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公開:1937
監督:Mervyn LeRoy
地域:ジョージア州
出演:Claude Rains、Gloria Dickson、Edward Norris、Lana Turner、Elisha Cook Jr.ほか
範疇:実話に基づく映画/原作もの/法廷もの/冤罪/南部の偏見
私の評価 :☆
【Part 1】
これは実話に基づいた極めてユニークな映画です。南北戦争の傷を引きずって、北部人に対する南部人の遺恨が今なお(当時)根強いという事実をあからさまに描いています。そのため、南部ではこの映画を上映しない都市が多かったそうです。
南部のどこか(となっているが、実はジョージア州アトランタが実話の場所)。ニューヨークのウォール街に勤めていて同僚の南部女性と結婚し、一緒に南部へやって来たEdward Norris(エドワード・ノリス)は、秘書志望の若い女性が多く詰めかけるビジネス・スクール(秘書養成校)の教授だった。生徒の中の一人Lana Turner(ラナ・ターナー)は紳士的な彼を慕っていた。
その日はMemorial Day(戦没者追悼記念日)で役所は休業、ビジネス・スクールも半ドンの筈だったが、北部のMemorial Dayは一ヶ月先だし南部の慣例に疎い教授Edward Norrisは何も知らずに授業を続けていた。校長がやって来て授業終了を宣言し、彼の無知に皮肉を云う。女生徒たちが彼を笑い物にしたので、Edward Norrisは傷つく。Lana Turnerだけが笑わなかった。
午後、Lana Turnerと女友達は喫茶店でお喋りしていた。お勘定をしようとしたLana Turnerが、コンパクト(化粧道具)を学校に忘れて来たことに気付く。彼女はMemorial Dayのパレードが続く目抜き通りを歩いて学校の教室に向かう。
パレードの中で、町のお歴々が紹介される。知事夫妻、そして政界への野望を持つ地方検事Claude Rains(クロード・レインズ)など。
教授Edward Norrisはしばらく教員室で答案のチェックをしていた。学校の地下室で休憩していた黒人掃除夫Clinton Rosemond(クリントン・ローズモンド)は、誰かがエレヴェーターのボタンを押したので急いでエレヴェーターを一階に上げるが、既に足音は上階に消えていた。
Lana TurnerのボーイフレンドElisha Cook Jr.(エリシャ・クック・ジュニア)が、待ち合わせ場所のビジネス・スクールにやって来る。黒人掃除夫Clinton Rosemondが「学校は終わりだ」と云い、丁度出て来た教授Edward Norrisは「今日はMemorial Dayだ。南部人のくせに知らないのか」とヤケになって云う。彼はパレードを見物し、床屋へ寄って帰宅する。
夜間、掃除夫Clinton Rosemondはエレベーター・シャフトの底に投げ入れられたLana Turnerの死体を発見して、警察に通報する。駆けつけた警官たちに、黒人掃除夫は「俺がやったんじゃない」を繰り返すが重要参考人として逮捕される。
地方検事Claude Rainsは、この事件解決を人気取りの材料にして政界進出を図ろうと、自分自身が事件を担当することにする。青年Elisha Cook Jr.が「学校の入り口で教授Edward Norrisを見た」と証言し、同級生の女生徒は「Lana Turnerは教授Edward Norrisに首ったけだった」と語る。Edward Norrisが北部から来た他所者であることを知った検事Claude Rainsは、血祭りにあげるに最適の餌食を得たとニンマリする。
検事が差し向けた刑事たちが教授Edward Norrisを拘束に行くと、いくつかの不幸な偶然が彼を陥れることになった。南部人の偏見に満ちた扱いに腹を立てていたEdward Norrisは、シカゴの学校への就職を打診する手紙を手にしていた。これはシカゴへの逃亡計画とみなされた。丁度、クリーニング屋が上着を届けに来て、「血のような染みは取れなかった」と詫びる。これはLana Turner殺害時の血痕とみなされた(実は床屋のカミソリによる出血だった)。
この事件とEdward Norris逮捕の報は北部のマスコミをも賑わした。「南部の偏見」を攻撃する論調も多く、北部から私立探偵や弁護士が町へ来ることになり、“南北戦争”の再現とさえ噂されることになった…。
この後は、長い法廷シーンの連続となります。北部の弁護士が「みなまで云わず陪審員の理解力に委ねる」というソフィスティケートされたメソッドなのに対し、Claude Rainsの地方検事は「これでもか、これでもか」という感じで押しまくる論法。多分、南部の陪審員たちにはこちらの方が受けたでしょう。そういう、田舎の検事で政治の世界に野心があり、そのためには無実の人間を踏み台にすることも厭わないという役を、Claude Rainsはうまく演じています。
Lana Turnerは、それまではチョイ役ばかりでしたが、新鮮な女性を探していた製作者たちの目に止まり、この映画で初めて大役にありつきました。それでも合計しても十分程度の登場でしかないのですが、監督のMervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)は「Lana Turnerの役はこの物語にセクシーなインパクトを導入する重要なものだった。彼女はこれがセックスが原因の殺人に見えるようにしなければならなかった。お分かりだろうが、我々の脚本には“レイプ”という文字は一切ない。当時はそんな言葉は使えなかったのだ。Lana Turnerの容姿は、我々が云えないことを充分観客に伝えてくれるだろうと期待できた」と云っています。確かに、タイトなセーターの中でぷりんぷりんと揺れる若い胸はその期待に応えるもので、母親と一緒に映画館へ行ったLana Turnerは、この場面での観客の口笛やどよめきに赤面したと伝えられています。
Lana Turnerとデイトする筈だった青年Elisha Cook Jr.は、後の'Shane'『シェーン』(1953) でJack Palance(ジャック・パランス)に無造作に撃たれる農夫の役が有名です。この映画製作時には彼は34歳だった筈ですが、メークの助けでかなり若い役を演じおおせています。
「この物語はフィクションであり…」とメイン・タイトルの前に字幕が出ますが、実際には1913年にアトランタで起った事件がモデルで、その事件を取材した記者の本'Death in the Deep South '(深南部の死)を土台にしています。鉛筆工場で働いていた17歳の少女Mary Phagan(メアリ・ファガン)が殺された事件で、Leo Frank(リオ・フランク)という北部から流れて来たユダヤ人が有罪とされ、暴徒のリンチに遭ったものです。
この原題の由来ですが、南北戦争従軍経験者の老人の一人が「今は五人生き残っているが、全員死んでしまうともう皆戦争のことを忘れてしまうだろう」と云うのに対し、「うんにゃ、誰も忘れはしないさ(They won't forget.)」と応じます。その通り、“戦後派”も北部へ恨みを忘れず偏見に満ち満ちているというアイロニーです。
Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.
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