[一般] [風俗・慣習] [食事] [発音] [口語] [文法・表現] [その他] [Home]

[一般]

Contents




[・] 奇妙な類似

諺や表現などが、英語と日本語で奇妙に似通っているのは枚挙にいとまがありません。それらの多くは日本人の英語教育が一般的になる以前に英語から輸入されたものが多いようで、日本人は丸で日本の諺のように誤解していたりします。

私のアパートのバス・ルームの洗面台の蛇口の締まり具合が悪く、水が滴るようになりました。マネージャーに云うと、ワッシャーの交換では済まないそうで全体を新品にすることになりました。

業者が新しい蛇口(冷水と温水の二つのハンドルが付いている)をインストールしました。漏れはないし、ピカピカの新品なのでいい気持でした。しかし、一日経つと不満が出て来ました。冷水のハンドルに約30°もの「遊び」があり、ちょいと廻しただけでは水が出ないのです。かなり廻して水を出し、締めるにもかなり廻さねばなりません。凄く焦れったい!

「遊び」というのは、機械装置などが操作に反応するまでのゆとりのことです。いい例が自動車のブレーキです。ブレーキは踏んですぐはタイヤを停止させません。ぐーっと踏み込んで初めて車が停止します(そうでないと、激しく急停止して車がひっくり返る騒ぎになりかねません)。その踏み始め(無反応)から、実際にブレーキが効き始めるまでの範囲を日本語で「遊び」と云います。

業者に「蛇口のハンドルの遊びが多過ぎる。調整出来ないものか?」と云おうと思い、「“遊び”って何て云うんだろう?」と辞書を引いてびっくり。英語でも"play"(遊び)なのです。「ウッソーっ?」と思っちゃいました。「遊びが多過ぎる」は"have too much play"なんだそうです。

これなんか、偶然の一致にしては出来過ぎのような気がします。私の推測は、英語からの直訳・輸入というものですが、どうでしょうか?

(November 30, 2011)

[Back to top]

[・] バランスの問題

"unique"というのは「この世に二つとない」独特なものであることを指すので、"very unique"などと強調するのは重複・冗長というより"unique"の意味を理解していない無学な表現である…という説明を読んだことがあります。

'Chasing The Bear' by Robert B. Parker(Philomel Books. 2010)という小説を読みました。これは私立探偵Spenser(スペンサー)の少年時代を回想する物語で、スペンサー・シリーズの番外編(ヤング・アダルト向け)です。主たる筋は父親と二人の伯父(母親の兄弟)と暮らした頃の出来事です。スペンサーが四人の関係を次のように回想します。

"I guess my father was a little more equal."

「平等」というのは凸凹のない対等な関係である筈で、"more equal"とか"less equal"というのはあり得ません。"very unique"と同じです。少年の言葉ならまだしも、これは現在のスペンサーの台詞なので驚きました。

しかし、Googleで"more equal"を検索すると膨大な数がヒットします。その筆頭はGeorge Orwell(ジョージ・オーウェル)作の'Animal Farm'『動物農場』に出て来る"All animals are equal, but some animals are more equal than others."です。他の例も皮肉かおふざけの表現に思えます。

大人向けのスペンサー・シリーズを読んでいない青少年に、この小説が面白いかどうかは疑問ですが、スペンサー・シリーズのファンであれば、年齢に関係なく楽しめます。現在形と回想が交互に語られ、現在形の聞き手はスペンサーのガール・フレンド(精神病医)のSusan(スーザン)です。

"happy medium"という言葉があります。これも「“中間”に幸も不幸もないだろうに…」と気になって調べると、「(両極端の)中間、中庸」という意味でした。つまり、"happy"に「幸運な」というニュアンスはないのですが、相対する極端な考えや行動の中間という意味では「満足すべき妥協点」と云えます。大岡裁きの「三方一両損」に倣えば「二方一両損」という感じでしょうか。

(November 10, 2011)

[Back to top]

[・] オンライン航空券

日本からの旅行者のほとんどは、航空券を日本で購入するでしょうから、そういう方はこの項目を読む必要はありません。『英語の冒険』は、アメリカに留学する方、駐在する方とその家族などに、私の経験に基づく情報をお伝えすることも役割の一つとしています。この項もその一環です。

私が航空券や宿の予約をするのはTravelocity(http://www.travelocity.com/)です。もう一つのMS系の大手Expedia(www.expedia.com/)は日本で発行されたクレディット・カードを受け付けてくれないので、全く使っていません。

航空券を予約するには、'Search for Travel What Do You Need?'というメニューから'Flight Only'を選びます。航空券とホテルやレンタカーも組み合わせるとぐんと安くなりますが、ここでは航空券だけにします。'Round-trip'(往復)か'One-way(片道)のどれかを選びます。From:には出発地の都市名、私の場合ですとMeridian, MS(ミシシッピ州メリディアン)と入力しても良いし、三文字の空港コードを知っていればそれをタイプします。

アメリカ合衆国の空港コードはhttp://www.orbitz.com/App/global/airportCodes.jspなどで分かります。以下はほんの数例です。
Los Angeles, CA:LAX
San Francisco, CA:SFO
New York, NY - All airports:NYC
New York, NY - Kennedy:JFK
New York, NY - La Guardia:LGA
New Orleans, LA:MSY
Jackson, MS:JAN

私の住むMeridianはMEIです。しかし、ここにはプロペラ機しかなく、ここから乗り継ぐと高いので、90分ドライヴしてミシシッピ州の州都Jacksonから、サンフランシスコへ往復することにします。で、From:欄にJANと入力し、To: (目的地)にSFOとタイプします。’Compare Surrounding Airports'をチェックすると、目的地の近くの別の空港行きの格安航空券を探してくれます。

'Exact dates'は「指定日」で、特定の日時に固執する場合に選びます。’Compare Surrounding Airports'をチェックしていないと、'+/= 1 to 3 days'(数日の前後は構わない)と'Flexible dates'(日や曜日に拘らない)というメニューが表示されます。

'Depart:'欄で出発日時として希望する日付、時間を選択します。'Return:'欄は帰着日時。どちらも欄をクリックするとカレンダーが現われるので、そこから日付を選びます。

出発/帰着時間を希望しないと、デフォルト(初期設定値)の"Anytime"(何時でも構わない)を選んだことになります。

次は乗客の年齢と人数です。'Adults (18-64)'は「18歳から64歳までの成人」、下のポップアップ・メニューで人数を選びます。'Minors (2-17)'は「2歳から17歳の未成年」、65歳以上は'Seniors (65+)'で割引の対象になります。2歳以下の幼児を膝の上に乗せる場合、通常は無料です。デフォルトが'Adults'で「一名」になっていますから、もしシニア一名だけ旅の場合は'Adults'を"0"にしなければなりません。

'Search Now'ボタンをクリックすると、Travelocityのコンピュータがこちらの希望にそった候補を探し出してくれます。私が試した日は便数が六つ、航空会社も六種類、値段は$387〜$489でした。"1 Stop"は一回の乗り継ぎ、"2 Stops"は二回乗り継ぎです。いくら安い運賃でも、二度も乗り継ぎをさせられるとかなり無駄に時間を費やすことになり、うんざりさせられます。

気に入った便が見つかったらそれを'SELECT THIS DEPARTURE'(この便を出発便に決定)をクリックします。次に戻りの便の候補が表示されますので、どれかを選択し'SELECT THIS RETURN'(この便を帰りの便に決定)をクリックします。

「ホテルも予約しませんか?」というページが表示されますが、無視して'Continue with Flight Only'(飛行機だけで結構)をクリック。後は支払です。Travelocityの登録者は「ログイン名」と「パスワード」を入力します。未登録の人は右の'Continue'をクリックして、個人情報を登録します。

(October 10, 2011)

[Back to top]

[・] ガイジン同士の会話

以下の記事は大分前に書いたもので、この店のオーナーおよび店員はもう変わっています。

お隣りのアラバマ州Tuscaloosa(タスカルーサ)にある韓国人経営の食料品店Oriental Marketに電話しました。午前中はある程度英語が達者な女性が出て、いくつかの食品をオーダーすることが出来ました。彼女の名前を聞くとJoan(ジョーン)だそうです。私が「J-o-a-n(ジェイ、オー、エー、エヌ)?」と一字ずつ聞くと「そうだ」と云います。アジア人もアメリカへ来ると、英語風のニックネームを付ける人が多いので、別に不思議ではありません。

午後になって、私は自分の注文が心配になりました。特別注文の一つは牛蒡六本の購入だったのですが、以前その店では既に“ささがき”にした牛蒡を売っていたことがあったのです。私は丸のままの牛蒡が欲しいので、ささがきしたものを取り寄せられて無理に買わされてはたまりません。

その店に電話すると、店員は交代していて、ほとんど英語が通じない女性が出ました。「Joanはいませんか?」と聞くと、「そういう名前の人はいない」と云います。肝心の牛蒡も"gobo"と云っても"burdock"と云っても解って貰えません。「午前中に働いていた女性はどうしたのか?」と聞くと、「彼女は家に帰った」と云います。「では彼女の家の電話番号を教えてくれ」と頼んだら、素直に教えてくれました。私は午前中いた英語に堪能な女性が店のオーナーで、この英語が不得意の女性はパートタイマーだと思いましたから、店主の個人的電話番号を見ず知らずの人間に教えるなんて、随分乱暴なパートだなと思いました。

教えられた電話番号をダイヤルすると男性が出て、「Joanなどという人間はいない。間違い電話だね」と云います。私は番号を確認し、間違いではないことを確認した後、「Oriental Marketがこの番号を教えてくれたんだが」と云うと、男性は態度を変え「ああ、Jangか。私の妻だ」と云って替わってくれました。

Joan(ジョーン)ではなく、Jang(ジャン)だったのです。「J-o-a-n?」と一字ずつ確認したのに、全く違うではありませんか。いずれにせよ、ささがき牛蒡ではなく丸のままの牛蒡の注文であることは理解して貰えました。

数日経って牛蒡が届いた頃、90分のドライヴでその店を訪ねました。午後遅くだと例のチンプンカンプンの女性に交代している恐れがあるので、12時頃に行きました。正解でした。Jangは午後2時で交代するのだそうです。彼女は只の店員で、チンプンカンプンの女性が店主だと云います。店主(実際にはJangの義理の姉)はアメリカに来たばかりで、まだ言葉が不自由なのだと云っていました。この町は学園都市で、韓国人が200人ほど住んでいるそうですから、彼らを相手にする分には英語が出来なくてもいいのでしょう。

しかし、韓国人と日本人がコミュニケートしようとすると英語を介するしかありません。私の拙い英語でも、相手が英米人なら必死に話せば何とか解って貰えます。ところが、お互いに外国語である日韓のガイジン同士だと、通じないものは全く通じなくて途方に暮れてしまいます。私が正しい発音で流暢に喋れば喋るほど理解されなくなるので、"Long time no see"風に喋らなくてはなりません。日頃の努力に逆行することになります。面と向かっての会話であれば、ジェスチュアや絵を描いて見せたりも出来ますが、電話では何も出来ずお手上げです。

(September 10, 2011)

[Back to top]

[・] 位取り

私が初めて海外取材に出されたのは1978年のことでした。羽田空港からヨーロッパへ向けて飛び立ち、二ヶ月後には開業したばかりの成田空港に帰って来るという、そんな頃でした。当時のヨーロッパ便は米国アラスカ州のAnchorage(アンカリジ)で給油しなくてはなりません。しばしの休憩時間、座りくたびれた身体を伸ばすだけでなく、免税店で買い物をすることも出来ました。まだ出発して来たばかりの私には、土産を買うなどというつもりはさらさらありませんでしたが、初めての外国の売店というものはどんなものか覗いてみることにしました。

驚いたのは、その店の価格の高いこと。大した商品でもないのに数百ドルします。大方の品がそんな値段。いくら外国でも、免税なのに馬鹿高い値段にびっくりし、当然ですが何も買いませんでした。

海外取材に慣れ、後にアメリカへも来てみて分ったのですが、こちらでは$3.10という表示をせず、$310と表示したり、$310とか、$310などという表示をする店が沢山あるのです。後の二例はドルの後の小数点を省略している代わり、文字にアンダーラインを施したり小文字にして「この部分はcent(セント)である」ことを表しています。初めての海外体験だった私は、このような表示のディテールに気づかず、価格が$310だと思い込んでびっくりしたのでした。$3.10と$310.00では天と地の違いです。円以下の単位が消滅した日本では小数点付きの価格にはお目にかかりませんから、位取りをアジャスト出来なかったわけです。

アメリカのgas station(ガソリン・スタンド)も、小数点を付けている店とそうでない店があります。いくらガソリン価格が高騰しているからといって、1ギャロン(約3.8リットル)当たり$3.37を$377.00と読む人もいないでしょうが…。

こちらの生活ではpersonal check(個人小切手)の使用が欠かせません。クレディット・カードや現金での受け取りをしてくれないケースも沢山あるからです。これに支払額を記入する時は、他人が勝手に額面を変更出来ないよう、二種類の書き方を併記します。$3.10という額なら$Three and 10/100(実際には普通の分数のように上下二段にして記入)に並べて、$3 10/100(これも分数表記)と併記します。最初の表記では、and以下がcent(セント)であることがハッキリしています。後の表記法は、これが$310の原型なのかも知れません。アンダーラインと100を除けばそっくりです。

(August 20, 2011)

[Back to top]

[・] ネイティヴ

私は日本人一般が「ネイティヴ」、「ネイティヴ」と云うのを好みません。"native"は単に「原住民」という意味であって、アメリカではアメリカン・インディアン、オーストラリアではアボリジニを指します。「英語を母国語とする人」と云いたいのであれば"native English speaker"あるいは"native speaker of English"と呼ばなくてはなりません。この場合、白人ばかりでなくアメリカ生まれの黒人やヒスパニックも含まれます。

Q&Aサイトの英語部門で「私のネイティヴの夫にも聞いてみましたが…」とか、「私の友人のネイティヴはこう云っていました」などという回答がよくあります。ネイティヴという言葉を水戸黄門の印籠のように振りかざして、質問者を「ヘヘーっ」と土下座させようという魂胆に思えます。そういう場合、その「夫」や「友人」の人種や学歴、専門などについては触れられていないのが通例で、そのネイティヴが浮浪者なのか大学教授なのか市のゴミ集めの係なのか、全く定かでありません。

私の経験ですが、アメリカ人の多くよりわれわれ日本人の方が文法的に正しい英語を書き、話し、英語に関する知識も豊富です。特にアメリカ南部は教育水準が低い地域なので、白人も黒人も"We is..."とか"All growed up."(すっかり成長した)、"She don't like me."(彼女はおれが嫌いだ)などと云ったりします(教養ある人は別ですが)。こういう“ネイティヴ”に日本人の英語に関する質問をぶつけても信用出来る答えが得られるかどうか疑問と云わねばなりません。

私の英語コンサルタントのDiane Reynolds(ダイアン・レイノルズ)は元高校英語教師ですので信用出来ますが、彼女にしても私の素朴な質問に「そんなこと考えてもみなかったわ」としょっちゅう云います。"native English speaker"の高校英語教師であっても、英語に関する質問に答えられないことがあるのです。

私のカミさんはカレッジは出ていますが、別に語学専攻というわけではありませんでした。しかも南部生まれですから、アメリカ人同士だと彼女の南部訛りによって即座に出身地域が察知出来るようです。そんな彼女も日本のある英会話スクールの教師として認められ、日本に渡りました。日本人には南部訛りなど分りませんから、カミさんも大手を振って英会話を教えました。しかし、当時生徒の一人だった私の英文を添削してくれた時、彼女も知らなかった見落としをしました。私は"The shipping fee is expensive."(手数料がとても高い)と書き彼女もOKしたのですが、実は《物品にはexpensive/cheapだが、価格や支払いにはhigh/low》というルールがあったのです。"The shipping fee is high."でなければなりませんでした。カミさんは、それを同僚のアメリカ人から教わって私に伝えてくれました。

つまり、"native English speaker"であっても、専門として英語を学んだ人間でないと文法・表現の正誤の判断は出来ないのです。語源なぞ知らないことが多い。日常の会話表現についてならともかく、文法的な事柄について私のカミさんの言葉を「ネイティヴはこう云っています」などと紹介したくありません。彼女に根掘り葉掘り聞くと、母国語について満足に説明出来ないことに苛立ち、仕舞いには癇癪を起こしてしまいます。そんな彼女の言葉はこのサイトでは眉に唾しながらの紹介に留めていますし、皆さんもQ&Aサイトの「ネイティヴはこう云っています」という回答は、眉に唾しつつ読んだ方がよろしいかと…。

(July 10, 2011)

[Back to top]

[・] サイコセラピー(精神療法)

日本にはサイコセラピーにこまめに通う習慣はありません。もちろん診断を受けた事実など他言しないものです。しかしアメリカの映画、小説などを見ていると精神科医に対する距離がかなり違うような気がします。なんだか、歯医者と同レベルの感覚で通っているような。

以前、私の町のアメリカ人数十人にアンケート調査をしたところ、次のような回答が得られました。

・「アメリカの生活に関する映画の描写はほとんど事実から程遠い。映画はリッチで、インターナショナルな旅行経験のある独立心旺盛な人々のケースを描いている」
・「当市のような南部の小さな地域社会では、精神病医を訪れるのは未だにある種の恥と考えられている」
・「精神病に関しては未だに極めてプライヴェートな事柄である。ストレス、離婚、子育て問題等でグループあるいは個人のカウンセリングに行く人はいるだろうが、文字通り医師と患者一対一の精神療法は一般的ではない」
・「私は精神的健康を助ける分野で働いているが、患者の95%はこの分野で医師の助けが要ることを他人に知られたがらない」
・「アメリカ人はこの偉大な国を作った精神的強靭さを失いつつある。悩みを解決するために他人を雇うのが流行みたいになってしまったが、大抵の精神病医は狂人であることを忘れてはいけない」

 

最後に決定打。カミさんの母親は生前何度か神経衰弱で入院したことがありますが、外聞を憚って数十キロ離れた町の病院を選んだそうです。

(June 20, 2011)

[Back to top]

[・] 永住権

私の場合はアメリカ市民であるカミさんと正式に結婚しましたので、簡単に「永住権」が得られました。「永住権」は国籍とは関係なく、アメリカに住み、自由に就職したり安く公立短大・大学・大学院で勉学出来るなどの恩恵が得られる資格です。以前はこの証明書がグリーンだったことから、Green cardと呼ばれていますが、現在はピンク色をしています。映画'Green card'『グリーンカード』(1990)のように「永住権」を得るだけのための偽装結婚が多かったため、二年間は「仮」で、二年後にも共同生活をしている事実を証明し、移民局に夫婦一緒に出頭してインタヴューに応じなければなりません。これにパスすると正式の「永住権」保持者となります。

なお、毎年一回くじ引きによって永住権を発給するという制度があり、これだと何方でも応募出来ます。偏った国々からの移民にならないよう、世界を六つの地域に分け、それらの地域から抽選で平均的に移民を受け入れるというのが、「くじ引き永住権」制度です。申請を代行してくれる会社が日本にあります。

永住権とは云いながら、実はGreen cardは十年に一度更新しなければなりません。更新には$250の手数料が必要です。【これは1999年のデータ。2011年現在では$450になっているようです】一体何のためにお金が必要なのか、不明。

「Green cardを見せろ」と云われたことは、こちらに住んでたった一度。運転免許証の何度目かの更新の時でした。それも新米の係員が杓子定規に対応したためのような感じでした。日本国領事館に「在留証明」を申請する際には、毎回Green cardのコピーを添付しなければなりません。

(May 20, 2011)

[Back to top]

[・] ところ変われば猫変わる

漫画『サザエさん』にはよく泥棒猫が登場します。連中は、サザエさんが買って来たばかりの魚を盗み、コンロで焼いているサンマさえ奪って行きます。猫舌の筈の猫が、コンロの上で焼けている熱い魚をくわえて逃げられるかどうか疑問ですが、まあ漫画ですからね。

日本に住んでいた頃、私は何度か野良猫に餌を与え、ほぼ飼い猫同然に待遇していたことがあります。最後に飼っていた猫は青山墓地に捨てられていた仔猫で、発見したカミさんが哀れみ、私のアパートで飼ってくれと頼みました。われわれはキャット・フードや様々な食品を与えていましたが、その猫が次第にいつかなくなり、近所の家に入り浸るようになりました。原因は、その家の主人が猫が涎を垂らすような生魚や焼き魚の残り物を猫に与えていたためです。われわれの猫だったのが、食い物に誘き寄せられて他人の家の猫になってしまったのです。

カミさんの故郷のアメリカ南部の田舎町に落ち着いたわれわれは、動物病院で猫を貰って育て始めました。驚きました。この猫は、魚の切れっ端を与えても見向きもしないのです。もちろん猫缶には魚を混ぜたものもあり、これは食べます。猫好みの味で煮込んであって、魚臭い味ではないからでしょう。カミさんが以前飼っていた猫も魚は食べなかったそうです。

 

多分、この傾向は東海岸とか西海岸、メキシコ湾岸に住む猫とは傾向が異なると推測します。海辺に住む飼い主たちが頻繁に魚を与えれば、猫も魚好きになるでしょう。私の住む町は内陸部にあり、生の魚と云えば池や湖で釣ったバスか養殖のナマズであり、ほかは全て冷凍魚です。人々も親代々「生の魚を食べてはいけない」と教えられて育っているので、寿司を食わず嫌いする人が非常に多い。私が「もし、寿司屋が中毒を起こすような寿司を出したら営業停止になってしまうが、そんな話は聞いたことがない」と主張しても駄目です。

そういう土地柄ですから、猫たちも新鮮な魚などにありついたことはなく、猫族も親代々「生の魚を食べてはいけない」と教えられているのでしょう:-)。

(April 30, 2011)

[Back to top]

[・] 円の不思議

ドル(dollar)は$2.00以上になると"two dollars"などと複数になるのに、円(yen)は百でも千でも億になってもyenのままで複数になりません。どうしてなのでしょう?

色々調べてみましたが、この謎を解く鍵は見つかりません。唯一、『NHKラジオ英会話・別冊 すぐ役に立つQ's & A's 2』(木村 忠著、NHK出版、1994年刊)というムックに、「yenは英語にとって外来語であるため、sをつけて複数形を作るのは英語の習慣になじまないため」という解釈が出ているだけです。本当にそうであるかどうかは不明。

Wikipedia英語版の"Japanese yen"の項によれば、日本円は米ドル、euroに次いで三番目に取り引きされる通貨だそうです。出来立てのほやほやのeuroが複数になり得るというのに、その次に重要な日本円を未だに余所者扱いする理由が理解出来ません。

何故「円=en」がyenになったかというと、もともとの圓(ヱン="jen")の発音が外国人の辞書で"yen"と表記されたからだそうです。"en"だと諸外国(特にヨーロッパ)ではアンなど様々に発音されて混乱の因になるので"yen"にしたとという説もあります。

なお、スペイン語では円に複数形があり、"yenes"だそうです。

(April 10, 2011)

[Back to top]

[・] ガスの話

英語では液体のガソリンも、気体の都市ガス/プロパン・ガス等も"gas"(ギャス)なので紛らわしい。どっちのことを話しているのかは、文脈で判断するしかありません。

御存知のように、電気を熱源として利用するのは最も不経済な方法です。照明にしろ、TVにしろCDプレイヤーにしろ、電気を使えば熱が発生します。しかし、熱そのものを利用しようとすると電気代が沢山かかります。アメリカでも大都市であればガスも普及していることでしょう。しかし、私の住む町のように人口は少ないのにだだっ広い町だと、ガス網を広げるにはコストがかかります。私がこちらへ来た当初住んでいた借家にはガスが来ており、料理もガス、風呂や台所用の湯沸かしもガスでした。

しかし、アパートに移ったらもはやガスとはおさらばでした。調理台にあるのは、蚊取り線香のように渦を巻いた大小の電気コンロが四つあるだけ。市の中心部のアパートなら条件は違うのかも知れませんが、私の住むアパートは町の中心に近いものの、昔の水源地である池の反対側にあるため孤立した感じなのです。電話会社がインターネットのDSLさえ引こうとしないところですので、ガスなど望むべくもありません。

ミシッシッピ州、アラバマ州を転々としたというアパート・マネジャーに聞くと、全米でも後進州であるアメリカ南部の町ではガスを扱ったことがない人が多く、内装工事の作業員でさえガスを怖がるそうです。生の魚を食べるのを恐れるのに似た感じがします。

私は知人から貰ったポータブル・ガス・コンロ(ブタン・ガスのボンベを使うタイプ)を、しゃぶしゃぶだの朝鮮焼き肉や卓上で揚げる天婦羅などの料理の際に重宝しています。そのボンベですが、町中のスーパー、金物店、キャンピング用品店を探しても、どこにもありません。アメリカではこのボンベは全く一般的ではないことが分りました。コンロも韓国製、ボンベも韓国製なので、韓国系マーケットへ行かないと補充出来ないようです。わざわざ遠くの町へボンベを買いに行く気はしなかったので、オークション・サイトeBayで購入しました。1ダース単位で買うと、韓国商店で買うより(送料込みでも)ずっと安いので助かりました。

この"butane gas"、「ビューテイン・ギャス」と発音、アクセントは語頭の「ビュー」にあります。

(February 28, 2011)

[Back to top]

[・] 信用とSSN(社会保険番号)

私がアパートに住み始めたころの体験です。

「クレディット・カード」の“クレディット”は「信用」という意味で、これは誰でも知っています。アメリカで電気、電話その他を申し込むには、相当のクレディットが無いといけないそうで、私がアパート探しを始めた時に、友人の一人が心配してくれたのも先ずそれでした。

私のクレディット・カードは日本の某銀行発行のカードでした。何度もこちらのカードを得ようとしたのですが、年間収入を正直に書くと貧乏過ぎたようでいつも断られてしまい、仕方なく日本のカードを使っていました。友人の説明ですと、「日本のカードは日本の銀行に請求が行き、支払いの記録も日本にしか残らない。アメリカでクレディット(信用)を得るためにはアメリカで発行されたカードが必要だ。すぐ手続きしろ」とのこと。こちらで数年使っていた銀行がカードを発行してくれることになりました。

低所得者用アパートを借りに行くと、管理人の女性は非常に几帳面な人で、契約条件を全部読み上げたり、私の届出書の確認を声に出して云ったりします。その中に、「あなたのクレディットは申し分ありません」という一句がありました。「あれま?」と思ったものの、薮をつつく必要もありませんから、そのままやり過ごしました。部屋代一ケ月分と、同額の敷金を小切手で支払い、私は晴れてアパートの住人となりました。

電話の申し込みをしました。「移転」の場合は簡単なのですが、電話の「新設」はそれなりに面倒です。ここでクレディットの問題が浮上します。電話で申し込むと、クレディット調査会社に電話して、その返事を貰ってもう一度掛け直せとの指示。クレディット調査会社は住所・氏名とSocial Security Number(社会保険番号)を尋ねます。社会保険というのは日本の国民年金に似たものですが、成人の全てが番号を持つことになるため、国民総背番号制の側面を持っています。クレディット調査会社はしばらく沈黙していましたが、「何を知りたいのか?Discrepancy?それなら、あなたの記録には問題点は全く無い」との答え。私は「まだカードの番号も伝えていないのに、どうして結論が出せるのか?」と聞きました。「不払いや遅滞があったら、その情報はあなたのSSNで分るようになっているので、カード番号は要らないんだ」とのこと。

以前電気会社に勤めていたという友人が電気会社と交渉してくれ、普通新規契約の場合に必要な$150という保証金を免除して貰えることになりました。そのためには、彼のクレディットを使うことになり、もし私が電気代滞納などしたら彼のクレディットに傷がつくとか。電気会社に出向き、銀行引き落としの手続きをしました。友人が交渉した会計主任(女性)が立ち会ってくれましたが、彼女は「あなた個人のクレディットで申し分無い。あなたの友人が保証しなくてもあなた自身の記録で保証金免除に出来る」と云いました。「私はクレディット・カードの種類も番号も云っていないが、どうやってそう云えるの?」と聞きました。ここでも「書類に書いて貰ったSSN(社会保険番号)で調べれば分る」との答え。

確かに、クレディット・カードの場合、VISA、MasterCard、Discovery…など種類が沢山あって、それらの支払い状況を一々調べていたら一人につき20分以上かかってしまうでしょう。焦点は「この人物は信用出来るか?」という只一点ですから、その結論はSSNで一発で分るように集約されているわけです。

数年前、ロサンジェルスに住む若いTVディレクターと話したことがあります。ある時、彼は子供がいい小学校に通えるように、中の上クラスの住宅地(=いい学区)に家を買う決意をしました。頭金はともかく、購入資金は相当足りません。借金をするしかない。そこで問題になるのがクレディット・カード。クレディット・カードで買い物をし、ちゃんと支払いすれば、その消費額によってクレディット会社に対する信用が上がります。借金出来る額も増加します。で、このディレクターはカード各社からいくつもカードを発行して貰い、ホンの小額の買い物でもカードを使う日々を送ったとか。それでも足りずにクレディットを増やしてくれる会社の助けも得て、ついに念願の住宅に入居出来たそうです。

つまり、借金をする場合のクレディットと信用調査のクレディットは尺度が違うわけです。私は家を買うような多額の借金は出来ませんが(そこまでの信用は無い)、不払いや延滞というブラック・リストには載っていないという、最低の信用はあるわけです。

日本にいた時、労働組合が「国民総背番号制反対!」とか唱えていて、私ら組合員も盲目的に反対することが正しいように感じていました。しかし、アメリカではずっと前から総背番号制だったのですが、プライヴァシー侵害の問題などは起きていないようです。ただ一点、このSSNは自動車免許証の番号にも使われていたのですが、ID詐称詐欺に使われるというデメリットがあり、免許証にはSSNではない番号を使う州が増えています。私の住むミシシッピ州も数年前別の番号に切り替えました。その代わり、様々な場面(病院の登録、保険登録、基地へ入る時など)で免許証を見せれば済むという簡便さが無くなり、いちいちSSNを記入するという面倒なことになっています。

(February 10, 2011)

[Back to top]

[・] 留守番電話のメッセージ

'The Professional' by Robert B. Parker (2009)に、あらかじめ留守番電話に録音しておくメッセージが出て来ました。内容は個人でも企業でも使える、ごく一般的なものです。

原文は受信者Bethと彼女のボーイフレンドの連名で、以下のようになっていました。

"Hi, It's Beth. Neither Gary【Garyは彼女のボーイフレンドの名前】nor I can't come to the phone right now, but your call is important to us, so please do leave a message, and we'll get back to you as quick as we can."

