Golf Tips Vol. 168

ゴルフ金言集 Part 24

以下の名言集は当サイトが独自に収集・翻訳したものです。無断転載・引用を禁じます。

[Vardon]

「【パットは】芯でとらえれば、全部入ります」
中部銀次郎(1942〜2001)

「何と云えばいいか分らない。ただあんたをハグしたい」
Nick Faldo(ニック・ファルド、1996年のthe Masters最終日、六打差で先行していたGreg Norman [グレッグ・ノーマン] を破って抱擁した時の言葉)

「このトロフィを厳粛に受け取りたかったけど、そんなの私のスタイルじゃなかったのよ」
Amy Alcott(エイミィ・オルコット、1991年のメイジャーDinah Shoren [ダイナ・ショア] トーナメントに優勝し、キャディと共に池に飛び込んだ後の言葉【彼女がこの慣例の創始者】)

「プロが本当に喜ぶコースを作ろうとしたら、真っ平らなグリーン、真っ平らなフェアウェイ、ほんの少しのラフ、ほんの少しの障害物にしなきゃならん。そんなコースに設計家は要らんよ。ホームセンターのカタログで注文すりゃいいんだ」
Robert Trent Jones(ロバート・トレント・ジョーンズ、1906〜2000、コース設計家、1970年のU.S.オープンが開催されたHazeltine G.C. [ヘイズルティーンG.C.] にプロたちが不平を云ったことへの反論)

「Royal Lytham and St. Annes(ロイヤル・リーサム&セント・アンズ)のグリーンは'Finnegan's Wake'『フィネガンズ・ウェイク』【註】を読むより難しい」
【註】アイルランドの作家James Joyce(ジェイムズ・ジョイス)の難解な小説。
Mark Reason(マーク・リーズン、Sunday Telegraph [サンデイ・テレグラフ] 紙の記者)

「スウィングの開始であれ、スウィングのトップからであれ、腕から先にスタートすれば一定不変の法則があって、結果は絶対無惨なものである」
Harry Vardon(ハリィ・ヴァードン、1870〜1937、右上のイラスト)

[Hagen]

「世界中でゴルフ・インストラクションを規格化しようとする考えにはついていけない。多分それは役に立つ理論なのかも知れないが、失敗する運命に決まっている。ゴルフ・スウィングにいくらかの基礎というものがあるのを認めるにやぶさかではないが、私はゴルフ指導の要領の全ては、生徒の体型に応じて基礎の原理を最適化するのを助けることにあると信じている」
Henry Cotton(ヘンリィ・コットン、1907〜1987、英国のプロ)

「パットのストロークをしたら、あなたに出来る唯一のことはボールがカップに転げ込む音に耳を澄ますことだ。ボールの行方を盗み見たって何の助けにもならない」
Dr. Cary Middlecoff(ケアリ・ミドルコフ、1921〜1998、PGAツァー・プロ)

「ゴルフ・スウィングはスーツケースのようなものだ。われわれは入り切らない沢山のものを詰め込もうとする」
John Updike(ジョン・アップダイク、1932〜2009、アメリカの作家・詩人)

「ゴルフは内なる暴力性によってプレイされる非暴力のゲームである」
Bob Toski(ボブ・トスキ)

「二位に入った者を覚えている人はいない」
Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン、1892〜1969、右図)

「ウォルター・ヘイゲンは二位に入った者を覚えている人はいないと云った。だが、人々は未だに1970年の全英オープン優勝への王手をかけた私のパット・ミスについて、『今も考えたりするか?』と聞く。私は彼らに云う、『時々は頭に浮かばないこともある。丸々10分間くらいは…』と。
Doug Sanders(ダグ・サンダース、最終日の最終ホールの1メートル弱のパットに失敗し、翌日Jack Nicklaus[ジャック・ニクラス]とのプレイオフに敗れた)

(January 03, 2016)

ゴルフ笑言集 Part 5

以下の笑言集は当サイトが独自に収集・翻訳したものです。無断転載・引用を禁じます。

「ここのグリーンは凄く早いので、ボールの上でパターを保持してその影でストロークしたよ」
Billy Casper(ビリィ・キャスパー、1931〜2015、オーガスタ・ナショナルのグリーンについて)

「何てこった!あんた、どうしてもゴルフしなきゃいかんわけ?」
Stewart Maiden(スチュアート・メイデン、1986〜1948、Bobby Jones [ボビィ・ジョーンズ] の師匠、ある下手くそな生徒への言葉)

「二週間ゴルフを休み、その後ゴルフからすっぱり足を洗え」"Take two weeks off and then quit the game."
Jimmy Demaret(ジミィ・デマレ、1910〜1983、苦闘するゴルファーへの助言)

「Jimmy Demaret(ジミィ・デマレ)と私は世界一のスポーツ心理学者を持っている。彼の名はJack Daniels(ジャック・ダニエルズ)と云い、どのラウンドの後でも必ずわれわれを待っていた」
Jackie Burke, Jr.(ジャッキー・バーク二世)

「Byron Nelson(バイロン・ネルスン)以外に賭ける気はないね。彼がフェアウェイから遠ざかったのは、唯一薮ん中へおしっこに行った時だけだからね」
Jackie Burke, Jr(ジャッキー・バーク二世)

「マリガンとは、あるアイルランド人がもう一度20ヤードのゴロを打つために発明したものだ」
Jim Bishop(ジム・ビショップ、アメリカのジャーナリスト)

[Palmer]

「"Golf"と呼ばれるのは、他の四文字言葉【罵りの言葉】が全て売り切れだったからさ」
Raymond Floyd(レイ・フロイド)

「ゴルフとは18歳のデカパイ娘のようなものだ。いけないことだと分っちゃいるが、彼女から離れられない」
Val Doonican(ヴァル・ドゥーニカン、アイルランドの歌手)

「私はTiger Woods(タイガー・ウッズ)を五打差でぶちのめした。もっとも、彼がたった六歳の頃だったが」
Gregg Zaun(グレッグ・ツォーン、プロ野球選手)

「私がベストだ。ただ、まだプレイしたことがないだけだ」
Mohammad Ali(マハメッド・アリ)

「あなたが空振りするほど頓馬でも、それを忘れるくらい賢くあるべきだ」
Arnold Palmer(アーノルド・パーマー、右図)

【「アジアでプレイしたことがあるか?」と聞かれて】「日本でプレイしたことあるけど、あそこはアジアの近くじゃないの?」
Fred Couples(フレッド・カプルズ)

(January 03, 2016)

「デッドに狙え」の真意

Harvey Penick(ハーヴィ・ピーニック)の言葉"Take dead aim"(テイク・デッド・エイム)は有名です。しかし、彼の教え子の一人Ben Crenshaw(ベン・クレンショー)はその意味が正しく受け止められていないと主張します。

'And Then Seve Told Freddie…'
by Don Wade {Contemporary Books, 1998, $18.95)

「Harvey(ハーヴィ)の"Take dead aim"は広く知られているが、彼の真意を人々が本当に理解しているかどうか疑わしい。彼は、あなたが自分を信じ、目の前のショットだけに集中せよと願っているのだ。直感に全てを委ね、あなたが打ちたいと思うショットを打つことが可能だと心底から信ぜよ…ということなのだ」

[icon2]

そうでしたか。字面通り「ターゲットに狙いを狭めて打て」…だと思い込んでいました(^^;;。理解不足でした。で、Harvey Penickのオリジナル「赤本」を読み返してみました。

[Harvey]

'Harvey Penick's Little Red Book'
by Harvey Penick with Bud Shrake (Simon & Schuster, 1992, $10.00)

「これはこの本の中で最も重要な助言である。

私の生徒の一人でテキサス生まれ・育ちのBetsy Rawls(ベッツィ・ロウルズ)がU.S.女子オープンのプレイオフに臨むことになった時、私は彼女にたった一文だけの電報を打った。それは"Take dead aim!"というものだった。彼女はプレイオフに勝った。

テキサス風の話法を理解出来ない人のために、その電文の助言を別な云い方で説明させて貰おう:いったんアドレスしたら、そのボールを打つことはあなたの一生で最も重要な瞬間とならなければいけない。ターゲットを選び、それをデッドに狙うこと以外の全ての想念をシャットアウトすべきである。

これはぴりぴりした神経を静めるいい方法である。2ドルのナッソーであろうが、U.S.オープンであろうが、人は誰しもNo.1ティーで神経過敏になるものだ。 四人であるか四万人であるかの観衆の前で恥をかくことを恐れたり、自分のスウィングがかっこ良く見えるだろうかなどという心配も忘れ、どこへボールを向かわせたいかに集中せよ。かっこよく見せたいなどという考えは浅薄至極である。

"Take dead aim!"はNo.1ティーだけで役立つだけのものではない。フェアウェイやグリーンでも肝に銘じておくべき素晴らしい考えである。コースのどこであれ、頭の中に忍び寄るネガティヴな想念を閉め出し、振り捨てよ。

ハイハンデの人は、集中心が筋肉を統括して(たとえスウィングは不完全だとしても)頻繁にボールをターゲットへと向かわせることに驚くだろう。

"Take dead aim!" これは、たまに思い出した時だけ実行するものでなく、どんな時点、どのショットでも忘れないことが肝要だ」

【おことわり】画像はamazon.comにリンクして表示させて頂いています。

(January 13, 2016)

ゴルフを楽しくするゲーム(フルスウィング練習篇)

'Shave 10 Strokes in 12 Days'
by Sandy LaBauve and George Kehoe (Berkley Publishing, 1994, $9.95)

「以下のゲームは、単に楽しいだけでなく、熱中している間に知らず知らずのうちにゴルフに上達する優れものである。一つはパートナーが必要だが、他は一人ででも複数でも楽しめる。

Par-Tee(パー・ティー)【必要人数:特になし】

 練習場で創造力を逞しくしてホールをプレイする。練習場にフェアウェイを想定する二つの目印を設定し、ティー・ショットを打つ。二つの目印の間に着地すれば得点1。その外に出たら得点2。次に、グリーンの大きさのターゲットを選んで打つ。乗れば得点1。乗らなければ得点2。六ホールプレイし、どれだけの打数だったか計算する。

Percentages(パーセンテージズ)【必要人数:特になし】

 ターゲットに選んだ特定のクラブで10発打ち、何発ターゲットを打ったか数える。その数にゼロを付け足せば、コースでどれだけそのクラブを当てに出来るか予想出来る。例えば、ウェッジでグリーンに10発打ち、7発成功したとすれば、ラウンドでグリーンを捉えられる可能性は70%…という計算である。これに上達するにつれ、自信が増していく。

Call Your Target(コール・ユア・ターゲット、的を指定する)【必要人数:最低二人】

 一人がターゲットを指定し、各々それに向かって打つ。ターゲットに近い者が得点1を得、次のターゲットを指定する。20点まで続ける。

Create a Shot(クリエイト・ア・ショット、ショットを作り出す)【必要人数:特になし】

 様々な軌道のボールを十分間打つ。打つ前にその軌道を予告する。フック、スライス、フェード、ドロー、さらに意図的トップ球まで。これは楽しいし、報われる練習である。このゲームに上手くなるには、何が異なる軌道を生み出すのか知らねばならない。一度覚えたら、自分のスウィングの問題を修正することが出来るようになる。

The Timing's Right(ザ・タイミングズ・ライト、正しいタイミング)【必要人数:特になし】

 奇数番号のクラブで四発ずつボールを打つ。一発ずつスウィング速度を変え、25%、50%、75%、100%の早さで打つ。これは、どのタイミングがあなたにベストなのかということと、コースでどの早さで打つべきかを示唆する。これはまた、あなたのスウィング動作の自然な連続性を教えてくれる。ゆっくり振ることと全体がまとまって動くことによって、タイミングとリズムが改善される。75%の早さでスウィングした時に、遠くへ、そして正確に打てたとしても驚いてはならない」

(January 13, 2016)

ゴルフ・レッスンの正しい受け方

スポーツ心理学者Dr. Richard Coop(ディック・クープ博士)が唱える、レッスンを受ける生徒必読のべからず集。

'Mind Over Golf'
by Dr. Richard Coop with Bill Fields (Macmillan, 1993, $12.95)

「あなたは次のどれかのグループに属してはいないだろうか?

