’Swing Like a Pro'
by Dr. Ralph Mann and Fred Griffin (Broadway Books, 1998)
「これはポンプ&ゴーという練習法で、これには二つの重要な目標がある。
第一に、ダウンスイング開始と同時に腰と下半身をターゲット側に『移動&回転』させる動きを上達させること。
次にダンスウィングの初期に、身体の右サイドを正しく前方(ターゲット方向)そして下方へと動かすこと。
このドリルをマスターすれば、ボールに向かって正しいインサイドからの軌道でクラブを進めることも同時に身につく。
【ポンプ&ゴー・ドリル】
・通常のアドレスをする。
・トップへとスウィングする。
・切り返す。
・手が腰の上になった時、急停止する。
・トップへと逆戻りする。
・再び手が腰の上になるまで下ろして急停止。【=ポンプの動き】
・またトップへと逆戻りする。
・三度目となって初めてボールを打つ(ゴー!)。
このポンプのアクションは、手首のコックを早期にほどいてしまう悪癖をも退治してくれる。
ボールを打つ前に、ポンプ・アクションを二回繰り返すことを忘れないように。ポンプするにつれ、右肩が下方に動き、腰はオープンに左へと動くことを確認せよ。クラブはターゲットラインのインサイドからボールに接近する。この感覚は普通にボールを打つ時にエンジョイ出来るものだ」
(January 01, 2025)
ジムに行かなくても、ダンベルを買わなくても前腕を鍛えられます。非常に簡単なのでTVを見ながらでも可能。
【これは以前紹介したことがあるtipなのですが、説明図抜きだったので解りにくかったと思います。今回は改稿しアニメを添えてお届けします】
この本はインストラクターの組織であるPGAの中の、GolfTec(ゴルフテック)というグループが'Golf Magazine'誌と提携して出版したもの。『30日でパープレイを目指すプラン』という趣旨なのですが、私は沢山詰まったTipと情報の本として読んでいます。
'Golf Magazine's The Par Plan'
Powered by golfTec (Time Home Entertainment Inc., 2013, $29.95)
「バンカーで脚を過剰に動かすと正確なショットが出来ない。ゆえに脚の機敏な動きに頼れないため、パワー不足の身体部品である腕・手首・手に頼ることになる。だがバンカーショットのためにフィットネス・クラブに通ってダンベルで汗を流さなくとも、自宅で前腕を鍛えることは可能である。強い前腕はパワフルな手首のアクションに繋がり、砂の中でのエクスプロージョンを助けてくれる。
簡単に前腕を鍛えるには、一本の腕だけでクラブを握り、クラブヘッドが右を向いてシャフトが地面と平行になるように突き出して保持する。身体の他の部分は動かさず、ゆっくり前腕を左に回転させ、シャフトが左を向いて地面と平行になるようにする。
これを十回繰り返す。終わったら、今度は別の腕で十回。
一本のクラブでへいちゃらになったら、クラブを二本にして同じことをする」
上の記事はバンカー主体に書かれていますが、これは紛れもなくsnap(スナップ)の動作そのものですから、継続すればドライヴァーの飛距離が増すことも期待出来るでしょう。
これを練習用の短く重いクラブでやると、室内でも場所を取らず安全に出来ます。かなりヘヴィですが…。
【参考】「スナップで飛ばす」(12/10)
(January 01, 2025)
●スナップ・パワー増強運動
これは前に「前腕の鍛え方」として掲載した運動ですが、元々バンカー・ショットのための運動だったので、下半身の動作は完全に無視されていました。
前の記事の内容をお忘れの方に説明しますと、これはインパクトの瞬間にsnap(スナップ)という動きを使って飛距離を増やすことが期待出来る鍛錬です。普通はコック、アンコックという手首の垂直の動きが飛距離のパワーを生むと説明されるのですが、スナップはコック、アンコックとは違って手首を水平に弾くパワーを使います。コック、アンコックに加えてスナップの動きという二つの相乗効果なら、飛距離が伸びないはずがないというものです。
私は腕の鍛錬だけでなく下半身も一緒に参加させるべきだと思いました。右図のように右手一本で持ったクラブを右に廻しながら、同時に左踵を少し浮かす。右爪先で地面を蹴りながらクラブを左に廻す。一定数繰り返したら、クラブを左手に持ち替えて同じ運動をする。
左右の手どちらの場合も、飛行線後方に引くことよりもインパクトでスナップする動きに焦点を合わせますが、それを下半身と同期させることが重要です。
