ある日本人のInternetホームページで"Wellcome!"と表示してあるところがありました。あまりに簡単過ぎる単語なので、辞書を引いてみる気にもならなかったのでしょう。「ようこそ」は"Welcome"でなければなりません("L"は一つ)。ノッケにこういう間違いを見てしまうと、後の英語ページを読む気がしなくなります。というわけで、皆様もどうぞ御注意下さい。 Welcome to《英語の冒険》home page! ここは、私自身の恥さらしな英語体験によって得たものをまとめたページです。私たちは、結構英語の知識は豊富に持っているので、「いざとなれば、ちゃんと喋れるワイ。まだその時が来ないだけだ」と思っています。しかし、好きなだけ時間をかけられる英作文と違って、瞬発的に応答せざるを得ない英会話では、自分の喋ることをあれこれ推敲している暇はありません。そして、いったん口に出してみると、「いけね、間違えた。あ〜、恥ずかしい!」と思うことが沢山あります。しかし、大事なのはこの一時の恥ずかしい思いが、同じような間違いを冒さない歯止めの作用をもたらしてくれることです。私としては、「皆さんもどんどん冒険して恥をさらしなさい」と云いたいところです。 しかし、「恥ずかしい」と思うのは日本の教育の問題なんですね。試験、受験で、間違いイコール劣等生という烙印を押されるような…。また、英米人が日本人より勝っているわけではないのに、何か英語を流暢に操るというだけで彼等を過大評価し、「間違った、恥ずかしい」という気になるようです。アフリカのどっかの部族の言葉を覚えて、現地人と話す時、あなたは間違いを恥じるでしょうか?アフリカでは恥ずかしくないとすれば、ここには明白な人種差別がありそうです。 ヨーロッパの人々にとっては英語はとっつき易い言語のようで、全く問題ありません。アジア諸国の人々は「通じればいいのだ」という態度で、自分の国の訛りを隠そうとしません。こういう人々にとっては、英語は冒険でも何でもありません。唯一、日本人にとってだけ英語は冒険なんですね。 日本人数人に英米人一人というような場があるとしますと、自分に話題を振られない限り率先して口を開かない人が多いようです。「上手な人が聞いているので恥ずかしい」、「皆、聞き耳を立てて、私の間違いをカウントしているような気がする」等々。上手な人も、帰国子女や留学経験でもない限り最初から上手じゃ無かった筈です。彼等も意を決して口を開き(ちと大袈裟:-))、間違いを一杯冒して上手くなったんだと思います。英語に関しては「話すはいっときの恥、話さぬは一生の損」。どんどん“冒険”をすべきです。Indiana Jones(インディ・ジョーンズ)のように日常を捨て、冒険に乗り出した時、初めて新しい世界が開けると思いましょう。 冒険にもノウハウは必要です。踏み込んでいい地帯、そうでない地帯、食べられるキノコと毒キノコの見分け方、いざという時の救急法などなど。この《英語の冒険》home pageが、冒険に乗り出すあなたのサヴァイヴァル・ガイドになれば幸せです。Enjoy and good luck! 【参照:冒険のススメ(極私的英語の冒険)】 Atlantaに住むJudy(ジュディ)は、私のカミさんのBarbaraと同じAEONという英会話学校の先生でした。Barbaraは福岡の大橋校、Judyは下関でしたが、同じ南部出身ということで仲良くしていました。 数年前Judyの家を訪ねる機会がありました。当時、彼女はAtlantaの私立大学で英語を教えていて、世界各国から来た留学生を相手に苦労しているようでした。 私が「アメリカ人は、自分の全ての行動・判断に理由がなければならないと思い込んでいる気がする。Barbaraに"Why?"と云うと、間髪を置かず"Because..."と答える。こちらはそう真剣に問い質すつもりがない場合でも、必ず"Because..."と云ってから何やら答えをまとめているように見える」と云いますと、Judyが「全く、その通り。私たちは行動や判断には理由が伴っていなければならないと考える。何か聞かれて黙っているのは"stupid"以外のなにものでもないと思われてしまう。留学生に『今度の週末はどこへ行くの?』とか、『休日は楽しかった?』と聞いても黙って数分考えている人がいる。そんな時、私は"Say something! Say something!"(何か云いなさい!)と怒鳴る。大したことは云わなくても、"stupid"と思われる沈黙よりはずっといいのだ」とのことでした。 英語、英会話の本で、今でも思い出して笑ってしまう一冊があります。"May I borrow your toilet?"という台詞付きで、若い女性が便器を背負って歩いている挿絵があるのです。 確か"borrow"、"lend"、"use"などの解説頁だったと記憶していますが、日本人の間違いの一つとして"May I borrow your toilet?"が引用されているわけです。"Borrow"は「本を借りる」のと同様、「許しを得て当分の間借りて持って帰る」ことを意味します。また、"toilet"は「便器」を指すので、挿絵の如く「便器をお借りして持って帰っていいですか?」と聞いていることになる…という説明でした:-)。 普通、アメリカの家ではお手洗いと浴槽が一緒になっているので、"May I use the bathroom?"というのが普通です。お茶やパーティで訪問した場合、その家の主婦が各部屋を案内して見せて廻り、さりげなく浴室も教えてくれますので、実際には尋ねる必要はありません。なお、大抵の場合、個人の家の浴室(トイレ)のドアは開け放してあるのが普通で、それが閉まっていれば「使用中」のサインです。これが常識なので、使用中でも鍵を掛けない人がいます。閉まっているドアを開けてはいけません。 映画館、ショッピング・モールなど公共の場所でお手洗いを聞くのに、"bathroom"は変です。ショッピング・モールに浴室は無いからです。こういう場所では"rest rooms"にします。"men's room"、"ladies' room"も使えます。なお、こういう公共の場所で誰かにトイレの位置を聞く場合は、"Is there a public rest room?"などと完全な文章が必要でしょうが、レストランなどでウェイターに聞く場合は、単に"Restrooms?"と語尾を上げて聞くだけで十分です。レストランで動き廻れる範囲は少なく、お客が行きたいのはお手洗いに決まっているからです:-)。 なお、たまに"Washroom"と表示されいるところもあります。日本語の「お手洗い」と同じ表現ですね。 聞き返す一番簡単な方法は"Pardon (me)?"↑(尻上がり)とか"Excuse me?"↑です。しかし、これは問題があります。こちらが聞き損なったと思って、同じフレーズを繰り返すからです。本当に聞き損なっただけならそれで一件落着ですが、実は云っている意味が解らなかった場合は、同じフレーズの繰り返しは何の足しにもなりません。 相手の話すスピードが早過ぎる場合は、"Please speak more slowly."とか"Please speak a little bit slower."と頼まなくてはなりません。完全に知らない単語が出て来て何とも答えようが無い場合は、"I'm sorry but I don't understand the word: XXXXXX. Would you explain the meaning to me?"などと、問題点を明確にすべきでしょう。全体の質問が解らないのであれば、"What do you mean by that?"↓(どういう意味ですか?)と聞き直します。 Barbaraと結婚するずっと前の話です。仕事でパリに行ったのですが、“花の都”というより、犬の糞(ふん)だらけの都でガッカリしました。犬の散歩と云えば聞こえがいいけど、市民の皆さんは犬を排便させるために連れ歩いていたようです。日本では、既に飼い主が責任を持って処理するように指導されていました。当時、パリは遅れていたわけです。
私は"I've seen so much dog shit on the streets in Paris." とか、"She said that I'd like to see the dog shit in Paris."とか話していたのです。要するに、「"Shit"は卑語なので使ってはいけない。"dog poop"の方がベター」ということでした。"Shit"は「クソ」で、"dog poop"だと「犬のウンチ」という、多少柔らかい表現になるのだそうです。 いやあ、世界中で、それも女性もいる場で「クソ、クソ」を連発していたと思うと顔が火照って来ます。皆さん、笑いながらも「下品な奴だなあ」と思っていたのでしょう。上の例をひっくり返して、私を日本語が喋れる外人、聴き手を日本人と仮定してみましょう。外人が「クソ、クソ」と日本語で連発しても、我々は彼に「それは下品だ」などと注意しませんよね。彼の日本語学校の先生だけが注意するでしょう。英語の場合も全く同じ。英語の先生だけが、表現や文法について注意してくれます。ここが、先生につく最大の利点だと思います。 私は何でも参考書を買い漁るクチで、ゴルフでも碁でも、コンピュータでも何でもそうです。中学に入る前にも初めて習う英語の参考書を購入して、結構読み進んでいました。そのせいで、いざ授業が始まったら全部解っているわけで、「こんなもの軽い、軽い」と馬鹿にしてしまいました。その後英文法だの英作文を真面目に勉強しなかったため、私の英語は基礎が出来ていません。 大学は英米文学科に入ったのですが、英作文は苦手でした。また、英会話にはほとんどタッチしませんでした。数十年前の日本の高校に英会話の時間はありませんでしたし、その頃の大学の英会話の授業というのは何百人も相手の講義で、単に名目的なのものでした。何度か巷の英会話学校にもトライしてみましたが、単にテープを聞き、おうむ返しに復唱するLL教室というのには馴染めませんでした。 ただ英語そのものには絶えず関心を持っていました。英語関連の本も色々読んでいましたし、映画や歌の題名や文句も辞書を引いて解読したものです。これらは、英米人と話す時に非常に役に立っています。John Ford(ジョン・フォード)の映画の話をしたくても、原題が云えないのでは会話になりません。『荒野の決闘』など、全く原題から離れた邦題です。こうした映画・本の題名や歌の文句をもじって云うことは、笑いを誘ういい材料でもあります。 本格的に英会話を始めたのは40代後半になってからです。福岡に住んでいた時、アパートの近くに英会話学校が開校されました。冷やかしのつもりで覗きに行ったのです。私は「教師は英米人でなければならない」と思っていましたが、ちゃんとアメリカ人が着任していました。また、「個人授業でなければ意味が無い」とも思っていました。これですと、年間50万円の授業料だそうでした。気違いじみていますが、私は一年分を前納することにしました。そうすることで、絶対通わなくてはいけないと、自分にプレッシャーをかけたのです。 40代後半というのは、いかにも遅いです。しかし、理由がありました。TVカメラマンですから、海外取材や英語を話す英米人と触れ合う機会は沢山あります。カメラマンに最低限必要なのは「コンセントをお借り出来ますか?」とか、「済みません、テープを換えますのでお待ち下さい」などですが、いくらなんでもこの位はずっと前から話せました。しかし、撮影が終わって歓談、あるいは一緒に食事したり呑んだりという段になると、もう「コンセントはどこですか?」というレヴェルでは間に合いません。様々なことを、本当の“会話”としてキャッチボールしなくてはなりません。頭の中で英作文し、文法をチェックしたりしている間に、どんどん話題は移り変わってしまいます。話すネタは一杯あるのに出番を作れず、いつも悔しい思いをしていました。「あ〜、自由に喋りたい!」、これが、50万円前納の動機です。 お若い方々には50万円前納は無理でしょうが、たとえ月払いであったとしても、是非本格的に勉強されることをお薦めします。語学能力は一生の財産です。