"と序数(割る方)が複数になっています。「エッ?」と思いました。私の英文は"1/5"でしたから単数でよかったのですが、基数(割られる方)が「1以上」になると、序数を複数にするという決まりがあるのだそうです。"2/5 = two-fifths"とか、"3/10 = three-tenths"などという具合。文法的慣習として《基数が「1以上」だと序数を複数にする》は理解しましたが、問題は何故?です。私は序数を複数にするという例を全く知りませんでした。

ある数学サイトで次のような説明を見つけました。パイのような形の図の全体を15と仮定し、それが三分割された各部は5であるという前提です。「一つ一つの部分は"a third part of 15"(15の1/3の部分)なので、この図は"15 has been divided into thirds"(15が三つの"third"[="thirds"]に分割されている)と呼べる。だから、10(それは5が二つである)は"two third parts of 15"(15の二つの部分)であり、最初の"one third"に二つ目の"one third"を加えた10は"two thirds"(複数)となる」

ちなみに、私の友人で元大学の数学教授だった人にもっと簡単な説明を求めましたが、上の説明と似たり寄ったりでした。

(November 20, 2008)

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[・] 詳説・冠詞が要らない場合

『英語の冒険・正篇』の【文法・表現】内の「冠詞、定冠詞」という記事でも、どういう場合に冠詞・定冠詞が要らないかについて記しました。それは'A Practical English Grammar'『実例英文法』という本の要旨でしたが、'Three Little Words: A, An, The' by Alan S. Brender (McGraw-Hill Publishing Company, Japan Ltd, 1989)で、もっと簡明な法則を見つけました。

前提として、a (an) = one なので、oneと言い換えられる場合は全部a (an)、話者と聞き手がすぐ「あ、あれのことね」と解るものはtheです。

'Three Little Words: A, An, The'では普通名詞の前に冠詞が不要な場合を9項目、固有名詞の前に冠詞が不要な場合を6項目に分類しています。

普通名詞、固有名詞に共通のルールは、
1) 名詞の前に限定詞(this、any、every、some、either、noなど)がつく場合
2) 名詞の前に所有格(my、his、our、Jane'sなど)がつく場合
3) 節であるサインを表す言葉(which、what、whoseなど)に名詞が続く場合
これらは冠詞、定冠詞を省略します。以上は冠詞をつけようと思っても入れる隙間が無いので、実際にはあまり悩む必要はありません。

【普通名詞】…以下の名詞の前では冠詞を省略する。
1) 不可算名詞の前
2) 前置詞句
・by+名詞で移動法を説明する場合(by car、by bus、by airなど)
・by+名詞で時限を表す場合(by noon、by this afternoonなど)
・at+名詞で場所や時刻を表す場合(at home、at nightなど)
・to+名詞で場所を表す場合(to town、to workなど)
3) 名詞を連続させる場合、二回目には最初の名詞以外のtheを省略する
 例:A farmer carried a cow, a horse, a pig and a dog in his truck. He was taking the cow, horse and pig to the market.
4) 動名詞(-ing)の前【ただし、二度目以降に「その」と特定する場合にはtheをつける】
5) 慣用句や熟語の中の名詞の前(at heart、face to faceなど)
6) 病名

【固有名詞】…以下の名詞の前では冠詞を省略する。
1) 固有名詞だがどれと限定しない一般的な場合(That auto dealer sells Toyotas.)【ただし、二度目以降に「その」と特定する場合にはtheをつける】
2) 全てを包括する場合(Moslems do not eat pork.)
3) 数字の後の固有名詞(Two Catholics attended the meeting.)【ただし、二度目以降に「その」と特定する場合にはtheをつける】

上のルールに該当しない場合は、"a"、"an"、"the"のどれかが必要です。

【参照】「冠詞、定冠詞」

(October 30, 2008)

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[・] カルチャー・センター

カミさんがSenior Citizen Center(高齢市民センター)の責任者になった後、彼女はセンターの名称を変更することにしました。この施設は水彩画、手芸、陶芸、ビンゴ大会、ビリヤード、ヨガ、外国語、ブリッジ(トランプ・ゲーム)など多彩なメニューを取り揃えていて(かくいう私も、以前日本語講座を持っていました)、実は成人なら誰でも受け入れることになっています。"senior"と名が付くと若者や中年が敬遠するので、それで名称変更を考えたわけです。

私は日本に多数存在する「文化センター」を思い出し、「カルチャー・センターにしたら?」と云いましたが、ほとんど無視されました。

しばらくして、私が住むカウンティ(訳語は“郡”ですが、実は市を含む広範囲の政治区画)の図書館から、日本語あるいは日本文化について子供たち(六歳以上)に語るシリーズを担当してくれないかという打診がありました。私は子供たちとその親たちに日本への関心を持って貰うべく、二つ返事で引き受けました。

図書館の窓口は、最初日本語講座を期待していたようです。私の前がスペイン語講座だったそうで、その連想でしょう。この町にはメキシコ料理店が五、六店舗ありますし、そこの店員や町で見掛けるメキシコ人労働者も多数います。スペイン語を話そうと思えば話せるチャンスは多数あります。しかし、日本語となるとゼロです。当市に日本料理店がオープンしましたが、経営者・コック・ウェイターは中国人です。ですから、私は言葉ではなく頭や身体を使うゲームをメインにプログラムを作成しました。

私は自分が担当する五回分の内容を書いたポスターを自作して図書館に持って行きました。何故か、これも黙殺されました。私は図書館窓口が独自に作成したビラをよ〜く見てみました。それには"Cultural Club"とありました。私のポスターは"Culture Club"というタイトルでした。

私の脳味噌は日本の誰かが考えた「文化センター」と、その英語名としてでっち上げた「カルチャー・センター」という言葉に毒されていたのです。もう完全に刷り込まれてしまっていて"cultural"などという言葉が入り込む隙がなくなっていたのです。カタカナの横文字風表現はそれほど恐ろしいということです。回虫か癌細胞のように、一旦巣食ったら容易なことではサヨナラ出来ません。

(September 10, 2008)

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[・] 奇妙な“初体験”

アメリカで発行されている新聞・雑誌を読んでいると、時々奇妙な表現に遭遇します。その一つは、スポーツの分野である人が優勝したことを報じる記事です。1) "John Doe won the tournament for the first time..."と文章が始まるので、「ウソつけ!John Doeは数年前に優勝したことがあるぞ!」と思って先を読むと、2) "John Doe won the tournament for the first time since 2,000."などと続くのです。

1)の段階だと当人の「生涯初優勝」に思えますが、続けて読むと2)では「2,000年以来の初優勝」ということになります。非常に紛らわしい。

アメリカ人に日本語を教えていて思うことですが、日本語も文の最後まで聞かないと、発話者の立場がまるで解りません。
a) これは間違いだと思います。
b) これは間違いだとは思いません。
c) これは間違いだと思いませんか?
d) これは間違いではないと思います。
e) これは間違いではありません。
全て、最後まで聞かないと何を云いたいのか理解出来ません。場合によっては、発話者は相手の顔色を窺いながら、肯定を否定に、否定を肯定に、あるいは途中から「ではないでしょうか?」などと表現をぼやかすことすら可能です。その典型的な例が「赤上げないで白上げて」の「旗上げゲーム」でしょう。

しかし、"John Doe won the tournament for the first time since 2,000."は上のような日本語の特徴とは、ちょっと違っています。時間の単位をどう切り取るかの違いです。日本人にとって“初”はあくまでも生涯最初の出来事であって、「2,000年以来初」などとは云いません。非常に厳密です。英語も数や時制に非常に厳密な言語の筈ですが、何故かこの件に関しては寛容です。

Googleで言語は「英語」、地域は「アメリカ合衆国」で検索してみました。

 "first win since"  4,080,000
 "first victory since"	6,690,000
そう多い数とも云えませんが、少なくもありません。つまり、"since"と続くかどうかで本当の「初優勝」かどうかがはっきりする文章は結構多いということになります。

例1:Sergio Garcia wins a wind-blown Players in a playoff for his first victory since 2005. (セルジオ・ガルシアは強風下のPlayers選手権でプレイオフの末、2005年以来初めての勝利を飾った)['Golf World,' May 16, 2008]

例2: It might have been for Steve Stricker's first PGA Tour victory in almost seven years. (それはスティーヴ・ストリッカーにとって、ここ七年間で初めてのPGAツァー優勝になるところだった 【彼は既に優勝経験があるのですが】)[Golf Digest,' June 2008]

(August 20, 2008)

