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公開:1963年
監督:George Roy Hill
地域:ルイジアナ州ニューオーリンズ
出演:Dean Martin、Geraldine Page、Yvette Mimieux、Wendy Hiller、Gene Tierneyほか
範疇:戯曲の映画化/オールドミスの姉妹とその不肖の弟/弟の結婚/弟を独占したがる姉の嫉妬/不倫疑惑
私の評価 : ☆
【Part 1】
1960年の演劇批評家賞を得たLillian Hellman(リリアン・ヘルマン)の原作戯曲、'Butch Cassidy and the Sundance Kid'『明日に向かって撃て!』(1969)、'The Sting'『スティング』 (1973)などのGeorge Roy Hill(ジョージ・ロイ・ヒル)が監督、加えて錚々たる演技陣と来れば期待は高まりばかりの一本です。
大恐慌時代のルイジアナ州ニュー・オーリンズ。オールドミスのGeraldine Page(ジェラルディン・ペイジ)は、やはりオールドミスの姉Wendy Hiller(ウェンディ・ヒラー)と一緒に住んでいる。二階建ての家は広いが古く、冷蔵庫も氷を利用するタイプの小さいものである。この家の親の代から続く月賦はまだ払い終えていない。姉妹の夢は二人でヨーロッパ旅行をすることだが、それはいつも云い出されては立ち消えになっていた。
二人には出来損ないの弟Dean Martin(ディーン・マーティン)がいた。彼は色んな商売に手を出しては失敗して、姉妹の家にしょぼんと戻って来るのが常であった。そんな弟を溺愛している姉妹(特に妹の方のGeraldine Page)は、弟の失敗の度になけなしの金を与えていた。
そのDean Martinが突如帰って来た。最近結婚した若く世間知らずの娘Yvette Mimieux(イヴェット・ミミュー)を連れて。Dean Martinは「靴工場は倒産したが、うまく立ち回って金はしこたまあるんだ」と鼻をうごめかす。彼は姉妹に新品のドレスや帽子をプレゼントする。さらに、姉妹のヨーロッパ旅行のチケットも渡す。そこへ運送屋が大型の冷蔵庫とGeraldine Pageの役名が書かれたピアノまで運んで来る。
姉妹は呆気に取られるばかり。Dean Martinは$150,000(現在の$100万ドルに相当)の現金を胸ポケットから取り出して見せ、「もう貧乏とはおさらばだ。この家の借家代も一挙に払ってしまったから、もう姉さんたちのものだ」と云う。おまけに、姉妹をヨーロッパに出すため、彼女たちの勤め先に退職届けまで出して来たと云い、姉妹を驚かせる。どういう風に大金をせしめたのかは説明しないので、姉妹は困惑しっ放しである。そこへDean Martinに電話がかかって来て、彼は二階でこそこそと会話する。夫の浮気を疑っているYvette Mimieuxが、一階の電話を使ってやりとりを盗み聞きしようとするが、夫に感づかれてたしなめられる。
Dean Martinが女性たちをフレンチ・クォーターのナイト・クラブに招待し、シャンペインとキャビアで再会を祝す。彼がバンドに曲のリクエストをしに行った隙に、Geraldine PageがYvette Mimieuxに「一体、どうやって金を得たの?」と聞くが、Yvette Mimieuxにも分からない。「彼、シカゴで知り合った女性からお金を借りたことがあって、ここでもその女性に会ってるんで、そのセンかも」と、彼女が昨夜一人歩きした時に目撃した夫の行動を話す。Dean MartinはGeraldine Pageの好きな曲でダンスをしようとするが、弟の態度に落ち着かない思いの彼女は拒絶する。Wendy Hillerが「もう家に帰ろう」と云い、女性たちはタクシーに乗る。Dean Martinは「おれは残る」と云って去り、彼の不倫を疑うYvette Mimieuxもタクシーを下りてバーボン・ストリートで夫を尾行するが、いつしか彼を見失ってしまう。
Yvette Mimieuxは市内に住む母親Gene Tierney(ジーン・ティアニィ)の家に行く。母親は娘に$5,000をプレゼントするが、娘は「夫は大金を持ってるから要らない」と、受け取らない。Yvette Mimieuxは「夫に女がいるみたいなの。前にシカゴで会っているのを見て、今度はここでも見たの」と母に打ち明け、しくしく泣く。母親は「ただ女と話してるだけなら、問題ないじゃない」と云う。
その頃、Dean Martinはニューオーリンズ・ジャズを演奏するクラブで、謎の女性と落ち合っている。女性は怯えており、「気をつけて!」とDean Martinに云う。二人は翌日喫茶店で会う約束をする。
翌朝、姉のWendy Hillerがヨーロッパ行きのためのアイロンがけをしている。Geraldine Pageは「(弟の身に)何かトラブルがありそうで、旅行に出る気になんかなれないわ」と外出する。
謎の女の家では、夫が妻の毎夜の外出に腹を立てていて、今夜のパーティにドジったら許さん。いいな?」と云い放つ。
朝方、母親Gene Tierneyとその黒人のお抱え運転手Frank Silvera(フランク・シルヴェラ)と共に、Yvette Mimieuxが姉妹の家に戻って来る。Dean MartinがGene Tierneyに大金を見せびらかし、「もう誰も怖くない」と云う。彼の口ぶりから、Gene Tierneyは、彼が土地売買に関する秘密情報を得ていると推理する。Frank Silveraが、「彼(Dean Martin)の以前のガールフレンドは不動産業者の妻だ」と云う。Gene Tierneyは「その女から秘密情報を得てるのね?でも、あなた、なぜその女のことを知ってるの?」と聞く。Frank Silveraは「彼女は私の従妹なんだ(黒人の血が混じっているという言外の意味がある)」と云うので、Gene Tierneyが「彼女の夫はそれを知ってるの?」と聞くと、Frank Silveraは首を横に振り「従妹は夫から逃げたがってる。彼が大金を得たのは彼女が漏らした土地情報からだろう」と云う。その話をGeraldine Pageが蔭で聞いていた…。