・何でも知ってる生徒

何も知らないズブの素人と対照的に、このテの生徒は技術本も読みヴィデオも沢山見ており、インストラクターと一緒の練習ティーではどちらが先生なのか忘れてしまう。スウィングとゴルフ全般に関してどれほど知識を持っているかをインストラクターに印象づけようとして、先生と彼自身の時間とエネルギーを無駄にしてしまう。

・プロ的生徒

このテの生徒(多くの場合裕福で、全国を旅して有名ゴルフ・スクールの最高のインストラクターから個人レッスンを受けている人)は、自分のコースに戻って人々に(何を学んだかではなく)誰に教わったかを語ることに喜びを感じるタイプ。授業の内容より、インストラクターの地位(トップ100インストラクターの何番目かなど)に関心がある。地元のレッスン・プロから定期的に教わることに較べれば、得るものは少ない。

・疑り深い生徒

このタイプの生徒にかかると、どんな指導も、どんな先生も充分とは云えない。先生が何を指示しようが、その正当性を皮肉な態度で疑問視し、とてもいい指示が与えられている場合にも気づかなかったりする。こういう生徒はもっと心を開いてレッスンを受けるべきである。


・目標での合意

これは当然至極のように聞こえるが、インストラクターたちはこれがナンバー・ワンの問題だと愚痴る。あなたが即効の解決策(プロたちはこれをバンドエイド・レッスンと呼ぶ)を求めているのなら、それはスウィング全体の改良のための連続するレッスンとは大きく異なるものだ。リゾート地にはそういうレッスンに特化したインストラクターたちもいるが、あなたのスウィングは絆創膏ではなく大手術が必要かも知れない。

生徒と先生両者の明確なコミュニケーションが不可欠である。あなたの体力、柔軟性、腕前、練習にかけられる時間などと共に、レッスンから何を期待しているかを忌憚なく話し合っておく。多くの生徒が飛距離増を望むが、能力と体力によってはショート・ゲームによってスコア向上を勧める先生の助言を容れる方が賢明であろう。

・あなたに合った先生をみつける

人生の他の局面同様、初対面なのに昔からの友人みたいに付き合える人もいるし、相性の悪い先生もいるだろう。教え方のスタイル(詳細な説明か全体像か、言葉か映像か、スウィングを見せるのか生徒にすぐやらせるのか、痛烈に批判する人か等)によって、先生を選ぶのも大事である。

・受け身でなく授業に絡むこと

明確に理解出来ないことがあったら、先生の助言を自分の言葉で復誦してみる。先生の云う通り出来なかったら、『出来ません』と云う。そうすることで、次のレッスンでどうすればよいか先生を助けることが出来る。

・正直であれ、エゴに邪魔させるな

私はしばしば、ハンデ15以上のゴルファーが先生に対し、キャリーで200ヤード飛ばし、常に12のグリーンにパーオンさせると云うのを見聞きしている。こういうゴルファーは自己評価に問題があるか、自負心があり過ぎるのだ。いい先生ならレッスンを始める前にあなたのゲームについて尋ねるだろうし、あなたが正直ならそれはレッスンを実りあるものに出来る。

・先生の云いつけを守れ

医師から処方薬の服用と何らかの運動を命じられた患者のように、ゴルフの生徒もインストラクターの指示に従う必要がある。不幸にしてゴルファーたちはしばしば非服従者であり、先生の指示を拒否したり、その一部しか実行しなかったりする。折角お金を遣ったのに、次のラウンドでは以前のスウィングに戻してしまったりする。新しい教えがすぐ効果を上げなくても、それを捨て去るという衝動と闘うべきだ。しばしば一歩前進するためには二歩下がる必要があるということを忘れてはいけない。

・辛抱せよ

他の精神運動技能を身につける際と同様、ゴルフの学習にも頭打ち状態が含まれる。急速な上達に続いて、前進がストップする時期が訪れるものだ。この時期に自分自身や先生を責めずに、耐え忍ぶべきである。学習の正しい段階を踏んでいれば、停滞期は過ぎ、いずれ強固な前進が実現する」

(January 24, 2016)

いいゴルフ場でレッスンを受ける

インストラクターKellie Stenzel Garvin(ケリィ・ステンツェル・ガーヴィン)によるレッスンtip。彼女自身ゴルフ場所属のインストラクターなので、多少、我田引水のきらいはありますが。

'The Women's Guide To Golf'
by Kellie Stenzel Garvin (Thomas Dunne Books, 2000, $24.95)

「上質のレッスンを受けるために上質のゴルフ場のメンバーになる必要はない。ほぼ全てのメンバー・コースは、レッスン・プロがメンバー以外のゴルファーを指導することを認めている。メンバー・コースに電話して、そこの方針がどうなのか調べるとよい。いいゴルフ場でのレッスンでは打ちっ放しの練習場よりいいボールを打てるし、多分そこで練習ボールの代金は請求されないだろう。

レッスン代は考慮すべき重要な事柄である。グループ・レッスンだとお金は節約出来るが、個人レッスンのように一対一のフィードバックは期待出来ない。お金を節約するもう一つの途は、ヘッド・プロでなくアシスタント・プロにつくことだ。多くの場合、アシスタント・プロの料金は低額である。節約したい場合、理想的なスケジュールは次のようだ。毎週、30分のレッスンを受ける($25〜$60)。インストラクターに練習のスケジュールと、次のレッスンまでに達成すべき目標を尋ねる。

レッスン開始時間に遅れないように。自分でボールを打ってウォームアップする気になったら、10〜15分早く到着してウォームアップを開始する。そこまでする気になれなければ、インストラクターの視野に入る範囲のどこか(近過ぎないところ)で待機する。インストラクターが指導中であれば、その邪魔をしないように。そのレッスンが済んだ時に、あなたが準備オーケーであれば、インストラクターはあなたの心構えと礼儀正しさに感謝するに違いない」

(January 24, 2016)

鋳型にはめようとするインストラクションを拒否せよ

この記事の筆者Peter Kostis(ピーター・コスティス)は、元PGAツァー・プロで、現在はゴルフ・スクール共同経営者兼CBS-TVゴルフ中継の解説者。

'Embrace the golfer within'
by Peter Kostice ('Golf Magazine,' May 2015)

「次に列挙する人名の共通点を挙げよ。Bob Toski(ボブ・トスキ)、Claude Harmon(クロード・ハーモン、"Butch"の父親でインストラクターとして唯一マスターズに優勝した人)、Sam Snead(サム・スニード)、Paul Runyan(ポール・ラニャン)、Henry Picard(ヘンリィ・ピカード)、Byron Nelson(バイロン・ネルスン)、Henry Cotton(ヘンリィ・コットン)、Tommy Armour(トミィ・アーマー)、John Jacobs(ジョン・ジェイコブズ)、Mac O'Grady(マック・オグレイディ)。

彼らは全て稀に見るプレイヤーたちだったが、同時に世界レヴェルの教師でもあった。そういうのは最近見掛けない現象である。なぜか?

最後のMac O'Gradyを除くと、誰もがトーナメント優勝賞金だけでは充分な暮しが立てられない時代に生きたため、ゴルフ場所属のレッスン・プロとして収入を補わねばならなかった。彼らはゴルフ場のメンバーに練習場やコースでゴルフを教えたのである。

前に挙げたプレイヤー兼教師たちは、生徒を鋳型にはめるのではなく、それぞれのレヴェルでベストのプレイヤーとなるべき考え方、視覚化法、フィーリング等を教えた。今日の多くの教師たちは、どの生徒をも同じスウィングの鋳型にはめようとする。数十年前、ヴィデオもTrackman(トラックマン)もなかった時代、よい教師は生徒にターゲットに向かってボールを打たせ、生徒の生来のリズムと傾向に適応した教え方をしようとした。これは生徒に既製服を着せるのではなく、身体に合ったカスタムメードの服を仕立てるようなもので、格段に優れていた。

Bubba Watson(ババ・ワトスン)とJim Furyk(ジム・フューリク)のスウィングに教科書通りの動きがあるだろうか?ノーだ。だが彼らのスウィングは充分役立ち、時によっては教科書的スウィングのAdam Scott(アダム・スコット)やRory Mcilroy(ロリィ・マカロイ)より優っている。

私の助言:あなたが到達出来るベストのゴルファーとなることを恐れるな。あなたの方法でスウィングせよ。あなたがレッスンを受ける際、教師が誰か他のプレイヤーの物真似をさせるのではなく、あなたに備わっているスウィングとリズムを発展させてくれるかどうか確認せよ。あなた本来のスウィングを愛せ。時間と練習とによって、万事うまくいく筈だ」

二ヶ月後の読者欄への電子メールによる投稿:('Golf Magazine,' July 2015)

「Peter Kostis(ピーター・コスティス)がやってくれた!私は過去15年の間に様々なプロのインストラクターからレッスンを受けた。その誰もが、私特有の体型的問題や傾向に最も合ったスウィングを見出す手助けをしてくれるのではなく、完璧なプロのスウィングを教えようとした。私は彼らから教わるのをやめた。なぜなら、彼らは自分に合ったスウィングを学びたいという私の希望に全く耳を貸してくれないからだ。彼らは完全に同一の教師用書を読んでいて、他の誰かに教えていることと同じことを私に教えようとした。Peter(ピーター)、ありがとう。個人に特化した指導を推奨してくれたことに感謝する。Mark Petty(マーク・ペティ)」

(January 24, 2016)

スコアをよくする効率的練習法

“モダン・ゴルフの祖”Byron Nelson(バイロン・ネルスン、1912〜2006)は、1945年にPGAツァー11連勝、年間計18勝を挙げるという記録を樹立した後、「念願の牧場購入資金が貯まったから」…と突如競技生活から引退し、世界を驚かせました。彼が説く、仕事で忙しいアマチュアのための練習のコツ。

[Byron]

'Shape Your Swing The Modern Way'
by Byron Nelson with Larry Dennis (Golf Digest, 1976)

「あなたのゴルフ仲間の誰かが常にあなたをぶちのめしているとしたら、その状況を引っくり返す策はたった一つ。彼より上手にプレイ出来る方法を学ぶこと。簡単な話だ。

膨大な時間は必要ではない。そりゃ、時間をかけるに越したことはないが、必要なだけ練習に時間を捻出出来るアマチュアは多くない。だが、適切な方針と賢く練習時間を使うことによって、急速に上達することは可能だ。あなたが必要とすればインストラクターの具体的な助けが得られるが、どの分野をどのように練習すべきか知っていれば、助けを借りずに一人ででも上達への道は開ける。

