Golf Tips Vol. 170

Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)の師弟関係

Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、1902〜1971)はStewart Maiden(スチュアート・メイデン、1986〜1948)の弟子と云われていて、Jack Nicklaus(ジャック・ニクラス)を11歳の頃から個人レッスンで手塩にかけたクラブ・プロJack Grout(ジャック・グラウト)と似たような師弟関係だと思っていました。Bobby JonesもJack Nicklausも裕福な家の息子でしたからね。ところが、Bobby Jonesの自伝を読むと全く違うんです。驚きました。

[Bobby]

'Down The Fairway'
by Robert T. Jones, Jr. and O.B. Keeler (Minton, Balch & Company, 1927)

5歳の頃のBobby Jonesは余り丈夫でなかった。ジョージア州アトランタの弁護士だった父と母は、夏の間East Lake G.C.(イースト・レイクG.C.)の傍の家に住み、夫婦でゴルフを始めた。子供はコースに出られなかったので、Bobby Jonesと近所の友達は家の周りに二ホールの私設ホールを作り、行ったり来たりしてゴルフ・ゲームで遊んだ。秋になると一家はアトランタに戻り、Bobby Jonesは大好きな野球に復帰した。

翌年(1908年、6歳)の夏、また一家はEast Lake G.C.の家に移った。その頃、スコットランドのCanoustie(カヌースティ)生まれのStewart Maiden(スチュアート・メイデン)がEast Lake G.C.のクラブ・プロに就任した。以下はBobby Jonesの回想。

「Stewart Maidenがクラブ・プロになったことは、私のゴルフ人生で最も幸運なことであった。East Lake G.C.はCanoustie出身のプロを雇うことを伝統にしていて、彼で三人目だった。

しかし、Stewart Maidenその人はさしてセンセーショナルではなかった。彼は口数が少なかったし、私には彼が語る単語の一つすら理解出来なかった。彼はスコットランドを離れて間がなかったからだ【編註:スコットランド訛りがきつかった】。私は、最初彼が話せないのじゃないかと訝ったものだった。

何も興奮するものはなかった、私が初めてゴルフ・ボールを打った時に優る興奮は。Stewart Maidenは、只の小柄なスコットランド人に過ぎなかった。だが、私はほどなくして、East Lake G.C.でプレイする彼の後をついて歩き、彼のスウィングを見守るようになる。

私の両親は頻繁にプレイするようになっていて、私は一本のクラブを手にボールを打ちながら彼らの後をついて廻った。その頃の私のクラブは母のブラッシーを短くしたもの、父のお古のマッシー、そして私が他のショットやパットに用いるクリークであった。それら全部を持って両親のプレイについて廻るわけにはいかなかった。

私がStewart Maidenについて廻る時は、クラブを一本も持たなかった。私は彼のプレイを学ぼうとか、彼のようにプレイしたいとか意識していなかった。私はゴルフがとても好きだったし、Stewart MaidenはEast Lake G.C.で一番のゴルファーだったから、彼のプレイを見るのが好きだったのだ。彼は私に無関心だった。私は彼のマッチ・プレイの四つか五つのホールにくっついて歩くと、No.13グリーンの横にあるコース所有のコテージの一つである我が家に戻り、古いボールとマッシーとパターを手にNo.13グリーンに出て行き、全てのボールをピッチし、パットし、それを何度も繰り返した。これはとてもいい練習だったと思う。

私はテニス、釣り、ハンティング、クレー射撃、ピンポン、チェス、ビリヤード、車の運転が好きだった。時にはゴルフを。この頃の私は学校へ行くのが嫌いだった(成人した今は学ぶのが大好きだが)。学校に行くのが耐えられないと、私は登校途中で足をびしょびしょに濡らして家に帰されるようにし、釣りやゴルフやテニスをした。たまたま父の外出が遅かった日、私の計略を父に見抜かれ、釣りはもちろん、池の傍に寄ることすらも禁じられた。だが、父が外出するや否や、私は釣りに出掛けた。私はそれまでで最大の魚を釣り上げ、興奮のあまり獲物を引き寄せる代わりに自分がじゃぶじゃぶ池に入ってしまい、ほとんど溺れそうになったところをボートハウスの係に助けられた。それは生涯でたった一度、父から折檻をされる原因となった。

Stewart Maidenのプレイを見守ることによって、多くの子供が何かを覚える時必要とする模倣能力によって、私の限界内ではあるが彼と同じようにボールを打ち始めた。父は私を生来の物真似師だと云い、ヴェランダに座る多くの人の前で、私にクラブ・メンバーのゴルフ・スウィングの真似をさせたほどだ。

1914年(12歳)になると、私は常時学校に通うようになっていた。テニスよりゴルフをすることが多くなり、ゴルフの方が上手くなれるのじゃないかと思っていた。しかし、トーナメントでは常時"second flight"(日本のBフライト)か"third flight"(同Cフライト)のレヴェルであり、優勝にはほど遠かった。

私はまだStewart Maidenのプレイを見守っていたが、彼のパフォーマンスに惹かれていただけで、彼をモデルに自分のゲームを改善しようというわけではなかった。一般に、Stewart Maidenは私の教師と称されていて、私が揺り籠から出るや否や彼が私にゴルフを教え始めたと思われている。これは全く間違いである。彼が私にゴルフ・レッスンを授けてくれたことなど、一度もない。私があるクラブの一本でスランプに陥った時、彼は何時間かコーチして(というか、多くの場合ガミガミ罵って)くれたことはある。私は彼のプレイを見守りながら私のゲームを獲得したのであり、猿のように無意識に模倣したのだ。私は正確に彼のスウィングをしながら成長した。

[Maiden and Jones]

私が15歳になり、背格好がStewart Maidenのようにずんぐりとなった頃のこと。私がアラバマ州バーミンガムのあるコースの練習ラウンドでNo.10をティー・オフした時、Stewart MaidenがCanoustieを離れて以来長い間一度も会っていないという男が、かなり離れたところで私の父と話していた。
「いつStewart Maidenはここに来たんだろう?」と男。
父はStewart Maidenはここに来ていないと云った。
「からかっちゃいけない。Stewart Maidenがたった今No.10から出てったじゃないか。私があのCanoustieスウィングを知らないとでも思ってるのかね」と男。
「とおっしゃっても、あれは私の息子のRob(ロブ)がスウィングしたのです」と父が云った。

【写真:前列左の黒ネクタイがStewart Maiden、その右の蝶ネクタイがBobby Jones】

Stewart Maidenは、Alexa Stirling(アレクサ・スターリング)【註】には彼女のゴルフ・キャリアの初めから指導した。だから、彼女もCanoustieスウィングである。彼女は、私よりももっとStewart Maidenのスウィングに近い。私は自分の身体の変化(彼より体重が増え、肩幅が広くなり、胸が厚くなった)に伴い、スウィングのいくつかのポイントを変更したからだ。

【編註】Alexa Stirling(1897〜1977)は、U.S.女子アマに第二次大戦を挟んで三年連続で優勝したトップ・アマの一人。

私はその後もStewart Maidenについて廻ったが、私の見る限り彼は私に無関心だった。時々私にtipをくれ、私が成長するにつれクラブ・セットを作ってくれはしたけれども。

1926年に全英オープンに優勝はしたものの、方向が定かでないアイアンに不満足だった私は、アトランタに戻るや否や、私のゴルフ・ドクターであるStewart Maidenに会い、悩みを打ち明けた。
「何発か打つのを見ようじゃないか」彼が云った。
私は何発か打った。彼は私の右サイドを見守っていたようだ。彼は口数の少ない男である。
「も少しスクウェアにしろ」と彼。
私は長い間僅かにオープン・スタンスで、右足と肩をターゲットラインに左よりも近づけていた。
「右足と肩を後ろに下げろ」と彼。
私は云われた通りにし、いわゆるスクウェア・スタンスをとった。「で、どうすりゃいいの?」と私が聞いた。
「ぶっ叩け!」Stewart Maidenが簡潔に云った。
打った。ボールは定規で描いた線のように真っ直ぐ飛んだ。
これがStewart Maidenの教え方である。この不完全かつ複雑な世界で、これ以上単純で、そのものずばりの指摘に出会えるとは思えない。彼は私のスウィングが、クラブをターゲットラインのアウトサイドからボールに向かわせるのを見たのだ。彼は説明や理論をぐだぐだ講釈しなかった(常にそうだ)。彼はたった一つの調整で問題を解決した。それは成功した。これはStewart Maidenの調整の最高の一つだった」

【おことわり】写真はphotos.usgamuseum.comにリンクして表示させて頂いています。

(April 03, 2016)

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン)のアルバトロス

1935年のthe Masters(マスターズ) No.15で、Gene Sarazen(ジーン・サラゼン、1902〜1999、当時33歳)は、パー5を2で上がるアルバトロス(ダブル・イーグル)を達成しました。

先ずは、それを目撃したBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、1902〜1971)が、Gene Sarazenの自伝に寄せた前書きの中のリポートをお読み下さい。その後で紹介する本人の話と多少食い違いがありますが、そのままにしておきます。

[Gene]

'Thirty Years of Championship Golf'
by Gene Sarazen with Herbert Warren Wind {Prentice-Hall, Inc.,1950)

「Gene Sarazenはプロ生活でいくつかの奇跡を達成しているが、これはその一つ。1935年、オーガスタのthe Masters(マスターズ)で起った出来事だ。

