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[風俗・慣習]

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[・] 挨拶の変種

アメリカのPGAツァー(ツァープロ・ゴルファー協会)のTV-CMの一つに次のようなものがあります。趣旨はPGAツァーが経営している超有名コースにアマチュアを呼び寄せようというもの。

アマチュア・ゴルファー四人組がレッスンを受けたり、ラウンドした後、そのコースのロッカー・ルームに行って口をあんぐりします。ロッカーの一つに世界的に有名なプロGraeme McDowell(グレアム・マクダウェル)の名を見つけたのです。彼らの隣りにもっと高名な名人級のTom Watson(トム・ワトスン)がやって来てアマチュアたちに"Hi, guys!"(こんちわ)と声を掛けます。アマチュアたちが驚いていると、彼らの背後で"Tom!"という声(上昇気味のイントネーション)がして当のGraeme McDowellがロッカー・ルームを通り過ぎて行きます。Tom Watsonは"Graeme!"(同じく、上昇気味のイントネーション)と応じます。呆然とするアマチュア四人組。

このCMは、「プロもしょっちゅうプレイしているコースなので、あなたも彼らと身近に触れ合えますよ」という期待を抱かせる仕組みです(私にはちと誇大宣伝に思えますが)。

ここで印象的なのは、Graeme McDowellが"Tom!"と声を掛け、Tom Watsonが"Graeme!"と応じていることです。お互いに名前だけで呼び合っていて、「お早う」とも「こんちわ」とも云っていません。

同じことを、私は自分のゴルフ仲間と経験しています。彼らの多くは朝一番で出会った時、"Eiji!"(エイジ!)と声を掛けて来ますが、何か私に用事があるわけではなく、それが「お早う」の代わりなのです。

私のゴルフ仲間の一人が、近くを通りかかった芝刈りの係に"Johnny!"(ジョニィ)と声を掛ける場面にも遭遇しましたが、この場合も何か彼に話しかけるマクラではなく、やはり「お早う」の代わりであり、それで終りでした。

日本で同じようなことがあるかどうか考えてみました。高校や大学、会社の同期の間で、その日初めて出会った場合に「吉田」、「おう、高野」などと云い合った記憶はあります。これも別に用事があるわけではありませんでした。云ってみれば、「お前を認識したぞ」という感じです。無視はしていない、さりとて他の挨拶をするほどではなく、そんなことをするとよそよそしくなるという間柄です。

しかし、日本で近所の人、知り合い、同僚、上司、顧客などに名前だけで呼びかけるという習慣を見聞きしたことはありません。全般的には英米特有の風習と云っていいように思えます。

(December 20, 2011)

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[・] OKのサイン

[OK]

日本の本で、「日本では親指と人差し指で丸を作ってOKを意味するが、外国ではこれは卑猥な意味になるので避けた方がよい」と書いてあるのを読んだことがあります。外国というのがどこだったのか覚えていませんが、これはアメリカには当てはまらないようです。

確かに、親指と人差し指の丸でOKとするよりも、親指を立てて"OK"あるいは"Good"、"Fine"などを示す方が多いと思います。親指と人差し指の丸も、少ないですが映画かTVで見たことがあります。

右の図を御覧下さい。これはアメリカのある「クリップアート集」(商品)の中の一つですが、この図のタイトルは"Okay"となっています。この作者はこのサインを日本と同じ感覚で採用しているわけです。

なお、親指と人差し指による丸は「ゼロ」と解釈される場合があります。

日本では親指と人差し指による丸が「お金」を意味することがありますが、これは欧米では通じません。

(November 30, 2011)

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[・] 握手

以前日本の本で、《欧米では男性から女性に握手しようとしないこと》というマナーを読んだことがあります。「握手をするかどうかを決めるのは女性であり、男性から手を差し出して握手を強要してはならない」というものでした。女性はあまり親しくない相手との皮膚の接触を嫌う傾向があるから…という趣旨です。逆に女性は、誰にでも手を差し出していいのだそうです。

たまに上のマナーを忘れて、女性に手を差し出してしまったことがありますが、あちらは嫌な顔はしないで応じてくれました。

そのマナーに変化があったのか、そもそもアメリカにはそんなマナーがなかったのか、最近TVコマーシャルを観ていて、男性から女性に手を差し出すいくつもの場面に気づきました。友人とかいう設定ではなく、会社従業員(店の係とか外交員)の男性と主婦という設定です。コマーシャル製作は企画から放映までにかなり大勢の人間が関与しますから、「やってはいけないこと」、「悪いマナー」などは製作過程で排除されるのが普通でしょう。ですから、これらのCMが世間に公開されているということは、男性から手を出すのが悪いマナーとは思われていないということを指しています。時代による違いでしょうか。

Googleで"manner handshake lady OR ladies OR woman"として検索すると、いくつかのサイトの質疑応答が見つかります。社交の場合には《男性は女性が先に手を出すまで待つ》という古典的なマナーがまだ存在するようですが、ビジネス・シーンでは異なることが分ります。例えば大勢のビジネス・ミーティングで男性同士だけが握手し、男性が女性には手を出さずにパスすると、女性だけを蔑視しているような恰好に見えるます。ですから、《ビジネスの場面では性別を度外視して握手する》のが正解だそうです。

【追伸】2017年のPGAツァー・トーナメントの一つのTV中継で、NBCのアナウンサー(男性)が大会主催者代表を迎えてインタビューしました。その代表はさる企業の女性役員。インタビューの最後にアナウンサーは女性に手を出し、握手。やはり、時代は変わったのです。

(November 30, 2011、追伸September 24, 2017)

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[・] フトンとマンション

大都市の看板で"Futon"と書かれたものを見たことがあります。「えっ、日本の布団も有名になったもんだなあ」と思いました。全然違うものなのでした。

当市のスーパーでFutonを売り出しましたが、ソファ兼ベッドになるというだけのもので、布団とは似ても似つかぬものです。どこをどうすれば、こうも違うものに同じ名前が付けられるのか? 以下のページの"western style"を参照して下さい。

http://en.wikipedia.org/wiki/Futon

ここの説明では「大体において木や金属の枠の上にフトン式マットレスがセットされていて、長椅子にもなればベッドにもなるもの」となっています。要するに、“広げて寝ることも出来るし、畳むことも出来る”という意味で"futon"と称されているようです。

ま、アメリカやヨーロッパのものが、言葉は同じでも日本では別ものになっていて英米人たちを驚かせることもあるわけで、彼らだけを非難することは出来ません。そういう最大のものは"mansion"(マンション)でしょう。mansionは「館」、「大邸宅」であって、日本ではそうお目にかかれるものではありません。大きな鉄の門があり、広々とした庭園を分断する長い車道を経て、やっと玄関の車寄せに到着すると客室数30、執事・家政婦・コック・女中・庭師などが住み込んでいるというような館がmansionです。日本のマンションは上げ底どころか針小棒大、大嘘つきの表現です。

(October 30, 2011)

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[・] 売り場案内

アメリカのお店で「○○はどこにありますか?」と聞くと、相手が白人の店員であればほぼ90%、黒人であれば80%ぐらいの確率で、彼らは"Follow me, please."とか云って先に立って歩き出し、私が尋ねた商品のあるところまで案内してくれます。

本気で買いたい品物ならいいのですが、「ただ現物を見たいだけ」とか「値段を知りたいだけ」などで買う気がない時は、数分も歩いてくれる店員に悪い気がします。

「そのアイル(通路)の番号を教えてくれるだけでいい」と遠慮しても斟酌せず、やはり先に立って歩いて行ってしまいます。ひょっとすると、その店員も記憶がおぼろで確実には云えず、自分でその場に行ってみないといけないのかも知れません。あるいは、「必ず現物まで案内せよ」と教育されているのかも知れません。

白人の店員でも、商品の入れ替えや補充などで忙しい場合は、「あ、それは8番の通路の右ですよ」などと云う場合もあります。店員の個性で、愛想良く案内してくれる人もいれば、「仕事だから仕方がない」という感じでぶっきらぼうな人もいます。しかし、アメリカのスーパーやグロサリ・ストアでの売り場案内で失望したことはありません。

(September 10, 2011)

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[・] 続・おめでとう

日本の英語本のいくつかで、「花嫁に向かって"Congratulations!"と云ってはいけない。それは『あんたのような女性でも結婚出来てよかったね』という意味になるからだ」という記述を目にしたことについて、『英語の冒険』正篇【風俗・慣習】の「おめでとう」に書きました。

数年前に結婚した女性に聞いてみたところ、「30人ぐらいから"Congratulations!"と云われた」とのこと。もう一人、つい最近結婚した女性にも尋ねると、「大勢から云われた。嬉しかった」という答えでした。たった二件とはいえ、彼女たちもその友人・知人・親戚など多くの人々が、"Congratulations!"と云うと「結婚出来てよかったね」という意味になるなどとは考えていないことが分ります。私がアメリカ南部に住んでいるせいか、日本の英語本が古い常識に基づいているのか、単純な誤解であるか、勝手な解釈なのか疑問に思ってググってみました。

'Yahoo! Answers'に明快な答えが載っていました。【http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20081102185003AAx7xfb】「"Congratulations!"は何かをwinningした(勝ち得た)ことを祝福する言葉である。大勢の求婚者を押し退けて幸運にも素晴らしい花嫁を獲得したという思い入れで、花婿には"Congratulations!"が相応しい。花嫁に"Congratulations!"と云うと、大勢の女性を出し抜いて幸運にもいい花婿を獲得したという意味になって失礼である。だから、花嫁には単に"Best Wishes!"(お幸せに!)と云う」という趣旨の説明がありました。

ただし、いくつかの回答は「どっちにも"Congratulations!"と云う」となっており、上のような慣例を知らない世代が増えているいることを示しています。

(August 10, 2011)

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[・] 局部麻酔

歯医者に行かねばならなくなりました。局部麻酔をされて治療を受け、まともに喋れない状態で会計を済ませました(保険掛けてないので高かった!たった一回で$240!)。看護婦に聞くと、「一時間で麻痺は消えますよ」とのことでしたが、消えたのは四時間も経ってからでした。

別項で、小柄な日本女性に平均的アメリカ人女性の薬量を与えられると効き過ぎるという話を紹介しましたが、日本人男性の平均的体型である私に与えられた麻酔薬も過剰だったと云えそうです。

口の周りに麻酔が効いていると、水や味噌汁を飲むのが困難になります。とても食事を味わう雰囲気にはなれません。しかし、アメリカの医師・看護婦たちは患者の体重によって麻酔薬を増減するなどという、高度で柔軟な調整法を考えていないようです。彼らはアメリカ人の平均値だけを念頭に、それをわれわれに押し付けている感じです。

(July 20, 2011)

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[・] 『四谷怪談』の字幕が象徴するもの

最近、CATVの映画チャネルの一つTurner Classic Moviesが『東海道四谷怪談』(中川信夫監督、天地 茂主演、新東宝、1959)を放送しました。これは出来るだけ鶴屋南北の原作に近いものを…という思い入れで作られた映画だそうです。

[Crane]

殺された父の仇討ちの旅に出た長女・お岩は、助太刀役の元・夫の民谷伊右衛門(たみや・いえもん)と共に江戸にのぼり、裏店で細々と暮らしています。二人の間には赤ん坊が出来ていますが、民谷伊右衛門は貧乏な浪人暮らしと、愚痴ばかりこぼすお岩に嫌気がさしています。たまたま人助けしたことが縁で、民谷伊右衛門に仕官の口と武家の娘・お梅との縁談が一挙に舞い込みます。お岩が邪魔になった民谷伊右衛門は、南蛮渡来の毒薬を「血の道に効く薬」と偽って服ませ、お岩を殺そうとします。毒薬はお岩の顔を化け物のようにし、お岩は夫を怨みながら自害して果てます。

死んだお岩は、醜い顔で「怨めしや〜、伊右衛門殿」と云いながら、何度も何度も民谷伊右衛門の前に化けて出て、彼を狂わせます。で、この「怨めしや〜、伊右衛門殿」ですが、英語の字幕では単に"Oh, hateful Iemon!"と云うだけです。つまり、「伊右衛門殿」という敬語表現は無視され"Iemon"と呼び捨てにされているのです。

お岩の「伊右衛門殿、よくもこの私に毒を服ませたな」という恨み言も"Iemon...how could you give me poison to drink?"となっています。

お岩を毒殺した後、民谷伊右衛門はお梅との祝言を挙げます。そのお梅は彼を「伊右衛門様」と呼ぶのですが、これも字幕では単に"Iemon!"と呼び捨てです。

これは実は翻訳した人も困った事柄だったと思われます。妻は他人ではないので"Mr. Iemon"とは呼べず、妻は家来ではないので"Sir"とかmilord"(御前)と呼ぶわけにも行かず、妻は奴隷ではないので"Master"(御主人様)と呼ぶのもおかしい。

そもそも、英米では夫に敬称を付けて呼ぶ風習がないので、敬称を付けると夫婦の会話に思えないということもあるでしょう。で、「敬称略」になってしまったようです。

似たようなケースをもう一つ。

日本映画が庶民を描くと、妻を「かあちゃん」、夫を「とうちゃん」と呼び合う夫婦がよく登場します。これも英語字幕では無視され、それぞれの名前の呼びかけに変えられます。
夫:「かあちゃん、腹減ったぜ」
妻:「とうちゃん、飯はもうじきだ」
これを、
夫:"Mom, I'm hungry."
妻:"Dad, meal is almost ready."
…などとしたら英米人には「どういう関係なんだ、この二人は?」と思われてしまいます。英語字幕では"Tomi, I'm hungry."、"Tatsuzo, meal is almost ready."という風になりますが、妻が夫を「辰造」などと呼び捨てにしない日本では、逆にこれは違和感がありますね。

もともとは、幼い子供に「母ちゃん」、「父さん」、「ママ」などという言葉を教えているうちに、夫婦もその呼び方に慣れてしまうというパターンに違いありません。
「母ちゃんのとこへ行きなさい」
「パパはもうすぐ帰って来るからね」
…などと子供に云っているうちに、お互いも
「お父さん、今日は真由美の誕生日ですからね。早く帰って下さいよ」
「ママ、この茶碗蒸し、美味しいじゃないか」
…などと云うようになるわけです。

カミさんに話すと、アメリカでも妻を"mamma"、夫を"daddy"などと呼ぶ夫婦もあるそうですが、どちらかと云えば古い世代に多く、最近は云わないようだとのことでした。カミさんの知人の一人は夫のことを話すのに"Mr. Smith told me that..."などと云うそうですが、これは相当変わった人みたいです。

【おことわり】画像はhttps://upload.wikimedia.orgにリンクして表示させて頂いています。

福田恆存訳の『マクベス』を読んでいましたら、次のような箇所がありました。

「侍者登場。
マクベス夫人 何か用が?
侍者 王様が今宵こちらへお成りとのことでございます。
マクベス夫人 何を言いだすやら! マクベス殿も御一緒のはずではないか?」【第1幕第五場】

これは「伊右衛門殿」と同じです。さて、Shakespeare(シェイクスピア)はどう書いているのか?

Lady Macbeth "Is not thy master with him?"

「お前の御主人が一緒ではないのか?」と、家来の立場から婉曲に自分の夫を呼んでいます。福田恒存はこの"thy master"を「マクベス殿」と意訳したわけです。私が推察したように、"my master"だと、妻が夫と主従関係になっちゃうので、Shakespeareはそんな書き方はしませんでした。

では、他の訳者たちは?先ず、小津次郎訳。

「マクベス夫人 旦那様はごいっしょではないの?」

これだと城の主(あるじ)なのか商店主なのか判然としませんね。次は坪内逍遥訳。

「マクベス夫人 王のお傍には殿がお在(いで)だろうぢゃないか?」

領主の妻が夫を「殿」と呼ぶのは、映画などで聞き慣れていて、違和感がありません。マクベスが王を暗殺して自分が王になると、マクベス夫人は正式に"My lord"「殿」と云うようになります。

(June 10, 2011、追記October 05, 2017)

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[・] 卒業パーティ

私が日本語を教えている高校生Bryan(ブライアン)の卒業パーティに招待されました。彼の同級生ばかりのところに混じっても違和感があるなと渋ったら、そうではないとのこと。で、OKしました。

後日正式の招待状が届き、「ハリウッド・スタイルのパーティなので、好きな俳優のコスチュームで来てほしい」と書かれていました。仮装パーティですね。そういう面倒なパーティなら断りゃよかったと思いましたが、手遅れです。しかし、こんな田舎町でちゃんと仮装して来る客が100%いるとは思えません。普段着の人も大いに違いないと思いました。で、私はお手軽に浴衣をまとい、口髭をつけるだけで'A Shot in the Dark'『暗闇でどっきり』のクルーゾー警部に化けることにしました。

Bryanの父親はカシノのコンピュータ技術者だそうで、いい給料を得ているらしく、町から40分も離れた郊外の高級住宅地に住んでいて、家も結構豪華です。30人前後の参加者でしたが、若者は10人に満たず、ほとんどは成人でした。高校の先生が数人、事務職の女性、父親・母親の友人たち、Bryanと父親のテコンドーの先生、その他。想像通り、仮装して来たのはほんの一握りでした。70歳近い老婦人が'Some Like It Hot'『お熱いのがお好き』のマリリン・モンローのような衣装でやって来て、最も異彩を放っていました。偽の煙草を挟んだ長い優雅なパイプまで手にしています。娘のパーティ用衣装を借りて来たのだとのこと。

その御婦人に聞くと、卒業パーティというのは珍しくなく、彼女の娘二人にもパーティを開いたことがあると云っていました。同級生も招くが、親の交際範囲の友人・知人や親戚を招ぶのだそうです。「クラスの全員がパーティを開いてお互いに招待し合うのですか?」と聞くと、「全員が開くわけではない」と云っていました。そうでしょう。全員が開くのなら、合同パーティにする方が賢明です。要するに、金持ちの家が開くだけという感じのようです。

ホストの一家(両親、息子、娘)は映画スターに扮してはおらず、男は黒の背広、女は黒のドレスで、何やら喪主の一家みたい。多分、ゲストにサーヴするウェイター、ウェイトレスという思い入れなのでしょう。客はダイニング・キッチンに招じ入れられたのですが、ホストである両親は料理に忙しく、客と話しをする暇などないようです。これなら、ポットラック・パーティ(料理持ち寄りパーティ)の方がずっといいと思いました。客が来ているのに忙しく料理に励むなんて、昔の日本の嫁さんみたいでナンセンスです。付け加えると、料理やプレゼントを持って来た客も数人いましたが、大多数は手ぶらでした。私はBryanに(お金では買えない)プレゼントを渡しました。

ワインやコークを呑みながらスナックを摘み、手近の人々と談笑します。一時間も経った頃、父親とBryanが客を三つのグループにわけ、「映画トリヴィア・クイズ」を行ないました。有名な映画の台詞が問題で、それを云った役名と俳優名、公開年を当てろというものです。公開年まで当てるのはちと難しい。ヒットした映画の監督名、公開年、興収を当てろというものもありました。

それが終ると、料理が出来るまで「ご歓談下さい」ということで、Bryanは同級生たちとカード・ゲームを始め、帰宅する客も出始めました。私は不案内な田舎道の夜間運転をしたくなかったので、早めに引き上げて来ました。

食後のデザートにBryanの写真がついたケーキ(表面に写真が食紅で印刷されている)も用意されていました。他のゲームもあるらしく、景品が並んでいました。ただ、ハリウッド・スタイルを押し売りした割にはそれで統一されているわけでもなく、客を楽しませるというより、息子を自慢するのが趣旨のパーティに思えました。それにしては、あまりBryanに脚光が当たっていませんでしたが。

後でBryanに聞くと、このような卒業パーティを開くのはクラスでも一人か二人だそうです。"Senior Party"というのがあり、これは最終学年に達したお祝いのパーティで、多くの生徒が第一学期終了後に開催するそうです。

(May 10, 2011)

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[・] 洋式バスについて

そろそろネタがなくなって来ましたので、思いつくことを何でも書いておこうと思います。日本でもホテルや洋風住宅で、風呂とは違う"bath"(バス)の経験も広まっているのは知っています。ですから、これは日本式の風呂にしか慣れていない方が、初めて海外旅行(生活)をする場合のための老爺心に過ぎません。

洋式バスでは、全てを浴槽内で済ませなくてはなりません。そのため、湯水をバス外に飛び散らさないため、カーテンで遮断する必要があります。ホテルのバスではカーテンはヴィニール製一枚のことが多いのですが、個人のお宅であれば、外側にもう一枚布製のカーテンがくっついていることがあります。原則として、ヴィニール製カーテンは浴槽の中に入れ、布製は外に垂らしておきます。ヴィニール製カーテンは実用、布製カーテンは飾りです。

ヨーロッパのホテルに滞在した時のことですが、浴槽の上に紐がぶら下がっていました。洗濯物を干すための紐かと思って引っ張りましたが、長さが足りません。「何なんだ、これは?」と思っていたら、ドアが叩かれボーイが侵入して来て「大丈夫か?」と聞きます。その紐は客が非常の際にボーイを呼ぶための仕掛けだったのです。私は一回の海外取材で二回も紐を引っ張ってしまい、二つのホテルを騒がせてしまいました。ヨーロッパの古いホテルのバスの上の紐は引っ張ってはいけません。

日本のお風呂のいいところは、湯の外で身体を洗うことが出来る点です。欠点は、一番湯でない限り人が浸かった湯に自分も浸からなければならないことです。これは西洋人には我慢ならない欠点かも知れません。バスのいいところは、誰もがまっさらな湯に浸かることが出来る点です。欠点は身体を洗った後、自分の身体から出た垢にまみれて温まらなくてはならないことです。どちらも一長一短です。

私のアメリカ人の友人の一人は、体重が約80キロありました(現在は68キロ程度)。その頃、湯を溜めたバスに入ると、どんなに湯を少なくしても湯が浴槽外に溢れてしまうので、シャワーしか使えないと云っていました。ま、巨体の人には日本の風呂でも同じ悩みがあるかも知れません。シャワーを備えていない純日本式風呂の場合、彼はお手上げですね。