これを一般的な受信者だけのメッセージに書き換えると、次のようになります。

"Hi, It's Beth. I can't come to the phone right now, but your call is important to me, so please do leave a message, and I'll get back to you as quick as I can."

"your call is important to us"は、企業がよく使う表現で、個人の留守番電話ではあまり聞かれません。また、プライヴァシー保護の観点から、自分の名前を入れない人が多く、その場合、名前の代わりに"You have reached 601-xxx-xxxx."(あなたは601-xxx-xxxxにお掛けになっています)とする人が多い。名前を伏せて電話セールス等に情報を与えないようにしているわけです。

最も短い表現は次のようになります。

"You have reached 601-xxx-xxxx. Please leave a message, and I'll get back to you as soon as possible. Thanks for calling."

(January 20, 2011)

[Back to top]

[・] アメリカの薬

アメリカ人の体格がいいせいで、こちらの薬の量は日本人には多過ぎるようです。特に小柄な日本婦人たちには効き目が強過ぎることがあると聞いています。しかし、薬によっては米粒大のものもあり、これを2/3に切り分けることは難しいそうです。

[Pills]

私はカルシウム欠乏症なので、カルシウム1,800 mgと、ヴィタミンD50,000 IUを毎日摂らなくてはなりません。普段は《カルシウム600》という一粒600 mgのカルシウム・カプセルを三粒服みます。ある時ある薬屋で《カルシウム1000》と表示した大きなボトルを発見。格安の値段なので即購入し、以後毎日二粒ずつ服んでいました。実際には写真Aの一個600 mgの方が大きい位なのにその方が服み易く、写真Bの1,000 mgの方が小さいのに喉につかえて毎日苦しい思いをしました。アメリカ人は喉の口径も広いようです。

写真のように1,000 mgのカルシウムの粒は扁平ではあるものの先端が広がっているので、それで喉につかえるのです。600 mgの粒は端が尖っているためスムーズに飲み下せます。

格安のカルシウムを服み始めて一ヶ月後、私の犬歯の先端が欠け始めました。疲れも目立つようになりました。診療所で血液検査をしたら、カルシウム値が激減していることが判りました。で、よーく《カルシウム1000》のボトルを点検しますと、何と小さな字で「四粒で1,000 mg」と書いてあるのでした。一粒1,000 mgではなく、一粒はたったの250 mgだったのです。私は八粒必要だったのに二粒しか服んでいませんでしたから、1/4近く少ない量しか摂取していなかったことになります。気づかずにそのまま続けていれば、手や脚の骨がボキボキ折れてしまうところでした。危な〜い!《カルシウム1000》の表示法も問題ですが、騙された私も迂闊でした。

アメリカの製品はコンピュータ・ソフトであれ何であれ、馬鹿にでも扱えるユーザー・フレンドリーな設計が特徴かと思っていました。ところが、薬品の瓶は違いました。キャップを開けると、瓶の口に厚紙の蓋がしてあるのですが、これが剥きにくいのです。しばらく格闘した後、意地が焼けて「エイッ!」と指を突っ込み、ビリビリと破り去るほかありません。ちっともユーザー・フレンドリーではない。最近になってやっと《カルシウム600》の蓋に引っ張るベロが付き、簡単に剥けるようになりました。こんなことって、日本では当たり前の配慮ですよね。

なお、処方箋で調剤して貰う薬を"prescription drug"と云い、処方箋なしで買える薬を"over-the-counter drug"と云います。

【参考】格安医薬品 http://www2.netdoor.com/~takano/english2/others2.html#drug

(December 30, 2010)

[Back to top]

[・] オートバイ

私の友人のMike(マイク)が、68歳にもなるのにいい歳こいてオートバイに熱中しています。彼は数年前前立腺ガンを宣告され、早期治療で事なきを得たのでした。その時、「金を持ってあの世へ行けるわけではなし」と思ったのか、「もっと人生を楽しもう」と思ったのか、友人が「買わないか?」と持ちかけたオートバイを購入し、それで数日旅行に出たりします。彼にオートバイの話をさせたら、とどまることを知りません。

ところで、Mikeとオートバイの話をすると、私は時々失語症になります。何故か分ります?「オートバイ」というのは“日本語”なので使えません。「"bicycle"は自転車だったし、えーと?」日本語版Wikipediaによれば「(オートバイという)この言葉は米語"autobike"から作られた和製英語であり、英語圏では通用しない。英語圏では、motorcycle、motorbike、autobicycle と呼ばれるほか、moto や cycle という略称も使われる」とあり、色々あり過ぎて頭が混乱してしまうのです。

一つには、私の“モーター”という言葉に対する先入観が邪魔していることもあります。工作少年だった私にとって「モーター」とは電気エネルギーを機械エネルギーに変換する装置(これは本当は電動機)であって、自動車などを動かすのは「エンジン」(原動機)だという思い込みがあります。自動車や自動二輪と「モーター」という言葉が結びつかないのです。多分、私の頭が固いせいでしょうが。で、Mikeが"motorcycle"という言葉を発してくれるまで待っていることになります:-)。

ある時、あるレストランでMikeと食事をした際、彼が滔々と彼の1500ccのKawasakiについて礼賛しました。そして、彼が人々に「motorcycleに熱中している」と云うと、決まって"Is it Harley?"(ハーレイ・デイヴィッドスンかい?)と聞かれるのでうんざりしているとこぼしました。彼は、「Harleyは部品も組み立ても一切米国内で行なっているので高い。同じ性能でもKawasakiは数段安く買える。なぜ、みなHarleyを褒めるのか理解出来ない」などと語りました。勘定を済ませ、お手洗いに行ったMikeを出口付近で待っていると、見知らぬ男が近づいて来て、「君の友人に伝えてくれ。Harleyの最高なのはサウンド(音)だって」と云いました。この男は私の後ろの席に一人で座っていて、われわれの話を全部聞いていたようです。Mikeに伝えると、「イエス。確かに音はいい」と認めました。しかし、わざわざ見知らぬ人間に話しかけたことからすると、その男はHarleyに乗っているに違いありません。Mikeに一矢報いたくてうずうずしていたのでしょう。呆れますね。私がWindowsユーザーの後ろでMacを貶す会話を聞いていたとしても、わざわざ反論しに行ったりはしません。Macの良さをWindowsユーザーに話しても馬の耳に念仏だからです。

(December 10, 2010)

[Back to top]

[・] 日本家屋は捕虜収容所?

"Have you seen...?"(見たことある?)(by David Thomson, Borzoi Book, 2008)という映画の本を読みました。David Thomson(デイヴィッド・トムスン)という映画評論家が、1895年から2007年までの世界の映画から1,000本を選んで紹介するというもので、一本の映画が横二段組1ページに収まっており、ちゃんと1,000ページあるという分厚い本です。

これには結構な数の日本映画が取り上げられています。『生まれてはみたけれど』(小津安二郎、1932)、『残菊物語』(溝口健二、1939)、『酔いどれ天使』(1948)、『晩春』(小津安二郎、1949)、『羅生門』、『生きる』、『西鶴一代女』(溝口健二、1952)、『雨月物語』(溝口健二、1952)、『東京物語』、『山椒大夫』(溝口健二、1954)、『七人の侍』、『楊貴妃』(溝口健二、1955)、『蜘蛛巣城』、『浮草』(小津安二郎、1959)、『女が階段を上がる時』(成瀬巳喜男、1960)、『儀式』(大島 渚、1971)、『愛のコリーダ』(大島 渚、1976)…など。【この本の表紙には、傑作・名作ばかりでなく、迷作、異色作、いくつかの失敗作も含まれていると明記されています】

以上のような作品と数からも分るように、この著者は日本映画もかなり観ていて、日本の文化や風習もきちんと理解しているようです。しかし、『晩春』についての記事を読んでいて、私はびっくりさせられました。物語の主人公である笠 智衆と原 節子親子の住まいについて、著者は次のように書いているのです。

"They live in a house which we know from other Ozu films---a set of flat rectangular enclosures. It has the comfort of home, yet it is cramped and resembles a prison."(父娘は、他の小津映画でもお馴染みの家 [平たい長方形の囲いが組み合わされた、快適であるが、窮屈でもあって監獄に似たようでもある家] に住んでいる)

私は未だ刑務所に入ったことがないので:-)、日本家屋と刑務所とのイメージの結びつきが理解出来ず、戸惑いました。映画で観る刑務所は独房が多いですが、これは日本家屋の構造とは異なります。大勢が雑魚寝する捕虜収容所のことでしょうか?ドイツ占領下の土地が舞台の『第17捕虜収容所』などは二段ベッドなので、あれも日本家屋とは違いますが、『戦場に架ける橋』、『ディア・ハンター』、『戦場のメリークリスマス』などに出て来る東南アジアの捕虜収容所では捕虜は雑魚寝を強いられています。あのイメージなんでしょうかねえ?

確かに、親子が川の字に寝たり、兄弟三人とか四人が一緒に寝ていれば雑魚寝に見えるでしょうね。欧米では子供も一人一つのベッドに寝ているわけで、そういう観点からすると捕虜収容所に見えてもしょうがないかな?という気はします。

私のカミさんは数年間日本で暮らしたことがあり、都会や地方の日本人の住まいや暮らしを知っています。で、彼女に上の部分を含む章を見せました。彼女の意見は私と異なり、著者の考えるアメリカの住居がハリウッド辺りの中流の家を基準にしているのではないか?というものでした。確かに日本の茶の間と欧米の中流家庭のリヴィング・ルームの広さの比較だけでも雲泥の差があります。茶の間の5倍以上のスペースはあるでしょう。アメリカの家だと前・後ろに芝生があるのも普通ですが、これを入れたら比較になりません。小津映画の時代に畳と襖だった家が、現在は床とドアに変わったにせよ、日本家屋の狭さは同じだと思います。

ただ、狭いにしろ雑魚寝風であるにしろ、「監獄(刑務所、捕虜収容所)に似ている」というのは一寸表現がきつ過ぎると思います。著者のメール・アドレスが分れば一言云ってやりたいところです。

(November 20, 2010)

[Back to top]

[・] 愛と恋

私は、アメリカ人で日本語を習いたいという人々に、必ず「ひらがなの読み・書きを覚えたいですか?」と聞くことにしています。ほとんどの人が「覚えたい」と挑戦します。

「あいうえお」、「かきくけこ」などの書き方が済んだところで、私は「あい」と書いて見せ、「これは"love"である」と説明すると、みな一様に"Oh!"と喜びます。習いたてなのに、早くも重要な言葉の読み・書きが出来るようになったことが嬉しいようです。

ある時、私は「日本語では愛と恋は厳然と区別されている」と説明を始めたのですが、いや、これは結構大変でした。何しろ英語で恋に当たる表現は"fall in love with..."(…に恋に落ちる)か"be in love with..."(…に恋している)ぐらいしかないのですが、これらにも"love"が使われています。非常に紛らわしい。

キリスト教が支配的である国々の人々にとっては、愛にはさまざまな形態があります。神の愛、親子愛、夫婦愛、兄弟愛、祖国愛、人類愛。これらに共通するのは「対象(相手)を気にかける」、「対象の幸福を願う」ということです。無償の行為であり、与える行為、一方通行で完結するアクションと云えます。英語には「異性愛」という単語はありません。

日本人にとっての「恋」は英語にない異性愛であって、相手との双方向のアクション(反応)を期待するものと云えます。互いに好きであるという意思の確認、互いの肉体を求める欲求、相手を独占したいという熱望などが含まれます。相手のリアクションを期待しない(出来ない)場合は、「片思い」になります。

日本人にもキリスト教者のような「愛」の概念に相当するアクションはあります。親子愛、兄弟愛などはそのまま存在しますし、異性愛で燃え上がった恋人同士が結婚すると、相手を独占したいという願望は満たされて、激しい恋の感情が落ち着いた夫婦愛へと昇華されます。

お手元の和英辞典で「愛」、「恋」を引いてみて下さい。辞書の編纂者たちも説明に困っていることがよく分るでしょう。彼らの多くはどちらも"love"で片付けています。

もちろん、同じ人間である英米人ですから、彼らにも「恋」という概念はあるわけです。"love"が「恋」の意味で使われている単語のいくつかを辞書で拾ってみました。
・love affair 恋愛事件
・love bite キスマーク
・love letter ラヴレター
・love life 性生活
・love seat 二人掛けの椅子
・lovesickness 恋わずらい
・love song 恋の歌

英米人に日本語の「愛」と「恋」の違いを説明する際には、「上の言葉のような状態・状況の時、日本語では『恋』と呼ぶ」と云えば解り易いだろうと思われます。

(October 30, 2010)

[Back to top]

[・] Construction barrel

ある友人の家を訪ねることになり、電話で道を聞きました。「家の近くに何か目印はある?」と尋ねると、「二叉路の真ん中に"construction barrel"がある。その真ん前がオレんちだ。すぐ分るよ」とのこと。

私には"construction barrel"とは何なのか理解出来ませんでした。"construction"(建設)+"barrel"(樽)の組み合わせ?建設現場に樽なんかあるものだろうか?唯一「樽」めいたものはコンクリート・ミキサーですが、ミキサー車は空になればコンクリート会社へ戻って行くものであり、いつも家の前にデンと駐車しているとは考えにくい。

[Construction_barrel]

訪問当日、彼の云う二叉路に近づくと、道路工事現場でお馴染みのオレンジ色と白の縞の“樽”がいくつも並んでいました。樽と云うと木の樽を思い浮かべるのが普通ですが、ミシシッピ州で使われているものは形こそ樽風でもヴィニールだか軟質プラスティックで出来ているので、ぶよぶよした感じでとても樽には見えません。第一、樽というものは何かを入れるものなのに、これは何も入れられないのですから樽と呼ぶのはおかしい。

これは"orange construction barrel"とも呼ばれるようです。友人が"orange and white construction barrel"とでも云ってくれれば、彼の家に着くまで「何なんだろう?」と疑問を抱くことなく、電話の時点でパッと解ったことでしょうに。


(October 10, 2010)

[Back to top]

[・] townhouse

"townhouse"(タウンハウス)と聞いて、何を想像されるでしょう?「都会的な家?あるいは都会の家?」確かにtownhouseは土地が潤沢な田舎ではあまり見られないでしょうが、私の住む(とても都会とは云えない)町にもあちこちに存在します。

普通、アパートというものは、二階建てなら一階の一号室か二階の三号室という横構造なのですが、townhouseは一戸(一家族に与えられたスペース)が一階(居間、キッチンなど)と二階(浴室+トイレ、寝室)という風に縦構造になっているものを指します。一日の間に何度も階段を上がり下りしなければなりませんから、お年寄りや身体の不自由な人には向いていません。

私のアパートは普通のアパートがメインですが、townhouseの棟もいくつかあります。雇われ管理人の女性はtownhouseに住んでいます。彼女の部屋は一階がリヴィング・ルーム、台所、それにトイレ。二階に大小二つの寝室と[浴室+トイレ]だそうです。普通のアパートにはない、外から入る物置が一階に設置されています。彼女はtownhouse住まいが気に入っています。アパートというものは左右の隣りの騒音は結構防いでくれるものの、上下の騒音には弱い造りになっています。彼女は上階の住人の足音やドアの開閉音、鼾などに煩わされるのが苦痛なのだそうで、自分が上下の部屋を専有出来るtownhouseは理想的だと云っています。

私は現在一階に住んでいまして、確かに二階の男性が床を踏みならすギシギシ音、ドスドス音、戸棚から物を出し入れするガタゴト音、鼾のガースー音、訪問者とのペチャクチャ音などに悩まされています。ただし、一日に何度も階段を上がったり下りたりするのは面倒なので、私はtownhouseに移る気はありませんが。

このアパートでは、townhouseの家賃は横構造の二つの寝室を備えたアパートと同価格ですが、管理人の女性に云わせるとtownhouseの部屋代は横構造のアパートより高く設定されているのが普通だそうです。

Wikipediaを見ると、"townhouse"のもともとの意味は、イギリスやアイルランドの郊外に住む貴族や金持ちが都会に出て行く時のための「都会の家」だったそうです。それがアメリカでは上のような縦構造のアパートに変化したのだそうです。

(September 20, 2010)

[Back to top]

[・] アメリカ騒音事情

アパートの二階に住んでいた時のこと。一階の婆さん(60歳代の黒人)のTVの音量が大きいので、ある日懇ろに「もう少し低くしてくれ」と頼みました。たまたまその婆さんの隣り(壁一つ隔てた隣室)に住む女性(黒人、40代)が私たちの会話を聞いていて次のように云いました。
「一軒家じゃないんだから、我慢しなきゃ。静かなのが好きなら一軒家に住むべきだわよ」
逆じゃないですか!大勢が共同で住むアパートだから、お互いに騒音を立てないように配慮すべきなのです。互いにTVの音をでっかくしたら、双方の音が干渉し合って聞こえなくなるので騒音競争となり、他の住人に迷惑をかける結果になります。他の部屋に聞こえるような音量は慎むべきで、それはアパートの契約書にも明記されているのです。

私は、「いくら教育レヴェルが低いからといって、こうも常識がないようでは黒人が天下を取ったら最悪だな」と思いました。私は『公民権運動・史跡めぐり』というサイトも設けているくらいですから、黒人に対しては偏見はないつもりなのですが、彼らの多くの公衆道徳の欠如にはがっかりさせられることがよくあります。

家賃値上げを機に、同じアパート内ながら2ベッド・ルームから1ベッド・ルームへ引っ越しました。隣室の50代半ばの黒人男性は脳卒中の後遺症で半身不随となって職を失い、一日中部屋にいます。この男がしょっちゅうステレオやラジオを鳴らします。部屋の中のラジオをドアを開けて外の椅子に座って聞くこともあります。自分の好みの音楽を周囲に押し売りしている感じです。あまりにもうるさいと私は壁をドンドン叩いて抗議しますが、他の住人はひたすら我慢しているようです(気にならないのかも?)。

私の部屋の向かいの棟の40代黒人女性は軽い精神障害があるそうで、毎朝8:30前後にメンタル・ヘルス施設のマイクロ・バスが迎えに来ます。このマイクロ・バスの運転手(50代黒人女性)は、アパートの敷地の坂を登って来る途中からクラクションを何度も鳴らし、患者である女性に「出て来い」と合図します。女性がドアの外に見えない場合は、停止してからさらに何度かクラクションを鳴らします。たった一人への合図のために、近隣の数十人の住民に騒音を押し付けて平気なのです。

2010年5月30日号の'Parade'(日曜の新聞と一緒に配達される無料週刊誌)に"Americans forced to quiet down'『静粛を強いられるアメリカ人』という記事が掲載されました。

「1972年に連邦の騒音防止法が大まかなガイドラインを示して以来、各州は独自に条例を定めている。しかし、アメリカの騒音は高まる一方。それに対し、いくつかの新しい動きがないではない。

ヴァージニア州のRichmond(リッチモンド)では『50フィート(約46メートル)離れても聞こえる音は違法』という条例を採択した。ニューヨーク市は10分以上吠え続ける犬の飼い主に最高175ドルの罰金を科すことにした。フロリダ州Sarasota(サラソータ)では、最近まで25フィート(約23メートル)離れて聞こえるほどの音量でカーステレオを鳴らす車は押収されていた。しかし、American Civil Liberties Union(アメリカ市民の自由を守る連合)が『どんなラジオだって25フィート離れても聞こえるのだから、警察はターゲットを狙い撃ちして逮捕出来る』と抗議し、この法律は廃止された。

静寂の追求というテーマで本を出版したある人物は、『法律や警察の手を借りるのではなく、静寂の中で暮らす恩恵と、騒音が耳と心身にもたらす害について人々を教育すべきだ』と語っている」

私の住むミシシッピ州は、アメリカの中でも最も後進的な州です。レストランでの禁煙も2010年になってやっと規制されるようになったほど。15年も前にカリフォーニア州におけるレストランの禁煙が施行されていることを考えれば、如何に遅れているかが分ろうというものです。ミシシッピ州は教育レヴェルの低さも全米一で、学業を放棄するドロップ・アウトの率もトップに近い。そんな人々にどうやって静寂の恩恵と騒音の害について“教育”出来るのか、はなはだ疑問と云わねばなりません。

(August 30, 2010)

[Back to top]

[・] 宣伝

[Sung hyun Park]

最近のプロ・ゴルファーというのはサンドイッチ・マンのようです。昔は帽子の正面とシャツの胸元だけに契約した会社のロゴを戴いているだけでしたが、最近は以上に加えて帽子の左右の側面と背面、シャツの左右の襟、シャツの左右の袖口、シャツの背中の首の真下…と、TVに写りそうな場所は全てロゴだらけ(私は、これらの多くは日本の紋付のデザインからヒントを得たのではないかと想像しています)。まあ、F1のレーサーほどケバケバしくないのだけが取り柄ですが。

で、私の日本人の感覚で云うと、そういうプロたちはある会社(複数の場合もある)や製品を「宣伝している」と考えます。TVや雑誌のコマーシャルに実際にプロが出て宣伝すれば勿論ですが、ただ単にロゴを身につけているだけでも、彼なり彼女なりは契約に基づいて宣伝をしていると認識します。

ところが英語では上のようなケースを"advertise"(宣伝する)とは云わず、"endorse"と云います。"endorse"は'LDCE'によれば、単に「裏書きする」、「支持する」だけですが、『リーダーズ英和』によれば「裏書きする」、「是認する」、「支持する」、「(商品などを)推奨[宣伝]する」となっています。ロゴだらけの衣装は、最後の「推奨[宣伝]する」に該当します。

しかし、『ライトハウス和英』で「推奨する」を引いても"recommend"一語しか出ていません。「勧める」、「推薦する」でも"endorse"は出て来ません。『研究社 和英中辞典』の「推奨する」には"endorse (a product)"というのが出ています。例えば「Tiger WoodsはNike(ナイキ)と契約し、Nikeのゴルフ製品を宣伝している」という文を英訳する場合、使う辞書によってはある人は"advertise"を使い(この表現は強過ぎる)、ある人は"recommend"を使うことになりかねません(この表現は弱過ぎる)。正しい"endorse"を選ぶには、英米の出版物やウェブサイトで使われている表現に慣れていないといけない…ということになります。

2010年7月08日のAPのスポーツ記事の一つは女子プロMichelle Wie(ミシェル・ウィ)の動向を伝えるものでしたが、その中に次のような一節がありました。
"Despite her $10 million-plus in endorsement deals--no other U.S. female golfer earns anything close to this in off-course money--she's a golfer only half a year, a full-time Stanford student with a demanding 20-gredit course load the other half." (彼女のNikeとの一千万ドルを越える宣伝契約[アメリカの女子プロで、賞金以外でこれに匹敵する現金収入を得ている者は皆無]にもかかわらず、彼女は一年の半分だけのゴルフ・プロで、残り半分は単位取得が難しいスタンフォード大の全日制の生徒である)

