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日米異文化体験のリポート
これは、もともとはDTPで友人、知人向けに発行している同名のnewsletterの記事がオリジナルです。 WWWでonlineになってしまうと、もはやofflineではなくなってしまうのですが:-)by E. T.
校内銃撃、 人種差別、 国民性、 お葬式、 シュリンプ・エトュフェの作り方
Vol.1、 Vol.3、 Vol.4
校内銃撃
日本では“校内暴力”ですが、こちらでは“校内銃撃”。大分前(1998年)ですが、私の住んでいる町Meridianから一時間ほどの小さな町Pearlでも起りました。16歳の少年が、自分の母親を殺害し、ついで学校へ出向いて三人の同級生を射殺し、五人に重軽傷を与えました。類似の事件がその後他の州で二件連続。しかし、実はPearlは最初の事件ではなかったのです。1995年にカリフォーニアで起り、Pearlまでに四件も校内銃撃事件があったのだそうです。
私がこちらでびっくりするのは銃と青少年の結び付きが想像を絶していることです。狩猟シーズンになると、御覧のような写真が新聞に沢山掲載されます。「まさか!大人が撃ったんでしょ!」と思いますわね。記事を読んでも、誰に聞いても、子供が撃ったのだそうです。勿論、保護者同伴が原則とは云え、小学生、中学生でも鉄砲が撃てるのです。銃は子供用の軽いサイズ。そして迷彩服。これを本格的と云わずして何と云う。
以前から銃器取扱いに制限を加えようとしていたクリントン政権は、この校内銃撃事件が重なった機会に五歩も十歩も前進させようとしました。しかし、ローカル紙'The Meridian Star'の論説でさえ、「狩猟は南部の伝統的スポーツであり、これを制限するのは許せない」と、強硬に反発しました。日本でもスポーツとしての狩猟はありますが、校内銃撃事件は起っていません。アメリカの銃器の管理はいい加減過ぎるのでしょう。鉄砲は壁に飾ってあって、弾丸は電話の下の引き出しにゴロゴロしてるに違いありません。で、子供は狩猟で慣らした腕で学校の同級生めがけてぶっ放すのでしょう。日本の銃器所有の免許制度、罰則は厳し過ぎるかも知れませんが、今となっては正しかったようです。
1999年3月下旬、お隣りの州Arkansas(アーカンソー)北東部にある小都市Jonesboro(ジョーンズボロ)でNHKスペシャル『母・葛藤の日々〜息子が殺人犯となって一年〜』(1999年5月30日放送)の撮影を手伝うことになりました。
Jonesboroの校内銃撃事件は、1998年当時13歳のMitchell Johnson(ミッチェル・ジョンソン、当時13歳)がバス通学仲間の少年Andrew Golden(アンドルー・ゴールデン、当時11歳)と銃撃事件を計画。Andrewの祖父のコレクションから銃砲・弾薬、ボウ・ガン、ナイフなどを盗み出します。3月24日、突如ウェストサイド中学校の非常ベルが鳴り響き、教師達は生徒を校庭へ避難させました。そこへ校舎裏の茂みに潜んでいたMitchellとAndrewが発砲、計40発の弾丸で一人の女教師と4人の女生徒を射殺。他にも10人の負傷者を出しました。
『母・葛藤の日々』は、Mitchellの母Gretchen Woodard(グレッチェン・ウッダード)が現在地域社会でどのように扱われているかを中心に描いた番組です。こうしたケースでは、日本人の家族は周囲の冷たい目にいたたまれなくてどこかへ引っ越すか、少なくともひっそりと目立たないように暮して行くのが普通ですが、Jonesboroの人々は「家族も犠牲者だ」とGretchen一家を励ましました。学校へ出て行かなくなったMitchellの弟Monte(モンティ)に寄せ書きを書いて呼び戻したのも生徒達です。GretchenもPTA活動の要職に就くなど積極的に行動していました。勿論、被害者の家族の心ははそう簡単に割り切れるものではなく、遺族とGretchenとの交流はありませんでした。Jonesboro市民は悲劇から一周年の1999年3月24日に、市の裁判所前広場で遺家族を慰め犠牲者の想い出を語る式典を催しました。メインの取材チームはその日のGretchen一家の一日を追い、私はセレモニーの撮影を担当しました。
