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The Cincinnati Kid

『シンシナティ・キッド』


[Poster]


・原題をクリックするとamazon.comのInternet Movie Databaseの詳細データが見られます。邦題をクリックすると「allcinema」のデータが見られます。

・Part 2は普段は隠れていて、クリックするとJavaScriptによるウィンドウにて表示されます。取り扱いには十分お気をつけ下さい。

公開:1965
監督:Norman Jewison
地域:ルイジアナ州ニューオーリンズ
出演:Steve McQueen、Edward G. Robinson、Ann-Margret、Karl Malden、Tuesday Weldほか
範疇:原作もの/ギャンブル/ポーカー/トップ対決/イカサマ

私の評価 :☆

【Part 1】

1930〜38年頃のルイジアナ州ニューオーリンズ。Steve McQueen(スティーヴ・マックウィーン)はプロのギャンブラーでスタッド・ポーカーの名手。ただ、まだ知る人ぞ知るという存在で、彼は正体を知られずに場末で稼ぐことも出来た。

Steve McQueenは田舎娘のTuesday Weld(チューズデイ・ウェルド)と同棲しているが、結婚の話を切り出すでもなく、ギャンブルのことばかり考えていて、彼女が何をしようと関知しない。Tuesday Weldにはそれが我慢ならない。彼女の遊び相手はディーラーKarl Malden(カール・モールデン)の妻Ann-Margret(アン・マーグレット)だった。Ann-Margretはジグソー・パズルの一片を鋏で切って無理矢理嵌めてしまうような勝手な女。Karl Maldenは「インチキしちゃいけない。自分を騙すような人間は敗者だ」と説教するが、妻は取り合わない。

ニューオーリンズに真のポーカー名人Edward G. Robinson(エドワード・G・ロビンスン)がやって来た。Steve McQueenの友人で真っ当なカード・ディーラーとして信頼されているKarl MaldenがEdward G. Robinsonと成金ヤクザのRip Torn(リップ・トーン)とのポーカー試合をお膳立てする。

Karl MaldenはEdward G. RobinsonにSteve McQueenとの勝負を勧める。Steve McQueenの噂を聞いていたEdward G. Robinsonは承諾する。この日大負けしたヤクザRip Tornは、自宅にKarl Maldenを呼びつける。この男は自宅の室内に射撃練習場を持っているような金持ちで、射撃も上手い。彼はEdward G. Robinsonに負けた腹いせに、Karl Maldenを脅してSteve McQueenに無理矢理勝たせ、その賭けで儲けようと目論む。Karl Maldenは「イカサマは出来ない」と拒むが、成功報酬の大金と「Ann-Margretの恥ずべき過去を触れ回ってもいいのか?」という脅しに屈する。

Steve McQueenは大勝負までの数日を一人で待つのが辛く、Tuesday Weldの田舎へ会いに行く。彼女の両親は冷たくよそよそしい。Tuesday Weldが「カードのトリックを見せて上げて」と云い、彼が両親の抜いた札を見事に当てると、それまでの氷のような雰囲気が一瞬にして融け去る。

いよいよ勝負の日。Edward G. RobinsonとSteve McQueenの他に、白人二人、黒人一人がテーブルに加わる。ディーラー(配り手)はKarl Maldenだが、彼の休憩時のために女性ディーラーJoan Blondell(ジョーン・ブロンデル)もスタンバイしている。

先ずSteve McQueenが大金をせしめ、白人の一人がすってんてんになって脱落する。休憩時、Edward G. RobinsonはSteve McQueenは「キミの名はニューヨーク,シカゴ、マイアミにも届いている。この結果がどうあれ、いい友達になりたいものだ」と云い、Steve McQueenも同意する。

夜が明け、残る白人一人と黒人も敗退し、Edward G. RobinsonとSteve McQueenの一騎打ちとなる。

勝負の行方が定まらぬ頃、突如Steve McQueenは休憩を希望する。不審に思って彼を追って来たKarl Maldenに、Steve McQueenは「イカサマはするな。おれは実力で勝ちたいんだ」と宣言する。Karl Maldenは釈明するが、聞き入れて貰えない。一眠りしようとするSteve McQueenの部屋にAnn-Margretがやって来て鍵をかけ、ベッドに入り込む。Steve McQueenは拒むが「まだ私の亭主が恐いの?」という言葉に、黙ってAnn-Margretを引き寄せる。しばらくしてドアがノックされ、開けるとTuesday Weldが立っていた。Ann-MargretもSteve McQueenもバツの悪い思いをする。

ゲームが再開される。Steve McQueenは、Karl Maldenに代わって女性ディーラーJoan Blondellを希望する。ヤクザのRip Tornはイカサマが出来なくなるので慌て、Steve McQueenを脅しにかかる…。

後に'In the Heat of the Night'『夜の大捜査線』(1967)や'The Thomas Crown Affair'『華麗なる賭け』(1968) を作ることになる監督Norman Jewison(ノーマン・ジュイスン)は、この一作までは主にTV映画を作っていました。この'The Cincinnati Kid'『シンシナティ・キッド』のヒットによって引き続き劇場映画製作を担当出来るようになったのです。

