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The Birth of a Nation

『國民の創生』


[Poster]


・原題をクリックするとamazon.comのInternet Movie Databaseの詳細データが見られます。邦題をクリックすると「allcinema」のデータが見られます。

・Part 2は普段は隠れていて、クリックするとJavaScriptによるウィンドウにて表示されます。取り扱いには十分お気をつけ下さい。

公開:1915
監督:D.W. Griffith
地域:サウス・キャロライナ州
出演:Lillian Gish、Henry B. Walthall、Ralph Lewis、Miriam Cooper、Mae Marshほか
範疇:無声映画/原作もの/歴史劇/南北戦争/ロマンス/K.K.K.

私の評価 :☆☆

【Part 1】

1860年(南北戦争直前)。二つの家族が紹介される。一つは南部サウス・キャロライナ州ピードモントの農園主Cameron(キャメロン)家である。両親と長男Henry B. Walthall(ヘンリィ・ウォルソール)を初めとする三兄弟、長女Miriam Cooper(ミリアム・クーパー)、次女Mae Marsh(メエ・マーシュ)の姉妹という七人家族。もう一つは北部ワシントン・DCの政治家Stoneman(ストーンマン)家で、長女Lillian Gish(リリアン・ギッシュ)と長男Elmer Clifton(エルマー・クリフトン)とその弟がいた。

長男同士が大学の同期生で仲良しだったため、ある日Stoneman家の兄弟が南部のCameron家を訪れる。北部の若者Elmer Cliftonは南部娘Miriam Cooperを見初め、南部青年Henry B. Walthallは北部娘Lillian Gishの写真を見て「これぞ我が恋人」と思い焦がれる。

風雲急を告げ、北部の兄弟は慌ただしく帰郷する。彼等の父Ralph Lewis(ラルフ・ルイス)は奴隷制度反対、平等主義を掲げる急進的な政治家だった。リンカーン大統領が義勇兵を募り、兄弟も戦場に赴く。南部の三兄弟も志願兵となり、家族に別れを告げる。

二年半後、激戦地で南部の末弟と北部の末弟が相まみえる。言葉を交わす暇も無く、二人は銃弾に倒れる。南部の長男Henry B. Walthallは勇敢に部下を率いて北軍を撃退しようと努める。しかし、彼も負傷し、北部の長男Elmer Cliftonの腕の中で気絶する。この闘いで北部の次男も戦死する。

病院に送られたHenry B. Walthallは、看護婦として働いていたLillian Gishの看護を受ける。彼女は弟から「くれぐれも友人の面倒を見てくれ」という手紙を貰っていたのだった。写真だけで恋い焦がれていた当の相手に巡り会え、Henry B. Walthallは感激する。見舞いに訪れて来た母は息子の無事に安堵するが、間もなくスパイ容疑で絞首刑になると聞き、リンカーンに涙ながらに直訴し、幸運にも息子の特赦を得る。

戦争は終った。Stoneman家の家長であり政治家のRalph Lewisは、「南軍のリーダー達は縛り首、南部の土地は全て没収せよ」とリンカーン大統領に迫るが、リンカーンは平和裡にことを運ぶ方針を変えない。その彼はフォード劇場で観劇中に暗殺され、残ったRalph Lewisが絶大な権力を得て「南部の白人を黒人にひざまずかせる」政策へと乗り出す…。

…と、ここまでが第一部。'Gone With the Wind'『風と共に去りぬ』(1939)が後に真似したように(?)、「南部の再建」が第二部の主題です。『風と共に去りぬ』と徹底的に違うのは、急進的な政治家Ralph Lewisに後押しされた黒人たちが議会を牛耳り、わが物顔に振舞うにつれ白人たちが追い詰められ、それがK.K.K.の誕生を促し、以後黒人勢力とK.K.K.の争いが続くことです。

この映画がなぜ歴史的に評価されているのか?それはひとえに監督D.W. Griffith(D.W.グリフィス)の映像的センスおよび編集の手腕が、それまでの映画と一線を画したからです。『國民の創生』以前の映画は、「舞台劇をフィルムにしただけ」という感じのワンシーン・ワンカット主義でカメラ・ポジションも変えず、舞台劇の観客が舞台を観ているように撮っていました。しかし、D.W. Griffithは早いテンポでカメラ・ポジション、カメラ・アングルを変え、サイズもパノラマ的大ロングやクロースアップを交ぜて変化をつけ、"cross-cutting"(日本では「カットバック」)と呼ばれる、別々の場所の出来事を交互に織り交ぜる編集技法を創始するなど、数々のユニークな映像的発明をしました。これらはその後の映画製作に大きな影響を与え、今では映画でもTVでも当り前のように使われています。そうした技法の生みの親D.W. Griffithのショー・ケース、いわば“近代映画の創生”として評価されているわけです。

カメラを動かすパン、ティルト、移動ショットや画面にマスクをかけたり、マスクへのフェード・イン、フェード・アウトなども彼の発明と云われていますが、これらはさほど上手く行っていません。特にマスクは適当に紙を破いてレンズにかぶせたかの如きいい加減なものもあり、汚い印象を与えます。

フィルムでは175分のものがあるそうですが、私が観たヴィデオ版は154分ものです。どちらにしても、1915年当時こんな長い映画は珍しかったそうです。元は無声映画ですが、ヴィデオはオーケストラ演奏の劇伴つき。なお、登場する黒人たちのうち重要な役は全て白人が顔を黒く塗って演じています。

数行に及ぶ英語字幕を読み切るのは厄介です。ずっと前にトライした時は、字幕になると一時停止しなければならず、とても映画を観ている雰囲気ではないと鑑賞を断念しました。今回は英語字幕のほとんどを採録した粗筋を入手し、それを二度ほど読んでから鑑賞しました。映画鑑賞法としては邪道ですが、ひっきりなしに一時停止するのも邪道ですから、どちらかと云えばスムーズに観られた今回の方法がベターだと思っています。

実際の南北戦争が終って50年後、『風と共に去りぬ』の24年前の映画です。それを思うと、大会戦や群衆シーンなど、まるでドキュメンタリー・フィルムのように撮れていて、確かに当時としては群を抜いていたであろうことが解ります。

(February 04, 2002)


Poster shown above is a courtesy of Nostalgia Factory.
なおIMDbはamazon.com、「allcinema ONLINE」は株式会社スティングレイの登録商標です。




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