カミさんの両親の家の浴室にはガスによるヒーターが備え付けられています(マッチが必要だし、誰も使っていないようですが)。私のアパートの浴室は大きな500Wクラスのタングステン電球を備えています。読書灯かと思ったらそうではなく、ガス・ヒーターの代わりに浴室を暖めるためのものだそうです(マネージャー談)。どちらもバスから上がった時に身体を冷やさないための配慮です。しかし、ランプで浴室を暖めるというのはエネルギーの無駄遣いに思えます(効率が悪い)。

ホテルなら何の心配も要りませんが、もし知人・友人宅のバスであれば、出る前に浴槽の水を抜いた後、垢がこびりついていないかどうか点検しましょう。特に湯が張ってあった水平線が要注意です。後に入る人のために、垢を落しておくべきです。

浴室には換気扇を備えているのが普通です。季節にもよりますが、浴室内の湿度を下げるため、換気扇を廻した方がいい場合があります。

(April 20, 2011)

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[・] ハンカチ

日本でハンカチーフを持って歩かない人というのがどれ位か分りませんが、多分持って歩く人の方が多いのではないでしょうか?『青い山脈』時代の高校生は腰に手拭をぶら下げて歩いていましたし、私が高校生の頃はハンカチを必ず持って歩いていました。会社勤めを始めたら、家を出る時にハンカチを持って来るのを忘れることが多く、仕方なく会社の売店で買ったハンカチがどんどん溜まる始末でした。

外国映画にハンカチで鼻をかむシーンが出て来るので、カッコいいと思って真似したことがありますが、あれはハンカチを使い捨て出来る金持ちのやることですね。時間が経つとごわごわになるし、汚くてとても洗う気になれません。一度で凝りました。あれはティシューが無い頃の欧米で、仕方なくハンカチを使ったのではないでしょうか?遠い昔から懐紙・ちり紙というものがある日本では、鼻はちり紙でかみ、洗った手は手拭で拭くという習慣が出来上がっていました。非常に衛生的でエレガントだったわけです。

日本の都会では、宣伝文句の入った携帯用ティシューをタダで配ったりしています。あれは広告としても有効だし、人のお役にも立つという世界に誇るべきグッド・アイデアです。

私の見聞の多くはアメリカ南部ですので先ずそれをお断りしておきますが、こちらでハンカチを使っている男性を目にしたことはありません。あるかも知れませんが記憶にない。深南部は貧しいところだからハンカチなんか買えないんだろう…とは云えません。いくら貧しいミシシッピ州であっても、ショッピング・モールやグロサリ・ストアのお手洗いなどには洗った手を温風で乾かす器械が備え付けられていますし、レストランのお手洗いには厚めのティシューが備えてあり、ゴルフ場などでは手を拭くペーパー・タオルをセンサーで自動的に一枚分出す器械があったりします。ですから、男性にとってはハンカチは要らないのでしょう。彼らは携帯用ティシューなども持ち歩きません(私は持って歩きますが)。

一般のアメリカ人男性には、礼装の際に胸ポケットに入れるハンカチ一種類だけが必要なのではないか?というのが私の印象です。

(March 10, 2010)

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[・] 馬の口

別居中のカミさんがNew Orleans(ニュー・オーリンズ)へ行った際、味噌とか大根、茄子などを買って来てくれました。彼女の車の中にフランスパンの長い包みがあるのを見て、私は「フランスパンも買ったの?」と羨ましそうに云いました。【註:New Orleansはフランス領だったことがあるので、フランス系の料理、食品も豊富なのです】カミさんは「欲しい?」と云い、パンを半分に千切ってくれました。

その千切る動作(やけに簡単だった)で判断がついた筈でしたが、私はうっかり見過ごしてしまいました。貰ったパンはスカスカで、トーストしても空気を食べているような感じなのです。私の好みのフランスパンは、噛み応えがあって、噛むほどにじんわりと味が滲み出て来るようなものです。

翌日、私は一口食べただけのパンをカミさんに返しに行きました。彼女は驚き、非難するように"Don't look a gift horse in the mouth."(貰った馬の口を調べるな)と云い、「そういう態度だと何も貰えなくなるわよ」と警告しました。私は「でも、黙ってゴミ箱に入れるより、好きな人に食べて貰う方がいいんじゃない?」と応じました。「まあそうだけど…」と云いつつ、彼女は納得した風ではありませんでした。

 

馬の売買では必ず馬の口を調べます。馬の年齢や健康状態が一目で解るからだそうです。"Don't (= Never) look a gift horse in the mouth."という諺は「贈呈された物は黙って有り難く受け取り、品物の善し悪しなどを検討するべきでない」という意味で使われます。

カミさんがわざわざ私のためにフランスパンを買って来てくれたのなら、私も考えたでしょうが、彼女が自分のために買って来たものを分けて貰っただけですから、一寸意味合いが異なります。そして、私は食べずにパンを黴びさせるよりは、カミさんに返すべきだと思ったのです。

いくつかの謎が解けました。以前、私の好みの調味料を上げた夫婦は一寸試してみて、「不味い」と捨ててしまったそうです。私に返そうなどという気は全く無し。私が(お古とは云え、まだ使える)電気釜を上げた夫婦は、一回試しただけで「うまく炊けない」と捨ててしまいました。この場合も、もし連絡してくれれば私は引き取りたかったのに…。どちらの場合も、「貰った馬の状態について文句を云うよりは、捨ててしまう方が無難」というアメリカ流思考法だったようです。

確かに手作りの料理などを批評するのは失礼でしょう。上げた方も傷つき、「そんなに味にうるさいのなら、もう上げるのはよそう」という気になります。私だってそうします。しかし、調味料だの電気釜について好き嫌いを云われても、私は傷つきません。いいものだと思うから上げたのですから、返されてもまだ自分の手元にある方が役立つわけです。それをゴミとして処分されたのではこちらの好意が無にされたどころか、侮辱されたような気にさえなります。

私はアメリカ人(あるいはアメリカに住んで長い日本人)に何かを上げる場合、「気に入らなかったら返してね」と云うようにしています。捨てられたのではたまったものではないからです。

(February 20, 2011)

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[・] 振替休日

アメリカにも当然振替休日はあります。祝日が日曜と重なった場合は月曜が振替休日です。ではそれを英語で何と云うかですが、『研究社 英和中辞典』ですと"a holiday in lieu"、"a substitute holiday"などとなっていますが、こういう表現は聞いたことがありません。

Veterans Day(11月11日)と土曜が重なった2006年、当市の公立図書館が次のような掲示を出しました。

"The Lauderdale County Public Library will be closed Monday November 13th in observance of Veterans Day."

"observe"には「(慣習に従って)祝う」という語義があります。

2006年のアメリカのカレンダーを見ると、Veterans Dayの振替休日は表示されていませんでした。この年のVeterans Dayは土曜日に当たり、日曜ではなかったからでしょう。郵便局(国営)は普通働いている土曜に休み、月曜は営業していました。図書館も通常土曜はオープンし、日曜が閉館日ですから、上の扱いは一寸おかしいのですが。

カレンダーで他の休日を調べると、簡潔に"Memorial Day observed"などと印刷されていました。

【註】Veterans DayはVeterans' Day、Veteran's Dayなどとも書かれるようですが、英語版Wikipediaも当地の新聞記事も、またこの日のスケジュールを掲載した(復員軍人の組織による)新聞広告もVeterans Dayでした。

(October 10, 2010)

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[・] 親しき仲には礼儀なし

私のゴルフ友達Mike(マイク、60代後半)は、私の町から車で40分ほどのアラバマ州の小さな町に住んでいます。彼は私とゴルフしにはるばる車でやって来ます。私は自家用のゴルフカートを持っているので、彼を乗せてラウンドします。

いつの頃からか、彼はラウンド終了後に缶ビールを私に奢ってくれるようになりました。私がコースにゴルフカートを置いておくにも、動かすためのガソリンにも経費がかかっているので、乗せてくれた感謝の意思表示ということなのでしょう。私は彼が往復80分ドライヴするガソリン代に較べれば、カートの経費など知れたものだと思っていますが、彼は夫婦で車を三台も持っているという結構贅沢な暮らしをしているので、有り難くビールを飲ませて貰っています。

そんなMikeですが、私にはいささか理解しかねる傾向があります。彼は自分が飲んだ水の空き瓶やお菓子の包装紙などのゴミを、私のカートに残して平気なのです。ビールを奢って貰っていなければ、嫌味の一つも云いたいところです。また、彼は自分のバッグを車に入れ、靴を履き替えると、さっさと車で去って行きます。私が彼が残したゴミを捨て、カート置き場にカートを戻すのを待っていたりしません。私なら、カートに乗せてくれた人が車に戻ってくるまで待ち、一緒にゴルフ場を出ることでしょうが。

でも、まだMikeはいい方です。私がよくゴルフするグループの一人にDon(ドン、70代)という男がいます。彼は「今日は地面が湿っているから、カートでフェアウェイを走るな」とか、ある日彼を車に乗せた時などは「アメリカでは追い越し車線は空けて、走行車線を走るのがマナーだ」とか(日本だって同じだい!)、まるでお巡りみたいなことを云います。

彼を車に乗せたのは、私がアレンジしたゴルフ・グループのメンバー集めのPRをラジオでして貰うためでした。当日の朝になって、「車が壊れた」と彼から電話。行きがかり上仕方なく私が彼の家まで迎えに行き、ラジオの生放送に間に合わせ、放送終了後に彼の家まで送り届けました。彼は"Thanks."とは云いませんでした。私が彼に依頼した出演であって、私が面倒見るのは当然だ…という考えからか?と思いました。別に私の利益のためのPRではなく、グループ全体のためのPRだったのですが…。いずれにせよ、私の心に澱(おり)が残りました。

しばらくして、Donに無料でカートを貸していた男がもう貸してくれなくなったとかで、Donは誰かに乗せて貰わないとわれわれのグループでプレイ出来なくなりました。その最初の日に、彼は私と一緒の組になり、私のカートに同乗することになりました。私は彼にビールなどは期待しませんでしたが、当然感謝の言葉は期待していました。彼は"Thanks."の一言もなく、カートからバッグを下ろして自分の車に積みかえて、「又な」と云っただけでした。

私は次にDonが「乗せてくれ」と頼んでも断る気になりました。他人にはマナーを説く癖に、自分のマナーの欠如に気づいていないわけです。彼にカートを貸していた男も、Donの「常にガソリンを満タンにしてるから文句ないだろ」というだけで、感謝の意思表示をしない態度に愛想が尽きたのではないかと推測しています。

【追記:私の推測通りでした。Donにカートを貸していたBillyに聞いたところ、「Donへの好意は一方通行に過ぎなかった」と漏らしました。やはり感謝が足りなかったのです。Donは、現在別のゴルファーからカートを借り始めましたが、はて、いつまで続くことやら】

前にも書いたように、アメリカ人は奢って貰ったり、プレゼントを貰っても、一度"Thanks."と云えばそれでお仕舞いですし(日本人のように、後日も礼を云ったりしない)、別れも姿が見えなくなるまで見送るなどということをせず、その場でくるりと反転して振り返りもしないのが普通です。埋葬でも、お棺が穴に下ろされたら、その時点で妻子も親戚・友人も全部ぞろぞろと引き上げてしまいます。最後まで別れを惜しむなどということはしません。これら全ては日本人の情念からすればかなり物足りないところです。ですが、それが国民性なのですから仕方ありません。

とは云え、いくら何でも「親しき仲にも礼儀あり」、「立つ鳥後を濁さず」ぐらいはアメリカであっても良識の範囲でしょう。以上挙げた例は私が不幸にも遭遇した残念な例であって、アメリカ人一般の傾向ではないことを祈っていました。上の話をカミさんにしたら、「感謝しないのはアメリカの一般的傾向になっている」そうです。ある祖父が孫にプレゼントしたのに、孫は感謝しなかった例があり、それはその親の躾・教育が悪いからだという結論に達したそうです。その親を躾けたのはその親(孫の祖父と祖母)ですから、かなり前の世代に責任があるということになります。

(September 10, 2010)

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[・] BOGOとクーポン

私の町のローカル紙に"Tips from the Coupon Queen"(クーポン女王の智慧)というコラムが毎週掲載されています。地方記事ではなく全国規模の共同配信記事です。私はあまりクーポンに興味は無く、毎日曜の新聞に混じってどさっと配達されるクーポンの束に辟易しているクチです。見もしないで捨ててしまうのが常。しかし、このクーポン女王の記事はスーパー業界の舞台裏やカラクリ、ショッピングのコツなどが含まれていて興味深く読んでいます。

クーポンというのは、何らかの理由で製造元がある商品の販売促進を狙って供給するものです。「何らかの理由」というのは(推測ですが)新製品の宣伝、他社の新製品に対する反撃、旧製品の売り尽し…などであろうかと思われます。で、客にはディスカウントし、定価との差額は製造・販売元がスーパー、食料品店に払い戻すというシステムなのだそうです。落語のような「三方一両損」ではなく、製造者・購買者・販売者の三者が満足出来る「三方一両得」ということになります。

ある日のクーポン女王の記事に"BOGO"という言葉が出て来ました。何の説明もないので不可解でしたが、文脈から"Buy One, Get One Free"(一つ買えば、もう一つはタダ)の略だと解りました。しかし、この文句は"Free"(タダ)という部分が重要なので、その"F"を無視した"BOGO"という略語は無意味だと思います。ただ"BOGOF"という表記が字面も語呂も悪いのは確かで、それで執筆者は"BOGO"と書いているのでしょう。

私の町で"BOGO"を実施している食料品店の一つは主に南部でチェーンを展開しているWinn-Dixieで、日用品や薬局も備えた大規模なサイズの商店です。ここの"BOGO"には主に冷凍の魚肉フィレと肉やハムのパックなども含まれています。貧しい私にはこのセールはとても有り難いものです。私の好物は鶏のもも肉なので、十個入りジャンボ・パックが売り出されると必ず購入します。この店では商品に"Buy 1 Get 1 Free"というシールを貼っており、「この品の価格と同等かそれ以下の品が無料」という但し書きがあります。鶏もも肉の場合、$6.56と$7.02のパックの二つを選んでレジにに行くと、高い方の$7.02がレシートで請求され、もう一つの方は「-$6.56」とマイナス・サインがついて、これは請求から除外されます。

クーポン女王の記事を読んでいて驚いたのですが、店によってシステムが違うのだそうです。記事の例は定価$3.00のピーナッツの瓶が"BOGO"で売られた場合で、ある店は二つの商品を半額にし、それぞれを$1.50としてレシートで計算するそうです。クーポン女王は、「これは正確には"Buy One, Get One Free"ではなく、"Buy Two, each at half price"である」と書いています。この場合、客がこの商品の$1.00ディスカウントのクーポンを二枚持っていれば、二つの瓶をたった$1.00で買える計算になります。"BOGO"より50セント安い!そして食料品店は製造元から$3.00の奨励金を受け取る(損はしない)…と、こういう仕組みです。

クーポン女王は「あなたの町の食料品店がどのように"BOGO"を実施しているか知って、賢くショッピングすべきである」と云っています。

2010年夏、私の町のある食料品店が"Buy One, Get Two Free"というセールを始めました。"BOGO"ではなく、"BOGT"ですね(発音不能)。私は31〜40匹入っている冷凍海老の袋(12 oz.)を一袋$9.99で購入し、もう二袋をタダで貰いました。万歳!

(August 10, 2010、改訂September 24, 2017)

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[・] ズボラなアメリカ建築

建築と云うとちと大仰なのですが、玄関のドアの鍵や電気のコンセント(outlet)など小規模な内装工事の話。

鍵には上下がありますよね。普通シリンダーを回すギザギザのある方が下です。日本に住んでいた時には、何のためらいもなく差し込んで問題なかったのですが、アメリカの家やアパートではドア毎に上下が異なることがよくあります。車のドアでまごついたことはなく、必ずギザギザの方が下ですから、工業部門では方向を一定にするルール(あるいは暗黙の了解)があるのでしょうが、大工が担当する家やアパート、家具等には何のルールも無いようです。

この問題についてアメリカ人に話すと、一様に「錠前を逆さまにすればいい」と云います。私は住人にそんなことをさせるよりも、アメリカ全土の大工が上下を一定にする習慣をつけるべきだと思います。

玄関のドアの鍵でまごつくのは家に入る一回だけですが、頻繁に利用する電気のコンセントの場合はもっと厄介です。アメリカの電化製品のプラグは二本のうちの一方が太くなっています(そちらがアース)。家中のコンセントが「左がアース」と決まっていれば簡単なのですが、これが部屋毎やコンセント毎に違ったりします。私はアメリカに来て二軒の家と二つのアパートに住みましたが、どこでもコンセントの方向は部屋毎に滅茶苦茶のバラバラでした。プラグを差し込もうとして「あ、反対だ」と引っくり返す所要時間はたった一、二秒なので大した問題ではないとも云えますが、これがアメリカ全土「左がアース」と決まっていれば苛々せずに済むのに…と思わずにはいられません。

建築関係の仕事に携わったことのある友人Jim(ジム)にこの話をしたら、言下に「一軒を二人の電気工事人が担当したからだ」と断定しました。つまり、コンセントの設置には何のスタンダード(規格)もなく、工事人次第でアース(太い方)の向きがころころ変わって当然と認識されているわけです。アメリカの電気工事人もズボラですが、それを容認しているアメリカ人も相当ズボラです。

当市の図書館の貸し出し用DVDは、盗難防止のために鍵のかかった棚のDVDのケースをくるくる廻して選ぶ陳列台三つに納まっています。一つの陳列台には四つの棚があり、それぞれ鍵がかかっています。利用者は窓口に図書館のIDカードを出し、引き換えにこの棚の鍵を借り受けてDVDを選ぶことになります。私が発見した事実ですが、ある一つのDVD陳列台はギザギザのある方を下に鍵を差し込む棚が三つ、ギザギザを上に向けて鍵を差し込まねばならない棚が一つあります。一つの陳列台の中で鍵の向きが違うのです。いかにアメリカの作業員たちがズボラであるかの証明です。【註:その後、DVDは本と同じように開架式にされました】

(July 20, 2010、改訂Septmber 24, 2017)

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[・] Door prize

[ticket]

アメリカの様々な催しの目玉の一つとして"door prizes"というのがあります。多くの場合、会場入り口で(あるいはチェックイン時に)右図のような番号が印刷されたクーポン券("raffle ticket")を渡されます。この番号によって、幸運なら何か景品が貰えます。このクーポン券は何百枚と印刷されてゼンマイのように丸まっており、係が一枚ずつ千切って参加者に渡します。

入り口のドア付近で、この券が渡されるから"door prize"なのか、ドアをくぐれば景品を得る権利が生じるから"door prize"なのかは定かでありません。

催しのメイン・イヴェントが終了した後、いよいよ"door prize"がアナウンスされます。"door prize"は参加者を最後まで引き止めておく餌なのです。司会者は景品を紹介し、次いで番号を読み上げます。参加者の数にもよりますが、図のクーポン券の場合ですと普通最後の四桁(6080)が告げられ、その番号の券を持っている人が進み出て司会者から景品を貰います。

私が住んでいる町では毎年5月の"Older American Month"にシニア対象の催しをいくつも実施し、私は市営ゴルフ場で開催されるゴルフ・トーナメントに参加します。55歳以上の市民であれば誰でも無料で参加出来、ゴルフ・カートも無料。サンドイッチも供され、一位〜三位にはプロ・ショップの商品券も出ます。そして"door prizes"もあるのです。

このシニア・ゴルフ・トーナメントの"door prize"は、市内の事業主有志による寄付で成り立っており、ある床屋提供の「無料理容券」、あるレストラン提供の「無料ランチ券」などが当たります。禿げの男に「無料理容券」が当たると、どっと笑いが起きます。私の友人の一人は「ニアピン賞」で「無料ランチ券」を貰い、"door prize"でも「無料ランチ券」が当たりました。夫婦二人でランチを楽しめることになったわけです。

私が参加したことのある基金集めのためのゴルフ・トーナメント(参加費用が高い)の"door prizes"では、ゴルフ用の傘だの、折り畳み椅子、ゴルフ・ボール、帽子、練習道具などさまざまな景品が用意されていました。

(June 30, 2010)

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[・] アメリカ人とガソリン

私は貧しいのでガソリンの値段を気にします。クルマの燃料計が"empty"に近づいても、ガソリンの値段が高いとぎりぎりまでガソリンスタンドへ行きません。この項執筆時の価格で$2.80前後だと入れず、「明日は$2.60ぐらいにならないか?」と思うわけです。Yomiuri Onlineなどのニュース・サイトの「ニューヨーク原油価格」の動向に敏感でもあります。

私のゴルフカートはガソリン駆動です。市営ゴルフ場の車庫に常駐させており、そこでガソリンも入れます(このガソリンはゴルフカートだけが対象で、乗用車に入れることは出来ません)。市はガソリンを営利目的で販売は出来ないので、価格は卸値のままですから町のガソリン価格よりは安い。それでも私は常にガソリン価格を尋ね、安めの時は満タンにし、高い時は一時しのぎの量しか入れないことにしています。

ある日、Roxanne(ロクサン)という女性レジ係にガソリン価格を尋ねました。私の感覚ではちょい高めの感じでした。40代のRoxanneが「エイジ。あなたは何でガソリンの値段を知りたがるのか?」と云いました。私は「安ければ満タンにするが、今日は高いので少しだけ入れるつもりだ」と答えました。この女性は大袈裟に目を丸くして、「そんな!馬鹿げてる!」と云いました。彼女は美人によくありがちな、独断的で押し付けがましい物言いをする人です。

クラブハウスを出て、ゴルフ仲間のJim(ジム、57歳前後)に「ガソリンの値段を聞いたらRoxanneから馬鹿だと云われた」とこぼしたら、「あんたが古い世代だというだけの話だ。今日のその値段は安いじゃないか」と云いました。彼が「安い」と云ったので、私は急に方針を変更してほぼ満タンにすることにしました。

クラブハウスに戻ってRoxanneに量を申告すると、彼女は私の変心に驚くと同時に、自分の思い通りになった満足そうな表情をして見せました。私は彼女に「何故ガソリン価格によって量を加減したらいけないのか?」と聞きました。彼女は「エイジ。ゴルフカートはガソリンが無ければ、何の役にも立たないじゃないの。ガソリンが明日安くなるという保証はないのよ?冬場はガソリンは安いけれど、春から夏にかけての旅行シーズンには上がる一方なの。覚えておきなさい」とまくしたてました。

私だって旅行シーズンにガソリン価格が高騰することぐらいは知っています。また、いくら安い日を選んでガソリンを入れようとしても、ガス欠を目前にして仕方なく入れなければならない時も多く、結局損得勘定のバランスは一定なのかも知れないと感じているのも事実です。しかし、私はその日の価格に無頓着に常に満タンにする気にはなれません。それは私が貧乏でケチだからでしょうか?単に考え方の相違、生き方の違いではないのか?Roxanneのように豪快な態度で生きる人と、私のようにみみっちく生きるタイプの人間の違いではないのか?