あなたのゲームを躓かせる部分に重点を置くのは当然だ。だが、私が思うにあなたの練習の大部分は、8番アイアン以下のクラブと、バンカー・ショット、およびパッティングに絞るべきである。第一に、よいショートゲームはあなたのスコアの大部分の打数を減らしてくれるし、第二に、40〜60ヤードのピッチ・ショットはよいリズムとテンポを構築する素晴らしい方法だからだ。長いクラブをハードに早く振るよりも、短いクラブをゆっくり振る方がよいフィーリングが得られる。

私は1946年にツァーから遠ざかった後、ほとんどプレイしなかった。1951年にBing Crosby(ビング・クロスビィ)トーナメントに招待され、その準備を始めた時、リズムを取り戻す必要を痛感した私は、100ヤード以内のショットだけを練習した。その方法で、スウィングの最中自分が何をしているかを感じ取ることが出来た。それには二つの御利益があった。テンポを取り戻せたのみならず、トーナメントの間私は完璧なピッチショットを打つことが出来たのだ。…そして優勝した。

だから、多くのゴルファーがやるようにラウンドの前に大慌てでドライヴァーを二,三回引っぱたくのでなく、フィーリングとリズムを得るための短いショットをするべきだ。その後、筋肉をストレッチするため、長いショットをいくつか打つ。

ついでに云えば、ラウンド前の練習は単にウォームアップである。スウィングの問題点を修正しようなどと試みるべきではない。なぜかと云うと、そんなことをすればNo.1ティーに赴く時に心が混乱してしまうからだ。慌てなくてもいいように、ラウンド前の活動を前もって計画しておく。練習場のティーグラウンドに歩いて行き、短いショットをゆったりと打ってウォームアップする。『ゆったり』という言葉を強調しておきたい。練習場では過度に早いスウィング・テンポになりがちで、それはコースでのラウンドにまで影響を与える。

あなたのゲームに問題があるとすれば、それを解決するのはラウンドの後である。コースに出て行く前に修正を試みたりしないこと」

【おことわり】画像はamazon.comにリンクして表示させて頂いています。

(January 27, 2016)

月1ゴルファー必読のtip

LPGA創始者の一人Louise Suggs(ルイーズ・サグズ、1923〜2015)は、メイジャー11勝を含め、生涯で全58勝を挙げたプロ。

'Letter from Louise Suggs'
from 'Golf Magazine's Pro Pointers and Stroke Savers'
edited by Charles Price (Harper & Brothers, 1960)

「私は、常に(あるいはほぼ常に)同じスウィングを生み出してくれる頼りになるスウィングのメンタル・イメージを身につけた。私はスウィングを荷車の車輪のようなものと考える。頭は車軸であり、両手・両脚はスポークであると。この心のイメージを持つと、身体の全ての部分が一体となりスムーズで流れるようなスウィングが得られる。沢山のインストラクションを覚えるより、メンタル・イメージを抱く方がずっと簡単である。メンタル・イメージは、あなたのムラのないスウィングにとってかけがえのない助けとなるものだ。そのイメージを確立するには多くの試みが必要かも知れないが、それは努力に値するものだ。

このメンタル・イメージは二、三週間プレイしなかった時にも役立つ。基本のフィーリングとイメージさえ備わっていれば、確立済みのスウィングを呼び戻すのは簡単である。あなたは主にタイミング【編註:身体各部の動作の同期】、フィーリングおよびリズムに集中すればよい。ショート・アイアン(8番か9番)で練習を始め、以前のリズムを回復出来るまで短くイーズィなショットを打つ。その後、段階を踏んで長いクラブに移り、少しずつテンポとパワーを増して行くが、常に統制の取れたスウィングでなくてはならない。スムーズに打てないのであれば、絶対にハードに打ってはいけない。アイアンが快調に打てるようになったらウッドに移行し、同じ段取りでスムーズかつパワフルなスウィングをする。以前のスウィングを取り戻した時、その比較的気軽に打てる事実に驚くに違いない。

しばらくプレイしていなかったのなら、ショート・ゲームに集中すべきだ。われわれは自分の惨めな経験から、ゴルフの第一歩であるこうした短いショットがフィーリングに基づいてプレイされるべきものであると知っている。実際のところ、こうした短いショットでフィーリングを確立することは、アイアンやウッドの長いショットをも助けてくれる。短いチッピングによってフィーリングを得るのは、スウィングのコンパクトさからいって簡単だが、短いスウィングを正しく遂行出来れば、長いスウィングも正しく打てるからだ。フィーリングは同じだからである」

【参考】「月1ゴルファーに捧ぐ」(tips_07.html)

(January 27, 2016)

モダン・ゴルフを生んだ妻

Byron Nelson(バイロン・ネルスン、1912〜2006)は、ヒッコリー・シャフトの時代にキャディをしながらゴルフを覚えましたが、スティール・シャフト時代に突入した時、それを使いこなした最初の人となったことから『モダン・ゴルフの祖』と呼ばれています。彼は1945年にPGAツァー11連勝、年間計18勝を挙げるという記録を樹立し、この記録は今も破られていません。以下の記事は彼の妻Louise(ルイーズ)の功績を讃えた夫の告白。

[Byron]

'Discovery that helped my golf game most'
by Byron Nelson ('Golfing,' June 1948)

「私は、アマチュアからプロになって数年経った多くの若者と同じようにお腹がへっこんでいたが、それは運動のせいではなく空腹のせいであった。その状況を二倍に悪くしていたのは、私の妻Louiseが私の不運の犠牲となって生活必需品の多くを購入出来ないことだった。

最初の三年間の果てしない経済的危機に腹を立てた私が耽溺していたのは、不運をクラブの咎にすることだった。不幸にも口がきけないクラブたちは、私の馬鹿さ加減を告発することが出来なかった。

1936年【編註:24歳の時】、私は何セットめかのクラブを放棄し、ショットメーキングの不運を解決してくれるであろう新しいセットにわれわれの乏しい財力を注ぎ込もうとしていた。常に驚くほど忍耐強く理解を示すLouiseであったが、彼女ももはや自分の考えを抑え切れなくなった。
『Byron, honey(バイロン、あなた)…』と彼女が口を切った。(彼女のパチパチ音を立てそうな目は、"honey"(ハニィ)という言葉から全ての甘い響きを奪い去っていた)、『自分を騙すのは止めたら?クラブが悪いんじゃないわ。悪いのはあなたなのよ』

Louiseは私の鼻っ柱をへし折ったし、私には分っていた。私はその真実を認めることを恐れていたのだ。私は彼女に反論出来なかった。1935年のU.S.オープン以後の金欠病がこの事態を招いていたのだが、私の未熟で見当違いなプライドが、私自身を指弾することを妨げていたのだった。

私は盲目的に改善を求めて鑿(のみ)、刃物、ドリル、ヤスリなどでクラブをいたぶるのをやめた。私はクラブの問題はクラブ・メーカーに任せ、道具の使い方を案じる決意をしたのだ。私は、少なくとも自分の心の中で二つの選択肢に直面した、1) ゴルフをやめるか、2) 自分とゴルフについて徹底的な研究を始めるか。

私の五年間の変革がその時から始まった。当時のトップ・プロであるHorton Smith(ホートン・スミス)、Johnny Revolta(ジョニィ・リヴォルタ)、Henry Picard(ヘンリィ・ピカード)、Paul Runyan(ポール・ラニャン)、Gene Sarazen(ジーン・サラゼン)、Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン)、Craig Wood(クレイグ・ウッド)ら全てを研究し、彼らのスウィングの共通点を探し出そうとした。長いことクラブをいじくり廻し、支離滅裂な練習に時間を浪費していた私は、目的意識を持った実験へと突入したのである。当初、全てが台無しになりそうに見えたが、Louiseは私の気を挫かせなかった。何度か私が諦めかけた時、彼女は云った、『とにかく出来るだけ頑張って。いつかうまくいくわ。私には分ってる』

1935年、ニューヨーク州で開催されたMetropolitan Open(メトロポリタン・オープン)。“Nelson(ネルスン)新ヴァージョン”は(凄い練習の後)数多の無名の者たちの一人として参加し、驚愕すると共に、天にも昇る気持ちにもなったのだが、72ホール計283で優勝し、賞金750ドルを獲得した。それは4ラウンドにおける私のベスト・スコアだった。ついでに云えば、私が賞金の小切手を受け取った時、私の一張羅のポケットに入っていたのは、たった一枚の5ドル紙幣であった」

この勝利がByron Nelsonを力づけ、彼はさらなる研究と練習に邁進します。そして、彼によって現在の「モダン・ゴルフ」の基礎が確立されるのです。

【参考】
・モダン・ゴルフの祖Byron Nelson(バイロン・ネルスン)(tips_88.html)
・Byron Nelson(バイロン・ネルスン)の牧場が買えるゴルフ(tips_66.html)
・Byron Nelson(バイロン・ネルスン)のバイロン卿の垂訓(tips_87.html)

(February 07, 2016)

曲がってもいい、常に一定のスウィングをせよ

Byron Nelson(バイロン・ネルスン、1912〜2006)は、ヒッコリー・シャフトの時代にキャディをしながらゴルフを覚えましたが、スティール・シャフト時代に突入した時、それを使いこなした最初の人となったことから『モダン・ゴルフの祖』と呼ばれています。彼は1945年にPGAツァー11連勝、年間計18勝を挙げるという記録を樹立し、この記録は今も破られていません。以下の記事は名人Byron Nelsonによる自分のスウィングを持てという助言。

[Byron]

'Shape Your Swing The Modern Way'
by Byron Nelson with Larry Dennis (Golf Digest, 1976)

「私のプロ生活で何よりも喜ばしかったことの一つは、私のプレイが安定していたことだ。トーナメントが年にたった15〜20しかなかった時期に113回も連続して予選を突破し、その都度賞金の小切手を獲得出来た。【註】

【編註:当時はトップ20だけが小切手を得られたので、これは113回トップ20フィニッシュしたことに等しい】

安定したゴルフを維持するために私が学んだ最も重要なことはこうだ。『常に反復出来るスウィングを開発すべし』 スコアをまとめられないゴルファーは、ボールに歩み寄る時にどうすべきか(プルするか、スライスか、トップか、フックか等)見当もつかない人々だ。誰しもがミスを犯す。だがスコアをまとめられるプレイヤーは彼のスウィングを反復出来、いつも同じショットが出来る人々だ。

へんてこなスウィングではあるものの、常に同じようにスウィングしていいスコアを達成する人々を私は知っている。Miller Barber(ミラー・バーバー)は間違いなく教科書通りのスウィングをしていなかった。彼は8の字を描くバックスウィングをし、両手は奇妙な位置を辿るように見えた。だが、彼はダウンスウィングで全てを正しく行い、そして毎回同じように反復したため、彼はとても成功したプロとなり得た。

ボールがどこへ向かうか(スライスしようがフックしようが)あなたが常にその行く先を知っていれば、あなたは大船に乗った気でいられる。ボールがどこへ向かうか分らないようだと、毎回途方に暮れることになる。

Ben Hogan(ベン・ホーガン)はある時期ひどいフックを打っていたものだが、それでもあるトーナメントで優勝出来た。そのわけは、彼が常に同じ幅のフックを打ったからだ。彼は毎回どれだけフックするか知っていた。着地点を知っているということは、煎じ詰めればストレートなショットを打つことと同じであり、ボールは彼が望む地点に正確に到達するのだ。これは極端なケースであって、Ben Hoganは後にストレートに打つことを学んだ。

