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公開:1974
監督:Robert Altman
地域:ミシシッピ州
出演:Keith Carradine、Shelley Duvall、John Schuck、Bert Remsen、Louise Fletcher、Ann Lathamほか
範疇:原作もの/リメイク/銀行強盗/ロマンス/殺人/脱獄幇助
私の評価 :☆
【Part 1】
Nicholas Ray(ニコラス・レイ)脚本・監督で'They Live by Night'『夜の人々』(1948)として映画化された小説のリメイク。
大恐慌時代の1936年、ミシシッピ州。重罪犯刑務所から三人の模範囚が脱走する。23歳の殺人犯Keith Carradine(キース・キャラダイン)、初老で足の悪い銀行強盗リーダーBert Remsen(バート・レムサン)、中年の銀行強盗で荒っぽいJohn Schuck(ジョン・シャック)だった。
彼らはJohn Schuckの親戚Tom Skerritt(トム・スケリット)を頼って州南西部の田舎へ隠れる。Keith CarradineはJohn Schuckの従妹Shelley Duvall(シェリィ・デュヴァル)と打ち解ける。三人は近くの町で銀行を襲い、ミシシッピ州中部の町へ移動し、リーダーBert Remsenの弟(受刑中)の家に行き、弟の妻の厄介になる。新聞には三人のことがデカデカと出ており、“生死に関わらず”一人につき$100の賞金がかけられていることを知る。
三人は一時鳴りをひそめることにする。リーダーBert Remsenは弟の家に住んでいる遠縁の娘Ann Latham(アン・レイサム)に惚れ込み、二人でニューオーリンズへ行くという。Keith CarradineとJohn Schuckは二台の車で親戚Tom Skerrittの家に向う。途中、カーラジオの周波数調整に気を取られたKeith Carradineが他の車にぶつかり、肋骨を折り鼻血を出す。大慌てでKeith Carradineを助けて逃げようとしたJohn Schuckの前に警官が二人立ち塞がり、John Schuckは二人を射ち殺す。
Shelley DuvallがKeith Carradineを介抱し、いつしか二人は互いが好きになり、何度も何度もセックスする。二人は山の中の一軒家を買い、移り住む。やがて、他の二人と約束した再会の日が近づく。三人はリーダーBert Remsenの弟の家で落ち合う。Bert Remsenは遠縁の娘と結婚していた。彼は「弟の嫁に"motel"(モテル)を買ってやった。おれたちの隠れ家にもなるし」と云う。三人の次のターゲットはYazoo City(ヤズー市)の小さな銀行だった…。
単に強盗の繰り返しでなく、捕まって刑務所に戻された仲間を救い出すというような、信じられないような挿話も出て来ます。
可笑しいのは、似たような銀行強盗の映画『俺たちに明日はない』(1967)の原題が'Bonnie and Clyde'(ボニーとクライド)と主人公の男女の名前の組み合わせだったのに、邦題は全く異なるものに変えられ、こちら'Thieves Like Us'(俺たちみたいな泥棒)の邦題が『ボウイ&キーチ』と男女の名前に変えられていることです。Bowie(ボウイ)はKeith Carradineの役名で、Keechie(キーチ)は彼のガールフレンドShelley Duvallの役名。キーチは最後まで銀行強盗には参加しませんから、この映画の邦題があたかも男女二人組の銀行強盗の物語のように思わせるのはどうか?と思います。
監督Robert Altman(ロバート・アルトマン)としては大ヒット'MASH'『M*A*S*H マッシュ』(1970) の四年後、'Nashville'『ナッシュビル』(1975)の一年前で、油の乗り切った時期ということになります。彼もこの映画の共同脚本家の一人ですが、最後のシーンを除けば原作小説にかなり忠実なシナリオになっているそうです。
当時25歳のKeith Carradineは、フィルムの保存状態とDVDのしっとりした色再現にも助けられているでしょうが、若く血色も良くて水も滴るような男に見えます。
Shelley Duvallは、この映画以前はTV女優でしたが、夫がこの映画のプロデューサーだったこともあり、監督Robert Altmanがテストしてみる気になったようです。彼女の田舎娘らしい風貌とそれにマッチした愛らしい表現は“はまり役”と云っていいでしょう。この後、同じRobert Altman監督の'Popeye'『ポパイ』(1980)で、彼女はOlive Oyl(オリーヴ・オイル)を演じました。これまた“はまり役”。
上記二人に加え、強盗仲間を演じたBert Remsen(俳優だったが、足を悪くしてからキャスティング・ディレクターになっていたのを、また画面に引っ張り出した)とJohn SchuckもRobert Altman作品の常連です。黒澤一家みたいなもんですね。
監督Robert Altmanの言葉によれば、この映画の話を持ちかけた際、カメラマンたちは一様に「ミシシッピ?オエーっ!」と云ったそうです。それで、そうした偏見のないフランス人カメラマンと組むことにしたとか。確かにFogフィルターか紗幕をレンズ前に当てたようなソフトな画面が多いのは、フランス流の撮影ということかも知れません。
この映画のユニークな点は数々ありますが、先ずラジオ放送の音声がのべたら使われることです。監督によれば、この時代はラジオ全盛だったことを象徴しているのだそうです。人物が退屈しているシーンではお硬い番組がかぶさり、強盗のシーンにはギャング・ドラマ、ラヴ・シーンには『ロミオとジュリエット』の朗読という具合。ルーズヴェルト大統領や宗教家の演説も出て来ます。家のラジオやカー・ラジオがある場面で聞かれるだけでなく、ラジオが無いようなところで聞かれる場合もあります(銀行強盗の場面など)。純粋な音楽も出て来ますが、どれもラジオから流れる30年代のレコード。私の勘定では最低17種類のラジオ放送が出て来ます。つまり、ラジオの音声が劇伴の代わりなので、この映画には音楽担当とか作曲家というクレジットは出て来ません。
もう一つユニークなのはコカコーラの洪水です。この当時コークはヒット商品で全国を席巻していて、かっこいい飲み物の代表だったそうです。主な登場人物ではKeith Carradineが二本コークを飲み、Shelley Duvallが六本飲みます。Ann Lathamが一本。Louise Fletcherがグラスに注いで一杯。コーク一本と云っても1カットで飲むわけではなく、一本を飲んでいるカットが数カット連続することもありますから、以上の場面だけでも相当なカット数になります。これだけではありません。コカコーラ宣伝車が子供たちの群れに無料でコークを配る場面、コークは飲まないけど店のコークのクーラー(冷蔵庫)を開け閉めする場面、家屋に打ち付けられたコークの金属製看板、刑務所の看板の両脇にまでコークの宣伝。駅で列車を待つ子供たちの手にもコーク。呆れます。まさに“洪水”。最近の映画ならコカコーラ社とのタイアップで宣伝料を貰うところでしょうが、この映画ではクレディット・タイトルにコカコーラ社への謝辞はありません。
タバコを吸う登場人物も多く、Shelley Duvallが四回、Louise Fletcherが三回、Ann Lathamが一回となっています。コークほどではありませんが。
ラジオにしろコークにしろ、1930年代のアメリカで暮らした人には懐かしいでしょうが、そういう経験のない私には何も響きません。監督の独り相撲に思えてしまいます。
オール・ロケで撮られたそうで、カメラを動かさず定点観測のように一場面を1カットで撮っているシーンがいくつかあります。冒険ですが、破綻してはいません。凄いというほどでもありませんが。
(June 08, 2007)
Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.
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