広大な土地を持つアメリカは、横に横にと町を広げて行きます。土地の少ない日本の都市が上へ上へと伸びて行くのと反対です。私の住む田舎町は人口40,000というサイズなのに、やけにだだっ広く広がっています。そのくせバスも電車もありませんから、何か用足し一つするにも車が必要です。ガソリン無くしては生きていけないのは確か。つまり、アメリカにおけるガソリンはパンや牛乳と同じだと云うことが云えるかも知れません。食料品店へ出向いて、「今日はパン(あるいは牛乳)の値段が高いから買うのは止めよう」と云うことは出来ません。生きるために必要なものは、高くても買うしかないのです。しかし、私にとって生活のためのガソリンと遊び(ゴルフ)のためのガソリンは別です。ガソリン価格が上がったら、ゴルフの回数を減らしたり徒歩でラウンドすることも可能なのですから。

友人のMike(マイク)に聞いてみました。「あんたはガソリンスタンドに大きく掲示されているガソリン価格を見ない?値段にかかわらず満タンにする?」と。彼は「価格は気にする。高ければ半分ぐらいしか入れない」とのことでした。彼の高級車は満タンだと$50.00ぐらい入るのだそうです(私の車は$30.00程度)。タンクが大きければ、満タンにした時の20セントの値段の違いの影響も当然大きいわけです。

ゴルフ仲間数人にも聞いてみましたが、自家用車のためのガソリン価格を気にして量を加減するという人と無頓着な人が半々という感じでした。ゴルフカート用ガソリン価格は量も少ないせいか(普通7ガロン=約27リットルぐらいで満タン)、あまり気にする人はいないようでした。

そうこうするうちにとんでもないことが起りました。私のゴルフカートからガソリンが漏れ出したのです。「ガソリン臭いな?」とは思っていましたが、ある日パタと動かなくなってしまいました。「誰かがタンクからガソリンを盗んだに違いない!」と憤ったのですが、タンクに穴が空いていたようで、その日4ガロン(10ドル)だけ入れたガソリンはカート置き場の地面に吸い込まれて消えてしまいました。折角価格を聞いてみみっちく入れていた努力は水泡に帰したわけです。トホホ。

(May 20, 2010)

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[・] rain check

'The Professional' by Robert B. Parker (2009)を読んでいたら、次のような個所がありました。

Hawk(探偵Spenserの相棒で、殺しを何とも思わないタフガイ):「おれにそいつを消させたいんじゃないのか?」
Spenser(私立探偵):「誰かが死ぬほどの事件じゃないよ」
Hawk:「単なる提案だ」
Spenser:”I'll take a raincheck."

作者のRobert B. Parkerは"raincheck"と一語にしていますが、大概の辞書では"rain check"と二語になっています。その意味は三つあります。
1) フットボールなど屋外でのスポーツ・イヴェントや野外コンサートなどが雨で順延になった時、主催者が発行する振替券【となる入場券の半券】。アメリカのゴルフ場でプレイしていて雷雨などでプレイ不能になった際も、ゴルフ場はrain checkを発行してくれます。
2) (特売期間中の売り切れなどの場合に)後日優先的に物品・サーヴィスを特売価格で提供すると約束する予約券。
3) (今は辞退するが後で要求する)後日の約束・招待・要求。

LDOCEには次のような例文があります。"I don't want a cigar now, thank you, but I'll take a rain check on it."(いま葉巻は吸いたくないけど、後で頂戴します)

私があるアメリカ人夫婦にカレーライスの食事をオファーしたら、「現在、健康状態が悪く、辛いものは食べられない。We would like to "take a rain check" on the curry for now.」と返事がありました。

まとめると、
「後日改めて招待すると約束する場合」は"give you a rain check on my invitation"
「後日改めて招待に応じると約束する場合」は"take/get a rain check on your invitation"

前置詞が"for"や"of"でなく、"on"であることに注意。

(April 20, 2010)

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[・] 安息日

日曜日(宗派によっては土曜日)は教会へ行く日です。礼拝は午前中に二回行う教会があります。鐘を設置してある教会はカランカランと鐘を鳴らして、「ちゃんといらっしゃいよ〜!」と信徒に呼びかけます。礼拝のためには、服装に構わない人もいますが、黒っぽい服を着て行く人が多いようです。特に黒人達は礼装に近い格好をします。この衣装のことを"Sunday best"と呼びます。礼拝が終ると家族一同でブランチを食べに行ったり、買い物に行ったりします。「折角着たのだから…」と"Sunday best"を見せびらかしている気配無きにしもあらず。一般商店は日曜日は午後開店(か休業)ですが、スーパーとファーストフード・チェーンは朝からやっています。レストランにいつものようなくだけた格好で行くと、あまりに周囲の服装と違うのできまりが悪い思いをします。

古い世代にとっては、日曜に働かないのは当然として、雑音を立てて近所を騒がすのも御法度のようです。日曜に芝刈りをする人がいないわけではありませんが、勤務や天気の都合とかで、日曜にしか出来ない人かも知れません。こういう人はごく少数です。

上の静粛にする態度は黒人には当てはまりません。彼らの教会の多くは歌や音楽が鳴り響き、会衆も身体を揺らして合唱するわけですから、静粛とは正反対です。

こちらで驚くのは、教会へ行くのは日曜だけ(日曜の夜もある)とは限らないことです。水曜の夜も礼拝があって、沢山の車が停まっています。

なお、教会の収入(牧師の生活費+教会の維持費)は、毎月各信徒の収入の10%の寄付を募ることで成り立っています。これは"tithe"(タイズ、十分の一税)と呼ばれる、教会維持のために教区民が農作物の10分の1を納めた昔の習慣を引き継いだものです。強制ではないので、どうするか信者が選べるそうですが。さらに日曜礼拝で篭が廻って来たら、会衆は各自5ドル前後の寄付をします。【註】日本の「○回忌」とかで丸儲けするお寺のしきたりを苦々しく思っていましたが、教会も結構ぶったくる感じです。日曜朝の教会の鐘は「お祈りにいらっしゃいよ〜」であると同時に、「お金も持っていらっしゃよ〜!」でもあるわけです。

【註】私の友人のMike(マイク)は小さな教会の役員ですが、彼は"tithe"を払っていないそうです。彼の推測ですが、"tithe"が収入の10%で、さらに日曜礼拝でも寄付するのは負担なので、8%の"tithe"とし、各日曜にも寄付をするという人が多いのではないかとの話です。

(March 10, 2010)

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[・] How do you like...?

知り合いの老人と話していたら、彼がこんなことを云いました。

「我々(アメリカ人)は、アメリカに移住して来た人に"How do you like the life in the U.S.?"と聞きたがる。これは相手がアメリカでの生活を好んでいるに違いないと決めつけているわけで、随分図々しい質問だ」

云われてみればそうですね。ま、移住者はアメリカで生活したいから来たわけでしょうから、そう大きく間違っているとは思えませんが。私自身は上のような質問をされたことはありません。

しかし、彼の“自己反省”にも一理あります。アメリカ人にとっては「アメリカが世界で一番」なので、「誰だってアメリカが好きで当然」という固定観念があります。日本人は逆に日本が他国と大きく異なっているという思い込みがあり、「他国の人間が日本の生活に馴染めるはずがない」(好きである筈がない)と思い込んでいるような気がします。日本人は外国人に「日本料理は好きですか?」と聞くことはあっても、のっけに「日本料理のどれが好きですか?」とは聞かないでしょう。「外国人も日本料理が好きで当然」などとは思っていないからです。

(January 20, 2010)

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[・] ニックネーム・2

『英語の冒険』正篇の「その他」に「ニックネーム対照表」という項を作ってあります。しかし、それによってあなたの新しい友達をすぐさまニックネームで呼んでいいかどうかは疑問です。

私が知っている一人のMichael(マイケル)は"Mike"と呼ばれるのを嫌がり、「Michaelと呼んでくれ」と云いました。

最近知り合いになったRichardというゴルフ仲間に、「あなたは"Richie"、"Rick"、"Rich"、"Ricky"、"Richard"のどれで呼ばれるのを好むか?」と聞いたら、「Richardがいい」という返事でした。

つまり、アメリカ人も常にニックネームで呼ばれることを喜ぶわけではないことが解ります。名乗り合った後、「おれはあんたの愛称を知ってるぜい」と勝手に"Mike"とか"Rich"とか呼ぶのは早計というわけです。当人が好む呼び名を聞き出すのが最善です。

ゴルフ場でたまたま一緒にラウンドすることになった白人男性(60歳見当の、サンタクロースみたいな白髭を生やしたデブっちょ)は、「おれは"Buddy"だ」と名乗りました。"buddy"は普通「相棒、ダチ公」という意味の口語です。この男の友達は「あんたの番だぜ」という台詞を何度か云いましたが、それが"Your turn, buddy."なのか"Your turn, Buddy."なのか分りませんでした。Buddy当人が私に「あんたの番だぜ」という時も"Your turn, buddy."なのです。何とも紛らわしいニックネームではありませんか。

似たようなニックネームに"bubba"(ババ)があります。南部の家族が長男を呼ぶ時に"bubba"(あんちゃん)と呼ぶ習慣があり、そう呼ばれ続けた男が社会に出ても"I'm Bubba."と自己紹介したりします(私はこの14年間に二人出会いました)。南部以外の地域で誰かを"bubba"と呼ぶと、「南部のどん百姓」的に蔑視した云い方になります。ゴルフ場で私が"Good shot, bubba!"(いいショットだぜ、あんちゃん)と云われたこともあります。この場合は南部に住んでいる者同士の間ですから、軽蔑的な意味はありませんが、尊敬されている風でもありません:-)。

やはりゴルフ仲間にRoyという男がいます。彼に「Royって何のニックネームなの?(本名は何?)」と聞いてポカンとされました。Royはそれそのものが本名でニックネームではないのだそうです。たった三文字なので、てっきり愛称だと思っていました。

私の友人Mike(マイク)が話してくれた実話。彼の父の名はGilbert Mike Reekie(ギルバート・マイク・リーキィ)で、息子はGilbert Mike Reekie IIなのですが、この父は母を捨てて若い女と駆け落ちしてしまいました。母や祖母はその父を"Gilbert"と呼んでいたので、父を怨んだ息子は"Gilbert"と呼ばれるのを嫌がり、自ら"MIke"と名乗り、そう呼ばれたがりました。"Mike"が定着し、何年も経った後、たまたま弟と話していたMikeは愕然としました。弟は「おれたちの親父は外では"Mike"と呼ばれていたぜ」と話したのだそうです。"Gilbert"は家の中だけのニックネームだったわけです。折角憎い父とは異なるニックネームにしようとした努力は無駄に終ったのですが、いまさら変えるには遅過ぎたのでした。

(December 30, 2009)、追補(January 16, 2010)

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[・] 右折・左折

"Stop Alway"という交叉点については以前お伝えしました(「車の英語」)。交差する道路に優先順位は無く、全車一旦停止して、先着順に交互に発進します。

一台の車が"Stop Alway"の交叉点に到着し、一時停止したとします。周囲に他の車が無ければ、その車はさっさと発進していいはずです。ところが、そこへ近づく私の車が停まるまで、じっと待っている車も結構見られます。私が停止すると、やっと発進して行きます。「馬鹿みたい」と思っていました。「さっさと行きゃあいいのに」。

こちらの人達は無精なのか何なのか、右折・左折の合図をほとんどしません。合図無しで曲がって行きます。右折したいが、直進して来る車があるので、その通過を待っています。ところが、その車は私の目の前で(私が曲がりたかった方向へ)合図も無しに曲がって行きます。本来なら、優先順位は私のはずで、これは失礼な話です。

かと思うと、こんなこともありました。私はスーパーでの買い物を終え、メインの道路への接点で左折の合図を出して待っていました。車の列が減って、最後の一台が右折の合図を出してやって来ます。当然、私がいるスーパーに曲がりたい意思表示と考えます。それなら、私とその車は問題無くスレ違えるわけですから、私はゆっくり発進しました。見ると、その車は全くスピードを落としません。慌てて停止したら、向こう(黒人男性)は私を睨み付けて通過して行きます。私も怒って睨み返しました。その車は50m先の角のガソリン・スタンドへ右折で入って行きました。何のことはない、彼の合図がべラボーに早かったのです。

こういう具合で、こちらの人の合図は全く当てになりません。そういう意味で考えると、"Stop Alway"の交叉点でじっと待っているドライヴァーも、私のことを全く信用せず、完全に停止するかどうかの確認が必要だと思っているわけでしょう。まどろっこしい方法ですが、実は自分の命と車を守る最大の知恵なのかも知れません。

(December 10, 2009)

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[・] アパートで犬が飼える?

私が住んでいるアパートは原則的にペット禁止です(普通そうですよね)。野良猫にエサをやるのさえ禁じられています。ところが数年前、私の近所で二頭の犬が飼われ出しました。一頭は盲導犬ですから、これは正当な理由があります。

他はチワワで、これは「喘息に効く」という医者の推薦状によって許されたのだそうです。インターネットで「チワワ、喘息」で日本語検索すると、「喘息に効く」と主張するのはTV番組の紹介ばかり。そもそもメキシコのある町で「喘息に効く」という噂が広がり、それをTV局が取り上げたようです。その結果、日本におけるチワワの値段は一頭40万円にも高騰しているそうです(アメリカ住まいの私が云うのもナンですが)。しかし、実際には科学的根拠は皆無だと思います。医師が推薦状を書くというのも信じられません。

大体、当アパートのこのチワワの持ち主の女性は大の愛煙家で、喘息患者のくせに煙草を止めません。チワワ導入の前に禁煙が先だろうという気がします。私は禁煙済みなので、他人の禁煙の苦しみには同情しないのだ:-)。

その後、さらに二頭のチワワを目にしました。管理人に聞くといずれも医師の証明書を提示した患者だそうです。この分では各戸に一頭ずつチワワが住み着くことになるのは、そう遠い将来ではないかも知れません。

ペットとは無関係な話も付け加えておきます。私は最近アパートの二階から、別棟の一階に引っ越しました。一階の部屋には裏口のドアもあります。裏口があるのなら、そこに網戸を付けたくなるのは人情です。網戸を買い、マネージャーに「全ての戸に使われているペンキを貸してくれ。同じ色に塗るから」と頼みに行きました。これは藪蛇で、マネージャーは地域を統括する格上のマネージャーに電話し、「住人が網戸を設置したいと云っている」と相談してしまいました。「答えはノー」で、「ただし、医者の証明書があればOK」というものでした。上の犬を飼うルールと全く同じなわけです。「網戸が必要な病人ってあるかな?」とマネージャーにに聞くと、「『新鮮な空気がないと健康を害する』とか、何でもいいのよ」とのこと。しかし、私はここ数年医者にかかったことがないので、医者がタダで証明書を書いてくれそうには思えません。いつだったか、処方箋の再発行のために血液検査をされて75ドルも取られたことがあります。たかが網戸のために数10ドル払う気はありません。いったん、網戸の設置を諦めかけたのですが、買ってしまった網戸を捨てるのは勿体ない。そこで、「設置」ではなく、裏口に「立て掛ける」だけという方式を考え出しました。bungee cord(バンジー・コード、自転車の荷台などに使われている両端にフックがあるゴム製ロープ)で部屋の中に引っ張る方式で、隙間もなくぴっちりです。マネージャーに見せたら「いいアイデアだわ」と云っていました:-)。めでたしめでたし。

(October 30, 2009)

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[・] ハイウェイ

州と州を結ぶ基幹道路がInterstate Highway(略してI-20などと云う)で、これは州と国の負担で整備されています。State Highwayは州内の市や町を結ぶ道路で州の予算で整備されています。どちらも通行料は取られません。アメリカのいくつかの州にはFreewayとかExpresswayと呼ばれるものもあります【これらは料金を取る場合もある。参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/フリーウェイ】。

日本の東名高速などの一区間は長いですが、Interstate HighwayやState Highwayは沿線の町への出口が必ずあります。と云っても、Interstate Highwayの場合、短いところでも5〜10分ぐらいは出られません。ですから、「あ、今の出口で出るんだった!」と通過してしまったら悲劇です。

行き過ぎても高速道路ですからUターンは出来ません。出口で一旦出て、高速道路の上に渡してある一般道路を横断して反対車線に入ることになります。しかし、そううまくいかないことがあります。出口かと思ったのは別方向への高速道路だという場合。こうなると、用もないのに次の出口まで延々20分は走ることになり、往復40分無駄にすることになります。

[highway]

私がアラバマ州Birmingham(バーミングハム)の近くで開催された、あるゴルフ・トーナメントを見物に行った時のこと。まだ明るい午後6時頃、図の1(青線)のように宿に入ってチェックイン。夜は長いので、部屋でビールでも呑もうかという気になりました。これがいけなかった。おとなしくTVでも観て寝ちゃうべきだったのです。

フロントでガソリン・ステーション(普通ビールを売っている)を聞くと、図のA地点にあると云います。で、車で宿を出たのですが、この地点が複雑な交差点になっているのです。Bで信号待ちしていたのですが、Aに行くには鋭角のVターンをしなくてはなりません。そんなことしていいものだろうか?と思い、不安になりました。信号が青になり、私は真っ直ぐ突っ切って2の赤線のように走り、どっかでターンして戻って来ようと思いました。ところがこの道は高速道路へと進入してしまい、全く出口が無いのです。しばらくして出て来たのは交差する高速道路。ぐるっと廻ろうとターンしましたが、また出口が無い。20分ほど走って、やっと小さな町に出ました。消防署を見つけ、道を聞きました。彼らは二つの方法を教えてくれました。一つは高速道路を戻る方法、もう一つは田舎道だが一回曲がるだけで宿に戻れるというもの。私は高速道路は懲りたので後者を選び、本当に戻れるのか非常に不安な思いをしながら走りました。意外にも見覚えのある町並みが目の前に出現。奇跡!戻れたのです。

迷った時は「もうビールなんか要らない。戻れたらそれでいい」と思っていたのですが、ついむらむらとビールで無事の帰還を祝したくなりました。で、ガソリン・ステーションでビールを買い、ついでにガソリンも入れました。3の緑線のように宿に戻ろうとすると、宿に入るには非常に急角度のVターンをしなければならない。そんなことしていいものだろうか?と思いました。気の弱い私は、またどっかでUターンして来ようと決心して直進してしまいまいた。なんと、この道路も高速道路に変貌してしまい(!)、又もや出口のない数十分のドライヴを強いられることになりました。ガソリンを入れておいて良かったと思いました。高速道路が交わるところで左折し、次の交差点でまた左折し、また図の1のように宿に戻った時には日はとっぷりと暮れていました。

【教訓】対向車とぶつかって大破する恐れがなければ、急なVターンでも何でも目指すところへ最短距離を行くべし。アメリカの高速道路は恐い。Birminghamでは前に車上狙いにもやられたし、アラバマは嫌い。

(October 10, 2009)

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[・] 謝罪を受け入れる

人は時として悪気のない失敗や失礼をしてしまうことがあります。アメリカ人は、かなり軽いミス(人にぶつかりそうになる)か、かなり重い失態(人の家で何か壊してしまう)でない限り、あまり人に謝りたがらない傾向があります。しかし、本当に悪いと思ったら本気で謝ります。

あるアメリカ人男性(ドイツからの移民)にあることを依頼しました。念を入れて二回も頼んだのですが、当人は忘れてしまいました。ま、大した内容ではなかったので、私も怒り狂うほどではなかったものの、「当てにならない人だ。もう信用すまい」と思いました。翌日、彼が"I apologize."(謝罪する)と云って来ました。私は謝られただけで充分だったので、多忙を極めていた彼の状況に"I understand."と理解を示しました。話の間に彼はさらに二回ほど"I apologize."を繰り返しました。

あるアメリカ人女性の家を訪問した際、約束の時間を当人が忘れていたことがありました。この時、先方は非常に恐縮して"I apologize."を繰り返しました。この時も私は相手の状況に理解を示し、にこやかに"No problem."と云ったのですが、どうもそれでは収まらなかったようで、相手は"Do you accept my apology?"と聞いて来ました。さすが"I love you."という言葉を毎日のように家族じゅうで交換し、80歳、90歳の夫婦でも互いに"I love you."を云い合う国です。言葉で「あなたの謝罪を受け入れる」と明言しない限り、いくら笑みを見せても許して貰えたとは思わないらしいのです。私は"I accept your apology."と云い、相手は"Good. I'm glad."と云ってやっと安堵したようでした。

多分、最初の例(男性のケース)でもどこかの時点で私は"I accept your apology."と云わねばいけなかったようです。でないと、彼が都合三回も"I apologize."を繰り返したのは、後から考えても異常に思えました。彼は私が外国人なので"I accept your apology."と応じる習慣に疎いと思ったか、私の表情と口調で許してくれたと判断したのでしょう(彼自身も外国生まれですし)。

「初めに言葉ありき」の世界なので、全て言葉にしないといけないようです。

(September 10, 2009)

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[・] ある黒人の誕生日パーティ

アパートの隣人となったRick(リック、黒人男性、55歳)の誕生日のパーティに招待されました。アメリカの黒人全体がこんな風だと云うつもりはありません。田舎の、ある黒人のパーティの一例としてお読み下さい。