彼がNo.15(小さな池越えのパー5)のティーに上がった時、彼が先に上がっているCraig Wood(クレイグ・ウッド)とタイになるためには、残り四つのホールを3アンダーで廻る必要がある…と告げられた。彼は『まあ、何とも云えないね。どこからでも入っちゃうってこともあるからね』と云ったそうだ。

彼が二打目をスプーン【註】で打った時、私は50ヤード先のマウンドの上に立っていた。彼はボールに向かって完璧に、そして伸び伸びとスウィングしたので、即座に誰もがそれはゴージャスなショットであることを感知した。私はボールがグリーンの先端に達し、やや左にバウンドしながら、真っ直ぐカップに向かうのを見た。全ギャラリーが踊ったり叫んだりした。Gene Sarazenは一つのホールで一気に三打縮めてしまったのだ。

【編註】Bobby Jonesはスプーンと書いているのですが、これは彼にとっては現在の3番ウッドとは異なるロフトを指すようです。Gene Sarazen当人は4番ウッドと書いています。

もちろん、意図してスプーンでボールを沈めることなど出来ない。だが、Gene Sarazenは常にそれは起り得ると信じ、ボールにチャンスを与えるのだ」

次は上掲書で丸々一章を占めているGene Sarazen本人の回顧談のあらまし。

「南部というのに気温が低い最終日、私はWalter Hagen(ウォルター・ヘイゲン、1892〜1969)と一緒に廻っていた。彼は優勝圏外だったため、私と色んな思い出話を楽しむムードだった。大多数のギャラリーはBobby Jonesや三組前のトーナメント・リーダーCraig WoodとHenry Picard(ヘンリィ・ピカード)の組に従っていて、われわれの周りにほんの僅かだった。

No. 15(485ヤード)パー5に到着したのは5時半頃だった。われわれはいいショットを打ち、特に私のボールはフックと固い地面のせいで素晴らしい距離が出ていた。われわれがボールに向かって歩いている時、No.18でCraig WoodとHenry Picardのフィニッシュを見守っていたギャラリーから耳をつんざくような喚声が爆発した。さして間を置かずニュースが流れて来た。Craig Woodが最終ホールでバーディを射止め、282で上がったと云うのだ。丘の上に近づきつつ、私は遠くのクラブハウスを横目で見た。そこではカメラマンたちが幸せな勝利者の写真を撮りまくり、記者たちはCraig Wood優勝の原稿を大慌てでまとめているに違いない。

Walter Hagenは第二打を池の手前に刻んだ。私はしばし動きを止め、Augusta National(オーガスタ・ナショナル)専属の黒人キャディ"Stovepipe"(ストーヴパイプ)【註】に、『勝つためにはどうしたらいいか』と聞いた。

【編註】つぶれたシルクハット(礼装用の円筒形の高い黒い帽子)を常にかぶっていたため、「ストーヴの煙突」と綽名がついた。

「それって、ボス、Craig Woodに勝つためでやすかい?」とStovepipeが聞き、私が頷いた。Walter Hagenがクスクス笑った。『ウーム、』Stovepipeが唸り、スコアカードをチェックした。『四つの3が必要でがす、ミスター・ジーン。3、3、3、3でさあ』私は計算した。このNo.15(パー5)でバーディは可能だ。No.16(パー3)でもバーディ、そしてNo.17(パー4)か最終ホール(パー4)のどっちかでバーディをせしめれば、トップとタイになる。

私の楽観的高揚は、ボールのライを見た時、突如衝撃を受けた。それはかなりひどかったのだ。3番ウッドを打つか4番にするか、私はStovepipeと作戦会議を開いた。フェースがやや深い3番だと、沈んだライからボールを上げられまい。新型で"Turfrider"(ターフ・ライダー)と呼ばれる4番ウッドは、ディセンディングにボールを打ち抜ける空ろなバック・ソールがついている。4番でグリーンを捉える唯一の方法は、余分の飛距離を得るため、フェースをクローズにしロフトを減らすことしかなかった。

4番ウッドで行くと決断した後、私は天を仰いで神の同意か激励のサインを探していたが、ふと友人のBob Davis(ボブ・デイヴィス)が昨夜くれた幸運の指輪がポケットにあるのを思い出した。私は指輪を抜き出し、その霊験あらたかな効き目を活かすため、キャディStovepipeの頭で擦った。その指輪の本当の効き目は、私の内に高まりつつある緊張を和らげてくれたことだった。

私は4番ウッドを手にスタンスを取り、私の全ての力と、私が必要とするタイミングとをショットに注ぎ込んだ。ボールを打つや否や、私はボールが池を越えることを確信した。ボールは高度が9メートルもない低空飛行で旗を目指した。ボールの飛行を見るため駆け出しながら、ボールが(カップを向いて真っ直ぐのまま)グリーンに着地したのを見た。ボールはカップ目掛けてジャンプし、そして、私がどれだけピン傍に寄るか目を凝らしていると、グリーン背後に立っていた僅かな人数のギャラリーが、もの凄い叫び声を上げ、狂ったように宙に跳びはね始めた。その瞬間、私はボールがカップに入ったことを知った。

[albatross]

私がグリーンに着いた時、係の少年がリーダーボード司令室に電話し、Gene SarazenがNo.15で2で上がったと報告しようと躍起になっていた。司令室のオペレーターは少年が明らかにNo.16(パー3)と混乱していると云い続け、少年はNo.16ではなく485ヤードのNo.15に間違いなく、Gene Sarazenが残り235ヤードのウッド・ショットをカップインさせ、2のダブルイーグルで上がったのだと繰り返していた。

五分も経たないうちに、5,000人の狂乱状態のファンが私のフィニッシュを見るために丘を駆け下りて来た。私自身の興奮は冷めていた。私は奇跡的ショットでCraig Woodとタイになり、翌日のプレイオフで彼をぶちのめすことが出来るかも知れないと気づいたからだ。私は一つのホールで3アンダーとなり、トップとタイにするために私が成すべきは最後の三ホールをパーで上がることだった。

No.16のバーディ・チャンスの3メートルのストレート・ラインのパットをミスしパー、No.17は事もなくパー。No.18は手こずったが、最後に1メートルのパットを沈めてパーで、私はCraig Woodとタイになった」

翌日の36ホールのプレイオフで、Craig Woodの36、39、40、34の計149に対し、Gene Sarazenは36、35、36、37の計141と大差で優勝します。一週間後、幸運の指輪をくれた友人のBob Davisに会うと、「ごめん、Gene(ジーン)。白状するが、あの指輪は靴磨きの間に売り子から買った安物に過ぎないんだ」と彼が云った。

なお、この時の1,500ドルの優勝賞金の小切手には、Gene Sarazenのアルバトロス以前に既にCraig Woodの名前が書かれていたとか。ある記者によれば、Craig Woodは「宝くじに当たったものの、金を貰いに窓口へ行く前にくじを失くしてしまった男」のように見えたそうです。

私はWalter Hagenの自伝'The Walter Hagen Story'という本を読みましたが、このアルバトロスの件は一行も見当たりません。同伴競技者としてWalter Hagenも目撃したわけですし、この自伝は1956年に出版されているので、1935年のこのアルバトロスはカヴァーされて当然なのに、非常に不思議です。嫉妬、あるいはそれに触れると本のヒーローである自分の立場が霞んでしまうという危惧から無視したのでしょうか?興味深いところです。

【おことわり】アルバトロスの写真はphotosension.comにリンクして表示させて頂いています。

(April 06, 2016)

Gary Player(ゲアリ・プレイヤー)初めてのマスターズ

Gary Player(ゲアリ・プレイヤー)はヨハネスブルグ(南ア)の金山の鉱夫頭の三人きょうだいの末っ子として生まれました。父親の給料は少なく、Gary Playerが八歳の時に母親が癌で亡くなりました。父親はシングルの腕前でしたが、Gary Playerにとってゴルフは馬鹿げたゲームに思え、15歳になるまで手を染めませんでした。彼が最初のラウンドの三ホールでパーを達成した時、彼はゴルフに完全にハマってしまい、17歳で学校を卒業するとプロになりました。

'The Senior Tour and the Men Who Play It'
by Steve Hershey (Doubleday, 1992, $30.00)

「Gary Playerが、21歳で1957年の南ア・オープンに優勝した時、彼の父親はマスターズ・トーナメントの主催者であるBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)とClifford Roberts(クリフォード・ロバーツ)の二人に手紙を書いた。息子の能力を自慢すると同時に、米国まで息子を送り届ける経済状態にないことを説明した。しかしながら、もしマスターズへ招待して貰えるなら、帽子を手から手へ廻して基金を募るつもりだ…という文面であった。Bobby Jonesの返事は典型的に簡潔なもので、それは"Pass the hat."(帽子を廻せ)というものだった」

(April 06, 2016)

二人のR.T. Jones(R.T.ジョーンズ) [stamp]

1シーズンでグランド・スラムを達成したのはアマチュア・ゴルファーBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、1902〜1971)で、彼の本名はRobert Tyre Jones, Jr(ロバート・タイア・ジョーンズ二世)。成人した彼は"Robert"の愛称である"Bobby"が子供っぽいという理由で、"Robert"のもう一つの愛称である"Bob"と呼ばれたがったそうですが、誰も彼を"Bobby"としか呼ばなかったようです。

ゴルフ界にはもう一人高名なR.T. Jonesがいます。こちらはゴルフ・コース設計家で、本名はRobert Trent Jones, Sr.(ロバート・トレント・ジョーンズ一世、1906〜2000)。彼は世界中に500を数えるゴルフ・コースを設計・再設計し、「R.T. Jonesのコースに日が沈むことはない」と云われています。