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[・] name callingとswear

現在、私が気になっている二つの表現があります。意味は解りますし、その例も知っていて、単に「何故、この二つの単純な言葉がそのような意味を持つようになったのか?」が分らず、落ち着かないのです。その二つとは、
1) name calling
2) swear
です。どちらも単純な言葉に見えるでしょう?「名前を呼ぶ」と「誓う」じゃないの…と思いますわね?普通の日本人の感覚ではそうです。全然違うんですね。

ニュアンスの違いは後で述べるとして、両方とも「罵る」、「悪態をつく」という意味なのです。"name calling"は名詞ですので、動詞として使う時には"He called me names."という形で、何故か複数になります。一見、とても温和な感じのこれらの二つの言葉が、どのようにしてそういう意味を持つようになったのか、インターネットは勿論、図書館の多数の辞書や百科事典を紐解いてみましたが分りません。私の周りで言語に興味を持つ人々にも聞いてみましたが、誰も知りません。彼らが知っているのは、現在の「罵る」、「悪態をつく」という意味だけなのです。

"swear"の方は、まだ元々の「誓う」という意味で使われることもありますが、多くの場合"profanity"(冒涜的な言葉)を意味します。つまり、"Goddamn!"や"Jesus!"などと妄りに神やイエスを引き合いに出すとか、"Go to Hell!"あるいは単に"hell"などを会話の中で使うことです。

"name calling"には様々な形態がありますが、特定個人に差別的(侮蔑的)レッテルを張ることでは共通しています。政治的な論争が高じて泥仕合になると"Commie!"(アカめ!)、"Fascist!"(ファシストめ!)、"Terrorist!"(テロリストめ!)などと決めつけることがあります。

地域や人種的偏見で罵る場合、"Nigger!"(黒んぼめ!)、"Nigger lover!"(黒んぼ贔屓め!)、"Yankee!"、"Redneck!"(【南部の】どん百姓)など。

性に特有の罵り方、"Mother-fucker!"(ゲス野郎!)、"Faggot!"(男色野郎!)、"Slut!"(売春婦め!)など。

家族や遊び仲間の間で、"idiot, moron, nerd"(全て「阿呆」「間抜け」の意)、"mean"(意地悪)、 "rude"(無礼)、"selfish"(わがまま)…などのレッテルを張って罵るのも"name calling"に入るそうです。

私がある友人とゴルフしていた時のこと。グリーンの芝刈りが終るのを待っていたわれわれの足元近くに、後ろから歩いて来た二人の一人がボールを打ち込んで来ました。怪我をするような勢いではなかったにしても、これは大変失礼な行為です。私が彼らのうちの年長者(45歳見当)に冗談めかした抗議をすると、男は「おれは結構上手いから危険な打ち方はしない」と、謝りもせずに云い放ちました。私の友人(65歳)は「われわれは"Sorry"の一言を聞きたいだけだ」と穏やかに云い、男がその通りにすればそれで一件落着のところでした。男は「謝る必要なんかない!」と云い張り、私の友人と口論になってしまい、その男は私の友人を"Fat boy!"(太っちょ)と罵りました。私の友人は顔を真っ赤にして怒りましたが、馬鹿を相手にしても仕方がないので、「あんたのことでマネージャーに文句を云う」と、私と二人でクラブハウスに戻ることにしました。この時の"Fat boy!"も明らかに"name calling"です。

で、最初に戻りますが、何故"name calling"という言葉が「罵る」という意味になったのか、是非知りたいところです。御存知の方はお教え下さい("swear"の意味が変わったことについても)。

(July 30, 2008)

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[・] A visit from mom

新聞のある日の身の上相談欄で"A visit from mom"という見出しを見つけました。私は「???」と思いました。本文を読むと、「結婚しフルタイムで働いている子持ちの娘(41歳)のところへ定期的に母親がやって来ては、家の隅から隅まで掃除し、家の汚さ、子供の躾の悪さ、娘の体重増加などへの苦言をまくし立てる」という内容でした。

明らかに「母親の訪問」なのですが、なぜ"from"なのか?"by"なら私の感覚では問題ありません。"A mom's visit"としたくなる気もしますが、"doctor's visit"は医師の往診ではなく、患者が医師の診察を受けに出向くことです(『英語の冒険・正篇』「文法・表現」の「医師の予約」参照)。それを適用すると、"A mom's visit"も娘が母親を訪問するようになってしまいそうです(本当にそうかどうかは不明ですが)。

"visit from mom"という表現が一般的なのかどうか、Googleで「地域」をアメリカ合衆国に限定し、「フレーズ検索」を用いて検索してみました。"visit from mom"は27,100例で、そう多くありません。"visit from my mom"はやや多いですが、それでも30,900例。"visit from dad"にしてみたら、何と647,000例に跳ね上がりました。これは多い。ちなみに、イギリスはと云うと、母親でも父親でも20に満たない数字でしたので、"visit from mom/ dad"という表現はアメリカ英語に特有のもののようです。

とは云え、イギリス生まれの辞書'LDCE'の"visit"の【名詞】の項には"We've just had a visit from the police."という例が載っていました。この例なら「警察署から捜査官がやって来た」という意味で"from"が使われている理由が解ります。しかし、まだ"A visit from mom"は合点が行きません。ママ(個人)と警察署(組織)とは同じカテゴリに入らないからです。

あれこれ文献を引っくり返していたら、答えは意外なところで見つかりました。『三省堂 新クラウン英語熟語辞典』です。これの"visit"の項に「receive [have] a visit from(人)の訪問を受ける:He received frequent visits from the ghost. 彼はしばしばその亡霊に襲われた」という例が載っていたのです。なるほど!"receive a visit from somebody"(訪問を受ける)という慣用句の"receive"を省いて見出しとしたものが"A visit from mom"なのですね。「どこそこから」という場所の意味の"from"ではないのでした。お湯をかけて三分待つと"Receiving (having) a visit from mom"となる表現なのでしょう。

やっと解明出来ました。これで落ち着いて寝られます:-)。

(June 30, 2008)

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[・] 日本の常識と異なる英語

『英語の冒険』正篇や続編の一部の記事と重複するものもありますが、思い付く単語をここにまとめてみました。もちろん、“日本の常識と異なる英語”はもっと沢山ありますが、あまり有名でないものを思い付くまま…ということで。

・denomination
 この言葉は日本では「通貨単位の切り下げ」として知られています。しかし、アメリカ(特に信仰熱心なアメリカ南部)において日常話される場合の"denomination"は、キリスト教の「宗派(教派)」を指します。

私が住むミシシッピ州Meridianという町は人口40,000に200以上の教会がありますが、その教会のdenominationは45に分かれています(電話番号簿上の調査による)。Baptist系だけでも7つのdenominationがあります。

・benefit
 日本人が考える"benefit"は広義の「恩恵」ですが、アメリカ人が日常話す場合の"benefit"は、雇用上重要な"fringe benefit"を指します。"fringe benefit"(付加給付)は恩給・有給休暇・健康保険など、本給以外の待遇のことで、就職する場合の大事なチェック・ポイントです。

・policy
 日本人は企業や組織、政府などの基本方針・政策について「ポリシー」と云いますが、アメリカの日常会話に登場する"policy"は、概ね(自動車や家屋などの)保険のことを指します。例えば、軍の基地に入るには運転免許証とpolicyを提示しなければなりません。そのため、保険会社はクレディットカード・サイズのpolicy(保険証書)を発行しています。

・pension
 日本の若者にとって「ペンション」は人里離れた観光地にある瀟酒な宿泊施設でしょう。しかし、アメリカの日常会話にはそうした宿の類いが登場することは全くなく、通常は「年金」、「恩給」を意味します。

・veteran
 日本語になった“熟練者”、“経験者”の意味もあるのですが、先ずパッと浮かぶのは「退役軍人」です。Veteran's Dayは退役軍人を褒め讃え感謝する日です。

・private
 日本人にとって"private"という言葉は「個人の」、「私的な」というかなり緩い意味合いで受けとめられていると思います。しかし、欧米における"private"は「非公開の」という厳格な意味を持っています。建物の中に"Private"と書かれた部屋があったら、それは「立ち入り禁止」と考えなくてはなりません。単に「個人の部屋」ではないのです。同じように"private website"と云った場合、それはパスワード制限がかかった非公開のサイトということになります。われわれが普通設けるのは"personal website"です。