海外旅行が楽しくなるのは当然ですが、会社にかかって来た英語の電話や英米人の訪問にちゃんと応対出来れば、当然評価は上がるでしょう。海外駐在というエリート・コースへの道が開けるかも知れません。Internet時代となり、世界は非常に狭くなっています。英語による検索はビジネス、ホビイの無限に近い情報源ですし、英文によるE-mailがやりとり出来れば、もう鬼に金棒です。喋ることを書けば英作文なのですから、やはり基本は英会話です。 私の個人授業は意外な進展を見せてしまいました。アメリカ人教師Barbara(バーバラ)にとって、私は個人授業の唯一人の生徒だったので、夜の授業の後、焼鳥屋やスナックで“補習授業”のサーヴィスをしてくれたのです。私の修行の目的が、まさにこういう舞台での英会話でしたから、これは大歓迎でした。 長い話を短くしますと、数年後、Barbaraと私は結婚することになりました。それは、大きな問題が付随していまして、彼女は年老いた両親の面倒を見に、ホーム・タウンへ戻らなくてはならない…と云うのです。結局、私は会社を辞め、1995年からBarbaraの生まれ故郷である、アメリカ南部Mississippi州Meridian(メリディアン)に住むことになりました。 主にこちらへ来てからの英語体験をメモしたものをまとめたものが、このホーム・ページです。Barbaraに云わせると、私の英語はちっとも進歩してないそうです。その分、冒険談には不自由しないとも云えます:-)。この、アメリカに六年近く住んで体験・実感した記録は、皆さんが同じ過ちをしないためのガイドにはなると思います。ご活用下さい。 天気の英語 「寒い」と云いたい場合、つい"It's cold."とか云ってしまいます。日本人にとって一番親しみ深い単語は"cold"だからです。しかし、これは氷点下何度とかの寒さの時にとっておかなくてはなりません。鳥肌が立つぐらいの寒さは"chilly"です。Hot→warm→cool→chilly→cold→freezingという感じです。 アメリカで標準的に使われているのは華氏で、正式には"80s F"などと表示しますが、Fは当たり前なので普通は書きません。口で云う場合は"Eighties degrees fahrenheit"です。摂氏の零度は32゜Fです。 日本の「いいお天気ですね」は結構な上天気を指しますから、英語でも"It's a fine (or good) day, isn't it?"で十分のように思いますが、"It's beautiful!"と云い直されます。"Fine"や"good"なんて並みのもんじゃない…というわけです。「"Beautiful"なんて女性が云うだけなんじゃないの?」と思われるかも知れませんが、私の周りの男性も云います。ミュージカル映画"Oklahoma!"(オクラホマ)の巻頭で"Oh what a beutiful morning! Oh what a beautiful day!"と歌われますが、あれも男性の歌でしたね。うちのカミさんは"What a gorgeous day!"と云うのが好みです。 「にわか雨」は"shower"です。厳密にたった一度降るというのは考えにくいということか、大抵は"showers"と複数で云われます。「にわか雪」は"snow showers"です。 私の住むアメリカ南部では"thunderstorm"が頻繁にあります。「雷」で、必ずしも雨を伴うとは限りません。単にゴロゴロ、ピカピカするだけというのが普通です。かなり強い雨は"rainstorm"です。両方合わさった「雷雨」にあたる言葉は見当りません。 天気予報やニュースには"tornado watch"という言葉がよく出て来ます。"Tornado"は竜巻ですが、別に竜巻を見物するのが"tornado watch"でなく、「竜巻警報」という意味です。『リーダーズ英和辞典』には「Mississippi流域の中部に特に多い大たつまき」と書かれています。映画"Twister"は竜巻観測隊のお話で、竜巻の俗称"twister"をそのまま題名にしたもの。 「洪水警報」は"Flood warning"で、これは判り易いですね。 あまり馴染みのない風の表現が"gusty"です。「突風」の"gust"の形容詞で、「突風の多い天候」を指します。 「蒸し蒸しする」は"humid"です。日本のように梅雨がありませんので、アメリカ人には蒸し蒸しする天候が苦手のようです。ルイジアナ州New Orleans(ニュー・オーリンズ)はJazzの名所として観光で成立している都市ですが、夏の蒸し蒸しする時期には観光客が激減します。そのためホテル代がガクンと安くなるので、日本からのお客さんには逆に狙い目かも知れません。 【参照:Chance】 Shakespeare体験 私は大学時代に演劇部でShakespeare劇の上演に携わったこともありますし、卒論は「Shakespeareの'Tempest'について」というものでしたから、Shakespeareには人並み以上の関心を抱いていました。初めての海外取材(1978年)でロンドンを訪れた時も、出来ればShakespeare生誕の地Stratford-upon-Avonへ行きたいものだと思っていました。仕事ではそちら方面へ行くことも無く、「今回は駄目だな」と諦めていました。ところが天候に恵まれ、順調に撮影が捗ったおかげで、ロンドンからスペインに移動する前の一日が自由行動になりました。チャンスです。聞くところによれば、ロンドンからはStratfordへの列車は無く、片道三時間ほどのバス・ツァーしかないとのこと。初めての外国で、一人でバス・ツァーに参加するというのはかなりの“冒険”でしたが、「なるようになれ。こんな機会は二度と無いかも知れない」と決意し、ホテルのコンシェルジュ経由で予約申し込みをしました。 前日にバス・ツァーへの参加を予約すると、希望者が泊まっているホテルに迎えに来てくれます。あまりにも無名のホテルの場合は、近くの大きいホテルまで出向いて待たなくてはなりません。バスはほぼ満員になるまでホテル巡りをして、それからやっとロンドンを離れます。 私の参加したツァーは、先ずOxfordに寄り、そこで大学の建物をいくつか見学してから郊外のレストランで昼食というスケジュールでした。昼食のテーブルではツァーのお客同士の会話が弾んでいましたが、黙々と食べている東洋人(私)に気を遣ってか、数人が話しかけてくれました。当時は話すのも聞くのもいまいちでしたから、ポツポツと返事はしましたが、面白可笑しい話題を提供するなどという芸当は出来ず、結局皆さんも東洋人との会話は諦めてしまいました。 やっと念願の街Stratford-upon-Avonに到着。テューダー様式(白い壁に黒い柱が剥き出しになっている)の家が特徴の綺麗な佇まいの街です。バスはShakespeareの生家の前に横付けされ、40分自由に過ごしていいとアナウンスされました。小さい土壁の民家の二階にShakespeareの寝室があります。ベッドが非常に小さいのが印象的です。40分でバスが出るというので、大急ぎでメイン・ストリート(と云ってもそう大きくはないのですが)に面する土産物屋をサーッと見て、Hamletなどの銅像がある川沿いの公園に行きました。そこでしばらく感慨に耽っていたら、もう予定の出発時間です。急ぎ足でShakespeareの生家に戻りました。しかし、バスも来ないし、顔見知りのバスの客も集まっていません。「どうなってんだ、一体!」焦りました。 メイン・ストリートを往ったり来たりし、念の為もう一度公園まで行ってみました。バスはどこにもいません。列車が無いそうなので、一人でロンドンに帰るにはタクシーを雇うしかありません。しかし、三時間もタクシーに乗ったらベラボーな金額になるでしょう。途方に暮れてしまいました。絶望状態でトボトボとメイン・ストリートを歩いていたら、スレ違ったバスからお客が盛んに手を振っているのが見えました。急停車したそのバスは、何と私が探していたバスではありませんか!私がバスを見つけたというより、バスが私を見つけてくれたのです。予定の時刻を30分も過ぎていましたから、バス・ガイド、運転手、お客一同はずっと私を待っていてくれたのでしょう。乗り込む私に、皆さん拍手をしてくれました。もう覚えていませんが、その時の私はちゃんとした感謝の表現をしなかったと思います。ただニコニコして頭を下げただけだったような気がします。本当は、タクシーに大枚を払う必要が無くなり、予定通りロンドンに帰れることになった私の安堵感は相当なものでありました。このハッピーな気持ちと皆さんへの感謝を十分に表明しなかったのは、今でも悔やまれます。 この時の反省ですが、多分(というより絶対に)ガイドは「40分後に集合です。場所はこの地点ではなく、この裏手にあるバス駐車場です。間違えないで下さい」とか云ったのでしょう。私は、その後半をちゃんと聞かず、「40分後にまた戻って来て乗せてくれるに違いない」と思い込んでいたのです。これぞ生兵法は大怪我の因の見本。 それから15年ほど後の1994年、奈良東大寺に於て『あおによしコンサート』というジャズ・ロック・伝統音楽をミックスしたイヴェントがあり、私はイギリス人のディレクターとそのアシスタント・ディレクターと組んで、リハーサルから本番までのドキュメントを撮影しました。ロンドンで編集作業中の彼等から、「編集を見に来ないか?」というお誘いがありました。ギャラは払えないが、彼等のコネの格安航空券(往復¥80,000)が使え、滞在はアシスタント・ディレクターの家…という好条件です。カミさんも連れて行っていいか?と虫のいいリクエストをし、一緒に行くことにしました。 カミさんにとっては初めてのイギリスでしたから、彼女を連れて再度Stratford-upon-Avonに行くことにしました。それに先だって、ロンドンのBarbican TheatreというThe Royal Shakespeare Companyの常打ち小屋(俳優座小劇場程度の小さい劇場)で'Tempest'を見ました。日本で観た蜷川幸雄演出、平幹二郎主演の大掛かりだが線の細い『テンペスト』とは違って、深い、味のある芝居でした。 さて、Stratford-upon-Avonです。ディレクターもアシスタント・ディレクターも編集マンも、全員が列車で行く方法は無いと断言します。あんな有名な観光名所に、どうしてバスでしか行けないのだろう?念の為、カミさんに鉄道案内に聞いて貰いました。「ある」と云うではありませんか!ロンドンの住人の誰も知らない(?)列車があるのです。1978年当時にもあったのではないでしょうかねえ、本当は。ただし、本数は一日四、五本。五両連結程度のローカル電車で、到着した地点から市街地までは歩いて十分かかります。 B&B(ベッド&ブレックファースト)に二日ほど泊まって、Shakespeareの妻Ann Hathawayのコテージなど名所のバス・ツァーや、ここにもあるThe Royal Shakespeare Companyの劇場で'A Midsummer Night's Dream'を見たりしました。Shakespeareが葬られている教会でのバロック音楽の演奏会にも行けました。この時はハラハラする“冒険”は皆無で、楽しい一方の旅が出来ました:-)。 ある日本の個人サイトで「アメリカではOUTとかINとか云わない。OUTは"front nine"、INは"back nine"と呼ぶ」と書いてありました。確かに喋り言葉ではそうなのですが、どこのスコアカードでもOUT、INと書いてあります。これはゴルフの伝統なので変えられないようです。なお、The Mastersでは独特の呼称がいくつか用いられますが、ここでは"the first nine"、"the second nine"と表現され、"front nine"、"back nine"と呼んではいけないそうです(主催者側の規制)。 ティー・グラウンドを一般人は"tee box"と云っていますが、USGAのルールブックでは"teeing ground"と呼んでいます。正式名称だと“日本語”に近いわけです。単に"tee"とも云います。トーナメントのスタート時の紹介も、"Ladies and gentlemen! On the tee, Tiger Woods!"