[Poison]

The Sound and the Fury

『悶え』

【Part 2】

物語はその後、Joanne WoodwardがYul Brynnerの人間性に触れる場面、Joanne Woodwardの母が服飾店の共同経営者Albert DekkerとデキてしまいYul Brynnerが激怒する、Yul BrynnerがStuart WhitmanとJoanne Woodwardがネチョリンコンしている現場を目撃して男を追い出し、Joanne Woodwardにキスする、彼はJoanne Woodwardを部屋に軟禁する、Joanne Woodwardは抜け出してStuart Whitmanに会いに行く、Jack Wardenが部屋に戻ろうとしたJoanne Woodwardの首を絞める…などと、続きます。

私の一年間にわたる必死の(?)捜索にもかかわらず、ずっとこの映画のヴィデオは入手出来ませんでした。やっとeBayに登場したヴィデオを落札したら、ワイドスクリーン版ではあるものの、完全な違法コピーでした。販売主は素人の婦人で、ある人物が彼女に「この映画の著作権は消滅しているから、いくらコピーして売っても大丈夫」と持ち掛けたそうで、彼女はそれを鵜呑みにしたようです。20世紀フォックスがこの映画の著作権を放棄したという話は聞いていません。広告物である予告篇などには著作権は無いようですが、劇映画のように脚本家、監督、俳優、作曲家などの権利が錯綜している場合、そう簡単に著作権は消滅しません。

というわけで、日本ではなおさら手に入らないでしょうから、物語の後半も紹介してしまいます。

Yul BrynnerはJack Wardenを精神病院に連れ去る、その隙にJoanne WoodwardはStuart Whitmanと駆け落ちを図る、Yul Brynnerはカーニヴァル一行のところへ急行、Joanne WoodwardとStuart Whitmanが車を発進させようとした、まさにその時、Yul Brynnerが立ち塞がる。

Yul Brynnerは暴力でStuart Whitmanに立ち向かったりしません。もっと巧妙です。「このまま彼女を連れて行くか、$3,000受け取って彼女をスッパリ忘れるか、どっちを選ぶ?」と持ち掛けます。こんなやくざな男が本気でおぼこに惚れているとは思っていないわけです。ビンゴ!Stuart Whitmanは$3,000を選びます。男の本性を知ったJoanne Woodwardの恋も、一遍に冷めていまいます。

Joanne Woodwardが徒歩で帰宅すると、途中までYul Brynnerが出迎えに来ています。Yul Brynnerが本気で彼女を心配してくれたこと、彼女を女として見てくれ、プロポーズとも云える愛情のこもった言葉を聞いたJoanne Woodwardは、沸き上がる幸福感から跳ねるように家に入って行きます。見送ったYul Brynnerは、(この映画で十本目ぐらいの)煙草を取り出し、深々と吸い込むのであった:-)。

原作にはもっと色んな筋があるそうですがこれはごく一部、つまり「原作の映画化」ではなく「原作からヒントを得た映画」とされています。

しかし、冒頭のYul Brynnerがあまりにも冷酷、冷血な人間になっているので、途中から急に人間味を見せるのが、どうもしっくり来ません。母が帰って来る前のことですが、Joanne WoodwardはYul Brynnerに「もっと人間的になれないの?」と迫ります。しかし、この言葉の後、彼は母娘対面をさせずに意地悪したわけですから、彼女の言葉は彼に届いていません。その後、一族の縁者がYul Brynnerに「もう嫁を貰え」と云います。Yul Brynnerが変わるのは、この後からなのです。人格が一変するには一寸キッカケとして弱い。もっと劇的なことがないと納得出来ません。

ここまで書いたところで、“伝家の宝刀”'Fiction, Film, and Faulkner--The art of Adaptation--' by Gene D. Phillips (1988)という本を参照しました。映画化されたFaulknerの原作の解説、映画化の経緯、双方の比較を詳述した本です。これによって謎が解けました。

先ず、原作ではこの旧家の男性群は血の繋がった三人兄弟で、Yul Brynnerも純然たる兄弟の一人なのです。なぜ、映画が彼をJoanne Woodwardの血の繋がらない叔父に仕立て上げたかというと、二人の結婚によるハッピーエンドをもたらしたかったからだそうです。原作の骨子は男狂いの母の悲惨な人生と、全く似たような男狂いへの人生をスタートしそうな娘の、二人の相似の悲劇。男どもが全部独身なので、Joanne Woodwardはこの旧家の最後の若い血になるわけですが、彼女の出奔によりこの旧家は崩壊する…という悲劇でもあるようです。悲劇からハッピーエンドを取り出すハリウッドの魔術は決して珍しくはありませんが、この映画では無理があったようです。

原作は四章からなっていて、(1) 知恵遅れの三男(映画ではJack Warden)による少年期の回想、(2) 長男による回想、(3) 次男(映画ではYul Brynner)の現在形のナレーション、(4) 黒人家政婦Ethel Watersの現在形のナレーション…となっています。映画は後の二つを基本として、過去をバッサリ切り捨てました。また、原作が「難解」と云われる原因は、頻繁なフラッシュバックによって過去・現在が入り乱れるからだそうですが、映画ではフラッシュバックは一切行なわれません。後に、監督Martin Rittは「フラッシュバックをしなかったのは失敗だった」と語ったそうです。

原作ではJoanne Woodwardと結婚しない(血の繋がった叔父の)Yul Brynnerは、終始冷酷、非情のままです。ですから、映画の前半のYul Brynnerは原作に忠実に描かれ、後半になるとハリウッド的に人格が変えられてしまったわけです。「木に竹を継ぐ」という表現がぴったり。

原題'The Sound and the Fury'『響きと怒り』はシェイクスピアの'Macbeth'『マクベス』の第五幕第五場のMacbethの独白です。"It is a tale told by an idiot, full of sound and fury, signifying nothing."(拙訳:うつけ者の話のように、わめき声と興奮に満ちてはいるが、全く無意味なものでしかない)。これは小説の第一章である知恵遅れの三男のナレーションを暗示していて、小説全体をカヴァーするタイトルとは云えません。

'Fiction, Film, and Faulkner'という本はこの映画の製作環境についても触れています。プロデューサーと監督は、前年オール・ミシシッピ・ロケで撮った'The Long, Hot Summer'『長く熱い夜』が、曇天などで13日のロスを出したことに懲り、今回はオール・セットという方針に変えたのだそうです。セットは便利だったでしょうが、'The Long, Hot Summer'のような南部の空気と風景を失いました。ハリウッドなら何でも可能かというと、実はそうでもないんですね。

(September 14, 2002)





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