最近の新聞に、プロ・ゴルファーTiger Woods(タイガー・ウッズ)について次のように書かれたAPの記事が掲載されました。
"Woods is private about his health and personal life."
「Tiger Woodsは彼の健康についても個人的生活についても秘密主義である」と解釈出来ます。事実、彼は2008年のU.S. Open (全米オープン)に膝の故障の深刻さを伏せたまま参加しましたし、妻子の写真を絶対撮らせないことでも有名です。

[Crane]

・alien
 『エイリアン』という映画の影響で、日本人が考える"alien"は「宇宙人」ではないでしょうか?確かに"alien"には異星人という意味もあるのですが、辞書に出て来る最初の意味は「外国人」です。空港の入国管理で並ぶ際、"alien"と表示されている列は宇宙人のためのものではありません:-)。私はアメリカに住んでいますが、アメリカの市民権を得てはいないので私も"alien"の一人です。

・naive
 他の記事でも書きましたが、これは「純真な」という意味よりも「世間知らず」として使われることが多いようです。あるTVリポーターが、韓国から数多くアメリカに流入しているゴルフの若手女子プロたちについて「彼女たちは"innocence"を持っている」と表現していました。innocence(形容詞はinnocent)にも「単純」、「無知」なる定義はあるのですが、「純真さ」という意味の比重が高くなっていますので、使うならnaiveよりこちらの方がいいようです。

・smart
 日本では着こなしや行動パターンでの「スマート」しか知られていませんが、英語では寓話の狐に代表されるような「抜け目がない」、「ずる賢い」という意味でも使われます。"You are smart."と云われたら、単純に喜ばずよく考えてから反応すべきです。

・boyfriend、girlfriend
 日本人にとっての「ボーイフレンド」、「ガールフレンド」の実態は多様でしょう。只の友達かも知れないし、肉体関係があるかも知れません。

アメリカ人にとってのboyfriend、girlfriendは「結婚はしていないが一緒に暮らしている相手」、あるいは「一緒に暮らしてはいないが、相手の部屋やホテルで一緒に寝泊まりする相手」です。ですから、"I have more than ten boyfriends."などと云うと、交際範囲が広い人気者とは解釈して貰えず、単に「自分は淫奔な女である」と公言していることになります。

(June 10, 2008、増補 June 20, 2008)

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[・] 命令形が失礼でない場合

TVのアナウンサーやインタヴューをする人は,相手が有名人であろうとなかろうと、"Tell us about..."とか、"Show us..."などと云います。"please"を付けません。

これは「ウン千万の視聴者の代表として尋ねているんだ」という大義名分によるものでしょう。"Tell me..."というとアナウンサー個人の頼みになってしまいますが、"Tell us..."と複数(=放送局=視聴者)になっているのがミソです。

相手のためにいいことを祈る場合も命令形が失礼ではありません。"Have a nice day!"のように。この例は沢山ありますね。"Get well soon!"【病人に】(早く良くなって)とか、"Drive safe!(安全運転でね!)とか。【"Drive safely!"じゃないの?と思われた方は、下の方の「動詞+形容詞?」を御覧下さい】

あるゴルフのTV中継(チャリティのための半分遊びのようなトーナメント)で、女性プロ・ゴルファーのAnnika Sorenstam(アニカ・ソレンスタム)にフェアウェイでインタヴューした女性アナウンサーが、感謝の言葉の後"Go make that putt!"(あのパットを成功させなさい!)と云いました。これも"Have a nice day!"と同じ趣旨の命令形であって、別に世界一流のプロを見下しているわけではありません。

ところで、"Have a nice day!"は有名ですが、"Have a good evening!"や"Have a nice night!"とも云うのを御存知ですか?午後3時過ぎくらいになると"Have a good evening!"、午後5時過ぎですと"Have a nice night!"と変化します。初めて聞くとびっくりしますが、もう一日も終ろうとしているのですから、これが正しいことに納得させられます。

"Have a beautiful day!"というのも何度か聞いたことがあります。大規模食料品店のレジ係の台詞としてはキザに聞こえるかも知れませんが、"What a nice day!"と云うと"Beautuful day!"と“訂正”されるような国ですし、ゴルフのショットにも"Beautiful!"という褒め言葉を気軽に発する国民なので、"beautiful"が出て来ても驚くほどのことではないのです。

(April 30, 2008)

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[・] 性別

'Out of Sight'『アウト・オブ・サイト 』(1998)という映画を観ていたら、次のようなやりとりが出て来ました。

白人女性:"You say your dog was killed?"(犬が死んだんですって?)
黒人女性:"Got run over by a car."(車に轢かれたのよ)
白人女性:"What'd you call him?"(彼、何て名前だったの?)
黒人女性:"Was a she. Named Tuffy.(彼女よ。タフィって名前)

"Was a she."は"It was a she."でしょうが、"a she"という表現が珍しい。"It was a female."を云い替えただけなんでしょうけど。

犬や猫の性別を聞く時には何のためらいもなく"Is it male or female?"と"it"を使えますが、人間の赤ちゃんはどうでしょう?"it"が使えれば"is it she or he?"と云えますが、動物や物ではないので"it"を使うのはまずいです。

五人ほどの中・高年男女アメリカ人が集まったパーティで、みんなにこの問題について聞いてみました。彼らも性別不詳の赤ちゃんの時は「可愛いわね」と云うのに困るそうです。日本語は「可愛いわね」で済むので問題ないのですが、英語の場合"He's cute!"あるいは"She's cute!"と主語の性をハッキリしなければなりません。もちろん、単に"Cute!"とだけ云うことは可能ですが、その赤ちゃんの話題が続くとすれば、いつかは男か女かハッキリさせないといけません。親(あるいは保護者)が話の中でheかsheを特定してくれるのを、耳をそばだてて待つのも一案(しかし、性別の判別がつかない名前で呼ばれたら駄目です。例えば、Tiger Woodsの娘の名前はSam)。何人かのアメリカ人は「どっち?」と単刀直入に聞いちゃうと云ってました。

赤ん坊の場合、男の子を女の子と間違えるのは許されるとしても、女の子を男の子と間違えるのは「あまり可愛くないと思ってるな?」と勘ぐられそうです。これは上のパーティ参加者も同意してくれました。"What a cute baby, she is!"などと探りを入れて、"This is he."と訂正して来るかどうか様子を見るテもありますね。

(April 10, 2008)

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[・] 電子メール

『英語の冒険・正篇』の「単数・複数」(文法・表現)で、私は「'letter'が封筒に入った手紙であり一通、二通と数えられるのに対し、『郵便』を表す'mail'は抽象的な概念なので不可算名詞となっているが、'E-letter'という言葉が存在しない以上、電子メール(E-mail)は現実的に数えられる名詞に変貌せざるを得ない」と書きました。それを執筆した当時(2,000年)はまだ過渡期だったようで、"E-mails"あるいは"e-mails"という表現に出会うのは珍しい感じでした。

最近、Angelina Jolie(アンジェリーナ・ジョリー)主演のアメリカ映画'Mighty Heart'『マイティ・ハート/愛と絆』(2007年)という映画を観ていましたら、ジャーナリストの台詞として"e-mails"という言葉(複数)が出て来ました。字幕でも確認しましたから間違いありません。

驚いてGoogleの「フレーズ検索」で"e-mails"を調べると、何と65,700,000件もヒットしました(フレーズ検索だと単数の"e-mail"は含まれない)。念のため、「言語」の設定を「英語」だけに絞って同様の検索をすると、数字は大分少なくなって4,410,000件となりました。それでも多いですが、この数字は英語を用いたホームページであって、英語圏のみというわけではありません。そこで「対象国」をアメリカ合衆国だけにして検索すると1,700,000件、イギリスだけだと407,000件、合わせると2,107,000件という数字になりました(いずれも2008年2月末現在)。

アメリカのウェブサイトで"e-mails"を使っている主なところは、
・Microsoft "Recognize phishing scams and fraudulent e-mails"(http://www.microsoft.com/athome/security/email/phishing.mspx?ifs=0)
・CNN "E-mails 'hurt IQ more than pot'"(http://www.cnn.com/2005/WORLD/europe/04/22/text.iq/)
・Washington Post "Editorials: Those Missing E-Mails"(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/02/10/AR2008021001918.html)
・Internal Revenue Service "Suspicious e-Mails and Identity Theft"(http://www.irs.gov/newsroom/article/0,,id=155682,00.html)
…という具合。最後のInternal Revenue Service(通称IRS)は「国税庁」です。

官庁、マスコミ大手まで"E-mails"と書くようになったということは、もう「電子メールは可算名詞」に変貌を遂げたと云えそうです。

(March 01, 2008)

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[・] 勝ったのか負けたのか?