二人のR.T. Jonesはジョージア州アトランタのPeachtree G.C.(ピーチツリーG.C)の設計で共同作業することになり、その際周囲の人々の混乱を回避するため、「ゴルファーは"Bobby"、設計家は"Trent"」と呼ぶように統一したそうです。

Robert Trent Jonesの息子二人もゴルフ・コース設計家ですが、長男Robert Trent Jones, Jr. (ロバート・トレント・ジョーンズ二世、1939〜)は現在までに250を越えるコースの設計・再設計を担当しているそうです。


(April 10, 2016)

コース設計家の証明

Arnold Palmer(アーノルド・パーマー)の本に出て来たRobert Trent Jones, Sr.(ロバート・トレント・ジョーンズ一世)に関する逸話。

[Trent]

'Go for Broke'
by Arnold Palmer with William Barry Furlong (Simon and Schuster, 1973)

「Baltusrol(ボルテュスロル)G.C.のNo.4(183ヤード)パー3は、グリーン手前に大きな池があり、グリーンは二段グリーンで池の方に向かう勾配となっている。グリーン左サイドに落とすとボールは右の低い段に転がり、そこには池へ転がるのを遮るカラーがある。グリーン後方には王冠の宝石を守るかのような三つのバンカー、左手前には池とグリーンとの狭い隙間にもバンカー、そしてグリーン手前を守る約1メートルの石の壁がある。

このホールでショートすれば池ポチャで、強打しても低いボールだと石の壁を打って池に撥ね飛ばされる。過度に強打すると、グリーン後方のバンカーに捕まる。何とかグリーンにオンさせることが出来ても、ボールは二段グリーンを右方向へと駆け下りてしまう恐れがある。

このホールの再設計を手伝ったコース設計家Robert Trent Jones, Sr.(右の写真)は、人々から「このデザインは妥当ではない」と抗議された。彼は(他の設計家同様)この抗議にむっとなり、ゴルフ場の運営委員会を引き連れてNo.4のティー・グラウンドに赴いた。彼はティーグラウンドにボールを転がし、アドレスしてロングアイアンを一閃し、平然とホールインワンを達成した。 「あなた方の御意見には同意出来ませんな」ぴしゃりと云い、彼は自分が正しいことを永久に証明して立ち去った。

【おことわり】写真はpebblebeach.comにリンクして表示させて頂いています。

(April 10, 2016)

カフェインの助けでスコア・アップ

コーヒーを飲めばスコアが良くなり、健康にもいい…という、とっても美味しい話。

「あなたは、コーヒーは1メートルのパットを極度にぴりぴりさせるんじゃないか?と思っているかも知れないが、リサーチは反対の結果を示している。アラバマ州のAuburn(オーバーン)大学のPetey Mumford(ピーティ・マムフォード)率いるグループの最近の研究結果では、ラウンド前と後半のスタート前にカフェインのサプルメントを摂取したゴルファーは顕著な向上を見せたという。カフェインの量は355 mlサイズのカップのコーヒーに等しい。

カップ一杯のカフェインを飲んだグループとカフェイン抜きの飲料を飲んだグループを比較した研究によれば、カフェインを飲んだグループはそうでないグループよりドライヴァーの飛距離が6ヤード多く、GIR(パーオン率)が10%多く、スコアが1ラウンドで2.5打少なかった。

【編註】この記事は、ゴルファーを何人使って調査したのか等詳細が不明だったので、元の研究論文を見つけて読んでみました。それによると、地元ゴルフ場や新聞広告、大学キャンパスにおける勧誘等で12人の男性ゴルファーを募った。参加者たちは健康に問題がなく、他のパフォーマンス・エンハンサー(エネルギー飲料や錠剤)を利用していない。参加者は動機づけのための1,000ドルの優勝賞金を提示され、大学のコースで徒歩で一日18ホールずつ、二日間のトーナメントを実施。全員同じ食事をし、用意された飲料をラウンド前と後半のスタート前に飲み、調査チームがカートで参加者のパフォーマンスを観察。ラウンド後に尿の検査や面接による質疑応答も行った。人数こそ少ないものの、かなり厳密なテストだったようです。なお、この論文によれば、ラウンドにおけるパット総数、OB数、バンカー・ショットなどには変化は見られなかったとのこと。

ヨーロピアン・ツァーのプロたちをサポートしているスポーツ栄養学者Matt Jones(マット・ジョーンズ)は云う、『科学は、カフェインが疲れや無気力感を生むアデノシンを遮断することを明らかにしている。パフォーマンスの観点からすれば、カフェインは忍耐力を10%も増し、知覚の過重労働を著しく軽減し、メンタル能力の度合いを向上させる』

カフェインはソフト・ドリンク(マウンテン・デューとかロックスター等)やサプルメント錠剤からも摂取出来るが、Matt Jonesは『それらからではコーヒーの別の恩恵を得られない』と指摘する。コーヒーは抗酸化作用とフラボノイド(毛細血管を強化する作用)を含んでおり、それは健康に良いとみなされている。コーヒーを飲む習慣はアルツハイマーと肝臓病の危険を減らすことに関連づけられており、また前立腺癌の再発を防ぐとも云われている。

 

Matt Jonesは『ラウンド前と後半スタート前に237〜355 mlのコーヒー(甘味料抜きが望ましい)を摂取せよ』と語る。カフェインが効力を発揮するまでには約一時間かかることを忘れないように。しかし、その効果は最大六時間持続する。『あなたがコーヒーの利尿作用を心配しているとしたら、コーヒーに含まれる水分がカフェインの影響による脱水症状を抑えてくれることを知るべきだ』」

[icon]
[Rockstar]

私は約一年前から'Crystal Light'(クリスタル・ライト)というカフェイン入りドリンクの粉末を購入し、沸騰した500 mlのお湯を冷ましてから粉末を溶かし、'Powerade'(パワーエイド)の空きボトルに入れて携行しています。上のような科学調査リポートを知る前で、単純にカフェインの覚醒効果に期待していたのでした。ボトル一本に溶かした'Crystal Light'のカフェイン含有量は30mg。なお、マウンテン・デューの355 ml缶に含まれるカフェインは54 mg。

'Rockstar'(ロックスター)のカフェイン含有量は一缶(473 ml)につき160〜240 mgです(同じ'Rockstar'でも種類・サイズによって量が異なる。写真の「オリジナル」で160 mg)。'Rockstar'には朝鮮人参エキスやイチョウ、ガラナ、タウリンなども含まれており、これらもパフォーマンスを向上させてくれる気がします。好調であれば、それを絶好調にしてくれる感じ(不調を絶好調にはしてくれませんが)。毎回気軽に飲むには価格がちょっと高めなのが難。

なお、カフェインの過剰摂取による副作用は、小は焦燥感、不安感、興奮、怒り、頻尿、筋肉の痙攣、心悸亢進、鬱、妄想、幻覚など、大は死を招くこともあるそうですから御注意のほどを。

【参考】https://www.researchgate.net/publication/ 281141183_Effect_of_Caffeine_on_Golf_Performance_and_Fatigue_during_a_Competitive_Tournament [研究論文の原文]

【おことわり】Rockstarの画像はcaffeineinformer.comにリンクして表示させて頂いています。

(April 13, 2016)

賢く練習せよ

'Practice smart'
by Dave Collins ('Golf Illustrated,' Jan-Feb 2005)

「教育は幼稚園から始まって、大学、大学院へと続く。もし、あなたが小学校へ通うのを素っ飛ばしたとしたら、大学進学は望めないであろう。ゴルフでも同じである。基本をマスターしていなかったら、上級テクニックを学ぶのに困難を感じる筈だ。

あなたが『練習』という言葉を使う時、練習場で次から次へとボールを打ちながら、完璧なスウィングを身につけようと努力しているゴルファーの姿を思い浮かべるに違いない。

ゴルファーを弁護して云えば、多くのゴルフ場がコース内での練習を許さないのがゴルファーにとっての大きな問題点だ。他のスポーツはそれがプレイされる競技場で教えられ、練習される。フットボールはフットボール競技場で練習するし、野球の練習も球場で行われ、バスケットボールはバスケット・コート、アイス・ホッケーはリンク、テニスはテニス・コートで練習される。しかるにゴルファーは打ちっ放しで練習するしかなく、これは明らかに不利である。

練習場で練習する弊害は、完璧なライでばかり練習することだ。本番のラウンドでそんな平らなライに出会える可能性は、かなりフラットなコースであっても僅か5%ぐらいでしかない筈だ。あなたがラウンドで出会う大半のライは、爪先上がり、爪先下がり、左足上がり、左足下がり、そしてそれらのミックスと様々である。つまり、平らなライから打つ練習は、本番では5%しか役に立たないということだ。

 

基本は全部で100項目もあるが、それらのトップに位置するのは次のようなものだ。
 セットアップでのアライメント、ボール位置、体重配分、緊張の緩和、グリップ圧、クラブフェースの向き等。

■練習場で

練習場で周囲を見回して、どれだけの人間が地面にクラブを置いて、アライメントを助けているか見て欲しい。私は方向に問題を感じる上級者にこの方法を用いて様々なターゲットに打つ練習をさせる。

練習場でのターゲットは、少なくとも五回打つ毎に変えるべきである。

私は中級の生徒たちに、サンドウェッジとピッチングウェッジそれぞれでどれだけ遠くに打てるか尋ね、その答えを紙に書き、一人につき10個ずつボールを打たせた。どれだけの生徒が自分の距離を正しく把握していたと思いますか?ゼロだった!紙に書いた数字より平均して12ヤードも少なかった。大多数の生徒が自分の距離を正しく掴んでいない。私は、生徒個々の距離を書いたシールをクラブに貼り付けさせた。