いいゴルファーは反復出来るスウィングを開発するために練習し、ラウンドの際にどうスウィングすべきかとか、ボールがどこへ向かうかなど考えずに済むようにする。彼らはどこへボールを送り届けるべきか知っており、そのためにどう打てばよいか心得ている。彼らは、フックするだろうかとかスライスするだろうかなどと毎回案ずることなく、スコアリングだけに集中出来るのである」

【おことわり】画像はamazon.comにリンクして表示させて頂いています。

(February 07, 2016)

よいラウンドを達成する心構え

'The New Golf Mind'(邦題『ゴルフ・マインド』)は、PGA of Americaのマスター・インストラクターDr. Gary Wiren(ゲアリ・ワイレン博士)とスポーツ心理学の第一人者Dr. Richard Coop(ディック・クープ博士)が組んだ歴史的な書物。

Timothy Gallwey(ティモシー・ゴルウェイ)が'The Innner Game of Golf'(ゴルフのインナー・ゲーム、1998)の前著'The Inner Game of Tennis'(1974)で提唱した理論を、さらに右脳・左脳論によって深めた内容。これはPia Nilsson(ピア・ニルソン)とLynn Marriott(リン・マリオット)らの「二つのボックス」(tips_101.html)に応用されています。

[Takanos]

'The New Golf Mind'
by Dr. Gary Wiren and Dr. Richard Coop with Larry Sheehan (Simon & Schuster, Inc., 1978, $9.00)

「心理学者Peter Cranford(ピーター・クランフォード)はよいラウンドのゴルフは真珠のネックレスを作るようなものだという比喩を用いる。一つ一つのよいショットはあなたが注意深く加工すべき高価な真珠である。それはいっときに一個しか加工出来ないので、あなたは過去に作り上げたもの、これから作るべきものについて思い煩ってはならない。一個の真珠を一つずつ加えていく集中心が、最高に見事な製品の仕上がりをもたらすのである」

これは「PGAツァー・プロの念仏」(tips_47.html)に書いたように、誰もが唱える"One shot at a time."(一打ずつ考える/処理する)、"Stay in present."(現在時制に留まれ=過去や未来のことは考えるな)と同じことを、もっと長丁場の任務になぞらえたものと云えましょう。

私は真珠のネックレスなどよりもっと身近で具体的な経験を挙げることが出来ます。私の亡父がスポーツマンで登山好きだったせいで、高校、大学時代に毎夏北アルプス後立山連峰、立山連峰、中央アルプスなどの山登りに、兄と共に付き合わされました。その影響もあって、カミさんとは富士山にも登頂しました。登山というものは、一歩一歩頂上への距離を詰めて行くことでしかありません。頂上を見やって焦っても(←未来時制)仕方がない。自分の足で、目の前の尾根を昇ったり下りたりして、一歩ずつ前進するしかないのです。これぞ現在時制に留まり、一歩ずつ処理することの極致です。不注意な一歩だと浮き石に足をかけて転倒する危険があり(ザックリ、トップ,チョロ)、道を間違えればケモノ道(OB)に迷い込む恐れもあります。ガイドブックに二時間とあればそれがパーであり、いくら気が急いてもそれを一時間に短縮は出来ません。歩荷(ぼっか、山小屋の荷揚げのプロ)のように急いでも数十分(数バーディ)早くなるだけでしょう。

この山登りの比喩は私に忍耐と辛抱を強制します。いいショット、悪いショットに一喜一憂せず、「まだ先は長い」、「上がってなんぼだ」と諌めてくれます。頂上(No.18)までじっと地面を見つめながら足を運ぶことに専念したら、山頂に立って遥かな下界を見下ろし、ここまでの長い道のりを振り返り(スコアの計算)、やっと満足感に浸ることが出来るのです。

「ゴルフって登山なんかのように苦しいもんじゃなくて、楽しいもんじゃないの?」とおっしゃる?そうです。ビールを呑みながらゴルフする人は楽しめばよろしい。しかし、ビールを呑みながらするスポーツというものは、この世に一つもないということも御存知でしょう。

上達を望むなら、途中でビールなんか呑んじゃいけません。上達を望むなら、登山のように一歩一歩、しっかり大地を踏みしめて歩くしかないのです。

・「ビールの功罪」(tips_45.html)
・「インでの不調を予防する方法」(tips_154.html)

(February 17, 2016)

ゴルフの秘訣とは何か?

スポーツ心理学者Dr. Richard Coop(ディック・クープ博士)によるゴルフの秘訣の実像。

'Mind Over Golf'
by Dr. Richard Coop with Bill Fields (Macmillan, 1993, $12.95)

「ゴルフを学ぶ中で、ある日『秘訣を発見した!』と叫ぶことがあるに違いない。しかし、レッスンを受けたり、本や雑誌を読んだり、ヴィデオを見たりした後、何度そう叫んだか考えてみてほしい。誰もが一つの変更、一つのtipによって、大きな難問を解ける鍵を探し求めている。そんな鍵はあるのだろうか?あなたのスウィングの秘訣を探すべきなのだろうか?

私は、秘訣というものはゴルファー個々によって異なるだけでなく、一人のゴルファーにとっても時が経つにつれ異なるものだと認識した上で、その秘訣を探し求めるべきだと考える。私は『秘訣』というものはあなたのゲームの各部分を正しく統合する鍵(あるいはキュー、切っ掛け)であると定義する。真の秘訣とは、特定の時点であなたにぴったりの鍵を見出すことである。あなたのゲームが変化すれば、何があなたを助けてくれるか再確認が必要となる。ある時点では、バックスウィングでの充分な伸張が鍵であったが、今は右腰のターンが鍵である…といったように。やがて、それは完全に違うものになるかも知れない。これはツァーのベストのプロたちにも当てはまるのである。

なぜ秘訣は長持ちしないのか?『統覚量』という言葉で表されるわれわれの過去の経験全ての蓄積があり、それは新しいことを学ぶと変化する。統覚量が変化すればわれわれの物の見方も変わる。ある小説や教科書を再読する例をとってみよう。最初に読んだ時に、ハイライターで行を染めたりアンダーラインを引いたりした箇所にぶつかる筈だ。再読して、『なんでこんな箇所をハイライトしたのだろう?他の場所でなく…』と思ったら、それは統覚量が変化したせいなのだ。

ゴルフにおいては、どんな腕前のゴルファーであれわれわれの統覚量は日々変化する。ある日の鍵はスウィング動作でなくメンタル面であり、別の日、同じゴルファーに必要なのは動作に関する鍵かも知れない。

簡単で最善の方法は、あなたがいいスウィングをしている日の詳細をノートに書いておくことだ。それはあなたのガイドとなり、挫折から救い出してくれる助けとなろう。なぜなら、学ぶことが沢山あるためその多くを忘却し、再度掴むことが困難になるかも知れないからだ」

【参考】「ゴルフtipsについて」(tips_79.html)

(February 17, 2016)

Wiren & Coop(ワイレン&クープ)両博士のメンタルtips

PGA of Americaのマスター・インストラクターDr. Gary Wiren(ゲアリ・ワイレン博士)とスポーツ心理学の第一人者Dr. Richard Coop(ディック・クープ博士)が組んだ著作'The New Golf Mind'(邦題『ゴルフ・マインド』)にちりばめられている洞察。

[cover]

'The New Golf Mind'
by Dr. Gary Wiren and Dr. Richard Coop with Larry Sheehan (Simon & Schuster, Inc., 1978, $9.00)

「・シンプルなリラクセーションのテクニック

過度にやる気になっていたり、重要なショットの前に緊張し切っていたりする場合、クラブを親指と人差し指で摘み、歩きながら自由に、そして自然に揺らす。これは緊張をほぐすだけでなく、よいスウィングのリズムを身体に伝えてくれる。

・喜怒哀楽

ゴルフのために最も機能するのは、気分が暗くも高揚もしていない状態である。

・視覚化

初心者は心の目でボールの軌道を視覚化出来ない。実際に飛ぶボールを充分な数見ていないのだから。

・プロの素振り回数

ツァー・プロがドライヴァーを打つ前に一回以上素振りすることは滅多にないし、全く素振りしない者も珍しくない。彼らは数万回もフルスウィングを経験しており、必要な時はすぐ再現出来ることを知っているからだ。だが、グリーン近くで難しい中間クラブ・ショットに直面したプロを見て御覧なさい。微妙なピッチ、チップ、パットとなると、アドレスに入る前に何回も素振りをする者がいる。本当に打つ前にリハーサルをすることは、身体をリラックスさせ、そうすることで心に確信を築き上げ、それが身体に実行可能なことを遂行させることになる。

・初めてのコース

多くのアマチュアは一つのコースに習熟しているため、未知のコースでのプレイにはトラブルがつきまとう。未知への恐怖はわれわれ誰しもに共通なのだが、その恐怖は各ホールの長さを誇張し、パーオンさせるために並外れたショットが必要であるかのように思い込ませる。異なる環境なので異なるスウィングをしようなどと考え、テンポを早めたり、トップから打ち急いだりしがちである。

初めてのコースに挑戦する際は、ホールのレイアウトをホームコースの近似するホールに置き換えるとよい。こうすれば慣れ親しんだホールをプレイするのと同じことになる。その慣れたホールで用いるスウィングを思い起こし、それを遂行する。全てのホールが完全にそっくりではないかも知れないが、大多数の新奇さは抑えられ、心理的にプレイが容易になる筈だ。

・練習すべきでない時

疲れている時やスランプの際は練習すべきでない。あなたのプレイがあまりに不正確な場合は、練習は誤ったパターンを強固にしたり、不必要なテクニックの変更を迫ったりする。

トップ・クラスのプロたちは、60台で廻った後練習するが、80台では練習しない。彼らはいいフィーリングが得られたら、それを手放したがらない。彼らはよいスウィングを右脳の中で可能な限り新鮮に保つことによって、その有効性を引き延ばそうと図る。

あなたが本当にスウィング・ミスを犯すようなら、しばらくプレイしたり練習することをやめるのが賢明である。一時的に身を潜めている良い習慣に取って代わっている悪い習慣が身体にしっかり根を下ろすのを防ぐためだ。しばらく遠ざかっていた後、さほど意識的に努力することなく、以前の望み通りのスウィングに再会出来るだろう。

・クラブの飛距離

多くのゴルファーが、特定のクラブで最長不倒距離をマークした飛距離をもとにプレイする。ある男は7番アイアンで一生に一度の155ヤードを記録すると、常に7番でその距離へ飛ばそうとする。その結果は?ほとんどの7番によるショットをショートするか、夢よもう一度とオーヴァースウィングすることによって完全にミス・ヒットしてしまう。

・ゴルフの生徒と先生の数

アラバマ大のゴルフ・コーチConrad Rehling(コンラッド・レーリング)は云った、『ゴルフはプレイヤーより教師の数の方が多い、珍しいスポーツである』」

【おことわり】画像はamazon.comにリンクして表示させて頂いています。

(February 17, 2016)

グリーンのルール

インストラクターMike McGetrick(マイク・マゲトリック)執筆によるグリーンにおけるルール。

[Eiji]

'The Scrambler's Dozen'
by Mike McGetrick with Tom Ferrell (HarperCollins, 2000, $25.00)

「パッティングはゴルフの中でシンプルな分野だろうが、ルールという観点からすると複雑な面を持っている。世界的プレイヤーでも、パッティング・グリーンのプレイを支配するルールを知らなかったばかりに、トーナメント優勝を逸したこともある。以下はあなたが法の正しいサイドに留まることを助けるいくつかの指標である。