ゴルフ好きの友人Jack(ジャック)が、ある日のチーム対抗の賭けラウンドの結果について下のようにメールして来ました。チームを構成した人名が並んでいますが、ここではA、B、C等と略記します。

"Me, A and B got beat by C, D and E."

私はさーっと目を通しながら、"beat"が先に来ているのでJackのチームが勝ったのだろうと、"Congratulations!"という返事の文を考え始めました。正直に云って私は上のような構文に慣れておらず、"got"と"beat"の関係がよく解りませんでした。ふと、"by"が目に止まりました。Jackのチームが勝ったのなら相手チームの前に"by"が付く筈はありません。「負けたのか!?」負けた人に"Congratulations!"というメッセージを送ったら一大事です。友情にヒビが入る恐れがあります。

返事の文案を考えるのは中断し、"got beat"という表現について調べ始めました。私が持っているどの辞書にも(英英辞典にも)出ていません。で、インターネットで調べました。http://forum.wordreference.com/showthread.php?t=39440 に「Is it "got beat" or "got beaten"?」という議論が掲載されていました。

質問者は外国の英語学習者のようで、大勢のアメリカ人がそれに答えています。要約すると、
・"got beat"も"got beaten"も文法的に正しくない。負けたのなら"we lost"か"We were beaten"と表現するのが一番。
・アメリカ英語では過去分詞を過去形で代用する表現が(不幸にも)普通になりつつある。
・"got beat"は日常的に使われており、よく耳にする。
・"got beat"は黒人、それもプロ・スポーツの連中がよく使う。御存知のように、彼らは奨学金を貰ってスポーツ三昧で授業に出ていないのが普通だ。
・おれは大学スポーツやってたが、ちゃんと授業に出てたぜ。でもって、"got beat"を使う。
・黒人とは限らん。白人スポーツマンも"got beat"をよく使う。

要するにJackは負けたんですね。で、辞書に載っていないも道理、これは最近になって使われ出した表現のようです。"We were beaten"か"We were defeated"、あるいは上にあるように"We lost"と書いてくれれば私が悩むこともなく、友情の危機も浮上しなかったのです。人騒がせなアメリカ英語です。

(February 10, 2008)

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[・] カンマの後の関係代名詞

私が普通に関係代名詞を含む文章を書き、こちらのアメリカ人に添削を頼んだら、関係代名詞の前にカンマを打たれたことが数回あります。私は中学・高校と英文法学習をさぼっていたため、実際には関係代名詞の正しい用法を知らずに使っていたようです。

最近"I bought a new book, which was good."というような表現をよく見掛け、自分でも使おうと思いました。この場合、関係代名詞の前のカンマが重要な要素であることは推測出来ますが、よくその実態が分からない。生兵法は大怪我のもとなので先ず色々調べなくてはなりませんでした。今回の話題は真面目に勉強されている方には当たり前のことであって、別に珍しい知識が得られるものではありません。

この「カンマ+関係代名詞」は関係代名詞の「継続用法」とか「連結用法」、「非限定用法」、「非制限用法」などと様々に呼ばれているものです(筆者によって異なる)。カンマが先に無い関係代名詞は先行する名詞がどういうものかを修飾・限定します。「私が失くしたナイフ」、「私が壊した皿」、「芥川賞に選ばれた小説」など、どこにでも転がっている一般的なナイフや皿、小説ではないことを示します。そこで「限定(制限)する関係代名詞」と呼ばれるわけです。

「カンマ+関係代名詞」は先行する名詞を修飾するわけではなく、"I bought a new book, which was good."の場合なら"I bought a new book and it was good."と書き換えられるものです。つまり二つの文節を継続・連結しているわけですね。この用法は「関係代名詞の前で必ずカンマを打つ」のが原則です。

逆に云えば、カンマのある無しで意味が変わってしまうので要注意です。『実例英文法』(オックスフォード大学出版局刊)に次のような例が載っています。
1. The wine which was in the celler was ruined.(地下室にあったワインは駄目になった)
2. The wine, which was in the celler, was ruined.(ワインは地下室にあったので、駄目になった)
上の1の場合は地下室以外の場所にあったワインはOKで、2では全てのワインが地下室にあって全滅したという意味になるわけです。

なお、"I bought a new book, which was good."のように動詞の目的語に続く継続・連結の関係代名詞や、"I passed the letter to Peter, who was sitting beside me."のように前置詞+名詞の後に来る継続・連結の関係代名詞は会話でもよく聞かれるものの、一般的には書き言葉の範疇だそうです。

「カンマ+関係代名詞」と総称して来ましたが、《この継続・連結用法ではthatは絶対に使われない》そうです。これも要注意です。

(December 30, 2007)

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[・] by night

最近、姉妹サイト『アメリカ映画・南部もの映画大全集』のために'They Live by Night'『夜の人々』(1948)という映画を観ました。脱獄囚で銀行強盗の罪も重ねてしまい、夜間のみ妻と車で移動する男の物語。「夜に生活する人々」なら"at night"でよさそうなのに、なぜ"by night"なのか?と思いました。そこへ、'He Walked by night'『夜歩く男』(1948)という映画がTVで放送されるという予定を目にしました。これも追われる殺人犯のお話。またもや"by night"です。

お恥ずかしいのですが、"by night"については十数年前に調べておくべきだったのに、私はずっと怠っていました。私がコンピュータ用の冗談アドヴェンチャー・ゲームを作った時、カミさんと一緒に英語版も作成したのです。中に登場する「クロネコやまと」の貨物輸送機の会社を、英米人用に新しく命名しなくてはなりません。カミさんのアイデアで"Fly by Night Air"という会社名にしました。彼女の説明では、「いかがわしく、信用出来ない会社を"Fly by Night"と云うのだとのことでした。「クロネコ」は信用出来ますが、私の冗談ゲームの会社はうさんくさい会社でいいのです。トラックではなく飛行機の絵につけるコメントでしたから、"fly"という語感もぴったりでした。しかし、なぜ"by night"なのか、いささか引っ掛かりながらも、私は調べることをしませんでした。

今回、先ずその"fly by night"を調べました。'Word and Phrase Origins' by Robert Hendrickson(Checkmark Books, 1997)によれば、"Fly-by-night"の語源は「夜、箒に跨がって飛ぶ魔女」なのだそうです。それが19世紀になって、商売のために夜間にあちこち飛び回る人、特にペテン師を指すようになったとのこと。不良品を売りつけておいて、夜逃げしちゃうイメージですね。

それはいいとして、「なぜ"by"なのか?」という疑問がまだ残っています。『研究社英和中辞典』の"by"の項を頭から見て行くと、「…のうちに」、「…の間は」とあり、【byの後ろの名詞は無冠詞】となっています。これですね!例文は"I work by day and study by night"(昼は働き、夜は勉強する)というもの。"live by night"は「夜間に生活する」、'walk by night'は「夜間に歩く」ということになります。

『研究社英和中辞典』の"by"の「成句:by night」には「夜に紛れて」とあり、例文に"attack an enemy by night"(夜陰に乗じて敵を攻撃する)というのが出ています。'They Live by Night'の場合、「夜に紛れて生きる人々」というのがぴったりです。'He Walked by Night'も「夜に紛れて歩く男」が相応しい。

やっと解決しました。十数年経って果たした宿題でした。

(November 30, 2007)

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[・] 善悪を超えて

"for good"という慣用句はしょっちゅう目にしていましたが、ちゃんと調べることをしていませんでした。文脈から考えて、多分「充分に」程度のことだろうと推測していました。大間違いでした。

こちらの新聞のコラムの一つに健康相談があります。ローカル紙の記事ではなく、全国紙向けに書かれたものを転載しているようです。ある日の相談は「喫煙によって肺の中身は完全にダメージを受けるのか、それとも組織は再生・回復するものか?」というもので、医師の回答は「タバコの煙はその毒素によって肺の気胞を破壊してしまう。だから、禁煙するのなら若いうちである。25歳の女性が禁煙すれば、肺の機能を改善することが出来る」とあり、次のように続きます。

"In contrast, a 68 year-old, two-pack-a-day smoker probably will not improve upon discontinuation; the chronic damage is done for good, except that his risk for lung cancer might be reduced."

この場合の"for good"は、「chronic damage(長期にわたる損傷)が完了しているので」を形容しているわけですから、「善い」でも「良い」でもなく、「充分に」という程度でもなく、「徹底的に」という感じです。つまり、「68歳になるまで一日二箱の煙草を吸い続けて来た喫煙者の肺は、長期にわたって壊滅的ダメージを与えられているので、禁煙によって肺の機能を改善することは出来ない。禁煙してもせいぜい肺癌の危険を減らす程度に過ぎない」ということになります。

英英辞典を見ると、"for good"は"parmanently"、"forever"と同意義とあります。「充分に」などという生易しいものじゃなかったわけです。

"badly"という言葉もよく見たり聞いたりします。

"He wanted to win the tournment badly."

