[Poison] Toys in the Attic
『欲望の家』

【Part 2】

1960年に出版された戯曲は、1960年2月25日にニューヨークで初演された台本を印刷したものです。この舞台はMaureen Stapleton(モーリーン・ステイプルトン)が姉妹の妹、Ann Revere(アン・リヴィエ)が姉、Jason Roberds(ジェイスン・ロバーズ)が弟役で、演出はこの後'The Miracle Worker'『奇跡の人』(1962)や'Bonnie and Clyde'『俺たちに明日はない』(1967)などを手がけることになる俊才Arthur Penn(アーサー・ペン)です。

三幕のこの戯曲は、全て姉妹の家のポーチとリヴィング・ルームだけで演じられます。姉妹の姉の方の性格・行動は戯曲も映画もほぼ変わりありません。妹の方の性格・行動は、映画より戯曲の方がよりきついです。彼女は弟の妻を嫌うだけでなく、その母親をも毛嫌いします。

姉妹両方に共通しているのは、黒人蔑視です。映画の姉妹は、弟の妻の母親が黒人のお抱え運転手を紹介すると、ちょっとショックを受けたようにどぎまぎするだけですが(これでも、姉妹が黒人を対等に見ていないことが察知できる)、 戯曲の方ではそんな不躾なことをした弟の妻の母親を二人で憤慨します。妹の方は"nigger"(黒ん坊)という言葉さえ口にします。

ルイジアナ州では1983年まで、黒人の血が1/32混じっていると出生証明書には「黒人」と記されたそうです。曾祖母が黒人だと、当人の肌の色には関係なく「黒人」と分類されたわけです。この映画の謎の女性は黒人の血が混じっているのを隠して白人と結婚したわけですが、これはまずかったでしょうね。子供が生まれれば一発でバレちゃうことですし(黒い肌は優性遺伝子なので、99%黒い肌の子供が生まれる)。

弟の妻の母親には人種差別の気持ちは皆無…どころか、単なる雇い主と黒人運転手の関係を越えた間柄(異人種間の懇ろな関係)であることを暗示するような台詞が出て来ます。

最も変更を加えられているのは弟の妻の性格と行動です。戯曲では、「彼はママからお金を貰うために、私と結婚したのよ。そうじゃない?」と母親や姉妹にしつこく聞いたり、夫とのセックスをあからさまに喋ったり、夫が会っている女に夫が惚れていて、自分は捨てられると偏執狂的に思い込んでいたりします。単なる世間知らずのねんねではなく、かなり病的なのです。姉妹の妹の方が弟を手放したがらない態度も病的ですが、戯曲ではこの娘の病的な態度もかなりの比重で描かれているのです。彼女を紙人形にしたのは、映画の脚本家の仕業だったのです。

姉・妹・弟とその妻が演奏する弦楽四重奏曲のような戯曲を、映画では妻の音色を非常に弱くし、無理矢理弦楽トリオに変えてしまった感じがします。それが妹を演じるGeraldine Pageを際立たせるためであったとしても、娘の役を紙人形にしたのは失敗だったと思います。四重奏が三重奏になれば音色が貧弱になるのは明らかだからです。

戯曲と映画のエンディングは全く別な素材のように違います。戯曲の方では謎の女は殺されず、顔を傷つけられた程度。弟は泣き寝入りし、姉はヨーロッパ行きを中止し、妹は弟の不運を喜びます。弟の妻は自分が悲劇の種を作ったことを告白しません。黒人運転手は雇い主に別れを告げて、幕。

映画の方は観客に欲求不満を与えまいと考慮したようで、重箱を積み上げたようにドラマチックな幕切れにしてあります。妻の告白に怒り狂った夫が妻を殴り飛ばし(これがポスターの材料)、妻は実家に逃げ帰ります。しかし、実際には姉妹の妹の方が妻を唆したことが判り、弟は彼女を憎悪し「妻を捜す」と出て行き、姉も独善的な妹を見捨てて単身ヨーロッパに旅立ち、取り残された妹一人が"I'm sorry!"と泣き崩れます。何やら勧善懲悪みたいな裁き方です。ま、カタルシスによって心理的にすっきりはするのですが、こんな性悪女を描いて何が面白いのか?という気にさせられます。見せられた方こそいい迷惑という感じ。戯曲の方の結末はうやむやですが、「人生ってこういうもんじゃない?」という自然さ、いさぎよさがあります。

この映画をプロデュースしたWalter Mirish(ウォルター・ミリッシュ)の回想録'I Thought We Were Making Movies, Not History'(歴史じゃなくて映画を作ってたつもりだったんだが)(The University of Wisconsin Press, 2008)を読みました。以下のような記述がありました。

「私(Walter Mirish)は'Friendly Pursasion'『友情ある説得』(1956)製作以来、監督William Wyler(ウィリアム・ワイラー)と継続的に仕事することを望んでいた。そのWilliam Wylerは、親しい戯曲作家Lillian Hellmanの舞台劇'Toys in the Attic'の映画化を希望していたので、それを実現すべく私がお膳立てをした。しかし、いざスタートという段になってWilliam Wylerの気が変わって、彼は同じLillian Hellmanの原作である'The Children's Hour'『噂の二人』(1961)の映画化に乗り気になっていた。

'Toys in the Attic'はTennessee Williamsタイプの戯曲で、性的問題を抱えた南部の家族がメロドラマを繰り広げるというものだ。これはブロードウェイではそこそこの成功を収めていた。United Artistsも私も、『ガラスの動物園』(1950)、『欲望という名の電車』(1951)、『愛しのシバよ帰れ』(1952)などの舞台の映画化の系列として成功すると踏んでいた。

William Wylerが降板した後、われわれはDean Martinを主役に据え、このテの映画ファンばかりでなく一般の観客にもアピールするユーモアを付け足せると考えた。私は、若いTVドラマ演出家のGeorge Roy Hillを監督に選んだ。脚本家James Poe(ジェイムズ・ポー)は、『熱いトタン屋根の猫』や『肉体のすきま風』といったTennessee Williamsものをそれ迄に手がけていた。

われわれは一流女優たちを集めてこの映画を成功させようとしたが、うまくいかなかった。陰気なストーリィが災いした。批評は芳しくなく、興行成績も成功とは云えなかった」

(July 21 28, 2012)


【Part 3】

'Lilian Hellman: A Life with Foxes and Scoundrels' by Deborah Martinson (Counterpoint, 2005)という、原作者Lilian Hellmanの伝記を読みました。この戯曲は、1960年2月の初演から556回も連続上演されたヒット作だったそうです。

前述のように、この劇はLilian Hellmanの親しい作家Dashiell Hammettがくれたヒントを土台にしているのですが、彼のアイデアでは男性が主人公でした。しかし、Lilian Hellmanは「私は男性を描けないので…」と、男性を取り巻く女たちに焦点を変更しました。彼女は、登場人物たちに(そっくりではないものの)自分の親族をモデルにして性格を与えたそうです。

Lilian Hellmanは姉妹に南部訛りを喋らせ、シカゴ育ちの若い娘には中西部の、しかも詩的な台詞を与えて、批評家たちから賞賛されました。

ボストンにおける公演に、この劇のヒントをくれた作家Dashiell Hammettが、病を押して正装で観に来てくれて、Lilian Hellmanは感激したそうです。しかし、観終わった彼の感想は"piece of shit!"(ひどい出来だ!)というものでした。病気がそう云わせているという理解で、Lilian Hellmanは何も云わなかったそうです。

(September 12, 2012)





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