私は室内で練習用の短く重いクラブを使い、右手往復50回、左手往復50回反復します。下肢の動きも加えることによって腕の動作と下半身の動きが連動します。この連携動作を身につけておけば、手打ちは絶滅危惧種となることでしょう。飛距離もおまけでついて来てくれればウシシです^^。
ある日のラウンド、私はショット前に(クラブを両手で持ち)上の運動のように2〜3度両足を連動させることをプレショット・ルーティンとして実施し、その後でボールを打つことにしました。No.6(346ヤード)パー5では三打目を狙った通りピン傍1.5メートルにパー・オンさせることが出来、バーディを射止めました。スナップが効いたかどうかは判りませんが、下半身がリードする教科書通りのスウィングによって正確に打てたのは間違いありません。
(February 01, 2025)
●ショットへの不吉な予言をするべからず
スポーツ心理学者Dr. Joe Parent(ジョー・ペアレント博士)執筆のメンタルtips集より。
'Golf: The Art of the Mental Game' 「心理学的には、恐れは過度に懸命にコントロールし続けようという反応を引き起こす。もしフェアウェイを外すことを恐れると、あまりにも注意深くおどおどしてしまう。われわれはショットの舵を取ろうとしながらぎごちないスウィングをし、その結果ボールはラフへと向かってしまう。これは自分自身で予言を実現したと云える結果である。 肉体的には恐れはある種の身体的反応を引き起こす。血液は大きな筋肉へと流れてしまうので、手の感覚は弱まり脳はお粗末な決定を下すことになる。アドレナリンが勝手に流れるので、われわれは焦って苛立ったように行動する。 恐怖の悪影響はスウィングする間に筋肉を引き締めることだ。まずいスウィングをしてひどい結果を招くことを恐れるあまり、最後の瞬間に自暴自棄になる。このパニック状態はギクシャクした突発的な動きとなって実体化する。パットにおける"yips"のように、ストロークしたいのだが同時にストロークを拒否するような金縛りの状態である。 この状態への処方は、最も自信のあるプレイをし、起こり得る結果を前もって受容し、不安が我々の能力を妨げることのないようプロセスに充分に専念することだ」 |
(March 20, 2025)
●知られざるBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)その2
毎年四月となればマスターズ、マスターズとくればその創始者Bobby Jonesが思い起こされます。
Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、1902〜1971)は1930年に全英アマ、全英オープン、全米オープン、全米アマの四つのメイジャー・トーナメントに優勝しました。この快挙はグランド・スラムと呼ばれ、Bobby Jones以前も以後も誰一人達成したことのない記録です。
現在では優秀なゴルファーはみな若くしてプロになってしまうので、上のように一年間に全米アマと全英アマの両方に優勝する人はいません。
そして、現在のメイジャーは全英オープン、全米オープン、PGA選手権、マスターズの四つとなっています。これら全部に優勝したプロは何人かいますが、カレンダーにおける一年以内ではなく復数の年にまたがっています。この場合はキャリア(生涯)グランドスラムと呼ばれて区別されます。
グランド・スラムという言葉は、元々はトランプ(カード・ゲーム)のコントラクト・ブリッジの凄い勝ち方を指したのですが、いつの間にか様々なスポーツの華々しい成果について云われるようになりました。
'Bobby Jones and the Quest for the Grand Slam'
by Catherine M. Lewis (Triumph Books, 2005, $34.95)
最近、「グランドスラム達成75周年記念」と銘打たれた上記の本を入手しました(20年前の出版です)。Bobby Jonesのゴルフについては当人も本を出版し、多くのライターたちも沢山の本を出しています。しかし、この本は著者が彼の遺族や出身大学、博物館などから集めた珍しい写真の数々と、これまで書かれていなかった様々な事実を教えてくれます。
私が知りたかったのは、Bobby Jonesは道楽息子のように親父の脛をかじってゴルフ三昧の生活をしていたのだろうか?というものでした。なぜなら、彼は足掛け10年の間に三つの大学に通い、その間もゴルフ・トーナメントに出ていたからです。
