[Poison]

Suddenly, Last Summer

『去年の夏突然に』

【Part 2】

映画の終盤に至るまで、人々は皆金持ちの息子Sebastianの話をします。観客には姿、形も分らぬまま、ず〜っと我慢して聞いていなければなりません。製作者側の意図は「Sebastianとはどういう男だったのか?彼に去年の夏、何が起ったのか?謎は次第に解明される」というものだったでしょうが、最後の最後になるまで解明されないのですから、苛々することこの上もありません。舞台劇という、会話で転がして行くメディアの場合にはまだスリリングだったかも知れませんが、自由に時間、空間を移動出来る映画というメディアで、会話だけによってある人物について語るというのは、相当無理があります。

「Sebastianは神を見た」とか、「温室のジャングルに何かある」とか、思わせ振りな台詞が一杯出て来ますが、どれも実体を伴っていません。

依頼されれば誰でもロボトミー手術をしていいものでもありませんが、外科医のMontgomery Cliftが何故Elizabeth Taylorの過去を探ろうとするのか?これは心理学者に任せるべき筋合いではありませんか?

最後の最後になって、Elizabeth Taylorに真実を語らせる場を設けます。関係者一同が温室のジャングルに勢揃いします。まるで、探偵小説の最終章みたいで、観ていて気恥ずかしくなります。真実を語らせるといっても、自制心を取り去る薬物注射によるものなので、非常に即物的です。

Elizabeth Taylorが話し始めることによって、やっと回想シーンになり、Sebastianの姿が登場します(顔は終始見えない)。Elizabeth TaylorとSebastianはスペインの海辺の避暑地に滞在しています。Sebastianは子供や青年達に金をバラ撒き、彼を取り巻く人の数は増える一方。ある日、子供達が「パン!パン!」とひもじさを訴え、彼の慈悲を乞いますが、Sebastianは彼等を罵ります。子供達は不思議な音楽を奏で、Sebastianに迫り、逃げる彼を一段となって追いかけます。

Sebastianが進退窮まった丘の上で、子供や青年の群れに「食べられちゃった」というのですが、Tennessee Williamsさん、スペインを馬鹿にしてるんじゃないの?人食い人種なんか、スペインにいませんて。阿呆らしい。

話を聞いたSebastianの母Katharine Hepburnは気が狂って、Montgomery Cliftを息子と錯覚するようになってしまいます。こんな与太話を聞かされたこっちも気が狂いそうだわい、ったく。

云わずもがなですが、Elizabeth Taylorはロボトミー手術を免れ、どうやら独身のMontgomery Cliftと結ばれるような気配で映画は終ります。

(April 10, 2001)





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