1. フリンジはグリーンではない。もしあなたのボールが他のプレイヤーの邪魔になる場合はフリンジでもマーク出来るが、ボールを拭くことは出来ないし、前にあった位置に正確にリプレースすべきである。また、ボールがフリンジにある場合、ボール・マークを修復することは許されない(あなたのボールがグリーンに乗れば修復してよい)。

2. 偶発的ストローク。1997年のTournament Players(トーナメント・プレイヤーズ)選手権で、Davis Love III(デイヴィス・ラヴ三世)は好調にプレイし、価値あるRyder Cup(ライダー・カップ)参加資格のポイントを得る準備に余念がなかった。ところが、No.17(パー3)のひねくれたグリーンで、素振りをしようとした彼はパターのトゥで誤ってボールを打ってしまった。彼は自分に2ペナを課し、ボールをマークし、新しいボール位置からプレイした。彼が知らなかったことは、もしボールが誤って打たれたのなら、ルールはボールを元の場所に戻すことを要求していることだった。ルール違反はラウンド終了まで報告されず、彼がボールをリプレースしなかったもう一つのルール違反を自らに課さなかったため、彼は失格となってしまった。

【編註】上の部分をMike McGetrickは「彼は自分に2ペナを課し…」と書いていたのですが、この記事の公開後ルールに詳しい細貝隆志様から「偶発的ストロークの罰は、1997年当時も今も1ペナなので、Mike McGetrickは勘違いしている」という御指摘を頂きました。他の情報にも当たってみたところ、確かにMike McGetrickの間違いであることが判明しました。よって、原文の罰打数を訂正しました。細貝様、ありがとうございました。

3. マークに心せよ。グリーン上で最も一般的なルール違反は、同伴競技者の要請によってボール位置をずらしてマークした後、元のボール位置に正しくリプレースしないというものだ。現チャンピオンズ・ツァーのBruce Fleischer(ブルース・フライシャー)は危うく1999年シーズンのシニア・ツァーでの優勝をふいにするところだった。4打差でトップを走っていた彼は、No.18のグリーンで同伴競技者の要請でマークをずらした。彼はマークをもとの位置に戻すのを忘れてパットした。幸運にも観衆の一人が、Bruce Fleischerがスコアカードにサインする前に彼のルール違反を指摘した。2ストローク・ペナルティにもかかわらず、彼は二打差で優勝した」

(February 28, 2016)

ゴルフ規則FAQ(よくある質問)

'Just the FAQs'
by Tara Gravel and the USGA ('Golf Magazine,' August 2004)

「ゴルファーたちの頭はルール関連の質問で一杯である。USGA協力者としてフルタイムで働く二人は、昨年21,000以上の手紙、電子メール、電話に対応した。その中で、最も一般的な質問は次のようなものであった。

・ボールマークの大きさと形に決まりはあるの?

 規則20-1の終わりの『球の拾い上げとマーク』という部分に、ボールをマークするものとして小さなコインか同様の物が推奨されているが、他のものでマークしても罰はない。

・グリーン外のボールがグリーン上のボールより近い場合の、プレイ順序は?

 規則10『プレイの順番』は、コースのどの場所にあるかに無関係に、カップから最も遠いボールからプレイされるべきだとある。

・ルールはパッティング・ラインに股がることを禁じている。だが、カップの反対側に立って手を伸ばし、自分の方に向かってパットするのは許されるか?

 規則16-1eが、ボール後方へ延長したラインに股がって立ってパットすることを禁じている。だが、パッティング・ラインはカップが終点なので、プレイヤーがカップの反対側からタップインすることは許される。ただし、クラブヘッドでしっかり打ち、掻き寄せたりしないことを条件とする(規則14-1)。

・パットする人の真後ろに立つのはルール違反?

 規則の『エティケット』セクションは、パットする人の近くやボール後方に立つべきでないと示唆しているが、この問題に関する規則はない。規則14-2bは、ストロークする際、自分のキャディ、パートナー、パートナーのキャディがボール後方に立つことを禁じており、これを犯した罰はストローク・プレイの場合に二打、マッチ・プレイでそのホールの負けとなる。

・バンカーを均すレーキはどこにあるべきか?

 USGAはレーキをバンカー外で、無理のない範囲で出来るだけ遠く、プレイに影響しないところに置くことを推奨している。

・カップの正式の直径は?居間でパットの練習をしたいので。

 『カップ』の定義(セクションII)で、直径は4.25インチ(108ミリ)と定められている」

【参考】
・「ゴルフ・ルールQ&A【入門者篇】」(tips_146.html)

(February 28, 2016)

木の枝の水滴を揺すって落とす

'Shaking your tree'
by David Barrett ('Golf Magazine,' November 2000)

Q:同伴競技者のボールは木の下に転がっていた。木の枝に触れることなしにバックスウィング出来ず、しかもその木は最近の雨で濡れそぼっていた。彼はショットする前に木の枝を揺すり、クラブが枝に触っても水滴で集中心が邪魔されないようにした。これは合法か?

A:ノー。それはゴルフ規則13-2違反である。彼はマッチ・プレイならそのホールの負け、ストローク・プレイなら2打の罰を受ける。

プレイヤーが露や霜、水を取り除くことは『改善』に当たるとして禁止されている。

この同伴競技者の場合、木の枝の水滴を落としたのは意図したスウィング地域の改善である。彼がバックスウィングの邪魔になる木の枝を折ったり曲げたりしても、同じ罰を受ける」

(February 28, 2016)

Nicklaus(ニクラス)がゴルフを始めた経緯(いきさつ)

私のゴル友J.B.(ジェイ・ビー)が亡くなったのは二年前。行年93歳。去年の暮れ、彼の奥さん(95歳)も亡くなり、遠方に住んでいる長女、長男、次男たちは両親の土地・家・家財一切を売り払うことに…。そのため、J.B.が蒐集していたゴルフ本のどれでも私が貰っていいことになりました。J.B.は歴史的ゴルフ本の復刻版を購読するブック・クラブ'The Cassics of Golf'に入っていたので、現在書店には並んでいない貴重な本が沢山私のところに転がり込んで来ました。Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)、Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン)、Gene Sarazen(ジーン・サラゼン)、Byron Nelson(バイロン・ネルスン)等々。

[Jack]

今回紹介するこの本もその中の一冊で、これはJack Nicklaus(ジャック・ニクラス)28歳の時の自叙伝で、24歳で'Down the Fairway'(1927)を著したBobby Jonesを彷彿とさせます。Jack Nicklausはこの本執筆中の1968年までに、既にメイジャー九勝を挙げていました。その彼の、興味深いゴルフ事始め。

'The Greatest Game of All (My Life in Golf)'
by Jack Nicklaus with Herbert Warren Wind (Simon and Schuster, 1969)

それはJack Nicklausの父Charles(チャールズ)の足首の故障に端を発していた。スポーツマンだった父が1944年にバレーボールで足首(くるぶし)を痛めた。X線写真のチェックでは問題なかったのだが、その障害はずっとCharlesを苦しめた。五年後、症状がかなりひどくなって、やっと原因が判明した。踵骨(しょうこつ)の一部が欠けており、関節炎に発展していたのだった(大きな骨に隠れて見えなかった)。手術をした医師は、三ヶ月ギプスをし、柔らかい地面の上を歩くよう指示した。

柔らかい地面の上を歩くというその指示は、Charlesにとってゴルフを意味していた。1935年に大学を卒業して以来ゴルフと縁がなかったCharlesだったが、1950年に地元オハイオ州のScioto C.C.(シオトC.C.)のメンバーとなった。術後の経過はよかったものの、Charlesは1〜2ホールのプレイがやっとで、その後は足首を安静にするため座っていることを余儀なくされた。これでは他のメンバーとラウンドするわけにはいかない。彼は10歳になる息子(Jack)をゴルフ友達にすることを思い立ち、息子にシャフトを短くしたクラブ・セットを与えた。父子で1〜2ホール プレイし、父が休憩している間、息子はパッティングやバンカー・ショットの練習をした。

これ以前、Jack Nicklausはゴルフのことなぞ考えたこともなかった。野球に夢中で春と夏はそれに忙しく、秋になるとフットボールに熱中した。彼がゴルフに手を染めた年の春、Scioto C.C.にレッスン・プロとしてJack Grout(ジャック・グラウト)が雇われた。当時11歳のJack Nicklausは夏期だけの毎週金曜日午前の二時間のジュニア・クラスを受講し、なおかつ父の指示で個人レッスンも受けることになった。Jack NicklausはJack Groutの模範生となり、これがJack Nicklausの人生とゴルフの歴史を変えることになる。

(March 09, 2016)

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン)物語(1)生い立ち篇

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン、1902〜1999)は、生涯にメイジャー七勝を含む計48勝を挙げた名人。1935年のthe Masters(マスターズ) No.15でのダブル・イーグル(アルバトロス)達成、サンドウェッジを発明した人としても有名。

1950年、Gene Sarazenが45歳の時に出版されたこの自伝は、下手な小説を読むより面白い。貧しい移民の子として、父のように大工になる筈だった少年が、知らず知らずゴルフの世界に惹かれて行き、果ては世界的チャンピオンになってしまうのです。

[Sarazen]

'Thirty Years of Championship Golf'
by Gene Sarazen with Herbert Warren Wind {Prentice-Hall, Inc.,1950)

Gene Sarazenの両親はイタリア人で、姓はSaraceni(サラチェーニ)。Gene Sarazenの父は勉強好きの若者だったため、両親が彼に神学を学ばせて神父とすべくローマの男子修道院に送ったものの、彼が叙階されるずっと以前に両親が亡くなってしまい、勉学の道は閉ざされた。彼は修道院で棺桶を作る大工となり、結婚し、間もなくアメリカのニューヨーク市北東30キロの町Harrison(ハリスン)に移住した。

家族は父、母、二歳上の姉、そしてEugene(ユージーン、後のGene)の四人。家族は二階建て、四部屋の貧しい家で暮らしていた。父は一人になるのを好み、しばしば屋根裏でパイプをふかしながらイタリアの古典を読んでいた。父は息子を大工にするつもりだったし、息子も四歳にして将来は大工になるんだと決意していた。

小学生になる頃、Geneは駅のホームで新聞を売り、収益を母に渡した。その売り上げで買って貰ったピカピカの靴を履いて小学校へ通い出したが、勉強は好きになれなかった。特に音楽とスペリングが嫌いだった。学校で喧嘩すると、二学年上の姉が父親に云いつけ、父親はGeneのお尻をぶち、晩御飯抜きの刑を云い渡した。その父が屋根裏へ引っ込むと、母親がGeneのところへ食べ物を持って来てくれた。

新聞売り子の仕事は週に一回だけだったので、Geneは冬にはくず鉄を拾い集めて売る仕事、夏になると果物摘みの仕事をした。背が伸びると、町のガス灯に火を点ける仕事もした。あるクリスマスに、父はGeneに手押し車を買ってくれたが、それはGeneが父の働く建築現場に行って木屑や木片を集めて持って帰り、家族で暖を取るための道具だった。「結局のところ、気の滅入るような子供時代だった。たまに、家から1.6キロも離れたところで水泳をしたのが、思い出せる唯一のレクリエーションだった」

八歳になったGeneは初めてゴルフというものの話を聞く。七月のある夕方、彼がイチゴ摘みから戻ると、母がお向かいさんから聞いた話をした。そこの息子さんは棒で球を打つゲームの先生として結構なお金を得ており、お金持ちたちの棒や球を運ぶ少年たちを雇っていて、その一人は息子さんの弟Danny(ダニィ)である…と。DannyはGeneの一才半上だった。その夜、早速GeneはDannyを訪ね、雇って貰える見込みと仕事の概要を聞いた。翌日、Dannyに伴われてGeneは路面電車で40分のLarchmont C.C.(ラーチモントC.C.)に行き、Dannyの兄(レッスン・プロ兼キャディ・マスター)にキャディとして雇われることになった。Dannyがエティケットやゴルフ用語を教えてくれた。

