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【年表】 公民権運動にまつわる主な出来事 ● イントロダクション私は「アメリカ映画“南部もの”大全集」というウェブ・サイトで、200本以上の南部関連の映画を紹介しています。特に印象的なものに、1950〜1960年代の黒人たちの公民権運動を描いたいくつかの映画があります。憲法では黒人にも投票権があり、公共施設利用などには何の制限もなかったはずです。しかし、それは文字の上だけのことで、人種差別意識の強い南部諸州では以前と何一つ変わりませんでした。選挙権を登録に行けば、白人は無試験なのに黒人にだけ難しい試験を課され、理由の説明もなく落第にされました。バスの座席、食堂やトイレも黒人専用しか利用出来ませんでした。学校も厳然と分れていて、黒人は公共図書館でさえ入れませんでした。これらは全て憲法違反だったのですが、南部にはK.K.K.などの暴力的白人至上主義者が多く、政治家達も黒人の問題は見て見ぬふりをしていたのです。白人と同じ国旗に忠誠を誓い、国のために戦地で白人と生死を共にし、白人と同じ率の税金を払っていながら、こういう差別をされてはたまったものではありません。 現在、そうした目に見える差別はなくなっていますが、この状態に到達するまでには多くの犠牲者を出した必死の運動がありました。大人ばかりでなく、学生、時には少年少女たちまでも巻き込んだ運動でしたが、多くの場合差別的白人たちの暴力がその答えでした。キング牧師やSCLC(南部キリスト教指導者会議)、SNCC(非暴力学生委員会)などの指導により、黒人たちは武器なき闘いを継続。先ず、教育機関(学校)の差別廃止、バス、食堂などの差別廃止を求め、次第に黒人の投票権獲得運動へと発展しました。これらはどれをとっても指導者層、活動家、庶民にとって非常に勇気のいる運動でした。法律の支援を勝ち取っても、それが実現するかどうかは黒人たちが歴史的一歩を踏み出すかどうかにかかっていました。その歩みは映画ばかりでなく、当事者たちが記録した本にもなっていて、どれもが感動的です。 アラバマ州Montgomery(モンガメリ)の市内に、公民権運動の主な事件と犠牲になった人々の名を刻んだ記念碑があります。犠牲者は1955年に始まり1968年のキング牧師まで40人です。事件や名前の上を水が流れる水盤のようなデザイン。デザイナーはWashington D.C.のヴィエトナム戦没者慰霊碑も手がけたMaya Lin(マヤ・リン)。全40人の犠牲者を州別に数えてみると、ミシシッピ州18人がトップで、二番目がアラバマ州の13人でした。犠牲者には他の州からのサポーターたちも含まれていますので、純粋に州出身の人間ばかりではありません。しかし、二州合わせて全体の77.5%というのは、どれだけミシシッピとアラバマの人種差別が激しかったかを物語っています。私が訪れた日、黒人女性が孫娘とおぼしき少女を連れて来て、犠牲者の名を書き取らせていました。夏休みの自由研究だったのでしょう。戸惑い気味の表情から察するに、少女にはそれらの名前の重みと彼等に負う現在の恩恵が感じ取れなかったようでした。それでもなお、私は黒人女性がここへ少女を連れて来た意図に感銘を受けました。 その慰霊碑に刻まれた事件と場所を全て再訪するのは大変ですが、私の住むミシシッピ州を中心として、可能な限りカヴァーしてみたいと願っています。 ● 公民権運動にまつわる主な出来事
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