[Poison] Sergeant York
『ヨーク軍曹』

【Part 2】

私の少年時代、9歳年上の兄が『ヨーク軍曹』という名前を何度も口にしていたことを覚えています。私は物心ついた頃に'Union Pacific'『大平原』で列車が脱線して谷間に転落する映像に興奮した口ですが、『ヨーク軍曹』を観た記憶はありません。第二次大戦中にアメリカ映画は輸入されませんでしたから、戦後になってようやく公開された筈です。しかし、いつ私がこの映画に出会ったかは、未だに不明。

私は戦争映画で云えばAudie Murphy(オーディ・マーフィ)の'To Hell and Back'『地獄の戦線』の世代なのです。第一次大戦は既に遠く、第一次大戦の米軍兵士の制服や銃器も古めかしく感じられ、格好良さからは程遠いものとなっていました。多分、観たけれど忘れてしまった経緯には、そうした格好の悪さがあったと思います。七面鳥射撃のシーンなどはちゃんと記憶にあり、今回が初めてではないのは確かなのですが、全く忘れ去っていた映画と云えます。

というわけで、辟易するような英雄礼賛の映画かと思って再視聴したのですが、Howard Hawksの手練もあって、非常に楽しめました。

この映画の製作裏話が'The South and Film'(University Press of Mississippi, 1981)という本に載っています。それによりますと、

「映画プロデューサーJesse L. Lasky(ジェシィ・L・ラスキィ)は、1919年のAlvin Yorkのニューヨーク凱旋パレードを見守り、即座にAlvin Yorkの伝記の映画化を思いついた。しかし(映画にもあるように)Alvin Yorkは自分の体験を一切の宣伝、金儲けから切り離して考えていて、彼の唯一の希望は恋人の元へ戻って、再び農業に携わることだけだった。

20年後の1939年、Laskyは何度目かの打診をAlvin York宛に送った。今度は事情が変わっていた。第二次大戦前夜で、Alvin Yorkはアメリカが大戦から孤立していられる筈がなく参戦へ準備すべきだと説きたがっていたこと、そして彼が地元に日曜学校を建設するための資金を必要としていたこと…等だった。Alvin Yorkは彼の伝記の映画化の条件として、日曜学校建設資金$50,000と全配給収入の2%を要求した。Laskyは多額の借金の末にその条件をのみ、直ちにGary Cooperに電報を打った:「たった今、プロデューサーJesse L. Laskyと、私の人生を映画化する件とそのスターについて合意に達したところです。私は俳優としても人間としても貴殿を崇拝して来ました。貴殿が銀幕上で私を演じて下さるなら、この上無く光栄です」Laskyは"Alvin York"とサインして打電した。

Gary Cooperは信仰と戦争の間で揺れ動く人物はそう簡単に表現出来るものではない…と難色を示した。何度かの接触の後、遂にLaskyはGary Cooperを陥落させた。彼はMGM専属だったが、一時的にワーナーに貸し出されることになった。York本人は主役以外では唯一妻を演ずる女優選びに注文をつけた。「煙草を吸わず、酒も呑まない女優」というものだった。これは、あばずれ女が多いハリウッドでは難しい注文だった。ワーナー側が自社専属だったJoan Leslieを選んだ。

ワーナーの社員は実在の人物それぞれにモデル代金を支払って歩いた。大抵は$250だったが、ゴネた人には$1,500も支払った。将来の妻の父(=義父)は自分の役が映画に出ることを最後まで承認せず、この人物は脚本から抹消された(それで、祖父しか出て来なかったわけです。どうしてだろうと思っていました)。

York本人は映画に満足したが、『落雷によって啓示を得たというのは、ハリウッド流の作り話だ。実際には妻の影響だった』と語った」

Alvin Yorkが英雄になったのは、七名の部下の援護があったとはいえ、一人で132名ものドイツ兵(士官を含む)を捕虜にした事実からです。殺したのは20名。「信仰上の問題があった筈だが、どうしてドイツ兵が撃てるようになったのかね?」という上官の質問に、彼は「ドイツ軍の機関銃一丁は千人のアメリカ兵を殺します。機関銃手を撃てば千人の命が助かると悟ったからです」と答えます。映画の中では七面鳥を撃つように楽しんでドイツ兵を撃っているようにも見え、多少人道上の問題が無くはありません。

なお、この映画のプレミア・ショー開催中、Alvin Yorkはアメリカの第二次大戦参加を強く主張しました。同じ考えだったルーズベルト大統領は、彼とGary Cooperらをホワイトハウスに招き、親しく話をしたそうです。「非常にいいタイミングの公開だ。もっとも、あの大量殺戮シーンは好まんがね。あなたも同じだと思うが」これに対し、Alvin Yorkは「その通りです」と答えたそうです。

Alvin Yorkの収入は目を見張るようなものではなかったものの、満足すべき$150,000で、彼の財政的状況を安定させ、日曜学校建設を開始出来ました。

(June 05, 2001)