Jonesboroの惨劇に続いて、1999年の4月20日、Colorado(コロラド)州Littleton(リトルトン)で、教師を含む15人が死亡、16人が重軽傷という、これまでにない犠牲者の数の校内銃撃事件がありました。そしてその一ケ月後の5月20日、Georgia(ジョージア)州Conyers(コニャーズ)で又も負傷者6人を出す校内銃撃事件。TVでは「何故?」、「どうやったらこうした事件を防げるのか?」と、連日議論されています。しかし、いつの場合でも時間が経つと忘れられ、次の事件が起きて再び同じ議論が蒸し返されるという構図です。
FBIが主催した、校内銃撃事件発生の各都市の学校、警察等の関係者を集めた会合があったそうですが、何故か議論された内容は公開されていません。しかし、取材班は各事件の共通点としてまとめられた数点を掴んでいました。1) 田舎の小さな、2) 白人優勢の町で、3) 何らかの予告があった後事件が起るが、4) 納得出来る動機が無い。
Littletonにも上の共通点が、ほぼ当てはまります。犯人達はいじめに対する復讐だと口走ったそうですが、いじめだけで何十人も犠牲者を出し、自分達も自殺するというのは、理解を越えています。5月のConyersも郊外の小さな町です。日刊紙'USA Today'によれば動機は「失恋の痛手」だそうですが、無作為に発砲し、挙句に自殺(未遂)しようとするのは、やはり理解出来ません。
私のゴルフ友達のMel Svarborough(メル・スカーボロ)は、町の週刊新聞(広告収入による無料配布紙)にコラムを持っています。彼は、犯人達が育って来たこの13年の世界、特にアメリカの風俗、文化、社会が、こうした少年達の行動を解く鍵だと書いています。「犯人の少年達を悪魔とみなすだけでは、我々は彼等を作り出した年代と社会を大目に見ることになる。広い意味において、彼等は“我々の子供達”である。病的な文化の中で育った全ての青少年が社会に不適応だったり造反者であるわけではない。私は素晴らしい青少年の存在も知っている。両者の違いは家庭生活、ロール・モデル(模範とする人物)、両親や教師から教えられる道徳の規範、そして信仰などの違いだと思う。我々の社会が青少年を作る。彼等は悩みの種、偏見、不平、嫌悪、反社会的行動などを、家庭に置き去りにしない。全てを抱えて登校する。文化的暴力の世界において、学校だけが安全な孤島だと思ってはいけないのだ」犯人達とその家族を「“我々の子供達”だ」と云えるのは、ちと綺麗ごとにも聞こえますが、信仰心に篤い南部の人から出て来た言葉であるとすると、Jonesboroの人々が「犯人の家族も犠牲者だ」と考えたことに付合します。日本と大きく違うところではないでしょうか。
『母・葛藤の日々』のように、ある事件の加害者側に密着取材するというケースは日本のTVでは非常に珍しいと思います。たとえあったとしても、最後は加害者側を冷たく突き離し、一般大衆の感情を代表したような内容になるところでしょう。今回のNHKスペシャルは終始加害者の家族(特に母親)に同情的に作られているのが特異な点です。一つには日本の事件ではないという事情もあるかも知れません。この事件に対する“日本の一般大衆の感情”というものは無いわけですから。
「国民性」という記事でカミさんのBarbaraの『シャドー81』批判を紹介しましたが、今回も犯罪者の側に立つTV番組に強い抵抗がありました。彼女に云わせますと、「加害者の親は少年院に入っている息子と話が出来る。亡くなった子供の親はもう子供と話せない。両方を較べると、物凄くアンフェア(不公平)だ」とのこと。私が、番組の狙いと非常に珍しい視点について説明を試みましたが、それを理解した上でも犯罪者サイドのストーリイは受け入れ難いようです。「法と秩序」を重んじる国の人間としては、被害者の遺族への同情が禁じ得ないという感じでした。
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人種差別
カミさんのBarbaraと二人で暮していた家から、カミさんの母親の家に引っ越ししたの時のことです。二世帯を一つにするので、ベッド、ソファ、冷蔵庫その他がダブってしまい、それらを売り払わなくてはなりませんでした。ラジオの聴取者参加番組でBarbaraが宣伝したものの、あまり問い合わせの電話も無く、「この分ではベッド類は救世軍にタダで持って行って貰わなければ…」と覚悟し始めました。そういう折りも折り、黒人女性の声で「これから見に行く」という電話が入りました。
