[Poison] Way Down South
(未)

【Part 2】

物語の後半。勝手に管財人に納まった顧問弁護士Edwin Maxwellは全ての奴隷を売り飛ばそうとする。黒人たちは男・女・子供に分類され、競りにかけられることになる。少年Bobby Breenはホテル・オーナーのAlan Mowbrayに事情を話し、助けを求める。二人は大食いで悠長な判事を説得し、調査を依頼する。判事は二人と馬車を飛ばして農園に駆けつけ、顧問弁護士を糾弾した末、横領・背任で裁判にかけると宣言する。一家離散を免れた黒人たちは涙を流して喜び、また歌い踊るのであった。

もうお忘れの方は、この映画の冒頭でも黒人奴隷たちが労働の後歌い踊っていたことを思い出して下さい。一日のきつい労働が終った解放感からの歌や踊りと解釈するのが自然ですが、深く考えなければ生活が楽しくて仕方がないという風にも見えます。私はこのシーンを観て、すぐディズニィ映画'Song of the South'『南部の唄』(1946)の哀しい運命を想起しました。『南部の唄』はアニメと実写を組み合わせた画期的な作品で、楽しい曲とアニメによる動物の愉快な小話の数々によって家族揃って楽しめる映画の筈なのです。ところが、「奴隷の生活が楽しそうに描かれている」としてNAACP(エヌ・ダブルエー・シー・ピー=全米黒人地位向上協会)がディズニィに販売差し止めを申し入れ、アメリカでは販売出来ないという事態に陥っています。

黒人たちが楽しそうに歌い踊る点では、『南部の唄』もこの'Way Down South'も変わりありません。そして、こちらは二人の“黒人”が脚本を執筆した映画なのです。二人の大学出の才能ある黒人が問題ないと思った黒人奴隷の表現です。これはよくて『南部の唄』がいけないという理屈は成立しません。私は「NAACPは'Way Down South'も販売差し止めの運動をすべきだ」と云っているのではありません。逆です。どちらの作品も「表現の自由」によってパスさせるべきだと思います。NAACPの論理には「黒人同士が"nigger"と云うのはいいが、白人が"nigger"と云うのは許せない」という黒人の性向に似た、偏狭な様相が感じられます。

分っています。ターゲットはビッグ・ネーム(この場合はディズニィ)の方がメディアが食いついてくれるし、もしビッグ・ネームを陥落させられれば雑魚は一網打尽という寸法です。女権拡張論者のグループがゴルフの「マスターズ・トーナメント」開催地であるオーガスタ・ナショナルG.C.を性差別で槍玉にあげたことがあります。「女性をメンバーにしないのは許せない」という趣旨です。女性をメンバーにしないコースはまだ沢山あるようですが、あえてオーガスタ・ナショナルG.C.を選んだのは、NAACPがディズニィをターゲットにしたのと同じ理由です。メディア受けするビッグ・ネームだからです。雑魚を相手にしても誰も関心を持ってくれません。この'Way Down South'は雑魚の一匹と思われて救われたようです。

(March 09, 2007)





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