ゴルファーでもあった父親が親馬鹿で一人息子を経済的にサポートしていたのは間違いないでしょう。なにしろ、父親は弁護士でしたしクライアントの一つはアトランタに本社がある大企業コカ・コーラだったのですから。経済的には息子のための学費とゴルフ・トーナメントのための旅行や滞在費、エントリー・フィーなどを出すぐらいは何ともなかったと思われます。
Bobby Jonesは1918年(16歳)から四年間ジョージア工科大学で機械工学を学び、その後の二年間ハーヴァード大学で英文学を学んでいます。
彼は16歳の1916年からメイジャー・トーナメントに挑戦しましたが、10年間は優勝出来ませんでした。やっと優勝出来たのは21歳の1923年の全米オープンでした。
人々は「プロになるのか?」と彼に尋ねましたが、彼にそんな気はありませんでした。この当時、アマチュアは紳士としてクラブハウスに自由に出入り出来、ロッカー・ルームも使えましたが、プロというのはゴルフ場に所属するレッスン・プロであり、クラブハウスには入れないワン・ランク下の身分だったのです。優勝賞金も現在のように莫大ではありませんでした。金持ちの御曹司で何不自由なくゴルフ出来たBobby Jonesにプロになる理由などなかったのです。
ちなみに1930年の全米オープンの優勝賞金は$1,000、全英オープンの優勝賞金は£100でした(約$500)。時代の差はあるとしても、現在の感覚からすると信じられないほどの少額です。後述の彼の映画出演料と較べてみれば分かります。
1924年に22歳でハーヴァード大を卒業後、結婚したBobby Jonesは二年ほど不動産会社に勤めます。しかし、不動産売買は一生の仕事ではないと見切りをつけ、1926年にアトランタにあるEmory University(エモリィ大学)で法律を勉強します。二年目の1928年に司法試験に受かったため(頭が良かったのです)、その時点で卒業し、父親が属していた法律事務所の一員となりました。ただし、彼は自分は法廷弁護士には向いていないと考え、事務弁護士として民事や契約などを主にする仕事に携わることにしました。
1930年、全英アマ、全英オープン、全米オープンと連勝してグランドスラムに王手をかけた最後のメイジャーは、ペンシルヴェイニア州のMerion(メリオン)で開催された全米アマ。最終日の観客数、この日の午前は9,000人でしたが、午後には倍の18,000人と膨れ上がりました。この大会のチケット収入は$55,319でした。その30数年後の1964年の全米アマのチケット収入がたった$17,261だったそうですから、いかにBobby Jonesの動員力が凄かったかが分かります。
Bobby Jonesは1930年のグランドスラム達成後直ちに引退を表明しましたが、私の想像ではそれ以前から映画会社ワーナー・ブラザースから打診を受けていたと思います。翌1931年に、劇場で本編上映前に映写する14分程度の短編映画'How I Play Golf' というシリーズ全12本を$100,000+興収のパーセンテージで出演する契約をし、ハリウッドの有名俳優たち(無料出演)と共演しました。これが好評だったため、二年後の1933年に続編'How to Break 90'という六本シリーズへの出演を$60,000で契約しました。
また、クラブメーカーSpalding(スポールディング)はBobby Jonesを副社長として迎え、彼が設計し、彼の名を冠したクラブセットを販売しました。この際、工科大学で学んだ機械工学の知識が役に立ったことと思われます。41年間に計15モデル、約200万セットが売れたそうです。
1942年、太平洋戦争勃発と同時にBobby Jonesも陸軍に身を投じました。前線でドンパチする兵隊ではなく、捕虜を尋問する訓練を受けた情報部門でした。戦争の後半英国に送られ、『史上最大の作戦』で有名なノルマンディ上陸作戦の翌日、彼自身もノルマンディに上陸したそうです。戦争終了後、二年経って除隊しました。
彼はビジネスにも才があり、30人の他の出資者と共同で南米や世界各地にコカ・コーラのボトリング会社を作って儲けました。父が亡くなってからはコカ・コーラの法律顧問も引き継ぎました。
Bobby Jonesは生前四冊の本を出版しています。これにはハーヴァード大で学んだ英文学の教養が役立ったことでしょう。
・’Down the Fairway' (1927)【1927年(25歳)までの自伝】
・’Golf is my Game' (1961)【マスターズの思い出を含む59歳の時の自伝】