この男性、ジャズが好きだそうで、しょっちゅうステレオを鳴らしています。隣りの私の部屋ではメロディは聞こえませんが、ドラムのどんつくどんつく云う単調な音だけ聞こえます。私は50年代のモダン・ジャズは好きなのですが、彼の好みは食人種のお祭りの音楽にしか思えません。黒人の多くがポーチとか玄関脇の椅子、ベンチ、二人掛けのブランコなどに座って寛ぐのが好きですが、このRickは室内でステレオを鳴らし、ドアを開けて玄関脇の椅子で煙草を吸いながら聞いたりします。ドアが開いているので、周辺の住人十数人が迷惑するのですが、誰も文句を云いません。私が「Rick、音量を下げるかドアを閉めるか、どっちかにしてくれ」と云って、多分音量は下げないだろうと推測してドアを閉めかけたら、「待て、待て!ドアは閉めるな」と云い、音量を下げました。

彼は大手雑貨店Sears(シアーズ)のマネージャーだったそうですが、脳卒中の発作で右半身不随・言語障害を患い、勤めを辞めて年金暮らしとなったようです。大手スーパーWalmartの店員Linda(リンダ、50数歳)がガールフレンドですが、1ベッドルームなので一緒に暮らしているわけではありません。

言語障害のせいか、もともと不躾なのか分りませんが、私が歩いていると彼が"Come here!"と呼び止めるのも気に入りません。まるで犬扱いじゃありませんか。

6月のある日、Rickから「この土曜日に市の公園で、おれの誕生日のパーティをやる。食いものが一杯。招待する」と云われました。私は彼のリヴィング・ルームにシーリング・ファン(天井でゆったりと廻る大型扇風機)を三時間もかけて取り付けてやったことがあるので、その返礼でしょうか。市の大公園の中にはそこここに屋根付き昼食施設(木のテーブル、椅子、BBQグリル)があり、その一つを使うようです。この時期は、日中35℃〜37℃になる暑い天気で、そんな最中に屋外でパーティをやるというのは気違い沙汰です。私はあまり出たくなかったのですが、こちらへ来て黒人ばかりの集まりというのを経験しておらず、その雰囲気を知り、黒人の顔見知りが出来れば…という期待でOKしました。

「で、何時から?」と聞くと、Rickは「朝の7時からだ」と云い、私は「朝7時のパーティなんて聞いたことないぜ」と呆れました。多分、7時は場所取りの時間だったのでしょう(お花見と同じ)。Lindaに「11時?12時?」と聞くと、Lindaは「さあ?」と首を捻り、Rickは"Any time. Any time."と云います。埒があきません。

白人のパーティだと、参加者は何か食べ物(手料理やファーストフード)か飲み物(ワインやコーク)を持って行くのが普通です。ホステス(女主人役)に「何を持って行けばいい?」と聞く人もいます。ホステスは「デザートを何かお願い」とかリクエストしたりします。黒人のパーティの事情は分らないので、カミさんが監督している施設に雇われている黒人女性に聞いてみました。「何も持って行かないわよ。親しければプレゼント上げるけど」とのこと。

Rickに「何か持って行こうか?デザートか、飲み物」と聞きました。「ポークチョップがいい」と云います。「食いものが一杯」と云ってたんですから、もう料理は要らない筈なのに、どういうことでしょうか?シーリング・ファンを取り付けてやったお礼なら「何も要らない。手ぶらで来てくれ」と云う筈ですから、どうも感謝されてはいないようです。【アジア人を軽視している?】黒人の性向の一つに「相手の好意にどんどんつけ入る」というのがあると思います。実はRickから「あと二つシーリング・ファンをつけてくれ」と頼まれたのですが、断わっていました。「タダでやってくれるならどんどん頼もう」という気だったに違いありません。彼のためにポークチョップを料理する気なんかないので、出来合いのポテト・サラダ(約6ドル)を買って持って行くことにしました。

当日の朝10時頃、Rickが私のドアを叩き「ビーンズの缶を開けてくれ」だの、「ブラック・ペパー+シーズニングはないか?」などと云います。「7時には公園に行ってる筈じゃなかったの?」と聞くと、「Lindaが行ってる」とのこと。誕生パーティの主役がビーンズを煮てるようでは、まだパーティどころではないようです。

買い物をしたりして時間をつぶし、12時に公園へ。Lindaが汗をかきながら一人でポークリブを11枚(豚五頭分のリブに相当する量)と鶏のもも肉(これも十個以上)を焼いていました。【この上ポークチョップが要るとは思えませんでしたね】彼女が「そこのガス・ステーションで氷を三袋買って来て」と云い、5ドル渡されました。招待客というより、身内の扱い。氷は5ドル42セントでしたが、私は「42セントは誕生祝いだ」とおまけしました。彼女は、私の手伝いに「ありがとう」とは云いませんでした。

しばらくしてRickがビーンズを持って車でやって来ました。他の招待客は全くやって来ません。「何人招待したの?」とRickに聞くと、「50人だ」そうです。そのうち、一人の中年男性(黒人)がやって来ましたが、彼は「勤務中なのでまた職場に戻らなくてはならない」とのこと。他の黒人男性が二人ほど来ましたが、何か相談でもあるのか、すぐ車で去って行きました。彼らは食べ物もプレゼントも持たず、手ぶらでした。LindaがRickの身体に何かしているので見ると、1ドル紙幣を沢山安全ピンでシャツに止めているのです。Lindaは"Birthday boy!"と云いました。つまり、「何もプレゼントを持って来ない客は金を置いて行け」という暗示です。Lindaも仕事があるようで去って行き、煙を立てている大量のリブとチキンを前に主役と勤務中の男性と私だけがポツンとしていました。勤務中の男性は「味を見てみる」とか云ってチキンを食べ、リブも食べ出しました。私もお腹がぐうぐう鳴っていましたから、便乗してリブを切り分けて取り、自分が持って来たポテト・サラダとRickが煮たビーンズと一緒に食べました。

勤務中の男性は去り、私とRickだけになりました。Rickはシャツにピンで止められた紙幣から7ドルを外し、「炭を一袋買って来てくれ。ガス・ステーションは高いからWalmartへ行ってくれ」と私に云いました。黒人てのは人使いが荒いですね。「済まないけど…」などと云いません。命令です。炭は税込みで8ドル3セントでした。【黒人は必ず費用を少なく見積もるみたい】私はRickのシャツから1ドルを外して赤字を補填しましたが、3セントは諦めました。これで計45セントを“誕生祝い”に上げたことになります:-)。彼も私の手伝いに「ありがとう」とは云いませんでした。これ以上ここにいても黒人の友達が出来るわけでもなく、ただこき使われ、お金を損するだけなので、「もう帰る」と宣言して帰宅しました。

Rickがアパートに戻って来たのは夜の8時半でした。午前中から肉を焼き始め、一日がかりのパーティ(?)だったわけです。翌日、Rickはあくまでも「50人の客が来た」と私に云い、「肉は残らなかった」と云っていました。アパートのマネジャーと話したら、彼女も招待されたものの「アルコールの出るパーティは嫌い」ということで断ったそうです。実際には公園では飲酒が禁じられているようで、アルコールは全く見当たらなかったのですが。彼女は「肉が残らなかったってのは嘘よ。さっき、Rickの妹が食べ物の入った大きな容器を運び出していたから」と云いました。それが事実なら、「50人の客」はあくまでも体面を保つためのRickの強がりだったことになります。

(August 10, 2009)

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[・] 欧米人から見た日本の慣習

'Fodor's'という旅行案内シリーズは、旅行先の選択肢の広範さではアメリカ随一の大手ですし、定評のある出版物とされているようです。図書館でその日本編を見つけたので借りてみました。

'Fodor's Japan; 18th edition'
Fodor's Travel series, 2007, $25.95

この本の囲み記事の"Etiquette & Behavior"というのを読んで、「日本の慣習は、アメリカ人にこういう風に見られているのか?」と、いささか落ち着かない思いをしました。記述が見当違いというほどではないのですが、力点の置き方によって、かなり大袈裟だったり、日本が凄く遅れている国のように見えてしまうからです。【引用文は、同書に含まれる"Etiquette & Behavior"、"Japanese Cuisine"、"Local Do's & Taboos"の三つをまとめたものです】

・日本人の家庭に招待されなくても傷つかないこと。最大のもてなしはレストランやバーで行なわれる。
【編註:家に招待したくても、都心から二時間半もかかったり、狭い小さな家で恥ずかしいというような事情もあるわけですよね】

・日本のレストランで供されるおしぼりは手を拭くものであって、顔を拭くためのものではない。もし顔を拭きたければ、先ず顔を拭き、それから手を拭く。使用済みのおしぼりは投げ出さず、畳むか丸めておくこと。
【編註:私は顔を拭くのは下品だと思っていましたが、こう書かれるほど顔を拭く日本人が多いということなのでしょうね】

・貰った名刺は会合の間中、テーブルの上に置いておくこと。
【編註:まあ、並べておいて相手の顔と名前を覚えるのはいいアイデアでしょうが、これをエチケットや礼儀として“強制”するのはどうかと思います】

・話題は中庸を旨とすべし。別に天気の話だけしろというわけではないが、詮索好きと思われないようにすべきである。
【編註:日本人の会話は、中身のない話ばかりだと云われてるような気が…】

・日本のビジネス社会では妻を同伴する習慣はないので、夫婦揃って何かに招待されるのを期待しないように。伴侶同伴でよいかどうかは、お互いに気まずい思いをしなくて済むように尋ねること。

・仕事に就かない日本女性が多いため、日本の男性ビジネスマンは欧米のビジネス・ウーマンに、どう対応していいか分らない状態である。忍耐第一で、その必要に迫られたら穏やかに、かつ職業的に「男性ビジネスマンと同等に扱って貰うことを期待している」と感じさせるのがベターである。

・手酌で呑んではいけない。同伴者の空のグラスを満たすように常に気を配ること。代わりに、同伴者もあなたに注いでくれる。呑みたくない場合でも注がれるのを拒むのではなく、ちびちび呑んでグラスの中身を少なくとも半分にし続けるように。【原文】Don't pour your own drink, and always fill a companion's empty glass. She will in turn reach for the bottle and pour for you. If you would rather not to drink, do not refuse a refill, but rather sip, keeping your glass at least half full.

【編註:先日、何回目かの日本旅行から戻ったばかりのアメリカ人男性と食事したら、私が注文したビールを私のジョッキに注いでくれたのでびっくり。この案内書を読んでいたのかも知れません。しかし、「差しつ差されつ」は「さあ、どんどん呑んで下さい」という歓待の意思表示であって、宴会・接待や割り勘で呑む場合のことですよね。(居酒屋で呑んでいて、たまたま顔見知りが隣りに来て座ったとしても、注ぎ合ったりせず、お互い手酌でマイペースで呑む筈です)呑み屋の女将がお酌してくれるのは、サーヴィスであると同時にじゃんじゃん呑ませて儲けようという魂胆でしょう。自分で払うビールや酒を注いで貰っても別に嬉しくありません。相手の奢りの酒やビールなら嬉しいですけど:-)。しかし、注がれたとしたら儀礼上注ぎ返さざるを得なくなり、これだと結局割り勘みたいになっちゃいますが…。また、グラスが半分であっても、注ぐポーズをしながら「さ、ぐいっと空けて下さい」と強制する日本人が結構いますよね(特に接待では)。半分残しておけば安全というわけでもないと思います】

・話す時、過度に視線を交えないように。ダイレクトに相手を見つめると、悪意と無礼を感じさせる。
【編註:上の、私にビールを注いでくれたアメリカ人が話してくれたのですが、彼は日本流にお辞儀してもつい欧米流アイ・コンタクトをせずにはおられず、下げた頭を斜めにして相手の目を見つめてしまい(斜め上目遣いになる)、相手の日本人に変な顔をされたそうです。確かに、これは何か油断ならない風に見えますね:-)】

・身体の接触を避けよ。背中をどつくとか、肩に手を置くのは、日本人を落ち着かなくさせる。
【編註:そうですかね?日本人同士でもよくやるように思いますが】

・食事の席で鼻をかむのは、許されざる失態の一つ。鼻をかむ必要に迫られたら席を立つように。
【編註:嘘ですよね。食事中に鼻をかむ人を軽蔑したりしません】

・道路を歩きながらハンバーガーやアイスクリーム・コーンを食べないこと。特に、"train"(電車)の中で食べると非難の目で見られるだろう。
【編註:駅弁は"train"(列車)で食べますけどね】

「知ったかぶり」の英米豪の執筆者たちが、さも日本の慣習を熟知しているかのように書いています。以上の例は、全て「思い込み」による「誤解」だと思います。こういう先入観で日本にやって来られたら困りますね。

(July 10, 2009)

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[・] メール・ボックス

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アメリカの郵便受けは写真のようになっています。郵便配達人が車から出なくても配達出来るように、道路からの距離と支柱の高さが決められています。小さな金属製の赤い旗が付いていて、出す郵便物がある時は郵便受けに入れ、この旗を立てておきます。郵便配達は配達ばかりでなく収集業務も兼ねているので、この旗が立っているボックスから郵便物を持って行く仕掛けです。ですから、郵便料金が分っていれば切手を貼ってこのボックスに入れておけばよく、わざわざ郵便局に行く必要はありません。アパートなど集合住宅の郵便受けには旗はないのですが、出したい郵便を入れておけば持って行ってくれるそうです。

一軒家に住んでいた時こんなことがありました。ある日の夕刻、隣人の一人から電話があり、「郵便受けの旗が立っているが、大丈夫か?」と云って来たのです。既にその日の集配は終わった後で私が手紙を入れたからです。「こんな時刻に旗を立てていると、一晩の間に郵便受けの手紙から小切手とか小額紙幣を盗もうとする連中がいるから気をつけないと…」という注意でした。確かに僅かでも小遣い銭を得ようという悪童共がやりそうなことではあります。

ある人は「最近自宅周辺のメール・ボックスが荒らされている。黒人の少年たちの仕業らしい。で、注文したDVDやCDなどは勤務先に届くようにしている」と云っていました。折角の便利なシステムを有効に利用出来ないのは残念です。

なお、訪ねた家が留守の場合にこの郵便受けに何か(メモとか手紙、カセット・テープなど)を入れたくなりますが、それは違法だと云う人がいて、私はやらないようにしていました。しかし、郵便配達の人に聞くと、「違法ではないし、切手が張ってないものは持って行かないから大丈夫だ」とのことでした。

アパートのメール・ボックスは日本の団地と同じようなものです。ただし、United Sates Postal Service(政府機関)公認のメールボックスの口は通常は塞がっており、セールスマンがチラシを入れることは出来ません。正規の郵便配達人は20軒ぐらいのメールボックスを一挙動で開けられる鍵を持っていて、配達人だけが郵便物やチラシを入れることが出来ます。メールボックスの中に切手を貼った郵便物があれば、それを持って帰って発送もしてくれます。

(June 10, 2009)

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[・] 囚人労働

私が住んでいる町Meridian(メリディアン)のダウンタウンの裁判所の裏に壮大な建物があります。最近、建て直しされたので、真新しくしかも立派です。一体何だろう?と思うと、これが刑務所なんです。ダウンタウンの真ん中に刑務所というのは不思議です。まあ、ショッピング・モールなどが町外れに移ってしまったので、ダウンタウンと云ってもゴースト・タウンみたいなものなのですが。

重罪犯は州の刑務所に移送されるので、Meridianの刑務所は拘置所兼微罪の連中の刑務所のようです。裁判所の建物に行くと、緑の縞々の上下を着た囚人が床掃除したりしています。別に鉄の塊を引き摺ったりしていません。野放し(?)です。多分、服役中の態度がいいので、模範囚として信用されているのでしょう。時々、表で一服したりしていて、通りすがりの我々に「こんちは。何かいい仕事ないかね?」などと話しかけて来ます。さてねえ…。

天気の良い日は六人一組ぐらいで郊外の道路沿いのゴミ拾いをさせられています。やはり緑の縞々の上下ですが、その上に交通事故防止の黄色いヴェストを被っています。見張りの警官はたった一人。車をゆっくり運転しながら、監視しています。囚人達が逃亡する気になればいくらでも可能な感じです。二人ぐらいは撃たれるかも知れませんが、他は逃げ切れるでしょう。それをしないのは、彼等が窃盗とか暴行とかの微罪なので、逃げたくなるほど長く投獄されているわけでもなく、逃げる方がずっと罪が重くなるからでしょう。

しかし、いくら微罪とはいえ、公衆の前で顔を晒すというのはどんなもんでしょう。「私は悪いことをしました」と宣伝することになり、江戸時代の「市中引き廻し」みたいです。私なら一寸耐えられません。プライヴァシー優先の国の筈ですが、犯罪人のプライヴァシーは無いようです。まあ、写真を撮ろうとすれば制止されるでしょうけど。それとも、顔を晒すのも一種の懲罰なんでしょうか。

(May 20, 2009)

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[・] 時間給

もう十年近く前で、まだウェブサイトを作るのがそう簡単ではなかった頃のこと。私の知人が、ある宣伝会社(と云っても、女性社長に社員一人)でウェブサイト・デザイナーを探しているというので、面接に行き、めでたく採用されました。

で、賃金は時間給だと云うのです。私は学生時代のお歳暮シーズンにデパートの配送所のアルバイトをしたことがありますが、配達要員ではなく事務所の電話番だったので日給でしたし、ある大会社の資料整理のアルバイトもしましたが、それも日給でした。時間給というのは初めてだったのです。私は「一件のウェブサイト作成につきいくらというのでは駄目か?」と聞いたのですが、やはり時間給にしたいとの答え。

向こうもウェブサイトなど手掛けるのは初めてだったせいか、時給$25という(いま思えば破格の)レートでした。私は凝り性ですし、デザインには潔癖な方なので(例えば、画像とテキストとの隙間の寸法にさえうるさい)、いくらでも時間はかけられるわけです。しかし、あまりにも賃金が高くなると悪いので、結構サーヴィス労働もしたのでした。

その会社はいくつも仕事をくれたので、まとめると私の時給もかなりの額になり、社長もついに「ソフトを使って、もっと手早く出来ないかしら?」と云うようになりました。私はHTML(ウェブサイトを構築する言語)を学んで手作りしていたので、ソフトで自動的に仕上げるなんてことはしていなかったからです。しかし、慣れた者としては手作りの方が簡潔なHTMLが書けるし、手直しにも便利で、時間的には大して差はないのです。

スーパーのレジ係とか、製パン工場の労働者であれば時給もいいでしょう。仕事(客やパン)はどんどん殺到して来るわけで、ぼんやりしている暇はなく休み無しに働かなくてはなりません。しかし、ウェブサイト・デザインなんてのを時給にしようというのは間違っています。アイデアを練ったり、グラフィックを加工したりするには、時間はいくらあっても足りないのです。「このサイト構築に$500」、「サイト更新には、量にもよるが一件平均$25」とか決めてくれた方が、向こうだってこっちだって満足出来る結果となる筈です。

お話変わって、最近あるアメリカ婦人の庭の手入れを頼まれました。ある時、彼女の裏庭の一部の手入れを手伝ったら、一時間で$10くれました。次にぼさぼさでジャングルになっている部分を綺麗にしたら、二時間で$20くれました。私としては「時給$10なんだな?」と思いますわね?さらに別の日、「表の庭の雑草を抜き、地面にはびこっているツタ系の植物は根っこから引き抜いてほしい」と頼まれ、これにも二時間かけました。ツタを引き抜くというのは大変なのです。汗だくで、相当くたびれました。ところが、今度彼女は「$15でいいか?」と云うのです。私としたら仕事の内容から云って$30は貰いたいところでした。つまり、彼女の頭には手強いツタが相手という要素は全く入ってなくて、裏庭のジャングル清掃より安く見積もっていたのです。

料金を定めてないのがまずかったわけです。日本人らしいミスですね。「ここからここまで綺麗にしてくれたら$20」(時間は無関係)という報酬を聞くべきだったのです。$20で嫌なら引き受けなきゃいいわけです。

庭の手入れもウェブサイト・デザインと同じです。ゆっくり怠けて働けば、頼まれた仕事の半分も達成せずに二時間経つことだってあるわけです。こういう仕事を時給にするのはナンセンスです。しかし、アメリカ人の発想には時給というシステムが基本的にあるようです。アメリカの合理的でない一面ですね。【他の馬鹿げた一面は、メートル法を採用しないことです】

(April 30, 2009)

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[・] 個人と政治、性向の乖離

私は過去何回かアメリカ人と絶交したことがあります。かなり親しく付き合った友人だったり、そう親しくはないが"give and take"が確立したいい友達だったり、私が色々面倒を見ていた友人だったり…。絶交の原因はどれも彼らのマナーにありました。私に迷惑をかけたのに謝らないとか、急にビジネス・ライクになって"take and take"になったとか。念のため云っておきますが、人種的偏見は関係していません。

そういう場合全てに顕著な一つの現象がありました。私と相手の人物双方に共通の友人たちの態度です。彼らは「どうしたの、一体?」と原因を聞くことはあっても、絶対にどっちかに味方するような発言はしないのです。非は私の相手にあることが明瞭であっても、「それは彼がよくない」などと云いません。云うとすれば「喧嘩はよくない」とか、「仲直り出来ないのか?」と非常に距離をおいた発言です。そもそも喧嘩などではなく、私が相手の無礼に憤っているわけですから、相手が謝らない限り仲直り出来るわけがありません。

いずれの場合も、共通の友人たちは遠巻きにしているだけで、仲裁に入るというような気の利いた人間は出て来ませんでした。

これって不思議だと思いません?もし、アメリカ人の性向がそういう「われ関せず」、「中立」、「えこ贔屓しない」というものであれば、それが政治・外交に反映してしかるべきです。ところが、アメリカ合衆国は第二次大戦以後、朝鮮戦争、ヴィエトナム戦争、湾岸戦争など、よその国の内政にまで首を突っ込み、必ずどちらか一方を贔屓しています。理由は分っています。軍人を養い兵器産業を栄えさせ、共産圏の影響力を挫き、石油の利権を確保するためです。そのために自国の若者たちを死地に追いやって何とも思わない。これらの戦争はみな失敗に終わっているのですが、多分アメリカ人の地(じ)とはほど遠い無理な発想から出ているからでしょう。