【おことわり】画像はwww3.pictures.zimbio.comにリンクして表示させて頂いています。

(July 30, 2010)

[Back to top]

[・] Thunder storm(雷雨)

日本にも雷雨はありますが、アメリカ南部の"thunder storm"は雷の激しさと雨の激しさが、共に強烈です。"rain"ではなく"storm"と称するのも尤もだと思います。夏〜秋にかけては、一週間のべつ"thunder storm"の予報が出ることも珍しくありませんし、その音響と地響きも総毛立つほど恐ろしい時がよくあります。

[Storm]

図はハリケーン・グスタフが去ったばかりの9月初めの週の予報です。左から見ると、先ず"Thunder showers"というのがあります。多分、これが日本の(にわか雨の)雷雨に近いでしょう。これは"storms"(嵐)と呼ぶほどではない、軽い雷雨です。次の二日間は"Scattered Thunder storms"で、その次が"Isolated Thunder storms"となっています。辞書を引くと"scattered"は「まばらな、散発的な」で、"isolated"は「孤立した」という意味です。

ある日、ゴルフ場の男と話しました。彼は一般のゴルファーですが、週に一度パートタイムでゴルフ場のレジ係も勤めています。
私「ね、"Scattered Thunder storms"と"Isolated Thunder storms"とはどう違うの?」
彼「どっちも同じなんじゃねえの?」
私「だって、天気予報では使い分けられてるじゃない?」
彼「どっちにしてもゴルフは出来る天気だよ」

つまり、彼はどう違うか知らないんです。確かに、彼の云う通り、雷雨の予報があっても午前中はいい天気で、午後三時以降にゴロゴロ云って降り出す傾向があります(夕立ですね)。

他のゴルフ仲間にも聞いてみましたが、誰も二つの違いを知りませんでした。ゴルフ場のグリーンズ・キーパー(芝刈り)の責任者なら知っているだろうと思いましたが、彼が云えるのは"Isolated Thunder storms"の方が軽いということだけで、明確な区別は出来ませんでした。

仕方がないのでCATVで天気予報を専門に放送しているThe Weather Channel(ウェザー・チャネル)に、二つはどう違うのか質問しました。

予報対象の地理上の区域(行政区画ではない)の20〜40%で雷雨が予想される時、それは"Isolated Thunder storms"と定義され、40〜60%の地域で雷雨が予想される時は"Scattered Thunder storms"なのだそうです。60%を超える場合は、単純に"Thunderstorms"と呼ばれるそうです。

つまり、私の町の面積を100等分した場合、そのどこか20〜40区画で雷雨があれば"Isolated Thunder storms"ということです。当市の面積は118.8平方kmだそうですから、20〜40%は約24〜48平方kmという勘定です。ゴルフ場がたまたまその地域に入っていればピカピカ・ゴロゴロだし、入ってなければ暢気にゴルフを楽しめます。どっちに転ぶかは賭けですけどね:-)。

(June 30, 2010)

[Back to top]

[・] 神、父、主

私の友人Mike(マイク)はとてつもなく上天気だと、ゴルフ場で知らない人にでさえ「Our Lordが下さった最良の日だと思わないか?」と話しかけたりします。彼は小さな教会の聖歌隊の一員であり、牧師の代わりに説教もしたりする熱心なクリスチャンです。

"the Lord"あるいは"our Lord"は「主」または「イエス・キリスト」と訳すのが普通です。私には、上のMikeの天気に関する言葉にちょっと違和感がありました。上天気を恵んでくれたのは"God"(神)であって、キリストではない筈だと思ったからです。

私が公開しているサイトの一つに『アメリカ映画“南部もの”大全集』というのがあります。ジョージア州の教会の牧師たちと信徒一同が自主製作した映画(立派なもので、DVDにもなっています)がいくつかあり、それらを観ていて登場人物たちが"God"と"the Lord"を混ぜこぜにして喋るので、私は混乱しました。重要な台詞を日本語にするには、どっちなのかハッキリさせて貰わないと困るからです。

Mikeに「クリスチャンは"God"と"the Lord"をごっちゃにしていない?」と聞きました。彼は「三位一体という言葉を知ってるだろ?われわれにとっては、"God"と"Jesus"と"the Holy Spirit"(聖霊)の三つは同じものなんだ。だから、どの言葉を云っても、指しているものは同じなんだよ」とのこと。

 

私は「でも、神が我が子・キリストをこの世につかわされたのであって、神とキリストは別物でしょ」と云うと、「いや、キリストは神の化身であって、本質的には同一なんだ」とのこと。

それまでの私の理解は「神=父」、「キリスト=神の子=キリスト教徒の主」というものでした。"the Holy Spirit"(聖霊)というものは何だかよく分りませんでした(今もよく分らない)。これらが全部同じものだというのも理解が難しい。

詳しくはWikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/三位一体)を御覧頂きたいと思いますが、「神である父が神である言葉(=子)を遣わし、見えざる父を子が顕わし、子は天の父のもとへ帰るが、父のもとから子の名によって『助け主』なる聖霊を遣わすという構図」なのだそうです。

なお、牧師によっては"the Holy Spirit"を"the Holy Ghost"と呼ぶこともありますが、同じことを指しています。“聖なる”という形容詞が付いてはいても、"ghost"(幽霊)という言葉を聞くといつも恐い思いをします。

(May 20, 2010)

[Back to top]

[・] 牧師と司祭の仔細

私が主宰する姉妹サイトの一つに『公民権運動・史跡めぐり』があります。「キング牧師の暗殺」を更新した際、読者のお一人(クリスチャン)から「日本の教会では、カトリックの神父を司祭と言いますが、そちらではプロテスタントの牧師についても、そう呼ぶのでしょうか?」という問い合わせを頂きました。

[Pastor]

私は「キング牧師の暗殺」の中で、「キング牧師の親しい司祭に招かれた食事」とか、「キング牧師の父が司祭を勤める教会」などと書いていたのです。正直云って、私は牧師と司祭、神父などの違いについて深く考えないで書いておりました。英語では聖職者はclergymanとか、minister、priest、pastor、preacher、reverendなど、さまざまに呼ばれますが、私は語感から単純に「司祭」が一番重々しくて有難味がありそうに思っていたのです:-)。

インターネット百科事典であるWikipedia(ウィキピディア)を見てみました。

“http://ja.wikipedia.org/wiki/牧師”によれば「牧師(ぼくし、Pastor)とは、キリスト教のプロテスタントの教職者。 カトリックの司祭(神父)に相当」とあり、さらに「厳密には、『牧師』は教師資格者の称号ではなく、(特定の)教会に仕え、礼拝において説教をし、聖礼典を執行し信徒を牧会する勤め(教会担任教師)を指す」とあります。(『広辞苑』では「牧会」は、プロテスタント教会で牧師が信者の魂の配慮をし、信仰と生活を導くこと…となっています)

そして、“http://ja.wikipedia.org/wiki/司祭”では「司祭(しさい)とは、カトリック教会において司教・司祭・助祭と三つある聖職位階のうちの一つ」となっています。

私の町のローカル紙は、土曜日には見開き両面に教会の広告を35ほど掲載します。調べてみると、そのほとんどの聖職者名には"Pastor"が使われていました。この町にはカソリック教会は一つしかないので、上の経緯から云ってこれは当然の帰結ですが。

聖職者はカソリック系では「司祭」、プロテスタント系では「牧師」が正しい呼び名でした。

(April 30, 2010)

[Back to top]

[・] 真っ白な嘘

日本語には「真っ赤な嘘」という言葉があり、「男が独身だというのは真っ赤な嘘で、実は妻子があった」というように使われます。

『研究社 ライトハウス和英辞典』に「彼は真っ赤な嘘をついた」という例文はあるものの、訳は"He lied through [in] his teeth."となっています。英文では色に関する形容詞は使われていません。面白いことに、『三省堂 新クラウン英語熟語辞典』では"lie in [through] one's teeth/ lie in one's throat"は「白々しい嘘をつく」となっています。辞書によって赤・白反対ですが、いずれにせよ日本語では色による表現が特徴で、英語には"red lie"という表現はないことが分ります。

【註】英英辞典LDOCEの"lie in/through one's teeth"の定義は"to tell a bad lie shamelessly"(臆面もなく悪い嘘をつく)となっています。これですと『新クラウン』の「白々しい嘘」に近いようです。図々しく見え透いた嘘をつく感じですから。

英語には"white lie"という表現があります。「白々しい嘘」ではなく、「悪意・罪のない嘘」です。例えばティー・パーティの招待を断る際、本当の理由を云うと角が立つとか、かなり込み入った説明をしないと理解して貰えない場合などに、「医院の予約がある」とか「義母が滞在しているので出られない」などと云えば、一発で簡単に了解が得られます。「嘘も方便」で、これはお互いのためにいいわけです。もっとも、当日その時間に一人でショッピングしたりしているのを目撃されるとまずいですが:-)。

(April 10, 2010)

[Back to top]

[・] アメリカの車検

ミシシッピ州の車検は一律5ドルです。ただし、“車検”と同じ言葉を使っても、日本の制度とかなり違うので正当な比較は出来ません。

こちらへ来た当時、カミさんの両親の車に貼ってある車検のシールが期限切れとかで、カミさんが自動車修理工場へチェックに出すのに付き合いました。担当の白人女性が「五分で終る」というのでびっくりしたのですが、彼女が車の前方、アシスタントが後方に位置し、ドライヴァー・シートのカミさんに「右のウィンカー作動、次は左のウィンカー。ブレーキを踏んで。ヘッドライトを点灯。ビームにして、ワイパーを動かして。警笛を鳴らして」とか指示します。ほとんどライトの点検ばかりみたいなもんですが、これで終り。お値段は5ドル。信じられないでしょうが、本当にこれだけです。忙しい時は、店の人の指示で車の持ち主が操作します。以上の検査だけで「検査済」のスティッカーを貼ってくれます。日本の車検の厳密なこと、料金の高いことに較べれば雲泥の差です。

この車検、どんな車も毎年実施しなければなりませんが、ほぼ10数年経った今でも5ドルで変わりません。私も上の修理工場へ行っていますが、最近はワイパーや警笛の検査はしなくなりました。数年前、知人が推薦する小さな修理施設へ行ったら、そこの黒人の老人は何の検査もせず、「5ドルだ」と金を受け取ると、直ちにスティッカーを貼り出しました。こちらが恐くなるような“検査”でした。

車のオーナーの負担は、実は他にもあり、毎年市に登録の更新に行かなければなりません。登録料約26.5ドルを払ってナンバープレートに「登録更新済」のスティッカーを貼るだけ(ナンバープレート更新の際は$39.06【註参照】)。このお金は道路の補修などに使われるのだそうです(いわば重量税ですね)。ですから、車検と呼べるものは上のものしか無いわけです。

【註】これは私の車がポンコツに近いものだからで、新車だと100〜200ドル払うことになるそうです。日本の車検は車が古くなると出費が増えますが、まるで正反対です。

ルイジアナ州ニューオーリンズに住むカミさんの姉さんの話では、毎年の車検費用は20ドルだそうで、これを済ませたスティッカーが無いと45ドルだかの罰金。たった20ドルの車検でもやらない人が沢山いるそうで、何故かというと「パスしない車が多いからだ」そうです。確かに、事故にあったまま修理もしないで動かしているような車もかなり見られますので、こういうのは上記のような簡単なチェックもパスしないのでしょう。恐ろしいのは、このスティッカーを盗むためにフロント・グラスをブチ破る人間がいるんだそうで。ニューオーリンズには住みたくありませんね。なお、ルイジアナ州の登録更新は五年に一回だそうです。

【追伸】このミシシッピ州の$5.00の車検制度は、2015年に廃止になりました。Wikipediaで"Vehicle inspection in the United States"のページを見ると、ミシシッピ州と東部のウェスト・ヴァージニア州が未だに「毎年車検が必要」となっていますが、ミシシッピに関しては間違いです。売買・登録時に排気ガスの検査を必要とする地域があるものの、ほとんどの州から車検制度は消えたようです。

(March 20, 2010、追伸 September 23, 2017)

[Back to top]

[・] ガイジンを甘やかす功罪

…と云っても行動・態度ではなく、言葉や慣習に関することです。

私が初めて「鶏の水炊き」をカミさんに御馳走した時、「これはどういう料理か?」と聞かれ、当然「トリのミズタキ」と教えたのですが、カミさんには全体を覚えることはおろか、半分の発音も出来ませんでした。私が「鍋物の一つだ」と追加説明すると、「ナベモノ」だと短いし発音し易いせいで、彼女には「鶏の水炊き」=「ナベモノ」になってしまいました。カミさんは「ちゃんこ鍋」も好きでしたから、「これも鍋物の一つだ」と云ったら混乱してしまったようで、その後「ナベモノ」という言葉を使わなくなりました。「鶏の水炊き」ではなく単に「水炊き」と云って上げれば良かったと思いましたが、後の祭りでした。

カミさんは天ぷらが大好物ですが、食事を終えた後「天つゆ」を飲もうとするので驚きました。「蕎麦湯」を飲むのと間違えているのです。確かに天つゆと蕎麦の「付け汁」は役目も容器も似ていますから外国人が間違えるのも尤もです。しかし、蕎麦の付け汁に蕎麦湯を加えて飲むのと、天つゆをそのまま飲むのは大違いです。私はその違いを説明して止めましたが、彼女の脳には既に刷り込まれてしまっているようで、その後もしばしば天つゆを飲もうとするので困ります。多分、初めて彼女に蕎麦を食べさせた日本人が、「これを飲むのが通なのだ」とか説明したことが強烈な印象になっているのではないかと推察します。私は、カミさんが彼女の友人たちと天ぷらを食べた後、「日本ではこれを飲むのよ」などとしたり顔で喋っているのではないかと心配しています。

私のカミさんはまた、必ず食後に御飯や味噌汁を少し残します。これも“日本通”を自称する欧米人の誰かが、日本のマナーとしてガイドブックに書いたらしいのです。カミさんは本で知ったと云っています。昔はともかく、現代で食器に食べ物を残すのは礼儀でも何でもなく、私に云わせれば悪徳です。後片付けに面倒ですから。

欧米では「酒」を「サキ」と発音します。"sake"は英語なら「セイク」になりそうなものですが、そうはならず、なぜか「サキ」です。"bake, cake, fake, lake, make, rake, take, wake"など"ake"で終わる語は沢山ありますが、全て「ク」と発音されます。スポーツ用品の"Nike"(もとはギリシア語)は「ナイキ」で、トラック・レンタル会社Penskeも「ペンスキー」ですが、どちらもヨーロッパ系の名前です。外来語という範疇だと「キ」と発音されるのかも知れません。

しかし、私の考えでは外国人が「サキ」と云った場合、私たち日本人が「サケだよ」と正さず、「向こうがサキと云うなら、通じ易いからそれに合わせよう」と日本人まで「サキ」と云ってしまうことが、「サキ」を流通させる原因ではないかと思います。外国人は「日本人も『サキ』と呼んでいるのだから、それが正しいのだ」と思い込むに違いありません。かくして、「sake=サキ」として世界中に広まってしまう。

「フジヤマ(富士山)」はLafcadio Hearn(ラフカディオ・ハーン=小泉八雲)が'My First Day In The Orient'(東洋における私の第一日目)という文章の中で"Fujiyama"と書いてしまったのが始まりのようです。彼の来日は1890年のことで、元新聞記者だったせいもあり、彼は自分の様々なエッセイをアメリカの新聞で発表しました。これが「フジヤマ」の起源でしょうが、それを日本人の誰一人正さなかったのです。日本人が外国人を甘やかしたせいで、日本のシンボルが、日本人は誰一人として呼ばない読み方で世界に広まることになりました。

切腹が「ハラキリ」になったのは、完全に日本人の怠慢のせいでしょう。これは多分切腹という行為を説明していて「腹を切ること、つまりハラキリだ」などといい加減な説明をした奴がいたのだと思います。こういう奴こそ腹を切って貰いたい。

日本人が外国人と接する際、上のような重大な影響があり得ることを自覚し、彼らを甘やかさないようにしたいものです。「功罪」と書きましたが「功」は一つもありませんね:-)。

(February 10, 2010)

[Back to top]

[・] アメリカ女性の性差別アレルギー

私のアメリカ人の知り合いに、若い白人女性はたった一人しかいません。彼女は絵を描くのが好きで、日本のanimeやmanga(どちらも英語になっています)に親しみ、日本語も覚えようとしました。残念ながら、私と彼女が出会ったのは彼女が既に別の州の大学に進学を決めた後だったため、私の日本語の生徒にはなれませんでした。しかし、帰省する度に私に会いに来て、日本語学習の成果を披露してくれます。専攻は美術で、日本語は「その他の科目」ですから授業時間も少なく、一年半経ってもぺらぺらとは云えません。

彼女が日本語で「夏休みに日本に行くので、金が要る」と云いました。私は「日本の女性は普通“お金”と云う。若い女性が“金(かね)”と云うのは不躾に聞こえる。“金”に丁寧表現の接頭辞“お“を付けて“お金”と云うのが普通で、”金”と云うのは強盗が『金を出せ』という時ぐらいのものだ」と云うと、「それは性差別だ。女だから丁寧に話さなくてはいけないというのは、おかしい」と云いました。

私が「私だって“お金”と云うんだよ」と云うと、「それはあなたが丁寧に話すからでしょ」と屈する気配がありません。私は「あなたはさっき『このお茶は美味しい』と云ったではないか。『お茶』も茶(tea)に丁寧表現の接頭辞“お“を付けて“お茶”という表現になっている。“お茶”と“お金”を差別するのは理解出来ない」と云うと、ついに黙りました。

道順を聞き、指示を理解する表現を教えて上げました。「日本人はアメリカ人には親切だから、誰でも助けてくれるだろう。特にあなたのような若い女性には親切だよ」と云うと、とても嬉しそうな顔をしました。若いアメリカ女性が若いアメリカ人男性より親切にされることは「性差別」の筈ですが、彼女は文句は云いませんでした:-)。

私は「日本の若い世代はマンガに出て来るように、女の子も男の子のように喋ったりするが、それは友達同士の間であって、その友達の両親とか、先生や上司にはちゃんと丁寧に話す。その話し方によって、知性や育ちが分る。だから、注意しなければならない」と云いました。

私は「日本人は相手によって表現(丁寧の度合い)を変える。子供→友達→先輩→先生→上司→社長→代議士→皇族などで、どんどん変わる。その際、"I"(私)に当たる言葉も変えるし、"you"(あなた)に当たる言葉も変わって来る。私が調べた範囲では男性が話す"I"(私)は主な方言も入れて22種類、女性言葉では12種類。男性が話す"you"(あなた)に当たる言葉は主な方言も入れて22種類、女性言葉は15種類ある」と云うと、口をあんぐりさせていました。

(January 20, 2010)

[Back to top]

[・] 続・蒙古斑

『英語の冒険』正篇「一般」の中の「蒙古斑」の続き。

私の周囲に住む日本婦人数人に聞いてみました。お一人はアメリカ人と結婚し、娘一人息子一人、孫娘一人(娘とアメリカ人の子供)、曾孫二人(孫娘とアメリカ人の子供、まだ幼児と乳児)がいます。三代にわたって"Mongolian spot"(蒙古斑)がどのように残ったのか、あるいは消えたのか、興味深いデータが聞けると期待しました。なんと、この御婦人は「覚えてない。気がつかなかった」と云うのです。信じられます?現在でも幼い曾孫二人のお守りをしていて、おしめを替えたり、お風呂に入れたりしているでしょうに。

感謝祭で一家が集まるというので、この御婦人の娘さんに聞いて貰いました。「蒙古斑はなかった」という報告でした。この娘さんは日系であることをあまり誇りに思っていない人なので、この報告は疑わしい気もします。なお、御婦人が直接確認したところ、曾孫二人には蒙古斑はないとのことでした。

もう一人の御婦人はハッキリ覚えておられました。アメリカ人との間に出来た娘にも孫(娘とアメリカ人の子供)にも蒙古斑は出たそうです。

この後者の御婦人はお友達の日本婦人の話を聞かせてくれました。その婦人が乳児を病院に連れて行ったところ、アメリカ人看護婦が子供の蒙古斑を見て「こんな幼い子供を叩いちゃ駄目よ!」と凄い剣幕で日本婦人に注意したそうです。蒙古斑に関する知識がなく、child abuse(幼児虐待)による青い痣と勘違いしたのです。

以前「中南米の人にも蒙古斑が出る」と書きましたが、mestizo(メスティソ)と呼ばれるインディオ(アメリカ・インディアン)とスペイン人の混血の人に出るそうです。アメリカ・インディアンはMongolianですから当然ですね。

(December 30, 2009)

[Back to top]

[・] 女と女性の区別・2

私の住んでいるアパートでは、郵便配達の女性のことを"mail lady"と呼んでいます。この40代女性は大柄で逞しい体型、太く大きい声で笑い、ショートパンツから太い脚をにょっきり出しているという、とても"lady"とは申しかねるタイプの人。

アパートの住人で、ピーナッツを炒ったり茹でたりしたものを小袋に入れ、ナーシング・ホームなどに売りに行く60代女性がいます。この女性は教養のかけらもない正真正銘のガラッパチで、言動に全く品がありません。ところがこの女性が最近車に"Peanut Lady"という赤い文字で浮き彫りされたプレートを付けました。またまた自称"lady"。呆れました。

【註】ミシシッピ州の法律では、license plate(ナンバー・プレート)は車の後方に一枚付けます。このナンバーも料金を払えば文字数制限の範囲内で自分の名前や好きな言葉にすることが出来ます。車の前にもナンバー・プレートを付ける場所がありますが、ここには何をつけても構いません。多くは母校である大学の名前やそのマスコットの絵をデザインしたプレートを付けています。上の"Peanut Lady"は、ここに特製のプレートを発注して嵌めているわけです。

アメリカでは"lady"の大安売りです。ま、これはどこの国の言葉でも同じで、最初は尊敬語・謙譲語・丁寧語として使われていても、どんどん手垢にまみれ、仕舞いに軽蔑語に成り果ててしまう傾向と同じかも知れません。例えば日本に輸入された当時、「トイレ」は清潔で無臭の言葉でした。今や臭気ふんぷんで口にするのが憚られる言葉に成り下がっています。多分、英語の"lady"も昔は「lady=貴婦人=淑女」であったものが成り下がって、"this/that lady"などは「御婦人」と訳すのが相応しいようです。

私は「女と女性の区別」で《女=woman、女性=lady》と書きました。もちろん、"female"という言葉もあり、"female penguin"(雌のペンギン)、"female lion"(雌ライオン)などと人間以外に使われることが多いのですが、性別をハッキリさせたい場合には人間にも用いられます。"female driver"(女性運転者)、"female golfer"(女性ゴルファー)、"female body"(女の死体)など。しかし、英英辞典'LDOCE'(Longman Dictionary of Contemporary English)には、"It is offensive to call a woman a female."と書かれていますので御注意。

(November 30, 2009)

[Back to top]

[・] 無関心

私がアメリカに住んでいる現在までの14年間に「日本ではこういう場合どうなの?」とか、「日本の○○について聞かせて」とかいう質問を受けたことはほぼ全くありません。ある小学校に請われて小学生達相手にした講演と、4-H Clubの少年少女たちに招かれて行なった講演は別です。私の友人達、カミさんの家族、カミさんの友人達、私がゴルフ場で一緒になる人々、こういう人達は全く日本のことなど聞きたがりません。日本人が外国人に接する場合と正反対です。

「日本人ですか?」と尋ねて来た場合でも、何か聞きたいわけではなく、「軍隊にいた時に横須賀(あるいは横田、佐世保など)にいた」とか、「二年間、日本で暮した」とか自慢しに来るだけ。あるいは「日本には二階建てのゴルフ練習場があるそうだね」などと、これも知識をひけらかすのが目的。

まあ、人種のるつぼですし、元をただせば各自外国人なので、外国のことなどどうでもいいということかも知れません。アメリカ人はアメリカが世界一いい国であると思い込んでいるので、アジアの一国について知らなくても不自由しないということもあるでしょう。あるいは、「聞かなくても日本のことなら知っている」という思い込みかも知れません。南部の田舎町ですから、(軍人を除くと)外国へ行った経験がある人が少なく、他国に関心を持つ意義も感じないのかも知れません。

ひょっとして他国と自国を比較して喋々したがるのは日本人だけなんでしょうかねえ?これも裏返せば自国のいいところを見たがる自惚れ鏡だったりして。

(November 10, 2009)

[Back to top]

[・] Caller ID

'Caller ID'(コーラー・アイディー)は日本ではNTTの「ナンバー・ディスプレイ」、あるいは他の企業の「番号表示サービス」、「発信番号表示」として知られているものに似ています。

私は電子メールのspam(迷惑メール)だけでなく、広告宣伝・勧誘電話の洪水にも曝されております。その多くは保険会社、電話会社、ケーブルやサテライトの会社、自動車販売、薬品販売などです。この連中は、特に食事時を狙ってかけて来るので腹が立ちます。思いあまって'Caller ID'のサーヴィスを受けることにしました。そのためには'Caller ID'機能を受けつける受話器が必要ですが、これはそう高くありません。私が利用している電話会社AT&Tの場合、2003年当時の'Caller ID'サーヴィスは約$8.00でした(現在は$10.00)。この時、工事費などというものは全くかかりませんでした。

当初は相手の企業名が表示されるので、保険とかサテライトの勧誘の電話は取らずに済み、しめしめと思っていました。そのうち、相手の企業名が出ず"Unavailable"とか"Tollfree Number"などという表示に変わって来ました。敵もさるものです。そういう電話も取らなければいいのですが、問題は食事時の電話です。もし知人や友人だったら…と思うと、鳴れば'Caller ID'表示を見に受話器に駆けつけないわけには行きません(メモリに記録が残るので、本当は慌てなくてもいいのですが)。

さて、最初に「'Caller ID'はNTTなどのナンバー・ディスプレイ等に“似ている”」と書いた理由を説明します。2009年のNTT西日本のウェブサイトによれば、以下のような利用料金になっています。

1) 「ナンバー・ディスプレイ」(工事費2,000円、住宅用一般回線月額400円)
2) 「ネーム・ディスプレイ」(ナンバーディスプレイのオプション、月額100円)

1は電話番号だけ表示、2のネーム・ディスプレイは発信人の名前(個人名・企業名)も表示する機能ですが、2だけ契約することは出来ず、1の契約者だけが2のオプションを追加することが出来ます。

アメリカの(というかAT&Tの)'Caller ID'は、上の1と2両方一緒のサーヴィスですが、現在$10.00です(ほぼ1,000円)。NTT西日本の場合、両方のサーヴィス合わせて500円ですから、これは安いですね。工事費というのが気に入りませんが。