・四分割ドリル

 練習グリーンを四分割し、15ヤード離れたところから四分割したそれぞれの区域にボールを打つ。ボール二個を左手前、別の二個を右手前、二個を右後方、二個を左後方…という具合。それに成功したら、15ヤード下がって同じことを繰り返す。これはピンの位置よりも区域に焦点を合わせるドリルであり、これに上達したら3メートル以内に寄せることが可能になる。

・全てのアイアン・ドリル

 あなたが3番アイアンからサンドウェッジまでをバッグに入れているとしたら、グリーンから20ヤード離れてサンドウェッジから始めて、各クラブで一個ずつボールを打ち、全てのボールをグリーンに乗せる。一度でも失敗したら、またサンドウェッジに戻る。全部成功させたら15ヤード後退し、これを100ヤードに達するまで続ける。

 長時間の一度の練習より、短時間の練習を繰り返す方が効果がある。

■自宅で

・鏡を用いる練習

 等身大の鏡の前でスウィングする。鏡を身体の正面に置くのと、ターゲット方向に置いた場合の両方でチェックすること。アライメントが正しいかどうかが判る。

 ショート・アイアンから始めてウッドまでのセットアップをし、アライメントを調べる。チップショット、ロブショット、バンプアンドラン等のセットアップも確認する。

 ターゲット側に鏡を置いてスウィングし、スウィング・プレーンを調べる。シャフトの角度に合わせて、鏡にテープを貼ると役立つ。

 頭の上下動をチェックするには、鏡に映る頭の天辺の部分にテープを貼り、頭が終始そこに留まっているかどうかチェックする。

・庭での練習

 庭がある人は、地面の同一地点を毎回クラブで軽く擦る練習をする。(庭がない人は古いカーペットの切れ端に目印のテープを貼り、そこを擦る) 最初の段階では大皿サイズの面積を擦ることになるだろうが、数ヶ月後にはティー・カップの受け皿大になる大進歩が期待出来る。世界クラスのプレイヤーはコイン大の擦り痕しか作らない。

 

 庭に十個のティーを刺す。最初はかなり高めにし、ショートアイアンでその十個を弾き飛ばす。よいスウィング、よいフォロースルーを目指す。全部弾き飛ばせたら、ティーアップの高さを少しずつ低くする。他のクラブでも同じことをする」

(April 24, 2016)

超精密にアイアンを打つ練習

「草を抉(えぐ)る」(tips_168.html)は正確なインパクトを迎えるのに最適の練習法ですが、そういう環境にない方には、雑草の代わりにティーを使う方法がお薦めです。Jordan Spieth(ジョーダン・スピース)のコーチCameron McCormick(キャメロン・マコーミック)のtip。

'30 days to better golf'
by Cameron McCormick with Matthew Rudy ('Golf Digest,' April 2016)

「・チッピング

クラブヘッドの幅ずつ離して、五本のティーを縦に並べて地面に埋め込む。僅かに頭が出る程度に深く刺す。チッピングのスタンスを取り、ティーが壊れるか地面から跳び出すように素振りをする。五本全部のティーを続けて弾き飛ばせたら、今度は五つのティーにボールを乗せてスウィングする。

・アイアン

ティーを四本用意する。地面にクラブが楽に通り抜けられる幅に二本のティーを刺し、その真ん中にもう一本(ボールを乗せるティー)を刺す。「. . .」を縦にしたような形になる。そのボールを乗せるティーのターゲット方向10センチのところに、四本目のティー(ターゲット・ティー)を刺す(少し頭が出ている程度の深さ)。「. : .」を反時計方向に90°回転させたような形になる。7番アイアンを用い、ボールを乗せるティーターゲット・ティーの二つだけ弾き、他のティーには触れないように素振りする。十回素振りをしたら、ボールを乗せるティーにボールを乗せ、十個のボールを打つ」

(April 24, 2016)

楽しく上達出来る練習法

'Golf Magazine'誌編纂のゴルフ百科全書ともいうべき本から、絶対役に立つ練習法のいろいろ。

'Golf Magazine's Complete Book of Golf Instruction'
by George Peper et al. (Harry N. Abrams, Inc., 1997, $45.00)

「熟考すれば、ラウンドと練習との差異は心理的なものであることが分る。特にペナルティと報奨という側面において。コースではいいショットの成果を享受し、悪いショットの後で罰を受ける。だが練習場においては、以上のどちらの感覚もとりたてて強烈ではない。何も賭けられていないと、とても退屈なものになりかねない。それが、真剣に練習する人々がゲームをすべき理由である。競争(自分相手でも他人相手でも)は練習にプレッシャーを導入し、各ショットの後でペナルティと報奨の感覚を抱かせてくれる。以下はTom Watson(トム・ワトスン)推奨のゲームの色々である。

1) 友達と勝負する

 最も興奮する練習ゲームの一つは他のゴルファーと一打、一打を競り合うことだ。あなたの腕前に近い誰かを見つけ、ターゲットを選んでコンテストをする。負けた方が練習ボール代を払う。

2) 曲打ち名人になる

 通常の練習を終えた後、フック、スライス、高い球、低い球などを打つ。これらのショットの練習は、異なるボール軌道を生むにはどうスウィングを変えるべきかを教えてくれる。各ショットの前に、どのように料理するか宣言すること。

3) 練習場でラウンドする

 あたかもコースのNo.1からNo.18までをラウンドしているように想定しながら、一打、一打を打つ。これはあなたのショットを研ぎ澄ましてくれる。

4) ティーで形成した円内にチップする

 練習グリーンのカップの周囲に、ティーを刺して半径約1メートルの円を描く。何個のボールを連続させてその円内に入れられるか?自己ベストの記録を達成出来るよう頑張る。

5) チッピング・コンテスト

 これの一般的なものは、カップに最も寄ったボールを勝ちとして9ホール、あるいは18ホールを競うものだ。友人相手でもいいし、二つのボールを使って自分一人ででも競争出来る。

6) U.S.オープン優勝がかかったパット

 パッティングの練習では何らかのプレッシャーを作り出すことが重要だ。次のパットをする際、『これを沈めればU.S.オープンに優勝だ!』と自分に語りかける。練習で内面的プレッシャーを作り出しておけば、コースでのプレッシャーに抗することが出来る。

7) 30パットを連続成功させる

 2〜3フィート(約60〜90センチ)のパットの練習をする時、連続で30回成功させようと努力する。それには一晩中かかるかも知れないが、これはあなたのストロークと神経にとってのこの上ないトレーニングである。25個成功させた後の、最後の五つのパットのプレッシャーは最高である。

8) 六本のクラブでラウンドする

 あなたが本当にショット・メーキングを学びたいと思うなら、3番ウッド、4番アイアン、6番アイアン、8番アイアン、ピッチング・ウェッジとパターだけでラウンドするとよい。

9) 二つの方法でグリーンに乗せる

 あなたが一人でラウンドしていて、しかもコースが混んでいないなら、同じ位置から異なるショットで攻める。ドライヴァーと長いアプローチでは意図的フックやスライス、 短いアプローチではパンチやカットで乗せる。

10) 空想のマッチ・プレイ

 コースが混んでいない時、二つのボールを用いて18ホールで空想のマッチを行う。18ホールを歩くだけで36ホールの練習が出来る」

(April 24, 2016)

頸椎症性神経根症・治療体操

仕事でも趣味でも、長時間コンピュータに向かう人は要注意です。

【病歴】→スキップして「治療法」へ

数年前から左腕に疲れ・だるさを感じるようになったのですが、ゴルフ馬鹿の私は「左腕主体でスウィングしている証し」と内心喜んでいました。一年前から、左肩が重いような感じが加わり、夜、左を下に寝ると左肩と左腕が痺れる恐れを抱くようになりました。

本年三月、時折左腕(上腕から前腕にかけて)に軽い痺れを感じるようになり、数週間後、左肩と首の左側に痛みを感じ始めました。

「腕のしびれ、首の痛み」で検索し、「日経ヘルス&メディカル」のページ(http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK0302I_T00C13A4000000)を読み、「頸椎症性神経根症(けいついしょうせい・しんけいこんしょう)」か「頸椎椎間板(けいつい・ついかんばん)ヘルニア」であることが分りました。そのページでは「50歳以上は神経根症」と説明されています。どちらの場合も、コンピュータ作業などで猫背の姿勢を続けていると、頭が前に突き出て首への負担が重くなって腕の痺れや痛みを生じ、重症になると歩行障害を伴う「頸椎症性脊髄症」になる恐れも出るとのこと。

私も一日5〜6時間はコンピュータに向かっていて、以前から猫背になる心配をしていたところでした。慌ててモニターを嵩上げして高くしましたが、水平目線とはならず、やはり下向きに変わりはありません。日本のMac仲間の一人に猫背の弊害をメールで伝えたら、彼もその恐れを既に感じていたらしく、椅子を低くしていたそうです。私も早速椅子を低くしました。幸いゴルフは問題なく出来るものの、鈍痛と痺れ感が鬱陶しくてたまりません。

寝る時、枕を低くすべきだという説があったので、タオルを畳んだだけの枕に変えました。また、上の「日経ヘルス&メディカル」ページに掲載されている運動もしてみましたが、一向に改善されませんでした。

 