これも「善い悪い」とは無関係で、「とても」とか「是が非でも」という意味です。

(November 10, 2007)

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[・] 動詞+形容詞?

友人・知人を夜見送る時や、昼でも彼らが遠くに行くような場合、別れの言葉は「安全運転で、ね?」になります。動詞+副詞という組み合わせが正しいと教えられて来た私は"Drive safely."と云うのが常ですが、"Drive safe."(動詞+形容詞)という云い方もよく聞きます。文法的にDrive safe."はどういう扱いなのか?

ある日、例によってGoogleで「英語のみ」の「フレーズ検索」をしてみました。
1) "Drive safely" 738,000件
2) "Drive safe" 231,000件
3) "Safe drive" 98,300件
4) "Safety drive" 61,300件
これらは会話の文章に限られているわけではなく、「フレーズ検索」であっても何か他の名詞に連続している場合もあり、あくまでも使われている頻度の目安でしかありません。しかし、"Drive safe"が"Drive safely"の三割もあるのには驚きました。なお、後の二つは「安全運転」という標語みたいな感じであって、誰かに「安全運転しなさいよ」という語りかけるニュアンスは感じられませんので、これらはここでは無視します。

あるアメリカ人に聞くと、「もちろん、"Drive safely."が正しい。でも、南部人は副詞なんて知らないんだよ」と云いました。「副詞を知らない」はちょっと云い過ぎだと思います。アメリカでは副詞が来るべきところを形容詞で代用している用法がよく見られるのです。'Freedom Writers'『フリーダム・ライターズ』(2007)という映画を観ていましたら、カリフォーニア州の都会の高校の校長(白人)が、車で帰る父兄に"Drive safe."と云っていました。やはり、南部人だけが副詞を使わないのではなく、西海岸の教養人でさえ使わないこともあるわけです。

調べると、この形容詞を副詞的に使う用法は"flat adverb"(単純形副詞)と呼ばれ、イギリスにも例はあるものの特にアメリカで多く用いられているそうです。Wikipediaによれば、最も有名な"flat adverb"は以前アップル・コンピュータがキャンペーンのフレーズとして使った"Think Different"とのこと。これも本来なら"Think Differently"とすべきところを、"-ly"無しで"flat adverb"にしています。

『研究社 新英和中辞典第六版』には「"safe" [arrive, bring, come, keep などの後に補語として用いて]安全に、無事に」とあります。これだったのですね。形容詞の副詞用法もちゃんと市民権を得ていたのでした。

(October 20, 2007)

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[・] 信じる

私は二人のアメリカ青年に日本語を教えています。かねがね、私以外の日本人の日本語を聞かせたいと願っていたのですが、絶好の機会が訪れました。当市の70数歳の日本婦人のところへ30数歳の姪御さんが日本からやって来たのです。私はお二人が揃っているところで、私のアパートでの日本語教室へのゲスト出演をお願いし、了承されました。

一週間後の日曜午前、私が車で姪御さんを迎えに行きました。日本婦人は既に教会へ行って留守でした。姪御さんを囲んでアメリカ青年二人との自己紹介やら日本語による質疑応答、クイズなどを楽しんでいたところ、「コンコン」とドアがノックされました。日本婦人のお友達の日本婦人(やはり70数歳)が立っていました。姪御さんの伯母さんが「心配だから、どういう状況か見て来て」と強く(かなり強く)懇請し、この御婦人も色々忙しいのに仕方なくやって来たのだそうです。

われわれはマリファナ・パーティをやっていたわけではないし、朝っぱらから酒を呑んでいたわけでもありません。この記念すべき授業内容を記録すべく三脚に固定したデジタル・カメラで、一部始終を録画してさえいたのです(後に全員にDVDで配布)。姪御さんの伯母さんは私のリクエストを拒むと角が立つので渋々承諾したものの、何故か私を信用出来ずにスパイを放ったわけです。12〜16歳ぐらいの女の子であれば心配するのも解りますが、姪御さんは30数歳の立派な大人ですからね。私はびっくりしてしまいました。

この日のことについてカミさんに顛末を話しましたら、カミさんも呆れていました。私は、"The Japanese lady doesn't believe me."(あの御婦人は私を信じていないんだ)とこぼしました。すると、カミさんが"She doesn't trust you."(彼女はあなたを信用していない)と云い直しました。カミさんは私の英語の先生でしたからね。まだ教鞭を捨てていないのです。あるいは、進歩の無い私をやり込めるためか…。

そうなのでした。私は「信じる」="believe"と単純に置き換える間違いを冒しました。日本語でも「信じる」と「信用する」は異なります。「神の存在を信じる」であって「神の存在を信用する」とは云いません。お金を貸す場合に「あの人を信用する」のであって、オリンピックで優勝するだろうとか、組織のリーダーを評する際などには「あの人を信じる」です。かの日本婦人は私を“信用”していなかったので、ここでは"trust"を使うべきだったのです。

LDOCEを見ると、"believe"の最初の定義は"to consider to be true, honest, or real"(真実、正直、あるいは事実であるとみなす)となっています。"believe in"という熟語は1) "to think that (something) exists"で、例:"Do you believe in fairies?"(あなたは妖精の存在を信じますか?)、2) ”to have faith or trust in"には例:"Christians believe in Jesus."(キリスト教徒はイエスを信仰する)などが載っています。

"trust"の最初の定義は"to believe in the honesty and worth of (someone or something); have confidence in"となっていて、"Why did you lend him all that money?" "I trusted him."(「何故彼にあんなに金を貸したの?」「彼を信用したんだ」)とか"I don't trust his judgement."(彼の判断力を信頼しない)などの例が掲載されています。

アメリカの紙幣には"IN GOD WE TRUST"と印刷されて(コインには刻まれて)います。これは1814年に作詞されたアメリカ合衆国国歌の歌詞にある"...And this be our motto: 'In God is our trust.'"が起源と云われています。これは「神を信ずる」という趣旨であって、「神を信用する」ではなさそうですが、お金にこの文句があると“信用”というニュアンスも若干混じっているように思えます。事実、アメリカのお店の中には"In God we trust ― All others pay cash."という文句を表示しているところがあるそうです。これは「神様には信用貸しする(ツケで売る)が、そうでない者は現金で払え」という意味です。

(September 10, 2007)

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[・] 弘法(?)も筆の誤り

[Golf_Magazine]

写真を御覧下さい。大きな誤りがあります。これはアメリカで一、二を争うゴルフ雑誌'Golf Magazine'のAugust 2007号の記事の一部です。"What do you think?"と云って数人の教養あるアメリカ人にこれを見せましたが、誰も間違いに気づきませんでした。みな、下の記事の方に目を移してしまい、私が「問題は見出しだ」と云っても数分はどこが“問題”なのか分らず途方に暮れていました。

彼らは"a hour"という表現を見ても自動的に"an hour"と修正して読んでしまって、間違いを素通りしてしまうのです。日本人も、例えば「中国大便館」という文字を見てもさっと見て「中国大使館」と解釈して素通りします。多分、それと同じでしょう。逆に云えば、われわれの"a"と"an"の間違いも素通りされると考えて安心出来るのではないでしょうか:-)。

しかし、有名雑誌なら編集者がいて校閲者もいることでしょうに、こんな大間違いを印刷してしまうというのは信じられない思いです。

ある時、私のアメリカ人のゴルフ仲間二人から電子メールを貰ったのですが、そのどちらもが似たような過ちを犯していました。

われわれは四人の顔馴染みが二組に別れ、マッチプレイというゲームをしていました。そのラウンドの前後に勝敗に関する単語が頻繁にメールに出て来ました。

1) It was such a close match you hate to see anybody loose.
2) Old golfers never die; they just loose their balls.