なお、このサイトに協力して頂いている柴田義人さんから、「留学している頃、Do Not Call Meとかいうデータベースに登録すると売り込みの電話を拒否でき、登録している人にかけた業者は罰を受けるような仕組みがあった」というお知らせを頂きました。これは'National Do Not Call Registry'というサイト(https://www.donotcall.gov/)で、現在もありました。早速登録しました。広告宣伝・勧誘電話が皆無になったわけではありませんが、かなり激減しました。

(October 20, 2009)

[Back to top]

[・] TVの“番組”

日本からTVの海外取材に出掛けると、撮影許可を得るためとか、出演交渉をするために、番組の趣旨説明をしなければなりません。そういう時、会社全体として(私も)「番組」は"program"と称するのが常でした。

しかし、アメリカでTVを観ていると、こちらでは「番組」という場合、常に"show"を使っていることに気づきました。日本で「ショー」と云うと、宝塚や昔の日劇ダンシング・チームなどの「ショー」とか、TVであっても「何野誰某ワンマン・ショー」など、豪華絢爛たる見せ物について云われるのが普通だと思います。

日本でも今では「ニュース・ショー」という表現がありますが、アメリカの場合、ニュースから株式市況からスポーツ、討論、教会の日曜礼拝の中継まで、全部がショーなのです。

よく考えれば、"program"とは番組編成(番組表)の筈なんですね。何かの催しに行くと配られるのは「プログラム=式次第」で、祝辞を述べる人やアトラクションの順番が記されています。これが本来の"program"でしょう。放送関係者が訳語を考えた時、日劇や宝塚などの「ショー」との比較で「いくらなんでも、ニュースは“ショー”じゃあるまい」、「スポーツ中継も“ショー”とは云えない」と考えたのが間違いの因だったような気がしますが、どうでしょうか。

(September 30, 2009)

[Back to top]

[・] 日本にはない家のあちこち

アメリカへ来て、日本にいては全然必要ない(というか、該当するものがない)家屋内のあれこれについて覚えなくてはなりませんでした。構造上も慣習上も丸きり見当がつかない部分があるのです。

・den
 "living room" はTVとか長椅子がある居間兼応接間みたいなものですが、"den"は一寸違います。くつろぐ場所ではあるものの、あまり開放的な場所ではありません。辞書では「(野獣の)ほら穴」、「密室」などとなっていますが、一般の家の場合、居間と寝室の間にあって、何故か一段低くなっていれば、それがまさに"den"だそうです。低くなっていなくても、ホームバーやダーツ、カード・テーブル(トランプのブリッジやポーカーを遊ぶ卓)、玉突き台などのどれかがあれば完璧な"den"です。

・shed
 物置。アメリカの物置は芝刈り機や撒水ホースとガーデニング用品(肥料、殺虫剤、スコップその他)をはじめ、梯子、脚立、一輪車なども入れるため、結構大きいです。私の住む町では、大抵の物置は裏庭にあり、家の窓から見えるところにあります。無粋な物置を“観賞”してもしようがないと思うのですが(防犯のためならともかく)。

・utility room
 これは家に付随した(くっついた)小さな物置ですが、名前の由来は電気・ガスなどの公益事業のメーターや配電盤があるため。家中に供給する湯沸かしタンクがあることも多い。要するに、「エネルギー・センター」とでも云うべき場所。しかし、手近な物置として工具、電源ケーブル・ドラムなどを入れておいたりします。自転車を入れる人もいます。なお、水道のメーターは道路近くの芝生に埋め込まれています。

・basement
 地下室。ここを綺麗に改造して"den"にしたり、子供の遊戯室にしたりしている家もあるようです。どこの家にも地下室があるとは限りません。私のカミさんの家では家の外から入る防空壕のような地下室があります。掘った地面が露出しており、空の植木鉢など湿気に強いものしか入れられない場所です。

・attic
 屋根裏部屋。これは大抵の家にあると思いますが、ベッドがおけるような本当の部屋になっているのは立派な家で、普通は物置です。廊下の真ん中に紐がぶら下がっているのが見えたら、そこが屋根裏への入り口です。車庫の天井に紐がぶら下がっていても同じです。その紐を引っ張ると木製の折りたたみの梯子が下りて来て、同時にぽっかりと入り口が開きます。ちゃんと照明も点くようになっていて、結構大きなもの(色々な空き箱やクリスマスの飾り)などが保存出来るようになっています。

(August 30, 2009)

[Back to top]

[・] 耳あか

アメリカで耳の穴を点検して貰うと、医師でも看護婦でも一様に「あんたの耳はドライだ」と云います。それも異常を発見した口調で。私が見聞きした範囲で、日本人はみなドライです。英語では耳あかを"earwax"(waxは蝋)というぐらですから、欧米の人の耳あかは湿っているようです。

私の推測を裏書きする記事を発見しました。2006年1月のasahi.comに「耳あかの型は民族による違いが大きく、日本などアジアでは8〜9割が『カサカサ型』で、欧州やアフリカでは9割以上が『ネバネバ型』だ」という説明があったのです。日本人はドライで普通なのです。医師でも民族による違いなぞ知らないんですね。

ある日の新聞の、Dr. Peter Gottへの相談欄に、77歳の女性の質問が掲載されていました。「私の耳あかは昔は柔らかくて掃除し易かったのだが、最近ドライで崩れるようになってしまった。どうしたらよいのか?」というものですが、これは日本人には普通の状態ですよね。

医師の回答は「"earwax"は耳の管を覆っている皮膚に腺から分泌されるもので、それはゴミ(埃)を捉えることと雑菌の繁殖を抑える働きをする」のだそうです。蝋のようなものなら、ゴミを捉えることが出来るでしょうが、日本人のカサカサの耳あかでは無理ですね。「"earwax"の生成が減少する理由の一つは、綿棒で耳を掃除することだ。これは"earwax"を耳の奥へ押しやってしまい、痛みや耳詰まり、難聴などの障害を引き起こす。最も安全なのは医師に診て貰って掃除して貰うことだ。自分で肘より小さい物を耳に挿入してはならない」【「肘」が耳に入るわけがないので、これは大袈裟な冗談です】

しかし、耳掃除は日本の伝統(?)です。土産物店では竹細工に漆塗りを施した美しい耳かきを売っています。映画やTVの銭形平次の楽しみは女房・お静に耳かきをして貰うことです。女性の膝枕で優しく耳かきして貰うのは、筆舌に尽し難い快楽です。これも『カサカサ型』の耳あかだから可能なわけで、『ネバネバ型』では味わえません。日本の男性はラッキ−です。

しかし、現在の私には一つの悩みがあります。誰かが私に内緒話をしようと、口を私の耳に近寄せて来るのが恐い。内緒話なんて滅多にないだろうと思われるかも知れませんが、ゴルフ・カートに乗っている同乗者同士で、打とうとしている他のプレイヤーの邪魔をしないようにひそひそ話をすることは結構多いのです。そういう時って、話す方は見るともなく、相手の耳を見ますよね?私の耳に『カサカサ型』耳あかが見えたりして「ひえーっ、こいつ汚ねえなあ!」などと思われたら…と考えるとゾッとして、思わず頭を引いてしまいます。

(August 10, 2009)

[Back to top]

[・] 銀行の顧客サーヴィス調査

私が口座を持っている地方銀行から「顧客サーヴィス調査に協力してくれないか?」という案内が届きました。一件の調査に5ドルくれるそうです。TVの視聴率調査(ケチ!)の五倍です!「やります!」と返事しました。

しばらくして本式の調査報告用紙が届いてびっくりしました。レター・サイズの紙四面に記入する項目がびっしりあります。出納窓口の接客態度に関する簡単な調査かと思ったら、とんでもない。最初の“使命”は「financial service representative(財政相談係)に何か相談して、彼(彼女)の応対振りを報告せよ」というもの。この役職は出納窓口ではなく、銀行の隅にデスクを置いている人物です。5ドル貰うためには、この人物の名前を記入しなくてはなりません。胸に名札を付けてくれていれば簡単ですが、そうでないと名前を聞かないといけません。「カウンターの上に置いてある名札は他人のものかも知れないので信じてはいけない」と注意書きがあります。もし、名前が分らなければ、年齢、性別、およその身長、身体つき、髪の色、目の色、顔の形、眼鏡の有無(とデザイン)などを書く必要があります。私が顧客サーヴィス調査に協力していることは極秘ですから、ごく自然に名前を聞かなくてはなりません。これが最大の難問です。

その他はまあ予想される質問ばかり。「あなたを待たせた場合にちゃんと詫びたかどうか、微笑んであなたを歓迎したか、あなたの相談に目を見つめて聞き入っていたか、てきぱきと説明(作業)したか、黙っていても名刺をくれたか、あなたの来訪に感謝したか」等々です。この係のデスクには名刺が置いてあったので、名前を聞かずに済みました。やれやれ。

次の使命はごく普通の窓口の応対に関する調査で、三つ目は「ドライヴ・スルー窓口の応対」でした。こちらの銀行のほとんどは車に乗ったままお金を下ろしたり、電気料金を支払ったり出来ます。車を寄せると、建物からするすると箱が伸びで来るので、そこへ小切手やお金を入れます。その箱が縮んで窓口が手続きをし、領収書やお金が箱に入ってまた伸びて来ます。

なお、銀行に関する英語ですが、"banker"は銀行の経営者であり、"My father is a banker."などと云うと大金持ちと思われることでしょう。一般の行員は"bank clerk"です。窓口に座っている行員は"teller"(金銭出納係)となります。

最初の報告を送ったら、$5.00ではなく「ボーナス」として$20.00の小切手が届きました。こちらのやる気を促すため、たまにこういうプレゼントがあるみたいです。調査の指令は毎月二通ずつやって来ます。どうせこちらも定期的に銀行に用事があるわけですから、僅かでもお金が貰えるのはありがたいことです。

(July 20, 2009)

[Back to top]

[・] 視聴率調査

数年前、視聴率の元となる調査を受けることになりました。Nielsen(ニールセン)という日本でも有名な調査会社です。

先ず、「あなたが選ばれました」というハガキが来ました。全面えび茶色の文字です。一週間ほどして、Nielsenから電話があり、TV局に勤めていないかどうか、TVの台数、家族の人数などを質問されます。(標準の報告書には一台のTVの視聴状態の記録と、家族は九人までしか記入出来ないので、複数のTVや十人以上の家族の場合には試聴日記が数冊要るからです)

数日経ち、緑色の文字のハガキが届き、「間もなく試聴日記が届きます」とありました。

しばらくすると、説明書やら試聴日記等が送られて来ます。期間は木曜日から一週間。五分以上TVをつけたら、見ても見なくても記録します(猫が見ていても視聴率と云われる所以)。TVが壊れていても、旅行に出ていても日記は返送しなくてはなりません。

先ず、私のTVが受信出来る60以上のチャネル(CATV)の番号、名前などを全部日記に書き写します。これ、結構時間がかかります。そして、一週間TVを見るたびに、時間、TV局名、番組名などを記録しなければなりません。

1ドル札が入っていました。これが謝礼でしょうか?馬鹿にしてますね。一週間こきつかって、たったの1ドル!「選ばれたんだから名誉だと思え」ってんでしょうか?面倒臭がり屋の黒人などは、1ドルだけ頂いて記録表はゴミ箱行きでしょう。

私の視聴期間直前に「木曜日から日記をつけ始めて下さい」という紫色の文字のはがきが届きました。かなり完璧主義の会社です。

この一週間の感想ですが、あまり気楽にTVをオンに出来ないという気持になりました。無意識にTVをつける気にならず、「日記に書くほどの値打ちがあるだろうか?」と自問自答してしまいます。本当はこれでは自然な視聴率にならないので、考えないでTVをつけないといけないのです。しかし、出来れば私のTV視聴の通常の傾向を提供したいので、今回だけの特別な傾向にしたくないという気もありました。

日記を返送した後でしたが、今度は「日記は直ちにお送り下さい」という青色の文字のハガキ。ここまでやるなら、向こうに日記が届いた後、感謝のハガキが来て当然だと思いました。それが何色の文字かも楽しみではありませんか。しかし、ついに礼状は届きませんでした。もう二度と視聴率調査なんかに協力しないぞ。

(June 20, 2009)

【追記】

2010年11月に、またNielsenからの視聴率調査の依頼が来たのですが、「今度は無視するぞ!」と決意していました。ある日、Nielsenの女性が電話して来たので、「もう協力しない。なぜなら、あんたの会社は感謝のハガキを寄越さなかったからだ」と説明しました。それで縁切りにしたつもりでしたが、Nielsenは勝手に日記を送りつけて来ました。捨てようと思ったら、何と今度は5ドル入っていました。5ドルに目が眩んで、また協力することになっちゃいました:-)。Nielsenは今度は電話を掛けて来るだけで、ハガキは全く寄越しませんでした。ハガキ代を節約して謝礼金を増やしたのでしょうか。いずれにせよ、今度も日記を送った後に感謝の電話はありませんでした。

(November 26, 2010)

[Back to top]

[・] バイブル・ベルト

アメリカには"Bible Belt"(バイブル・ベルト)と呼ばれる一帯があります。いくつかの辞書の定義をまとめると、「アメリカ南部および中西部の"fundamentalist"(キリスト教原理主義者)が多く存在する地域」ということになります。"fundamentalist"とは、進化論や、聖書を科学的に実証しようとする姿勢を否定し、聖書に記載されたことを事実として受け入れる人々です。ビートルズを排撃したのもよく知られた事実です。具体的にどの州とどの州かを書いた記述はありませんが、少なくともサウス・キャロライナ州からテキサス州を東西に結ぶ一帯が"Bible Belt"の中心のようです。勿論、南北への振幅はあり得ます。

私の住むミシシッピ州の小さな町も"Bible Belt"の中に位置します。人口40,000に200以上の教会があるそうですから、単純計算で200人に一つの教会、人口を18歳以上の成人だけに絞れば、146人に一つの教会という凄い数字で、道徳的センスも保守的です。ある書店が開業するにあたり、御婦人の声で「お宅は'PLAYBOY'は仕入れるのか?」という電話があったので、「入れますよ」と応えたらその後認可手続きのプロセスにやたら手間取ったそうです。電話の主が地元の影響力大の人々に御注進し、この書店の開業を遅らせたようです。仕方なく、書店主は'PLAYBOY'を仕入れるのを諦めることになりました。

では私の町で'PLAYBOY'や'HUSTLER'を売っていないかと云うとそうではなく、大きい書店ではカウンターの裏側に積んであり、棚に並んでいないだけです。ガソリン・スタンドには置いているところもあります。買えないわけではないのですが、西海岸の空港売店のようにオープンな状態ではありません。

一口に教会と云っても、電話帳の区分によれば宗派が50近くにも別れていて、私にはどれがどれやら分りません。カソリックの教会は当市に二つだけ。人口の半分以上は黒人ですから、バプティスト教会が圧倒的に多いようです。

【註】黒人の教会の一例はoffline-j3.htmlを御覧下さい。

公民権運動の成果で人種差別がほぼ解消されてからは、白人が多い教会へ黒人が行くケースや、逆に黒人の教会へ白人が行って身体を揺らして歌ったり踊ったりするのも珍しくなくなっています。

私のような無宗教の日本人は、「教会は日曜の朝行くもの」と思っていますが、日曜の朝は礼拝と日曜学校を行ない、さらにその夜も礼拝がある教会があります。熱心なクリスチャンは日曜に朝晩二回も教会へ行くわけです。水曜の夜にも礼拝を行なう教会があります。ちゃんと沢山の車が止まっていますので、ごく一部の熱心な信者だけの礼拝ではないようです。週に三回も教会へ通うのって凄いですよね。

では、日曜の朝は住民の100%がどっかの教会へ行っているか?というと、そうでもありません。日曜のゴルフ場には結構人が来ています。日曜ではなく土曜に礼拝がある教会もありますが、ゴルフしているのはそういう宗派の人ではなく、あまり敬虔でないクリスチャンのように見受けられます。私が日本語を教えていた青年の一人は、普段全く教会へ行きません。彼は他州から来て独り暮らしだったからかも知れません。両親と暮らしているもう一人の青年は、ちゃんと真面目に教会へ行っていました。親が行動で躾ける習慣なのでしょう。

身体の不自由な人や車を運転出来なくなったお年寄りのためでしょうが、日曜の朝、教会からのTV中継があります。三つのチャネルで、いくつかの教会が30分毎に入れ替わり立ち代わり賛美歌や説教を放送します。

宗派によるのか教会によるのか不明ですが、折りに触れて"revival"=リヴァイヴァル集会(聖霊の働きにより集団的に信仰心の覚醒・一新が起ることを目指す集会)が設けられます。数日間集中的に信者の信仰心を高めるので、黒人が多い教会では歌と手拍子が日を追って熱狂的になり、教会への寄付金の額も増える一方となります:-)。

(May 30, 2009)

[Back to top]

[・] 手紙の英語

日本で一般に信じられているように、封筒や便箋の宛名にMr.やMrs.が付けられることはそう多くありません。そういうprefix(接頭辞)抜きで、いきなりフルネームが普通です。銀行の通知や電話・電気の請求書でも、購読雑誌(一部は付けて来るところもある)や通販カタログでも…。prefixなしでも失礼ではないわけです。

[letter]

航空便を出す際、意外に差出人と受取人の住所氏名を書く位置を知らない日本人が多いようです。日本からの私宛の手紙が数ヶ月経って届いたことがありますが、その原因はアメリカの郵便局が差出人の住所を受取人と間違えたせいでした。差出人の氏名と住所は封筒の左上隅です。受取人の氏名・住所は封筒の下半分の中央に記します。

【註】図はUnited States Postal Serviceのガイドブックを参考に作成しました。赤字の国名は私が追加したもの。なお、この例ではカンマが全く使われていませんが、私はカンマを使用した方が読み易いと思います。

上のレイアウトがいい加減だと、アメリカの郵便局は手紙を日本に送り返してしまいます。日本の方から頂戴したお手紙のいくつかには新東京国際空港郵便局が印刷した付箋が付いていました。"This item is destined for your country. The sender made a mistake that its sender's address and addressee's one are written in reverse. It would be much appreciated if you could try to deliver it to the addressee. Thank you. TOKYO A.P." 「これは貴国宛の郵便物です。差出人は自分の住所と受取人の住所の順序を間違えて逆に書いています。受取人に届くよう御配慮願えれば幸甚です。多謝。新東京国際空港郵便局」 この付箋が右下に書かれた差出人住所を隠すように貼ってあり、更に赤鉛筆で左上の受取人住所の前にTO: と書き足してありました。これらはアメリカに到着した後、一度東京に戻され、付箋が付いてやっとこちらに届いたようです。消印から20日以上経っていました。航空便は通常一週間から10日で届きます。

こちらの郵便局は、封書でも葉書でも左上に書いてある住所はReturn address(配達不能の場合に戻される差出人の住所)、中央下の住所が受取人の住所と判断します。この際、文字の大小は度外視されるようで、「大きく書いてある方が宛先に決まってるじゃねえか」という態度は通用しません。最近頂いたもので、付箋付きだったものには封書のほかに絵葉書があります。絵葉書の場合、書くスペースが少ないので、宛先と差出人住所をまとめて右側に書かれたのでしょうが、これが混乱の因だったようです。絵葉書は、元来そう重要なことを書くものではありませんから(配達不能でも戻らなくても問題ない)、住所は抜きで名前だけ本文末尾に記すだけで充分でしょう。

"Many thanks."
相手の好意・手間に感謝する際、文の末尾に付けます。特定の事柄に感謝する場合は、ちゃんと"Thank you for your advice."などと書く方がいいでしょうが、特定しないで漠然と感謝する場合に"Many thanks."が使えます。"Thanks a million."などという言葉もありますが、大袈裟すぎて逆に軽い感じに受け止められかねません。"Thanks for everything."(色々ありがとうございました)は日本人好みかも知れません。これは日常会話でも使われます。

"Thanks in advance."
これは問い合わせやお願いをする時に使う文句。「前もって御礼を申し上げます」です。これは、相手がどう対処するか態度を決めかねている際に、当然やってくれるものと決めつけて礼を云っているわけで、結構図々しい感じもないではありません。しかし、必ずリクエストに応えてくれる友人や同僚が相手なら、全く問題なく使えます。

"I'll keep you posted."
「進展あり次第、お知らせします」

"Hope all is well."
「お変わりないことを祈りつつ」

"Hope to see you soon."
「近いうちにお会い出来ることを祈りつつ」

(May 10, 2009)

[Back to top]

[・] 公立図書館

2008年末のあるニュースによれば、Philadelphia(ペンシルヴェイニア州)とSan Diego(カリフォーニア州)などで市立図書館を閉鎖する動きがあるとのこと。予算不足で人件費などが捻出出来ない…という理由だそうです。しかし、知的財産、教育資産の宝庫である公立図書館を廃止するなどということは、市民サーヴィスの上で本来あってはならないことだと思います。図書館閉鎖という最悪の事態を防ぐため、ホームページで独自に寄付を募る図書館も現われたそうです。不況はここまで影響しているわけです。

ここでは私の住んでいるCounty(郡。市よりも大きい地域)の公立図書館について書くことにします。

閲覧は誰でも出来ますが、借り出すには郡内に住んでいることを証明するもの(電気や電話の請求書など)を見せて登録し、カードを発行して貰う必要があります。これはその場で、すぐ出来ます。

館内にはcirculation desk(貸し出し係)が数名いるコーナーと、相談係がいるコーナー、児童書コーナーがあります。十数台あるコンピュータでウェブ・サーフィンも出来ますが、そのためにはトラブル防止のため特別の登録をしなければなりません。

普通の図書を備えているのは当然ですが、老人や目の不自由な人のために大きな活字の本も多数揃えています。本を朗読した市販のカセットの数も豊富です。こちらの人は長いドライヴをする時は、テープで新刊・旧刊を楽しんでいます。

最近はDVDで新作映画がどんどん観られるようになりました。DVDは六日間に二枚限定。本は数量無制限で二週間が貸し出し単位ですが(十日間延長可)。本もDVDも返却に図書館まで出向く必要はなく、町の中の数軒のグロサリ・ストア(大規模食料品店)にある図書館専用のポスト("book return")に入れることが出来ます。

図書館に備わっていない図書・ヴィデオは、「リクエスト・カード」に書名・著者名とこちらの氏名・電話番号などを書いて提出します。図書館として購入するに相応しいものと認められれば、新品が購入され、リクエストした人が借り出しのトップバッターとなり、図書館から電話で通知があります。旧刊や雑誌のバックナンバーなどで、もはや新規購入出来ないものは、公立図書館同士のネットワークによって他の図書館から借り出してくれます。

「この本はあるだろうか?」とか、「あのDVDはもう返却されただろうか?」と図書館に確認に行く必要はありません。図書館のウェブサイトがあるので、そこで検索すると"Out (Due: 01/28/09)"(貸し出し中。返却予定日:01/29/09)などと表示されます。

雑誌と新聞も多数揃っています。新聞を講読せず、ここへ読みに来る人も多いようです。

(March 30, 2009)

[Back to top]

[・] 英語の電話

私が日本語を教えている生徒(元医師のアメリカ人)がこんな話をしてくれました。

彼の息子は日本女性と結婚し、二人はアメリカ西部の大都市で暮らしているのですが、アメリカで暮らし始めた頃の奥さんが一番怖がったのは電話だったそうです。新婚当時は彼女のリスニング能力もイマイチだったようで(現在は全く問題無し)、相手の機関銃のようなスピードの話についていけず、立ち往生することがしばしばだったとか。面と向って話す場合には、相手の表情などの助けもあってよく理解出来たそうです。向こうもこちらが理解出来ているか表情で解るでしょうから、スピードを落としてくれたり、言葉を言い換えたり補ってくれたりもしたでしょうが、電話ではそうはしてくれません。

当の元医師御夫婦は南部にやって来た北部出身者のカップルです。彼の奥さんも南部に来た当初は電話に悩まされたそうです(歴としたアメリカ人ですよ!)。アメリカ人同士の会話なのに、一体どういうわけか?南部には南部訛りという独特の方言がありますが、彼の奥さんにとってこれは問題ではなかったそうです。南部人はゆっくり言葉を引っ張るような喋り方なので、話の内容は見当がつくわけです。問題は、電話の最後の方で彼らが「私の電話番号はxxx-xxx-xxxxです」という時、スピードが途端に急速になって聴き取れなかったのだそうです。

これらの話を聞いて、私も自分の過去の気持を思い出しました。私は留守番電話が嫌いでした。直接の応答なら、「ゆっくり話して下さい」とか「もう一遍繰り返して下さい」とか云えますが、留守番電話ではそうはいきません。掛けて来る人は名前も自分の電話番号もペラペラと流れるように喋って切ってしまいます。当時の私には、何度繰り返し聞いても相手の名前はおろか電話番号さえ聴き取れないことが少なくなかったのです。

電話の相手は「留守番電話にメッセージを残したから、そのうち返事があるに違いない」と思っている筈です。しかし、こちらには相手が誰か、電話番号さえ分らないのですから返事出来るわけがありません。「変なヒト!」、「失礼ね!」と思われても仕方がない。そういうことで、留守番電話恐怖症になったのでした。現在はCaller ID(日本の「番号表示サービス」に当たる)がありますので、匿名希望の設定をしていない限り相手が誰であるか、その電話番号さえもちゃんとデジタル表示されます。もう恐怖は感じなくて済みます。しかし、電話の英語というものは普通の英会話にはない、もっと難しいレヴェルであるという気持には変わりはありません。

(March 10, 2009)

[Back to top]

[・] Credit or Debit?