などとアナウンスします。 スタート時間のことを"tee time"と云います。「お茶の時間」(teatime)ではありません:-)。 日本ではアマチュアの競技会を「コンペ」と云いますが、アメリカではプロもアマも全て「トーナメント」と称します。 「チタニウム」あるいは「チタン」は日本語なので、欧米では"Titanium"(タイテイニアム)と完全に云わないと通じません。 カート道路は"cart path"で、末尾の"TH"の発音に注意。"Carts on paths only"という表示があったら、カート道路しか走れません(冬場や雨の後に多い)。"90 degrees rule"というのがあり、この表示の場合はボール位置の横までカート道路を走り、そこから直角に曲がってフェアウェイのボール位置に向います。打ち終ったらまた真っ直ぐカート道路に戻ります。 暫定球は"provisional ball"。危険を知らせる"Fore!"を日本では「ファー」と書く人が多いようです。正しくは「フォアー!」です。まあ、大声で怒鳴ればどんな発音でもいいようなもんですが:-)。 ゴルフ関連サイトでよく見掛ける間違いに「パット」を"put"と表記するのがあります。正しいスペルは"putt"です。なお、日本でよく使われる「3オン、1パット」というような便利な表現はありません。「寄せワン」は"(get) up and down"。「ピンの位置」は"hole location"。 「バンカー」(bunker)は日本語そのままに読んで正解で、無理に英語風にしようとして「ベァンカー」などと云うと、"banker"(銀行家)になってしまいます。 「パーオン率」は"greens in regulation"、略してG.I.R.です。 グリーンキーパーは、いくつものグリーンを管理しているせいか"greenskeeper"とグリーンが複数になります。 "Divot"という言葉は誤解されがちです。以下は"divot"にまつわるお話。 1999 U.S. Women's Open(女子オープン)が行われた時、近くだったのでカミさんと観に行きました。アメリカは子供には入場無料とか、プロの無料レッスンとかがあり大サーヴィスです。その一つに母子でクイズを解くという催しがありまして、あちこちで問題用紙を前に頭をひねっている人達が見受けられました。通りかかった黒人のお母さんが、「Divotって何か知ってます?」と云うので、得々として「クラブで削られた地面の凹みですよ」と答えたのです。 後になって、これは大間違いだと知りました。"The Why Book of Golf' by William C. Kroen(1992)には、 Q: Why is the word "divot" used to describe a piece of earth dislodged by a club stroke? つまり凹みではなく、芝の一片なのです。USGAのルール・ブックの「エティケット」の章に"Replace Divots"(ディヴォットを元へ戻すこと)と書かれています。「削られた地面の凹み」はリプレース不可能ですので、やはり「削られて飛んだ芝生の一片」が"divot"なのでした。ルール・ブックはUSGAとイギリスのThe Royal and Ancient Golf Club of St. Andrewsが執筆、編集したものですから、これを正しい定義とすべきでしょう。『研究社 英和中辞典』、『リーダーズ英和』などでも同じ説明です。 当然「じゃあ、削られた跡(凹み)は何て云うんだ?」となるわけです。アメリカのスポーツ・ライターや有名コーチなども、一つの記事の中で"divot"が削られた跡と飛んだ芝の切れ端の両方を指していたりして、相当な混乱が見受けられます。 最近仕入れた本'The Historical Dictionary of Golfing Terms'(by Peter Davies, Michael Kesend Publishing, Ltd., 1992, $16.95)は、西暦1500年から最近に至るまでのゴルフ用語の引用句辞典を兼ねていますが、「削られて飛んだ芝生の一片」の意の他にJack Nicklaus(ジャック・ニクラス)やTom Watson(トム・ワトスン)らが削られた跡(凹み)を"divot"と書いた例が挙げられています。日本人が間違えても不思議は無いようです:-)。 'Golf Magazine'による'Complete Book of Golf Instruction' (1997)に、「Divot holeからの打ち方」という項目がありました。現在のところ、これぐらいしか凹みを指す良さそうな表現は見当たりません。 打ちっぱなし練習場は"Driving range"(ドライヴィング・レインジ)で、単に"range"とも云います。練習ボールは鉄の篭に入っているので"basket"と云いたくなるのですが、コース側の人間は"bucket"(バケット)と呼んでいます。不思議です。練習グリーンは"practice green"。 ここでは、ごく一般的なやり取りだけを数例紹介します。 「ハンデはいくつですか?"What is your handicap?" 顔見知りやパスさせてくれた人々への挨拶は"Play good!"あるいは"Play well!"。"Hit'em good!"というのもあります。'emはthemの略でボール(複数)を指します。 【参照】「誉め言葉」「ボールへの呼びかけ」についての表現も参考にして下さい。 うちのカミさんが電話しているのを聞くと、「ああ、そう云うのか」と色々思い当たります。"This is she."もその一つ。向こうが"May I talk to Barbara?"と云った時、「私がBarbaraですけど」というのが"This is she."です。男性なら"This is he." こういうのは本では読んでいても、こういう風に実際に使われている場面を見聞きしないと、なかなか口に出来る英語ではありません。単に"Speaking."というのもあります。"This is she(he)."に代わるもので、短いからといって無作法ではありません。こちらの方が使い易いですね。 掛けて来た人が名乗らない場合、「何方ですか?」と聞くのは"Who's this, please?"(あるいは"Who's speaking, please?")です。相手は"This is Bob from Apple Computer speaking."などと云うはずです。 つまり、電話線に繋がっている人間は、どちらの端の人物も"this"になるわけで、両方で「これ」、「これ」と表現することになります。ややこしい。 ついでですが、親しい人との会話で終わりに「では、また」と云う場合、"(I'll) talk to you soon(later)."がよく使われます。 【参照】アメリカ式電話作法 英米人は日本人の名前を聞き慣れないので、普通に名乗っただけでは理解されない恐れがあります。"Would you spell it out?"(アルファベットで一字ずつ云ってくれ)と要請されるかも知れません。ただ、文字によっては一字ずつ発音しても紛らわしいものがあります。PとT、BとV、MとNなどが典型です。こういう場合、軍隊やパイロットなどが使う表現を利用します。 Alfa, Bravo, Charlie, Delta, Echo, Fox-trot, Golf, Hotel, India, Juliet, Kilo, Lima, Mike, November, Oscar, Papa, Quebec, Romeo, Sierra, Tango, Uniform, Victor, Whiskey, Xray, Yankee, Zulu "My family name is T for Tango, A, K, A, N for November and O."などという風に使います。 【参照】数字の読み書き なお、Zを「ゼット」と読むのは日本語で、英語では「ズィー」と発音します。 日本では長い間終身雇用でしたから、「どこそこで働いている」ではなく「どこそこの会社に属している」というような意識になりがちです。しかし、欧米(特にアメリカ)では自分の才能を買ってくれて待遇のより良い企業にどんどん転進します。ですから、「松下の一員」とか「三菱の人間」とかいうのではなく、自分の能力をたまたま松下に貸して賃金を貰っているだけという意識です。 そういう観点からすると、自己紹介の文句も理解し易くなります。 "I'm with NHK." これですと、NHKの下請けで働いているのか、NHKの社員なのか判然としません。しかし、現在NHKのために働いていることには違いがないのですから、欧米ではこれでいいのです。BBCやNBCの人間と一緒に仕事をすると仮定して、向こうだって一時的に雇われた人間かも知れません。 もし、部署について触れたければ次のような云い廻しがあります。 "I work in the filming department at NHK." オーストラリアのメルボルンで取材した時のことです。二人の男性コーディネーターとつきあったのですが、一人は若く、日本に留学したことがあるだけでコーディネーターとしては駆け出しでした。日本語があまり流暢でなく、そうなると不思議に彼の英語まで怪しく感じられてしまったものです(生っ粋のオーストラリア人なんですけどね:-))。 あるお役所の管轄の施設を撮影したいという申し込みをしていました。ところが何日経っても返事がありません。二度ほど足を運びましたが、それでも回答が貰えません。三度目に行った時には、「取材班は業を煮やして怒っている」と伝えてくれと、コーディネーター氏に頼みました。帰国の日は迫っているし、我々は実際に腹を立てていたのです。役所を訪れて彼が云った台詞は"They are upset with this situation."というものでした。役所を出て食事をした時に、私はコーディネーター氏に「あなたは"upset"という言葉を使ったが、我々の状態は"angry"である。"upset"などという軽い状態ではない」とコメントしました。コーディネーター氏は困ったようにうつむいていました。 「研究社・新英和中辞典」(第6版)の"upset"には私の云った通り、「怒っている」という訳はありません。しかし、LDCEによれば"upset"にも"to be angry"という意味があるのでした。「ひっくり返す」、「こぼす」などが先で、三番目が「心配する」、「怒る」などとなっていて、トップではありません。それにしても、私がコーディネーター氏にイチャモンをつけたのは行過ぎでした。英語を喋る国の人に説教をするとは! 陪審員の討議経過を描いた映画『12人の怒れる男』の原題は"Twelve Angry Men"です(題名にもかかわらず、この映画で怒るのはほんの数人です。不思議な題名です)。私は大学の演劇部でこれの上演を提案し、演出をやらせて貰いました。石坂浩二演出の舞台の遥か数十年前のことなので、日本初演は私のものだったと確信しています。「映画をなぞっただけじゃないか」というような酷評ばかりで、外部は勿論、劇団内でも何等賞賛の声は聞かれませんでした:-)。しかし、私にとって「怒る」="angry"という公式はこの当時に出来上がったのです。 なお、アメリカに来てみると、"upset"はしょっちゅう聞かれる言葉です。 単純な思い込みは怖いという一席でした。