それぞれ異なる人間が同じ時期にくれたメールです。二人とも"lose"(失う、負ける)と書くべきところを"loose"(緩い、締まりのない)と書いています。本当の意味は(1)が「どっちが負けても口惜しいような僅差のマッチプレイだった」で、(2)は「老ゴルファーは死なず。ただボールを失うのみ」(マッカーサー元帥の言葉のもじり)です。"lose"の発音は「ルーズ」であり、"loose"は「ルース」ですから、発音通りにタイプしたわけでもありません。云い訳の出来ないミスです。

"loose"には「不正確な」という意味もありますから、この二人の間違いは"loose writing"と云えましょうか。アメリカに生まれ、英語を話し・書いて60数年も生きて来た連中でこれですからね。われわれ外国人が多少間違えても恥じることはさらさらないようです。

(July 20, 2007)

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[・] わざと文法を間違える

私じゃありませんよ。私は正確な英語を喋ったり書いたりしようと努力していて、なおかつ間違えるのです。

あるゴルフのラウンドで、先ず私の友人の一人Mike Reekie(マイク.リーキィ)が打ちました。見ていた私を含む三人が、Mikeのショットを"Good shot!"とか"Good ball!"とか褒めそやしました。次は私の番。これもいいショットだったので、Mikeは"Perfect!"(パーフェクト!)と云ってくれました。私は自分のショットに満足しながらも一寸照れくさくて、"Poifect?"(ポイフェクトかい?)と彼に云いました。

ついでですが、"poifect"は"pefect"のニューヨーク下町風発音です。もともとはアイルランドの発音で、アイルランドからアメリカに移民して来た人々の名残りというわけです。

Mikeは「あんたはBronx(ブロンクス、ニューヨークの低所得者中心の居住地区)育ちなのか?」と冗談を云いながらも、"Yeah, poifect."(そう、ポイフェクトだ)と頷きました。さて、三番手の男が、これまたいいショットを打ちました。Mikeは"More poifect!"と云いました。「完璧」よりさらに上だというわけです。四番目の男が、これもいい弾道のボールを打ちました。Mikeは褒め言葉に困ってしまい、"More poifecter!"と口走りました。"more"と比較級"-er"が同居することは本来あり得ないのですが、もう破れかぶれなのです。

日本人も"more better"などと間違いを承知でふざけた云い方をすることがありますが、「へえ、アメリカ人も同じようなことを云うんだ」と、ちょっとびっくりしました。ただし、それはMikeが詩を書いたりセミプロの舞台で俳優を務めたりする言葉遊びが好きなタイプなので、極めて特殊なケースに違いないと思いました。そうではありませんでした。その数日後の'Golfweek'という週刊誌に次のような記事が掲載されたのです。【文中のApplebyとはオーストラリア人のプロ・ゴルファーで、Mercedesとはメルセデス・ベンツがスポンサーとなっているトーナメントです。Robert Applebyはこのトーナメントに三年連続で優勝を果たしました】

Appleby said his first victory at the Mercedes was "great," the second "awesome" and this one—he apologized for the English—"more awesomer." 「Applebyはこのトーナメントに最初に優勝した時「凄い!」と云い、二年目の優勝を"awesome"(素晴らしい!)と云った。で、今年の優勝については、変な英語を詫びながら"more awesomer"と述べた」('Golfweek' January 14, 2006)

…ということは、われわれの"more better"風の冗談は(間違いであるのは当然ですが)、英語圏でも結構使われているということのようです。勿論、自分の子供がそういう表現をすれば、親としてはたしなめるでしょうけど。

(June 20, 2007)

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[・] 続・名前と職業

IBMのアメリカのTV CMに「ヘルプ・デスク」シリーズというのがありました。市民の抱える難問を解決するため意想外な場所(高速道路の真ん中とか、野原)にヘルプ・デスクが出現するというシチュエーション。

その一つが羊の牧草地のヘルプ・デスクで、数人の人々がデスクを囲んでいます。ヘルパーの女性が群がった人々の職業を「農民、デザイナー、織り手、バイヤー、運送業、小売業…」という風に並べ立て、解決策を与えます。彼女は妙な棒を持った正体不明の男に当惑気味に"Who are you?"と聞きます。男が「羊飼いだ」と答え、羊が「メエエーッ」と鳴くのがオチ。要するに羊飼いは助けを求めてやって来たのではなく、単なる野次馬だったというわけです。

いずれにしても、これで"Who are you?"が職業を聞いているということがハッキリしました。日本の英語本の「名前を聞く時は"Who are you?"で、職業を聞く時は"What are you?"である」というのは間違いだったわけです。

なお、'Common Mistakes in English'(by T.J. Fitikides, Longman, 1936、邦訳は『英語「誤」法ノート555』)に次のような箇所があります。

「Whatは職業を尋ねるのにも用いられる。
"What is your father?" "He is a lawyer."」

古い本ですが、私が持っている原書は1963年発行の第五版で、邦訳は『英語コモンミステイクス500例』として1984年に発行されたものです。どちらにも上の例が掲載されています。2000年に第六版が出たそうですが、もうこの例が消えていることを祈ります。

ところで、Robert B. Parker(ロバート・B・パーカー)の小説'Hugger Mugger'(2000)には、
"You got a partner?"
"Yep."
"What's he do?"
"Ophthalmologist."
というやりとりがあります。"ophthalmologist"は「眼科医」です。問題は"What's he do?"です。"What's he do?"の「's」は何を略しているのか?"What does he do?"なら理解出来ますが、doesを「's」と略すことは出来ません。"What's he doing?"は職業を聞いているのでなく、「彼はいま何してるの?」という行動に対する質問です。カミさんに聞きましたら「しょっちゅうこういう風に云うけど、文法的には知らないわ。私たちは文法に則って喋っているわけじゃないし」との答えでした。元高校英語教師Diane(ダイアン)も、「その云い廻しはよく聞くけど、文法的にはおかしい」と云っていました。Robert B. Parkerの私立探偵Spenserシリーズは、現代の都会人たち(白人、黒人、中年、青少年)の口語を活写している小説です。ベストセラー作家が文法的間違いをしていると云うより、彼は文法的間違いをしている現代人の会話を模倣しているわけです。

1991年のアメリカ映画'Paradise'『愛に翼を』では、10歳の少年が9歳の少女にこう聞きます。
"I haven't seen your father around. What does he do?"(キミのお父さん見掛けないけど、何してる人?)
実は少女の母は“未婚の母”なので、父はいないのですが。

2004年のアメリカ映画'Ladder 49'『炎のメモリアル』ではダブル・デートの際に二人切りになった男女が次のような会話をします。
男性:"So, what do you do?"
女性:"I work in a jewelry store."

2006年の英米合作映画'Scoop'『スクープ』では、初対面の男女が握手し名乗り合った後、次のような会話をします。
女性:"So, what do you do?"
男性:"Reporter."
これはWoody Allen(ウッディ・アレン)脚本・監督の映画ですが、主に英国系資本で作られロンドンを舞台に展開するお話です。

つまり、誰かの職業を聞く場合、
1) "Who is he?"
2) "What's he do?"
3) "What is his job/ occupation?"
4) "What does he do?"
の四つが考えられることになります("What is he?"は除外)。ま、一番間違いのないのは3番目の"What is his job (occupation)?"でしょうが、『英語の冒険』正篇の「名前と職業」でアメリカ人の英語教師Diane(ダイアン)も推奨していた、4番目の"What does he do?"が一般的と云えそうです。

(May 20, 2007)

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[・] 『あなた』の仮定法

1973年(昭和48年)に流行った歌『あなた』を御存知でしょうか?当時高校生だった小坂明子が作詞・作曲したラヴ・ソングで、ポプコンと世界歌謡祭でグランプリを受賞しました。ラヴ・ソングとはいえ高校生が作った歌ですから特定の恋人がいるわけではなく、未だ見ぬ未来の夫との生活を夢見るという甘い内容です。

歌詞は「もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう」と始まります。いかがです?変だと思いません?もう一度読み返して下さい。「もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう」まだ変だとは思いませんか?これ、普通の日本語なら「もしも私が家を建て・る・なら、小さな家を建て・る・でしょう」となるところだと思います。私は小坂明子がこの詞を考えた頃は、英語の授業で仮定法を習ったばかりだったのだと推理します。

英語の仮定法では現在の事実に反する仮定をする場合、If節に動詞の過去形を使います。過去の事実に反する仮定であれば、If節は過去完了形になります。『あなた』は見事にこの英文法の原則に則っています。この歌が登場し、大ヒットとなった当時、私も気づきませんでしたし、そう指摘した文章を読んだこともありません。しかし、この歌詞は英語で書かれたものを直訳でもしたような、変な日本語です。当時の中・高の英語教師たちは仮定法のいい教材として使ったかもしれません。「では、君たちの好きな『あなた』を英訳しなさい」なんてね。生徒達はいとも簡単に仮定法の英文が書けたことでしょう。