スーパーやgas stationでカードで支払おうとすると、器械でもレジ係でも"Credit or Debit?"と聞いて来ます。私は長く"Debit card"(デビット・カード)がどういうものか知らず、全く使っていませんでした。

一つの理由としてこういうことがありました。私がチェッキング・アカウント(小切手口座)を持っている都市銀行は、独自のクレディット・カードを作ってくれる時、同時にATM cardも交付してくれます。ATMは御存知'Automatic Teller Machine'(現金自動預け払い機)で、ATM cardを使って様々な場所にあるATMで現金を引き出すことが出来ます。私の銀行のATM cardはDebit cardとしても使えるものでした。ずっと以前、New Orleans(ニューオーリンズ)へ行った際、私は口座残高を知る必要に迫られ、手近のATMにカードを入れ残高を調べました。何と、口座残高を調べただけなのに数ドルの手数料を取られたのです(私の口座から自動引き落とし)。この時、私の胸にATM card(Debit card)への嫌悪感が芽生えたのです。ですから、その後私はATM card(Debit card)を黴菌だらけのカードのように、引き出しの奥深くにしまい込み、全くタッチしようとしませんでした。

実は、上の一件には次のような事情が絡んでいました。私にATM card(Debit card)を発行してくれた銀行のATMを使えば、口座残高は無料で調べられたのです。ミシシッピ州の銀行発行のカードをルイジアナ州の他の銀行のATMで使ったから手数料を取られたのでした。

さて、本題のクレディット・カードとDebit cardはどう違うのか?Debit cardはチェッキング・アカウント(小切手口座)で小切手を切るのと同じで、小切手に金額や支払先などを書く手間を省いたものです。クレディット・カードの決済は数ヶ月後ですが、Debit cardは迅速に処理され、カード所有者の口座から引き落とされます。

アメリカのDebit cardにはPINナンバー(暗証番号)入力を必要とするオンラインDebit cardと、サイン(署名)を必要とするオフラインDebit cardとがあります。オンラインDebit cardはインターネットでの取り引きに多く使われています。日本における同等のサーヴィスは「ジェイデビット(J-Debit)」ですが、アメリカのDebit cardは利用範囲の広さと利用時間帯の面で、ジェイデビットに大きく差をつけているようです。

大手スーパーWalmartで買い物をし、Debit cardで支払おうとしました。PINナンバーを入力し、作業を終了しようとしたら、終了してくれません。「Cash backしたいか?」という質問が出て、$10、$20、$30などという項目が並んでいます。当サイトの「その他」で「mail-in rebate」について触れました。あれが"cash back"だったので、「ひょっとしてオレは幸運な買い物客として、数十ドル貰えるんだろうか?」と思いましたが、別にファンファーレも鳴らないし、レジ係も「おめでとう!」とは云いません。お金を貰えるどころか、取られたりしたらおおごとです。レジ係に「これ、なに?」と聞きました。「Cash backしたいかどうかだ?」と画面と同じことを繰り返すだけで埒があきません。後ろに客の列があるので、この日はこの"cash back"をキャンセルしました。

別の日の暇な時間帯の暇なレジを選んで、レジ係に「Cash backとは何か?」と聞きました。何のことはない、Debit cardをATM cardとして機能させ、希望すればレジ係が小額の現金を渡してくれるというものだそうです。銀行へ行かなくて済むというだけで、お金は私の口座から引き出すわけですから、Wakmartの“プレゼント”などではなく、mail-in rebateの"cash back"とも全く別もの。考えてみりゃ、スーパーが現金をプレゼントしてくれるなんてうまい話があるわけがないのですけどね:-)。

(February 10, 2009)

[Back to top]

[・] アメリカの自動車保険

私は貧しいので日本の自賠責にあたる保険しかかけていません。掛け金は半年$134.00でした。「でした」と云うのは、最近届いた請求書では$248.00にポーンと$100以上多くなっていたのです。

保険会社に(仮にA社と呼ぶ)聞くと、私が駐車場で事故を起したため、ポイントが増えたせいだとのことでした。事故と云っても、スーパーで買い物を終えた私がバックしたら、同時にバックした他の車とバンパー同士で軽く接触しただけなのです。運悪く向こうのバンパーが車体と同じ白い色だったので、こちらのバンパーの黒い色が微かに付いた程度でした。そんな“微罪”で倍近くの掛け金を取られるとは心外です。

私は以前契約していた保険会社(B社と呼ぶ)のウェブサイトにアクセスし、見積もりを計算させました。見積もりは$242.00で、ほぼA社と変わりません。B社に電話して高い理由を聞こうとしました。B社の女性は私が“ヨリを戻す”気になったことを歓迎し、「出来るだけサーヴィスする」と云いました。しかし、私のSS(社会保険)ナンバーや運転免許証の番号を聞き、コンピュータにアクセスした彼女の声音は変わりました。「申し訳ないが$290.00ぐらいになる」と云うのです。理由を聞くと、彼女は上の接触事故を知っていて、しかもA社が$614.02を修理費として車の持ち主に支払っているなどと、私の知らないことまで知っているのです。「オンラインの見積もりはもっと安かったが?」と云うと、「オンラインのプログラムは、あなたの事故について知らずに計算したからだ」とのこと。

保険会社はthird party(保険会社とは独立した企業)が提供するデータベースを利用していて、個人情報に自由にアクセス出来るのだそうです。つまり、いったん事故を起こすと、公的機関がその情報を開示し、それをthird partyがデータ化します。そのデータはA社〜Z社まで契約している保険会社全部がアクセス出来るので、どの保険会社のドアを叩いても同じ保険金額しか提示されないということが分りました。

A社の事故係を質問攻めにして、以下のようなことが分りました。A社の事故係は私が車同士で接触した相手の女性を訪ね、何枚か車の写真を撮った。そして、彼女が提示した修理工場の見積もりを見た段階で彼女に$614. 02を支払ったのだそうです。この支払いは彼女が実際に修理したかどうかとは無関係で、彼女が$614. 02をポッポに入れただけということもあり得るそうです(クヌーっ)。

私は馬鹿でした。何千ドルもの修理費が必要な事故ならともかく、経費がたった$614. 02なら保険会社に知らせず、自分で相手に支払えばよかったのです。なおかつ、相手が確かに修理したという領収書を目にしてから払うのが賢明でした。これだと保険料は以前のまま、変化はなかったのです。保険料の半年分$100アップは、$614. 02だと三年分に相当します。三年経っても私の“過去”が消えるかどうか定かではありません。保険屋に任せれば「タダ」で済みますが、実際には「タダほど高いものはない」わけです。いやあ、勉強になりました(高い授業料ですが)。

(January 10, 2009)

[Back to top]

[・] 英語習得の難しさ・実例篇

以下はアメリカの冗談好きの間で出回っているメールの一つです。面白いので一部を紹介します。

1) The bandage was wound around the wound.
  "wind-wound-wound"(包帯などを)「巻き付ける」、"wound"「傷」
2) The farm was used to produce produce.
  "produce"「生産する」、"produce"「農産物」
3) The dump was so full that it had to refuse more refuse.
  "refuse"「拒絶する」、"refuse"「ごみ」
4) We must polish the Polish furniture.
  "polish"「磨く」、"Polish"「ポーランドの」
5) The soldier decided to desert his dessert in the desert.
  "desert"「捨てる」、"dessert"「デザート」、"desert"「砂漠」
6) Since there is no time like the present, he thought it was time to present the present.
  "present"「現在」、"present"「贈呈する」、"present"「贈り物」
7) A bass was painted on the head of the bass drum.
  "bass"「バス(魚)」、"bass"「ベース」(楽器)
8) When shot at, the dove dove into the bushes.
  "dove"「ハト」、"dive-dove-doved"+ into「飛び込む」
9) The insurance was invalid for the invalid.
  "invalid"「無効な」、"invalid"「病人」
10) There was a row among the oarsmen about how to row.
  "row"「議論」、"row"「漕ぐ」
11) They were too close to the door to close it.
  "close"「近い」、"close"「閉める」
12) The buck does funny things when the does are present.
  "buck"「雄シカ」、"doe"「雌シカ」
13) A seamstress and a sewer fell down into a sewer line.
  "seamstress"「お針子(女性)」、"sewer"「裁縫師」、"sewer"「下水溝」
14) The wind was too strong to wind the sail.
  "wind"「風」、"wind"「巻く」
15) Upon seeing the tear in the painting I shed a tear.
  "tear"「裂け目」、"tear"「涙」
16) I had to subject the subject to a series of tests.
  "subject"「受けさせる」、"subject"「被験者」
17) How can I intimate this to my most intimate friend?
  "intimate"「ほのめかす」、"intimate"「親密な」

以下は註をつけるのも面倒なので、原文のママ。

Let's face it - English is a crazy language. There is no egg in eggplant, nor ham in hamburger; neither apple nor pine in pineapple.

English muffins weren't invented in England or French fries in France . Sweetmeats are candies while sweetbreads, which aren't sweet, are meat. We take English for granted.

But if we explore its paradoxes, we find that quicksand can work slowly, boxing rings are square and a guinea pig is neither from Guinea nor is it a pig.
And why is it that writers write but fingers don't fing, grocers don't groce and hammers don't ham? If the plural of tooth is teeth, why isn't the plural of booth, beeth? One goose, 2 geese. So one moose, 2 meese? One index, 2 indices?

Doesn't it seem crazy that you can make amends but not one amend? If you have a bunch of odds and ends and get rid of all but one of them, what do you call it?

If teachers taught, why didn't preachers praught! ? If a vegetarian eats vegetables, what does a humanitarian eat?

Sometimes I think all the English speakers should be committed to an asylum for the verbally insane. In what language do people recite at a play and play at a recital? Ship by truck and send cargo by ship? Have noses that run and feet that smell?

How can a slim chance and a fat chance be the same, while a wise man and a wise guy are opposites? You have to marvel at the unique lunacy of a language in which your house can burn up as it burns down, in which you fill in a form by filling it out and in which, an alarm goes off by going on.

English was invented by people, not computers, and it reflects the creativity of the human race, which, of course, is not a race at all. That is why, when the stars are out, they are visible, but when the lights are out, they are invisible.

PS. - Why doesn't 'Buick' rhyme with 'quick' ?

(December 10, 2008)

[Back to top]

[・] 英語習得の難しさ

アメリカの人気コラムニストが面白いことを云っています。英語学習の難しさゆえ途方に暮れたり、「道遠し」の感にうんざりしている方に効く精神安定剤となるかも知れません。【以下の記事はアメリカ人に向けて書かれたものであることをお忘れなく】

'English is a tough language'
by Zig Ziglar

「英語、日本語、ナヴァホ語が習得困難な言語の御三家であることは世界周知の事実である。英語は最も一般的で、他の言語に較べ世界中で広く使われている言語だが、なぜ難しいのか知っておく必要がある」

【編註】Navajo(ナヴァホ)インディアンの言葉は、太平洋戦争時の米軍の暗号として採用されました。映画'Windtalkers'『ウインドトーカーズ』(2002)で詳しく描かれていますが、ナヴァホ・インディアンたちは通信兵として母艦と前線の双方に配備され、普通にナヴァホ語で喋って命令や情報を通信しあいました。暗号ではなく普通の会話なのに日本軍には解読出来なかったというわけです。

「英語には"jumbo shrimp"【編者註:"shrimp"は「小エビ」】、"the same difference"などの矛盾する表現が溢れている。それに加えて、いくつかの地域的表現は英語入門者を戸惑わせるものであることをまざまざと教えてくれる。
1) It cost him an arm and a leg to get his car fixed.
2) We each coughed up a dollar.
3) She was down in the dumps all day.
4) The price goes up every time I turn around.
5) His eyes popped out when he saw the bill. 【編者註:これは日本語と同じですね】
6) My grandmother has a green thumb.
7) He quit smoking cold turkey.

まだまだある。われわれは2メートルもの大男を【編者註:ニックネームで】"Shorty"と呼び、太った男を"Skinny"と呼んだりする。また、われわれはある種の人々を"dogs"と定義し、他の人々と較べて惨めな場合"dog's life"と呼んだりする。われわれは全ての黒人を"African American"と呼ぶ傾向があるが、彼らはハイチの人々かも知れないし、英国に住む三世かも知れない。

こうした頭をかしげるような表現や不正確さにも関わらず、英語は世界で最も人気のある言語だ。英語を使う人々はいい友達に恵まれ、他の人を印象づけ、一歩先を歩む人生を送ることが出来る。だから、英語をちゃんと勉強することだ。その過程で理解すべきことがある。他の国に申し訳ないことだが、アメリカは他国の言葉を学ぶことが必須とされない数少ない国の一つだ。アメリカへの移民が言葉で難渋している時、われわれは自分に問いかける必要がある。『私はどれだけ彼の国の言葉を知っているだろう?』と。一考すべきポイントだと思いませんか?」

(November 20, 2008)

[Back to top]

[・] 御近所

「隣人」が"neighbor"であることは中学生でも知っていることでしょうが、私などはアメリカに住むまで「近所」という云い方を知りませんでした。最も一般的な云い方は"neighborhood"です。

"There are three churches in my neighborhood."というように使えます。修飾語を伴うと「(ある特徴を持つ)地域」という意味になります。"black neighborhood"は、主に黒人が多く住んでいる地域という意味です。

NBC-TVのモーニング・ショー'TODAY'では、ニューヨークや主な大都市の天気を伝えた後、黒人男性タレントが"Here's what's happening in your neck of the woods."と云います。私は長い間この「ネコノウッズ」と聞こえる末尾の語句が解らず、「何を云ってるんだろ?」と不思議でした。"neck of the woods"は、もともとは「森の中の集落」を意味していたらしいのですが、現在の口語では「近所」、「界隈」という意味になっているそうです。「では、お住まいの近くのお天気をどうぞ」と云っていたのでした。

「隣人」にも色々あります。本当に隣りに住んでいる隣人は"next door neighbor"で、アパートの階上の隣人は"upstairs neighbor"、階下の隣人は"downstairs neighbor"となります。階段は一段だけではないので複数になります。

(October 30, 2008)

[Back to top]

[・] アメリカの車と警察のお話

アメリカに長く駐在され、各地を経巡っておられた横浜市の田中さんに寄稿して頂きました。駐在員予備軍(とその家族)や観光でアメリカを訪れる方々に役立つ、とても実際的なお話です。

地下鉄やバスの路線が多いニューヨーク等のごく限られた大都市を除き、主な移動手段は車のアメリカ、何処へ行くにも車が必要です。

出張の場合、飛行機を選ぶと次のような理由で結構時間がかかります。1) 搭乗時間の1時間前には空港へ行く必要がある、2) 飛行機の出発が遅れる事がある、3) 目的地の空港でレンタ・カーを借りる必要がある、4) 空港からのダウンタウンへの移動時間がかかる…そう考えると、飛行時間で1時間程度離れた所へ出張する場合は、陸路を行く場合と比較して多くて2時間程度しか差が出ませんので、自分の車で行くアメリカ人が多いようです。

私自身、別に運送業を営んでいる訳ではなく、又、車のテスト・ドライバーでもありませんが、一時期、毎週最低でも一回は片道160マイル離れた町に行く必要があった関係もあり、年間24,000マイル(38,400km)走った年があります。この年は例外としても、私は年間で少なくとも15,000マイル程度は走っていました。

車を使う上で、何かとお世話になる?のが、警察ですよね。と言う訳で、アメリカで経験した車と警察のお話。取っ掛りは妻の経験談から。

・妻の体験その1
未だ多少不慣れな時期に、一人でショッピング・モールへ買物に出かけた妻が、買物後、車に戻ろうとしたら、探しても車が見当らない。買物した店で事情を話したら警察を呼んでくれ、ポリース・カーは直ぐに来てくれました。取り敢えず、ポリース・カーでモールの駐車場を一周。で、車は、妻が必死に探していた駐車場とは反対側の入り口の駐車場にありました。それは決して大きいとは言えないショッピング・モールだったのですが、アメリカのショッピング・モールは一般的に巨大で、その駐車場も当然巨大なので、どこから入ったのかモールへの出入口を覚えておかないと、こういう事になるんですね。モールそのものが大きい上に、片側の出入口は1階レベルなのに、反対側は傾斜地で2階レベルとか、結構慣れるまでは迷い易いんです。

・妻の体験その2
スーパー・マーケットの駐車場で、妻はキー閉じ込みしてしまいました。偶々、ポリース・カーが停まっていたので、恐る恐るお願いしたら、若い警察官、「直ぐに開けてあげる」と笑顔での返事。でも道具を使って20分近くも色々やってくれたそうですが、結局開けられず終い。結局「スペア・キーを持ってくるしかないね」との捨て台詞を残して怒って帰ってしまったそうです。私が会社を早引けしてスペア・キーを届けに行くハメになりました。

・話変ってパトカーのお話
日本で言うパトカー、アメリカではポリース・カーですが、日本の感覚でも一寸見ポリース・カーと判る白と黒の色使いが多いのですが、一般的にはポリース・カーは警察の種類(後述)によって異なり、色・柄は様々です。屋根に乗っている回転灯も、青一色、赤一色、青と赤のコンビ、更にそれらに加えて黄色、白色が入ったりと、色及びランプの形、並び方も一様ではありません。日本の緊急車両のランプは赤ですが、アメリカでは警察関係は青を使う場合が多く、日夜を通して青の方が視認性は高いように思います(当然赤一色の場合もありますが)。

日本の警察は警視庁、県警という区別はあっても、基本的には1種類と考えて良いと思います。私の知り得る限りでは、アメリカの警察はFBI、USマーシャルなどのアメリカ全州をカバーする警察機能の組織と、日本の警察の様に地方公共団体(アメリカの場合は州)をカバーする警察と分れて、この州内の警察がさらに3種類に分れます。併せて、警察に区分されるのかどうかは知りませんが、ハンディキャップ用の駐車場への違法駐車を取り締る専用の組織もあります。

3種類のうち、先ずは地方自治体の警察(シティー・ポリース)で、これは映画にも良く登場するNYPD(ニューヨーク市警察)、LAPD(ロス・アンジェルス市警察)を思い浮べればいいでしょう。因みに先程のポリース・カーの色は、LAPDは白黒ですが、NYPDのは白と空色ですね。次はカウンティー(郡)を管轄する警察で、通称はシェリフ、そして3つ目が州警察で、後者はステート・トゥルーパーと呼ばれている場合が多いです(この州警察は、日本ではハイウエー・パトロールと言った方が馴染があるかも知れません)。因みに、ミシガン州のステート・トゥルーパーは、濃紺のボデーに、赤の円筒形の大型回転灯が乗っています。尚、シェリフのポリース・カー(シェリフ・カー?)には、大抵、星形の昔の西部劇でもお馴染みの保安官バッジのマークが付いています。

同じ州に属する警察とは言っても、これらの3種の警察のポリース・カーの色と柄は当然異なります。余談ですが、道路によっては、この3つの警察が代る代るスピード違反の取り締りをしている場合がありますので、要注意ですよ。その他、日本の覆面に当たる、アン・マークト・ポリース・カーもあります。ムスタング、カマーロと言った一見スポーツ・カーのタイプからジープ・タイプもあり、サイドに廻るとマークが入っていますが、走行中はそれらがランプを点灯しない限り判りません。

・スピード違反の取り締りについてのお話
スピード違反も通常は10マイルを越えない範囲のオーバーは見逃してくれる州が多いようです。但し、どこまでのオーバーが許容範囲なのかについては、保証は致しかねますし、又、責任も取れませんので、試す時には自己責任という事でお願いします。よって、私は通常、制限速度プラス5〜6マイルでオート・クルーズをセットする事が多かったです。但し、これには例外があります。ある御婦人から「ペンシルバニア州はスピード違反の取り締りが厳しくて、5マイルオーバーしただけでも捕まるから注意しなさい」と教わりました。その後何回もペンシルバニアを走る事になりましたが、確かにペンシルバニアの取り締りはかなり厳しいと思います。

スピード違反の取り締りですが、通常は対向車線を走るポリース・カーから(若しくは、インターステート・ハイウエーの中央分離帯か路肩に止めたポリース・カーから)レーダーかレーザーで目星をつけた車のスピードを計るようです。日中の一般道でのレザー・ガンによるスピード計測を見た事がありますが、ポリース・カーの運転席側のドアを半開きにしてスピード・ガン(まさに大きなピストルに見える)を構えた腕をドアの窓枠の上端に固定し対向車を狙い撃ち?していました。

恥ずかしながら、私は12年の間に3回ほどスピード違反で捕まった経験があります。初めの2回は、郊外の片側1車線路が市街地に入って片側2車線になるが、制限スピードが落ちる所を、そのままスピードを落さずに通過して捕まりました。残りは日没後のインターステート・ハイウエーでした。

捕まった時の応対方法は色々な案内に書いてあるのでここでは割愛しますが、警察官(オフィサー)が自分の横に来るまで身動きをせずに待つ事が基本です。ポリース・カーに追尾され路肩に停車後、先ずは盗難車の照会をしているのか、オフィサーが降りてくるまで結構時間がありますので、慌てずに待つ事が肝要です。

・捕まった後のお話
最初の時はその州に住んでいた事もあり、初めての違反で、又、オーバーのスピードも大きくなかったせいか、ポリース・カーの中での尋問?で、裁判所に行くか、罰金を払うかの選択が出来る事が告げられました。裁判所に行くという選択が何を意味するのか判らなかったので、罰金の方を選択しましたが、後で会社のアメリカ人に聞いたら、裁判所に出頭してお説教?を聞けば、罰金は支払わなくても良いとの事。但し、人によって裁判所なんかに行くのは嫌なので罰金を選ぶと言っている人達もいました。このシステムは州や年度により異なるかも知れません。罰金の場合は、オフィサーから貰ったチケットに書かれた金額の小切手を指定場所に郵送する事になります。

何れにせよ、スピードをオーバーしても到着時間に大して差が出ないので、皆さん、安全運転を心掛けましょう。安全運転、安全運転、で飲酒運転は控えましょう。飲酒運転は基本的に禁止されていますが、許容される血中のアルコール濃度がドライバー・ライセンスの教本に載っていますので、自分の体重と血中のアルコール濃度との関係を理解し把握してから運転しましょう。

【編者の蛇足】
・ミシシッピ州では、検査の結果血中のアルコール濃度が0.08%を越えればDUI("Driving Under the Influence"、アルコール・麻薬などの影響下にある運転)とみなされます。同じことを、DWI("Driving While Intoxicated"、飲酒運転)と表現する州もあるようです。なお、日本の道交法では0.03%以上が飲酒運転。ビール大瓶(633 ml)一本呑むと血中濃度は約0.06%となり、体重60 kgの人で完全に抜けるには約四時間必要となるそうです。

・15年ほど前、日本からの海外取材でユタ州を北上し、Salt Lake Cityへ向っていた時のこと。インターステイト・ハイウェイを走っていて、パトカーとすれ違いました。「向こうの路線だからいいだろ」と思っていたら、そのパトカーは分離帯を横切ってこちらの路線にやって来て、私たちのレンタカーの後ろについて来ます。私が車を停め、出ようとしたら同行の女性コーディネーターが「出ると射たれますよ!」と叫びました。出ようとしたぐらいですから、シートベルトもしてなかったんですが、後ろのパトカーから見えないようにこっそりシートベルトを装着。窓ガラスだけ下ろして待っていました。やって来た警官が「免許証を見せろ」と云います。国際運転免許証は数個の機材トランクの奥にあるスーツケースに入っていました。大汗をかいてスーツケースを引っ張り出し、免許証を見せました。警官が「目的地は?」と聞きます。「Salt Lake City」と答えると、「それなら、そう遠くない。ゆっくり走りなさい」と云って放免してくれました。外国人旅行者だったからということもあるでしょうが、多分10マイルに満たない速度超過だったのでしょう(よく覚えていません)。

・捕まった時に警官が云う「裁判所に行くか?」というオプションについて、保険会社の人間に聞いてみました。以下は彼の体験ではなく、友人からの又聞きだそうです。指定された日に裁判所に出頭しますが、何らかの理由で運転者を逮捕した当の警官が出廷しないと無罪放免になるそうです(ラッキー!)。運悪く警官が現われた場合、運転者はスピード違反が誤解であると無罪を主張することが出来ますが、判事から有罪を宣告されれば、罰金のほかに法廷経費(定かでありませんが100ドルぐらいだろうとのこと)を負担せねばなりません。罰金が80ドルなら180ドルに膨れ上がります。もし、法廷に弁護士を帯同した場合、有罪なら180ドル以外に弁護士への支払い(200ドルぐらい?)も必要になります。となると、こちらの落ち度がはっきりしている場合は、おとなしく罰金を払う方が賢明ということになります。

(October 10, 2008)

[Back to top]

[・] 防衛運転

55歳以上で"Defencive driving"(防衛運転)の講習会に出れば、自動車保険の掛け金が安くなると聞いていました。ある日の新聞にその講習会開催の記事が出ていたので、早速電話で申し込み。只かと思ったらそうではなく、主催者である保険会社(AARP)が手数料として$10.00徴収するそうです。場所はある大病院の講習会室。

私が契約している保険会社に「受講し、ちゃんと終了したことをどう証明すべきか?」と聞くと、「終了時に証明番号をくれるから、それを電話してくれればよい」とのこと。この会社は受講後三年間一割引にしてくれるそうです。

講習は8:30〜4:30という長丁場。渡されたテキストを見ると、目次が「一日目」、「二日目」となっているので、当市では二日分を8時間かけて一挙にやってしまう方針のようです。講師は70代の夫婦(ヴォランティア)。参加者は約25名。ほとんどが70〜80代で、運転歴も45〜65年だそうです。さすが車無しでは生活出来ないアメリカです。

テキストにはところどころにクイズ形式のテストがあり、3〜5分間で自分の答えを出します。道交法であったり、安全に関するもの、高齢者の事故の傾向など、問題は様々です。私は半分以上は正解でしたが、残りは見当もつかないというものでした。参考になった情報をいくつかメモしておきます。

・眠気を覚ますいい方法は氷を口に含むこと(これは参加者からの報告)。
・両手はハンドルの9時と3時か8時と4時の位置に置くこと。事故でエアバッグが膨らむとき、この位置なら安全だが、もっと上に当てているとエアバッグが両手を弾き飛ばすので手で顔面を打つ恐れがある。
・ハンドルと胸との距離を約25〜30センチ離すこと。これ以下だとエアバッグによる衝撃で胸を痛める恐れがある。
・警察・救急車の電話番号は911。ハイウェイ・パトロールは「*HP」(*印と47)。
・高齢になればなるほど左右の視野が狭くなる。若い時はカメラの広角レンズのように広く見えるが、年を取ると標準レンズのように視野が狭くなって来る。「この車、いつ、どっから来たんだ?」と思うケースが増えたら、視野が狭くなった証拠。

病院の好意だそうですが、部屋にはコーヒー、ジュース、ミネラル・ウォーター、ドーナツ、カップケーキなどがあり、飲み放題・食べ放題。さらに、昼は病院のキャフェテリアの無料飲食券が出ました。$10.00出しても惜しくない気持になりました。保険料も安くなるわけだし、8時間の“受難”も何のそのです。ところで、こちらの人たちは黙って講師の云うことを聞くだけではなく、どんどん発言します。経験談やら冗談やら賑やかです。適当にクイズもあるし、何とか居眠りせずに済みました。

調べてみると、色々な保険会社がこうした講習会を催しているようで、50歳以上というところもあるみたいです。自分の近くでいつ講習会があるかは、最寄りの公的機関か保険会社に問い合わせましょう。
http://www.aarp.org/families/driver_safety/wrapper_driver.py【これはAARPの場合。ここの保険に入っていなくても受講出来る】