個人の性向と政治・外交のこの乖離には唖然とさせられます。

(April 10, 2009)

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[・] アメリカの離婚

アメリカの離婚について面白いデータがあります。それは「バイブル・ベルトの離婚率が高い」というものです。“バイブル・ベルト”とは南部、中西部のファンダメンタリスト(原理主義者)の多い地域を指します。原理主義者とはプロテスタントの一派で聖書の創造説を堅く信じ、進化論を排する人々です。南・北キャロライナ州からジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、アーカンソー、テキサス各州を横断する帯状の一帯が“バイブル・ベルト”です。

離婚のメッカはネヴァダ州(ラス・ヴェガスのある州)ですが、これを別格とすれば、南部“バイブル・ベルト”では夫婦の半分は離婚し、他の地域と比べた離婚率は50%も高いそうです。1998年の統計ですと、合衆国全体の離婚率は1,000人あたり4.2人(が離婚)。ネヴァダ州は1,000人につき8.5人ですが、“バイブル・ベルト”のテネシー州で6.4人、アーカンソー州で6.1人、アラバマ州とオクラホマ州で6.0人。対照的に低いのは北東部で、コネティカット州、マサチューセッツ州、ニューヨーク州などが3.0人となっています。

識者によれば、「“バイブル・ベルト”の人々は家計収入が低く、比較的若い時に結婚する傾向がある。もう一つは宗教的理由。北東部はローマン・カソリックが多く、離婚を認めない。南部の原理主義者も結婚の尊厳は大事にするが、離婚したからといって教会は差別しない」

もっとも、「上のデータは数字だけの上っ面のものである」と非難する意見もあります。“バイブル・ベルト”には圧倒的に黒人が多く、彼等の離婚率が高いからです。私の友人の一人(ミュージシャン、白人、45歳、離婚歴あり)は、黒人の教会での演奏活動と彼の人柄が認められ、世話好きな人たちが黒人女性と娶わせようと画策し始めたそうです。その候補たるや、年は若いものの二人の子持ちとか四人の子持ち。無思慮に若くして結婚し、さっさと別れてしまったシングル・マザー達なのです。つまり、南部の文盲率と同じで、黒人が離婚率も高めている筈だという推論です。

しかし、白人にも問題はありそうです。友人で医者のMike(マイク)の奥さんは五人姉妹だそうですが、他の四人は全員離婚経験者。「バイブル・ベルトの離婚率が高い」の見本みたいな姉妹です。

(March 20, 2009)

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[・] クルクルパー

私はよく腰痛を患います。ある時、「腰痛予防には下駄を履いて散歩すると良い」ということを聞きました。家の周りで歩いてみましたが、運動にはちと短過ぎます。で、家の傍の池を巡る5キロのジョギング・コースに挑戦しました。舗装道路なので、下駄がすぐ擦り切れそうです。それよりも心配だったのは、鼻緒で足にマメを作ることでした。マメが出来たら、下駄をぶら下げて裸足で歩かなくてはなりません。しかし、何とか無事に5キロを“完歩”出来ました。

この話をゴルフ仲間の一人の老人(アメリカ人、80歳)にしたら、「誰かに出会わなかったかね?」と聞きます。「出会いましたよ、何人も」と答えると、彼は「じゃあ、その連中はキミをコレだと思ったことだろう」と、頭の横で指をクルクル廻しました。アメリカにも「クルクルパー」に近いゼスチュアがあることを知りました。彼は手を広げて「パー」まではしませんでしたから、日本と全く同じではありませんが。

私の子供時代は「左巻き」という言葉がよく使われました。つむじが左巻き(反時計回転)なら「馬鹿」だという迷信から、「馬鹿!」「何を、この左巻き!」という風に云い合ったものです。これが日本の「クルクルパー」です。英語でこの「左巻き」に類似した言葉は"screwball"(スクリューボール)だそうです。元々は野球用語で「打者に向かうように進んで、反対側に切れる球筋」のこと。この風変わりな球が転じて「変人、奇人」の意味で用いられるようになりました。"screw"は「ネジ」、「(船の)スクリュー」、「(飛行機の)プロペラ」など、どれもクルクル廻るものですから、ゼスチュアのクルクルと同根のようです。

"screwball"は無害な「変人、奇人」であって、「狂人」ではありません。これを書いている私も無害です(と思う)。

(February 28, 2009)

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[・] お墓のマナー

日本では現在ほとんどが火葬だと思いますが、私が住む南部の田舎町には火葬場がなく、どうしても火葬にしたければ車で片道90分かかる大都市まで遺体を運ばなくてはなりません。土地が広大で安いということもあって、まだ土葬が一般的なのです。

土葬ですから、墓誌(古い墓地では日本の外人墓地のように墓石が垂直に立っていますが、新しい墓地では芝刈りし易いように地面に水平に埋め込んである)を頭に故人が寝そべっているわけです。日本人の感覚からすると、その身体に相当する部分は踏んではいけないだろうとか、少なくとも頭の部分は踏まないように…などと考えます。こういうことは必要ないのですね、こちらでは。「お墓のマナー」というのは無いということになります。そりゃ、唾を吐いたり、蹴飛ばしたりするのはいけませんが、そうでない限りタブーはありません。

教会などでお葬式を済ませた後、墓地に掘られた穴の上にお棺が据えられます。その上に小さなテントが張られ、遺族ら十名程度が座れる椅子が並べられます。親戚・友人などはその周囲に立ちます。牧師が最後のお祈りをします。このウン十人はみな近くのお墓を踏んづけて座ったり立ったりしているのです。

お墓参りの時も、どこをどう歩こうが気にすることはありません。私は一寸気にしますけど。

(January 20, 2009)

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[・] ウィンド・チャイム

アメリカ人はウィンド・チャイムが大好きです。私も本来嫌いではありません。しかし、中には凄くうるさいのもあります。また、いくつかまとまると雑音に過ぎなくなります。

私は現在アパートに住んでいまして、二階建てで四世帯入った建物が二棟向かい合っています(この組み合わせが五つほどある、大アパート)。計八世帯の空間に三つのウィンド・チャイムがあり、そのうちの一つは私の建物の向かい側にあって、そよ風で鳴るぐらい敏感なもの。気になり出すと、そのチャイムの持ち主を呪いたくなるほどです。そうこうするうちに、私の隣りに越して来た若夫婦までウィンド・チャイムを軒先にぶら下げました。助けてくれーっ!

アメリカ人は音に鈍感なのかも知れません。私など向かい側の建物でもうるさいのに、自分の軒先に吊るして平然としていられるのですから、鈍感としか云い様がないでしょう。日本人の舌と較べれば味覚も鈍感な人々と悪口を云われるぐらいですから、ひょっとすると五感全部鈍いのかも知れません:-)。

 

もし私が毎日「くさや」を焼いて換気扇を廻したらどうでしょう。凄い臭気が周囲に漏れ、まるでサリン事件の犯人のように私が攻撃されるでしょう。「空気を汚すな!」と。では、音はどうなのか?折角大きな池のそばの静かな地域に住んでいるのですから、静寂を乱さないでほしいものです。空気も静寂も、同じ範疇だと思いますが。

2008年はガソリン価格高騰、経済不況の年でした。私の住むアパートの経営者(企業)は、2009年1月から一気に50ドルの部屋代値上げを宣言しました。向かいの騒々しいウィンド・チャイムの主である若夫婦は、あまりの値上げ巾に音を上げて引っ越しを決意しました。彼らの引っ越しを見守っていた私は、彼らに"Please don't leave the wind chime."と云いました。奥さんが"Oh, we won't!"とさも「大事なものだから絶対忘れないわ!」という感じで応じました。私がなぜ"please"を付けたか彼女は理解せず、日本人は変な英語を喋ると思ったかも知れません。私にすれば、「お願いだから(忘れないで)持ってってくれ」というつもりだったのですが。

(December 20, 2008)

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[・] 思いやり

私の車が故障し、修理工場行きとなった時のこと。ゴルフはしたい。されど車がない。かなり親しい友人に「明日ゴルフするなら、一緒に乗せてってくれないか?」と頼みましたら、「明日は病院に行かなきゃならないんで、ゴルフは出来ない」と云い、一人のゴルフ仲間の電話番号をくれて、「彼なら必ず乗せてくれる」と云いました。

そのゴルフ仲間は私もよく知っている人物で、冗談を云ったりからかい合ったりするほど親しい仲でした。電話すると二つ返事でOKしてくれ、私の住所をメモしてくれました。あいにく翌日は朝から強い雨が降り、この分ではゴルフ場の地面はびしょびしょで、湿度の高さで空気もむんむんするだろうと思われました。で、私はその日はゴルフをやめることにし、迎えの車を断りました。その日の午後は快晴で高温となりましたので、ゴルフ場の湿気も抜けたと思われました。

さらに次の日。この日は朝から晴天でゴルフ日和。私は二人の男性のどちらか(あるいは両方)が「車はどうなった?何なら、迎えに行こうか?」と電話して来てくれるのを期待していました。しかし、どちらからも何も云って来ませんでした。

さらに翌日。まだ私の車は直っていません。誰からも「迎えに行こうか?」とは云って来ませんでした。

これが日本なら(日本人なら)、絶対「車はどうなった?迎えに行こうか?」となる場面だと思いました。われわれ日本人は相手の身になって考えるという能力に長けています。いったん、親しい人物が車の故障で身動き取れないと知ったら、同情してしまい、その状況が頭から離れなくなります。事実、以前やはり車がおかしくなった時、こちらの日本婦人の一人が「お買い物、どうしてる?車でスーパーへ連れてって上げましょうか?」と云ってくれました。これが普通の日本人の人情だと思います。

そう云えば、こういうことがありました。私がこちらの職業斡旋所である就職口に関して面接を受けたものの、何の連絡も無かった時のこと。私はもうその口はふさがったに違いないと諦めていました。すると、何人かのアメリカ人女性から「こちらから電話しなきゃ駄目よ。どうなったか聞いてみるべきよ」と云われました。

要するに、アメリカでは恩恵を受ける方が積極的に電話しないといけないのです。向こうが親切に電話してくれると思っては駄目。それが就職であろうとゴルフであろうと。

日本人は思いやりが深過ぎるのでしょうか?車が故障したアメリカ人に、私が「車はまだ直らないの?迎えに行こうか?」と申し出たら、ひょっとしてうるさがられるのでしょうか?「頼んでもいないのに…」と。

アメリカ人は病気見舞い、お悔やみ、誕生日などにカードを出し、「あなたのことを忘れていませんよ」ということを表明します。これは日本人にもあまりないあたたかい行為です。しかし、気持ちと実際の行動とは別物のようです。「叩け、さらば開かれん」であって、アメリカでは叩かない限り開かないのです。

(November 30, 2008)

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[・] 左利き

酒呑みの話ではなく、ぎっちょの話。欧米に左利き("southpaw"、"lefty")が多いのはよく知られた事実。「左利きは良くない」という風潮は全く無く、これに関しては親も「どうでもいい」という態度を取っていますから、当人も平気の平左。妙に右上がりの書き方になるのだけが弊害かと思っていましたが、隠れた事実がありました。

カミさんの姉Alison(アリスン)は左利きです。カミさんが「Alisonに右だ、左だと云っても通じないから駄目よ」と云うのです。「そんな馬鹿な。子供でさえ右と左は判るでしょうに」しかし、これは本当なのでした。Alisonに道を教える際には右・左を云っても無駄なのです。日本には「お箸を持つ方の手」という便利な言い回しがありますが、アメリカ人はフォークを持つ手をチェンジしちゃいますから、これは使えません。

ゴルフで数人の連中が後ろで見ている時にティー・ショットを打ちました。ボールの行方が見えなかったので、「どっちへ行きました?」と聞いたら、「最初の松の木の方向だ」と云う答え。松の木は右にも左にもあるので、"Right side?"(右側?)と尋ねました。"Yes." で、右へ歩いて行ったのですが、ボールは見当たりません。振り返ると、皆が一斉に左側を指さしています。何のことはない、右と左の判らない人物が答えたのでした。

Alisonが電子メールをくれました、「合衆国では親達が子供達に右利きになるよう強制するのを止めたの。強制すると吃りになり易いから。友人にも左利きは沢山いるけど、彼等は概して右利きよりスマート(賢明)であると思っている。なぜなら、左利きは右利きの世界で生きて行くために、適応能力に富んでいるから…というのが理由。

実際には、私は書く時だけ左利きで、テニス、野球、ラケット・ボール、射撃などの際には(今は御無沙汰だけど)右利きなの。これは、誰も左手でのやり方を教えてくれなかったから。多分、これが右と左の区別がつかない理由じゃないかしら。

個人的には左利きはハンディキャップだと考えてる。私は子供を持つ親に両手を使うことを教えるように勧める。左手だけを使うのではなく」

Dyslexia(ディスレキシア:失読症、読書障害)という病気があります。文を後ろから読むという、妙な病気です。ある教会の活動の一環に、Dyslexia Clinicというのがあるほどですから、結構患者は多いようです。友人で外科医のMike(マイク)も若い頃これを患って、トレーニングで何とか克服したクチだそうです。

Mikeからの電子メール。「私も両手使いだ。野球のバットは左、投げるのは右、ゴルフ・クラブは右で振り、フットボールは左脚で蹴る。書くのは右で、食べるのはどちらでも可。Dyslexiaと左利きの関連は知らない。私はセンテンスの最後の言葉を先に読む。読書する場合、本のページを右上隅から左下隅にかけて走り読みする。水平にも読めるが、垂直に読む方が得意だ」

Internetには左利きのWebサイトもいくつかあります。あるQ&Aの頁(www.cs.ruu.nl/wais/html/na-dir/lefty-faq.html)には次のような項目が載っていました。

・“左利き”の定義によるが、少なくとも合衆国人口の30%は左利きである。
・鋏には右利き用と左利き用がある。
・左利きの有名人リスト(http://home.planet.nl/~mvdubois/lefthanders_en.html)
・国際左利きデー:8月13日
・男性は女性の倍〜1.5倍左利きになりやすい(胎内にいる時の母体の影響)。
・なぜ左利きがサウスポーと呼ばれるか?
・左利き禁止のスポーツ
・なぜ女性と男性でボタンの配置が違うのか?これはヴィクトリア朝時代の紳士・淑女の習慣の名残だそうです。紳士の服は自分でボタンを嵌められるが、淑女は着付け係の手を借りなければならなかった。で、女性のボタンは着付け係が嵌め易い配置になった。

(November 10, 2008)

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[・] ポットラック・パーティ

「お互いに手作りの料理を持ち寄るパーティ」であることは、皆さん御存知ですよね。ここでは日本には伝えられていない細部を追加したいと思います。

ホステス(主人役)は参加者のほとんどの得意料理を知っているでしょうから、「パイが多くなりそうだ」とか、「キャセロールばかり来そうだ」という心配もある筈です。「何か、希望があるか?」とホステスに聞いて上げると「あなた、お肉で何か出来ない?」とか、「野菜ものが足りないかも知れないの」などと云うかも知れません。

得意料理がないのか、作っている時間がないのか、ファーストフード店で買って来た鶏の唐揚げを持って来たりする人もいますし、大きなコーラのボトルだけ下げて来る人もいます。こういう芸のない人もいるのですから、手作りというだけで大きな顔が出来ます。自信を持って持って行くべきです。

料理を持参したら、ホステスに見せる必要があります。参加者が「これは美味しい!」と感激したら、必ずホステスに「あれは誰が作ったの?」と聞く筈で、その時ホステスが「さあ?」と云うようでは困るからです。ちゃんと製作者が分れば、参加者が褒め言葉を云いに来てくれるでしょうから(レシピを聞きたがるかも知れません)、持参した当人としても作り甲斐があったということになります。

持参したお皿や耐熱容器には名前を書いておかなくてはいけません。自分がパーティの最後まで残っていられればいいですが、先に帰ってしまうと誰のお皿か分らず、ホステスが困ってしまいます(料理で見当はつけられるとは思いますけど)。

私が参加したポットラック・パーティでは、パーティが終った後、自分の持って来た料理が残っていれば自分で持って帰ることになっていました。ホステスが「少し置いて行って」と頼む場合もありましたし、こちらが他の残り物を自分の皿に頂いて来ることもありました。折角人のために作ったのですから、出来るだけ多くの口に入れば作った人も嬉しいのです。遠慮なく頂くべきでしょう。

(September 30, 2008)

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[・] ヤード・セール

"garage sale"(ガラージ・セール)という言葉は日本でも知られていますが、こちらでは"yard sale"(ヤード・セール)という言葉が増えています。"garage"(車庫)では狭過ぎて商売にならないので、ほとんどが庭(front yard)や敷地内の車道(driveway)まで使ったヤード・セールと化しているのが現実です。寒くなると家の中でセールが行なわれますが、そういう場合は新聞広告に"Inside"と書かれています。

アメリカではリサイクルは美徳ですから、不要品を売るのは恥でも何でもなく、それを買う人も大勢いますし熱心です。

ヤード・セールを行ないたい人は、先ずその予定を周知する必要があります。新聞広告をしたい場合は、当市の新聞の場合10行で一日$17.25、二日$20.00、三日$22.00だそうです。それを出す出さないに関わらず、家のブロックの周りに数十枚の手書きのポスターを貼って廻ります。

 

売る物は大体安いものが多いので、お釣りのために小銭を沢山用意しておく必要があります。品物には個別に値段表を貼るか、「このコーナーは全て5ドル」というような表示をしておくべきでしょう。主催者(大抵は奥さん)一人しか値段を云えないようだと、どっと客が来た時に手伝いの人間が応対に困ってしまいます。

ヤード・セールは普通金曜日、土曜日などの午前中に行なわれます(日曜は教会の日なので避ける)。朝8時からと広告を出してあっても、7時頃から客が来ます。いい物を早く確保しようという熱心な人たちです。7時からと書くと6時に来る連中もいるので、最近の新聞広告には"No Early Bird Please!"(開店前は来ないで!)という表現が増えています。早く来る人は、その日に開催されるヤード・セールをいくつかハシゴしたりします。大体開店後1〜2時間が勝負で、その後はわざわざ来てくれる人は少なく、通りかかった人が覗いて行くという感じ。

アメリカのTVで骨董品の品定めをする番組があります。大抵は一般人が「家の納屋にあった」とか、「お祖母ちゃんの遺品」などを持って来るのですが、中には「ヤード・セールで数ドルで買った」というものもあります。それらの多くが数千ドルもの査定をされたりすることがあり、びっくりしてしまいます。単なる不要品セールでなく、その家の主人が亡くなった後の遺品整理のヤード・セールなどは狙い目でしょう。遺族には値打ちが分らず、とにかく二束三文で売ってしまおうという場合が多いからです。

(August 30, 2008)

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[・] 赤ちゃんの名前

Social Security Administration(国民総背番号というべき社会保険番号を交付する政府機関)に登録された新生児の名前の集計から、無料宣伝誌'PARADE'が2007年の「赤ちゃんの名前ベスト10」を掲載しました。

【男の子】

1) Jacob(1999年以来連続No.1)
2) Michael(昨年も二位)
3) Ethan(昨年は四位)
4) Joshua(昨年は三位)
5) Daniel(昨年は六位)
6) Christopher(昨年は七位)
7) Anthony(昨年は九位)
8) William(昨年は十位)
9) Matthew(昨年は五位)
10) Andrew(昨年は八位)

【女の子】

1) Emily(1996年以来連続No.1)
2) Isabella(昨年は四位)
3) Emma(昨年は二位)
4) Ava(昨年は五位)
5) Madison(昨年は三位)
6) Sophia(昨年は九位)
7) Olivia(昨年は七位)
8) Abigail(昨年は六位)
9) Hannah(昨年は八位)
10) Elizabeth(昨年は11位)

(July 30, 2008)

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[・] ペットの名前

APの記事を当市の新聞が転載した'More pets are getting human names'(2006年12月17日)を興味深く読みました。ペットの名前がどんどん人間の名前に近づいているというもの。上位四位はCody(コディ)、Annie(アニィ)、Charlie(チャーリィ)、Sam(サム)だそうです。

Bowwow.com.auでペットの名前を調べたある人は、それらが人間の赤ちゃんに付ける名の人気リストにオーヴァラップすると云っています。2005年のアメリカの男の赤ちゃんの名のトップはJacob(ジェイコブ)だったそうですが、雄犬の名はJake(ジェイク、Jacobの愛称)が人気。人間の女の赤ちゃんと雌のペット名の上位30位にはAbby(アビィ)、Sophia(ソフィア)、Molly(モリィ)、Sarah(セァラ)などがダブるそうです。「人間とペットの名のリストはどんどんそっくりになりつつある」と、そのリサーチャーは云っています。

50年前はLucky(ラッキー)、Faithful(フェイスフル)、Rover(ローヴァー)などが大流行し、1955年には映画'Lady and the Trump'『わんわん物語』の影響で、助演の犬Trusty(トラスティ)とJock(ジョック)の名が沢山つけられたそうです。

こうした傾向の背景には、ペットが以前に増して家族の一員として扱われるようになった事実があると云われています。昔は残飯を貰いポーチの犬小屋で飼われていた犬が、今やパン屋が焼いた専用のカップケーキを食べ、犬用衣料品店の衣類を着せて貰い、温熱式ベッドに寝ている。人々は机の上に彼らの伴侶の写真ではなく、愛するペットの写真を飾っている。

子供の少ない家族や、結婚が遅かった人々にとっては、ペットは赤ちゃんの代わりであり、赤ちゃんが生まれたら付けたい名前をペットに付けているということもあるそうです。

日本ではシロ、クロ、三毛などペットの身体の特徴で名をつけたこともありますが、同時にタロ、ジロなど人名と同じ名も付けられました。戦後は進駐軍の影響でジョン、ラッキーなどが流行しました。