と、偉そうに講釈をしていますが、中学・高校と英文法学習をさぼった私は、実は仮定法の詳細についてよく知りませんでした。しかし、私には『たのしい英文法』(林野滋樹著、三友社出版、1975年発行)という強い味方があります。これは著者が「本当に『わかった!』と云って貰えるように書いた」と断言している通りの内容で、中学英語からやり直したい方にはお薦めの一冊です。この本によれば、仮定法には四種類あります。そして、《仮定法の文の結論の時制は、仮定法の名称の時制よりもっと新しい》という特徴があります(「仮定法現在」なら結論は未来のことを、「仮定法過去」なら結論は現在のことになる)。

1) 仮定法現在(未来についての仮定)
 If she comes, I'll leave soon with her.
 If snow falls, I'll go skiing.
 If節の動詞が現在形なので「仮定法現在」と呼び、結論部分はIf節の時制より“もっと新しい”「未来形」が使われています。

2) 仮定法過去(現在の事実に反する仮定)
 If I were a policeman, I would arrest that man. 【実際には自分は警官ではないから逮捕出来ない】
 If I had a camera, I could take a picture of the accident.【実際にはカメラを持っていないから写真を撮れない】
 If節の述語動詞は過去ですが、意味は過去ではなく「現在の事実の反対」です。【仮定法過去のIf節のbe動詞は全てwereを用いる】 結論部分にはwill、can、mayなどの過去形would、could、mightのどれかを使う。

 小坂明子の歌『あなた』はこの 仮定法過去ですね。「もしも私が家を建てたなら」とIf節が過去形になっています。高校生の彼女に家を建てられる筈はないので、「今は無理だけど」という「現在の事実に反する仮定」になっています。結論部分も過去形を使っていて、英文法そっくりです。逆に云えば、《現在の事実に反する仮定》の文章を作る時は、小坂明子の『あなた』を思い出せばいいということになります。"If I built a house, it would be a small one."という具合で。

ついでですので、残りの二つも…。

3) 仮定法未来(未来の事実に反する仮定)
 If he should come, I would beat him.
 このIf節は「奴が来ないのは確実だが、ひょっとして来たら」という意味で、この"should"は「万一 should」と呼ばれているそうです。「奴は絶対来ないだろう」という前提(100%確実と云える未来)があり、それでも「“万一”奴が来たら、叩き出してやる」という「未来の事実に反する仮定」が述べられています。

4) 仮定法過去完了(過去の事実に反する仮定)
 If I had studied harder, I could have been passed the exam.
 「もっと勉強していれば試験に通ったのに」【実際には、勉強しなかったので失敗した】
 この用法は、If節の述語動詞に過去完了形を使い、結論部分には[助動詞の過去形+現在完了形]を用いるとなっています。

(April 20, 2007)

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[・] Helen Merrillの謎

ハスキー・ヴォイスのHelen Merrill(ヘレン・メリル)が歌う'You'd Be So Nice To Come Home To'は有名です。トランペットの名手Clifford Brown(クリフォード・ブラウン)と組んだ録音は名盤として知られています。邦題は一般的に「帰ってくれれば嬉しいわ」が定番。

[Helen Merrill]

You'd be so nice to come home to
You'd be so nice by the fire
While the breeze on high sang a lullaby
You'd be all that I could desire

Under stars chilled by the winter
Under an August moon burnin' above
You'd be so nice, you'd be paradise
To come home to and love

最近この曲を聞き直してみて、いまさらながら意味を考えてしまいました。歌詞全体はしばらく離れていた男女のどちらかが(どちらとも取れる)、相手と縒りを戻したがっているという内容です。"You would be so nice if you come home"なら「帰って来てくれれば素敵だ」で邦題の「帰ってくれれば嬉しいわ」に近いのですが、では最後の"to"は何か?"You would be so nice if you come home to me"が省略されたんだろうか?いや、それなら"come home"だけで充分です。

思い余って友人のMike Reekie(マイク・リーキィ)に尋ねました。彼は元・数学教授ですが詩や俳句をひねくったりする文系の素養もあるのです。彼の答えは、これはパラフレーズすれば"It would be so nice to come home to you"になるところ。それを変形して"You"を主語にしたため、最後の"to you"の"you"が省略されたんだそうで。

となると?「あなたのもとへ帰れるなら素敵だわ」で、「あなた」が帰って来るのではなく「私」が「あなた」のところへ帰って行くんです。正しくは「あなたのもとへ帰れたら素敵なんだけど」となり、凄い大逆転。邦題をつけた人は大間違いをしたことになります。文法に弱い私も気をつけなくては:-)。

この件については元高校英語教師Diane(ダイアン)にも尋ねましたが、Mike Reekieと全く同じ見解でした。私が「日本語訳者と日本のジャズ・ファンは全く逆に理解している」と云ったら驚いていました。

【追記】 調べたら、この邦題をつけたのは大橋巨泉で、後に彼自身誤訳だったことを認めたそうです。

【おことわり】画像はhttp://st.diskunion.net/にリンクして表示させて頂いています。

(採録September 27, 2017、追記October 28, 2017)

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[・] 1も複数なの?

「ゼロは複数なの?」という記事はお読み頂けたでしょうか?『英語の冒険』正篇の「文法・表現」の中にあります。

'The Elements of Style'(by William Strunk, Jr. and E.B. White、Macmillan刊、1972)は、簡潔で明解な英文を書くための参考書で、世界中の人々に読まれ続けているベストセラーです。カーター大統領が就任当時、「あまりにも演説が簡潔過ぎる」という世間の批判を受け、側近が「'The Elements of Style'を読みなさい」と反論したそうです。「大統領はその本を模範として実践しているのだ」という意味です。この本はコーネル大学のWilliam Strunk, Jr.(E.B.ストランク二世)が講義のテキストとして書き下ろしたものですが、彼の生徒だったE.B. White(E.B.ホワイト、ピューリツァー賞受賞の文筆家)が改訂・増補した第二版でさえたった78ページしかない小冊子ですから、もともとは50ページぐらいの本だったようです。それが第四版では105ページと膨らんでいます。

久し振りに取り出して読んでいたら、「多くの人が"One of the ablest men who has attacked this problem..."とする間違いを冒す。"one"に引き摺られて"has"とするわけだが、これは"have"を使うのが正しい」という箇所がありました。誤植ではないかと疑いましたが、例文が二つも載せられていて、どちらも同じ趣旨です。私は本の主張と反対に「直前の"them"に引き摺られて"are"とする間違いが多い」のだと思っていました。【この項は第二版にはありませんので、原著者William Strunk, Jr.の文章ではなく、改訂したE.B. Whiteが追加したものであることが解ります】

これは"One of them are..."あるいは"One of them is..."と同じ問題だろうと思い、Googleで検索してみました。すると、
"One of them are..." 223,000件
"One of them is..." 14,100,000件
…という結果でした。”are"を使っている例は"is"のたった1.6%しかないのです。間違える人が世界中に98.4%もいるということでしょうか?

'Longman Dictionary of Common Errors' (by J.B. Heaton and N.D. Turton, Longman Group UK Limited, 1987)の"one"の項は、以下のようになっています。
One of the eggs were bad. (誤)
One of the eggs was bad. (正)
A phrase beginning with "one of" takes a singular verb. ("one of"で始まるフレーズは単数の動詞で受ける)

'Basic English Usage' (by Michael Swan, Oxford University Press, 1984)の「単数の動詞を伴う複数の表現」という項には以下のような記述があります。
"Expression like 'one of my...' are followed by a plural noun and a singular verb. ("one of my..."のような表現は続いて複数名詞と単数の動詞で受ける)
例:One of my friends is going to Honolulu."

'The Elements of Style'は、一体どうしたのでしょうか?世界的ベストセラーに間違いがあったのでしょうか?元高校英語教師Diane(ダイアン)に尋ねました。たちどころに納得出来る説明が得られました。

'The Elements of Style'に出ている例:"One of the ablest men who has attacked this problem..."は、後半の"who has attacked this problem..."が形容詞節となって"One of the ablest men"を修飾している。つまり、「この困難に挑戦した人々」は何人もいたのだから、ここでは"has"ではなく"have"でなくてはならない。ここでは"one"に引き摺られてはならないのだそうです。

"One of the eggs was bad."の場合、"of the eggs"は形容詞節ではない(節には必ず動詞が存在しなくてはならない)ので、省略しようと思えば省略出来る。だから、この例では"eggs"の数は無視して"one"に合わせた動詞を選ぶべきなのだそうです。

やはり、ピューリツァー賞受賞の文筆家は間違っていなかったのでした。

(February 20, 2007、改訂May 13, 2011)

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[・] 「負け犬」はいつ負けるのか?