なお、インターネットやDVDを使って自宅でオンライン講習を受けられるシステムもあります。しかし、この受講料は$19.95もします(AARPメンバーなら$15.95)。私の受けた講習の倍の料金で、無料飲食券も付きません:-)。
http://www.aarp.org/families/driver_safety/driver_safety_online_course.html

(September 10, 2008)

[Back to top]

[・] 医者の色々

日本語で「医者」を指す場合、英米では単に"doctor"でなく"physician"と呼ぶべきケースが多いのは御存知でしょうか。アメリカでは何かあると病院ではなく先ず手近のclinic(診療所)へ行くわけですが、そこにいる医師はphysicianなのです。英和辞典ではphysicianは「(特に)内科医」と書かれていたりしますが、彼らは軽い外科的手当の心得もあり、内科専門というわけではありません。診療所の医師が必要と判断した場合にのみ、病院へ行くよう示唆されます。診療所の多くは特定の大病院と密接な繋がりがあり、普通はその大病院へ廻されます。患者が「その病院は嫌だ」と云った場合、他の病院に頼んではくれますが。

physicianの多くはM.D.(Doctor of Medicine、内科)ですが、D.O.(Doctor of Osteopathy、整骨療法)の肩書きを持った医師もいます。どちらも受ける教育内容は同じですが、学校も資格も厳然と分かれています。難病のため引退した私の友人Mike Nicholson(マイク・ニコルスン)はD.O.です。M.D.とD.O.の資格を得るには、カレッジか大学で四年学んでBS(Bachelor of Science、理学士号)かBA(Bachelor of Arts、文学士号)を取得後、M.D.はmedical school(医科大学)、D.O.はostheopathic school(整骨療法大学)で四年学び、さらに少なくとも一年間インターンとして実習を積みます。その後、surgeon(外科医)、internal medicine(内科医)、pediatrician(小児科医)等々の専門医になります。特殊な医師になるには、さらに2〜6年の特別実習を積む必要があります。

私が日本語を教えている元医師の専門を尋ねたら、"I was an ophthalmologist."と云われ、私は目を白黒させてしまいました。彼は"Eye doctor."と云い替えてくれ、「なあんだ」と思いました。随分難しい言葉もあったものです。彼は自分の診療所を持っていたのですが、手術をする場合は患者を大病院に廻し、彼が出向いて執刀したそうです。

アメリカで暮らしてみると、歯医者も色々あり、それぞれが独立して“商売”をしていることに驚かされます。虫歯や入れ歯はごく普通のdentistへ行きますが、歯茎の治療ですとperiodontist(歯周病医)へ廻されます。歯医者の資格はD.M.D.(Doctor of Dental Medicine)あるいはD.D.S.(Doctor of Dental Surgery)です。

アメリカでは歯並びを良くする「歯列矯正」が盛んで、子供から大人まで大金を払って矯正します。八重歯などは強制的に他の歯と一列に並べてしまいます(「八重歯が可愛い」というのは欧米では通用しません)。これ専門の医師は"orthodontist"(歯列矯正医)と呼ばれます。

電話番号簿で"Dentists"を見ると、まだまだあります。

"Endodontisitは「歯内治療医」(歯根管治療)で、"prosthodontist"は「義歯専門医」。

なお、歯のお掃除をしてくれるのは"dental hygienist"(歯科衛生士)だそうで、これも一寸分りにくい肩書きですね。

(August 20, 2008)

[Back to top]

[・] 女と女性の区別

ある読書サークルでスピーチをすることになった際、原稿を私の個人的英語の先生であるDiane(ダイアン)に見て貰いました。修正箇所は沢山ありましたが、その一つは「私はこの町出身の女性と結婚し…」というくだりでした。私は"I married to a woman from this town in Tokyo."としていたのですが、"I married to a lady..."に直されました。

日本人の感覚ですと、他人は立てますが身内は貶める表現が普通です。ここで"lady"を使うというのには驚きました。私は、「まあDianeも女性だし、読書サークルのメンバーもみな女性だから、"lady"という言葉を望むのかも知れない」と思い、訂正された表現で喋ることにしました。

お話変わって、ゴルフ。見事にパットを沈めた人への褒め言葉の一つに"You the man!"というのがあります。日本語ですと「男の中の男!」、「大統領!」とでもいうべき表現。で、その相手が女性だったらどう云うのか疑問が湧きました。女性に"You the man!"(男の中の男!)は変ですもんね。女性ゴルファーの奥さんを持つ男に、「奥さんが見事なパットをしたらどう褒めるの?」と聞いてみました。彼は「"You the lady!"だね」と笑いながら云いました。驚きました。彼の奥さんは男のような巨体で、顔はへちゃむくれ、気性はガラッパチで、"lady"(淑女)という表現には全く相応しくありません。しかしまあ、“あばたもえくぼ”という言葉もあるし、自分のカミさんはよく見えるのだろうと思いました。

ここまでのところでは、私はアメリカ人の"lady"の使い方に納得していませんでした。あまりにも"lady"の大安売りのように思えたのです。ところが、次の一件によってそうではないことを知ったのです。

スーパーWalmart(ウォルマート)で買い物をして車を出そうとした私は、ほぼ同時に出ようとしていた後ろの車とお尻同士をぶつけてしまいました。その車の持ち主は看護婦のような、あるいはナーシング・ホームのヘルパーのようなユニフォームを来た40代の女性で、教養もあり常識も備えた婦人のようでした。後日、彼女から私の留守番電話にメッセージが届いたのですが、それは「私の名はこれこれで、いついっかあなたにWalmartで車をぶつけられた女性です」というところを、"I'm the lady that..."と云っていたのです。彼女は"lady"に相応しい人物でしたから問題ないのですが、アメリカでは自分のことも"lady"と云うわけです。

"woman"=「女」
"lady"=「女性」
…こういう分類が出来そうです。

女子プロ・ゴルファーの組織はThe Ladies Professional Golf Association(略称LPGA)と云い、これまた自分たちで"ladies"と自称しています。ただし、別組織であるUSGA(全米ゴルフ協会)が主催する大トーナメントの名称は"U.S. Women's Open"(全米女子オープン)となっています。常にladyが付くわけでもありません。

(July 10, 2008)

[Back to top]

[・] アメリカの教育制度

日本では小中高は6・3・3と分かれていて、そこに通う生徒の年齢はほぼ一定です。せいぜい、早生まれ、遅生まれの一年の差です。アメリカでは早生まれ、遅生まれに加えて、流動的な制度があるため、何学年は何歳と特定することは出来ません。

日本の「学年」はアメリカでは"grade"として表されますが、実際には日本の学年とは大きく異なります。アメリカの教育は、小学1年(1st grade)から高校4年(12th grade)までの12年間をまとめて扱い、6・3・3のように分けません。生徒の学力が抜群であると異例の進級をさせるので、同じ歳の子供でもgradeが違うというようなことが起こり得ます。ただ、英才を進級させる原則は変わっていないものの、最近では非常に珍しいそうです。学校側が「同じ年齢のグループで学習するのが自然」と考え始めたからだそうです。逆に出来の悪い生徒を落第させることもなくなったので、かなり日本の制度に近くなったとも云えるでしょう。学校はelementary school(小学校)、middle school/ junior high school(中学校)、high school/ senior high school(高校)と別れている場合もあるし、小・中が一緒の場合もあるようです。

日本の高校は三年間ですが、アメリカの高校は四年間となっています。学年は大学と同じようにように"freshman"、"sophomore"、"junior"、"senior"と呼ばれます。日本の「高校三年生」を訳そうとすると困ってしまいます。機械的に"junior"とすると、卒業目前の学年にはならないからです。辞書には、アメリカにも三年制の高校もあるように出ていますが、あまり一般的ではないようです。

なお、アメリカには"preschool"という幼稚園に相当する教育制度があります。2歳〜4歳の子供が通います。その次に"kindergarten"という4歳〜5歳対象の教育があり、これは小学校に付属しているケースがほとんど。

【註】アメリカにも公立と私立の学校があります。私立には教会が経営する学校、利益を生むことを目的とする学校、利益を度外視して経営される学校などがあります。

私の知っている青年は11月生まれで(こちらの新学期は9月開始)、5歳でpreschoolに入り、6歳でkindergarten、7歳から小学校、12歳で中学校、16歳で高校に入り、19歳で高校を卒業したそうです。

“義務教育”という概念も日米では異なります。日本で“義務教育”というと「学校へ通わなくてはならない」ということを指しますが、アメリカでは"home school"と称して親が家庭で子供を教育することも許されています。州の教育方針や制定された教科書の押しつけを受け入れたくないという理由その他で、家庭で両親(多くの場合、母親)が教師となって子供を教育します。親の教育レヴェルも審査されるので、誰にでも出来るわけではありません。また、子供の学習の進歩も時折公的機関でテストされます。"home school"には賛否両論があります。反対派は「一人の親が全教科を教えるなんて無理」、「子供が他の子供と交わらないで育つと協調性に欠ける」と云い、擁護派は「テストで満足な点を取れるのだから、教育に問題はない」、「時折教会主催の合同教室の授業があり、そこで協調性を育むことが出来る」と主張します。ある人は「イーグル・スカウト(ボーイ・スカウトの優等生)には"home school"の子供が多い」と主張します。

2008年の無料配布誌'PARADE'(6月1日号)に興味深い記事が掲載されました。カリフォーニア州の控訴裁判所が「"recognized teaching credentials"(認定された教育の資格証明書)を持たない親は、子弟を学校に送るべきである」という判決を下したのです。これはまだ紆余曲折あるでしょうから、まだ確定した判例というわけではありません。しかし、この記事は「これは全米に跨がる議論を巻き起こすだろう」と予測しています。

同じ記事によれば、カリフォーニア州には166,000人の子供たちが"home school"で教育されており、全米だと、何と約2,000,000人が家庭で教育されているそうです。信頼出来る筋によれば、"home school"を受けている子供の数は昨年の7%から12%へと上昇しているとのこと。

(June 10, 2008)

[Back to top]

[・] 自己紹介とスピーチ

私は20代のアメリカ青年二人に日本語を教えています。知り合いの方の所へ若い日本女性が長期滞在されていたので、その女性をお呼びし、青年たちに自己紹介をさせてみました。日本語を習い始めてまだ数ヶ月ですから使える云い廻しも少なく、一言で云って稚拙です。しかし、彼らから学ぶことも多々ありそうです。

先ず、青年Aの自己紹介:「私は●●●●(名前)と申します。私は20歳です。私は大学生です。私は薬局で働いています。私は水泳とランニングと自転車が好きです。私の家は五人家族です」

青年B: 「私の名前は●●●●です。私は25歳です。私はゴルフコースで働いています。私はアニメとお絵描きと食べるのが好きです。私は日本へ行きたいです」

自己紹介はスピーチとは別物ですが、しかし骨格はスピーチを参考にすべきだと思われます。スピーチでは、1) Introduction(枕、導入部)、2) Main body(本題、展開部)、3) Conclusion(結語、終結部)…が不可欠ということになっています。スピーチの場合、主催者に感謝の意を表し、本題に関連する小話(笑話、歴史、ことわざなど)を披露し、やおら本題に入ります。最後に、スピーチのまとめをし、将来の展望(抱負)・課題などを述べて終了します。

わざわざ日本女性が来てくれたわけですから、二人の青年も先ず彼女に感謝の言葉を述べるべきでしたが、二人とも何も云いませんでした。青年Aはミズーリ州に家族がいて、父親は大工さんなのですが、それらにも全く触れませんでした。小さなホームタウンについて説明されても日本から来た女性にはちんぷんかんぷんでしょうが、他州から来て働いている事実は重要ですし、父親の仕事も家庭環境が分る大切な要素だと思います。

青年Bは文字で表すと上のように流暢そうになりますが、実はたどたどしく、精一杯のパフォーマンスでした。しかし、彼の「日本へ行きたい」という言葉は、彼の真実の希望でもあると同時にゲストの日本女性への外交辞令ともなっており、「あ、これで終りだな」と思わせる結語になっています。青年Aのは終ったのか、まだ続くのか分らない“尻切れとんぼ”の状態です。

私は青年二人に「ユーモアを交えろ」と教えていたのですが、結局そういう文章が作れなかったと見えて、二人とも只の事実の羅列に終っていました。青年Aは当地の鉄人レースに参加しているほどのスポーツマンですから、「日本の鉄人レースで優勝して有名になりたい」とか云えるわけですし、青年Bもカレッジ・フットボールの選手でしたから、「日本語をマスターして、日本のフットボール・チームのコーチになりたい」とか云えた筈なのです。夢はいくら大きくてもいいわけですから、笑いを誘うほど誇張しても許されるでしょう。

スピーチについては『英検1級 二次試験対策』などという本に、"Public SpeakingのTopics"として様々なテーマ(主題、課題)が出ています。それらをカードに書き抜いて、ランダムに抽出したテーマで短いスピーチが出来るように練習するといいと思います。英検では、「題目カード」を取り出してから一分だけ考える時間が貰え、話し出して二分で終了するようになっています。

(May 10, 2008)

[Back to top]

[・] アメリカの訴訟におけるDiscovery

この項のテーマはDiscoveryというアメリカ合衆国に特有の手続きを紹介しようという試みです。この項は私のインターネット上の知り合いである二人の弁護士、坂井・三村法律事務所のパートナーである柴田義人さんと、Sachse, James & Lopardo法律事務所のStephen V. Lopardoさんの御意見をもとにまとめたものです。

私は柴田さんから初めてDiscoveryという法律用語を教えて頂きました。私が「アメリカでは弁護士が鵜の目鷹の目で訴訟のネタを漁っており、訴えを起して敗訴してもペナルティ(罰金)がかからないため、日本に較べると異常に訴訟件数が多い」と書いたことに対し、柴田さんから「一説には、訴訟件数の違いは日本では訴訟手数料が高いこと、着手金なし(オール成功報酬)でも受任する原告側弁護士が少なかったこと、class actionやDiscoveryのような制度がないので“被害者”側が不利だったことなどが訴訟の少なさに繋がっていると見られている」という解説をお寄せ頂きました。また、「日本では原告が敗訴してもよほどのことでなければペナルティーはないも同然で、これはアメリカとほぼ同じですが、現在も最初に払う手数料が高い点はアメリカと違います」という、私の思い込みに対する御注意も頂戴しました。

class actionは「集団訴訟」(公害裁判など)でお馴染みですが、Discoveryというのは初耳でした。柴田さんは「このDiscoveryこそアメリカの訴訟のユニークな点」とおっしゃっています。ところが、これをかいつまんで素人にも分りやすくした説明を見つけるのは大変難しい。法律ですから色んな付帯事項もあり、どうしても長くなります。素人向けの筈のWikipediaのDiscoveryに関する説明でさえ長ったらしいのです。

私が教えを請うたお二人の法律専門家の意見を総合しますと、《Discoveryとは陪審の前で証人尋問や弁論をする前に、原告・被告双方に公平に証拠となるべき情報を開示することを強制する法制度》ということが出来ます。証拠開示によってお互いの強み・弱みが鮮明になりますから、多くの訴訟は法廷に場を移さずにDiscoveryの段階で和解が成立することが多いそうです。Lopardoさんは「訴訟というものは訴訟当事者の負担となるばかりでなく、州や連邦にとっての経費(法廷や裁判官の経費)も馬鹿にならないので、Discoveryはそうした負担を軽減する役目を果たしている」という見解ですが、柴田さんは「Discoveryによって延々と証拠開示の手続が続くのは、とりわけ被告(典型的には大企業)にとって大変な負担になっている(弁護士費用などのお金と時間がかかる)」という御意見です。

Stephen V. Lopardoさんの説明:

Discoveryというのは、訴状が送達された後、関連する資料等の提出を義務づけるプロセスである。原告・被告両者が同じ情報に平等にアクセス出来ることにより、多くの場合お互いの見解の相違を自発的に解決し、裁判という経費をかけることなく結論を出せるという側面がある。これは紛れもない事実で、カリフォーニア州の例を挙げれば、90%以上の訴訟は訴訟開始後、法廷に移行する前に解決されている。もしこのような成果がなければ、それでなくても過密スケジュールとなっている法廷にとって、大変な重荷となることだろう。

Discoveryのタイプはいくつかあり、どれも原告・被告双方に権利がある。
1) 訴訟に関連する書類は、当事者のどちらでも証拠として開示を要求出来る。
2) 訴訟に関連する第三者の書類も、当事者のどちらからでも証拠として開示を要求出来る。
3) 当事者のどちらも、相手方に対し書面による質問書を送ることが出来、相手方は宣誓と共に答えねばならない。これは訴訟に対する立場を明確にする事実を誠実に述べることを強制するものである。
4) 当事者のどちらも、宣誓証言を得ることが出来る。これは相手方から宣誓に基づく証言を得る質疑応答であり、もし証拠調べや陪審の前での弁論に臨むことになった場合に証拠として使用出来る。宣誓証言は証人や目撃者を対象に行なうことも出来る。

こうしたDiscoveryの結果、現在の法廷ではペリー・メイスンが多用したようなあっと驚く証拠や証言は見られなくなっている。裁判開始予定の数ヶ月前とか数年前にこのDiscoveryの手続きがあるので、当事者双方はそれぞれの強みを評価することが可能となる。

Discoveryの結果、大体の場合本当の事実は何だったのか、実際に何が起ったのかが判明する。もし双方の代理人(弁護士)が有能であれば、彼らは裁判を行った場合と同じ結論に到達する筈だ。そうなれば、大抵の訴訟は法廷に移行しないないで解決をみることが出来る」

つまり、カードを伏せないでプレイするポーカー、牌を曝け出した麻雀に譬えることが出来ましょうか?相手の手の内は分っているわけですから、ハッタリは効きません。

以下は「Discoveryの功罪」に関する柴田さんの御見解です。

「“功”は、いわゆる『証拠の偏在』の解消でしょう。自分に有利な証拠を相手方が持っていることがわかっているのに、何だかんだといって出してくれないので裁判に負けた、ということは基本的にはなくなります。しらばっくれて相手に有利な証拠を隠して、それがバレたりしたら法廷侮辱罪に問われるからです。狭い意味で“正義”にかなった裁判を実現できるという意味では、有用な制度だと思います。“罪”は、裁判がますます遅く、経費が嵩むことです。我々弁護士にとってはありがたいことですが…。Discoveryの手続にかかる弁護士費用を考えると、勝てることはわかっているけど和解金を払った方がマシ、と被告(企業)が判断するケースは珍しくも何ともありません。早くて安い、というのも“正義”の定義に入れるとすると、前記した“功の部分も怪しげなものになってきます。皮肉な言い方をすれば、いずれにしても弁護士にとっては都合のいい制度であるということはできると思います」

次に、日本でDiscoveryが採用されるかどうかに関する柴田さんの見通し。

「導入を主張する方々が多いのは確かです。しかし、おそらく財界は大反対でしょう。というのは、言うまでもなく、資料の提出を義務づけられて不利になるのは企業ですし、導入されれば弁護士費用が高騰するのは必至だからです。したがって、財界に後押しされている政党が議会の多数派を占めているうちは、民事訴訟法が大きく変わることはないような気がします。個人的には、いずれは導入すべきだと思っています。それは、弁護士業界が儲かるから…ではなくて(笑)、証拠を隠しきった側が裁判で勝つ、というのはやはり不合理だと思うからです」

(April 20, 2008)

[Back to top]

[・] 大学卒

日本では自分の経歴を書く時、「大学院卒」・「大学卒」・「短大卒」と明確にしなければなりません。大学院は英語では"graduate school"で、四年制総合大学は"university"でその多くはgraduate schoolも併設しています。単科大学が"college"、短大が"junior college"あるいは"community college"です。アメリカでも「院卒」の資格は重要のようですが、就職の際でもない限り「大卒」と「短大卒」などの区別は重要視されていないように見受けられます。

最近、私はオンラインでスーパーWalmartのアンケート調査に応え、さらに保険会社GEICO(ガイコ)の自動車保険の見積もりもオンラインで行ないました。どちらも"college degree"という選択肢はあっても、"university degree"というのは見当たりませんでした。つまり、総合大学・単科大学・短大の三つはいっぱひとからげにみなされているわけです。もちろん、WalmartやGEICOは私を社員として雇うわけではなく、単にどの程度の知識・教養を持っているか知りたいだけなのです。私を雇うかどうかという局面では、もっと詳しく学識の程度を聞きたがるでしょう。ただの"college degree"ではなく、Harvard(ハーヴァード)卒なのかMeridian Community College(メリディアン・コミュニティ・カレッジ=私の住む町の短大)卒なのか。両者の差は大違いですからね。

本サイトの「ビニール袋」で登場して頂いた柴田義人さんに伺いました。柴田さんはロースクール(法律大学院)への留学と法律事務所や裁判所での研修で二年半アメリカに滞在された方です。「形式的には同じcollegeに分類されていても、たとえば二年コースのcommunity college出身者と名門university卒業生では、社会の扱いはまるっきり違うように見えました。アメリカは、日本どころではない、すごい学歴社会というのが私の印象です。graduate school(いわゆる大学院)とprofessional school(ロー・スクール、ビジネス・スクール、メディカル・スクール)を区別するというのは私には新鮮な発想でした。もっとも、アンケートなんかだと、professional schoolのdegreeを持っている人も最終学歴はgraduate schoolに分類するのかもしれません」とのことです。

professional schoolのうちlaw school(ロー・スクール)の場合は、四年制大学で学位を得た後、更に三年間の研究が必要だそうです。標準的medical school(メディカル・スクール)は卒業までに四年間学習し、医師として単独で患者を診るためには、更に三〜七年間の監督下による実習を経なければなりません。建築家になるにも四年制大学で学位を得た後、あと数年研究しなければならないそうです。

(March 30, 2008)

[Back to top]

[・] Produceとは何か?

Walmartや他の大規模食料品店はバーコードで値段を計算します。レシートにも品名・数量・値段が印刷され、公明正大です。小さな店、特にアジア系食料品店(日系、韓国系、中国系など)ではバーコードで商品を管理しておらず、キャッシュ・レジスターに指で値段を打ち込みます。こういう店のレシートには商品名がなく、漠然と"produce"とか"frozen"とかあるだけです。

購入するものがたった数点なら、どれがどれか値段の見当もつきますが、20点以上も購入するなるとわけが解らなくなります。そのそも"produce"とは何か?「生産品」?だったら、どれだって生産品です。"frozen"だって生産品なのに、なぜ差別しているのか?

辞書を調べてやっと分りました。"produce"は「農産物」なのだそうです。野菜と果物ですね。これに対し、工業生産物は"product"と呼ぶのだそうで。

アジア系食料品店の場合、私が牛蒡を買い、春菊、ニラを買おうが、青梗菜、銀杏を買おうが、どれも"produce"なのです。どれが、どれほど高い値段なのか、他の店と比較していくら値段が違うのか、後で研究したくても全く分りません。

大体こういうアジア系食料品店でレジを務めているのはオーナーである女性か、男性オーナーの奥さんです。性別はどっちでもいいのですが、彼女たちが何十とある"produce"の値段を脳内で記憶しているというのは、私に云わせれば奇跡です。仕入れ価格は週や隔週で変わる筈なのに、彼女たちは一覧表を見るでもなく、全てを諳(そら)んじているように一瞬の躊躇いもなく価格を打ち込んで行きます。まるで神業です。私はこれを信じません。彼女たちが、よく売れる白菜とか大根、サツマイモ、ネギなどの値段を記憶しているであろうことは信じましょう。しかし、牛蒡、春菊、ニラ、青梗菜、銀杏その他の値段まで全てを暗記しているとは考えられません。それに、先週と今週では値段が違うことだってある筈です。しかし、彼女たちはキッパリと値段を打ち込むのです。価格表を見ることもなく。

私が知っているあるアジア系食料品店は、週に一日だけパートタイムの女性を雇って店主が休みます。そのパートタイムの女性も価格表など見ないのです。というか、価格表なんて存在しないようです。ある韓国系食料品店などは"produce"も何も全く印字せず、値段を羅列するだけ。

私の偏見を云わせて貰いましょう。日本の寿司屋のカッパ巻きと同じだと思うのです。キュウリなんてベラボーに安いのに、日本の寿司屋のカッパ巻きは寿司職人の胸先三寸の値段をつけられ請求されます。アジア系食料品店のレジ係も、ほとんどアドリブで値段を決めているのだと思うのです。一応重量は計るけれども、重量当たりの単価はレジ係の即興で決められる。ボれる客からはボる、知人とかよく来るお得意さんには安い値をつける。「明朗会計」の反対の「不明朗会計」です。

私の偏見は間違いだと思いたいのですが、私がこれまで経験したアジア系食料品店では、一度も価格を確かめる作業というのを見たことがありません。「じゃあ、レジ係にいちいち値段を聞きゃあいいじゃないか」ですって?相手は寿司職人と同じなんですよ。私の一個一個についての質問への仕返しに、春菊や青梗菜にベラボーに高い値をつけられたら困ります。要するに、彼らは客が喉から手が出るほど欲しいものを遠方から買いに来ている事実につけ込んで、売り手市場の値をつけているのだと思います。店主さんよ、私の意見が嘘だと云うなら、せめて品名ぐらい印刷しやがれってんだ。

(March 10, 2008)

[Back to top]

[・] 海兵隊の屍骸?