三週間後、Geneはキャディを馘になって当然のことをしでかした。歩くのが遅いお客についた日、彼はもう一人のキャディにお客のドライヴァーを渡すと、前方の急な丘の上へフォアキャディとして走って行った。お客たちが丘に届かないティー・ショットを放った後、彼が待ちに待って好機が訪れた。丘の蔭に隠れて、生まれて初めてゴルフ・ボールを打つのだ。丘を駆け下り、ジガー・クラブ【註】を握ると、スタンスを取り、ボールを打った。完璧なショット。ボールはビューンと音を立てて真っ直ぐグリーンに向かい、カップから15〜18センチのところに止まった。初めてのショットの成功によって彼は当初の隠蔽プランを忘れ、丘を駆け上がってお客に自慢してしまった。誉めてくれると思ったお客は、「キャディ・マスターに報告する。お前が馘になるかどうかは彼次第だ」と云った。

【註】"Jigger"(ジガー)はロフトのある短いアイアンで、主にチッピング用。現在は用いられない。

Geneは執行猶予を貰って、免職を免れる。しかし、ジガー・ショットの快感が忘れられず、Dannyや他の仲間と学校の校庭や家の近くの空き地にコースを作って遊んだ。お客たちが折れたシャフトをくれたので、必要なのはヘッドだけだった。

11歳になった時、三年間キャディを勤めたLarchmont C.C.をやめ、もっとお金の稼げる大きなゴルフ場に移った。空き地でのショートゲームに習熟し、距離の判断の的確なキャディとして認められるようになり、ゴルフ場のトップ・アマのキャディとして地域のトーナメントに参加するようになる。

1917年、Geneが15歳の時、第一次大戦が勃発し、アメリカも参戦した。多くの若者たち同様、Geneも興奮したが15歳では軍役には就けない。兵士の訓練基地の建設でてんてこ舞いの父が「お前はもう学校へ行かなくていい」と云った。学校が嫌いなGeneは内心大喜びするが、その息子の心底を見透かしたように、父は「基地建設で働くんだ。もうキャディは駄目だ、日曜以外はな」と告げる。

Geneは建設現場で釘打ちの担当となる。この時鍛え上げた腕の筋肉が後にゴルフに役立ったと彼は回想している。しかし、労働はきつく、疲れ切る毎日。貧しさから医師にかからぬうちに、ある日完全に倒れてしまう。青ざめた父の奔走の結果医師の診断を受け、風邪だと思っていた病気は重篤の肺炎と判る。やっと入院したものの「死亡リスト」の一人に含められ、神父が安らかな昇天を祈り始める始末。難しい手術によって奇跡的に命は助かるが、医師は「まだ完全に回復したわけではない。私の助言は、六週間安静にし、もう基地建設現場には戻らず、屋外の新鮮な空気と太陽の下で働ける職を見つけろというものだ」と断言する。

常にキャディの仕事を嫌う父に、Geneは医師の言葉によって対抗し、“屋外の新鮮な空気と太陽の下で働ける”プロのキャディになる決意を固めていた。裕福な家の子供でなかったFrancis Ouimet(フランシス・ウイメット、1913年のU.S.オープン優勝者)とWalter Hagen(ウォルター・ヘイゲン)の成功が、貧しい家の倅でも金持ちのゲームに這い上がれるのだと確信させてくれていた…。

(March 16, 2016)

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン)物語(2)立志篇

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン、1902〜1999)は、生涯にメイジャー七勝を含む計48勝を挙げた名人。1935年のthe Masters(マスターズ) No.15でのダブル・イーグル(アルバトロス)達成、サンドウェッジを発明した人としても有名。

1950年、Gene Sarazenが45歳の時に出版されたこの自伝は、下手な小説を読むより面白い。貧しい移民の子として、父のように大工になる筈だった少年が、知らず知らずゴルフの世界に惹かれて行き、果ては世界的チャンピオンになってしまうのです。

[Sarazen]

'Thirty Years of Championship Golf'
by Gene Sarazen with Herbert Warren Wind {Prentice-Hall, Inc.,1950)

15歳のEugene Saraceni(ユージーン・サラチェーニ、後のGene Sarazen)は、瀕死の肺炎から奇跡的に蘇った後、町の真ん中にある9ホールのパブリック・コースのBeardsley Park(ビアズリィ・パーク)に赴き、そこの若いクラブ・プロAl Ciuch(アル)に、リハビリのためチッピングとパッティングを練習させてほしいと頼んだ。Alはためらいもなく、好きなだけやれと云ってくれた。三週間ショートゲームを練習した後、Geneはウッドの練習を始めた。一般ゴルファーの邪魔にならないホールで練習していると、Alがやって来て、Geneの球筋に驚く。彼は「それでいい。打ち続けろ」と励ましてくれ、Geneは早朝と夕暮れに練習を続けた。

父は「病気が治ったのなら大工仕事に戻れ。男は手に職をつけなきゃいかん」と強硬に云った。Geneは「僕はゴルフを自分の仕事にするつもりだ。クラブの作り方やゴルフの教え方を学ぶ。上手くなったらトーナメントに出る。いいゴルファーは、いい大工よりお金が稼げるんだ」と主張した。父は「どれだけ稼げるんだ?今食ってる食べ物は、誰が金を払ってると思ってるんだ」とカッカとなった。母が「子供がゴルファーになりたいってのは、そんなひどいことじゃないでしょ?」と、とりなしてくれた。父にはゴルフは金持ちの遊びだという固定観念があり、自分や息子には縁がないものと決めつけていたのだ。

ある夏の日、クラブ・プロのAl(アル)とその弟、某メンバーの四人でNo.1(145ヤード)パー3のティーに立った時のこと。Alの弟がピン傍30センチにつけ、メンバーがその10センチ内側につけた。Geneはマッシー【編註:5番アイアンに相当】でボールを打ち、二度目のバウンドでボールはカップに消えた。生まれて初めてのホールインワン。最後にAlが打ち、何と、彼もホールインワン!彼はこの同時に二つのホールインワンの話を地元紙に電話で伝えた。

翌日、Geneは新聞売り場の前で新聞が届くのを今か今かと待った。印刷された自分の名前など見たこともなかった。急いでスポーツ欄を開く。あった!"Yesterday afternoon Al Ciuci and Eugene Saraceni scored holes-in-one playing together at the Beardsley Park Public Course…"(昨日午後、Beardsley Parkゴルフ場において、一緒にプレイしていたAl CiuciとEugene Saraceniは共にホールインワンを達成した)。

「私はその記事を何度も何度も読んだ。無言で、ある時は声に出して。一つだけよくないことがあった。私は印刷された自分の名前も、その響きも気に入らなかったのだ。Eugene Saraceni(ユージーン・サラチェーニ)はゴルファーの名前のように聞こえないし、歯切れが悪い。"Eugene"はヴァイオリン奏者や教師には悪くないとしても、スポーツマンとしては腐ったような名前だ。"Saraceni"は長過ぎるし、誰もが発音を間違えるので苛々させられる。名前は人のトレードマークである。私自身とゴルフに相応しい名前が欲しかった。

家に小さな黒板があったので、それに"Saraceni"の全ての文字を変える実験を続けた。ある夜、"Sara"の後に"zen"という文字を加えてみた。何度も大きく声に出してみた。その響きはリズミカルで明快で気に入った。電話帳を見ると、"Sarazen"という名は皆無だった。私は新しい名前を発明したのだと結論づけた。"Eugene"の代わりに"Gene"にした。これこそ私が求めていたものだった。この夜から私はGene Sarazen(ジーン・サラゼン)となった」

(March 20, 2016)

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン)物語(3)自立篇

Gene Sarazen(ジーン・サラゼン、1902〜1999)は、生涯にメイジャー七勝を含む計48勝を挙げた名人。1935年のthe Masters(マスターズ) No.15でのダブル・イーグル(アルバトロス)達成、サンドウェッジを発明した人としても有名。

1950年、Gene Sarazenが45歳の時に出版されたこの自伝は、下手な小説を読むより面白い。貧しい移民の子として、父のように大工になる筈だった少年が、知らず知らずゴルフの世界に惹かれて行き、果ては世界的チャンピオンになってしまうのです。

[Sarazen]

'Thirty Years of Championship Golf'
by Gene Sarazen with Herbert Warren Wind {Prentice-Hall, Inc.,1950)

Geneは二ヶ月も経たぬうちに、パブリック・コースBeardsley Park(ビアズリィ・パーク)の誰よりも飛ばし、誰よりもいいスコアで廻れるゴルファーとなった。彼が9ホールを常に35あるいはそれ以下で廻るようになると、仕事が必要だったGeneのために、クラブ・プロのAl(アル)が至る所でGeneを激賞し、売り込み活動を展開してくれた。「この小僧っこは身長1.64m、体重50kgしかないのに、おれより飛ばすんだ」と。

Alの最大の売り込みターゲットは近隣のコネティカット州のメンバー・コースBrooklawn C.C.(ブルックローンC.C.)のクラブ・プロGeorge Sparling(ジョージ・スパーリング)だった。しかし、Alの努力は暖簾に腕押しだった。George Sparlingは、この当時のアメリカ全土のゴルフ場を独占していたスコットランド生まれのレッスン・プロ兼クラブ・メーカーの一人で、「アメリカ人をアシスタントにするつもりはない。この戦争【註:第一次大戦】が終わればスコットランドの最高のクラブ作りをアシスタントに雇えるんだから」と公言していた。AlがGeneに「君はスコットランドに行くか、身体にスコットランド人の血が流れていないと駄目みたいだ」と云うと、Geneは「彼に、僕の名はMacSarazen(マクサラゼン)だと云ってよ」と応じた。【註】

【註】"Mac"や"Mc"が頭につくのはスコットランド、アイルランドに多い名前。例:Macbeth(マクベス)、McDonald(マクダナルド)、MacArthur(マカーサー)。

1918年(Gene 16歳)の秋、Alのしつこい売り込みに辟易したGeorge Sparlingは、「よし、一度その小僧を見ることにしよう。だが、何も約束はせん。世間にゃそういう小僧っ子がうじゃうじゃ居るんだ。月曜日に連れて来い。その後はもううるさくするな」 その日、Geneはプロ・ショップの裏でドライヴァーを何回か振らされた。George Sparlingは「悪くない。もう少し磨く必要があるが」と云ってショップに引っ込んでしまった。「テストに失敗したんだ」とガックリしたGeneは、それまでの緊張をほぐすために、ドライヴァーを振り続けた。何度も何度も。

そのGeneのスウィングを、プロ・ショップの窓越しに見つめていた二人の中年の紳士がいた。それは大富豪の跡継ぎで、二人ともアマチュアながらクラブで一番の腕前のWheeler(ウィーラー)家の双子の兄弟だった。【註】彼らは「あの少年を雇うんだろうね。とてもいいスウィングをしてる」と、Geneを強く勧めてくれた。一介のクラブ・プロであるGeorge Sparlingはクラブの創立会員であり中心人物でもある二人の言葉を無視出来ず、週給8ドルでGeneを雇うことにする。しかし、あくまでも雑用係としてであり、George Sparlingは意地悪婆のようにGeneをこき使い、メンバーやWheeler兄弟がGeneと親しくなる機会をつぶした。