"underdog"という言葉に、日本の辞書の多くが「負け犬」という訳語をあてています。しかし、私が英語の雑誌や本で見る"underdog"の意味はどうも違うという印象でした。「負け犬」ではなく「格下」と訳すのが適切だという例ばかりなのです。以下は日本の辞書の例。

・『研究社・新リトル英和辞典』:「負け犬」、(人生の)敗者、脱落者
・『研究社・英和中辞典』:(試合などで)負けそうな人、敗(北)者、(社会不正などの)犠牲者、敗残者、「負け犬」
・『研究社・リーダーズ英和辞典』:敗者、負け犬、勝てそうもない人、(社会不正・迫害などの)犠牲者、弱者

二つの辞書が「負け犬」と括弧に入れて記述しているのが気になりますが、この括弧は“いわゆる”というニュアンスを篭めているのでしょう。で、『広辞苑』で「負け犬」を引いてみると、「けんかに負けてしっぽを巻いて逃げる犬、競争に敗れてすごすごと引き下がる人にたとえる。例:負け犬の遠吠え」とあります。つまり、日本語の「負け犬」は既に喧嘩(勝負、試合)に敗れた犬(人)なのです。既に負けているわけで、負けた犬【過去形】なんですね。LDCEを引いてみますと、

・LDCE:1. a weaker person, country, etc., that is always treated badly by others    2. a person, team, etc., that is expected to lose in a competition with another

(1)は明らかに「格下」という訳語が正しいことを示しています。(2)は日本語の辞書の「負けそうな人、勝てそうもない人」に相当します。この場合、まだ本当に負けたわけではなく、「格下」なので誰もこの人の勝利を期待していないということを意味します。

LDCEに則って判定すると、「負けそうな犬」(英和中辞典)あるいは「勝てそうもない人」(リーダーズ英和辞典)という【未然形】の状態の訳語は正しいとしても、「負け犬」という既に勝敗が決した後(過去形)の訳語は間違いということになります。

(January 20, 2007)

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[・] 県と冠詞の関係

私の父の書家・高野流居(りゅうきょ)に関するウェブサイトを作りました。【http://www2.netdoor.com/~takano/muan/muan.html】作品の展示が主ですが、人となりについて、父の友人が書かれた新聞記事を転載させて頂くことになりました。それを文字数3.700、ワード数620語ほどに英訳し、元高校英語教師Diane(ダイアン)に点検して貰いました。

彼女がチェックした箇所は全部で42ヶ所。その半分は表現に関するもので、よりよい(解り易い、優れた)表現を目指したものですから、これらは間違いという範疇ではありません。残りの半分は間違いと云えるもので、カンマ2、時制2、数1、そして冠詞に関する間違いが何と16もありました。

つけるべき冠詞をつけなかったり、不要なところに冠詞をつけたり…でしたが、かなりの箇所は何度も登場する"Ibaraki Prefecture"(茨城県)を"the Ibaraki Prefecture"とせよというものでした。あまりの頻度に彼女自身"the"を足しながら、「何で私たちはこう"the"をつけたがるのかしら?」と云うほどでした。私が「(私たちが住んでいる)"Lauderdale County"(ローダーデイル郡)には必ず"the"をつけますか?」と聞くと、「Yes.」と答えました。

Googleで調べてみました。(「英語のページのみ検索」で「フレーズを含む」モードによる検索です)

the Ibaraki Prefecture     616件
Ibaraki Prefecture    167,000件
the Chiba Prefecture     804件
Chiba Prefecture    258,000件

【註:Ibaraki Prefectureの数字にはthe Ibaraki Prefectureの分も含まれているでしょうが、ごく僅かな数字なのでここでは無視します。数字はいずれも2006年12月中旬のものです。何故かGoogleの検索結果は一日違うと大幅に変動することがあり、確実なデータとは云い切れません。傾向を掴むだけと考えた方がいいようです】

これですと、"the"付きの表現は0.3〜0.4%でしかなく、英語圏では"Prefecture"には"the"は不要と考えている執筆者が多いことは明白です。最近大地震があった新潟県も見てみましょう。

the Niigata Prefecture  9,090件
Niigata Prefecture    210,000件

大地震について英語圏諸国で報じられたようですが、やはり"the"抜きが圧倒的です。"the"付きはたった4.3%。

アメリカで"prefecture"に似た行政区画と云えば"State"(州)です。調べると、

the Mississippi State     413,000件
Mississippi State        1,610,000件

…と段違いの結果です。たった26%が"the"をつけているだけ。で、Dianeが「"county"には必ず"the"をつける」と云ったのが正しいかどうか調べてみました。

the Lauderdale County     28,900件
Lauderdale County         439,000件

"the"をつけている表現は6.6%程度しかないことが分ります。

Dianeに上のようなデータをメールで送り、「"the"をつけなければいけないという規則があったら教えてほしい」と頼みました。すると、「"the Lauderdale County policemen"というように"Lauderdale County"が何か(名詞)を修飾している場合にのみ"the"が付けられる。"The Lauderdale County supervisors met in Newton County."では"supervisors"(監督官)を修飾しているので"the"が必要だが、"Newton County"は単なる地名なので"the"を付けない。だから"Ibaraki Prefecture"にも"the"は要らない」という返事でした。多分、文法書か何かで確認したのでしょう。添削の時と正反対の答えでした。

「英米人が常に文法的に正しいわけではない」と云えると思います。英語の先生でさえこれですから。われわれ日本人の日本語が、常に文法的に正しいわけではないのと同じでしょう。英米人の説明も時に眉に唾して聞かないといけません。

(December 20, 2006)

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[・] 県と州

2006年11月04日、asahi.comに次のような記事が掲載されました。

「第4のひれ持つイルカ発見 退化したはずの後ろ脚?

 和歌山県太地町立くじらの博物館は4日、胸びれ、背びれ、尾びれとは別に生殖器の脇に第4のひれを持つイルカを捕獲した、と発表した」

翌11月05日、当地の新聞にAP発として同じニュースが掲載されましたが、この中に"Wakayama prefecture (state)"という表現がありました。読者に"prefecture"は"state"みたいなものだと、括弧内でヒントを与えているわけです。ダイヴァーたちがイルカを押さえ、四つめのひれ(二枚組)を見せている写真の説明にも"Wakayama prefecture (state)"とあり、合計二回出て来ました。

つまり、アメリカの読者には"prefecture"という言葉がいかに馴染みが少ないかを物語っているようです。『研究社 英和中辞典』によれば、「prefecture:(フランス・日本などの)県、府」とあり、英米には"prefecture"が存在しないことが分ります。確かに日本の県はアメリカの"state"ほど独立・自治のシステムではないので、"state"としなかったのは賢明だったかも知れません。しかし、英米人には分りにくい概念となっていることも否めないようです。

「英語だから通じる筈だ」と思い込み、これまで私は何の不安もなく"I'm from Ibaraki Prefecture; north of Tokyo."などと云っていましたが、英米人にどれだけ正確に伝わっていたか疑問です。日本に来たことのある外人ならおぼろげにでも大きな行政区画だと理解してくれるでしょうが、中には初めて"prefecture"という言葉を聞く人々もいると思わなくてはなりません。

(December 20, 2006)

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[・] 知ったかぶり

当地の大手スーパーWalmartには眼鏡売り場(直営ではなくテナント)があります。そこで色々な眼鏡を眺めていたら、黒人の中年女性店員が"May I help you, sir?"と近づいて来ました。

彼女は眼鏡の縁が並んだ壁面を指し、「ここは男性用、ここからあそこまでは女性用。このコーナーはどちらにでも」と説明しました。私は最後のコーナーについて"You mean bisexual?"と聞きました。売り場の女性は"Yes, that's right. Thank you." 「そう、それこそ正しい表現だわ。(思い出させてくれて)ありがとう」と云いました。私も気の利いた表現を教えて上げられて満足でした。

家に戻って"bisexual"を調べると、気の利いた表現どころか、私はとんでもない恥さらしな表現を教えたことが分りました。"bisexual"は「両性具有。男女両性に性欲を感じる人」という意味だったのです。

多分、私も彼女も「遠近両用眼鏡」が"bifocal"であることに引き摺られ、似たような構造の"bisexual"を是認してしまったようです。「男女両用(の)」は"unisex"なんですね。

私は眼鏡売り場の彼女が、「このコーナーには男女両性に性欲を感じる人のためのものを揃えています」と得意げに喋っているんではないかと心配しています。

(November 20, 2006)

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