フロリダのある小さな空港でのこと。航空会社カウンターで、事情によりディレクターと私でチェックインしました。四人分の機材や鞄類が計六個だったのですが、「どれが貴方の荷物か?」と聞かれ、自分のバッグを指さし、「残りは全部彼のだ」と答えましたら、「一人三個までなので、五個の分のエクセス(重量超過料金)$150.00を頂かなくてはならない」と云います。慌てて、適当に三個を指さし「私のはこれとこれ」と修正。航空会社の係員は「私は貴方を助けたのですよ」と恩着せがましく云いました。“一人三個”という制限はクリアしているわけですから、黙って処理すりゃいいものを。ここでの教訓:「どれが貴方の荷物か?」と聞かれたら、"Any three."と答える。どれとも特定しないわけです。 エクセスについてはおかしな思い出があります。ブラジルから香港へ、私と音声マン二人だけで行くことになりました。カウンターで機材を全部預けようとしたら、US$800.00のエクセスを払えというのです。エクセスほど馬鹿馬鹿しいものはありませんから、“駄目モト”で三脚を機内持ち込みにしたらどうなるか聞いてみました(この時はジッツォという極めて短くなる三脚だったので、足もとへ置けたのです)。そしたら、これだと全くタダになることが判明。私達が飛行機に乗せる総重量には何の変わりもないのですが、一寸したことで$800.00浮くことになりました。不思議な話です。 太めの人に「どんなダイエットをしてますか?」と聞いてはいけません。「当然やってるだろう」という憶測は人間関係を壊す危険を孕んでいます。 先ず、あちらは「私は太っていない」と思っている可能性があります。相撲取りのように太っていなければ、単にお腹が出ているだけで肥満には入らないという解釈も成立します(特に当人はこれを採用したがる)。次に、ダイエットを試みたが長続きせず、体重も自己嫌悪も増加の一途…という状態かも知れません。こういう人はダイエットの話題に触れたがりません。 こちらも肥満体、あちらも肥満体だからといって、気安く云うことも出来ません。内心、「私はあんたほど太ってない」と思ってるかも知れないからです。 「相撲取り」と云いましたが、こちらの人が太ると凄いです。もともと腰骨が大きいせいか、先ずお尻の周辺がブクブクして来ます。次第に脂肪は全身に廻り、仕舞いには助けて貰わないと椅子から立ち上がれなくなります。まあ、こんな人に「ダイエットをしてますか?」なんて無駄なことを聞く人もいないでしょうが:-)。 三一書房から出ている本に『英会話習得法』というのがあります。正しくは『脳のメカニズムからみた 英会話習得法』というもの。これは、鈴木崇生という和歌山赤十字病院麻酔科副部長(出版当時)の先生が執筆しています。 脳というのは正確かつスピーディーな判断を迫られる部門なので、目と耳から同時に情報が入って来た場合には目の方を優先するのだそうです。表音文字を使用している日本人は、文字を見た方が早く正確に物事を認識出来るという習性を作り上げて来たという事実も加わります。ところが、この早くスピーディーな認識は、残念ながら脳の記憶倉庫には入らないのだそうです。倉庫に入れるためには、既に在庫があるかどうかを調べるなどの確認作業が必要なのだそうで。その意味では目からの学習を止め、全て耳からの学習に切り替える必要があるそうです。市販のテープを購入してもテキストを見ないようにする、ラジオの英会話番組がベター、テレビの場合は画面の下の字幕を隠した方が良い、最も安上がりなのはFENやVOA、 BBCなどの英語放送を聞くことだ…ということです。 実は、私はパリーグ広報部長(当時)の伊藤さんという方にTVのインタビュー撮影でお会いする機会がありました。伊藤さんはドラフト会議でアナウンスをして有名だった人です。米大リーグの権威でもあり、もちろん英語はペラペラ。で、この方の英語習得の秘訣はまさにFEN だったのです。中学だか高校の頃に鉱石ラジオを組み立て、その時聞こえて来たのがFENの野球実況。チンプンカンプンだったが、どうも野球らしい。その後も意地で聞いていたらおぼろげに試合展開が分かるようになった。こうなると段々面白くなってニューズなども聞くようになったとか。これ以外の勉強は一切していないとおっしゃっていました。上記の本の実例のような方ですね。 なお、本の中にはまだまだ有益な記述が一杯あります。要するに、脳に刺激を与えなければ駄目なので、同じ文を繰り返し聞いても脳の記憶倉庫には入らない…とか。是非、御一読をお勧めします。 「とにかく話せ!」にあるように、長い沈黙はいかなる理由があれ英米人をイライラさせ、彼等に「このヒト、馬鹿じゃないの?」と思わせます。日本人は頭の中で英作文をやり、文法をチェックし、発音を思い出しながら喋ろうとするのがいけません。実は、相手が英語の先生でもない限り、どういう表現をしてもいいのです。中南米から来た人々のいい加減な英語、中国人やヨーロッパ人の訛った発音を聞いて御覧なさい。どうして日本人だけが完璧な英語でなければならないのでしょうか? でも、まだ文章になればいい方で、単語が分らない場合は英作文が成立しません。そういう場合、カバンから辞書を引っ張り出したりしないで、「歩く辞書」(目の前の英米人)を使います。"What do you call it in English?" 、"What is the English expression?"とか云って、もし「ホウレンソウ」であれば「ポパイが缶から出して食べる野菜」とか、「ホッチキス(これは英語ではない)」であれば「コピイした書類をバチンと綴じる道具」とか続けます。ジェスチャーも交えれば、多分すぐ解答が得られるでしょう。なお、"What do you call"は「物」の場合のみで、「物以外」の言葉については"How do you say this in English?"になるそうです('Common Mistakes in English' by T. J. Fitikides, Longman, 1963)。 日本語ですと「すきやきを作る」、「カレーを作る」などと云いますので、つい"I'll make tempura."などと云いそうになります。しかし、"make"はケーキの土台を作るとか、パンを作る際などに使われるだけで、「調理する」と云いたい場合は"cook"を使って"I'm going to cook curry and rice."などとなります。
以下は発音が同じか、似ていて紛らわしい言葉。 flour 小麦粉、メリケン粉(発音は"flower"と同じ) batter (ベァター)(小麦粉、水あるいは牛乳、卵などを混ぜ合わせた、ホットケーキなどの素) タマネギやピーマン(英語では"bell pepper")などを薄く切るのは"slice"で、大根、ニンジンなどをおろすのは"grate"、ザク切りするのは"chop"、ニンニクなどを細かく切るのは"mince"、卵などを撹拌するのは"beat"です。 研究社の新和英中辞典(第4版)には「メンチカツ」と「メンチボール」が並んでいます。どっちも同じ語源かと思うと、「メンチカツ」は"a fried cake of minced meat"となっています(アメリカでは「挽き肉」は"ground beef"とか"ground pork"というのが一般的です)。「メンチボール」は"a meatball"となっています。挽き肉を使っているのは同じなので、日本語もあながち悪くないのですが。 「焼く」のは"grill"(網焼き)と"broil"(直火焼き)の二つがあります。辞書に"broil"は【米語】とありますが、"grill"もよく使われています。たとえば"Grilled cheese sandwhich"はカミさんの好物です。「オーヴンで蒸し焼き」は"bake"。ただし、オーヴンで「肉」を焼く時は"roast"。 ハンバーガーやステーキを焼くのは、一家の主人がやることが多いようです。一軒に一つは、屋外で焼く炭火使用のグリルがあります。炭("charcoal")はガソリン・スタンドでも売っています。着火促進には、電気ゴテの大きいようなものか、石油製品(ライター・オイルのようなもの)を炭に振りかけます。 一家の主人がやるもう一つ重要な仕事は、ローストした七面鳥(あるいは鶏)が出来上がったら、大型ナイフとフォークで切り分ける作業です。石器時代に男性が持っていた、「家族に食物を分け与える」という権威の象徴の名残のようです。 「煮る」は"boil"、「とろとろ煮る」は"simmer"。単に"cook"でもよい。 「揚げる」は日本のてんぷらやとんかつのように、深い鍋で多めの油で揚げる場合は"deep-fry"。 「炒める」はかき混ぜる時は"stir-fry"。フライパンを使って、簡略に"deep-fry"のようなことをする場合は"pan-fry"。 「蒸す」は"steam"。 スパゲッティなどをシコシコの状態に茹でるのを"al dente"(アル・デンティあるいはアル・デンテイ)と云います。イタリア語ですが、一般に通じます。但し、アメリカではイタリア人経営のレストランを除き、"al dente"のスパゲティを期待してはいけません。大体、日本のデパートの食堂のスパゲティ程度と思ったら間違いありません。 【参照】通じる日本語 数年前、日本からアメリカ、ヨーロッパを連続して廻る取材をしました。インタヴュー撮影をして廻るという旅だったので、日本からはディレクターと私の二人だけ。アメリカ在住のコーディネーターと合流して三人でアメリカ各地を取材しました。 取材中、ディレクターが「足が痛い」とこぼしていましたが、数日後にはヨーロッパへ向うという時期にアメリカ・ロケ最終地Washington州(大都市としてはシアトルが有名な西海岸の州)で、「痛くて歩けない」という状態になってしまいました。足の甲が赤黒く腫れ上がっていて、確かに尋常ではありません。救急病院に行ったところ、「何かの感染症だ。入院して貰って直ちに切開しなければならない」との診断。 止むなく、ベッドの上のディレクターから、インタヴューでどういう質問をしたいのかを聞き取り、取材はコーディネーターと私の二人で行いました。 結局、ディレクターは病院に四泊しました。「旅行者保険」に入っていたので、クレディット・カードで支払い、診断書、領収書を貰って、後で日本の保険会社から払い戻しを受けました。滅多に無いことですが、こういうことが起きると「旅行者保険」の掛け金は安いものだと云わざるを得ません。 なお、アメリカは完全な医薬分業なので、病院から処方箋を貰って近くの薬局で薬を購入します。上のケースでは私が代理で買いに行きましたが、歩けない患者一人だけでは難しいですね。 アメリカの病院は患者を早く退院させようとするのが印象的でした。ディレクターは完全看護、清潔で明るい施設、愛想のいい看護婦達に囲まれ、「もっと居たい」などと云っていたのですが、松葉杖で歩けるようになるとすぐ退院せよとのお達しでした。病室を空けることと、保険ではあっても患者の経費を減らす配慮のようです。 上のケースは救急医療でしたので直接病院を訪れましたが、これは例外です。アメリカでは普通は先ず開業医か小さいクリニック程度の医院に行きます。そこの医師が「病院へ行け」と指示した場合に限って病院へ行きます。 この記事は「病気の英語」という大袈裟なタイトルにしましたが、あらゆる病名を並べることは不可能です。一般的な注意だけで御勘弁を。 日本でカタカナになっている医学用語のほとんどはドイツ語です。例えば、「ウィルス」あるいは「ヴィールス」ですが、英語では"virus"ですので、発音は「ヴァイラス」となります。病気になった時のためには、やはり辞書を持ち歩いた方が賢明です。 必ず聞かれるのがアレルギーの有無です。この「アレルギー」もドイツ語で、英語の"allergy"は「アラージィ」です。I'm an allergic to pollen (aspirin). (花粉 or アスピリン・アレルギーです)「副作用」は"side effect"。アメリカ人は体格が大きいので、小柄な日本人がアメリカ人と同量の薬を服用すると効き過ぎることがあります。御注意下さい。 自分の持病と毎日服む薬、既往症、直系親族の持病などは、いつでも見せられるように英語のメモをお財布に入れておくといいと思います。 なお、こちらの病院の登録用紙に血液型を書く欄があるものもありますが、大抵のアメリカ人は自分の血液型を知りません。うちのカミさんも自分の血液型を知りません。一般にあまり関心が無いのです。日本のように『血液型で選ぶ結婚相手』なんて本を出しても全然売れないでしょう。 "Influenza"(インフルエンザ)は、通常"flu"と略して云われます。流感の予防注射は"flu shot"です。私の住んでいる町では、冬に入る前にショッピング・モールなどで無料の予防注射が受けられます。 