この後、映画は家族関係の破局へと向かって急発進します。弟Dean Martinを近親相姦に近い感情で愛しているGeraldine Pageは、弟とYvette Mimieuxの結婚に嫉妬しており、「あんたは弟と寝たがっていたでしょ」と責める姉Wendy Hillerをも憎み始め、不動産業者に彼の妻に関する情報(黒人の血が混じっていること)を与えるべくYvette Mimieuxを唆します。急転直下、裏切り、暴力、殺人、口論、憎悪、別離などが現出します。
Dean Martinが看板の一枚目なのは客寄せのためじゃないかと思うほど、これは女優のための戯曲のようです。特にGeraldine Pageが、表情も台詞回しも緩急自在、エキセントリックで我がままな中年女性を見事に演じ切っています(彼女は南部に近いミズーリ州の生まれなので、南部訛りもお手の物です)。
ただし、私がこの映画に満足したかというと、そうではありません。
映画は夜のフレンチ・クォーターの描写で始まりますが、'A Streetcar Named Desire'『欲望という名の電車』(1951)を模倣したようなけだるい音楽がかぶさります。「日本」というと「ジャーン!」と銅鑼が鳴るとか、琴の音を聞かせるのに似たクリシェ(常套手段)でうんざりします。そう云えば、Geraldine Pageの役も熱演も、『欲望という名の電車』の女主人公Blanche DuBois(ブランシュ・デュボア)の向こうを張っている感じがします。
原作戯曲はニューオーリンズ生まれの劇作家Lillian Hellman(1905 〜1984)が、親しい作家Dashiell Hammett (ダシール・ハメット、1931 - 1961、映画『マルタの鷹』の原作が有名)からアイデアを得て書いたものだそうです。彼女がニューオーリンズ生まれだというのが信じられないのは、Dean Martinが四六時中$150,000入りの封筒を背広の内ポケットに入れて歩き廻っていること。ニューオーリンズは(特に夜のフレンチ・クォーターやバーボン・ストリートなどは)危ない街として有名です。大恐慌時代で飢えた野郎共がうろうろしているとなれば、なおさら危険です。Dean Martinはことあるごとに、その封筒から金を出して人々にばらまきます。ニューオーリンズに、こんな馬鹿な男がいるとは思えません。
Dean Martinが靴工場の社長だったようには見えませんが、会社がつぶれた後でも金持ちになりたい人間には見えます。数々の女出入りが過去にあり、現在も浮気を疑われる男としては適役でしょう。舞台の初演ではJason Robards(ジェイスン・ロバーズ)がこの役を演じたそうですが、彼よりはDean Martinの方が似合っていると思います。
Dean Martinの妻Yvette Mimieuxの役も演技も馬鹿げています。まだ20代初めの若さなのに、何もすることがなく、ホテルでもTVを見ているだけ。ひたすら夫がかまってくれるのを待っているという人物。こんな若い女性がいるでしょうか?若いから世間知らずで、それと知らずに夫を危険な状況に追い込んでしまう役には好都合でしょうが、紙人形のように薄っぺらです。
映画のイントロでYvette Mimieuxは夜のニューオーリンズをうろつきます。女一人で暗い裏通りを歩いたりします。これは脚本家のミスでしょうが、こんな危険な行動をする女性はニューオーリンズにはいないと思います。いるように見えたとすればオカマに違いありません。
Geraldine Pageが動とすれば、姉役のWendy Hillerは静の演技です。渋い芝居なのですが、じわじわとその良さが伝わって来ます。幕切れ近くの、Geraldine Pageの偽善を咎める目つきと、怒り狂って殴った妻Yvette Mimieuxを探しに行くという弟を励ます麗しい表情が素晴らしい。
しかし、この物語はMarlon Brando(マーロン・ブランド)演ずる労務者とその妻、およびオールドミスBlanche DuBoisの三人を描いた『欲望という名の電車』に、女二人に男一人という構成もそっくりです。発表・初演当時の演劇批評家賞を得たとはいえ、最近の批評家たちからは、この戯曲のテーマはTennessee Williams(テネシー・ウィリアムズ)の題材そっくりであるという批判を受けています。
白黒撮影は『欲望という名の電車』ほどコントラストが強くなく、軟い画調です。可もなく不可もありません。期待した監督George Roy Hillの腕も冴えません。調べると、彼は前作'Period of Adjustment'(1962)が劇場映画第一作で、それ以前はTVシリーズばかり手がけていたようです。まだ彼の才能の開花以前の時期だったと思われます。
映画のエンディングは戯曲とは異なるようですが、ここでもDean Martinが先に退場し、次いでWendy Hillerが退場、最後にGeraldine Pageが階段に突っ伏して泣き崩れるという、どう見てもGeraldine Pageが主役の映画のように仕立て上げられています。
原題'Toys in the Attic'は直訳すれば「屋根裏部屋のおもちゃ」ですが、本当の意味は「狂気」だそうです。なぜそうなるのかは不明。
この映画は日本では劇場未公開でしたが、TV放映はされました。その邦題『欲望の家』って、一体どこからひねり出したんでしょう(内容と全く無関係)。これまた『欲望という名の電車』のイタダキではありませんか。
ここまで書いたところで、当市の図書館に原作戯曲を印刷した本があることが判りました。で、Part 2では、戯曲と映画の比較をしつつ、この映画の再評価をしたいと思います。
(July 21, 2012)
Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.
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