やって来たのは65歳見当の黒人夫婦と孫娘(小学生)です。彼等のお目当てはソファ・ベッド(兼用でどちらにもなる)です。家族が多いので、ベッドが足りないのだそうです。ソファを見た孫娘が独り言のように「汚い…」と云いました。$100.00で古道具屋から買った中古を$30.00で売ろうというものなので、そりゃ綺麗な筈がありません。ソファをベッドに早変わりさせるデモを行いましたが、中から出て来たベッド部分には大きな染みがあります。我々はついぞベッドにしなかったので、全く忘れていました。旦那が「おしっこみたいだね」と云うので、「これは買った時からあったんだ。少なくとも私がやったんじゃないよ:-)」と云いました。奥さんが考え込んでいるので、私は「寝る時にはシーツを被せるわけだから、気にならないデショ」とセールス。
何かは持って行って貰わないと困るので、「じゃあ、ダブルベッドをお見せしましょう」と移動。こちらはフレームとスプリングだけ中古で、マットレスは新品ですから文句の付けようがありません。旦那が「じゃあ、ベッドだけ買うかい?」と奥さんに聞くと、「わたしゃ、両方買おうかと思ってるのよ」との返事。私は躍り上がりたくなるのを堪え、「両方だったら、二つで$50にしますよ」と揉み手しました。奥さんは、この一言で決断。家族の男共を連れて出直して来ることになりました。
一時間後、やって来るなり奥さんが$50の小切手をくれました。ベッドとソファの運び出し、小型トラックへの積み込み。この間、男共を指揮するのは旦那じゃなくて奥さんなのです。女系家族なんですね。南部の白人社会はいまだに男性優位のようですが、黒人は違うようです。面白い実例を見た気がしました。
さて、以上はマクラです。ギネス・ブックに載りそうに長いマクラです:-)。この私のセールス結果を聞いたBarbaraが「結構才能あるわね。でも、私じゃなくて日本人だから良かったのかも知れない」と云います。「どうして日本人だといいわけ?」と尋ねますと、「黒人は白人には騙されるかも知れないと警戒するけど、アジア人は自分達より下だと思ってるから信用するのよ」「ええ〜っ?日本人は黒人より劣るってえのお?」「彼等はそう思ってるのよ」
これは初耳です。私などは白人と黒人の中間に位置して、ほぼ差別の無い暮らしをし、黒人に対し差別的発言をしないように…とか、可能な限りフレンドリーに…などと気を遣って来たのです。全く逆じゃないですか。こちらが差別されていたとはねえ。私がこちらで作り上げて来た友人達(白人)は、間違いなく黒人より日本人を高く買っていますし、信用もしてくれています。黒人の友人がいないので、彼等の考えは判りません。まあ、仮にBarbaraの云う通りだとしても、本音は絶対に云わないでしょう。100パーセントBarabaraの話を信じているわけではありませんが、もし差別されているのであればどうしてくれようかと腸(はらわた)が煮えくり返りますが、向こうが態度に表さないのでは、どうしようもありません。
十年近くアメリカに住んでいる若い男性にこの話をしましたら、「こっちの連中は、この国に来た人種の順番に偉いと思ってるんじゃないの?」と云っていました。なるほど:-)。
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国民性
新潮文庫のルシアン・ネイハム作『シャドー81』('Shadow 81' by Lucien Nahum、1975)というのはミステリ(というか冒険小説というか)の傑作ですが、日本でだけ長期ベストセラーになっていて、英米ではとっくの昔に絶版になっています。カミさんのBarbaraに読ませたいと思って、ロンドンの古本屋や、アメリカの古本も置いているアンティーク・ショップなどで探したり、Internetの書物「売ります、買います」メーリング・リストに投稿したりしました。全て無駄な努力でした。
