[Poison] Sounder
『サウンダー』

【Part 2】

サトウキビから砂糖を取る工程ですが、当地のカミさんの親戚がいまだに同じ様な方法を使っています。映画ではラバをグルグル歩かせて、サトウキビを挿入した中心の臼を回します。カミさんの親戚はラバではなく、モーターバイクをグルグル走らせていました。碾いて出た液体をバケツに受け、それを鉄板で出来た迷路のようなデザインの大型鉄板に注ぎます。上手から下手に緩やかな勾配があります。下からの火で水分が蒸発し、次第にねっとりとした砂糖液が出来ます。映画ではここまでの製品を地主に納品していました。

後に'Norma Rae'『ノーマ・レイ』を撮るMartin Ritt(マーティン・リット)監督だけあって、全て押しつけがましくなく、抑えた中にヒューマンなタッチで描いて行きます。しかし、たまに抑え過ぎた点が無くはありません。傷つき行方不明になった犬のSounderがひょっこり帰って来ますが、走って来る犬のフル・ショットの後、息子と犬の再会を(アップではなく)大ロングに引いて見せるのです。このテも無くはないのですが、この映画ではその大ロングから更に引いて窓越しに見ている母親のショットに繋げます。母親は「後は夫だわ」とでもいうように、椅子に沈み込みます。Sounderの帰還を喜ぶ間(ま)が無いので、観客としては落ち着きません。

似たような場面がもう一つ。映画の後半でSounderがむっくり起き上がり、吠えながら家の前の道路を駆け下りて行きます。遠くを見ると、ややビッコを引きながら歩いて来る人物一人。Cicely Tysonは目を凝らします。犬は吠えつつ一散にその人物に向い、飛びかかって歓迎します。この情景を大ロングに引いたまま、堪えに堪えて見せます。これは大成功のショットです。「夫だ!」Cicely Tysonは夫の名を呼びながら、両手を広げて走ります。庭で遊んでいた子供たちが、それを聞いてやはり駆け出します。「父ちゃん!」「父ちゃん!」家族愛が表現された素晴らしいシーンです。

刑務キャンプに父を訪ねた時、息子は小学校の女教師と知り合います。彼の真面目さを知った女教師は、もし来学期来れるのなら家に寝泊まりして勉強しなさいと云ってくれます。丁度、父の帰宅と相前後して「もうすぐ新学期だけど、来れますか?」という手紙が届きます。父との久し振りの生活もしたいし、勉強もしたい…と、少年は悩みます。父は、少しでも教育を受ければ自分達のような惨めな生活をしなくて済むと、少年を送り出します。『キューポラのある街』の吉永小百合の父東野英治郎のように「どうせダボハゼの子はダボハゼだ!」などと云いません。脚が悪くなった父にとって、働き手の長男を失うのは辛い筈ですが、自分達の暮らしより息子の将来を優先するわけです。父とSounderの付き添いで馬車で家を後にする少年が、何度も何度も母と妹、弟を振り返ります。彼に幸多かれと祈りたい気持ちで一杯になります。

この数年後にパート2が作られたようですが、脚本家と作曲家だけが同じであるものの、監督から俳優までほぼ全て変更されていました。純正の続編とは云えないようです。ついでですが、この映画の脚本(黒人シナリオ・ライター)は、緩急自在、幸不幸をうまく織り交ぜていて厭きさせず、よく出来ていると思います。

(May 11, 2001)


【追記】

2016年のTCM(Turner Classic Movies)のフィラー(5分程度の穴埋め番組)で、Cicely Tyson(シシリィ・タイスン)が次のような思い出話をしていました。

刑務キャンプに収容されていた夫が帰って来て、Cicely Tysonが涙ながらに夢中で駈けて行くシーン。そのシーンを撮り終えた後、監督がCicely Tysonに「もう一度やってくれ」と云った。彼女は「もう出来ない」と首を振った。【一発で迫真の演技が出来たので、もう二度と繰り返せないと思った…という意味】 監督は困った顔をして云った、「実はカメラマンの希望なんだ。撮影に不具合があったかも知れないので、念のためリテイクしたいと云っている」 それでもCicely Tysonは首を横に振った。監督が続けた、「カメラマンは涙が出てファインダーがよく見えなかったんだそうだ」 遂にCicely Tysonは要望に応じ、そのシーンを撮り直した。Cicely Tysonの言葉:「でも、映画に使われたのは最初のテイクだったわ」

(December 05, 2016)





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