[Poison] The Tuskegee Airmen
『ブラインド・ヒル』

【Part 2】

基地へ着いた日の消灯後、一人ずつ名前と大学の専攻を述べるシーンが秀逸。経済学、航空力学、英文学、政治学など、全員が素晴らしい経歴を持っています。彼等を肌の色だけで蔑むのが、いかに非常識であるかを示しています。

ある日、Laurence Fishburne、Cuba Gooding Jr.らは、ドイツ軍戦闘機に追われている白人パイロットによる爆撃機を助けます。白人パイロットと副操縦士は、基地へやって来て恩人を探しますが、それが黒人パイロットだと知ると、そそくさと帰ってしまいます。しかし、以後Laurence Fishburneらは爆撃機の護衛を勤めることになり、激戦でCuba Gooding Jr.機が撃墜されます。墜落までにCuba Gooding Jr.が歌をうたい、Laurence Fishburneが唱和します。これを爆撃機の白人パイロット達も漏れ聞き、犠牲の尊さを実感します。この出来事により、白人爆撃機隊はわざわざ黒人戦闘機隊の護衛をリクエストします。実話に基づくそうですから、多分このリクエストも事実なのでしょう。

最後の字幕に、「1943〜1945の間に、450人のTuskegee(タスキギー)航空兵が850の勲章を得た。66人のタスキギー航空兵が戦死。332戦闘機隊は、敵地爆撃の際、一機の爆撃機をも失わず護り通した」と出ます。勇敢だった上に、任務遂行能力も立派だったことが分ります。

Tuskegeeと云えば'Miss Evers' Boys'(1997)で"Tuskegee Study"(タスキギー研究)にスポットが当てられました。それは民間の黒人対象の医療問題(人体実験)であって、黒人パイロット養成とは無関係です。しかし、そちらにもLaurence Fishburneが出ています。彼は結構良心的で進歩的な俳優みたいですね。見掛けによらず:-)。

(July 20, 2001)


【Part 3】

新聞に混じって配達される無料週刊誌'American Profile'誌の2010年11月7-13号が、Tuskegee Airmenを特集しました。

「Tuskegee Airmenの飛行機は尾翼を真っ赤に塗ってあったので"red tails"(赤い尾翼)として知られていた。彼らはヨーロッパ、地中海、北アフリカにおいて計1,578回出撃し、84名が戦死、32名が墜落あるいは捕虜となった。【註:戦死者の数が映画の字幕と異なりますが、こちらの方が正しいようです】

Tuskegee Airmenの一人一人が、当時二つの戦いをしていることを理解していた。一つは外国でのファシズムとの戦いであり、一方は故国におけるレイシズム(人種差別)との戦いであった。

ミシシッピ州生まれの退役中佐Herbert Carter(ハーバート・カーター、91歳)はTuskegee Airmeの一人として数々の武勲を立てた。しかし彼が1944年にミシシッピに戻り、後にケンタッキー州の基地に出頭した時、ファンファーレも紙吹雪もパレードも歓迎式典も一切なかった。故国における人種差別は一向に変化していなかったのだ。

デトロイト生まれの退役中佐Alexander Jefferson(アレクサンダー・ジェファスン、88歳)は、南フランス上空で飛行機を撃たれ、落下傘降下してドイツ軍の捕虜となった。彼は皮肉を込めて云う、「私はポーランドとドイツの戦争捕虜収容所で九ヶ月過ごしたが、将校であり紳士である人間として扱われた。殴られたり拷問にあったりはしなかった」と。言外に、当時のアメリカの黒人たちがどれだけ酷い目に遭っていたかを暗示しながら」

(November 07, 2010)





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