・'Bobby Jones on Golf' (1966)【様々な雑誌に書いた記事の集大成】
・'The Basic Golf Swing' (1969) 【画家Anthony Ravielliと共著のゴルフ・スウィング図解】
没後に発見された分解写真(1933年撮影)を元にBen Crenshaw(ベン・クレンショー)が解説した小型本もあります。これも素晴らしい本です。
'Classic Instruction' (1998, The American Golfer, $25.00)
短編映画全16本を一枚のDVDにまとめたものも出ています。【右の写真】
【参考】
・「Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(パート1)(tips_200.html)
・「Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(パート2)(同上)
・「Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(完結篇)(同上)
・「知られざるBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)」(tips_210.html)
(April 01, 2025)
●スコアを減らすためのシグナルに注意せよ
'The Par Plan'
powered by GolfTec
edited by David DeNunzio (Time Home Entertainment Inc., 2013, $29.95)
「真剣にスコアを減らしたいと考えているのなら、先ずプロ・ショップでヤーデージ・ブックを仕入れるべきだ。それがあなたの道しるべとなる。それを見ながら、コース内で次のような信号を読み取る。
・黄信号:パー5
パー5は3オン・2パットのホールとして考え、2オンさせてイーグルを得ようなどと考えないこと。
2007年のマスターズでZach Johnson(ザック・ジョンスン)は全てのパー5を刻み、どのホールでも三打目に75ヤード残した。この作戦は功を奏し、16のうち11ホールでバーディを記録し、二打差で優勝したのだった。
・青信号:中央のピン位置
グリーンの中央にピンが配置されていればピンをデッドに狙ってよい。
・赤信号:攻めにくいピン配置
グリーンの隅とかバンカー近くにピンがある場合、危険を冒して果敢に攻めたりせず、グリーン中央を狙え。ピン傍に寄せたい欲望は誰にでもあり、それに抗するのは難しい。しかし、スコア作りが念頭にあるなら、攻撃精神はピンが中央にある時のためにキープしておくべきだ。
・赤信号:フェアウェイ・バンカー
アマチュアの多くがフェアウェイ・バンカーに入れるとボギーにしやすい。ヤーデージブックでティーからフェアウェイ・バンカー手前の端から奥の端までの距離を計算する。バンカー奥の端があなたのドライヴァーの飛距離より遠い場合、危険を避けてフェアウェイ・バンカー手前の端よりも短いショットをすべきだ。これはとりわけパー5で重要である。
・青信号:得意技
正確にドライヴァーが打てるなら短いパー4でハザードを気にせず攻めてよい。
もしバンカー・ショットが得意なら、バンカー近くのピンに寄せる試みをしてもいい。
逆に不得意なショットを避けるべくプレイする方針を忘れてはならない。スライス気味のドライヴァーを打つ人は、右にトラブルが待っているホールでは3ウッドに替えるのが賢明だ。
《自分のヤーデージを知れ》
青信号で攻めるにせよ赤信号で刻むにせよ、その作戦はどのクラブでどれだけ飛ぶのかを知っている時だけ役立つ。
もし自分の各クラブの飛距離を知らないのであれば、練習施設で午後いっぱいを費やすべきだ。どのクラブもキャリー(ランを含めない)を知ることが大事。特にドライヴァー。
一本のクラブで10個のボールを打ち、平均のキャリーの距離を得る。あなたは自分の想定と実際の違いに驚くことだろう。
パターでも同じことをする。異なるストローク幅でどれだけの距離を転がるかを測定する。
《チッピングに関する注意》
グリーンを外し、短いピッチやチップをしなければならない場合、必ずボールをピンの下で止めるようにする。チップインやピン傍に寄せようとする大胆さを忘れよ。そういう幸運に恵まれることは稀にしかないし、下りのパットをミスする確率は巨大だからだ」
(April 20, 2025)
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