アメリカの医療は先ずかかりつけの診療所の医師に診て貰い、その医師の紹介で病院や専門医にかかることになります。先ず診療所の医師に相談しました。私は過去に何度かギックリ腰になりましたが、いつも「腰痛体操」(tips_22.html)で治しました。早い時は三日で快癒、遅くて一週間。今度もそんな風に解決したいと思い、「出来れば体操で治したい」と伝えました。医師が「X線写真を撮ることも出来るが?」と云いましたが、「現在、ゴルフには何の支障もないので、支障が出始めたらX線写真を考えたい」と答えました。どこまでもゴルフ馬鹿な私(^^;;。

【治療法】→「病歴」に戻る

[neck exercise]

私のかかりつけの医師の診療所は、当地の大きな病院の系列に入っており、すぐさまデータベースから頸椎症性神経根症治療に役立つ体操とその説明をプリントしてくれました。全部で15種類もありましたが、大半は常識的な首の運動で、私が既に試して効果はないものでした。

図は私が実行して「効果あり」と認めるベスト4です。最初は「こんな簡単な体操で治るものだろうか?」と半信半疑でしたが、一週間で首と肩の間の痛みが軽くなり、十日経つと鈍痛は消え、姿勢によって軽い痺れが出る程度になりました。二週間後、コンピュータに向かうとまだ軽い痺れが出ることがありますが、日常生活では頸椎症性神経根症を患っていることをほとんど忘れているほどです。この体操は手術も何の道具も要らず、手軽に病状を改善出来る点でお薦めです。

1) 床の上に背骨を水平にして四つん這いになり、床を見下ろす。頭をゆっくり胸の方に下げ、顎を引きながら首が背と平行になるまで頭を上げる。そのまま5秒静止。これを10回繰り返す。

 この体操をすると最初は患部に熱いような痛みと痺れを感じますが、体操を重ねるにつれその痛みの程度が軽減して行きます。

2) 床に仰向けに寝て、膝を曲げ、両方の足裏を床に平らにつける。顎を引き、肩を床につけたまま首を約7〜8センチ上げる10秒静止。これを5回繰り返す。慣れたら静止時間を20〜30秒に増やす

 これも首を上げて静止している間、痛みと痺れを感じますが、体操を重ねるにつれ段々軽くなって行きます。20秒はかなりきついです。

3) 右手を伸ばし、身体の右側を下に横になる。腕の上に頭を寝せ、その頭をゆっくり左肩の方に上げる。5秒静止。これを10回繰り返す。同じことを反対の姿勢で行う。

4) 座った姿勢でも立ったままでもよい。両手を脇に垂らし、肩甲骨(左右一対ある逆三角形の扁平な骨)を一緒にすぼめ、5秒静止15回を1セットとし、2セット実行する

(May 08, 2016)



腰痛の原因と対策

腰痛になってから読んでは遅い!知っておいて腰痛を防ぎましょう!でないと、数週間ゴルフが出来なくなり、その間にあなたの仲間たちはどんどん上達してしまいますよ?

'The PGA Manual of Golf'
by Gary Wiren, Ph.D. (MacMillan Publishing, 1991, $39.95)

「ゴルファーが悩まされる障害で最も一般的なものは、手首、腰、手、肩、そして首である。これらは一時的衝撃というよりしょっちゅうぶり返す傾向があり、それらのパフォーマンスへの影響は人々をぶちのめす。大したことはないように見えるのに、絶えず悩まされる障害によって戦場から消え去って行く賞金王やメイジャー優勝者は少なくない。PGAツァーの障害治療による時間のロスは平均して三週間であるが、カムバックした後も彼らの50%はなおも後遺症に悩まされる。

頻繁にゴルフする人を襲う危険の一つは腰痛である。1982年の調査ではPGAツァー・プレイヤーの25%が腰痛を患っており、結構若手にも多い。

腰痛の最も一般的な原因は、背骨の正しくないアライメント(並び方)である。筋骨格【註】の弱点は今日の腰痛の80%の原因であると推定されている。弱い腹筋は腹をたるませ、腰を後方に廻すことは腰背部に誇張気味のカーヴをもたらす。このカーヴは脊柱と椎間板に一貫したプレッシャーを与える。肥満や筋緊張の欠如、柔軟性のなさとポスチャーの悪い習慣などが組み合わさると、脊柱へのプレッシャーを増す。この時期、このプレッシャーはゴルファーを医師のところへ向かわせる。

【編註】身体を支える骨格系(骨とそれを繋ぐ靭帯、関節、軟骨等)と骨格の運動を引き起こす筋系(筋と腱等)をまとめた呼び方。

ゴルファーが腰背部のトラブルに貢献出来るのはテクニックにおいてである。ゴルフ・スウィングは背骨を捩り、エネルギーの強制的解放を必要とするが、ある種のスウィング・スタイルは他よりもかなりストレスが多い。上体を90°以上捻転させ、下半身の回転を最小限に抑えるゴルファーは、腰椎にかなりのストレスを与える。また、下半身でターゲットに向かって攻撃的にスウィングし、上体を逆Cの形に反らせる人は、水平のフィニッシュをする人に較べて腰背部の故障を招き易い。木の根、石、芝土に衝突させるようなスウィングも背骨の故障に繋がるので、不必要にそういう状況下でプレイすべきではない。

最も健康的な背中のあり方は正しく立つことである(常に!)。お尻は突き出ず、腹は引っ込んでいるべきだ。そのためには、強い腹筋と脚の後ろにある腱が柔軟でなくてはならない。だから、特に筋肉のフィットネスに特化した正しい体操によって、筋肉の強化と柔軟性を向上させるべきである。

 

背中と腰を守ろうとする全てのゴルファーは、次の事柄を警戒すべきだ。
1. 何かを持ち上げる場合、背中でなく脚に仕事をさせること。
2. ゴルフバッグのような重い物を車のトランクから持ち上げないこと。
3. 家具越しに窓を開け閉めしようとしたりしないこと。
4. 職場でも家庭でも、固い背もたれがついた椅子に背を伸ばして座ること。
5. どんな時でも、膝が腰骨より高くなるように座ること。可能なら、車の座席もそのように調節すること。
6. 机に向かってとか、飛行機の中、車などで長時間座ったり運転したりしないこと。適宜動き回ること。
7. パッティングの練習などで長時間同じ姿勢で立ったり、屈んだりしないこと。移動出来ないのなら、足を踏み替えたり、立ってストレッチしたり、歩き回ったりすること。
8. ベッドでは、もし仰向けで寝るなら膝の下に枕をかませる。横に寝るなら片方あるいは両方の膝を顎の方に引く。

【編註】D.O.(整骨医学外科学博士)の資格を持つ私の友人(医師)は、私が腰痛に罹った時、横になって上になっている方の脚の膝を顎の方に引き寄せるようにして寝ることを勧めてくれました。

9. 最初のティー・ショットを放つ前、ボールを打つことによってウォームアップすること。ショート・アイアンから徐々にフル・ショットへと移る。それが出来なかったら、最初のフル・スウィングの前にストレッチング体操をする。
10. ジャケットやセーターをバッグに入れておき、寒くなる時のために備えるように。
11. 重いクラブをスウィングするような体力増強体操をする際、反対方向への運動も合わせて行うこと。これは筋肉のに強さと柔軟性のバランスをもたらす。バランスは身体、腰椎、そして他の骨を正しく整列させる。
12. 出来る限り歩くこと。歩行は背中と腰への良い薬である」

【参考】
・「腰痛体操」(tips_22.html)←腰痛の予防にも効果あり
・「腰痛・特急治療」(tips_125.html)

(May 08, 2016、増補December 18, 2016)

Hagen(ヘイゲン)、Jones(ジョーンズ)、Sarazen(サラゼン)時代のゴルフ事情

私が読んだのは下記の本の2002年の復刻版で、ゴルフ・ライターHerbert Warren Wind(ハーバート・ウォーレン・ウィンド)による18ページもの序文がついています。長過ぎるので読むのを止めようかと思ったのですが、読んでみたら1910〜30年代のゴルフ事情が浮き彫りにされている素晴らしい記事でした。そのHerbert Warren Windによる時代の分析(今となっては信じられないような事実の数々)を中心に、Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン、1892〜1969、図上)自身の本からピックアップした、興味深い点のをいくつかを交えて紹介します。

・当時のトーナメントは英米とも三日間で、土曜(時として金曜日)の最終日に36ホールをプレイするのが普通だった。Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、図中)がthe Masters(マスターズ)トーナメントを始めた時、初めて現在主流である四日間のトーナメントという日程が開始された。

'The Walter Hagen Story'
by The Haig, Himself (Simon and Schuster, 1956)

・The Masters(マスターズ)の主催者側(クラブ)による正式名称はAugusta National Invitational(オーガスタ・ナショナル招待)だったが、1934年の第一回目から記者団の一部が"the Masters"と呼んでいた。Bobby Jonesは“名人たち”という自惚れた言葉を避けようと努力したが、1938年までにはthe Mastersと呼ばない者はいなくなっていて、主催者側もついに降参した。

・ゴルフ・プロとプロ・ゴルファーは全く異なる。「ゴルフ・プロ」は会員制コースの専属プロで、ヒッコリー・シャフト時代は自分でクラブを製作して、ゴルフクラブ・メーカー製のセットやボール、バッグなどと共にプロ・ショップでメンバーに販売した。当時のゴルフ・プロとそのアシスタントは皆クラブの作り方を知っていた。彼らはメンバーにゴルフも教え、そのレッスン代は一時間に2ドル程度だった。才能あるゴルフ・プロは、地域のトーナメントに出て尊敬と小銭を獲得した。