【註】双子のWheeler(ウィーラー)兄弟の一方は早逝しますが、残された一人Archie Wheeler(アーチィ・ウィーラー)は、この後Gene Sarazenを終生サポートすることになります。なぜWheeler家が富豪だったかというと、Archie Wheelerの父がパテントをDupont(デュポン)社【次の記事「見えざる帝国」参照】に売却するまで、ゴム製造の特許はWheeler家が保有し、同じくSinger(シンガー)社に売るまでミシンの特許もWheeler家の財産だったからです。

ゴルフ場だけの給料では不足なので、Geneは夜8時から朝7時まで病院で働く。この年、町の何千人もがインフルエンザに感染し、Geneは毎日病床から死体を死体置き場に運ぶという陰鬱な仕事をさせられた。この経験が彼を精神的にタフにし、後にトーナメントで役立つことになる。インフルエンザの嵐が去り、仕事が暇になった時、患者のためのベッドで仮眠しているのを見つかり、即日馘になる。

練習用フェアウェイでの練習が許可され、有力メンバー数人がGeneとラウンドしたいとGeorge Sparlingに希望し、渋々了承された。Geneの好スコアが頻繁に耳に入ると、それに圧倒されたGeorge Sparlingはもはやメンバーのリクエストを断れなくなった。しかし、Geneに対する彼の冷たい態度に全く変わりはなかった。しかし、ある日…。

雨がひどくなった日の午後、全てのゴルファーたちはコースを引き上げ、プロ・ショップにはBeardsley Park(ビアズリィ・パーク)の若いクラブ・プロAl Ciuch(アル)と彼の弟ほか数人だけが残って、ゴルフ・コースの話をしていた。話題がこのコースのNo.4(495ヤード)パー5になった時、George Sparlingが「あれはいいホールだ。この界隈であのグリーンに2オンさせられる奴はいない」と云った。Geneが「ボス、僕が2オンさせられるかどうか5ドル賭けません?」と云うと、George Sparlingは顔を真っ赤にしてGeneを鋭く睨み、「その賭けを受けて立とうじゃないか、若僧め」と云った。

ドライヴァーとブラッシー(2番ウッド)を手にしたGeneは、他の連中と一緒に自動車に乗り、No.4のティーに向かった。Geneは篠突く雨の中でボールをティーアップすると、一旦車に戻って両手をタオルで拭き、また出て行ってボールをかっ飛ばした。皆で二打目地点まで車で移動。Geneはタオルでグリップを覆ったブラッシーを持って車を飛び出し、両手を拭いてからボールをぶっ叩いた。

グリーンに乗っているボールを見たGeorge Sparlingの顔が突然変化した。彼は笑みを浮かべ、興奮の奔流が彼の声を満たした。「やったな!」彼はGeneの背中をどやしつけながら笑った。「お前は一人前だ、あんちゃん。充分一人前だ。この二打のショットは偉大なショットだ。この国に、こんなコンディションの下で二打で乗せられる奴なんかいっこない。こんなのを見せてくれるんなら、いつだって5ドル払うぜ」彼はGeneの肩に手を廻した。「今後は、あんちゃんよ、お前はおれの秘蔵っ子だ」

雑用の半分を免除され、練習に精を出し、ある天狗になっているメンバーがGeorge Sparlingに挑戦したマッチ・プレイに、Geneが代わりに受けて立ってやっつけた。恥をかかないで済んだGeorge Sparlingは、感謝の意味で某プロ=アマ・トーナメントにGeneと参加した。Geneは分け前の賞金50ドルを獲得。既に貯金が100ドルあった。占い師が彼のマメだらけの掌を見ながら「あんたはホームタウンでは富を得られない。フロリダへ行け」と云った。Geneはフロリダに行く決意を固めた。

父は相も変わらず反対し「金が底をついたらどうするつもりだ?」と云った。「フロリダのオレンジ摘みになる」とGene。「だったらオレンジを摘め。そりゃあ輝かしい未来だろうよ、お若いの」と父。

こうしてGene Sarazenは南部でいくつものトーナメントに参加し、お金と知己も得、クラブ・プロの仕事もオファーされ、次第にプロフェッショナル・ゴルファーとして世界に羽ばたいて行くのです。

【完】

(March 23, 2016)

見えざる帝国

'Invisible empire'
by Mike Walker ('Golf Magazine,' September 2010)

「あなたはゴルフ関連の最大の企業を全て知っていると考えている筈だ。それは本誌Golf Magazine'『ゴルフ・マガジン』の誌面やTiger Woodsの帽子に広告を出している会社などだろうが、さて、果たしてそうだろうか?

ゴルフ界最大の企業はプロ・ゴルファーと専属契約などしていないし、ゴルフ用品店で名前を見かけることもないだろう。しかし、あなたはその会社の製品をいつも使っているのだ。

デラウェア州に本拠地を持つ化学薬品会社で、ゴルフボールのSurlyn(サーリン)、ゴルフ・シャフトのためのKevlar(ケヴラー)、高性能ゴルフ衣料に使われる繊維、そしてあなたのコースの芝を緑にし生育させる化学薬品などを製造するDuPont(デュポン)という会社がそれだ。

次は、あなたがゴルフする際に支払う事実上全てのものに、いかにDuPont社が絡んでいるかの一部である。

Surlyn(サーリン):スポーツに革命を起こしたゴルフ・ボールのカヴァー素材。サーリンはボールのマントル層に使われ、飛距離を伸ばし、グリーンでのよいフィーリングをもたらす。

Kevlar(ケヴラー):これはゴルフ・シャフト(特にドライヴァー)で多く使われているが、警察や軍隊の防弾服の素材としても知られている。これはまたソフト・スパイクの原料でもあり、ゴルフ手袋の掌部分を保護するパッチとしても使われる。ヴァーチャル・ゴルフ・ゲームでボールを打つスクリーンの素材もこれである。

Teflon(テフロン):高性能ゴルフ衣料(特に悪天候下用)の繊維保護剤。【編註:フライパン等へのコーティング剤としても有名】

Hydrology:Callaway(キャラウェイ)がこの皮革防水保護剤を手袋に用いている。

High-performace plastic resins:レジン。ゴルフ場の灌漑システムのために用いられる樹脂。

Dupont professional products:ゴルフ場の害虫駆除のために用いられる薬剤」

【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/デュポン

(March 23, 2016)

草を抉(えぐ)る

幕府の密偵(“草”)を退治するのでも、兎の餌にする草を刈るのでもなく、「胴体で逆転する」(02/14)とFLW(フラット・レフト・リスト=平らな左手首)の練習をしているのです。これには打ちっ放しへ行って練習ボール代を払う必要はなく、芝生に混じっている雑草を8番アイアンで除去すれば充分。

[weeds]

雑草と云っても、ススキのように丈の高いものではなく、低く横に蔓延(はびこ)るタイプのものです【右の写真】。それをスウィングで根こそぎ弾き飛ばします。これにはボールのターゲット側でディヴォットを取ることに慣れる効果もあります。

この練習をしていて学んだこと:
1) 左肩の突端が(仮想の)ボール位置に達した時をバックスウィングのトップの終点とすべきである。この時が最も正確に雑草を刈り取れる。この時点を過ぎると(捻転過剰)、ダフることが多い。
2) 往々にして左肘を折ってしまい、トップして雑草の葉の一部を刈るだけで、根こそぎ弾き飛ばすことが出来ないことがある。左腕を伸ばすことの重要性が痛感出来る。

ラウンドで上の(1)の効果を確認しました。あくまでも私にとってですが、これは飛距離・方向どちらも満足出来る結果を生み出すことが判明し、一人ほくそ笑んでおります(^-^)。《左肩をボールの真上まで廻す》のですが、この時ちゃんと右肘を折り畳むこと。(←これは私だけに必要なことかも知れません) 畳まないとアウトサイド・インになってプルやプッシュになります。


(March 20, 2016、増補April 23, 2016)

菊と刀とゴルフ

市営ゴルフ場のシニア・グループは、ベスト・ボール【註】を行うのが通例ですが、たまに幹事が「今日はスクランブル【註】をしよう」と云い出すことがあります。

【註】「ベスト・ボール」は、各チームの全員がストローク・プレイをし、チーム内の誰かの最少スコアをそのチームのスコアとして加算して他チームと優劣を競うゲーム。「スクランブル」はチーム全員がティー・ショットを打ち、そのベストの結果と判断されるボールを一個選び、その位置から全員が二打目を打つ。同じ方法をホールアウトするまで継続して他チームと優劣を競うゲーム。

スクランブルはアメリカのチーム・ゲームで最も人気のあるゴルフ・ゲームで、慈善の資金集めのトーナメントは、ほとんどがこの方式です。チームの総合力がものを云うので、飛ばす人、寄せが上手い人、パットが上手い人などで構成されたチームが有利です。個々のスコアは問われないため、ハイ・ハンデの者でも幸運に恵まれればチーム優勝に貢献出来る可能性があります。

[Chrysanthemum]

当市が年一回五月の「シニア月間」に開催する無料トーナメントもスクランブル方式で、私はここ数年同じチーム・メンバーで参加していますが、この場合はチーム(運命共同体)として互いに助け合う意識が濃厚で、この場合のスクランブルは大いに楽しんでいます。しかし、通常ベスト・ボールをしている連中と急にスクランブルを行うのは好きではありません。

私は、ベスト・ボールのラウンドでも必ず毎ホールでパット・アウトして自分のスコアを数えますが、他の連中は自分自身のスコアには無頓着で、関心があるのはチーム・スコアだけです。意地悪く考えれば、自分のスコアを数えるほどの実力がなく、その他大勢の一人としてプレイするしか楽しみがない人達とも云えます。こういう有象無象がスクランブルでチームを形成しても、運命共同体とはなり得ず、チーム内ドラコンで誰が一番飛ばすかとか、誰が一番近くに寄せるかなどを競い合ったりします(これは競争心を鼓舞する反面、チーム・ワークを破壊します)。私はこういう仲間内の競争意識が苦手です。

『菊と刀』は第二次大戦中にアメリカ合衆国政府が、Ruth Benedict(ルース・ベネディクト、1887〜1948)という文化人類学者(アメリカ人女性)に委嘱して、交戦国日本の人々の思考・行動パターンを研究させた成果をまとめた研究論文です。Ruth Benedictは交戦中だったため日本に赴いて現地調査することは叶わず、書物や合衆国内の日本人たち、日本で暮らした経験を持つアメリカ人たちへの聞き取り調査だけに限定されたのですが、にもかかわらず日本人の価値観と思考・行動様式を鋭く抉り出した出色の出版物となりました。

The Chrysanthemum and the Sword'
by Ruth Benedict (Houghton Mifflin, 1946, $14.00)

その『菊と刀』に次のような一節があります。

「われわれアメリカ人は、競(きそ)い合いは“良いもの”だと高く評価する。心理テストでは、競い合いがわれわれのベストの仕事をする励みになることを示している。その刺激の下で遂行能力は向上する。われわれは競争相手がおらず、一人で作業する場合には自分のベストの水準に達しない。しかしながら、日本でのテスト結果は正反対なのだ。

日本の子供たちはふざけながら競い合いをし、結果がどうあろうと気にしない。しかし、日本人が成長し、若者や成人になると遂行能力は競い合いによって低下する。彼ら自身だけで作業する際にはその対象である作業に習熟し、失敗率も低く、早い作業速度を獲得するのだが、いったん競争相手が加わると失敗率が高くなり、作業速度は格段に落ちる。日本人は他者との比較でなく、自分自身の記録に対し向上を図る時にベストの能力を発揮する」