「痛い」とか「痛み」には、"pain"だけでなくいくつか類義語があります。頭痛、歯痛、腹痛などの鈍痛には"ache"が末尾について合成語になります("headache"、"toothache"、"stomachache")。その辺が痛い場合、"achy"(エイキイ)と云うことが出来ます。喉(舌)が痛い時は"I have sore throat (tongue)."というように"sore"が使われます。 【参照】「腰痛・肩凝り」 まだ実際に体験したわけではありませんが、日本の言葉で非常に危険であると思うものがあります。当惑した時に云う「イヤー、困ったな」とか、「イヤー、一寸待って下さい」とか云う際の「イヤー」です。 英語の"yes"の口語的表現"yeah"は、本当は「イェア」なのですが、「イヤー」でも通じます。大方の英米人には日本語はちんぷんかんぷんですが、「イヤー、困ったな」の冒頭の「イヤー」は英語と判断され「イエス。なんたらかんたら」と聞こえるでしょう。表情が"yes"に見えないので、もう一度同じ質問をされるかも知れません。それに対して「イヤー、一寸待って下さい!」と答えると、二度目の"yes"を口走ったと受け止められます。これが、入国管理や警察などの尋問であったら、取り返しがつかないことになります。「イヤー」は要注意です。 ついでなので、危険ではないものの、英米人には不思議に映るであろう日本人の会話。英米人を前にして、日本人が日本語で相談・打ち合わせするとします。「じゃあ、この外人さんを六時にお宅へ連れてけばいいのね?」「ハイ、そうです」「住所、前と同じですよね」「ハイ、同じです。門の前で待っています」「ハイハイ、分かりました」御存知のように英語の"hi"は「コンチワ」ですから、この日本人たちは何でこう「コンチワ」を繰り返すんだろう…と思ってるんではないかと考えると、一寸可笑しい。 日本では若い女性が「ウッソー!」とか、可愛く「ウソツキ!」とか云いますが、欧米人に向かって"You are a liar!"とか云わない方が無難です。いくら可愛く云っても駄目です。特にアメリカ人に対してこれを云うと、真っ赤になって怒るでしょう。 結婚する前のことですが、カミさんに"You lied."と云ったことがあります。軽い気持ちで云ったのですが、「私は嘘つきではない。何を指してそう云うのか?」と詰め寄られました。 「ウッソー!」と云いたければ、"You are kidding!"(冗談でショ?)に云い換えます。「ウソツキ!」は云い換えがありませんので、喧嘩腰の会話の時にだけ使うことにしてしまっておきましょう。 何か冗談を云った後に、「嘘だよ」とバラす際も"I lied."じゃなくて"Just kidding."と云います。 アメリカのTV番組でどんどん増えているジャンルに、「判事もの」、「疑似法廷もの」があります。元判事、現役判事や弁護士が裁判長となり、視聴者間のトラブルを裁こうという番組です。結構、大岡裁きに似た、かなりフェアな判決が下されます。しかし、嘘をついたと分ったら、その人物がいかに弁解しようが不利な判決になるのが一般的傾向です。 クリントン大統領の浮気に関しても、最も重要な争点は浮気の是非ではなく「嘘をついたか、否か」でした。大統領が最終的に「家族のために曖昧な云い方をした。そういう事実があったことは間違いなく、嘘をついたことはお詫びする」と国民に謝罪しました。これが無かったら、任期満了前に辞職に追い込まれたでしょう。 勿論、全ての嘘がいけないわけではありません。パーティへの招待を断りたい場合など、「あなたのパーティは室内でタバコを吸うから行かない」と云うと角が立ちますが、「母親の加減が悪いから、残念だけど家にいなければならない」とか云えば問題ありません。これは"white lie"の範疇です。「真っ赤な嘘」ではなく、「潔白な(罪の無い)嘘」ですね。誰にも迷惑がかからず、人間関係を滑らかにする嘘は許されるわけです。 フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ、サヨナラ、キモノ、ハッピ・コートに始まり、今や多数の日本語がそのまま英米人(特にアメリカ人)に通じます。そういうものはグダグダ説明しなくても済むので、知っておくと便利です。 ジュードー、カラテ、アイキドー、スシ、スキヤキ、テッパンヤキ、ゼン、ボンサイ、ショーグン、サムライ、オリガミ…これらは本も多数出版されていて、ほぼ説明抜きで通じる筈です。ボンサイは、こちらの本で"Bonzai"というタイトルをつけたものもあり、「ボンザイ」と濁って発音されることもあります。アニメも"Anime"と書いたコーナーがレンタル・ヴィデオや本屋さんにあります。 相撲は"sumo wrestling"(スモー・レスリング)と呼ばれることが多いようです。 ラーメンや豆腐は大型食料品店ならどこでも大量に置いています。"Maruchan Ramen"などと包装されています。ラーメンは、サイズから云って、主食ではなくスナックとして食べられているようです。"Maruchan Ramen"は85gですから、体格のいいアメリカ人には少ないと思われます。 豆腐はダイエット食品として人気。醤油は"soy sauce"が浸透してしまったため、「ショーユ」と呼ばれるタイミングを逸してしまいました。 野菜では"Daikon"、"Gobo"などと表示されて売られていますが、アジア系の人向けであって一般のアメリカ人はほとんど食べたことがないと思います。白菜は"Napa Cabbage"です。菜っ葉ですね。 アメリカの大都市ですと"Futon"という文字を看板に描いた店が結構あります。しかし、日本風の布団を売っているわけではありません。 カラオケは、そもそもは"Music minus one"という独奏者用練習レコードが始まりで、日本のオリジナルではありません。例えば、ヴァイオリン協奏曲の独奏ヴァイオリン抜きのレコードによってソリストが練習するものです。これが変貌して、歌手が楽団抜きで巡業するためのレコードになったと思われます。それを歌の伴奏としてバー、飲み屋から家庭にまで普及させたのが日本の過激なところです。"Karaoke"は語尾の"e"が「イ」と発音され、「カラオキ」という風に呼ばれます。中には"Kara OK"と書いた看板もあります。これは日本語に忠実です。 日本酒も結構有名ですが、"sake"は"Karaoke"同様、「サキ」と発音されます。 アメリカ映画'The General's Daughter'『将軍の娘/エリザベス・キャンベル』(1999)で、「将軍の娘」が殺され、John Travolta(ジョン・トラヴォルタ)演ずる軍犯罪捜査官とMadeleine Stowe(マデリーン・ストウ)演ずる女性関係の犯罪捜査官二名が調査を命じられます。 二人は将軍の家に出向いて命令を受けますが、その前にお悔やみを云わなくてはなりません。 Madeleine Stowe:"My deepest condolences, sir." John Travolta:"Very sorry for your lost, sir." これらは軍の目上の階級の男性に対する言葉なので"sir"(サー)が付いています。相手が目上の女性であれば"ma'am"(メァム)になります。上下関係の無い親しい間柄であれば、相手のファースト・ネームになるところでしょう。 手紙などであればもっと仰々しい表現を使うのでしょうが、会話では上のような程度でいいようです。将軍に対する下士官達からの言葉ですから、敬意も十分に含まれている筈です。 なお、非常に簡単には"I'm sorry."とも云います。この場合、「御免なさい」と謝っているのではなく、「お気の毒です」という意味です。謝る時に"I'm sorry."が危険なのは、他人事のように「お気の毒です」と云っていると取られることです。謝る場合は"I'm so sorry."、あるいは端的に"I apologize."(謝ります)と云うのが無難です。 「腰痛」だから"waist"(腰)を使うのだろうと思うと違うのですね、これが。普通は"lower back pain"と云います。 「欧米人には肩凝りは無い」という説がありますが、全くのデタラメです。同じ人間ですから、肩も凝ります。ただ、"shoulder pain"ではなく"stiff neck"あるいは"neck pain"という云い方をします。肩ではなく首の障害に分類されている感じです。というわけで、"shoulder pain"という言葉が見当たらないので、それで「欧米人には肩凝りは無い」という俗説が出来上がったのかも知れません。 ゴルフ用品店で練習ボールを拾う器具(Shagbag)を見せて貰った時のことです。これは筒を地面のボールにあてがって一寸押せば、ボールが筒の端の袋に送り込まれるという便利なもの。店員は"It saves your back."と云いました。地面に屈まなくて済むので、明らかに腰の障害を予防してくれるわけです。背中ではありません。しかし、ここでは"lower"という形容詞も無く、"back"が腰を指しています。 買い物をした時に入れてくれる袋を、日本ではビニール袋と呼んでいます。その英語は何か?「ビニール=vinyl(ヴァイヌル)」だから、"vinyl bag?" 残念でした。 あれは"plastic bag"と呼ばれています。レジで"Paper bag or plastic?"と聞かれたら、「紙袋、ビニール袋、どっちにします?」と云っているわけです。ビニール袋に入れて貰いたければ、"Plastic, please."と答えます。 我々は「プラスティック」はCDのケースなどの固いものだと思っていますが、"plastic"は一般的に「石油化学素材で、柔らかいと自由に変形出来、固まると形を保持する」ものだそうですから、全部が全部CDケースのようなものとは限らないわけです。LDCEを見ると、"Vinyl"は"firm bendable plastic"(しっかりした、曲げられるプラスティック)で、ある日本の辞書では「"vinyl"は専門用語」とありました。我々は日常的に専門用語で喋っているわけで、なかなか凄いですね:-)。 日本ではこと英会話に関しては英米人を「ネイティヴ」、「ネイティヴ」と称して特別扱いします。しかし、辞書を見ると"native American"は「アメリカ・インディアン」なんですね。人種でなく、言語を基準にした場合"native speaker of English"としないといけないようです。この場合、“英語圏で生まれ、ずっと英語を話して育った人”という意味ですから、白人とは限らずアメリカ・インディアンも、黒人も、日本人二世もみんな含まれます。 日本人の赤ん坊のお尻に現われ、成長と共に消える蒙古斑。その名の通り、モンゴロイド(中国人、朝鮮人、インドネシア・マレー人、ポリネシア人他)に共通の特徴だそうです。 アメリカ西部を取材した時に、インディアンのガイドが「我々も子供時代には蒙古斑が出るんだよ。日本人と同じなんだ」と、親しげに云いました。それは知らなかったので、急にアメリカ・インディアンが同族のような気になったことでした。確かに民族衣装や歌のメロディはアイヌ民族に似ています。 最近TVを見ていましたら、南米のどっかの国の赤ん坊にも蒙古斑が出るとか。 アメリカ人との会話で話題に詰まったら、蒙古斑の話をすることをお薦めします。白人には蒙古斑はありませんから、聞いたことも無いはずです。何よりも可笑しいのは、「アジア人、アメリカ・インディアン、南米人に蒙古斑があって、元は同族だった」という話をすると、大抵は凄く心細そうな顔をすることです。アメリカ人からすれば、蒙古斑包囲網を知り、急に少数民族になったような気がするのではないでしょうか? 蒙古斑:"Mongolian mark" or "blue spot" 右車線を走るのだけが違うだけで、原則として日本のルールと同じです。日本で面倒なのは右折ですが、それがアメリカでは引っ繰り返って左折になります。 "Yield"という標識が珍しいかも知れません。「優先権のある通りの車が途切れるのを待って進め」という意味です。