「プロ・ゴルファー」はコースに所属せず、純粋にトーナメントの賞金を目当てに各地を転々とするプロである。Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン)はニューヨーク州ロチェスターのゴルフ・プロとしてスタートし、U.S.オープンなどで頭角を現し、アメリカで成功を収めた最初のプロ・ゴルファーとなった。

・ドイツ系移民の血筋で、鉄道会社のレールを作る鍛冶職人の息子だったWalter Hagenは、七歳の時にキャディを始めた。当時のキャディの料金は一時間10セント、チップは5セントだった。その頃のバッグは、クラブ七本入りが標準だったが、それでも七歳児には重かった。

・Walter Hagenは15歳でキャディからアシスタント・プロとなり、ゴルフ・プロからクラブ作りを教わった。アイアンのヘッドはイギリスやスコットランドからの輸入品だったが、ウッドのヘッドは木の塊から削り、シャフトはヒッコリーに鉋(かんな)をかけて作った。ヘッド・プロとアシスタントとで冬の間夥しい数のクラブを製造し、夏になるとそれらを販売した。Walter Hagenたちは一本2.75ドルで売ったという。

・1912年、ヘッド・プロと共に出掛けたU.S.オープンで、Walter HagenはTom Anderson(トム・アンダースン)というスコットランド移民のお洒落なゴルファーの姿に目を奪われた。絹のシャツ(鮮やかな赤、白、青、黄、黒の縞)、フランネルのスラックス、カジュアルに首に巻いたバンダナ、格子縞の帽子、白いバックスキンに赤く厚いゴム底の靴。Walter Hagenは自分もそういう身なりのゴルファーになる決意をしたが、差し当たって買えるのは残念ながらバンダナだけであった。なお、このU.S.オープンの練習ラウンドでWalter Hagenは73という好成績で廻ったにもかかわらず、ヘッド・プロから突如帰宅を命ぜられ、正式参加は出来なかった。彼の憶測では、ヘッド・プロよりアシスタントの成績が良かったら立場がない…という理由だったと思われた。

・同じ年、そのヘッド・プロは他のゴルフ場へ移ることになり、ゴルフ場運営委員会はアシスタントのWalter Hagen(20歳)をヘッド・プロに昇格させた。彼は、キャディ仲間で野球仲間でもあった友達をアシスタントに据え、自分の父親をグリーンズ・キーパーとして雇った。彼自身の給料は八ヶ月【編註:雪のないシーズンと思われる】1,200ドルで、他にレッスン代(一時間2ドル)、メンバーのクラブ保管料(月1.50ドル)、自作クラブの売り上げなどがあった。

・1913年のU.S.オープンはキャディ上がりのアマチュアFrancis Ouimet(フランシス・ウィメット、当時20歳)が優勝したことで有名だが、これに参加を決意したWalter Hagenは、「どうプレイするか?」ではなく、絹のシャツ、フランネルのスラックス、バンダナ、バックスキンに赤いゴム底の靴などを買い集め、それらを着用することにわくわくした。奮闘空しく、彼はその他大勢と共に四位タイに終わった。

・当時のトーナメント(数も少なかった)の賞金は、現在の額と比較すると無に等しく、Walter Hagenの二度目のU.S.オープン優勝(1919年)で得た額は500ドルだった。ちなみにJack Nicklaus(ジャック・ニクラス)が1986年のthe Masters(マスターズ)優勝によって得た賞金は44,000ドルである。

【編註】2016年のthe Mastersの優勝賞金額は1,800,000ドル(約196,143,300円)。

・Walter Hagenはアメリカ各地でエクシビション・マッチを行って、収入を補った。エクシビション・マッチの入場料は1ドルか2ドルであった。1914年(最初のU.S.オープン優勝後)Walter Hagenが得たエクシビション・マッチのギャラは一日75ドルで、これが当時の業界標準であった。彼はその額を第一次大戦中150ドルに引き上げ、戦後300ドルに引き上げた。

・当時、アマ・トーナメントもプロ・トーナメントも観客の入場料は無料だった。米国が第一次大戦に参戦し、ゴルフ界は軍事資金捻出に協力するため、1922年のU.S.オープンから入場料を導入した。戦後、その収入はゴルフ場のコース改善と賞金に廻せることになり、トーナメントの賞金が格段に増えることとなった。なお、英国が全英オープンの入場料を取り始めたのは1924年からである。

・1920年にWalter Hagenが初めて渡英し、Jim Barnes(ジム・バーンズ、英国生まれのアメリカ人)と二人の英国のプロとエクシビション・マッチを行った時、英国人観衆はアメリカ人が多用するバックスピンのかかったショットを初めて見た。ピンの向こうに着地し、ころころと戻って来るボールを見たゴルフ・ライターの一人は「全くの偶然か、魔術に違いない」とコメントした。後に英国はバックスピンをかけ易いグルーヴ(溝)のクラブを違法とした。

・Walter Hagenは当時のプロ・ゴルファーとして誰よりも収入を得、各界の有名人たちと肩を並べた。全英オープンに四回優勝したこともあり特に英国での人気が高く、当時の英国皇太子(「王冠を賭けた恋」で知られる、後のエドワード八世)を"Eddie"(エディ)と愛称で呼ぶ仲でもあった。

・Walter Hagenは1928年のサイレント映画'Green Grass Widows'(ゴルフ・ウィドウ、喜劇)に主演し、自分自身を演じた。

【参考】「Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン)の運否天賦(うんぷてんぷ)」(tips_140.html)

[Hagen]
[Bobby]
[Sarazen]

(May 15, 2016)

クラブ投擲王Tommy Bolt(トミィ・ボルト)の助言

Tommy Bolt(トミィ・ボルト、1916〜2008)は1958年のU.S.オープン優勝ほか、全18勝を挙げており、ゴルフ名誉の殿堂入りしている名人ですが、"Thunder Bolt"(サンダー・ボルト、雷電)と渾名されたほど、怒りっぽく短気で、試合中にクラブを投げたり、折ったりしたことで有名です。そんな人が『コースで癇癪を抑える方法』という本を書いていたとは驚き。『クラブの投げ方、折り方』の間違いではないのか?と思うほど。Dr. Bob Rotella(ボブ・ロテラ博士)の画期的書物'Golf Is Not a Game of Perfect'(邦訳『私が変わればゴルフが変わる』)はスポーツ心理学のゴルフへの応用に火を点けましたが、それが出版されたのは1995年でした。Tommy Boltは1969年出版のこの本で、26年も前にスポーツ心理学の分野の出版物に先鞭をつけたことになります。

'How to Keep Your Temper on the Golf Course'
by Tommy Bolt with William C. Griffith (David McKay Company, Inc., 1969)

[Bolt]

「私がプロ・ツァーに加わって二年半の1951年の冬、私は癇癪を起こして七回のトーナメントのうち五つで棄権したりボールを拾い上げたりした。単純に計算してもこれが経済的に割に合わない行動であることは明らかだった。それを身に滲みて痛感した私は、生まれ変わって賞金を得ることに専念し、大物であるNorth and South(北部・南部)トーナメントに優勝さえした。しかし、それまでに既に当時のPGAトーナメント・ディレクターHoward Capps(ハワード・キャップス)が、私に"Thunder"(サンダー、雷)という名札をつけてしまい、スポーツ記者たちがそれに飛びついた。それ以後、私は一生悪者を演じることになった。

それはかなり以前の話なのだが、私の悪名は完全に根も葉もないことだなどと云うつもりはない。現役の間に数本のクラブを投げたり折ったりしたのは事実だ。ある時期、私はバッグに入れた14本全てのクラブの投擲距離の記録保持者でもあった。トーナメントでクラブを投げる行為に罰則が新設され、クラブ投擲の初犯は100ドル、再犯は200ドル、三回投げると500ドル徴収されることになり、私はこの罰を受けた記録保持者でもあったが、こんな金額はArnold Palmer(アーノルド・パーマー)かJack Nicklaus(ジャック・ニクラス)にしか平気で払えない額である。

実際には、私はクラブを投げるよりは折るタイプであり、そのほとんどはパターだった。私はかなりの数のパターを折っており、どうやってパター無しでパットするかについては、多分世界一の権威となった。もし、あなたがこの情報を用いねばならない不幸な状況に陥ったとしたら、パッティングにはドライヴァーが最適であり、ドライヴァーも無いピンチなら1番アイアンが役に立つというのが、私の発見である。だが、クラブ破壊者の鉄則として、パターとドライヴァーの両方を一試合の間に折ったら、それは死を意味するということを付け加えておく。

記者たちやプロ仲間たちが私を揶揄する作り話を広めるにつれ、ギャラリーは私を嫌った。私は悪役だった。観衆はBen Hogan(ベン・ホーガン)やSam Snead(サム・スニード)のプレイを見ようとするように私について歩くのではなく、私が怒りを爆発させるのを見ようとした。たまさか私がミスを犯すと、『投げろ、Tommy! 投げろ、Tommy!』というシュプレヒコールが始まるのだった。これが私のプレイに影響しない筈はない。Arnold Palmerファンが彼を声高に励ますのを聞くと、彼はファンに金をバラ撒いているのではないかと勘ぐったほどだ。