amazon.comではストックに無い本も探してくれることを知りました。明らかに絶版と分っている場合は古書店のルートに情報を流し、見つかったら価格を知らせてくれて、その価格での購入を希望するかどうか聞いてくれます。amazon.comは『シャドー81』をたった二、三日で探し出してくれました。価格は$27.00。新刊のハード・カヴァーと似たような価格です。五、六年探していて、諦めかけていた本にしては安い買い物だったと云えます。
さて苦労して入手した『シャドー81』です。時期的にピッタリだったのでクリスマス・プレゼントの一つにしました。私の執念の探索経過を聞いたカミさんは、他の本をうっちゃって早速読み耽りました。ところが、途中で「ヒーローが登場しないのが難点ね」と云うのです。「どういうこと?」と聞くと、「出て来るのは悪党ばかりじゃないの」。
『シャドー81』のストーリイは、米空軍のパイロット某が最新鋭の垂直離着陸機をあたかも空中分解したように見せかけて自分のものにし、旅客機を追尾してミサイル攻撃をちらつかせながら後ろから“ハイジャック”し、米国政府を脅迫して金をせしめるというもの。色々奇想天外な筋立て、卓抜なアイデアが沢山盛り込まれていて、非常に上出来な小説と云えるのです。
しかし、泥棒には違いないので“悪党”というのも間違いではありません。しかもこの悪党は脅迫に成功して大金をせしめ、めでたし、めでたしで終るのです。
数年前、私は『いまどきのハイジャッカー!』というアドヴェンチャー・ゲームを作り、Freewareとして世に出しました。これは、旅客機の客であるプレイヤーがハイジャッカーとなって、米国大統領、ロシア大統領、日本国首相、Apple Computer社長などから好きな相手を選び、かなりナンセンスな脅迫をするというものです。仕舞いに飛行機がトラブルを起し、あわや墜落・全員死亡の危機を迎えますが、プレイヤーの機転で助かり、ハイジャッカー転じて英雄となるというストーリイ。日本ではかなり好評で、様々な雑誌やCD-ROMで紹介されました。「じゃあ、英語版も作っちゃおう!」てんで、カミさんの手を借りて翻訳に取り組みました。この時にカミさんがこう云ったのです。「次はハイジャックを防止するゲームを作りなさい」「どうして?」「アメリカ人はたとえ冗談でも犯罪行為を“する”側になるのは抵抗を感じる。ハイジャッカーを倒す役の方が好ましい」アメリカ政府が“世界の警察”を気取っているのは感じていましたが、末端の国民までそうとは知りませんでした。
そう助言してくれたカミさんが『シャドー81』で大喜びするわけがなかったのでした。私の数年にわたる探索は、全くの無駄骨。がっかりです。
確かにアメリカ映画で悪党が主人公のものは、大体彼等が殺されちゃうか少なくとも刑務所行きというエンディングが多いようです。『俺たちに明日はない』、『明日に向かって撃て!』、『ワイルド・バンチ』など。どんなにいい連中でも、結局許されない。鼠小僧だの仕掛人、始末人、ゴルゴ13などに喝采を送る日本人とは違うんですね。『シャドー81』が日本で長期ベストセラーなのに、英米では絶版になっているという秘密は、こうした国民性にあったのでした。
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お葬式
1996年のことですが、カミさんBarbaraの父Staceyが80歳で亡くなりました。心不全でした。クリスチャンは日本にも沢山存在するので、お通夜や葬儀に関しても御存知の方が多いでしょうが、私には初めての経験でとまどうことが色々ありました。以下の記事はアメリカ南部の片田舎のお葬式の一部始終です。
病院からFuneral Home(葬儀場)に運ばれた遺体は、そこで一泊。お通夜(こちらではwakeと云います)は翌日の夜でしたから、丸一日、お棺の側には誰もいなかったことになります。
日本でのお通夜で苦い思い出があります。本来のお通夜は、お棺の中の人間が蘇生する可能性があるので、それを見守るという趣旨です。夜も更けて、どんどん人がいなくなり、最後は喪主と私の二人になりました。祭壇の前で二人で呑み交わしていたのですが、二時くらいになって喪主が「もう寝よう」と云い出しました。「でも、夜通し起きてないといけないんじゃないの?」と聞いたのですが、「もう、いいでしょう」ということで、二人とも寝てしまったのです。翌朝、一番でやって来た葬儀屋が「線香の火が消えてる!誰も付いてなかったんだ!」と御近所にまで聞こえるような大声で云いました。喪主の判断なんですから、何も葬儀屋が差し出がましく怒るいわれは無いのですが、でも悪いことを見つかったような気にさせられたことでした。