しかし、この企画も最初からNorman Jewisonに廻って来たわけではなく、Sam Peckinpah(サム・ペキンパー)が着手していた仕事だったそうです。Sam Peckinpahは「ヨーロッパ向けに、エキストラの一人をヌードにしよう」と云っていたそうですが、実際にはアメリカ版でもヌードを見せるつもりでいたことが発覚し、プロデューサーから降ろされてしまいました。そのエキストラとは、まだ当時TV出演が多かったSharon Tate(シャロン・テイト)でした。

DVDのコメンタリーによれば、Norman Jewisonにはほとんど準備期間が与えられず、いきなり撮影に入ったような感じだったそうです。冒頭、Steve McQueenが歩いているとニューオーリンズ・スタイルのディキシーランド・ジャズによる賑やかな葬送に出会います。Norman Jewisonによれば「物語の舞台はどこか、開巻早々はっきりと提示しなければいけない」という信念で、実際には脚本になかった葬送と黒人たちの陽気な街頭での踊りを取り入れたのだそうです。これは大成功だと思います。特にメインが密室みたいな場所で行なわれるカード・ゲームですから、その対比としても屋外の風景は重要です。この映画では、ほかにミシシッピ川の無料フェリー、Tuesday Weldの両親の農場周辺の田園風景などが含まれています。屋外ではありませんが、Steve McQueenのアパート近くの素人のディキシーランド・ジャズの演奏も聞き物ですし、珍しい闘鶏のディテール(闘いをうっとりと見つめるAnn-Margretがセクシー)も描かれています。

Edward G. Robinsonは豪華ホテルでニューオーリンズ名物の生牡蠣をルーム・サーヴィスで食べ、「うーん、もう少しタバスコが欲しいね」などと云います。生牡蠣にはケチャップ、摩ったニンニク、摩った生姜、わさびなどのどれかを加えて食べますが、タバスコを入れるテがあったんですね。今度試してみようっと:-)。

Edward G. Robinsonは貫禄もあり、同時にフレンドリーでもあるという役を大過なく果たしていますが、実はこの役はSpencer Tracy(スペンサー・トレイシー)が演ずる予定だったということを知ると、いささか物足りなく思えてしまいます。もちろん、これはEdward G. Robinsonのせいではありません。しかし、過去の役柄でヤクザを演じて来たEdward G. Robinsonには、クサい臭いがしみついています。そういう臭いがなく、どちらかと云えば頭脳派っぽいSpencer TracyだったらSteve McQueenとの対決がもっと興味深かったろうと思えてしまうのです。彼が出演出来なかったのは健康上の理由だったそうです。残念です。(でも、私の脳内ではSpencer TracyとSteve McQueenの対戦が見えていますけどね)

(February 23, 2007)


【闘鶏について】

この映画に出て来る闘鶏ですが、他の州で開催がどんどん廃止に追い込まれ、現在残っているルイジアナ州でも風前の灯火だそうです。以下は2007年4月10日の当市の新聞に掲載されたAPの記事を参考にしました。

廃止の原因はアメリカの動物愛護委員会みたいな組織による抗議。アメリカの闘鶏は、鶏の足に鋭利な剃刀の刃のようなものを付け、蹴り合いは切り合いとなり血みどろの凄まじい喧嘩になるのだそうです。で、どちらかが死ぬまで続けるという残酷なゲーム。

ニューオーリンズの闘鶏はニューオーリンズから西へ120マイル(約190キロ)離れた町の倉庫で毎週土曜の夜に開かれ、年に数回はチャンピオン大会があるとのこと。毎夜、倉庫のゴミ箱は死んだ鶏で一杯になるそうです。

もちろん、主催者は「これは伝統であるし、無害だ」と存続を希望しているのですが、ルイジアナ州としては政府と連邦議会にまだまだハリケーン後遺症の支援を要請しなくてはならず、「まだ野蛮なゲームをやってるのか」と悪印象を与えるのはまずいという視点で自粛したいようです。

現在でも「闘鶏は許されているが、それによるギャンブルは禁止されている」そうで、闘鶏場で行なわれている賭けは主催者とは無関係となっています。事実、賭けた人が何人も逮捕されているようです。なお、ルイジアナ州全体でギャンブルが禁じられているのではなく、ニューオーリンズ市内にもカジノがあるように、定められた場所でのみ許されているわけです。

(April 10, 2007)


【追記】

アメリカ本土において闘鶏が許されていた最後の地ルイジアナ州で、ついに2008年8月15日に闘鶏禁止法が施行され、違反者には最高$1,000の罰金と六ヶ月の懲役が課せられることになりました(刑は初犯の場合であり、繰り返せばもっと重くなるようです)。

ただし、アメリカの飛び地であるプエルトリコ、サモア、グアムでは闘鶏は違法ではなく、お隣のメキシコやフィリピンその他の国々では闘鶏は人気のある催しなので、闘鶏が地上から消えたわけではありません。

(August 11, 2008)



Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.
なおIMDbはamazon.com、「allcinema」は株式会社スティングレイの登録商標です。




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