【編註】私の以前の主治医でありゴル友でもあったMike Nicholson(マイク・ニコルスン、現在は医業・ゴルフどちらも引退)が話してくれた実話。「若い頃、友達とニュー・オーリンズ近辺までプロのトーナメントを見に出掛けて行った。Arnold Palmer(アーノルド・パーマー)、Dow Finsterwald(ダウ・フィンスターワルド)とTommy Boltが一緒に廻っていた。あるティー・グラウンドでスコア・カードにサインして貰おうとしたら、Tommy Boltが『駄目だ、駄目だ』と邪険に振り払った。彼は'Thunder Bolt'(雷親父)と綽名される、怒りっぽい性格だった。彼等がティーショットを打ち終った後、Arnold PalmerとDow Finsterwaldがやって来てサインしてくれた。Tommy Boltもやって来たが、私の方から「あんたのはいらない」と断った。Tommy Boltは呆気にとられて何が何やら分らないという風だった。Arnold Palmerは私にウィンクして、『わははは!』と笑いながら去って行った。それ以来、私はPalmerの大ファンになった」

なぜ私だけが一人悪者にされるのか理解出来ない。Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)だって、初期にかなりの数のクラブを宙に浮かべたのはよく知られた事実であり、Ben Hoganでさえ彼流の美しいコントロールでクラブを投げ捨てたこともあるのだ。私はクラブを投げた有名ゴルファーたちの名と所業を連綿と書き続けられるが、ツァー・プロの半数以上から名誉毀損の廉で告訴されることだろう。

しかし、誰しもが時折癇癪を抑え切れなくなるのがこのゲームの特質である。通常のゴルフ本は筋肉動作に関するものばかりで、癇癪を抑えるテクニックについて触れられたものはない。私は長年の高くついたリサーチから学んだものを、この本であなたにお届けしようと思う」

Golf Digest誌の2016年4月号の匿名プロの記事によれば、罵りの言葉を一度使っただけで、PGAツァー・コミッショナーから2,500ドルの罰金を申し渡されたとか。また、あるゴルフ・サイトの記事(http://www.sbnation.com/golf/2015/10/5/9454679/rory-mcilroy-throws-club-pga-tour-fine-doral)によれば、PGAトーナメントの一つでボールを水没させた後クラブも池に抛り投げたRory McIlroy(ロリィ・マカロイ、右のヴィデオ)は、その直後のTVインタビューで公に謝罪したため、25,000ドルの罰金を5,000ドルに減額されたそうです。Tommy Boltの時代より賞金額が上がった分、罰金の額も相当上がっているわけです。なお、PGAツァーは、罰金による収入はチャリティに廻しているとのこと。

 

【おことわり】Tommy Boltの写真(白黒)はhttp://cdn-s3.si.comにリンクして表示させて頂いています。

(May 15, 2016)

Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)の“オールドマン・パー”の発見

Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、1902〜1971)の“オールドマン・パー”(パー爺さん)との闘いは有名ですが、これは彼の自伝に綴られたその発見譚。

[Bobby]

'Down The Fairway'
by Robert T. Jones, Jr. and O.B. Keeler (Minton, Balch & Company, 1927)

「1913年、私が11歳の頃のこと。私のゴルフに影響する特筆すべき二つのことが起った。それまで、私の関心は主にテニス、魚釣り、野球であって,ゴルフは付随的なものであった。ゴルフは単にもう一つのゲームであり、テニスで誰かを負かし、野球で自分のチームが勝った時のように、誰かを打ち負かした時に何かを達成したと私は感じた。思うに、ゴルフはゲームとして単なる個人的競争以上のものであるという最低限の観念を抱いていなかったのだ。

マッチ・プレイでなくストローク・プレイの時でさえ、私はPerry Adair(ペリィ・アデア)【註】や誰であれ競争相手として危険なプレイヤーをやっつけようとしていた。もちろん、私はラウンドのスコアカードを保存していたし、当然ながら90以下の数字を好んだ。だが、スコアそのものは私の考え方では主な出来事から分離したもので、メインは(何かとではなく)誰かとの競争であった。

【編註】Perry Adair(ペリィ・アデア、1899〜1953)はBobby Jonesの三歳上で、“ディキシー(南部)の神童”と呼ばれたジョージア州のトップ・アマ。南部アマに二回、ジョージア・アマに一回優勝している。

誰かとではなく何かに対抗してプレイすることを学ぶまで、私はメイジャー選手権に勝てなかった。その何かとは『パー』である、それを学ぶまでには多くの年月と沢山の心痛を必要とした。

この年、英国の二人のプロHarry Vardon(ハリィ・ヴァードン、1870〜1937)とTed Ray(テッド・レイ、1877〜1943)がマサチューセッツ州Brookline(ブルックライン)で開催されたU.S.オープンに参加した。彼ら二人は最終日にアメリカの19歳の青年Francis Ouimet(フランシス・ウィメット、1893〜1967)とタイになり、19歳のアマチュアが英国の二人のプロを破ったのは歴史的な出来事だった。

同じ年の10月にHarry VardonとTed Rayの二人が、私のホームコースEast Lake G.C.(イースト・レイクG.C.)を訪れ、エクシビション・マッチを行った。彼らに対するは当ゴルフ場のクラブ・プロStewart Maiden(スチュアート・メイデン)と近くのコースのクラブ・プロWillie Mann(ウィリィ・マン)。Ted Rayが36ホール目のグリーンで2.4メートルのパットを沈め、1アップで英国側に勝利をもたらした。

これは私が初めて見たビッグ・マッチで、36ホールの全てのショットに随いて廻った。Harry Vardonの美しくスムーズなスタイルよりも、Ted Rayのドライヴィングが印象的だったが、Harry Vardonの安定したスコアリングから目を背けるわけにはいかなかった。パー、パー、パー、そして次もパー。彼のスコアカードはそんな風に進行した。英国人たちは翌日も近隣のコースで36ホールプレイしたが、この二日間のHarry Vardonのスコアは72、72、73、71、計288、というか完全に平均して4であった。

その時、私が思ったのは、4は全ての場合に勝利するのに必要十分であり、それ以上良い説明を見つけるのは難しいだろうということだった。今日、この推定は基準とはならないだろうが、私はどこで、いつであれ4を得ようとする。

Ted Rayは奇跡としか思えないような驚くべきショットを見せ、観衆を興奮させた。だが、全てが終わった後、来る日も来る日もパーでプレイするHarry Vardonが残り、私はそれを忘れることが出来なかった。Harry VardonはStewart MaidenやWillie Mannでない何ものかとプレイしているように見えた。何か私には見えないもの。それは彼を真剣にし、観衆や対戦者たちや、もっと云えばでかい図体のパートナーでもない、何か。彼は全くマッチ・プレイに関係ない何ものか(あるいは誰か)とプレイしているように見えた。私はそれを理解出来なかったが、そんな風に見えたのだ。

同じ年のしばらく後、私は初めてEast Lake G.C.で80で廻ることが出来た。私はそれを奇妙な明白さで覚えている。

私はPerry Adairとプレイしていた。この時だけ私はPerry Adairがどんなプレイをしているか、あるいは私が彼をやっつけているか、あるいは彼が私をやっつけているかを気にしなかった。私はこれまでにいいスコアで廻った時よりも更に良いスコアで廻っており、ほかのことなど考えられなかったのだ。そして私が最終ホールで80を達成する1.2メートルのパットを沈めた時(そんなことは初めてだった)、私はカードにPerry Adairのサインを貰うと、小走りで父を探し求めた。父がコースのどこかにいることは知っており、明確に彼のいそうなNo.14を目指した。彼はそこにいた。私は彼がパットし終えるまで待つだけの分別があった。父はパットする時、邪魔が入ることに我慢ならなかったからだ。彼がパットし終えると、私は歩み寄ってカードを差し出した。

私は自分の手が震えていたのを覚えている。父はカードを手に取って見つめ、それから私を見た。彼が何と云ったのか覚えていない。だが、父は突然両手を私の身体に廻し、私を抱き締めた、力一杯。私は彼の目がちょっと奇妙に見えたことを覚えている。今の私は、彼の目が潤んでいたに違いないと考えている。

これが、カードと鉛筆によってでしか姿を現さない見えざる対戦者との最初のラウンドで、その相手は誰よりもタフな"Old Man Par"(パー爺さん)であった。

あなたは人間の対戦相手とプレイしているのではない。あなたは"Old Man Par"とプレイしているのだ。彼は冷静沈着な倹約家である。彼と友達になり不断の対戦相手となれば、他のプレイヤーもあなたに一目置くようになるだろう。人は私が大してバーディを得ないので、マッチ・プレイ巧者ではないと云う。私は"Old Man Par"と競り合っているので、滅多にバーディのチャンスは訪れないのだ。だが、パーで勝てないオープン選手権というものを経験したことがない(いくつかのマッチ・プレイを例外として)。"Old Man Par"は1パットでは絶対に上がらないが、3パットも絶対にしない。私は、次回スタートする時も彼と一緒に廻れたら…と願うのみである」

(May 22, 2016)

パーなど相手にするな

クラブ投擲とクラブ破壊で有名なTommy Bolt(トミィ・ボルト、1916〜2008)による、激昂せずに済む気楽なラウンドの勧め。

[Bolt]

'How to Keep Your Temper on the Golf Course'
by Tommy Bolt with William C. Griffith (David McKay Company, Inc., 1969)

「『おれは運動のためにゴルフしてんだ』という輩は世界一の大嘘つきだ。運動になるのは確かだが、彼は対戦者あるいはパーと勝負しているのだ。パーに代表される完璧主義はダッファーを苛つかせ、あまりにもゴルフに真剣にさせてしまう。

テニスやスカッシュその他のどれであれ競い合いを目的としたスポーツでは、たまにであっても対戦者よりもあなたの方が格好良く見える瞬間があるものだ。だがゴルフは別である。マッチプレイのパー4のあるホールで対戦者に勝ったとしても、対戦者の7に対する自分の6が腹立たしいダブルボギーに過ぎないことを考えれば、良い気分になどなれるものではない。パーを気にすれば、情け容赦のない完璧なパーが、あなたは下手っぴであるとひっきりなしに非難する。