信号待ちしないで右折出来るレーンがありますが、左から直進して来る車があるとそちらに優先権がありますので、途切れるまで待たなくてはなりません。それ以外はスイスイ曲がれることが多く、便利です。 信号が無くて"STOP"と書いた標識があるところがあります。Mississippi州では、単なる"STOP"は優先権のある大きい通りに交わる小さな通りに立っています。この場合、"Yield"同様「優先権のある通りの車が途切れるのを待って進め」になります。 Mississippi州には"STOP"の下に"ALL WAY"という一行が加わった標識もあります。これは四つ辻の四箇所に立てられています。この交差点では、先頭に到着した順に交互発進します。 │ │ │車 │ │B │ ────┘ └──── C車、車(最後に来た車) 車車車A ────┐ ┌──── │ D│ │ 車│ │ │ 上図の"STOP ALL WAY"の交差点で、先頭の車が仮にA、B、C、Dの順に交差点に到着したとします。当然Aが一番先に発進し、B、C、Dと順番に発進します。次もAとなり、Bにはもう車は無いのでCですが、Cの二台目は実はホンの一瞬前に現われた車です。でも辻の先頭にいますから、これは堂々と発進します。つまり、Aに行列している車はかなり前から待っているとしても、時間では優先権を主張出来ません。あくまでも交差点の先頭に到達した順番です。 California州には"STOP ALL WAY"がありません。"STOP"一本槍です。この場合、通りの大小が無いのであれば"STOP ALL WAY"と同じように考えて対処します。 アメリカでは州単位で交通法規(最高制限速度を含む)も異なりますから、各州で確認が必要です。例えば、私の住むMississippi州では、他の車を妨害しなければ赤信号でも右折出来ます(左折は駄目)。これは州によって違います。 仕事で初めてアメリカをドライヴした時、コーディネーターの女性が「黄色い二重線は“壁”です。越えられません」と云いました。面白い表現だったので、今でも覚えています。 "WRONG WAY"というのも一見どう訳していいか迷う標識です。これは意訳すれば「進入禁止」です。分離帯のある道路で、「(対向車線に)入っちゃ駄目よ」という意味で立っています。 言葉としては、ハンドルが"steering wheel"(操舵輪という感じ)で、バックミラーは"rearview mirror"です。パンクは"flat tire"。「路肩へ寄せる」は"pull over"。救急車や消防自動車がサイレンを鳴らして近づいて来たら、直ちに"pull over"しなければなりません。警官に"Pull your car over."と云われることもあるので、覚えておく必要があります。警官などから"vehicle"(ヴィークルあるいはヴェヒクル)と云われてまごつかないようにしましょう。"vehicle"は“乗物”全般を指します。二人乗り小型トラック(後部に屋根があっても無くても)は"truck"あるいは"pickup"と云い、普通"car"とは云いません。 日本では一律に高速道路と呼ばれますが、アメリカには数種類あります。大都市の中および周辺では"freeway"と呼ばれます。一時停止も信号も無いところから"free"と呼ばれるようです。州間を縦横断する最も重要な道路は"Interstate highway"で、政府と州が共同管理する道路です。"I-19"とかいう場合の"I"は"Interstate"の略です。州の中だけで整備・管理するのは"State highway"。どちらも無料です。有料道路は観光地か、大都市の橋や地下トンネルなど一部だけです。 "Interstate highway"では面白い話があります。ずっと前のオイル危機の際、アメリカ政府は省エネのため最高速度を時速70マイルから55マイルに落とそうとしました。しかし、全部の州の賛同が得られず、この案は宙に浮きそうになりました。それでどうしたかと云うと、「最高制限速度時速55マイルにしない州には"Interstate highway"の道路補修・維持費の政府負担分を減らす」と恫喝したのです。"Interstate highway"の維持費には莫大なお金がかかりますが、それを減らされてはたまりません。全ての州で時速50マイルが実施されることになったそうです。なお、現在ではこのようなノロノロ運転は行なわれておりません。 大都市の"freeway"には"carpool lane"というのがあります。これは走行車線の内側にあるレーンで、二人以上の人間が乗っている車だけが走れます。日本のバスレーンの趣旨と同じで、複数の人間の移動を優先するシステムです。California州では、このレーンをドライヴァー一人の車が走ると$271.00の罰金だそうです。いつでも出たり入ったり出来るレーンではないので、注意が必要です。 日本と全く違うのがスクール・バスへの対処法です。子供が降りる時は、バスの左右に"STOP"サインがパーン!と出て、前後左右の車は全部停まらなければなりません。バスを降りた子供がどちらへ駆け出してもいいようにという趣旨でしょう。通学時間のスピード制限も厳しく、罰金も高め。子供に関しての配慮が最優先する国と云えそうです。 いくつかの観光都市では日本の免許証だけでレンタカーが借りられるようです。ある時、San Francisco国際空港で日本からのTVスタッフがレンタカーを借りようとしました。うち二人は日本の免許証を持って来ていたので運転者として登録出来ましたが、一人は国際免許証だけだったので駄目でした。これは係員の間違いではないかと思いますが、とにかく両方の免許証を持参するのが賢明です。 日本では90%ぐらいが自動車学校でしごかれて免許を取る筈です。こちらは親兄弟親戚友人に教わるか、カレッジなどの講座を経て実地試験に臨みます。ですから、マナーが日本ほど完璧ではありません。特に感じるのは、方向指示器をちゃんと使ってくれないことです。曲がる直前まで合図を出さないので、頭に来ることも度々です。何が起ってもいいように、常に安全な速度で走り注意を怠らないようにする必要があります。 【参照】ガス(ガソリン)、トラック テキストで覚えたような質問ばかりするのは英会話ではありません。特に5W1Hの質問の連続は、刑事の尋問みたいだということで嫌われます。 そこまで行かなくとも、質問によっては相手を困惑させることもあります。英米人が"That's a good question."と云ったら、それはあなたの頭の良さを誉めているのではありません。何と答えるべきか、時間稼ぎをしているだけです。本当の意味で「いい質問」という場合は、「核心を衝いた質問で、実はそれを待っていたのだ」というように"I'm glad you ask that."とか、別の言い回しになる筈です。 こちらの新聞、雑誌などで"Did you know?"という見出しの小さなコラムを見掛けることがよくあります。内容は、トリヴィアとか暮しのヒント、歴史クイズなど、いろいろ。よく考えると不思議なのは、ここで"Do you know?"ではなく過去形になっていることです。親しいアメリカ人に確認したところ、これは「より丁寧にした表現」だとのこと。 そう云われれば、日本語でも「郵便料金上がったの御存知?」と云うと鼻をうごめかして「あんた知らないでしょう」的色彩が濃いですが、「郵便料金上がったの御存知でしたか?」と云えば「多分御存知でしょうけど、私は知らなかった」的謙虚さが滲み出ます。同じことなんですね。 Londonに住むJenny(ジェニイ)を訪ねた時のことです。彼女が主催し、TVや放送関係で働く仲良し数人を呼んだ昼食パーティがありました。参加者のうち、二人は子供連れでした。 三歳の男の子を連れて来た中年男性がいまして、その子が"I wants to have icecream."と甘えました。父親は、「I wants! I wants? お前は"I wants"なんて云い方をするのか?」と大勢の前でこっぴどくたしなめました。この後、この子は一生"I wants"などとは云わないでしょう。 「たかが三歳の子供に…」と思う半面、「これが本当の教育なんだろうなあ」という気もします。一度恥をかくことがいい勉強になるからです。私なども、口にした後で「あ、いけね!間違った」と思うことが沢山あります。しかし、次には同じ間違いをしなくなります。口にすると、身体で覚えられるような気がします。 "Policy"(ポリシー)というと日本では「政策」、「方針」の意味だけで使われています。しかし、一般のアメリカ人の使用頻度から云えば、「保険証券」という意味で使われることの方が多いようです。 自動車保険が最もポピュラーで、訪問者について厳密なチェックをする場所(軍事基地など)では、運転免許証ばかりでなく「自動車の保険証書も見せろ」と云われます。盗難車でないことを確認したいのでしょう。"Show me your insurance policy."などと要求されます。保険会社にコンタクトを取ると"May I have your policy number?"と聞かれます。証券番号を伝えます。 日本には「旅行者保険」という便利なものがあり、僅かな金額で数週間から数カ月の海外旅行中の盗難・傷害・疾病をカヴァーしてくれます。こちらにもないかと思い、色々調べたのですが類似の一時的保険はありません。AIUというのはアメリカの保険会社ですが、「旅行者保険」は日本でしか扱っていないのです。 こちらで銀行が発行するクレディット・カードを申し込んだところ、その恩典の一つが「旅行者保険」でした。このカードで乗物のチケットを購入すると自動的に$150,000の保険が適用されるのだそうです。旅行の度に申し込む必要も無く、掛け捨てのお金が要らないので、日本式「旅行者保険」より便利でお得です。 以前、日本から海外取材でアメリカに何度か来ましたが、公共の場(大学、テーマ・パーク、国立公園その他)での撮影を申し込むと、必ず「保険に入っているか?」と聞かれました。これは取材する我々のためではなく、取材中に一般人を怪我させたりするケースを心配しているのです。三脚で通行人を突いてしまうとか、カメラで顔に傷つけるとか。本当は「撮影保険」といったものがあるのですが、数週間前に申し込んでおかなくてはなりません。私の場合は、「旅行者保険」の証書のコピーで通りました。日本の保険会社の日本語の証書(!)が役立ったわけです。 Harvey Penick(ハーヴィ・ピーニック)という、ゴルフのコーチがいました(数年前に他界)。彼はキャディ上がりで、プロとして数年活躍しましたが教えることの方が向いていると自覚し、コーチに専念して一生を終えました。彼の本の一冊に面白い記事があります。彼はとても謙虚で、一時間のスピーチの間"I"(私)という言葉を一度も使わなかったこともあるほど。ただし、これはとても難しいことなので、彼は"We"を使おうかと考えたそうです。「そんな時、私はたまたまMark Twain(マーク・トウェイン)の文章を読んだ。それによれば、『"I"(私)の代わりに"We"を使っていい人物は以下の三つのどれかである。一番目、国の大統領か州の知事。二番目、編集者。三番目、身体にさなだ虫を飼っている人』これを読んで、私は"We"を諦め、"I"(私)に戻ることにした」 なぜ、編集者が"We"なのか、よく分かりません。カミさんによれば、病院の看護婦達も"We"を使うそうです。これは患者と自分を含めた云い方なんだそうです。「あなただけが孤独な闘いをしてるんじゃなく、私たち(医者、看護婦)も一緒に闘ってるのよ」という意味なのでしょう。 初めて私の名前を見た英米人は、大抵“アイジ”と発音します。「英二」ですからヘボン式で"Eiji"と書くわけですが、こちらでは"Einstein"(アインシュタイン)、"Eisenhower"(アイゼンハワー)など、"Ei"は“アイ”なのですね。最近、私は「A. G.(エイ・ジー)である」と云ってます。James Agee(ジェイムズ・エイジー)という作家、詩人、映画評論家がいました。このスペルの方がよかったかも知れません。 