ただ、日本とアメリカでは住宅事情が段違いです。私が住む町にはアパートはそう多くなく、かなり貧しい家族でも一軒家に住み、犬猫を飼うことが出来ます。犬と遊べる裏庭もあります。人間も犬も土足で家に出入りします。ペットを家族同様に扱うことが可能なのです。日本では豪邸以外こうは行きません。

(July 10, 2008)

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[・] 駐車場

巨大なスーパーマーケットの駐車場には、ブロック毎に街灯が立っていて数字やアルファベットが記されています。車を出て店に向かう途中、その目印によって「おれは8番の北向きに停めたんだ」とか確認しておかねばなりません。さもないと、店を出て来てから自分の車がどこにあるのかぐるぐる探し廻ることになります。

多分、駐車場に目印があるのは日本も同じでしょう。しかし、国土が広大なアメリカの駐車場の広さは桁外れです。食料品店でさえ店舗面積の二倍〜三倍の駐車場を備えていますし、Walmartなどは軽く店舗の四倍はあるでしょう。

2004年にカンザス州の州都Topeka(トピカ)に行きました。「公民権運動・史跡めぐり」の取材でした。ここの小学校の黒人父兄が提訴した人種差別裁判の勝利が、公民権運動を推進する契機となったのですが、ブッシュ大統領も参加してその50周年を祝う式典が行われたのです。その小学校の校庭は演壇と折り畳み椅子で一杯で、駐車場はありません。

駐車場は車で10分ほど離れたスポーツ・センターで、そこから無料送迎バスによって会場へ送り込まれます。そのスポーツ・センターの駐車場も広大そのものでした。スーパーと違って、文字を書いた柱が立っていません。私は送迎バス乗り場に近い方がいいか、他の車にぶつけられないように離れた場所がいいか迷い、ぐるぐる車を走らせてからやっと駐車しました。これが命取りでした。

式典が終わって、数時間後に駐車場に戻ったら自分の車がない!私は自分が停めた筈の場所をスタートし、円を描くように捜索を始めました。見当たりません。三回、四回とぐるぐる歩き回りました。どんどん時間が経ち、参加者もどんどん去って行き、車の数も減って行きます。探し易くなったのですが、それでも見当たらない。盗まれたのだろうか?と思いました。

私は遥かミシシッピからの超長距離ドライヴに自分のポンコツ車は心配なので、レンタカーで行っていました。レンタカーですし保険もかけていましたから、盗難に遭っても大損害にはなりませんが、やはり色々面倒です。ふと気づきました。レンタルしたのは最新型の車でしたから、キー・ホルダーのボタンを押せばドア・ロックおよびロック解除が出来る仕掛けがある筈です。そのボタンを押せば車のライトが「ここだよ」と点滅するに違いありません。やってみました。ボタンを押しながらまた広い駐車場を一周します。誰かが私を見守っていたら、「何やってんだ、あいつ?」と思ったことでしょう。しかし、そんなことを気にしている場合ではありません。必死です。ついに応答がありました。車は自分に全く記憶のない場所に置かれていました。

その朝、私は送迎バスに乗ろうとする参加者の長い行列を見て、「早く列に並ばなきゃ!」と焦ったんですね。だから、駐車場所をちゃんと確認せずに飛び出してしまったわけです。自分の車を探し廻ったこの時の焦燥感、絶望感、徒労感は忘れられるものではありません。皆さんもアメリカの広大な駐車場には気をつけて下さい。

(June 20, 2008)

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[Weather]

[・] 続・曜日で考える

『英語の冒険』正篇で、アメリカ人は日付でなく「曜日で考える」傾向があるということを記しました。その証拠を一つお見せします。

図はCATVのThe Weather Channelの週間天気予報です。見事に日付はなく、曜日だけによる情報です。日本では考えられないような放送だと思います。私自身も、今となってはこれが何月の何週目の天気だったのか皆目分かりません。

私は二人のアメリカ人青年に日本語を教えていますが、彼らの仕事や旅行の都合などでちょくちょく授業の日を変更しなければなりません。で、彼らの要請を受け、私は確認のために"Then I'll see both of you on 20th (Saturday)."などとメールで返事するのですが、彼らの目にはこれが奇異に映るようです。彼らなら"I'll see you on coming Saturday."としか書かないからです。しかし、日本人の私には暦の日付を書かないと不安でたまらないのです。もし、彼らに日付を元にした思考法がないのなら、本当は"coming Saturday"や"next Saturday"の方が正確なのですが。

(May 30, 2008)

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[・] 授業中の欠伸(あくび)

私は二人の青年(21歳と25歳)に日本語を教えています。二人とも日本のTVアニメ(’Naruto'など)のファンで、日本語の台詞を理解したいというのと、出来れば日本に行って働きながら滞在したいというのが動機だそうです。

ところで、この二人が90分の授業中にしょっちゅう欠伸をするのです。まあ無理もないのです。20歳の青年は毎朝7:00から夕方5:00まで薬屋の店員として働き、その上ジョギングだの自転車乗りだので疲れ切っています(彼はトライアスロンに挑戦中なのです)。片や25歳の青年はゴルフ場のグリーンズ・キーパーで朝6:00から午後2:00まで働いています。毎日かんかん照りや寒風のもとで肉体労働をしているのです。欠伸が出るのも理解出来ないではありません。しかし、大勢の教室で一人が欠伸するのと、たった二人の生徒の一人が欠伸するのは大違いです。私は最初びっくりし、次いでどう対処すべきか悩みました。

元高校英語教師のDiane(ダイアン)に聞くと、「無視するのが一番ね」という返事でした。アメリカでは生理現象だからという理由で寛容なのでしょう。しかし、私は無視出来ませんでした。どうしたかと云いますと、「日本の小学校・中学校で欠伸をしたら、先生に無礼な行為を働いた罰として授業中立たされるのであーる(本当は最近はどうか知らないのですが)。しかし、君たちが疲れているのは理解しているので、罰は与えない。ただ、欠伸したら『済みません』とか『失礼』と日本語で云うように」と指示しました。彼らはこれによって、日本人の善悪観を知り、日本の慣習を知り、日本語を覚えることが出来るわけです。彼らは欠伸をしてから、にやにやしながら「スミマセン」と云っています。

彼らが小・中・高の時代に教室で欠伸したらどうだったのか聞いてみました。「怒られなかった」、「先生は何も云わなかった」とのこと。25歳の青年は高校時代にフットボールの選手だったので、授業中に寝ていても怒られなかったそうです。「でも、鼾(いびき)をかいて寝ていたら、さすがに注意された」と云っていました。

66歳の元大学教授に聞くと、彼も単なる欠伸では注意しなかったそうです。「フワァ〜ァ!」と大声で欠伸されたら、「キミ、授業の邪魔をするな」とは云ったそうですが。では、彼の子供時代はどうだったのか?叩かれたり立たされたりすることはなく、教師によっては「今度欠伸したら白墨を口に放り込むわよ」と冗談を云うこともあった程度だそうです。今と違って当時は体罰もあったようですが、欠伸は体罰の対象ではなかったわけです。

別項「御免で済めば警察いらない」で触れたように、アメリカ人は生理現象に寛容であると云うしかないようです。

(May 10, 2008)

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[・] 立つ

アメリカ映画'To Kill a Mockingbird'『アラバマ物語』(1962)の法廷シーンを御記憶でしょうか?弁護士役Gregory Peck(グレゴリィ・ペック)は、黒人の被告の法定弁護人を引き受けます。人種差別が濃厚だった時期なので陪審員は白人ばかりで、傍聴席も一階は白人、黒人は二階と分けられています。Gregory Peckの努力も空しく、陪審員たちは黒人蔑視の観点から有罪を宣告します。裁判が終り白人達は去りますが、黒人傍聴人達は全員残っています。Gregory Peckが書類をまとめて悄然と去りかけると、二階席の黒人達が次々に立って(黒人の弁護に尽力したこと、彼が黒人を対等に扱ってくれたことに)感謝の意を表します。いいシーンです。

アメリカの黒人主体の教会に行くと、牧師の説教に共感する信者が一人二人と立ち上がります。立ち上がるだけでなく手を上げて賛意を表明します。牧師の熱弁が高潮すると会衆が総立ちになります。これはカソリックの教会では見られない現象です。

アカデミー賞授与式では、途中で前年の物故者の名と画像が紹介されます。この時、参加者全員が立ち、故人への崇敬を表明します。

アメリカ大統領がメディア(TVカメラや新聞記者たち)の前で演説をする時、大統領が現われるとそこにいる全員が起立します。また、法廷に裁判長が現われる時にも、告発側・被告側・傍聴人などの全てが起立させられます。これらは国民・住民の代表としての肩書きへの敬意ですね。

欧米の演劇や音楽(特にオペラ)の公演でも、素晴らしいパフォーマンスには幕間や一曲(あるいは一楽章)の終りでも観衆・聴衆の“総立ち”が見られます。これは"standing ovation"(スタンディング・オヴェイション)と呼ばれています。

日本ではこういう風に聴衆・観衆・参加者が「立ち上がる」ということはほとんどないように思います。学校では「起立、礼」があり、国旗掲揚の際には立たされますが、立って自分の感動を表すということは日本の土壌には本来ありませんでした。最近でこそ、高校野球の好試合でスタンディング・オヴェイションが見られるようですが、これは欧米から輸入された風習だと思います。江戸時代の歌舞伎座で、観衆がスタンディング・オヴェイションをしたなんて、聞いたことがありません。ロック・コンサートなどで興奮して聴衆が立ち上がることは前からありましたが、前の方の客が立つと舞台が見えなくなるので、自然に後ろの客も立たねばならない。これはスタンディング・オヴェイションとは云えません。

アメリカ映画'Ghosts of Mississippi'『ゴースト・オブ・ミシシッピー』 (1997)は、Alec Baldwin(アレック・ボールドウィン)演ずるミシシッピ州の検事補が、犯人が野放しにされている30年も前の公民権運動リーダー暗殺事件の再審を勝ち取るまでの物語(実話)でしたが、一般公開時のカリフォーニアのある劇場では、判決が下ったシーンで満場の拍手とスタンディング・オヴェイションが見られたそうです。映画館の暗闇の中でスタンディング・オヴェイションというのは、想像するだけで感動的です。これは日本では絶対に起きない現象だと思います。

(March 20, 2008)

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[・] Hugの仕方

Hug(ハグ)は日本にない習慣なので、慣れないと一寸照れくさく顔が赤くなったりするものです。しかし、どういうものか、実態が分ればそう大事(おおごと)でもありません。

アメリカのLPGA(女子プロ・ゴルフ)のトーナメントを観ていると、一日のラウンドを終えたプレイヤーとキャディが全員hugします。四人のプロ(女性)が一緒に廻っていたのであれば、一人のプロが他の三人のプロと、そして四人のキャディ(大体は男性)とhugします。(アジア諸国から来た新人などの場合は、まだ慣れていないせいで握手だけで済ませる人もいますが)

Hugは身体は密着させず、肩だけ触れ合うように身体を前傾させ、お互いに片手で相手の背中をぽんぽんと軽く叩きます。お互いの親しさによっては、以下のようにキスをする場合もあります。
1) 男性が女性の片方あるいは左右の頬に軽くキスする場合。
2) 女性が男性の片方あるいは左右の頬に軽くキスする場合。
どちらが主導権を握るかは、性格によるものとしか思えません。キスとは云っても、唇が空中に突き出されてチュっと音だけさせるだけで実際には相手の頬には触れていず、ただの真似事だけの場合も多く見られます。

女性同士のhugではキスは普通しません(よほど親しい仲であれば別)。男性同士はもちろんしません(ロシア人なら別)。男性のキャディ同士は握手だけで済ませます。

 

PGA(男子プロ・ゴルフ)のトーナメント最終日に優勝を争ったプロ同士などは、プレイ終了後に(男同士ですが)お互いの健闘を讃えてhugすることもあります。

最近、ある会合で観察していましたら、女性たちはhugするために身体を寄せる時、顔を45°ほどそむけます。あたかも、「こっちの頬にチュして」という感じの角度。そのまま、相手と頬を寄せ合います。これは相手が男性でも女性でも同じ。この角度を維持すれば唇と唇が接触するような、お互いバツの悪い思いをせずに済むわけです。

なお、肩を接触させて背中ぽんぽん方式は、以上のような友人・知人・仕事仲間の場合だけのようです。私がカミさんにそれをしたら「友達同士のhugみたいね」と云われました。恋人同士や夫婦の場合だと、もっと身体を密着させ、両手で相手を抱くのであって、背中をぽんぽん叩いたりしないようです。

最近、日本の文化について知りたがる18歳の白人の女の子と知り合いました。本当はhugするほど親しくないのですが、彼女は別れ際にhugしたがります。私が背中ぽんぽん方式で対応すると、「そんなのは駄目」と云い、身体を密着させたhugを要求します。背中ぽんぽん方式が普通だと思っている私が「どうして?」と聞くと、「叩くのは相手の身体に触るのは嫌だという意思表示だと思うから」とのこと。確かに、ゴルフの後は誰しもシャツの背中が汗まみれになっているので、そんなところに触りたいと思う人はいません。恐る恐るの背中ぽんぽんがやっとです。一理あるなと思ったことでした:-)。

(February 20, 2008)

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[・] 養子縁組

こちらでは養子縁組が盛んです。随分前、ある私の知人の50代の独身女性が中国本土まで出向いて女の子を貰って来ました。「貰う」と云ってもそう簡単ではなく、こちらに扶養能力(経済状態、住まいの環境など)が備わっているかどうかの審査があり、その上で結構な額のお金を払うのだそうです。「お金を払うんじゃ人身売買みたいじゃないの」と、いささか驚いたものです。その子は新しい環境と白人の“母親”にも馴染み、すくすくと育ちました。最近、私がその女性にメールした時、「お子さん(単数)は元気?」と書いたら、「もう一人女の子を貰って、今は二人なのよ」という返事が返って来ました。中国から二人目を貰っちゃったのだそうです。

別の知人の親戚が双子の赤ちゃんを貰いました。夫婦にはちゃんと子供が二人いて、普通なら子育てから解放されてやれやれという時期なのに。

数年前「日本について知りたい」というアメリカ人の奥さんからメールがあり、一家が当市に買い物に出て来た時にショッピング・モールでお話したことがあります。驚きました。五人ほどの子供たちを引き連れていましたが、夫婦には子供がなく全部養子なのです。中の一人は明らかにヒスパニック系の顔でした。対面した一年後、奥さんの御主人が交通事故で亡くなったという知らせがありました。一家の稼ぎ手がいなくなって、奥さんはどうしたのでしょう?まだ幼児もいるわけですから、働きに出るわけにもいかないでしょうし(ベビィ・スィッターを頼むことは出来るが、その分収入が減る)、働かなければ子育ても出来ません。貧困家庭として扶助で暮らしているのでしょうか。

スーパーなどへ買い物に行くと、白人の夫婦が白人の子供二人、黒人の子供一人などを連れて歩いているのを目にすることがあります。以前は「子供たちが友達同士なんだろう」などと思っていましたが、最近は「黒人を養子に貰ったんだ」と考えるようになりました。アメリカ人は養子を貰う際に人種に拘りません。中国人、ヒスパニック、ロシア人、そして黒人も対象になっています。人種差別の激しかったこのアメリカ南部で、黒人の子供を貰う白人がいるというのには驚きます。

自分の子供がいて、なおかつ養子を貰うというアメリカ人の姿勢は、日本人には信じられない思いですが、それだけ経済的にも精神的にもゆとりがあるのでしょうね。中流家庭の家屋の構造も、四人ぐらいの子供は住めるスペースがある国ですし。日本が彼らから学ぶべきは、アメリカ人たちはこのような養子作戦で、自然に高齢化社会の問題の一部を防ぎ止めているということです。少子化社会日本の未来は暗いですが、養子社会アメリカの未来は日本ほどは暗くないように思えます。

'Front Line'という、アメリカに住む日本人向けの無料配布宣伝週刊誌があります。そのDecember 2007 (1st week)号のフィーチュア記事は「アメリカ養子事情」というものでした。それによれば、養子縁組の費用は$17,000〜31,000で、これは手数料と弁護士費用だそうです。「2006年度にアメリカに引き取られた国際養子の出身国」というデータが載っていますが、そのトップは中国で6,493人、二位グアテマラ4,135人、三位ロシア3,700人、四位韓国1,376人…という具合で、計20,679人がアメリカに貰われて来たとされています。

最も人気の高い中国ですが、2007年から制度を変更し、「独身者、肥満者は不可、年収家族一名につき$10,000以上、資産$80,000以上」などと受け入れ側の資格を厳密にしたそうです。中国から二人の女の子を貰った私の知人は独身ですから、現在では事前の審査でハネられてしまうことになります。

(January 30, 2008)

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[・] お葬式のしきたり

ある知人のお葬式にまつわり、面白い現象が見られました。お葬式前に喪主(日本婦人)の家に集まった日本婦人たちの「アメリカにおけるお葬式はこうだ」という主張がみんな違うのです。

一人の老婦人は"open casket"(お棺を開けてお通夜の参会者に対面させる)が普通だと云うのです。私が「私のカミさんのお父さんの時は、家族の最後のお別れが済んだらお棺は閉じた」と云うと、「それは死に顔による」と答えました。交通事故死とか、酷い場合のことを云っているわけです。私が「でも、綺麗な死に顔でしたよ」と云うと、「フーン」と云って沈黙しました。

ある女性は「喪主も花輪を供えるものだ」と主張。私が花屋にそういうのが一般的なのかどうか問い合わせると、「そんなことはない」との返事。しかし、それを伝えても件の女性は納得せず、喪主に「あなた、御主人にお花贈りたくない?」と迫り、未亡人から「そんな話聞いたことない。私は供えません」とキッパリ断られていました。

ある女性が「お葬式の日だけは生花をお墓に飾れるが、それ以外は造花だけ」と云い、喪主は「この町では生花はどんなことがあっても駄目」と主張。その理由を葬儀屋に問い合わせると、その葬儀屋の墓地(こちらでは葬儀屋が墓地を所有し、切り売りします)では「花を差す穴であれば生花でも構わない。地面に花を植えてもいいが、芝刈りの時に刈られてしまうよ」との返事でした。当の喪主でさえ知らなかったルールでした。墓地によってそれぞれ決まりが違うわけです。

要するに、日本婦人たちはそれぞれ自分が過去に体験したお葬式やお墓参りが標準だと思い込み、どこでも全て同じと決めつけているわけです。場所により、家族の意志により、様々なバリエーションがある筈です。しかし、こういう人たち(私を含む)が「アメリカではこうだ」と云えば、長く住んでいる人の証言としてどんどん伝播して行くことが考えられます。恐ろしいことです。皆さんも、眉に唾して読むなり聞くなりして下さい。

(December 30, 2007)

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[・] パイナップル

[pineapple]

こちらへ来た当初、家々の門柱あるいは玄関前にセメントで出来た“松ぼっくり”が飾られているのを見て、「さすがパイン・ベルトだけあって、みんな松の木に愛着があるんだなあ」と思いました。カミさんにそれを云ったら、「あれはパイナップルよ。“歓迎”のシンボルなの」だそうです。パイナップルにしては葉っぱがないので、てっきり松ぼっくりかと思いました。

そのパイナップルは家の外だけではなく、木で作った置物として室内に飾られていたり、ベッドの柱に刻まれていたりもします。テーブル・クロスやナプキンの模様として刺繍されていたりもします。

なぜ、パイナップルが“歓迎”のシンボルなのか?諸説あるようですが、昔パイナップルが珍しかった頃、商船の船長たちが帰国してお客に振る舞ったりしたのでとか、同じく船長たちが「無事に帰還したよ」という近所へのサインとして門口にパイナップルを飾ったのが始まりとか云われています。

ある本では「南部の名物」と書かれているようですが、amazon.comでもパイナップルの置物が売られていることからしてもアメリカの全国的な風習のように思えます。

(November 30, 2007)

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[・] Fuck you!

ある交差点の左折レーンで、私は二台目で信号が変わるのを待っていました。変わりました。しかし、前の車は動きません。3秒ほど待っても動かないので、私は軽く警笛を鳴らしました。前の車のドライヴァー(男性)はきょろきょろして信号を確認し、やっとターンを開始しました。

信号待ちで何か考え事をしたり、書類に目を落としたりすることはよくあることです。私も警笛を鳴らされたことが何度かあります。ですから、私の軽い弾くような警笛も「こら、動け!」ではなく、「信号変わりましたよ〜ん」というニュアンスでした。

[PICT]

ターンを終えた前の車のドライヴァーは窓から出した手を軽く挙げました。「すまん」という合図だと思った私は、「いやいや」という感じでこちらも手を挙げました。

2秒後、私はガビーン!となりました。ドライヴァーの手の中指が立っていたことに気づいたのです。それは「すまん」ではなく、"Fuck you!"(くそったれ!)というサインでした。こっちも「クソ!」です。しかし、もう縦に並んでしまったので、こちらが同じ指サインで答礼するチャンスはなくなり、口惜しい思いだけが残りました。

しかし、たかが信号待ちで警笛を聞かされたぐらいで「くそったれ!」とは。第一、向こうが悪いんじゃないですか。こっちだって3秒待ったんだし。

この話をしたところ、テキサス州に住んだことがあるアメリカ人は「大都市Houston(ヒューストン)なんかもっとひどい。信号が変わった瞬間に動き出さないと、後続車が一斉にブーブー鳴らすんだ」と云っていました。私が3秒待ったのなんか、Houstonでは考えられないような親切に当たるわけです。それなのに、あの野郎!