パーを考えるのは間違いだ。パーで廻れるのは大雑把に云って野球であれば300本塁打、テニスで云えば第一シードの選手であり、間違いなくあなたとは無縁なものである。選ばれし少数の者以外には不敗の対戦者としてパーが存在するのに、あなたは風車に向かって突進するドン・キホーテのように奮闘する。実際にはドン・キホーテは狂人だったのであり、あなたはもっと賢くあるべきだ。

次回あなたがNo.1ティーからスタートする際、ゴルフから忘れられているように思えることに留意するとよい。ゴルフはパー・プレイあるいはそれに近いスコアで廻るために発明されたゲームではない。スコットランドの初期のゴルファーの大部分は、パーなどというマジック・ナンバーに十中八九近づけなかった筈だ。彼らはパブの壁のダーツで遊ぶ時、的の真ん中に毎回投げ矢を突き刺すのが不可能なように、毎ホールでパーを得ることなど期待しなかった。もちろん、標的はそこに存在した。だが、どんな間抜けなスコットランド人でも毎回の試みで大成功など期待しなかったし、失敗しても腹を立てたりしなかった。もしそんな奴がいれば、現実主義的なスコットランド人たちは、そいつを精神病院に送って、彼のことなど忘れ去ったであろう。

ゴルフはハンデ22の者のために発明されたゲームであり、パーはたまさか幸運な場合に投げ矢を突き刺せる的の中心である。ゴルフはあなたと、90台で廻るあなたの友達のために作られたものだ。あなたはこのゲームに参加する多数派の一人であり、そういう人々がハンディキャップを基準に一堂に会する時、極めて公正なレヴェルでの競い合いによって純粋な楽しみを得ることが出来、それこそがゲームの神髄なのだ。

だから、野球における300ホーマーみたいなものへの挑戦を止め、Jack Nicklaus(ジャック・ニクラス)のように慎重に考え過ぎたり、Ben Hogan(ベン・ホーガン)のような集中で渋面を作ったりするのは止めよう。そんなものは全然役に立たない。プロの真似をするのは止め、現実的になるべきだ。あなたにとってのゴルフとは完全に笑顔でプレイすべきものであり、身体のあちこちで患いかねないヘルニアを、短いバックスウィングで予防すべきものである」

【おことわり】画像はamazon.comにリンクして表示させて頂いています。

(May 22, 2016、改訂June 21, 2016)

一打入魂

「一球入魂」は野球における望ましい至上の境地ですが、ゴルフの集中には「一打入魂」です。

先週の水曜日、私はパーもバーディもボギーも含めて、ギミー(OK)の距離に九回つけることが出来ました。一緒に廻った仲間も呆れていました。

多くは45ヤード以内のチップ・ショットで、OKの距離の寄せワン(=パー)を六個。「ピッチングとチッピングの距離調節・完全版」(tips_169.html)の技法をベースに、距離の測定はGPSと目測を併用してこの日のグリーンの転がり具合(割と早め)を勘案して調整し、加えて「ボールの残像を見よ」(05/11)のテクニックによって抜群の成果を挙げました。これは「ディンプルの一つを見つめよ」(tips_171.html)と共通するものですが、我田引水すればディンプルの一つを見つめてもルックアップ(=ヘッドアップ)することが可能なのに反し、ボールの残像を見ようとするとルックアップは出来ません。私は「一打に精魂を篭める」という心境でボールの後端を凝視し、そこを確実に打つことに集中しました。

No.9(270ヤード)パー4での私の第二打は、急な上りの125ヤードでした。私の過去のデータベースの平均では6番ウッドを0.5インチ(約1.25センチ)短く持つ距離となっています。「草を抉(えぐ)る」(tips_168.html)の要領で、ボールのターゲット方向5センチ先を凝視し、右肘を折り畳みつつ、私にとって適切な捻転(左肩をボール位置まで廻す)でスウィング。この場合もボールの残像を見ようと集中しました。ボールがピンにまっしぐらに飛んだのは確かでしたが、何せ急な上りなので旗から下は見えません。カートで坂を上って行くと、ボールは何とピン傍40センチについていて文句無しのバーディ。昨年四月、このホールで二打目をチップインさせ、イーグルを達成した快挙には及びませんが、まあ鼻高々のショットとなりました。

この日、われらのチームは敗れましたが、私個人としては大満足のラウンドでした。

続く金曜日のラウンド。私のチップ・ショットの好調はまだ続いていました。驚いたことに、No.9でのティー・ショットの残り距離は、前回と全く同じヤーデージに…。柳の下の二匹目のどぜうを狙って、同じ手順、同じ「一打に精魂を篭める」という心境で打ったボールは、又もやピン目掛けてまっしぐら。昨夜の雨でランが少なく、今回はギミー(OK)にまでは寄らず、ピンまで約1メートル。それを無難に沈めて、チームとしての初バーディ。これが呼び水となり、以後チームはバーディをいくつか連取して他のチームに圧勝しました。

「一打に精魂を込める」、「一打入魂」が、いい結果を生むことは間違いありません。

【参考】「続・ゴルフはパワー・ゲームではない」(tips_159.html)

(May 22, 2016)

カウンターバランス型パターの効用

アンカーリングを禁じられた人の頼みの綱は、カウンターバランス型パターではないかという情報。ただし、ストレート・ストロークを採用しているゴルファーに限るそうです。

[putter]

'Good things come to those who weight'
by Michael Chwasky ('Golf Magazine,' June 2016)

「USGAが『2016年1月1日をもってパッティングのアンカーリングを違法とする』とアナウンスした時、パター・デザイナーたちは直ちに仕事に取りかかった。彼らの使命:それはアンカーリングを用いていたプレイヤーたちに合法的な選択肢を与えること。現在、その試みはカウンターバランス型パター【註】を人気のあるチョイスとして進展しつつある。【註】 伝統的なパターに較べると、これらはハンドルの後端にインサートされた錘による重いグリップと、50グラムまでのエクストラの重さのパターヘッドが特徴である。おまけに、スタンダード・パターより長くて5インチ(12.7センチ)まで延長されたシャフトを特色とする傾向もある。プレイヤーが通常のグリップをすると、ハンドルの大部分(および追加のハンドルの重量)は両手の上となる。それらの改良が結びついて、アンカーリングされたパターに匹敵するMOI(慣性モーメント=安定性)に繋がる。

【編註】"counterbalanced"(釣り合いがとれた)。counterbalanced putter(カウンターバランス型パター)は、重いヘッドに対抗する重いハンドルを装着し、バランス・ポイント(平衡点)をヘッド側からハンドル側に近づけたデザイン。右図の上がカウンターバランス型パターで、下はスタンダード。

カウンターバランス型パターはどのようにふらつくストロークを安定させるのか?Odyssey Golf(オディシィ・ゴルフ)のチーフ・エンジニアAustie Rollinson(オースティ・ロリンスン)は、パターの後部に付加された重量は、パターを(手首と手による恐る恐るの動きではなく)大きな筋肉で動かすことを促し、よりスムーズなストロークとベターな転がりを生む結果となる…と云う。『Odysseyのカウンターバランスのマレット型Tank(タンク)シリーズのテストでは、プレイヤーたちの60%が即座に彼らのストロークを改善した』と彼は語る。

Odysseyのデータは、広範なゴルファーがこうしたデザインの恩恵を得ることが出来ることを物語っている。だが、全てのゴルファーにとってではない。Austie Rollinsonは云う、『カウンターバランス型パターは、ストレート・ストロークをするプレイヤーにとってベストの選択肢であるが、円弧型ストロークをする人は、フェースをスクウェアにするのに苦労すると思う』」

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私はGuerin Rife(ゲリン・ライフ)製の2 Bar(トゥー・バー)パターに、68グラムの重さの2Thumb(トゥー・サム)パター・ハンドルを付けています。2 Barパターにはヘッドに装着する三種類の錘(おもり)が付属しているのですが、私はこれ迄その中の最も重い錘を装着していました。その際の平衡点は図の上のカウンターバランス型パターとさして変わりません。私のパターは、それとは知らずにカウンターバランス型を形成していたことになります。

ついでに、2 Barパター付属の三種の錘で、どれほど平衡点が変化するのか調べてみました。錘は12g、18g、22gの三つなのですが、最も軽い錘から最も重い錘で変化した平衡点は、何とたった1.5センチだけでした。もっと大幅に違うなら錘を軽くしてもよいと思っていましたが、平衡点に大きな差がないのなら打感を重視すべきだと考え、以前と同じ最も重い錘のままにしています。

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「カウンターバランス型パターは魔法のような効果を発揮するものではない」とするテスト結果もあります。MyGolfSpyというサイト(http://www.mygolfspy.com/mgs-labs-counterbalanced-putters-vs-standard-putters/)は、Bettinardi(ベティナルディ)製のスタンダードなパターとカウンターバランス型パター双方を用いて、5フィート、10フィート、20フィートの正確さと成功率を比較し、「カウンターバランス型パターに顕著な利点は見られない」と結論づけています。どんなレヴェルの、何人のゴルファーを使い、どんな方法でテストしたのかが明らかにされていないので、100%この記事を信用することは出来ません。しかし、このサイトの読者多数の投稿にも、カウンターバランス型パターを絶賛する声は見当たりません。

【おことわり】画像は.golfsupport.comにリンクして表示させて頂いています。

(May 25, 2016)

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