海兵隊という名前は日本にいた時から聞いてはいましたが、その実態は知りませんでした。アメリカに来て初めて「ヴィエトナム戦争中に、海兵隊として日本に駐屯した」という男と知り合いました。「海兵隊ってなに?」と聞くと、彼は「どんな戦争でも海兵隊が先ず戦地に一番乗りするんだ。最も勇敢な軍隊だ」と誇らしそうに云いました。実際には彼が鉄砲を持って敵地に乗り込んだわけではなく、単なるメンテナンス要員だったようですが。

彼は「海兵隊」のことを「マリンコ」と云いました。何も知らない私は、「まりんこ?雪ん子とか蟻んこのように、鞠(まり)をつく子供みたい」と不思議に思いました。辞書を調べてみると、"Marine Corps"(正式名称はThe United States Marine Corps)とありました。"corps"の最後の"ps"は発音せず、「コー」となるのだそうです。

この時、私はもう一つの勘違いをしました。"corps"を「屍骸」だと思ったのです。ミステリなどで、こういう単語を見たことがあったからです。「"Marine Corps"って『海兵隊の屍骸』?随分暗いイメージだなあ」と戸惑いました。

私は"corpse"と間違えたのです。こちらの方が「屍骸」で、「コープス」と発音します。最後に"e"が有る無し一つで意味が変わっちゃうわけです。

・corps「コー」軍団、団体。フランス語で"body"の意。
・corpse「コープス」死体、屍骸。ラテン語で"body"の意。

語源はどっちも"body"なんで、間違えても当然なのです(開き直り)。スカしてフランス語源の言葉なんか使う方がいけない(いちゃもん)。

 

アメリカには五つの軍隊があり、大きい順に並べると、
陸軍(United States Army)
海軍(United States Navy)
空軍(United States Air Force)
海兵隊(United States Marine Corps)
沿岸警備隊(United States Coast Guard)
…という風になります。

海兵隊は海軍の中の一つと分類されている比較的小さな軍隊ですが、指揮系統的には海軍から独立しているそうです。大統領の命令一つで、即臨戦態勢に入れる唯一の軍隊とのこと。海兵隊は独自に陸海空の全ての移動手段を持ち、特に海空の両面作戦で敵地に乗り込むことを得意にしています。硫黄島で合衆国国旗を掲揚している有名な写真も海兵隊です。

“勇猛果敢”はいいのですが、それだけに除隊しても性格が荒っぽいままだったり、頑固で他人の意見に耳を貸さないというような人物が一般的と見られています。映画'Great Santini'(邦題『パパ」、1979年)で、Robert Duvall(ロバート・デュヴァル)がそういう人物を巧みに演じています。

アメリカ特有の軍隊組織に"United States National Guard"(州兵)があります。各州が暴動、災害などに対処するため独自に兵士を編成しており、平時においてはその指揮官は州知事です。国家的非常時が出来すると、合衆国大統領が臨時に州兵の指揮官となり、その期間州知事の権限は失われます。州兵には二種類あり、the Army National Guardは陸軍に対応し、the Air National Guardは空軍に対応しています。紛らわしいのですが、"National"という文字はあっても「国」とは関係なく「州」の兵隊です。フルタイムで勤務する州兵は全米で八万人ほどで、約三十万人の男女州兵は日常は別な仕事についていて、月に一度週末に訓練、年に二週間ほど野戦訓練を行ないます。9.11以後、National Guardは大統領命令でイラク戦争に派兵されています。ハリケーンKatrinaの災害救助・後始末にも活躍しました。現在のNational Guardの勤務期限は最大18ヶ月(海外では12ヶ月)となっています。州兵も軍の基地売店で無税のショッピングが出来たり、高校生子弟への学資援助、20年以上勤めると60歳以降年金が出るなどの特典があります。

(February 10, 2008)

[Back to top]

[・] スピード違反

渡米後ずっと無事故無違反だったのに、2004年の暮れ、ついに捕まってしまいました。ゴルフの帰りに郊外のスーパーで食料品を購入し、町の中心にさしかかる下り坂で、制限速度が55mphから急に45mphに落ちるところがあります。45mphは相当遅く、どの車も普段は60mphぐらいで走っている場所です。

その日、走行車線には一台の車が走っていて、私は追い越し車線を並走していました。走行車線の車に視界を遮られて、遠くの道端にパトカーが停まっているのが見えませんでした。見えた時には万事休す。「ままよ」とブレーキは踏まず、惰性で走るままにして、走行車線が空いてから停止しました。これがよかったのかどうかは不明。

結局19mphオーヴァーということでcitation(召喚状)を切られました。そのお巡りは「罰金がいくらになるかは警察署に問い合わせて貰いたい。私は知らない」とのことでした。これは真っ赤な嘘で、絶対知っていた筈です。

数日後警察に行くと、10〜19mphのオーヴァーは$87.00(約9,000円)の罰金なんだそうです!$30.00ぐらいかと思っていたら、とんでもない。それを越えると10mph毎に$10.00ずつ増えるのだそうです。「高い!」と怒鳴ったら、「ハイウェイ・パトロールはもっと高いよ」と云われました。慰めにもなりゃしない。

こちらの友人に聞くと、パトカーを見掛けてブレーキを踏んだら、「あなたはブレーキを踏んだ。速度違反を認めたということだ」とお巡りに云われたそうです。ですから、踏んでも踏まなくても同じみたいですね。しかし、$87.00と云えばゴルフ・クラブ一本買える値段です。それをどぶに捨てたようなものですから、やり切れません。ついてない年でした。

最近その現場にさしかかると、私は几帳面にスピードを落とします。そして、「パトカーはどこだ!警察は何をやっとる!ほれ、あの車を捕まえろ!何で今日は取り締まらないの!おればかり捕まえやがって、このーっ!」と叫んでいます(もちろん、胸の内で)

ところで、日本でも事情は同じでしょうが、違反をすると罰金だけでは済みません。スピード違反は三年間記録に残り、それに自由にアクセス出来る保険会社は、保険の掛け金を引き上げます。私の最低の保険(日本で云う強制保険のみ)で 半年で50ドルの違いがありました。馬鹿に出来ません。保険会社によっては(大きな保険会社)、この違反記録に知らんぷりして掛け金をディスカウントする商法で客を逃がさないようにするところもあります。

(January 20, 2008)

[Back to top]

[・] アメリカの弁護士

アメリカの弁護士の多くは"attorney at law"という肩書きを用いています。なんで、"at law"という言葉が付くのか不思議でした。"professor at math"とか"teacher at science"などとは云わず、弁護士だけに"at"が付きます。試みにUAM(University of West Alabama)で数学の教授をしていた友人Mike(アメリカ人)に聞きましたら、「実は、おれも常々"attorney AT law"という云い方は妙だと思っていた」という返事でした。生粋のアメリカ人のインテリでさえ知らなかったのです。

この件と弁護士全般について、日・米の弁護士資格を持つ柴田義人さん(坂井・三村法律事務所)にお尋ねしました。以下は柴田さんからお教え頂いたことをもとに、私の意見を加えたものです。

連邦議会や州議会などの議員は法案を提出・審議するので"lawmaker"と呼ばれる。法律を修めた議員が多いのは事実であるが、企業家や元軍人もおり、法律専門家ばかりではない。

一般に法律を扱う専門家を"lawyer"と呼ぶ。日本では裁判官・検事・弁護士は言葉の上で明確に分けられているのに対し、"lawyer"には裁判官や検事、弁護士も含まれる。

裁判に携わる弁護士には"defence attorney"(被告側弁護士:被告側につく弁護士の総称)、"criminal defence attorney"(刑事弁護士:刑事を専門にする弁護士の総称)などがある。

検事は一般的には"public prosecutor"と呼ばれる。一定区域の犯罪の捜査・公訴に当たる者は"district attorney"(地方検事)。

民間で実務をしているアメリカのlawyerは、"attorney at law"(あるいは"attorney-at-law")を肩書にしている。これは"attorney in fact"(代理人;弁護士資格は必ずしも必要ない)と対比して厳密な言い方をする場合のアメリカ英語。意訳すれば、「業務として代理人となることを法的に認められている人」ということ。日常会話では、自分の職業を単にattorneyと呼ぶ弁護士もかなり存在する。"attorney at law"は離婚や自動車事故、医療過誤、借金取り立ての代理人になったり、破産問題や企業の合併・買収なども担当する。

「弁護士資格を必要としない代理人」の例に"power of attorney"という言葉がある。民間レヴェルの場合、一家の主などが病気によって情緒不安定や思考能力欠如を来していると認められた場合、詐欺などの被害を防ぐため家族の健常者に財産の委任権が与えられ、当人は財産の処理に当たることが出来なくなる。その委任権を証明する委任状が"power of attorney"で、PoAと略されることもある。こうした家族の場合は“業務として”代理人になることを法的に認められている”わけではない。弁護士の場合は“業務”である。

なお、法律事務所などで複数の弁護士が存在する場合は、"attorneys at law"と複数になる。

'Cape Fear'という映画があります。有罪となって刑務所に入れられたことが弁護士のせいであるとして、出所後前科者が弁護士一家をいびる物語。オリジナルは1962年、そのリメイクは1991年。どちらも前科者は弁護士に"counselor"と呼びかけます。「カウンセラー」というと、生活指導や結婚生活について相談する役目の人と思っていたので、この映画の台詞にはちと違和感がありました。しかし、辞書を引くと「Counselor《米》法廷弁護士」と出ていました。前科者もちゃんと正しい英語を喋っていたのでした。

(December 20, 2007)

[Back to top]

[・] 時差

私の友人Mike(マイク)が「おれが日本人の友達(註:私のこと)とゴルフしたり、一緒に寿司を喰っていると云うと、驚く奴もいる。考えてみりゃ、第二次大戦では敵同士だったわけだから…」と云いました。私は「実は毎年12月8日は出来るだけ出歩かないようにしてるんだ。唾を吐きかけられたりしたくないから」と云いました。「12月7日だろ?」とMike。

私は愕然としました。《太平洋戦争開戦記念日は12月8日》と覚えていて、それは日本では正しいのですが、アメリカでは一日早い12月7日だったのです。東京とハワイは日付変更線を挟んで向かい合っているようなものですから、距離は近いけれど一日違うのです。

私はこちらに住んで12年になろうとしていますが、いつも外出を控えていたのは12月8日であって、12月7日は暢気な顔をして町を歩いていました。馬鹿ですねえ。

国が違えば時差があると考えるのが普通ですが(そうでない頓馬もいるけど)、同じ国の中で時差があると厄介です。アメリカ合衆国(カナダも同じ)には四つに縦割りにした異なる時間帯があり、東から一時間ずつ進む仕組みになっています。

ミシシッピ州(CST、中部標準時)からカリフォーニア州(PST、太平洋標準時)のどこかに飛行機で向かう場合、テキサス州Dallas(ダラス)経由ならここもCSTなので時計をいじる必要はありません。しかし、航空券がジョージア州Atlanta(アトランタ)経由だったりすると厄介です。ジョージア州はEST(東部標準時)なので、CSTより一時間進んでいますから時計を進める必要があります。アラバマ州上空に戻って来るとCSTなので、今度は一時間戻さなくてはなりません。さらに途中で MST(山岳部標準時)を横切るとさらに一時間戻し、カリフォーニア州に着いたら更にまた一時間戻すことになります。

というわけで、アメリカの東部から西部に飛行すると、座っている物理的時間は六時間なのに三時間で着くように思われ、逆の場合はやはり六時間座っていても九時間かかるように思えたりします。

機内で到着前に現地時間をアナウンスしますが、聞き取れないことがあります。「着いたら空港の時計で合わせればいいや」と思っていると、どこにも時計が見当たらない空港もあります。こういう時は暇そうな空港カウンターの係員に聞くしかありません。

乗り継ぎ空港で、次の飛行機まで一時間半の待ち時間があるとします。あなたがちゃんと時計の時差を調整してあれば、待ち時間はきっかり一時間半です。しかし、うっかり調整を忘れたとするとどうでしょう。待ち時間は実質30分かも知れません。空港の端から端まで電車に乗ったり動く歩道で移動したりする必要があれば、30分などあっという間に経ってしまいます。お店を覗いたりビールを呑んだりしている暇はないのです。乗り継ぎの便に乗り損なってしまいます。

時差がハッキリ分かるのが大晦日のTV中継です。日本は単一時間帯なので、除夜の鐘はTVの「ゆく年来る年」も御近所のお寺の鐘も一緒に鳴り出します。非常に単純至極。ところが、アメリカの場合、全国放送でニューヨークの人々がカウントダウンして「ワアーッ!Happy new year!」とか騒いでも、ミシシッピ州では元旦までにまだ一時間もあり、西海岸では三時間も先のことなので、全く白けてしまいます。

(November 20, 2007)

[Back to top]

[・] 子供じみた英語

私は二人の青年(20歳と25歳)に日本語を教えています。何故彼らが日本語に興味を持ったかというと、彼らは'Naruto'などの日本のTVアニメのファンで、言葉が解ればもっと面白かろうと思ったのがきっかけだそうです。TVでは英語吹き替えなのですが、彼らはDVDをレンタルしたり購入したりして、オリジナルの日本語音声を聴くほど熱心なのです。

数ヶ月経った現在、彼らはアニメ鑑賞だけではなく、「実際に日本に行って働きながら生活したい」というまで意欲的になっています。就職するには丁寧な言葉遣いが必要でしょうから、私は先ず丁寧な表現を教えることにしました。で、私の日本語教室では彼らは丁寧な言葉を話すのですが、メールのやりとりとなると別なのです。TVアニメの表現を使ってみたいという誘惑が大きいのと、'Domo Arigato, Mr. Robot'などという英語の歌の影響でしょうが、彼らは"Arigatou gozaimasu."ではなく"Arigato."とだけ書いたり、"Domo"(どうも)とか、"Ja ne"(じゃあね)と書いたりします。

彼らに「日本では単に兄弟というだけでなく、年上なら“兄”、年下なら“弟”という言葉があり、儀式や宴会でも長幼や序列によって座る席が決まっている」と説明したらびっくりしていました。父親や母親、あるいは職場の上司ですらファーストネームで呼ぶ国柄では、目上とか目下の区別がつかないようです。英語にも丁寧な云い廻しはあるのですが、それらは"sir"や"ma'am"をつけるか仮定法の度合いに過ぎません。日本の言葉遣いの多様さとは異なります。彼らが日本のTVアニメから学ぶ言葉遣いは、若者同士の乱暴な会話でしかないのに、その事実に気がつかないのです。

多分、同じことは日本の英語学習者にも云えるでしょう。最近のアメリカ映画だけ観て影響されると、"y'know"だの"man"を盛大に盛り込んだ表現が生き生きとした英語だと誤解する恐れもあります。"fuckin'"や”What the hell..."を使うのが格好良いと思ってしまうかも知れません。

青年の一人が「日本語で日記を書いたのでチェックしてほしい」とメールして来ました。それは「今日、私はラーメンを食べました。今日はWalmartに行きます。果物と肉とパワーエイドを買います」というものでした。何やら日本の小学生の「今日は動物園に行きました。アイスクリームを買って食べました。キリンさんとゾウさんとシマウマさんがいました」に近いものです。それも道理、青年は私が教えた文型しか知らないので、それを応用することしか出来ないのです。単純な叙述しか出来ないので、小学生の作文と同じことになるのは止むを得ないことです。

実は私は、英会話教師だった頃のカミさんから「あなたは日本語でもそんなシンプルな話し方をするの?」と聞かれたことがあります。多分、上の青年の日記のように喋っていて、非常に子供っぽく聞こえたのではないでしょうか。それはボキャブラリの問題というより、文体の問題なんですね。

私は二人のアメリカ青年に「これは誰のリンゴですか?」、「それは私のリンゴです」、「あなたのお父さんの仕事は何ですか?」、「私のお父さんの仕事は大工です」などという問答を教えているわけですが、実際にこういう応答をすると機械翻訳されたロボットの言葉みたいに聞こえます。「私のです」、「大工です」と云うのが普通の答えでしょう。文型を学ぶのは大事だが、いつもそれに則って話すと、子供っぽく、あるいはロボットのように聞こえてしまうわけです。

では、どうやって活き活きした大人の会話を学ぶかですが、私のお勧めはRobert B. Parkerの「Spenserシリーズ」ですね。ボストンの私立探偵ですが、腕っ節が強いだけでなく教養もあり、心理学者のガールフレンドとのウィットに富んだ会話が楽しめます。黒人の相棒が凄いブロークンな英語を喋る様子も分ります。2005年の作品'School Days'では高校生の英語が活写されていました。ペーパーバックも出ています。

(October 30, 2007)

[Back to top]

[・] Saleが「販売」でない場合

あるグロサリ・ストアでのこと。こちらのグロサリ・ストア(大規模食料品店チェーン)は日本の中程度のスーパーの大きさで、薬品、化粧品、台所用品、雑貨なども揃えています。

肉売り場を見ていると"Buy 1, Get 1 Free"というシールが貼られた牛肉パックがいくつも並んでいました。私は、以前にもこの"Buy 1, Get 1 Free"の肉を購入し、使う分以外は冷凍してかなり長く楽しめたことがあります。この日、牛肉を購入する予定はなかったのですが、一体どういうサイクルでこの"Buy 1, Get 1 Free"を行なうのか知りたいと思いました。その日は月曜でしたので、毎月曜なのか?、一週おきの月曜なのか?

丁度、若い店員が肉のパックを並べ始めたので聞いてみました。
私:"Excuse me. When do you do this Buy-1-Get-1-Free?"
店員:"It will end on Wednesday, sir."
私:"I see. But I want to know what day do you put these stickers."
店員:"We did it today."
私:"Do you do this every Monday?"
店員:"No sir. It's a sale."
私:"I know, but don't you do this every week?"
店員:"No. It's a sale."
私:"You don't have a specific day for this, then."
店員:"No."

このやりとりがとんちんかんだったのは、お互いの頭にある言葉の意味がすれ違っていたせいです。『研究社・英和中辞典』を見ると、saleの語義は、
1) 販売
2) 売れ行き
3) 特売
…となっています。普通の日本人の感覚では、やはりこの順番通りの理解ではないでしょうか?私は最初の語義「販売」にこだわり、店員は三番目の語義「特売」にこだわり続けていたのです。実は私はカミさんから聞いて"sale"に「特売」という意味もあることも知ってはいたのですが、日本語の「特別セール」のような表現に毒されていたもので、この時は"special" saleみたいな形容詞がつかないと「特売」とは理解出来ない心境だったのでした(多分、疲れていて脳味噌が柔軟でなかった)。

定期的に特売をする店はないでしょうし、毎週特売するというのも考えにくい。それをしつこく聞いてるんですから、「何なんだ、このアジア人は!」と思われたことでしょう。しかし、「特売」の意味で"sale"が使われる頻度は結構高いので、こういうすれ違いが起らないようにしないといけません。

(September 30, 2007)

[Back to top]

[・] 主婦の英会話OJT

"OJT"は"On-the-Job Training"の略。

私の町に住む二人の日本婦人(70ウン歳)は英語ぺらぺらです。お二人とも英語は“敵性語”と呼ばれた時代に教育を受けた方々ですから、学校で英語など教わっていません。国際結婚をなさるまでも(された後も)片言でしか喋れなかったそうです。それがいまや、ぺらぺら。学校へ通ったのか?いいえ。旦那が手取り足取りで教えてくれた?ノー。旦那さんたち(アメリカ人)は、勇ましいだけが取り柄の軍人でしたから、奥さんに教科書片手に英語を教えようなどとは考えなかったようです。奥さんたちは、仕方なく一人教科書を開いて勉強したでしょうか?否。

では、どうやってぺらぺらになったのか?伺ってみると、奇しくもお二人から同じ答えが返って来ました。お二人とも旦那の勤務時間中、アメリカのTVのソープ・オペラを見続けたのだそうです。ソープ・オペラとは、云わば日本の「昼メロ」。純愛だったり、悲恋だったり、浮気だったり、要するに三食昼寝付きの奥樣方の大好物のドラマ。お話は万国共通ですから、筋の見当は容易につきます。来る日も来る日もこれを見たそうです。で、聞き取れない単語や云い廻しをメモしておいて、帰宅した旦那に聞く。旦那は辞書をめくって当該単語を示してくれる。ただし、文法の講義などはしませんでした(したくても彼らには出来ない)。

何しろ彼女たちがアメリカにやって来たのは50年も前です。ソープ・オペラに学んだ表現も、50年も堂々と喋り続けていると磨きがかかってスピードも早くなり、多少発音に問題があろうが、時制や数が一致していなかろうが彼女たちのユニークな言語として認知されます。時制や数なんて、こちらの黒人英語、南部英語などは滅茶苦茶ですからね。それに比べれば、日本婦人たちの英語はずっと真っ当です。文法的に正しいかどうか、あるいは教養人の気の利いた話し方かどうかは別として、彼女たちは云いたいことは過不足無く伝えられ、質疑応答にも問題なく、お喋りも充分楽しんでいます。

お二人の御婦人の違いは何か?お一人は子供に恵まれなかったので上の状態のままで留まってしまいましたが、もう一人の御婦人は娘さんが出来、さらに孫娘も出来ました。彼女たちが「ママ、それはこういう風に云うんだよ」とか、「お祖母ちゃん、その発音はこう。云ってみて?」と教えてくれ、70ウン歳の今でも勉強をさせられているそうです。

蛇足ですが、この御婦人たちが見たドラマには字幕などついていませんでした。最近ならClosed Captioning(CC、聴力障害者のための字幕)などが利用出来るでしょうが。ですから耳で聞いたままを覚えたので、"credit"は「クラレ」で、"appointment"は「ポイメン」、"cereal"は「セリエ」という風になり、アメリカ人には立派に通じても、スペルの想像がつかない私などは数回聞き直さないといけないことがあります:-)。

逆に云うと、この御婦人たちは耳で聞いて覚えたのでスペルを知りません。ですから、「聞く、話す」はすごく達者ですが、「読む、書く」は非常に苦手だそうです。

(September 10, 2007)

[Back to top]

[・] ビニール袋

東京の坂井・三村法律事務所にお勤めの柴田義人さんには、私のウェブサイトの法律関連記事の“相談役”(無報酬)となって頂いていますが、柴田さんからアメリカのロースクール(法律大学院)への留学と法律事務所や裁判所での研修で二年半アメリカに滞在された折りの失敗談をお寄せ頂きました。『英語の冒険』の趣旨にぴったりの内容です。お楽しみ下さい。

渡米間もないころ、Whole Foods(高級スーパー)で勘定を済ませているとき、食料を袋に詰めてくれる愛想のいいレジのお兄さんに(※アメリカでは店の値段に比例して愛想もよくなるような気がするのは私の僻み根性でしょうか…)

"Plastic or paper?"

と聞かれました。日本の某放送局(NXX)の番組で、クレジットカードのことを俗語でplasticと呼ぶ、と紹介していたのを(珍しく)覚えていた私は、

「ははん、カードで払うか、紙幣で払うか、聞いているのね」とすぐに「理解」し、

"Plastic, please."

と答え、おー自分の英語もなかなかじゃないか、などと大いに勘違いして買い物を終え、帰路につきました。

…のみならず、日本の職場に不定期で送っていた近況に、「アメリカでは、スーパーで支払方法を聞くのに"Plastic or paper?"と聞きます。Plasticというのは…」と得意げに「解説」まで送っていました。

しかし、何回か同じ店で買い物をしていると何か変です。アメリカ人の客は"Plastic”と言いながら現金で払ったり、"Paper”と言いながらカードで払ったりしているのです。

仕方ないので改めて聞いてみると、plasticというのはビニールの買い物袋のことで、paperというのは文字通り紙袋のことだというではありませんか。何のことはない、Whole Foodsでは、2種類の袋から客が選べるので、どちらにするか聞かれていただけなのです。英語では柔らかいビニール製でもplasticなんですね。

うーん。得意げに職場に送った近況報告は、直ちに訂正され、失敗談の第1号に変わりました。

それ以来、アメリカ人がクレジットカードやデビットカードをplasticと呼ぶのは聞いたことがありません。あのNXX(3チャンネル)の番組は何だったのでしょう…。(「死語」の類だったのでしょうか)

【以下は編者の蛇足】

柴田さん、ありがとうございました。我々は「プラスティック」はCDのケースなどの固いものだと思っていますが、"plastic"は一般的に「石油化学素材で、柔らかいと自由に変形出来、固まると形を保持する」ものだそうですから、全部が全部CDケースのようなものとは限らないわけです。LDCEを見ると、"Vinyl"(ヴァイヌル)は"firm bendable plastic"(しっかりした、曲げられるプラスティック)で、ある日本の辞書では「"vinyl"は専門用語」とありました。我々は日常的に専門用語で喋っているわけで、なかなか凄いですね:-)。

なお、当地の大手スーパーWalmartは、レジ係の職務遂行能力をアップさせるためビニール袋を回転台に搭載するようになり、紙袋を全廃してしまいました。その埋め合わせのように、Walmartの入り口にはビニール袋回収箱があります。リサイクルで活用するというアピールです。使用済みの皺クチャのをもう一度店で使うわけではなく、溶かして玩具とか別なものに再生させるのだと思います。私のところにはビニール袋が相当溜まっていました。溶かすのなら問題ない筈ですが「他の店の袋も回収箱に入れていいの?」と聞いてみました。入り口の案内係(兼万引き防止係)の黒人のお婆さんは「どこのでもいいわよ、どうせ捨てるんだから」と云いました。私は呆気に取られました。「リサイクルじゃなくて捨てちゃうの?」それが事実だったらWalmartはアメリカ中の非難を浴びることでしょう。リサイクルは格好だけで、実際には捨てているとしたらかなりのスキャンダルです。私はこのお婆さんを馘にしたくなかったので、新聞への投書も、マネージャーに電話で聞くこともしませんでした。お婆さんは、多分溶かしちゃうことを「捨てる」と同じことだと誤解していたのでしょう。そう思いたいです。

(August 20, 2007)

[Back to top]

[・] 黒人大統領

アメリカへ遊びに来られたある日本女性と話していました。私が「黒人の人口がこのまま伸び続ければ、黒人有権者の大量投票によって黒人の大統領が出る日も遠くないだろう」と云いますと、女性は「でも、黒人は大統領になれないんでしょ?」と云います。私が「いや、アメリカ生まれなら誰でも大統領候補になれます」と云うと、「でも黒人は大統領になれないって聞きました」と私の云うことをてんで受け付けません。「誰がそう云ったんです?」と聞くと、「忘れたけど、そう聞いてます」と頑固です。

彼女の頭に「黒人は大統領になれない」と植え付けたのは日本の誰かなのです。日本の誰かの言葉を信じて、こちらに十年暮らしている私の言葉を信じて貰えないので口惜しい思いをしました。私は常々「アメリカに長く暮らしていると云っても、ある小さな地域の知識しか持っていない人が多いので(私もそう)、過信してはいけない。たった数年の留学や駐在の経験者も同じ。自分が確認するまでは、眉に唾して聞くのが賢明」と書いて来ました。ま、これは主に慣習などのことですけどね。アメリカで暮らしている人の言葉すら信じてはいけないのですから、日本を一歩も出ていない人の言葉など、まるで信じちゃいけないのです。

しかし、この問題について私が正しいのは間違いありません。2008年のアメリカ大統領選には黒人のBarack Obama(バラック・オバマ、46歳)上院議員が民主党から立候補を表明しています。同じ民主党ではHillary Rodham Clinton(ヒラリー・ローダム・クリントン、60歳)上院議員の人気が高く、先ずBarack Obamaは民主党内で大統領候補として選出されないだろうと見られています。

Barack Obamaはアメリカの一般的黒人とは一寸違います。彼はアフリカのケニア出身の黒人男性とアメリカの白人女性の子供なのです。アメリカに多い黒人奴隷の末裔ではありません。そこが黒人一般の共感を得られないポイントであるとの見方もあります。

2007年7月下旬の報道によれば「米紙ワシントン・ポストとABCテレビが23日発表した合同世論調査結果によると、黒人(アフリカ系米国人)が大統領に選出されることを容認すると答えた人は86%に上った。女性大統領の容認意見はやや少ない79%だった」そうです。【2007年7月23日のasahi.comより】

二大政党の議員のほとんどは白人ですから、黒人の議員が増えない限り、黒人の大統領候補の出現は無理ですが、しかし、出現すれば黒人の有権者数の多さによって当選するのは簡単な筈です。映画'Deep Impact'『ディープ・インパクト』(1998)では俳優Morgan Freeman(モーガン・フリーマン)が一足早く黒人大統領を演じましたが、これも夢物語ではなくなるのです。

(July 30, 2007)

[Back to top]

[・] 謝罪

あるアメリカ婦人の家に約束の時間に着いたのですが、彼女は裏庭で芝刈り機を動かしています。芝刈り機の騒音は相当なもので、一寸声を掛けたぐらいでは聞こえません。また、彼女は一心不乱になって庭を行ったり来たりしていて、顔も上げません。彼女が約束の時間を覚えているなら、単に切りのいいところまで片付けようとしているのでしょう。私は、彼女の作業が一段落するのを待とうと思いました。水を飲んだりする休憩することももあるでしょうし。ところが10分経っても15分経っても、騒音は止みません。

結局、彼女の芝刈りが終ったのは30分後でした。私が姿を現すと彼女は驚きました。私との約束をすっかり忘れていたようです。彼女は何度も"I'm sorry."を繰り返しました。私は"No problem."とか"That's OK."とか云っていたのですが、彼女は"Do you accept my apology?"と聞きました。

アメリカ人は老夫婦の間でさえ"I love you."と口に出して確認し合わないといられない人たちですから、謝罪に対しても「あなたの謝罪を受け入れる」とちゃんと表明しないといけないようです。"I understand."とか"It happens."(よくあることです)とか云うだけでは、「本心ではまだ怒っているに違いない」と思われるのでしょう。

'Stranger Than Fiction'『主人公は僕だった』(2006)という映画で、国税庁の役人である主人公が過少申告した女性の店に調べに行き、彼女に一目惚れしてしまいます。その後、二人が出会った時、彼が謝ります。
男:"I think I owe you an apology."
女:"Really?"
男:"I apologize. I ogled you. Sorry."(謝ります。あなたをスケベな目で見た。申し訳ない)
女:"Okay, apology accepted."