こちらのお通夜は既に一日経った後なので、お通夜本来の意味は全くありません。そのお通夜ですが、Funeral Homeの広間の壁際にお棺を配置し(遺族が最後の対面をした後、お棺の蓋は閉じられたままでした)、中央と隅々にソファが五、六脚あるだけというレイアウト。儀式も何もなく、三々五々訪れる人々は芳名簿に名前を記入し、遺族に慰めの言葉をかけて帰ります。全ての人々の応対をする未亡人と娘二人は大変です。これが二時間半。日本のお通夜に較べると、こちらではのべつ喋っていなければなりません。
翌日は墓地で故人の教会の司祭による告別式。お墓の前にテントが張られ、お棺に面して数十脚の折り畳み椅子が並べられています。遺族、親戚、友人が椅子に座り、あぶれた人達は立ったままです。お棺の前で司祭が遺族代表、友人代表、教区代表を一人で兼ねたように故人について語り、遺族を励まします。なお、このために司祭は前日数時間かけて家族にインタビューしていますから、かなり説得力のある話になっています。最後に故人が好んだという賛美歌を全員で歌ってお仕舞い。司祭が全部喋っちゃったので、喪主や友人代表の挨拶というものはありません。
こちらでは火葬はまだまだ一般的ではなく、土葬です。何しろ地面が安いので火葬にして墓地面積を小さくしたりする必要も無いわけです。映画、'Ocean's Eleven'『オーシャンと11人の仲間』ではLas Vegasで火葬する場面が出て来ました。Las Vegasは砂漠の中なので、あそこも地面は安い筈です。結局、財力のある地域、無い地域ということになるのでしょうか?この近辺で火葬場というと州都Jackson(車で一時間半)にしかありません。お墓を買う時に、火葬にするか、土葬かを選択出来るのだそうです。火葬を選べば、お葬式前夜に遺体はJacksonに運ばれ、お葬式が済む頃にお骨になって戻って来ます。こちらの墓地は教会が管理しているのではなく、葬儀屋さんの付属施設です。お墓を購入するのは葬儀屋さんからということになります。場所、面積、葬儀の費用、墓碑、それと火葬か土葬か等を葬儀屋さんと契約します。ですから、お墓を買ってしまった時点で全て済んでおり、もう悩むことは何もありません。「七回忌」、「十三回忌」などというものはありませんから、以後葬儀屋さんにお金を払う必要はゼロ。一年に二回ほど、造花を買い換えるだけだそうです。
埋葬は葬儀社まかせで、告別式が終るとそのまま散会です。埋葬に立ち会わずお棺に背を向けて立ち去るというのは、私には何となく釈然としませんでした。
日本と断然違うのは参列者の衣装です。カミさんから「喪服は葬儀屋みたいだから止めてくれ」と云われ、「そういえば、お通夜は日本でも平服でいいことになっているから」と、グレイのスーツにしたのです。確かに黒い服は葬儀屋しか着ていませんでした。葬儀の日も直前になって「今日も普通の服の方がいい」という注文で、紺のスーツに変更。半信半疑だったのですが、喪主(カミさんの母親)を始め遺族もほぼ平常の服で、赤い色なども混じったものを着用しています。遺族でさえこれですから、参列者で喪服を着ている人などいません。黒一色の日本の葬儀とは随分違うなあと思ったことでした。
お通夜、葬儀の期間を通じ、親戚や友人からの好意というのは花輪と食べ物だけです。香典も弔電もありません。花輪ですが、どんな遠くの人でも自宅近辺の花屋さんで送り先を云えば、そこから花屋のネットワークで即日メッセージ付き花輪が届く仕組みになっています。食べ物は御近所や教会のメンバーが届けてくれたのですが、サンドイッチの材料(パン、ハム、チーズ等)、パイ、ケーキ、豆の煮物、調理済みマカロニなど。これは親戚などが詰めかけている遺族宅の負担を軽減するためで、実際的でいいですね。これらの送り主と品目は克明にメモされて、後日感謝のカードが発送されました。
数年前の朝日新聞に日本の葬儀費用というのが出ていました。平均381万円(葬儀社に130万円、香典返し90万円、その他)という数字でした。こちらは葬儀社への支払い約$5,000.00ですから、ほぼ50万円。司祭への謝礼$60.00を含めても、1/7以下ということになります。墓地の購入費用は日米とも含まれていません。
