[Poison] The Education of Little Tree
『リトル・トリー』

【Part 2】

Wikipediaの説明からチェロキー・インディアンについて、少し引用します。"Cherokee"(チェロキー)の名称の由来については諸説あるようですが、チョクトー・インディアンの言葉"Cha-la-kee"(山に住む者)あるいは"Chi-luk-ik-bi"(洞窟に住む者)という語源が有力とされています。現在のチェロキー・インディアンの居留地はアラバマ州、アーカンソー州、ジョージア州、ケンタッキー州。ミズーリ州、ノース・キャロライナ州、そしてテネシー州ですが、ロサンジェルスに最大のインディアン人口を形成している部族でもあるそうです。

劇中でGraham Greene(グレアム・グリーン)が語る"Trail of Tears"(涙の行列)は1838年の出来事です。白人の人口が膨張し、折しもジョージア州でゴールド・ラッシュが起ったせいで、時の大統領Martin Van Buren(マーティン・ヴァン・ビューレン)は7,000名の兵士を送ってチェロキー・インディアンを包囲し、オクラホマ州への移住を強制しました。それはテネシー州、ノース・キャロライナ州、アラバマ州で始まり、一行には約17,000人と云われるチェロキー・インディアンと、裕福なチェロキーに仕えていた2,000人の黒人奴隷も混じっていました。出発地点によって彼らの移動距離は異なりますが、オクラホマ州に作られた居留地まで、短くて1,900キロ、長くて3,540キロありました。【全行程の地図:http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Trail_of_tears_map_NPS.jpg】 病気や疲労により4,000人のチェロキーたちが亡くなったそうです。死者を弔い、行進を鼓舞するため、チェロキー・インディアンたちは宣教師から学んだ賛美歌'Amazing Grace'(アメイジング・グレイス)を歌いました。この歌はこの後チェロキー・インディアンの「国歌」のようになったそうです。現在、チェロキー・インディアンはアメリカ・インディアンの中で最も多い人口を持つ部族になっています。

アメリカでは何分の一かでも黒人の血が混じっていれば黒人として扱われます。ルイジアナ州では1983年まで、黒人の血が1/32以上混じっていると出生証明書には「黒人」と記されたそうです。曾祖母が黒人であれば、当人の肌の色には関係なく「黒人」と分類されたわけです。この映画の少年は両親が白人だった(ように見えた)ので、自分も白人だと思っていました。しかし、父親が混血児ですから1/2インディアン、その子である少年は1/4インディアンということになります。貧しい少女が二人の手を並べて色を比較した時、明らかに少年の手は少女のように白くありませんでした。

「家族で観るのに相応しい映画」と書きましたが、やや躊躇するところもないではありません。映画の「祖父」は「インディアンと結婚してからチェロキーの目で物事を見るようになった」と云い、"Trail of Tears"のような非道で惨たらしいことを実施した政治家と政治を憎んでいます。ですから、彼にとって法律というものは白人にとってだけ都合のいいものでしかありません。彼が密造酒を作って売り、インディアン学校の門の鍵を壊して孫息子を救出するのも同じで、彼には法の枷というものはないのです。映画製作者たちはこの祖父の行動を是認していますが、小・中学生と共にこの映画を鑑賞する時、私たちは大人としてこういう違法行為をどう説明出来るのか、そこが問題です。

「この映画はカナダの作品である」という字幕が出ますし、役者が絡んでいる森林のシーンはカナダで撮られているのでしょう。しかし、IMDbの「撮影地」という項目には、テネシー州ブルーリッジ山系とノースキャロライナ州の二ヶ所、計三ヶ所の地名が出ていますので、テネシーの自然の風景も含まれているわけです。全部カナダで撮ってしまう“南部もの”もあったりしますから、この映画は良心的と云っていいでしょう。

(April 25, 2007)





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