(November 10, 2007)

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[・] 国歌と国旗

海軍航空訓練基地のゴルフ場に通っていた時のこと。基地ですから毎朝八時には本部前で国旗掲揚があるようで(見たことはありません)、ラウド・スピーカーから国歌(録音された演奏で歌は無し)が流れて来ます。詳しく云いますと、五分前に競馬の発走でお馴染のラッパの録音が聞こえて来て、これが予告。0800時(午前八時の軍隊での呼び方)に国歌が流れます。

アメリカ人達は遠く見えない本部(国旗)の方を向き、脱帽し、右手を心臓の辺りに当てて直立します。スピーカーの音はNo.2ホール辺りまで聞こえるので、ここでも直立不動です。

最初、この習慣を知らなかったもので、「何でみんな俺の方を向いて立ってるんだろう?」とか思いながらカートを動かしたりしていました。最近は誰も見てなくても、一応敬意を表することにしています。ただし、私はアメリカ国家に忠誠を誓うわけではないので、右手を胸に当てたりはしません。アメリカ人と結婚したメキシコ人女性(一緒にプレイしたことのあるゴルファー)も、旦那の前で両手はダラリと下げていましたから、日本人も彼女と同じでいいでしょう。

ある時、時刻が0800時前後であることを忘れ、カートでNo.1ティー(スタート地点)に向かっていました。練習グリーンのそばを過ぎる時、老人三人ほどが直立しているのが見えました。「いけね!」と思った時は既に遅く、もう国歌は終わろうとしています。No.1に着くと同時に国歌が終り、老人の一人(多分、元軍人)が"You should pay attention!"と私に向かって怒鳴りました。ほらね。恐〜い。

ある時、家の近くの瀟洒な家の前庭に半旗が翻っているのを見ました。「はて、誰か国家的重要人物が亡くなったっけ?」と新聞を引っくり返しましたが、そんなニュースは見当たりません。その家ではその後もずっと半旗のままでした。「一体、どういうわけか?」と気になり、ついに勇を鼓してその家のドアをノックしました。出て来たのは60を越したと思われるアジア系の人でしたが(星条旗を前庭に掲揚するんですから、歴としたアメリカ市民でしょう)、半旗の理由を尋ねると「妻が亡くなったんだ」との返事。私はお見舞いを云い、非礼を詫び、そそくさと帰って来ました。聞けば、企業などでも社員が亡くなったりすると半旗にするそうです。日本では考えられませんよね。日本で半旗を出すとなったら、天皇家の不幸か何かがあった時ぐらいでしょう。アメリカ人にとっては、国旗はそんな縁遠いものではなく、かなり身近なものであることが分ります。

身近と云えば、星条旗をモチーフにした衣類や帽子なども沢山あります。アメリカ人は別に気負った雰囲気でもなく、そういうものを気軽に身にまといます。日本で「日の丸」をモチーフにした衣類を着るってえと右翼か暴走族ぐらいしかいませんよね。大きな違いです。

アメリカの国歌と国旗は不可分の関係にあります。国歌は国旗を礼賛したものだからです。1814年、独立戦争の際、英軍に包囲された東部のある砦に巨大な星条旗が掲揚された時の感動を詩にしたものが国歌のもとです。作詞者Francis Scott Key(フランシス・スコット・キィ、弁護士・詩人・民兵)は戦争に参加する中で、その雄々しく翻る旗に身震いしました。彼が書いた詩は印刷されたビラとなって市民に配られ、瞬く間に国中に広まりました。ある人がその詩に節をつけましたが、それはなんと敵国イギリスのパブで歌われていた当時のポピュラー・ソングでした。現在は3/4拍子で歌われる国歌ですが、当時は6/4拍子だったそうです。これは楽譜'The Star-Spangled Banner'(星が煌めく旗)として流布し、1931年に国歌として制定されました。

(October 10, 2007)

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[・] パトカーがゆっくり走る時

ある時、車を運転して交差点で停まりました。目の前をパトカーがピューッピューッと警笛を鳴らしながらライトを点滅させつつ、ゆっくりと横切って行きます。その後をパトカーを追い越せない車がゆっくり続いて行きます。

私の信号が青になったので発進しようとすると、まだ私の前を遮って横断しようという車がいます。何たる図々しさ!私は交差点を横切りながらふと見ると、図々しい車は一台だけではなく次の車も赤なのに進入して来ています。何か変です。信号機が壊れたのか?と思いました。

その交差点を離れながら、私の脳は様々な可能性についてああでもないこうでもないと目まぐるしく過去の蓄積データをチェックし、最初の疑問であるパトカーの行動に戻りました。パトカーは緊急でない場合はライトを点滅させたり警笛を鳴らしてはいけない筈です。緊急ならフル・スピードで走るべきなのに、とてもゆっくり走っていました。何故か?パトカーの仕事にそんなものがあるか?

ありました!お墓に向かう葬送のエスコートです。パトカーの場合もあるし、オートバイの場合もあります。こちらでは葬儀屋が警察に依頼し、エスコートを頼むことが出来ます。

私はこちらの葬儀場でのお通夜・葬式には何回か出ていますが、お墓まで行ったことがあるのは三回だけで、そのどれにもパトカーのエスコートはありませんでした。それを経験していればすぐ分ったのでしょうが。もう一つ、こちらには日本のようなごてごてした装飾の葬儀車はなく、ただの黒塗りのヴァンなのです。それも私が気づかなかった原因の一つ。

カミさんに話したら、「まあ!逮捕されるところよ」と云っていましたが、それは誤解で、こちらの運転免許教本にも「法律的に要請されているわけではないが、葬送の行列には礼儀として譲るように」とあります。カミさんは「車が昼間でもみなライトを点けていたら、それが目印」と云いましたが、前を横切る車のライトなんて見えませんしね。要するに、パトカーがライトを点滅させてゆっくり走っていたら気をつけなくてはなりません。無礼なアジア人だと思われたことが残念です。

(September 20, 2007)

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[・] 長幼の序

アメリカ人に日本社会の序列について話すとびっくりされます。日本では結婚式・お葬式における席や立ち位置、挨拶の順番が云わず語らずで決まっており、それを逸脱すると礼儀知らずと誹られ、爪弾きにされかねません。多くの場合、年長であること、男性であることが優先し、国会議員や社長、喪主でもない限り年少者と女性は常にその後となります。組織における長幼の序列も厳格で、一年先に入った者は先輩として「さん」をつけて敬われ、階級に応じてお辞儀の角度も異なります。

アメリカでも結婚式ですと、双方の両親のテーブルなどは演出上決まっていたりする場合もあり、お葬式でも喪主とその家族だけはお棺のすぐ傍に着席します。しかし、その他大勢は当着順に座る感じです。私はこちらの結婚式には出たことがないので、映画などの知識だけです(お葬式には何度も出ました)。

家庭では、子供が両親だけは"daddy"あるいは"dad"、"mommy"あるいは"mom"と呼ぶ家もあれば、両親の名前(JackとかCathyとか)で呼ぶ家もありますが、兄弟姉妹はすべて名前です。兄弟姉妹を他人に紹介する場合も、"my brother"とか"my sister"と云うだけで、"elder"や"younger"をつけることは滅多にありません。

私は『アメリカ映画“南部もの”大全集』というサイトで映画紹介をしていますが、この時困るのが兄弟姉妹の扱いです。かなり年が離れた兄弟・姉妹なら一目瞭然なのですが、年が近いとどっちが上か下か分りません。日本語では「Bobは兄のSamを殴った」とか「Annは妹のCarolに囁いた」となるべきであって、「Bobは兄弟のSamを殴った」とか「Annは姉妹のCarolに囁いた」とは書けません。こういう時は、原作や他の紹介記事を参考にしてでも、長幼を突き止めないといけないので厄介です。

'Sex, Lies, and Videotape'『セックスと嘘とビデオテープ』(1989)というアメリカ映画を観ましたら、次のようなやりとりがありました。
男:"Do you have family here?"
女:"Mother, father, my sister."
男:"Sister older or younger?"
女:"Younger."

ね?アメリカ人も"sister"が姉なのか妹なのかか知りたいこともあるわけで、彼らの日常の表現法では問い続けなくてはならない不便を実感する筈です。私の苦労を味わってほしい。ニャロメ。

最近、カミさんBarbara(バーバラ)の母親が亡くなりました。新聞に載せて貰う死亡記事は葬儀社か家族が書き、葬儀社を通じて新聞社に送られます。その記事の中に“遺族”としてカミさん姉妹の名前が出て来るのですが、驚いたことにカミさん(次女)の名が先で長女Alison(アリスン)名が後になっているのです。カミさんがその記事を書いた当人だと思った私は、長女を差し置いて自分の名前を先に出した態度に呆れました(日本人的感覚)。念のため、カミさんに尋ねると「あれはAlisonが書いた」とのこと。またまたびっくり。何故妹の名を先に出したのか?Alisonは、親元から片道三時間のニューオーリンズに住んでいます。お葬式にやって来た彼女に訊いてみました。「誰でもBarbaraの方が年上だと思ってるから、その順序にしただけよ」というのが答えでした。確かにAlisonは童顔なので、昔からカミさんより年下に見られるのは確かなのです(最近は皺が増えたのでどう見られているか知りませんが)。でも、これでアメリカ人の年齢による上下関係がいかに鷹揚であるかが分ると思います。上下はないというか、年齢は全く関係ないということですね。

(August 20, 2007)

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[・] 御免で済めば警察いらない

しかし、アメリカでは"Sorry!"(御免!)で済むのです。勿論、犯罪に類することではなく、日常的失態に関してですが。つまり、ついゲップが出てしまった、ついおならをしてしまった…という場合、これらは相当恥ずべき失態の筈ですが、アメリカ人は独り言のように"Excuse me."(失礼)というだけで全く恥じ入りません。私の住む南部だけのことかも知れません(アメリカ南部は結構田舎ですから)。勿論、女性がついついおならをしてしまったという場合は、顔を真っ赤にして恥じ入ります。しかし、だからといって、家に飛んで帰ってしまうとか、どっかへ隠れてしまうとかいうほどではありません。こういう生理現象は人間がコントロール出来ないので、アクシデントに過ぎないという考え方なのでしょう。こちらも礼儀上、何も無かったように振舞います。

プロのゴルフ・トーナメントを観に行った時のことです。昼食のハンバーガーやホットドッグを売っている場所に、椅子とテーブルが用意されていて、私もそこで食べることにしました。子供は入場料タダなので、親子連れが沢山来ていまして、私の周りにも何組かいました。その中の、小学校一年生ぐらいの子供が何回も大きなゲップをしたのです。母親が「"Excuse me."と云いなさい」と躾けるのかと思ったら、何にも云いません。「御免で済めば警察いらない」のですが、この場合「御免」も云わせないのです。こういう母親では、子供の将来も知れたものですね。

2001年のasahi.comの記事ですが、「カリフォルニア州では今年1月から、交通事故の現場で謝っても、その言葉を非を認めた証拠とはしないという新法が施行された。俗に『アイム・ソーリー法』と呼ばれる。

裁判で証拠とされないことになったのは『済みませんでした』、『御免なさい』、『申し訳ない』など、とっさの一言だけ。『済みません。私が脇見をしていたもので』とまで言ってしまうと、脇見部分は裁判で自分に不利な証拠とされ得る。

米国で最初にソーリー法を制定したのはマサチューセッツ州だ。きっかけは、74年に地元で起きた交通事故。自転車に乗った16歳の少女が、車にはねられて亡くなった。当時、州上院議員だった父親は、どんなに頼んでも事故の相手が謝罪してくれなかったことに憤慨し、『わびる言葉さえ封じられたのでは社会生活が立ち行かない』と、ソーリー法案を考え出した。86年に立法化された。1998年、テキサス州でも制定されたほか、ヴァーモント州では謝罪しても直ちに法的責任を認めたとは解釈しないとする判例が確立された」とのこと。

(July 20, 2007)

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[・] 食料品店内の雷雨

日本には個人経営の食料品店が沢山ありますが、アメリカでは大都市の中華街の食料品店やアジア系食材店を除けば、個人の食料品店というのは珍しいと思います(魚屋はありますが)。たいていはグロサリ・ストア(大規模食料品店チェーン)で、日本の中程度のスーパーのサイズがあり、薬品、化粧品、台所用品、雑貨なども揃えています。

さて、そういうグロサリ・ストアの野菜売り場。レタスとかネギなどの青野菜の前に立っていると、時々雷鳴が聞こえます。本物ではなく録音です。「何なんだ、一体?」と思っていると、数秒後に「プシューッ!」と音がして野菜陳列台に俄雨(にわかあめ)が降って来ます。野菜を吟味していた場合、袖口がびしょびしょになってしまいます。つまり、雷鳴は「これから雨が降りますよ!」という予告なのです。すぐ手を引っ込めなくてはいけません。

計測してみたところ、夏季で約4分半間隔で雨が降ります。乾燥し易い冬期はもっと間隔が短いのではないでしょうか。この雷雨は野菜には確かに効果があるようで、シャワーが届く範囲と届かない部分(陳列台の上の方)との差は歴然としています。雨がカヴァー出来ない野菜は萎れかけています。

何でもアメリカの真似が得意な日本のスーパーは、この雷雨も真似しているだろうか?と思い、何人かの親戚・友人に問い合わせてみたのですが、「そんなものは無い」との返事でした。で、自信をもって“アメリカ特産”として紹介する次第です。

(June 20, 2007)

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[・] アメリカの電話事情

アメリカ人が録音した留守番電話のメッセージには、"You have reached xxx-xxx-xxxx. Please leave your name and phone number and message...."と現在完了を使ったものが多いようです。2006年のアメリカ映画'The Guardian'『守護神』の登場人物の女性の留守番電話のメッセージも、"Hi, you've reached Helen. Leave a message."というものでした。しかし、このように自分の名前を入れるのは非常に稀です。番号は既に知られているとしても、こちらの名前まで曝け出すのは後々面倒なことになりかねないからです。

カミさんの母親は、夫亡き後もずっと電話番号簿への記載を夫の名前のままにしていました。その母親がナーシング・ホームに移り、家を引き継いだカミさんもそのまま父親の名前にしたままです。名義の変更は簡単なのにどうしてかというと、「女性一人の住まいと分ると、泥棒や強盗に狙われやすい」からだそうです。留守番電話のメッセージには「あなたは○○○ー○○○○に電話しています。ブザーの後、メッセージを録音して下さい」という風に、全く名前を出しません。そういう観点からすると、映画'The Guardian'の女性はちと不用心ということになります。

私は宣伝の電話の多さに参ってしまい、かけて来た相手の正体が分るCaller-IDという機能を電話局と契約しています。宣伝屋も会社名などを隠すようになってしまいましたが、大半は市外からの"Tollfree number"、"Unavailable"、"Calling"などと正体不明で表示されるので、私の友人・知人でないことはすぐ分ります。外国からの電話が(宣伝ではないのに)"Unavailable"になってしまうのが欠点ですが。

同じ市内からの電話の多くは間違い電話で、その多くは常習犯です。同じ人が何度も掛けて来ます。多分、番号が一字違いなのでしょう。そういう人の住所氏名を当市の電話番号簿で調べようとすると、番号簿に載せていない人が多いことに驚きます。「自分からは掛けるが、掛けてほしくない」と思っている人が多いわけです。

一般的に貧しいと思われている黒人たちの間の携帯電話(アメリカではcell phoneと呼ぶ)の普及率は凄く、日本やアジアのビジネスマン、青少年と全く同じようにところ構わず喋っています。「壊れた携帯電話で、相手もいないのに喋ってるんじゃないか?」と云う口の悪い人もいます。つまり、携帯電話はステータス・シンボルのようなものなので、「おれだって持ってる」と掛けているフリをしてるだけという冗談です。しかし、「貸してくれ」と云われたら恥をかくだけですから、そんな芝居をする人間はいないでしょう。

備え付けの電話を解約し、携帯電話一本に絞っている人も多くなっているようです。同時に、公衆電話がどんどん撤去されています。保守・整備・集金に人を使うほどの収益が上がらなくなったからです。これは携帯電話を(あるいは電話を全く)持っていない人には悲劇です。車であちこち探し回らなくてはならず、緊急の時に困ってしまうので。

(May 20, 2007)

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[・] I'm proud of you

アメリカ人気質を理解するキィ・フレーズの一つは"I'm proud of you."でしょう。このフレーズが出て来たら、それは映画の泣かせどころと云って間違いないと思います。

湾岸戦争を戦っている兵士を慰問したブッシュ大統領が、"We are proud of you."という台詞を発する場面は容易に想像出来ます。フットボールやバスケットボールで全米一になったチームを迎えた知事や市長が"We are proud of you."と云うのもお決まりです。これらは当たり前の場面なので、別に何ということはありません。日本の高校野球日本一になったチームを迎えた知事や市長、校長が「あなた方は当県(市、校)の誇りです」と云うのと同じ状況です。

しかし、個人レヴェルの"I'm proud of you."は、どうでしょうか?"I'm proud of you."は日本語に置き換えられない感情です。「あなたは私の誇りです」と訳しても、全然感情は伝わりません。日本には「私の誇り」という表現は無いからです(少なくとも私はそう思います)。“日本の誇り”と云う表現はあっても、個人レヴェルの“誇り”は全く無いと云って過言ではないでしょう。

戦争や試合から戻った息子に、アメリカの父親や母親は"I'm proud of you, son!"と云います。アメリカ人にとって「お前は私の誇りだ」というのは最大級の褒め言葉です。戦争で負傷しようが、試合に負けようが、当人がベストを尽くしたことを認めるのです。

NHKの連続TV小説『おしん』を御覧になったことがおありでしょう。おしんの夫・竜三は戦時中軍需工場を経営し、徴兵にも一役買っていました。敗戦となったある日、竜三は責任を感じて自殺します。彼の位牌の前で彼を溺愛していた母親が「責任を取ると云いながら自分だけ楽にあの世へ行ってしまい、残った妻子に苦労させるとは何たる卑怯者!」となじります。するとおしんは、「戦争中は何も云わず、戦争が終わってから『あの戦争はよくなかった』と云う人間が多い中で、自分の生き方に筋を通した竜三は立派だったと思います。そんな竜三が私は好きです。大好きです」と云って、竜三の母親を感激させます。「そんな竜三が私は好きです」を英語の字幕にするとしたら、これこそ"I'm proud of him."になることは間違いありません。

私のゴルフ仲間の一人に、私が「トーナメントのBクラスで優勝した」と伝えると"I'm proud of you."という台詞が返って来ます。AクラスじゃなくBクラスなのでちと大袈裟な反応ですが、でも友人としてみれば手放しで賞賛したいわけです。逆に云えば、"I'm proud of you."と云い合う機会の有無が、人間同士の結びつきの緊密さの程度を表していると云えるかも知れません。

私が日本語を教えている青年たちに、彼らのパフォーマンスがよかった時、"I'm proud of you."と云うと、本当に嬉しそうな顔をします。芸を褒められて頭を撫でられたた犬は、尻尾を振りながらチンチンして口でハアハア云いますが、ほぼああいう感じです。チンチンはしませんけど:-)。

(April 20, 2007)

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[・] 直美の逆襲

Naomi Wattsというハリウッド映画女優について考える時、私はいつも次のようなことを想像していました。彼女のお父さんはアメリカ海軍か空軍の兵士として日本に駐屯し、“ナオミ”という女性と恋仲になった。しかし、二人は結ばれず別れ別れに。その兵士は後に結婚して、生まれた女の子に想い出のNaomiと名付けた。いまや映画スターになったその子の名前には、日米の架け橋となる意味が含まれている…と。

直美、奈緒美、奈穂美、尚美、直己、直実、直見、なおみ。これらは日本人の名前として定着しています。 「映画データベース- allcinema」で調べますと、直美 81人、奈緒美 36人、奈穂美 3人、尚美 33人、直己 7人、直実 7人、直見 1人、なお美 2人で、計170人。全て映画関係者(女優とは限らず、色んな専門家を含む)です。

Naomi Wattsのお父さんがどの“ナオミ”と出会ったのかは不明ですが、30年以上前ですと多分一般的な“直美”だったのではないか…てな想像をするのは私一人ではないような気がします。しかし、こういう推測は大間違いのこんこんちきだったのです。

英語版の映画データベースIMDbで"Naomi"を検索すると、次のような警告メッセージが出ます。「500人以上の検索結果があります。もっと範囲を狭めた検索をするか、全てを見ることも可能です(でも、【見るだけでも大変なので】われわれが警告しなかったとは云わないで下さい)」。構わずに「全部見る」を選ぶと588人の名前がずらずらと並びます。そこには「もっと探す」という選択肢もあり、それを選ぶとさらに408人の名前が出て来ます。計996人。映画関係者だけでです。一般人も入れたら膨大な数になるでしょう。そんな数のアメリカ兵士が日本で“ナオミ”という女性と恋仲になったとは考えにくい。これには裏があると思って、Googleで"Naomi name origin"で検索しました。

すると、"Naomi"は"nay-OH-mee"(ネイオーミー)と発音し、聖書に出て来る女性の名前で、意味は"pleasant"(楽しい、愉快な)とありました。聖書の人物ですから、この名前は世界中の人々に付けられているようです。

そう云われて思い出したことがあります。私の高校時代、「義昭」という名前の同級生がいました。彼の家はクリスチャンで、聖書の「ヨシュア記」からとって「義昭」と命名されたんだそうです。「直美」という名前の日本人の多くもクリスチャンの家族なのかも知れません。

ところで、Kobe Bryant(コーベ・ブライアント)というバスケットボールの花形選手がいます。私は"Naomi"で懲りたので、彼のお父さんが日本に駐留し、神戸で日本女性と恋に落ちたとは考えませんでした:-)。直ちにGoogleで"Kobe Bryant name origin"で検索すると、何と彼のお父さんがレストランのメニューで"Kobe beef steak"という名前に魅せられ、息子の名前に拝借しちゃったんだそうです。この謂れが出ていたのは http://www.behindthename.com/articles/fikes.php というサイトですが、日本起源の妙な名前としては "Japan, Nissan, Yashica"などがあるそうです。こんな名前を付けられた子供は堪りませんね。

(March 30, 2007)

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[・] 幸福の黄色いリボン

山田洋次監督の映画に『幸福の黄色いハンカチ』というのがありました(1977年公開)。殺人罪で網走刑務所に服役していた高倉 健が出所し、夕張炭坑住宅に住む妻・倍賞千恵子の元に急ぎます。服役前、彼は「待っていてくれなくてもいい。しかし、おれがお前の元に戻ってもいいのなら軒先に黄色いハンカチを出しといてくれ」と妻に云ってありました。恐る恐る家に近づくと、何と満艦飾のように黄色いハンカチがはためいているではありませんか!この物語は、アメリカ映画としてリメイクされることが発表されました(2007年2月)。