'Tales From Q School'(by John Feinstein, Littke Brown & Company, 2007)という本に、次のような挿話がありました。Q Schoolとはゴルフのプロ・テストのためのトーナメントのことで、数ラウンドを経て上位の成績を修めないとプロになれません。そのラウンドで弟子について歩いていたコーチが、携帯電話のスイッチを消し忘れていて、突如それが鳴り出しました。自分の息子を応援するために歩いていた往年のプロがカンカンになります。"You can't have a cell phone on out here. Don't you understand what's at stake?"プロ・テストは一年に一回なので、騒音で息子がミスし、それによって彼が心理的落ち込んだりして不合格となると、彼はもう一年待たなくてはなりません。たかが電話の呼び出し音などと云っていられないのです。The coach apologized. 「おっしゃる通りです。消すのを忘れていました。私のミスです」しかし、老人は"Apology not accepted."と拒絶し、トーナメントの審判係を呼ぶという騒ぎになります。

老爺心で付け加えますと、名詞は「アポロジィ」で、動詞は「アポロジャイズ」です。間違えないようにしましょう。私の場合、頭の中で考えないと間違えやすい:-)。

(June 30, 2007)

[Back to top]

[・] チップの相場

「レストランのチップ」については『英語の冒険』正篇の【食事】を御覧下さい。ここではガイドブックなどにもあまり出て来ないものを取り上げます。金額は以下の本に書かれた基準ですが、アメリカ人が大都市で払う相場と云っていいでしょう。田舎ではやや少な目の相場になると思います。

'What Not to Do in Polite Company!'
by Linda J. Beam (Sweetwater Press, 2005, $7.95)

《空港》
・電気自動車に乗せて貰った場合、一人につき$2.00〜$3.00を運転手に。
・ポーターあるいはskycap(赤帽):バッグ一個につき$2.00(重いバッグには金額を増やす)。道路脇のチェックインにはさらに$2.00上乗せする。出発間際に駆け込んで来たのにちゃんと乗れるよう手配してくれたら$5.00〜$20.00追加して上げる。
・車椅子の介助員:短い距離なら$5.00、長ければ$10.00〜$20.00。バッグを手伝ってくれたら一個につき$1.00〜$2.00。

《ホテル》
・Bellman(ベルマン):部屋に荷物を届けてくれた時に一個につき$1.00〜$2.00。
・Concierge(コンシェルジュ):入手困難な切符や予約を取ってくれたら$5.00〜$10.00。
・Doorman(ドアマン):タクシーを呼び入れてくれたら$1.00〜$2.00。バッグを運ぶのを助けてくれたら、さらに$0.50〜$1.00。部屋まで荷物を運んでくれたら一個につき$1.00〜$2.00。
・Housekeeper service(ルームメイド):一日につき$1.00〜$2.00を枕の「上」に置く。
・Room service(ルーム・サーヴィス):請求額合計の10〜20%。もしサーヴィス料が含まれていれば不要だが、$1.00上げてもよい。

 

《床屋、美容院、温泉》
・床屋:$2.00〜$3.00。
・ヘア・スタイリスト:料金の10〜20%。
・マニキュア、美顔術:料金の15%。
・マッサージ:医院のマッサージは不要。そうでない場合は10〜15%。
・サロン、温泉:料金の10〜20%。

《配達》
・花:普通のサイズで$2.00〜$5.00、大きければ$5.00〜$10.00。
・ピザ:料金の15%(最低$2.00)。

《レストラン、バーなど》
・バーテンダー:15〜20%、あるいはドリンク一杯につき$1.00。
・コート預かり:$1.00。
・コーヒー・ショップ:請求額の10%。
・客席を巡り歩くミュージシャン:リクエストにつき$2.00〜$3.00。あなたの傍で演奏してくれたらもっと弾む。
・請求書を分けて貰う場合:それぞれの請求額の18%。

上の本にはタクシーのチップが無いので付け加えておきます。『地球の歩き方 旅のチップガイド』より。

《タクシー》
最低50セント、料金が$3.00〜$6.00の場合70セント〜$1.00、それ以上は15%。

(May 30, 2007)

[Back to top]

[・] アパート・マネジャーの話

私のアパートのマネージャーは77歳のお婆さんです。もう20年もこのアパートの管理を任されています。彼女と英語に関する話をしていたら、色んな話が飛び出しました。

このアパートは低所得者用で、黒人も結構います。マネージャーがある黒人女性に入居申込書を書かせた時のこと。

"National origin"という欄にこの女性は"Baptist"と書いたそうです。ここはCaucasian(白人)、African-American(黒人)、Asian(アジア人)などと書くことを想定されている欄ですが、何故か彼女はキリスト教の宗派名を記入したわけです。

書類には"Sex"という欄があり、ここにはmale(男性)、female(女性)と記入すべきところですが、同じ女性は"Two times weekly"と書いたそうです。

私は『英語の冒険』正篇の【その他】の「Sexの英語」という記事で、似たようなことを書きました。それはある日本の英語本に載っていた日本人女性の外国旅行を題材にした冗談っぽい話でしたが、何とここでは実話だったわけです。マネージャーは当人を前にして笑い転げてしまったとか。"Two times weekly"は"Twice a week"の方が正しい英語ですが、マネージャーは黒人女性が記入した表現を正確に覚えていました。よほど印象に残る出来事だったのでしょう。

別の黒人女性は、マネージャーが「部屋の又貸しは許されません」と云った時の"sublet"(又貸し)という意味が分らなかったそうです。

また別の黒人女性は「緊急の場合の連絡先」という意味が分らず、マネージャーが「今は誰と住んでるの?」と聞くと「姉」という答えなので、「じゃ、姉さんの名前と電話番号を書きなさい」と云うと、「でも姉はここへは越して来ない」とちんぷんかんぷんだったそうです。

黒人・白人の別なくよく見られる傾向として、"February"(二月)を"Feburery"と書く人が多いそうです。

どうです?自信が湧いて来ませんか?

(May 10, 2007)

[Back to top]

[・] Fourty

2007年に入って、2ベッドルームのアパートの家賃が$5.00値上げされて$345.00になりました。家賃の支払いは小切手です。私は小切手に40〜49の金額を書く時はいつも苦い思いを味わいます。

NHK東京の制作技術部撮影班にいた頃、私はあるコンピュータ・ソフトを作成しました。海外取材につきものの、税関用機材リストを簡単にプリントするものです。年配の、キーボードに慣れていない先輩たちが、一本指でポツンポツンとタイプライターを打つ姿を見兼ねたからです。そのリストには機材の単価と合計価格を英語で書かねばなりません。

私のプログラムは正確なスペルの機材名を表示し、カメラマンは機材のシリアル・ナンバーだけタイプすればいいようになっていました。インプットを終えるとプログラムが単価を自動的に合計し、しかもその合計が1,760,200円であれば"One Million Seven Hundred Sixty Thousand Two Hundred Yen"と横文字に翻訳してプリントするという、至れり尽くせりの機能です。これはカメラマン諸氏から感謝され、部内の賞も頂きました。

その後、私は福岡に転勤したのですが、ある日件のプログラムを点検していて、飛んでもない間違いを発見しました。数字が40になると、私のプログラムは"Fourty"と翻訳していたのです。正しくは"Forty"でなくてはならないのに。脂汗が滲む思いでした。早速、修正したヴァージョンを東京に送りました。

四年後に東京に戻ってみると、いつの間にか私のソフトは技術部の誰かによって改良され、私のものよりもっと便利になっていました。その作成者も表彰されたそうです。しかし、他の部分はともかく、数字を英語に変換するプログラムは私のオリジナルを盗用したものでした。40→Fourtyの翻訳ミスがそのままだったからです。この改作者が一言私に挨拶にくれば間違いを教えて上げたでしょうが、向こうが知らんぷりなので私も知らんぷりで通しました。NHKのカメラマンたちは、いまだにFourtyとプリントされた書類を携えて世界中を飛び回っているのでしょうか?

ところで、私のアパートのマネジャーに「小切手にfourtyと書く人がどれだけいるか、数えてみてほしい」と頼みました。小切手で支払う人は住人の半数の20数軒だそうですが、その中の三人が間違えていたそうです。うち一人はアジア人で、二人がアメリカ人とのことでした。

私の日本人の知り合いから教わったことですが、もう一つ間違いやすい数字があるそうです。それは「9番目」を表す"ninth"で、「つい"nineth"と書いてしまいそうになるので注意」ということでした。

(March 30, 2007)

[Back to top]

[・] 信じる者は救われない

「知ったかぶり」という記事(「文法・表現」)は私のお粗末でしたが、こちらはそのアメリカ人版。

日本にも「真里」とか「純」、「薫」など男女両方につけられている名前があります。私は実際に「真里」という男性と同じ職場にいたことがあります。

英米でも同様で、"Stacey"とか"Fran"、"Jacky"、"Pat"その他、男女両用のニックネームが沢山あり、名前を聞いただけでは男か女か分りません。こちらの企業で働いていた時、「この人に会え」と云われて、「この人は女性ですか、男性ですか?」と尋ねました。すると、有名大学卒の50代のアメリカ人実業家が「覚えておきなさい。語尾が"ie"で終る名前は必ず女性なんだ」と断言しました。

上のようなアメリカ人が日本で同じことを喋ったら、学生も社会人もみなノートに「"ie"で終る名前は女性」と書き留めることでしょう。「いいことを教わった」とほくほくしながら。アメリカに生まれ育って、有名大学を出て、中小企業ながらトップに立っている人物が云う言葉ですからね。信用しない方がどうかしています。

しかし、彼は間違っていたのです。私は現実にその当時"Eddie"という名前("Edward"のニックネーム)の男性と知り合いでしたし、William(男性名)のニックネームも"Willie"ですし、男性名"James"のニックネームは"Jimmy"とも"Jimmie"とも綴るのです。有名な黒人男優にJamie Foxxという人もいますね。女性にも"ie"と"y"の両方の綴りが存在するニックネームは枚挙にいとまがありません。

常に眉に唾して聞く(読む)必要があります。生まれ育って50年の人物もいい加減なことを云うのです。留学だの駐在だのでアメリカに数年いたような人の知識も怪しいものです。もちろん、私の書いているものも100%鵜呑みにしてはいけません。私はアメリカに十年住んでいますが、踏破した州も数えるほどですし、現地人と触れ合う世界も狭いので、私の経験など限られたものです。アメリカ全体の話としては通用しないことを書いている恐れもあります。信じるべきなのは他人の言葉ではなく、御自分の体験だけにすべきです。

では、私が書いていることは何なのか?信じちゃいけないんなら読むだけ時間の無駄ではないか?えっと、私が書いているのは『ガイドブック』の記事に近いと思って下さい。『ガイドブック』に「このレストランの料理は素晴らしい」と書いてあっても、御自分で食べて見るまでそれが本当かどうかは分らないでしょう。「あそこのレストランの料理は素晴らしいらしい」とは云えても、誰かに「あそこのレストランの料理は素晴らしい」と伝えると嘘になります。あくまでも御自分の舌を尺度にすべきです。

無闇に人を信じてはいけません。

(February 28, 2007)

[Back to top]

[・] 南部での留学

「留学、予想と現状」を寄稿して頂いた山口佳代子さんに、なぜ南部を選んだのかについて説明して頂きました。留学生予備軍とその御両親に是非お読み頂きたい内容です。

私がアメリカ南部を選んだ第一の理由は、生活費や学費の全てを含んだ金額が、他のどの州と比べても一番安かったからです。私は今Perkinstonという小さな町の短大(MGCCC=Mississippi Gulf Coast Community College)で幼児教育と一般教養を学んでいます。Out-of-State Fee(州外者課金)を含めた学費が1セメスターで$1,600で、その他寮費、食費、本代を含め、合計が$3,200程度というとても有難い金額です。ちなみに成績によっては奨学金が$800出て(Honors Class)更に安くなります。支払いも三回に分けてできるため、一度に大金を振り込まなくていいのが良いところです。

【編者註】Out-of-State Fee(州外者課金)について: 大学側は「州内の子弟の親たちは州税を納めており、大学の維持に貢献しているが、州外からの子弟はそうではない。よってOut-of-State Feeを徴収する」と説明します。実際のところは、州内の子弟を州外に逃がさないための高い塀として、各校がOut-of-State Feeを設けていると云えそうです。「そっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」です。国外からの留学生はどの州とも関係ないわけですが、州外からの生徒と同様にみなされているわけです。

ちなみに同じ地域にあるUniversity of Southern Mississippi(USM)は、授業料のみで一年間で100万円近くかかりますが、私の通っている短大で一定の成績をキープして編入すると、Out-of-State Feeを払わなくて良いという特権もあり、それが理由で短大で一般教養のクラスを取っている留学生も多いです。(ちなみにUSMのOut of State Feeは1セメスターで20万円程かかるようで、Out-of-State Feeが省けるという事は留学生にとっては大きな恩恵です)

私は今は寮に滞在していますが、USMに通う日本人の殆どはアパートに住んでいます。Hattiesburg(ハティスバーグ)市は大学都市なので、他の町と比べると家賃は少し高めらしいですが、それでも、ミシシッピという土地柄、みんな安いアパートを見つけています。他の州の大都市に住んだことのある日本人は皆さん目を丸くして”安い”と言っていました。何年も続く留学生活(早く終わらせて仕事を始めたいのが本心ですが…)なので、お金がどれ位かかるかという問題はとても重要です。まして周りにいるアメリカ人(皆が皆そうではないのですが)が学生ローンを組んで学校に行き、バイトをしながら生活費を賄い、とても自立していると感じるので、私のようにまだ親のスネをかじっているのが、少し恥ずかしく思えています。

金銭以外の理由としては、日本人の少なさもあります。留学前に、経験者から「大都市で勉強するのは刺激があって楽しいが、日本人がたくさんいるので、どうしても日本人同士でつるみがち。英語はおろか、アメリカの文化さえ学ぶ機会を逃す」という話を聞きました。留学先を探していく際、ミシシッピはとても田舎なので、あまり日本人はいないと知ってここに来ることを決心しました。もちろん、日本人はどこへ行ってもいますが、やはり他の州に比べると、ミシシッピ州はかなり少ない様です。

"Southern hospitality"(サザン・ホスピタリティー=南部の歓待)という言葉がある様に、「南部の人はとてもフレンドリーだ」という話も留学前に聞きました。ミシシッピの愛称が"Hospitality state"であるように、確かに人々はあたたかく、おおらかだと思います。私も留学当初はアメリカ人がしてくれた事一つ一つに感激していました。私自身は他州で暮らした経験がないので比較はできませんが、南部の人間性のあたたかさは多くの留学生が感じ取れることだと思います。その反面、不愉快な経験からか、アメリカ南部を毛嫌いしている留学生も少なくはありません。南部には多様化に慣れていない人が多いので、店先やレストランなどで、不快な経験をした人も少なくないようです。

他の留学生がミシシッピを選んだ動機について触れると、南部音楽(ブルースやジャズ)に興味がある、William Faulkner(ウィリアム・フォークナー)由来の地だからなどがあります。

(January 30, 2007)

[Back to top]

[・] 牙の違い

日本のある御婦人から2007年の干支である猪の紙人形が送られて来ました。親子の猪で、茶色い身体に黒い目鼻、毛、蹄(ひづめ)、そして白い牙。

それをカミさんに見せたら、「今年は豚の年なの?」と云いました。「豚じゃないよ。Wild boar(猪)だよ。ほら、fang(牙)があるだろ?」と私が云うと、「それはfangじゃなくて、"tusk"だ」と指摘しました。豚の間違いを牙の間違いにすり替えて、ちゃらにしたかったようです。

犬や狼など垂直に生えている牙は"fang"で、象や猪などの水平に生えている牙は"tusk"なんだそうです。象や猪に垂直の牙が生えていても、あまり恐くありません。やはり槍のように横に突き出されていないと格好がつきませんね。

(January 30, 2007)

[Back to top]

[・] 留学、予想と現状

アメリカ南部の小さな町のカレッジに留学されている山口佳代子さんに、留学前と留学中の御経験について寄稿して頂きました。留学予備軍とその御両親の皆さんに是非お読み頂きたい内容です。

・英語学習について

私が留学を決心したのは高校3年の6月でした。高校入学後、目標も立てず、全く勉強しなくなってしまった私は、英語でさえもひどい点数を取っていました。高校3年、受験生でありながら英検準2級の試験を受けることから始めました。次の年の1月にはTOEFLで目標とする点数を取ることと、英検準1級に合格することを目標にして、まずはちんぷんかんぷんである文法から始めました。当時学校で使っていた英文法の参考書、単語帳を何度も読み返し、暗記しました。ただの受験勉強のように思えますが、私にとってはこれが今の英語力の基礎になっていると信じています。初めに文法のルールを解っていると、その後の勉強がスムーズに頭に入りました。英会話本の会話例を何度も暗記しようとしましたが、やはり、文法の知識が乏しいと、いつまで経っても覚えることができなかったり、うろ覚えのままになってしまいます。ちょうどクラスでも受験英語をやっている最中だったので、授業で新しく学んだ単語は一生懸命覚えました。

「受験英語、学校で学ぶ英語は役に立たない」という意見も耳にしますが、単語、文法学習については、私はとても役に立っていると思います。アメリカに来て周りの環境によって英語を学ぶことは理想のように思えますが、間違って覚えてしまうこともあり得ます。特に私のように南部で勉強していると、土地の訛りや間違った文法(三人称単数や過去分詞を無視した文法)を覚えてしまうことがあるかも知れません。

TOEFL対策に使った、トフルゼミナールという会社が出版している『TOEFLテスト完全英文法』はとても詳しく、前置詞を初めとする、私たち日本人が苦手とする事を細かく例を挙げて説明していてとても役に立つ参考書です。今でも、ペーパー(エッセイやリポートなどの宿題)を書く際、疑問に思うことがあるとこの本を開いています。

私は英文法・英単語の学習と平行して、英会話も始めました。ちょうど家の近くに授業料も手頃で人気がある教室を見つけたので、週に2、3回は通っていました。英会話のバックグラウンドがゼロに等しかった私でしたが、そこで基本的な言い回しなどを学びました。そこの教室で一番学べたことは度胸です。恥ずかしいと思ったらいつまでも恥ずかしいままで、会話さえ成り立たず、自分が腹立たしく思えてしまうだけでした。ですが、下手な英語を一生懸命、身振り手振りで説明していくうちに、度胸というものを学んで行きました。

洋楽、洋画、バイリンガル・ラジオ、英会話番組なども勉強の手段にしました。特に洋楽が大好きだった私は歌詞を覚えたり、発音を注意して聞いたり、言い回しを覚えたりと楽しんで勉強できました。最近のロックバンドなどは、スラングなどをふんだんに使っているので、洋楽から学んだ単語や言い回しは数知れません。

アメリカに来てからは毎日が勉強でした。英会話も10ヶ月通い、自分が設定した目標もクリアして自信を持ってアメリカに来た私ですが、初めは周りが何を言っているのか殆ど解りませんでした。一対一だと、ゆっくりゆっくり、何度も繰り返し簡単な単語を選んで話してくれましたが、アメリカ人同士の会話を理解することなどまるでダメ、単語さえ聞き取れませんでした。

今でも毎日が勉強です。アメリカに長くいるだけで英語が上達するわけではないと思うので、努力を怠ることは出来ません。最近は発音を気にしたり、可算、付加算名詞、前置詞などをマスターする事を目標にしています。自分の英語の上達を実感できる事は次への自信につながりますが、すぐに次の壁にぶつかり、落ち込んでしまう、という繰り返しの中で英語を学んでます。

・アメリカでの生活

アメリカに来る前の私は、この国について全く無知でした。アメリカ人という人種に対して、たくさんのステレオタイプ(決めつけるような定型化した考え方)を抱いていました。でもこっちに来て、アメリカ人と肩を並べて同じクラスで勉強していく間に、そのステレオタイプは間違ったものだと認識しました。明るくて、陽気なアメリカ人もいれば、おとなしくて、無口なアメリカ人もいます。いつもラップを聴きながら、わいわい騒ぐのが好きな白人もいれば、静かに読書を好む黒人もいます。自分勝手な人もいれば、他人を思いやり、尊重する人もいます。アメリカ人は日本人と同じ、色んな性格の人がいて、人それぞれ、という事を学びました。様々な国からやってきた留学生と交流していても同じことを学びました。肌、髪、目の色は違っても肌の下は全く同じ人間だと分りました。

アメリカ人が日本人(アジア人)に対して抱いているステレオタイプには時々驚かされます。私はミシッシッピ以外の州に滞在したことがないので、一概には言えませんが、私の周りにはアジアが一つの国と思っている人が山ほどいます。中国人に間違えられたり、ベトナム系に間違えられたり、日本とわかっても、“あなた達みんな眼鏡をかけているんでしょう?”といった質問さえ浴びせられます。これは悲しい現実ですが、私が説明するプロセスで、少しでもアジア、日本に対して興味を抱いてくれたら…と思っています。ですが、最近は日本の文化、アニメや料理、ファッションなどに興味を示し、日本語を学んでいる人も割りと多くいます。難しいと言われている日本語を彼らが一生懸命学ぶ姿勢を目にすると、私も頑張らなければ、と思わざるを得ません。

アメリカに来てたくさんの人に出会い、たくさんの事を学んでいます。困っていた時に助けてくれる親切な人達(アメリカ人だけではなく、日本人や他の国から来た留学生など)に出会う度に、感謝の気持ちで一杯になります。ですが、アメリカで出会った全ての人がフレンドリーで優しいという訳ではないので、そういう人達に傷つけられ、落ち込んだりする事もよくあります。こういう状況の中で英語を駆使しながら生活して行くのは、一見大変な事と思えますが、経験すればするごとに自分に対しての自信も沸いてきます。これから少なくともあと数年は続くであろうアメリカでの留学生活ですが、英語だけではなく意味あることもたくさん学んで行きたいと思っています。

【参考】http://mytown.asahi.com/usa/newslist.php?d_id=4900024「留学のススメ」、「留学生のため息」

「南部での留学」も山口佳代子さんの寄稿によるものです。経済問題や留学先選定に関する情報が盛り込まれています。どうぞ、続けてお読み下さい。

(November 10, 2006)

[Back to top]

[・] Midwestとはどこか?

[Midwest]

あるアメリカ駐在員の方から次のようなメールを頂きました。
>アメリカのインディアナ州Columbus(コロンバス)に住んでいます。ここはアメリカの
>中西部に位置し、日系企業が数多くあります」

私はその「中西部」という表現にびっくりました。「インディアナ州Columbus【地図Aの赤丸】が中西部?」アメリカ中西部という言葉で私が直感的に思い浮かべるのはオクラホマ州(黄色に塗ったところ)あたりです。インディアナ州の公式サイトを見てみると、確かに「アメリカの中西部に位置し…」と書いてありました。混乱した私は色々調べてみました。

Wikipediaですと、ミネソタ州、アイオワ州、ウィスコンシン州、イリノイ州、インディアナ州、ミシガン州、オハイオ州などが"Midwest"(中西部)になるようです【地図Aの緑色で囲った地域】。しかし、御覧のようにそれらの州はアメリカの中西部などという位置ではなく、“北東部”と云うのが正しいように思えます。この謎の答えもWikipediaにありました。

[Loisiana_Purchase]

1803年、アメリカ合衆国はフランスから仏領ルイジアナを買収しました。これは有名な事実なので私も知っていました。しかし、知らなかったのはその広さ、大きさ、位置です。現在のルイジアナ州なのかと思っていたらとんでもない、地図Bの赤い領域全部なのです。アメリカのど真ん中。ということは、1803年以前、首都Washington, D.C.あたりから見るとイリノイ州、ウィスコンシン州が西端だったわけです。それでこの地域が"Midwest"(中西部)と呼ばれたわけです。北海道が開拓される以前、東北地方が「陸奥」(陸の果て)と呼ばれていたのに通じると思います。

Wikipediaは「"Midwest"という呼称はもはや古語である。この地域は中部でも西部でもない」と書いています。ミシガン州Detroitに代表されるこの地域は自動車産業が集まっており、日系企業も数え切れないほど存在します。その人々がみな「ここはアメリカの中西部に位置し…」と書いて日本の人々を混乱させているとすると、ちとまずいのではないかという思いがします。

(November 10, 2006)

[Back to top]



[一般] [風俗・慣習] [食事] [発音] [口語] [文法・表現] [その他] [Home]


Copyright ©  Eiji Takano  2006-2017
Address: 421 Willow Ridge drive #26, Meridian, Mississippi 39301, U.S.A.