[Poison] Walking Tall
『ウォーキング・トール』

【Part 2】

映画のモデルとなったBuford Pusser当人は、「この映画の60%は事実」と云ったそうですが、色々資料を照合してみると40%ぐらいではないか?という気がします。

この映画の名場面・名演出と云えるのは、次のようなシーンです。シェリフの厳しい取り締まりに業を煮やした悪党共がシェリフ夫妻が乗った車を襲い、銃を乱射し、妻は死亡、シェリフは重症を負って入院します。病院に州のお偉方や保安官代理、助手などが大勢詰めかけているところへ、唇を噛み締めたシェリフの長男(8歳ぐらい)が来ます。彼は片手にクリスマス・プレゼントで貰った銃を、もう一方の手に弾薬の一杯詰まった箱を持っています。母を失った悲しみをこらえて、病室の父を護るためにやって来たのです。その気迫に押された大人たちは無言で道を開け、少年を通します。カメラは目に涙をたたえた少年が病室へ向う顔をあっぷにしつつドリー・バック。見送る大人たちの茫然とした顔。

このシーンには二つの伏線があります。冒頭で両親の家に到着直後、Joe Don Bakerは父がガラス・ケースに納めている猟銃を懐かしそうに手に取り、長男にも持たせます。二度目はクリスマス・イヴに長男が銃を貰うシーン。ですから、上の病院のシーンは納得出来るように設定されています。

実はBuford Pusserの妻には前夫との間に二人の子供がいて、その次男が映画の長男のモデルとなったらしいのですが(女の子はBuford Pusserと再婚後の子供)、彼の母が殺された時、実際の次男の年齢は18歳だったそうです。銃を持って父を護りに来るのが8歳の少年か18歳の青年かでは随分印象が違います。18歳だったら当たり前で、8歳だから悲痛なんですよね。ま、ハリウッド的作文としてはよく出来ているわけですが。

Buford Pusserの妻の葬儀のシーンもうまく演出されています。教会の外に霊柩車(と云っても、ただの黒塗りのヴァン。アメリカではこれが普通)が待っていて、保安官助手数名によってお棺が運び込まれると、保安官助手全員が車の両脇に並び、車と一緒にゆっくり歩いてお墓に向います。その後に遺族(シェリフは入院中なのでいない)が従い、その後に保安官代理、そして親戚・友人・町の人々が続きます。あまり見られない、いいシーンです。

主人公の父親は単なる製材所のオーナーのように描かれていますが、実際にはこの父親は同じカウンティにあるAdamsvilleという町の警察署長だったそうです。彼が引退するとき息子に警察署長を継がせ(商店でもないのに随分簡単ですね)、二年後に息子は映画のようにシェリフに立候補し当選しました。26歳というのは、テネシー州で最年少のシェリフだったとか。

モデルとなった主人公が実際にシェリフになったのは1964年だそうです。これは私の『公民権運動・史跡めぐり』に詳述してあるように「ミシシッピ州“フリーダム・サマー”活動家三人の暗殺」が起った年です。公民権運動も山場を迎えていた頃。そういう時期に、この映画の主人公は、黒人の友人に向って「死体置き場で八人の"dead niggers"を見て来たところだ」などと云います。南部で生まれ育った白人の当時における普通の物の云い方なのでしょうし、主人公はこの映画のコンサルタントを務めたそうなので、当人もそういう台詞で問題はないと思ったのでしょう。しかし、この差別用語を聞いた時に私は「ドキーン!」とし、主人公への感情移入の度合いがやや薄れたことを告白します。

いくらB級映画でも「こりゃないだろう」と驚いたことがあります。二つのシーンで画面の上の方にマイクが写っているのです。チラなんてものじゃなく、大きくずーっと“出演”。一つは室内、一つは屋外。これを撮ったカメラ・オペレーターは失格です。

B級映画にしてはエンド・タイトルだけは豪勢で、有名歌手Johnny Mathis(ジョニィ・マティス)によるタイトル・ソングが歌われます。

(July 08, 2007)





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