【Part 3】

このDVDのDisk 1(本編)のコメンタリーは、第一次大戦の戦闘映画について著作のあるJeanine Basinger(ジェニーン・ベイシンガー)による解説です。彼女は映画界と政治の背景、数々の俳優のプロフィールなどに卓越した知識を披露し、さらに実話と映画の違いなどについても言及しています(映画はヨーク本人の希望でかなり事実に近く、創作部分はそう多くないそうです)。

主演女優Joan LeslieとGary Cooperは25歳も年が離れていた。Gary Cooperは彼女を子供扱いし、撮影が終わると彼女に人形をプレゼントした。彼女は16歳だったが、既にHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)やJames Cagney(ジェイムズ・キャグニィ)と共演したことがあった(だから物怖じせず、溌剌と演じているんですね)。

1937年の調査では、アメリカ人の2/3は大戦に参加すべきでないという結果だった。しかし、1941年の日本による真珠湾攻撃が全てを変えた。ルーズベルト大統領は戦争キャンペーンを始め、ハリウッドに軍事顧問を派遣した。多くの映画会社が戦意昂揚映画の製作を開始した。

Howard Hawksの伝記を書いたTodd McCarthy(トッド・マカースィ)によれば、七面鳥射撃大会を映画に入れるというのはHoward Hawksのアイデアだった。Gary Cooperがライフルの照準を舐めて光らせ、狙い易くするというのもHoward Hawksのアイデアだった。なお、この映画の撮影中もHoward HawksとGary Cooperは様々なハンティングを共に楽しんでいた。

ヨークが宗教に目覚める切っ掛けをハリウッドの脚本家たちは落雷で表現したが、実際にはヨークの妻となる女性の説得によるものであった。

ヨークが宗教的に参戦したがらなかったにも関わらず、法律的に行かざるを得なくなる。家を去るシーンで、母親役のMargaret Wycherlyには一切の台詞がなく、彼女は全てを表情で表現しなくてはならなかった。これは脚本の素晴らしい点でもある。

この映画の脚本を書くのはタフな仕事だった筈だ。先ず宗教上の問題があり、下手をすると議論を巻き起こす恐れがあった。主人公は最初いたずら坊主で、それが宗教に目覚め、日曜学校の先生となり、ついには戦争の英雄にならなければならない。二時間余の間でこの大変貌を描くのは容易ではない筈だが、この映画はとても効果的にその使命を達成している。

この映画は戦争映画のように思われているが戦闘(含む訓練)シーンは、134分の映画のうちたった15分でしかない。後は全てテネシー州の田舎のシーンである。

第一次大戦の一つの特徴は、初めてムーヴィ(写真ではなく動く映像)によって記録された戦争であるということだ。望遠レンズなどがなかったので、撮影は難しかった。検閲によって死体の映像は全てカットされた。また、第一次大戦の特徴の一つは、軍関係者以外の一般人が戦争の実態を映像として観ることが出来た最初の戦争であることだった。その結果、映画の観客は戦争がどういうものかイメージ出来たのである。第一次大戦終了後、数々の戦争映画が作られた。それらの多くは平和主義に貫かれたテーマであったが、第一次大戦は平和主義でなく戦争を是とする映画作りにも利用された。

ヨークが、戦争に参加すべきか除隊を願い出るか迷い、故郷の山に上って『アメリカ合衆国の歴史』と『聖書』の二冊の本を読むシーン。この山の頂上はセットで、巨大なターンテーブルの上に作られ、どんなカメラアングルでも可能なようになっていた」

DVDのDisk 2(Special featureのみ)は二つに分かれています。

・'Sergeant York: Of God and Country'(39分)
 これは本編と同じWarner Bros.が製作したもの。Liam Neeson(リーアム・ニースン)のナレーションで、Gary Cooperの娘Maria Cooper、映画のヒロインJoan Leslie、Alvin Yorkの妹を演じたJune Lockhartなどの証言が聞けます。しかし、撮影中のささやかな逸話が聞ける程度であり、ここに書き抜くほどのことは出て来ません。他はテネシー工科大学の教授による背景説明が大部分です。映画は1941年に封切られ、空前のヒットとなりましたが、反ユダヤ主義の政治家が「この映画はいわれなくドイツを攻撃し、アメリカを戦争に追い込もうとする大統領と(ユダヤ人が牛耳っている)映画界が結託したプロパガンダである」と攻撃し、一時一般公開を控えるハメになったそうです。翌年のアカデミー賞では11部門でノミネートされたのに、主演(Gary Cooper)と編集の二つしか受賞出来ませんでした。テネシー工大教授は「脚本や監督などの賞を取れなかったのは、プロパガンダであるという攻撃が尾を引いていたからに違いない」と述べています。

・'Gary Cooper: American Life, American Legend'(45分)
 これは1989年にTurner Network Televisionが製作したもの。ホストにClint Eastwood(クリント・イーストウッド)を迎えていますが、証言者は皆無。Gary Cooper主演の映画からクリップを寄せ集めて、彼の映画人生を讃えたただけのもの。観る価値はありません。

(March 10, 2008)





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