[Poison] Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood
『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』

【Part 2】

原作はベストセラーになったそうですが、Ashley Juddのように子供の世話と夫に尽くすだけの人生に苛立った主婦たちの共感を呼んだせいでしょうか?

母娘喧嘩とその仲裁という趣向があるためSandra Bullockが登場することが出来るのですが、その結構を取っ払ってみると、残るのはAshley Juddの若き日のロマンスと(恋人が戦死したための)失意、そして不承不承の結婚、育児に追われ前途を儚み酒に溺れる日々…という暗い話なんですね。ヤァヤァ・シスターズは、「彼女も辛かったんだから理解して上げなさい」と娘を説得するわけです。

日々の暮らしが嫌になったAshley Juddは夫に触られるのも虫酸が走るという態度を見せます。その夫が年老いてJames Garnerになるわけですが、彼はまだ妻を愛しているものの、もう30年も別々に寝ていて、諦め切った彼は寝室に鍵をかけるほど二人の溝は深まっています。しかし、いくら最初の恋人の想い出が懐かしく、今の夫がうんざりでも、四人も子供を作っておいて夫に触られると虫酸が走るなんてことがあり得るのでしょうか?それなら子供一人だけで打ち止めになるような気がするのですが。

農夫である夫との生活が嫌になったAshley Juddは子供たち全員を引き連れて家出します。彼女が働いているシーンは出ないので(子育てで働けないでしょうけど)、彼女がどうやって生計を立てているのか不思議です。

ヤァヤァ・シスターズが語るAshley Juddの物語の最後は、彼女が薬を服み過ぎて自殺未遂のような症状を呈するところです。それをSandra Bullockが聞き、次の場面では母娘が和解することになります。Sandra Bullockは母親を哀れんだのでしょうか?アル中と鬱病を病い、子供をいびった母親が薬を服み過ぎた程度のことで許せるものでしょうか?Sandra Bullockの心理がよく分らぬまま、映画は大団円へと驀進してしまいます。

Sandra Bullockの成長した弟妹は全然出て来ませんが、どうなったんでしょうか?会話の中にすら全く出て来ません。Ellen BurstynとSandra Bullockが仲直りして、Sandra Bullockがヤァヤァ・シスターズの一員となったら「めでたし、めでたし」にしていますが、アル中のAshley Juddに苛められた他の弟妹のことは放っぽらかしなのです。こんなの、ありでしょうか?

ヤァヤァ・シスターズがSandra BullockにEllen Burstynのことを"She's mad as a hatter. That won't change."(彼女は凄く怒ってる。手がつけられないわ)と云うと、Sandra Bullockが"Preaching to the choir."と云います。彼女のこの表現の意味は、実は最近になって知りました。'Preaching to the Choir'(2005)というそのものズバリの題名の映画がありました。字面は「"choir"(教会の聖歌隊)に説教をする」ということですが、説教は会衆にすべきものであって、既に信心深い境地に達している聖歌隊の面々に説教しても仕方がないわけです。日本語だと「釈迦に説法」という感じかも知れませんが、聖歌隊はお釈迦様ほど偉くないので、「坊主に説教」程度でしょうか。いずれにしても、Sandra Bullockは「云われなくても分ってるわよ」、「何を今さら」という応答として使っているわけです。

Maggie SmithがSandra Bullockに飲ませる睡眠薬は馬に飲ませるものだそうです。「それ、デイトレイプに使うもんじゃないの?」とヤァヤァ・シスターズの一人が云います。凄いものを飲まされるもんです。

最後に和解する母娘はポーチのブランコ風のベンチに座って話します。子供の遊びのための椅子に見えるかも知れませんが、これは南部人(白人・黒人両方)が伝統的に愛する椅子です。'To Kill a Mockingbird'『アラバマ物語』(1962)では、白黒画面で、夜風に一人で揺れるブランコ式ベンチが不気味に描かれていました。南部の人は今でも玄関脇のポーチに椅子を置くのが好きです。現在は疎まれた喫煙者たち(ホタル族)の喫煙席ともなっているようです。

(August 17, 2007)





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