まあ、そんなのはいい方で、「阿部」さんは"Abe"で、これは"Abe Lincoln"と同じですから、“エイブ”と呼ばれます。アメリカの空港などで、阿部さんが“エイブ”という名前で呼び出しをかけられても、これはご当人には判らないでしょう。 「健さん」はKen(Kennethの愛称)なので、これは英米人には理解し易い。「忠(ただし)さん」はTad(Theodoreの愛称)が使えます。「真理」、「麻里」の皆さんはMary。こういう方々は楽ですね。国際化時代ですから、お子さんやお孫さんの命名にはこういう要素も考えに入れておくことも必要でしょう。 日本の辞書には「"trousers"は上下揃いあるいは三つ揃いの服のズボンを指す」とか、「男物のズボンを"trousers"と云う」などと書いてありますが、アメリカの衣料品店のチラシを見ていると、女性の上下揃いの場合にも"trousers"を使っています。男女両方とも、ややドレッシーな場合に"trousers"を使うという感じです。 それ以外はほとんど"pants"(ペァンツ)です。日本語の「パンツ」は下着ですが、英米ではズボンです。女性の下着の"panty"(ペァンティ)と混同しないようにしましょう。パンストは"pantihose"あるいは"panty hose"(ペァンティホーズ)です。語尾が濁ります。この場合の"hose"は水まきのホースと同語源ですが、複数扱いでストッキングの意味です。「Gパン」は"jeans"。 男女共に短い下着は"briefs"で、男性用の長めのものは"boxer shorts"と呼ばれます。ボクシングのパンツに似ているからでしょう。略して"boxer"とだけ呼ぶこともあります。 英語は数にうるさいので、二つに別れているものは一つでも複数にします。「ブラジャー」も"bras"と云うのが正式ですが、"bra"と云ったり書いたりするケースもあります。"briefs"も"brief"と単数の表示もあります。「ブリーフ」の場合、枝分かれしていませんから、よく考えれば単数でもいいのでしょう。なお、推測ですが、「ブリーフは"briefs"である」と断言する日本人は、スーパーの袋入り商品の表示を調べただけなのではないでしょうか。ブリーフの多くは6枚とか8枚入りのパックで売られているので、複数になって当然です。しかし、大手スーパーWalmartで販売しているHanes製下着パックの説明(下図参照)では"brief"となっており、複数ではありません。 「パジャマ」は上下揃いの場合に云います。これも複数で"pajamas"。こちらの折り込み広告では、男性モデルが上半身裸で、「パジャマ」のズボンだけはいている写真がよく載っていますが、それは"sleep pants"と呼ばれています。 上着については、その多くが"jacket"で済んでしまうような気がします。商品カタログではスタイルに応じて"blazer"(ブレイザー=ブレザー)、素材に応じて"fleece"(フリース)など細かい分類もしていますが、日常会話では"jacket"でいいようです。日本の「ジャンパー」にあたる言葉は見たことがありません。日本語の「スタジアム・ジャンパー」も"stadium jacket"です。「ジャンパー」のような衣類は"jacket"か"windbreaker"になります。 数年前、日本のディレクターから「アラバマ州立大学での撮影をお願いしたい」という連絡がありました。Alabama State Universityはアラバマ州中南部のMontgomery(モンガメリ)にありますから、そこで撮影機材をレンタルするなどの準備を始めました。ところが数週間後、ディレクター氏から「日本を発って飛行機を乗り継ぎ、Birmingham(バーミングハム)に入る」と云って来ました。そこは州の中北部で全然方角違いです。確認すると、本当の取材地はTuscaloosa(タスカルーサ)という学園都市にあるUniversity of Alabama(アラバマ大学)だったのです。ディレクター氏は「アラバマで一番の大学だそうだから“州立”に違いない」と思い込んだのでした。 次は私の失敗談。『公民権運動・史跡めぐり』というサイトでUniversity of Mississippi(ミシシッピ大学)の出来事を紹介する際、次のようなマクラを振りました。 「日本では一般的に国立大学、県立大学などが私立より優れているとされるので、『アメリカの大学も州立の方が上だろう』と思われがちです。しかし、アメリカでは"State"(州立)と付く大学は、"State"抜きの大学の一ランク下というのが常識です。例えば、University of AlabamaはAlabama State Universityをしのいでいます。同様にミシシッピ大学(University of Mississippi)はミシシッピ州で最もレヴェルが高いと云われています」 しばらくして、ミシシッピ大学に研究留学中の日本人ドクターからメールが届きました。「この文章はミシシッピ大学が私立のような印象を与えます。ミシシッピ大学も州立だと思いますが…」 おっしゃる通り、私はミシシッピ大学は私立であるという前提で書いていました。私はアラバマでの撮影の一件以来、"○○ State University"は「州立」で格下、"University of ○○"は「私立」で格上だと思い込んでいました。ミシシッピ州にはMississippi State UniversityとUniversity of Mississippiがありますが、これも同じ解釈を適用したのです。 慌てて、ミシシッピ大学の卒業生に尋ねました。University of MississippiもMississippi State Universityも、どちらも「州立」だそうです。前者が法学、文学などを中心とし、後者が農業、工業(A&M=Agriculture and Mechanical)を母体にしているというだけの違い。アラバマの場合も同じとのこと。 ドクターがおっしゃるには「日本で発行されているアメリカ大学案内等では、"University of ◯◯"を"◯◯州立大学"と訳してあることが多い」そうです。しかし、これでは"○○ State University"と表現がダブってしまい混乱します。どちらも「州立」なのですから、片方だけ「州立大学」と訳すのは片手落ちだし誤解の因になります。"University of Mississippi"は素直に「ミシシッピ大学」、Mississippi State Universityは「ミシシッピ州大学」と称するのがよさそうです。 普通、"credit"(信用)は、「クレディット・カード」のように客の銀行口座の残高を“信用”して商取り引きが行われるのですが、そうでない場合もあります。 ある商品が気に入らないと返品に行くと、店によってはお金を返さず、「代金分のクレディットを上げる」と云うところがあります。大抵は三ヶ月以内とか半年以内に同額以上の買い物をすれば、返金相当額を値引きするというもの。この場合は銀行口座ではなく、店に支払ったお金が「信用」の基盤ということになります。 スーパーなど大きい店は大抵返金してくれ、このテの「クレディット」は小さい店が多いようです。いったん入った金は手放さないというガメツイ方式で、もし客が期限を忘れたら丸儲けというシステムです。
昔も今も金髪女性がモテるのは同じですが、子供の頃からチヤホヤされてスポイルされ、綺麗に着飾ることだけに熱中してしまう女性が多いせいか、「阿呆な金髪女」をからかうジョークがわんさとあります。それでも、髪を染めて金髪に見せる女性が多いのは御存知の通り。我々が目にする金髪女性の大半は染めた金髪と云われています。 金髪と並んで青い目も人気の的ですが、髪の毛と違って目の色は生まれた時のまま変化しないそうです。 私の町に何人か日本婦人がおられます。いずれも朝鮮戦争、ヴィエトナム戦争などで日本に駐留した米兵と結婚して、こちらに来られた“戦争花嫁”です。当然、英語はペラペラ。発音とか文法的に見れば、色んなレヴェルがあるようですが、結婚生活、離婚後の生活、未亡人としての生活などを何十年も生き抜いて来た方々ですから、皆さん堂々としたものです。 その中でずば抜けてペラペラの女性がいます。もう日本語がすぐ出て来なくなったというぐらい、英語とアメリカの生活に溶け込んでいる方。私などは「凄いなあ」と内心賛嘆しているのですが、ある時、彼女と私を両方知っている人物と話していたらこんな言葉が出て来ました。「彼女の英語は時々よく解らないことがある。あなたの英語のように…」と笑いながら云ったのです。私は長く文法嫌いだった上に、会話の勉強も中年以後という晩稲(おくて)でしたから、妙な構文や新語を捏造したりしがちなのは十分自覚しています。しかし、上のペラペラの女性まで完璧でなかったというのは驚きでした。 結局、30年も40年もアメリカで暮らしていたって完璧な英語など習得出来ないということです。ネイティヴ・スピーカーの伴侶がいてもです。まあ、大学などで英語だけ研究していればどうか知りませんが、ただ暮らしているだけではペラペラにはなっても絶対ネイティヴ・スピーカー同然にはなれないという実例です。 読者の皆さんはこれを逆に考えればいいと思います。どうせ完璧にはなれないのです。40年現地でやってたって駄目なのです。だったら、最初から完璧さは望まないことです。言葉は意見を交換する道具に過ぎないので、自分の意志が表明出来、相手の意図が読み取れればいい…と割り切るべきです。40年こっちで暮らしてたって意味不明のことを喋ってしまうのですから、まだ修行中のあなたが間違うのは当然なのです。 どうです?気が楽になりませんか? 【後記】「じゃあ、こんな『英語の冒険』なんてもう読まなくてもいいんだ」と帰り支度をされている方、ちょ、一寸待って下さい。ここにはアメリカでの誤解やトラブルを避けるための教訓が詰まっています。スムーズなコミュニケーションを図るためには、私の記事もお役に立つのです。どうか座り直して下さい。 「白人」という場合、"Caucasian"(コウケイジャン)と云うと、「黒」に対しての「白」ではないので、差別的でないニュアンスになります。しかし、"white people"や"black people"という云い方も、普通に使われています。 「黒人」の一番いい表現は"African American"ですが、日常会話ではこれは滅多に聞かれません。公式的な云い方なのでしょう。口語では"black people"が普通です。"Negro"(ニグロウ)は一部の英和辞典では《軽蔑語》とされていますが、Martin Luther King Jr. (キング牧師)も使っていますので、そうひどい言葉ではないようです。ま、当人たちが使う場合には何でも許されるのは事実ですが:-)。 アメリカの先住民族はインディアンですが、"American Indian"と呼ぶ方が誤解を生じません。では、インド人は…というと、"Indian Indian"です。馬鹿らしく聞こえますが、これが正しいのです。 東京の西麻布に住んでいた頃、カミさんと表参道の方へよく自転車で行きました。南青山の根津美術館の向かい側に古美術の店があります。カミさんは高いものは買わない(買えない)のですが、見るのは好きですから、こういう店にはよく入ります。 ある時、店番はアルバイトとおぼしき女子大生でした。彼女は私にも挨拶しましたが、本命はカミさんであると断定したようで、カミさんについて歩きます。その女子大生のカミさんの英語への返答は非常に綺麗で流暢なのものでした。アンティークを売りつけるというより、巧みに話題を転がして自分のことやカミさんの出身地などに触れて行きます。 古美術に興味のない私は「早く、話を終えて出ようよ」と待っていたのですが、なかなか終わりませんでした。その女子大生の時給は大した額ではないのでしょうが、彼女はお金を貰いながら英会話の実習をしていたことになります。古美術店なんて滅多に混みませんから、ガイジンが来ればゆっくり話が出来ます。かなり頭のいい方法だと思いました。 「あるクリスマス・カード」では学習の悪い態度を紹介しましたが、これはいい例です。 私が英語の本を読む時は、極力辞書を引かないようにします。