上の指摘はぴったり私のゴルフに当てはまります。私は個人的に「80を切る(=7オーヴァー以下で廻る)」を目標にプレイしているので、ストローク・プレイによって一打の重みを噛み締めながらプレイします。結果的にパフォーマンスも向上します。ところが、スクランブル競技には個人のスコアというものは存在せず、一打毎にチームにどう貢献するか、誰が一番遠くに飛ばすか、誰が一番近くに寄せるかという競争になってしまいます。競い合いが好きではない私も、つい功名心からプレイがワイルドになり、必然的に失敗も増えます。一打の重みなどなくなってしまい、ただの自己顕示欲オンパレードに堕してしまうのです。

慈善のためのスクランブル競技は資金集めが目的で、主に地元企業にチームとしての高い参加料を払わせ、その企業は自分のお得意先のゴルファーたちに臨時のチームを編成させて無料でプレイさせる…という構図ですから、年に数回しかプレイしないなどという人も混じっています。こういう人にとっては、個人のスコアを度外視出来るスクランブル競技はまさに打って付け。そんな人でもいい仲間と幸運に恵まれれば、10アンダーとか12アンダーで豪華賞品にありつける可能性があります。そこがスクランブルのメリットです。

ひるがえって、80を切るとか、最少ストローク数を目標にしている私には、(豪華賞品でもあれば話は別ですが)スクランブルは時間の無駄と云えます。先日、幹事が「今日はスクランブルをしよう」と云い出した時に、「ノー」と云ったのは私だけで、「いいよ」という数人(残りは無言)に多数決で押し切られてしまいました。次回、同じ場面になったら黙ってその日の出場を取り止め、一人でラウンドすることにします。嫌々つきあいゴルフをしても楽しくないし、おまけにチームとして負けてお金を払うなんて踏んだり蹴ったりですし。

面白いのですが、Ryder Cup(ライダー・カップ)のような米欧チーム対抗戦を見ていると、アメリカのトップ・プロたちは個人戦には強いが団体戦に弱いのです。一見、私の悩みに似ているようですが、実は違うでしょう。国民性と云うより、アメリカのプロたちは個人的競い合いだけに長けていて、協調精神に欠けているということのような気がします。

【おことわり】画像はvignette2.wikia.nocookie.netにリンクして表示させて頂いています。

(March 30, 2016)

ゴルフの歴史に残る日本人

 

これは変わった本です。ゴルフの編年史を世界中の有名コースの50のホールでの歴史的出来事に象徴させて、1800年から2006年までを振り返るという趣向。

'The Story of Golf in Fifty Holes'
by Tony Dear (Firefly Books, 2015, $29.95)

この本に日本のコースが二つ出て来ます。一つは霞ヶ関C.C.で、2020年のオリンピックのゴルフ部門開催コースに選定されているせいか、六ページもかけて紹介されています(普通は二ページで、多くても四ページ)。もう一つは廣野G.C.で、こちらは二ページ。

220ページのこの本に、日本人の写真が三枚出て来ます。誰と誰か見当がつくでしょうか?

先ず、1852年のSt. Andrews(セント・アンドリュース)のNo.17の項に登場する中島常幸。「哀れなトミィ・ナカジマは1978年の全英オープンの第三ラウンドでNo.17の『ロード・バンカー』に入ると、出て来るまでに四苦八苦した」というコメントが付いています。

二人目は1929年の霞ヶ関C.C.の項に登場する皇太子の頃の昭和天皇で、1926年に駒沢にあった東京C.C.のティーからティー・ショットを放った瞬間(右の写真)。モダン・ゴルフのフィニッシュではなく、全身(頭・胸・腰・両足)が完全にターゲットを向いており、「この皇太子の誤った体重移動を批判する度胸のある日本のプロはいただろうか?」という皮肉なコメント。

三人目は上と同じ項に登場する中村寅吉。1957年のカナダ・カップ(現在のワールド・カップ)でSam Snead(サム・スニード)と談笑する姿が一ページ全部を占領しています。「この二人は1958年のthe Masters(マスターズ)で再会した」というコメント付き。

こんな風に、日本のことだけ気にするのは島国根性だと反省しています(^^;;。世界のどこかで旅客機事故などがあると、日本のTVや新聞は日本人乗客がなければ大事故でも非常に軽く流し、日本人がいるとなると軽い事故でも大騒ぎします。あれと同じように思えて忸怩たる思いがするわけです。


(March 30, 2016)

廣野ゴルフ倶楽部

私のゴルフ仲間で相談役でもあるJack Rushing(ジャック・ラッシング、86歳)の奥さんPeggy(ペギー)は、安物買いが趣味。ガラージ・セール、ヤード・セール、救世軍その他の安売りストアを巡回してがらくたを買い集めます。ここ数年、Paggyは旦那への御機嫌取りか、ゴルフ本を見つけると買って来て旦那にプレゼントするようになりました。Jack Rushingは、それらを一読すると私に廻してくれます。貸してくれるのではなく、くれちゃうのです。私が既に持っている本もあれば、とても珍しい本もあります。

今回貰ったのは大型、上質紙400ページの重い本で、いわゆる"coffee-table book"(絵や写真中心の卓上用大型豪華本)の一つ。元は英国で編集・出版された本のアメリカ版。新本時の価格は不明ですが、鉛筆で書かれた値段によれば、Peggyはこれを$3.00で買ったようです。

この本には世界に誇れるゴルフ場が36選ばれて、大きな写真とコースレイアウト図解入りで紹介されています。リンクス・コースとしてSt. Andrews(セント・アンドリュース、スコットランド)など12、草原コースとしてRoyal Melbourne(ロイヤル・メルボルン、豪)など5、海浜コースがPebble Beach(ペブル・ビーチ、米)など4。そして"parkland"(森林)コースが7で、その一つが廣野ゴルフ倶楽部です。

'The Golf Book'
edited by David Summers(DK books, 2008, $40.00)

「1932(昭和7)年にオープンして以来、廣野ゴルフ倶楽部は日本の最高のゴルフ・コースとして賞賛されて来た。その名声を維持し続けるのはこの島国にひしめく約2,500のコースの数からすると至難の業である。世界のトップ50の中にランクされ、会員制クラブの一部である廣野ゴルフ倶楽部は松に囲まれた森林コースであるが、英国南東部【編註:ロンドン近郊】のサリー・サンドベルト地帯の内陸コースを彷彿とさせる特徴を備えている。

九鬼子爵は封建時代の大名で、ゴルフに夢中だったため、彼の所有地にゴルフ・コースを作りたがっていた。【註】彼は、1930年代初期に日本で仕事中だった有名なColt and Alison(コルト&アリスン)共同経営設計事務所の一人Charles Alison(チャールズ・アリスン)に設計を依頼した。

【編註】廣野ゴルフ倶楽部の創立者・九鬼隆輝の父・九鬼隆義は摂津三田藩の最後の藩主でしたが、1884(明治17)年に子爵となったので、父の後を継いだ長男・隆輝(ゴルフ好きだったのはこの人物)は既に大名などではありませんでした。つまり、上の記述は事実誤認ですが、そのままにしておきます。

神戸の北西19キロの予定地に着いたCharles Alisonは、彼に与えられた自然の恵みに満ちた丘陵に感銘を受けた。彼が設計すべき土地は穏やかにうねっていて、夥しい数の松の木と密林のような下生え、いくつかの池、流れ、窪地、未開の渓谷などが特徴であった。彼は何日かその土地を歩き回り、ホールをスケッチし、それから神戸駅近くのオリエンタル・ホテルに投宿した。一週間後、彼は見事な見取り図と沢山の独特なホールと共に現われ、気前の良い1,500ポンドという設計料を得た。

英国にいる頃、Charles Alisonは多数の偉大な内陸コースの創造に関わって来た。彼はそういう経験とそれらの視覚的トリックを廣野で用いて素晴らしい効果を上げた。彼が作ったフェアウェイバンカーは土塁のように広げられ、フェアウェイを逸れるドライヴの大きなターゲットとなった。グリーン近くのバンカーは盛り上げられた台地にされ、事実上より深く、他よりも恫喝的となった。グリーンは下り坂や周囲のバンカーへと下っていて、グリーンの表面は傾斜しており、ボールを止めるのが難しい。五指に近いグリーンはほぼ円形にバンカーで囲まれており、狭い花道がある。

1932年にコースがオープンした時、Charles Alisonは次のように述べた。『アメリカのPine Valley(パイン・ヴァリィ)はもっとびっしりとバンカーに囲まれており、明白にもっと容赦のないものであるが、廣野は米国の第一級の基準に充分到達しており、多分彼の国のゴルファーたちに楽しい興奮と、幾ばくかの苦痛とを提供することだろう』


Charles Alisonは自然の地形を見事に用い、いくつかのホールではティー・ショットを荒れ地や池を越えるためにかなり飛ばさなくてはならない。四つのパー3のうち三つは、バンカーに護られたグリーンへの池越えである。その中の一つはNo.17(231ヤード)だが、綺麗な数字が並んでいたスコアカードを一度の心拍の間に醜いものに変えてしまう。いくつかのパー3は、充分パー4の長さを持っている。

No.14のチャンピオンシップ・ティーからは、先ず入江を越え、次いで200ヤード先のフェアウェイに届かせるため灌木地帯を越えるロング・ドライヴを放たねばならない。その後、世界のトップ500に入るコース随一の注目すべきホールであるNo.15(568ヤード)パー5がやって来る。このホールは、長い右から左へのドッグレッグの曲がり角にある巨大な老いた黒松で有名である。この木が無ければ、このホールはとても短く、楽に攻められる。実際、その松はそのホールにとってとても重要なので、クラブは500万円の保険を掛けている。悲しいことに、曲がり角をショート・カットしようとしたりボールを曲げるのに失敗する輩の滅多打ちからこの木を護るため、今は網が掛けられている。このホールは1963年のJack Nicklaus(ジャック・ニクラス)によるエクシビション・マッチでも有名である。【別項参照】

【別項】このエクシビション・マッチでかなり長いティー・ショットを放ったJack Nicklausは、残り250ヤードのフェアウェイに立った。クラブ・キャプテンが彼に『グリーンに二打で乗せた者はこれまで一人もいない』と告げた。Jack Nicklausは微笑み、『やってみる』と云った。彼はパーシモンの3番ウッドをピュアなパワーでバシッと打った。ボールは松の木の上高く舞い上がり、グリーン手前のバンカーを越え、グリーン後方右の旗竿目掛けて転げ上がった。

廣野は伝統的スタイルであり、その一例は世界の伝統的ゴルフ・クラブの特徴となっている金色の文字で飾られた記録保持者の木製パネルである。廣野は特定の人だけのクラブであり、コースの持つ神秘性はその近寄り難さによって高められている。にもかかわらず、Charles Alisonは日本のかつて人里離れたこの一角に、クラシックなゴルフ設計を持ち込むことに非常に良い仕事をし、特権を持つ一握りの人々のための妖婦のようなコースを作り上げたのである」

【参考】
・「Peter Thomson(ピーター・トムスン)絶賛の廣野ゴルフ倶楽部」(tips_158.html)
・写真集1 http://top100golf.blogspot.com/2008_11_01_archive.html
・写真集2 http://robbreport.com/sports-leisure/chipping-away

(March 30, 2016)

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