感心したのは新聞の物故者欄です。遺族が原稿を書きます。字数の制限などありませんので、故人の業績などを長々と書く人もいます。お通夜の時間、告別式の日程、司祭の名前、遺族の氏名と住所を入れるのが定型です。「遺族」のことを"survivor"(生き残った人)と呼びます。事故があったわけでもないのですが、「生存者」には違いありません。当家ではカミさんが原稿を書き、それを葬儀社に届けると地元紙に手配してくれ、翌日の紙面に掲載されます。日本の新聞でもお金を払えば広告欄で告知することは出来ますが、こちらのは広告ではないのが大きな違い。これで$25.00だそうです。この欄は"obituary"(死亡記事)と呼ばれます。高齢の人達は毎日この欄を熱心にチェックし、知り合いが載ってないかどうかを確認します。カミさんの母親(77歳)は、この欄を見るために新聞を購読しているようなものです。
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シュリンプ・エトュフェの作り方
シュリンプ・エトュフェ(Shrimp Étouffée)はNew Orleans料理の代表の一つ。"étouffée"はフランス語で「蒸し煮」という意味です。New OrleansではザリガニによるCrawfish Étoufféeが一般的ですが、私はエビの方がクセがなくて好きです。御飯にかける点ではエビ・カレーみたいな外観と云えるものの、セロリや緑野菜をふんだんに入れるので、コクのあるフレッシュでクリーンな味わいが特徴です。以下は、『地球の歩き方〜アメリカ南部』の記事をもとに、こちらの南部料理の本数冊も参考にしながら実践したものをまとめたレシピです。本場New Orleansに住んでいるカミさんの姉さんAlisonからも折り紙を付けられましたし、試食した皆さんからも絶賛されている味です。どうぞ、お試し下さい。
材料(約6皿分)
エビ 約500g バター or マーガリン 1/4カップ 小麦粉 大さじ1杯 タマネギ(みじん切り) 大半個 セロリ(みじん切り) 2本 ピーマン(みじん切り) 1個 エシャロット or わけぎ(みじん切り) 大さじ2杯 ニンニク(薄切り) 1片 チキン&マッシュルーム・スープ 1缶(305g) トマト(角切り) 1個 ベイリーフ【月桂樹の葉】 2枚 塩 適宜 コショウ 小さじ1/4杯 トウガラシの粉 少々 ウスターソース 大さじ1/2杯 ヘラペーニョ・ソース【緑色の'Tabasco'】 適宜 コーンスターチ【片栗粉】 適宜 レモン汁 少々 パセリ(みじん切り) 大さじ2杯 御飯 適宜
作り方
(1) 厚手のシチュー鍋にバターを溶かし、タマネギ、セロリ、ピーマン、エシャロット、ニンニクを中火で炒める。
(2) しんなりして来たら小麦粉を振り入れ、焦げないように気をつけながらキツネ色に近くなるまで炒める(非常に焦げやすいので注意)。
(3) チキン&マッシュルーム・スープを注ぎ、よくかき混ぜる。
(4) ベイリーフと湯むきし角切りにしたトマトを加え、10分ほど煮込む。
(5) コショウ、トウガラシの粉(一味で代用可)、ウスターソース、剥いたエビを加えて弱火で15分煮込む。
(6) ベイリーフを取り除き、塩とヘラペーニョ・ソースで味を調整する。とろみが足りなければコーンスターチを水に溶いて加える。レモン汁を少量とパセリを加えて、ひと煮立ちさせて出来上がり。御飯にかけて頂く。一日前に作っておくと理想的な味になる。Note:
「チキン&マッシュルーム・スープ」は市販のものがあります。私の現在の愛用はCampbell's Cream of Chicken & Mushroom: 305g。これは濃縮なので缶と同量の湯を足します。「チキン・スープ」だけ、あるいは「マッシュルーム・スープ」だけだとやや淡白になりますので、「オイスター・ソース」か「フィッシュ・ブイヨン」を少量足すと、ふくよかな味になります。エビ・カレーではないのでくれぐれも辛くなり過ぎないようにして下さい。野菜を多くすると水っぽくなりますが、一晩おくと結構ネットリしますので心配ありません。
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