[Ribbon]

2004年〜2005年にかけ、私のアパートの隣りのドアに大きな黄色いビニールのリボンが飾られました(右の写真)。私の住む町の公園脇の木(普通12月にクリスマスのイルミネーションが飾られる)にも無数の黄色いリボンがつけられ、“黄色い花が満開の木”に変貌してしまいました。そして、市民の自動車の多くに黄色いリボンの形のスティッカー(写真の左側に見える輪になったもの)が貼られ、それには"United We Stand"とか"Support Our Troops"などという文字が入っていました。これら全てはイラク戦争に赴いている兵士の無事の帰還を祈るシンボルだったのです。隣りの婦人Elaine(イレイン)の息子Billy(ビリィ)は当時州兵で、非常時ということで狩り出されてイラクに一年と一ヶ月赴いていたのでした。彼が帰還し、空港で母親と抱き合っている写真は新聞の一面を飾りました。最近Billyは陸軍に採用され、またもイラク行きとなったそうで、再び黄色いリボンの登場となりました。

何故、誰かの帰還を待つ時、リボンを飾るのか?また、何故それは黄色なのか?不思議でした。

山田洋次の脚本の原典は、アメリカのコラムニストPete Hamill(ピート・ハミル)が誰かから聞いた話をまとめた新聞記事'Going Home'(1971)でした。この物語は'Tie a Yellow Ribbon 'Round the Ole Oak Tree'(樫の木の周りに黄色いリボンを結んで)という歌となり(1973)、大ヒット。Pete Hamillの物語ではハンカチだったものが、歌になった時にリボンに変貌していました。作詞家が別途聞いた実話では白いハンカチだったのですが、「"white handkerchief"では韻律がよくないのと、映画'She Wore a Yellow Ribbon'『黄色いリボン』(1949)の影響もあって黄色いリボンにした」と作詞家は打ち明けたそうです。

私はJohn Ford(ジョン・フォード)の『黄色いリボン』を何度も観ていましたし、その主題歌'Round her neck she wore a yellow ribbon'(彼女は首の周りに黄色いリボンを結んでた)も知っていました。西部のある砦の守備隊長の娘は髪に黄色いリボンを飾り、「それは誰のため?」と聞く若い騎兵隊員たち数人各個に「あなたのためよ」と云って気をもたせます。本来は遠征に出掛ける恋する兵士の無事を祈って黄色いリボンを飾るのだそうです。「私には意中の人がいるの。他の人が誘惑しても無駄よ」という貞節の意思表示で、兵士も安心して戦場へ行けるという仕掛けです。

実は「黄色いリボン」主題歌の起源は16世紀あたりまで遡れるらしいのですが、それはリボンでもハンカチでもなく緑の柳の枝だったそうで、やはり映画『黄色いリボン』あたりが現代人の感覚の行き着く終点と云えそうです。

今回、『幸福の黄色いハンカチ』の筋を振り返ってみて、山田洋次に完全に騙されていた点を発見しました。同じ北海道に住んでいるわけですから、黄色いハンカチを一杯飾るような愛情深い奥さんなら、一年に一回か二回は刑務所に面会に行くか、少なくとも手紙ぐらいは出してもいいところです。そして、「刑期満了も近いわね。お赤飯炊いて待っていますからね」とか云うのではないでしょうか?だとすれば、旦那がびくびくしながら家に戻る必要はないのです。劇的ではありませんが、それが普通でしょう。われわれ観客はすっかり騙されていたのです。観ている時には気づかない、映画の魔術ですね。

(February 20, 2007)

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[・] 過去を無視するクリスチャン?

私は「辞書ではわからない言葉の背景」 http://www.asahi.com/english/weekly/ study/dic.htmlというウェブ頁を欠かさず読んでいましたが、2005年の記事に「英語文化が示すpast(過去)」というのがありました。

「神は腐敗したソドムの町を硫黄と火とで滅ぼすことにした。ソドムの町に住むロトに御使(みつか)いの一人が『あなたは妻子と共にここを逃れなさい、その際、うしろを振り向いてはいけません』と忠告するが、ロトの妻はうしろを振り向き、“塩の柱”となってしまう」という旧約聖書『創世記』からの引用をはじめ類似の表現が沢山並んだ後、「以上の引用を通じて判ることは、英語文化の背景としてのキリスト教には、『振り返って(うしろを)見る』(looking back) ことは、神の命に背くことになるということである。日本語に普通の『その節はいろいろとありがとうございました』、『いつぞやは一方ならぬお世話になりました』といった、過去に言及した挨拶表現が英語に存在しないことと、上記の神の命令との間には深い関係がある」(by 山岸勝榮・明海大学教授)と書かれていました。

別項「Indian gift」に記したような、奢られても世話になっても、“借り”にならないというアメリカ人の思考法はそういうことだったのでしょうか。それがキリスト教起源となると、別にアメリカ人だけが“恩知らず”(?)ということではなく、イスラム教徒、仏教徒などを除く、ほぼ世界中の国々の人々が“恩知らず”ということになります。私には信じられませんでした。

私の友人で元・数学教授のMike Reekie(マイク・リーキィ)に上の話を紹介しました。彼は即座に『創世記』と「過去に言及した挨拶表現」の関係を否定しました。彼は教会の役員でもあり、司祭が不在の際の説教師でもありますので、聖書に関する造詣は深いのです。もちろん、「過去に言及した挨拶表現」が無いということになると、それは「無礼、無作法」ということになりますから、彼が否定したくなる気持ちも判ります。

いい例を挙げましょう。アカデミー賞受賞者が胸元から引っ張りだす紙に書いてある、われわれにとって退屈この上ない名前の数々は、「一方ならぬお世話になった」人々の名前です。彼らは受賞が自分一人の手柄ではなく、沢山のバックアップがあったことに感謝しているわけです。キリスト教圏の人々も過去に関して礼を云うこともあるわけです。

(January 20, 2007)

【後記】上の私の記事に対し、引用文の筆者であられる山岸勝榮様(明海大学教授)からメールを頂戴しました。欧米人に貸し借りという観念がなく、感謝もその場で述べたらもう後に繰り返すことは先ずないという点では山岸様も私も同意見ということになりますが、私の文章が舌足らずであったり、山岸様の感情を逆撫でするような表現があったことをお詫びいたします。これは山岸様が「詫びろ」と主張されたわけではなく、私の自発的なものであることを付記します。なお、今回の記事の趣旨をよりよく理解して頂くために、山岸様からのメールの転載をお願いし、快く御了解を頂きました。

(February 24, 2007)

私は、「過去に執着しない英語文化」の背景を成す理由の1つとして、「創世記」、「ルカによる福音書」、「イザヤ書」等からの引用を致しましたが、今でもそれは間違ってはいなかったと思っております。ご友人のMike Reekie様が「創世記」と「過去に言及した挨拶表現」の関係を否定なさったというのは無理からぬことだと思います。ただ、私は、聖書が「過去を振り向くな」という趣旨のことを書いているから、それだけが理由で、英語には「過去に言及した挨拶表現」がないのだと書いたつもりはありません。

拙稿にありますように、「英語文化では、…の影響“も”あって、過去を振り向くことを日本の場合“ほどには”重視しない」と書きました。あくまでも比較の問題です。高野様は、「『過去に言及した挨拶表現』が無いということになると、それは『無礼、無作法』ということになりますから、彼が否定したくなる気持ちも判ります。」と書いておられますが、大事な箇所を落とした形で引用なさっておられます。私は、「日本語に普通の『“その節は”いろいろとありがとうございました』『“いつぞやは”一方ならぬお世話になりました』といった、過去に言及した挨拶表現が英語に存在しないことと…」というように、“その節は”“いつぞやは”というきわめて日本的・抽象的言い方を伴った表現が英語に存在しないと書いております。高野様の引用は、そのうちの「過去に言及した挨拶表現」という箇所に焦点を当てておられます。

たとえば、私の実際の経験に基づく例ですが、以前、ある学会に出席した際、それよりもさらに十数年も前にロンドンで多少のお世話をした人から、「“その節は”お世話になりました」と丁寧に礼を述べられたことがありました。これを英語に直訳すれば、Thank you very much for many things you did for me at that time [then]. とか、 Thank you very much for all you so kindly did for me at that time [then]. とか、Thank you very much about that time. といった言い方になりますが、いずれの言い方も(文法的には問題はないものの)英語としては不自然だと思います。私が拙稿で書いたことは、まさにその点でした。

英語では、高野様もよくご存じの通り、相手が何かを(して)くれた場合、その時、その場できちんと礼を述べることが重要で、あとになって礼を言うのは、相手が何かを(して)くれたにも拘わらず、何らかの理由でその場で礼を述べることができなかったというような場合になるのではないかと思います。英語では、Thank you very much for the nice [wonderful] present you gave me the other day.(先日は素晴らしいプレゼントをありがとうございました)と過去に言及しながら礼を述べることもあると思います。ただし、その場合でも、あくまでも「先日」 のことであって、「十年も前(=その節)」というようなものではないはずです。しかも、英語の “the other day” は日本語の 「先日」よりも近い過去 (2、3日前) を指すことが多いのではないかと思います。一度きちんと礼を言っておきながら、何日も(何週間も)経って、再び礼を言えば、「この人は私にまた何かを望んでいるのではないか」と、痛くもない腹を探られかねないのが英語文化ではなかろうかと思います。日本人は(私が上でご紹介した例のような)十年前の礼を言うような人を「義理堅い人だ」「恩を忘れない人だ」などと評価しますが、英語圏の人々にはまさに理解不能なことでしょう。

高野様がご紹介になっておられるアカデミー賞受賞者の例は、もちろん英語圏では普通のことだと思います。確かにそれは「彼らは受賞が自分一人の手柄ではなく、沢山のバックアップがあったことに感謝している」証拠です。そのような気持は万国共通のものでしょう。私が拙稿で書いたことを援用して申し上げるならば、アカデミー賞受賞者であっても、「“その節は”…」とか「“いつぞやは”…」というような発想はしないだろうということです。

英語圏の人々、たとえばアメリカ国民の多くが過去を“日本人ほどには重視しない”のは、前記したような宗教的伝統もあるでしょうし、多民族性や民族の移動性といったことも関係しているでしょう(その他の理由も混じっているかも知れません)。

平成19年(2007年)2月24日 山岸勝榮・明海大学教授

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[・] Indian gift

私は「奢られたら、次は奢り返す」、「何か貰ったら、何か上げる」という日本人の思考・習慣を「メンタルな貸借対照表」と呼んでいます。日本人は貸借対照表を常にチャラにしておかないと落ち着かない人種だと思います。“借り”があるまま忘れ去ることを恐れ、“貸し”たままだと相手を恩知らずと心の中で罵る。

アメリカで暮らし始めて驚いたことの一つは、彼らが奢られっ放し、貰いっ放しで、お返しをしようなどと思わないことでした。十年近く住んでみて、もう驚きはなくなり、そういう人種なんだと悟る境地に到達しました。そして、それを裏書きする表現を発見しました。

"Indian gift"(インディアン・ギフト)「返礼目当てで与える贈物」
"Indian giver"(インディアン・ギヴァー)「一度与えたものを取り戻す人。返礼目当てでものを与える人」

これはこちらに住んでいる日本婦人たちから聞いた言葉で、「この前上げたあれ、返してくれる?」と云う人を定義する言葉として語られました。

'Word and and Phrase Origins'という語源の本によれば、贈呈したものに見合わない返礼があった場合に、アメリカン・インディアンは先の贈物を取り戻すという風習があるそうです。もし、贈呈したものより過分な返礼を受けると、侮辱されたと感じるアメリカン・インディアンも中にはいるとか。アメリカ英語には"Indian"がつく言葉が500ほどあるそうですが、その多くはインディアンの正直さを貶めたり知能を馬鹿にしたりする意味に使われていると書かれています。

アメリカン・インディアンはモンゴロイドで、日本人と同じように子供の頃蒙古斑が現われます。そういう人種ですから、われわれ日本人と同じ厳密な「メンタル貸借対照表」が存在するようです。そして、英語の意味が示すように、アメリカ人は無償の好意以外は毛嫌いし、返礼を期待する人を軽蔑していることが解ります。

日本人は「只ほど高いものは無い」と云い、無償の好意を受けたことによる義理を痛感し、どう返礼すべきか苦慮します。英語にも"There's no free lunch."(タダの食事などというものはない)という言葉がありますが、これは「うまい話には気をつけろ」、「騙されないように」という戒めです。「お返しをしなくてはいけない」という意味ではありません。

私が体験したアメリカ人たちの行為(というか、行為の無さ)は、東洋人とは全く別な次元のものの考え方から来ているようです。

(December 30, 2006)

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[・] アメリカのクリスマス

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私の住むミシシッピ州Meridian(メリディアン)はバイブル・ベルトの主要な部分に位置し教会の数も多く、地方紙には週一回「宗教」という4頁ほどの特集が入るほどです(大半は教会の広告ですが)。

クリスマスの商業化は日本だけかと思っていましたら、バイブル・ベルトの中も形骸化しつつあるようです。図はある教会のクリスマス・シーズンの新聞広告ですが、「一体誰の誕生日なのか?」と大衆に問うています。

同じ号のメインの記事は"Do we know the reason for the season?"(私たちはこの祝日シーズンの理由を知っているでしょうか?)というもの。ショッピング・モールの買い物客の写真と共に、何人かの司祭たちの意見が集められています。ある司祭は「私もクリスマスの商業化を嘆く一人だが、強固な無神論者でさえこの祝日の喜びを分ち合うことに意味がある。キリスト教の影響がなくてもツリーを飾り、プレゼントを交換する国が多い。誰かへの贈り物を選び、その対価を払い、無償で与えるのは、神が過去、現在に我々になしたもう行いの影のようなものである。その頂点はイエスの生誕、死、そして復活である」

別の司祭は「"Christmas"を"Xmas"と書くのは、子供たちにキリストではなくサンタクロースを信じさせるに過ぎないと私は憂える。

プレゼント選びもシェアリングではあるものの、自分の能力の範囲で行うべきだ。借金をしてまで贈り物をし、次のクリスマスまでに払い切れないようでは悲劇である。

我々は商業的側面にエネルギーを費やし、宗教的側面をないがしろにしている。クリスマスは神がその息子を私たちに与えたまい、息子は私たちに恵み(恩寵、慈悲、救世)をもたらした。私たちはこれを祝福すべきなのであって、ショッピングモールの売り上げを祝福すべきなのではない」

借金うんぬんは信じられないでしょうが、私が尋ねたことのある若い親たち(白人)は子供一人につき20個もプレゼントを買っていました。「子供を失望させたくない、半分喜んでくれればいい」ということかも知れませんし、返品天国アメリカなので「子供が気に入らないものは返品すりゃいい」という態度かも知れません。

2002年12月23日のasahi.com(朝日新聞)には「本来のクリスマスに戻れ ローマ法王、商業主義化を批判」という記事が載りました。「ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は22日、サンピエトロ大聖堂前の広場に集まった信者に対し、クリスマスが商業主義によって変質しつつある現状を批判、本来の精神に立ち返るよう訴えた。『家族や友人同士で贈り物を交換する美しい伝統も、商業主義の影響を受けてクリスマスの真の意味を見失わせる危険がある』とも述べた」という記事です 。しかし、12月22日にこんなことを云っても遅いですよね。もう大方の家のツリーの下にはプレゼントが山と積まれている頃ですから。

もう一つ。あるコラムニストが"Whatever Happend to 'Merry Christmas'?"という意見を載せました。最近、どこでも、誰もが"Happy holidays!"と云い、"Merry Christmas!"と云わないと嘆いているのです。そう云えば、当市の銀行の出納係もガソリン・スタンドのレジ係も"Happy holidays!"と云っていました。アメリカ人と一口に云っても必ずクリスチャンとは限らないわけで、他の宗教の人々に配慮して"Merry Christmas!"と云わなくなったようです。

2005年の秋頃、キリスト教の連盟が「もしスーパーWalmart(ウォルマート)の店員たちがまだ顧客に"Happy Holidays!"と云うなら、われわれはWalmartをボイコットする」と宣言しました。そのせいで、この年Walmartのキャッシャーたちは"Merry Christmas!"と云っていました。2006年も同じ方針だそうです。

そもそも、人種の坩堝(るつぼ)であるアメリカは、クリスチャンばかりで成立しているわけではありません。ユダヤ教、ヒンズー教、イスラム教、仏教など、信心はさまざまです。それでお客の神経を逆撫でしないように…という営業政策から"Happy Holidays!"が始まったようです。しかし、そうだとすればクリスマス・ツリーは「ホリデイ・ツリー」、クリスマス・プレゼントは「ホリデイ・プレゼント」でなければおかしい理屈です。もともとクリスマスは単なる祝日ではなく宗教的起源ですから、「ホリデイ(休日)」と一般化するのは無理がありますよね。

蛇足ですが、こちらには「クリスマス・ケーキ」というものはありません。あれは日本だけのものです。

(December 10, 2006)

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[・] 道を聞かないアメリカ人

あるアメリカ人男性と車で一時間離れた大きな町へ行きました。彼の車で彼の運転です。そこの有名な寿司屋を探したのですが、私も彼もよそ者なので中々見つかりません。私が「どっかの店で止めてくれたら、道を聞いてくる」と云ったのですが、「いや、必ず見つかる」と彼は同じ道をぐるぐる行ったり来たりします。彼は「おれたちは道を聞いたりしないんだ。自分で見つけるんだ」と宣言しました。私はこの男の思考は合理的ではなく、馬鹿げているとさえ思いました。しかし、ハンドルを握っているのは彼ですから、私にはどうしようもありません。結局、お目当ての寿司屋は見つからず、別の寿司屋でお茶を濁すことになりました。

ある日本婦人が亡くなり、当地に住む日本婦人三人と一緒にお葬式に行きました。お葬式は車で40分ほど離れた町で行なわれたのですが、埋葬はさらに小一時間のドライヴで小さな田舎町へ行かなくてはなりませんでした。前の車について行ったのですが、高速道路からどんどん砂利道へと進んで行きます。と、三叉路でその車がUターンし、元来た道を引っ返して行きます。私は彼らが地元の農家に道も聞かずに引っ返して行ったことに疑問を抱きました。自分の思い込みだけで行動しているようです。私はこちらの車を運転していた婦人に「あの農家で聞いて来ます。一寸待ってて下さい」と云って、車を止めて貰いました。

その後、田舎の教会を探しながらのドライヴで、次のようなことが明らかになりました。同伴の日本婦人三名はみなアメリカ人男性(軍人)と結婚して、夫の郷里である南部にやって来て未亡人となった人たちなのですが、彼女たちの夫もみな道を聞くのを嫌がったと云うのです。「人には聞かずに自分で見つける」と云い張ったそうです。

知り合いの25歳の男性に聞きましたら、「目的地をきちんと把握しておくべきなので、道を聞くのは恥ずかしい行為。同乗者がいたら絶対に聞かない。一人の場合なら聞くこともあるが、ガソリン・スタンドや公共施設で聞き、通行人や付近の一般住宅で聞いたりはしない」とのことでした。老若には関係ないわけです。

では、それは南部の頑迷な男たちに特有の態度なのか?北部の男性には無い傾向なのだろうか?と思いました。私がメールをやりとりさせて頂いている方のお一人は、ニューヨークを初め北部の数ヶ所で留学経験を持つ方なので、この件についてお尋ねしてみました。御親切にも、「私は気がつかなかったが、メールでアメリカ人たちに聞いてみましょう」と申し出て下さいました。そして、何と十人もの北部・東部・西部のアメリカ人男性たちから回答を得て下さったのです。

その結果、道を聞かないのは全米のアメリカ人男性に共通する傾向であることが判明しました!数人が「自分は道を聞くが、頑固に道を聞かない男性がほとんどである」と答えましたが、ほとんどの男性は「私は道を聞かないが、それはプライドの問題である」とし、フロンティァ精神まで持ち出す人もいました。つまり、開拓者たちが人に聞いたりせずに自分の道を切り拓いた伝統であるというわけです。確かに、幌馬車隊が地元インディアンに道を聞いたりはしませんわな(殺されてしまう)。しかし、「道を聞かない」のが全米男性の傾向なら、このフロンティァ精神は眉唾です。開拓者の子孫など一握りであって、アメリカ人のほとんどはその後の移民であると考えられるからです。

ある男性は「私が迷った時道を尋ねると驚く御婦人が多い。彼女たちが知る男性の多くは馬鹿だから道を聞かないと決め込んでいるからだ」と云っています。あるユダヤ人男性は「聖書に『ヘブライ人は40年間“約束の地”を探して砂漠をさまよったとある。40年も。当然だ。彼らの指導者は男性で、馬鹿であるかプライドが高過ぎて道を聞かなかったからだ』というジョークを寄せて来ました。

Googleで"Why men don't ask for directions?"というキーワードで検索してみました。何と、2,090,000 件(フレーズ検索だと718件)もヒットしました。以下はCNN系列のサイトから:

Everyone knows that men refuse to ask for directions when they're lost. (道に迷った時、男性が道順を訊こうとしないのは周知の事実である)
(http://money.cnn.com/magazines/moneymag/moneymag_archive/2006/07/01/8380769/index.htm)

男性(女性は別です)が道を聞かないのが全米的傾向であることはアメリカの常識のようです。'Why Men Won't Ask for Directions'という本まで出ていることが分ります(http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0691057575)。私が日本で仕事をしていた頃、TV局の運転手さんもタクシーの運転手さんも、迷ったらすぐ道を聞きました。通行人にでも、お店の人にでも。プライドも何もありません。私自身も誰にでも道を聞きます。一人の意見だと心配な場合、少し離れて別な人に再度聞いたりします。道を聞かないのは時間の無駄であると思います。世界中で最も合理的人種に思えたアメリカ人の、非合理的一面を発見したことに驚いています。

(November 10, 2006)

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