一々単語で躓いていると先へ進めませんし、面倒くさくなって読み続ける気力を失うことを恐れるからです。ある単語が二度以上続けざまに現われ、その文章を理解するためのキイ・ワードらしいとなった場合にだけ辞書を引きます。同じことは会話でも起ります。 話し相手から、聞いたこともあり読んだこともある言葉が出て来たが、実はハッキリと意味を知らないという場合。非常にポピュラーな単語なので意味を聞くのも恥ずかしいと思ったりすると、向こうはこちらが100%理解していると考えてどんどん話を進めます。その単語が脇道の話で使われたのなら問題無いのですが、本筋で何度も出て来ると困ってしまいます。早めに「その言葉の意味が解らない」と云ってしまえばいいのですが、かなり後だと「今頃何を云ってるんだ。ずっとこっちの話が通じてなかったのか!」と呆れられてしまいます。ひいてはこちらの理解力全般が信用を失う恐れがあります。《キイ・ワードだと思ったら、恥を忍んで早めに聞く》というのが正しい方法です。もし、無知だと思われるのが癪な場合は、「失礼。私の理解では○○という単語は□□という意味だと思うが、間違いないか?」と聞くというテもあります。これなら多少恰好がつくというものです。どうせこちらにとっては外国語なのですから、100%解るわけがないのです。 オーストラリアの砂漠地帯で道を聞いたことがあります。「この道は○○(場所名)に"access"(アクセス)出来るだろうか?」と尋ねました。相手は原住民アボリジニではなく白人です。しかし、どうも通じない。同行のディレクターが「"access"なんて言葉使っても通じないんだよ」と云いました。"access"はコンピュータ用語でもありますが、普通の英語でもあるんですけどねえ。英語を話す人間にも解らない英語があるのなら、我々に解らない言葉があって当然です。 まだ日本に住んでいた頃の話です。早期退職してアメリカ移住の準備段階だったのですが、折りに触れNHK外郭団体に雇われ、短期間の仕事をいくつかこなしていました。その一つで、あるノーベル賞受賞者を取材するため、カナダとアメリカで取材することになりました。 取材班の構成は外郭団体のディレクター(NHKで地方の局長まで勤めて退職した人)と音声兼照明の若者、それに私(撮影)の三人でした。我々はカナダでアメリカ人のコーディネーターと合流しました。「コーディネーター」とは、日英両方の言語がペラペラで、最適の取材地や人物をリサーチしたり、取材先のアポイントメントを取ったり、ホテルや飛行機の予約もしたり、インタヴューの通訳をしたり、後日その翻訳をしたり、車の運転もするという、いわば何でも屋です。NHKも民放も、こういう現地コーディネーターに頼らずに仕事をすることは出来ません。一般のディレクターが以上のような全てをこなすことは出来ないからです。最近はコーディネーターと云うより、リサーチャーと呼ばれることが多いようです。こういう日本のマスコミ相手の職業は日本人(主に女性)が多いのですが、この時の我々のコーディネーターはまだ30前のアメリカ女性Jane(ジェイン)でした。 彼女は明るく気さくな感じで、私にとっての第一印象はいいものでした。音声兼照明の若者とJaneと三人でカナダの町を散策しながら、その夜食事をする店を物色しました。私が食事について何か云った時、Janeが"Picky, picky."とからかうような調子で云いました。私はそれを聞き流しました。"picky"は「選り好みが激しい」、「こうるさい」という意味で、いずれにしても批判的な言葉です。からかうように云われたとしても批判されたことに変わりはありません。聞き流さないと、私は噛みつくか喧嘩を始めなくてはならないところでした。まあ、食事については、日本国内でも外国でもしょっちゅう旅をしているカメラマンが"picky"であることは間違いありません。そういう認識もあったので、私は敢えて反駁しなかったのですが、どうやらJaneは私が"picky"という言葉の意味を知らないと判断し、私を甘く見始めたような結果となりました。 Janeが我が儘で、雇い主である我々日本人クルーを馬鹿にしているような出来事が展開されました。アメリカのある町で、彼女は「私の友人が推薦したレストランへ行こう」と我々を案内し、二日も続けてイタリア料理を食べさせようとしたのが、その一例。私は猛反対し、「毎日の食事はヴァライエティが大事だ」と主張しました。 番組の主人公であるノーベル賞受賞者と一緒に食事をしました。食事が済み、支払いも済んだところで、ディレクターが「Jane、領収書を貰って頂戴」と頼みました。Janeは「請求書の下にある総額を書いた切れっ端で十分ではないか」と云います。「うちの会社(NHK外郭団体の一つ)ではあれじゃ認めて貰えないんだ。経理がうるさいんだよ。頼むから、領収書を貰って!」年齢から云えばJaneのお祖父さんに当たるような人が頼んでいるのです。Janeは「私からNHKへの会計報告も、あの切れっ端で済んでいます。ここのマネージャーは忙しい筈だから請求書をコピーしてサインする時間などないでしょう。切れっ端で問題ありませんよ」と云い、動きません。ディレクターは「NHKはいいかも知れないが外郭団体は違うんだ。お願いしますよ!」手を合わせて頼みます。ノーベル賞受賞者の前で、一行の責任者が小娘に憐れな嘆願を繰り返します。私は見ていられませんでした。退職した以上、私はNHKの序列とは無関係とは云え、ディレクターは先輩ではあるし、局長経験者です。「じゃ、私が貰って来ましょう」と席を立ちました。すると、Janeが「待って!私が行きます!」と、彼女も立ち上がりました。多分、カメラマンに交渉事をやられては自分の立場がないと思ったのでしょう。当たり前ですが、領収書はちゃんと貰えました。 ある大学を撮影することになり、私は最初の日から「大学全体を見下ろせる塔に上がる許可を取ってほしい」とJaneに頼んでいました。ところが三日経っても許可が得られたという報告がないので、私が直接事務局に頼みに行きました。Janeは「自分で出来るんなら勝手にやりゃいいじゃないの」とでも云うように事務局には入って来ず、外で待っていました。許可は簡単に下りました。この件は、彼女のサボタージュ(妨害行為)としか思えませんでした。 私は彼女が"picky"と云った時に、すぐそれに反応しなかったことを後悔しました。あの時、彼女が私を侮れない存在として認識すれば、その後彼女の言動も変わったのかも知れないのです。あの時点で、彼女が私を見くびったことが、その後の一連の出来事を生じさせたような気がします。 全ての取材を終えた我々の最終取材地はNew Yorkでした。NHKのNew Yorkのお偉方と食事をすることになったのですが、そこへJaneも同席しました。彼女がいなければ、「何ですか、あの女!」と云いたいところでしたが、彼女がいてはそうも云えません。私は彼女の行動力、取材力について賛辞を呈しました。偉いさんはJaneとかなり親しい人物だったようで、単純に喜びました。私と彼女のいきさつを知っているディレクターと音声兼照明の若者が口をあんぐりさせていたのは云うまでもありません。 若者(あるいは目下の人物)を先に年配者(上役)に紹介する、あるいは歳は若くてもVIPなら(例えば首相や大臣、重役等なら)年配者をそのVIPに紹介するのは世界共通の常識です。 自分の友人ベティをスミス夫人に紹介する場合、"Mrs. Smith, I'd like you to meet my friend, Betty. Betty, this is Mrs. Smith."となります。 英語に関するマナーの本(日本産)で、「目の前にいる人物をheとかsheで言及するのは失礼なので、必ず名前で呼ぶこと」と書いてあるものがありました。例えば、先ほどの例を続けると、"Mrs. Smith, she is a nurse."(スミスさん、彼女は看護婦なんです)というたぐい。その本では「名前でなく、heやsheで言及すると、当人がその場にいないかのようなよそよそしい感じになる」と書かれていました。しかし、現実の場面ではheやsheによる言及も珍しいことではありません。 元高校英語教師Diane(ダイアン)に云わせると、紹介した直後は名前を何度も繰り返される方が、記憶するのに便利というメリットがあるそうです。ですから、heやsheでも悪くはないが、名前を印象づけるためには名前を連呼するのが親切ということのようですね。 日本語の「スマート」の意味の大半は「体型がすらりと理想的、あるいは服装が垢抜けている」という意味だと思います。では、本当の英語ではどうか? 『研究社英和中辞典』の"smart"の項には、先ず「(動作が)機敏な」とあり、次いで「賢い」と続き、「(服装など)身なりのきちんとした」は三番目です。 LDCEでは「(ブリティッシュ・イングリッシュで)外見がこざっぱりとスタイリッシュである」とあり、次いで「(特にアメリカ英語で)頭が切れる、賢い」となっています。 つまり、日本語の「スマート」はブリティッシュ・イングリッシュの影響大なんですね。同じLongmanでも'Longman: Dictionary of American English'を見ると、「頭が切れる、賢い」が主で、外見に関する意味はバッサリと落とされています。 なお、アメリカでの"smart"はいい意味ばかりではありません。「抜け目が無い」、「ずるがしこい」などという意味も含まれています。私の独断と偏見ですが、最近の黒人たちの多くは「スマートに身を処す」ことに長けているようです。些末なことに抜け目無く行動することが周囲から褒められたりして、当人も得意がって育ってしまう感じ。 例えば、銀行で小切手を書いて現金を引き出す場合、普通は備え付けの机で小切手に記入してから窓口へ移動するものですが、ある黒人の婦人はさっさと窓口へ直行し、そこで小切手を記入し始めました。私はその後ろで待たされ、イライラしてしまったものです。彼女は友人たちからは「賢い」と云われているのでしょうが、私の目には「ずるがしこい」と映ります。 もうネタが無くなりました。英語やアメリカ生活における疑問はまだまだありますが、解明出来ない疑問だけ投げ出しても何方の参考にもなりません。何とか解明出来た項目は、一応ここまでということにしたいと思います。 この『英語の冒険』サイトを始めた頃は、全部合わせて原稿のテキスト・ファイルがたった192KBでしたから、せいぜい一年で終えるつもりでした。七年も更新出来たのは自分でも驚異です。それだけ私が好奇心旺盛で、疑問点を解明しないと落ち着かない性格だからでしょうが。 カミさんのBarbara Wellsにも、元高校英語教師のDiane Reynoldsからも、何度も「あなたの疑問点なんて生まれてこのかた考えたこともなかった」と云われました。カミさんは私の疑問に答えられないと、答えられない自分自身に腹を立てていました。Dianeは素直に分らないことは「分らない。ごめんなさい」と謝りました。二人とも野心のかけらも無いようで、私の疑問点をメモすらしていませんでした。私の素朴な疑問の数々を列挙し、英語と日本語の発想の違い、アメリカ人と日本人の考え方の相違をまとめれば、一冊の本になってもいいところでした。ただただ呆れ果て、肩をすくめるだけだったのは勿体ない話です。 "Welcome!"で始めたサイトですから、最後は「さよなら」で終えるべきでしょう。 アトランタ五輪の時、"Hi y'all!"(ハイヨール)という挨拶が世界的にポピュラーになりました。"y'all"は"you all"の省略形で、アメリカ南部の方言の一つです。"you all"ですから、これは複数の人々への挨拶でなければなりません。ところが、"Hi y'all!"が南部風挨拶の定番だと誤解した人々は、一人の相手にまで"Hi y'all!"を連発。外国人ばかりか、なんと南部以外のアメリカ人たちまで使い方を間違えていたそうです。単数の"you"は南部では"ya"になるので、"Hi ya!"(ハイヤ)とならなくてはなりません。 で、私から皆様への「さよなら」は、もうお分かりですね。"Bye y'all!" 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