[Poison] Songcatcher
『歌追い人』

【Part 2】

私は札幌放送局に勤務していた頃、1978年に『北の瞽女路』という番組の撮影を担当したことがあります。越後瞽女(ごぜ)の存在を世に知らしめた斎藤真一画伯が、北海道にも瞽女の足跡はないかと松前、江差、熊石など、厳冬の日本海岸の町を旅するという趣向。「盲目の芸人が来たことはなかったですか?」と尋ね歩き、越後風の三味線や民謡を聞かせて貰ったりします。今にして思えば、まさにこれは'Songcatcher'でした。22年も早い“先駆者”だったことになります。

DVDのボーナスで音楽監督が語っているところによれば、アパラチア山岳地帯の音楽は、フォーク・シンガーJoan Baez(ジョーン・バエズ)やBob Dylan(ボブ・ディラン)も研究して、自分たちの歌に取り入れたそうです。カントリーの女王Dolly Parton(ドリィ・パートン)もこの地域の唄を歌っています。

また、スコットランド=アイルランド系のフォークソングにバンジョーの伴奏がつく筈はなく、これは南北戦争に参加した山の民が、戦後バンジョーを山に持ち帰ってからの流行だったとのこと。

映画の中でも語られますが、もともとのスコットランド=アイルランドの歌にはなく、アパラチア山岳地帯の歌にある特徴は、各節の最後を尻上がりにする歌い方です(Emmylou Harrisがエンド・タイトルで歌う'Barbara Allen'は尻上がりにしていませんが)。【参照: http://www.theromanceclub.com/authors/lauramillsalcott/lyrics.htm でEmmy Rossum、Emmylou Harris、Dolly Partonによる三者三様のこの唄の一部が聴けます】

映画の中で「バラード」を「ラヴ・ソング」と説明するところがありますが、これは素朴な山の人たちの理解を助ける方便でしょうね。「バラード≠ラヴ・ソング」です。辞書に「譚詩、物語詩」とあるように、結構長い物語に単純な節をつけて歌うというもので、恋の歌とは限りません。その特徴あるリズムによって、ダンスに向いているという面もあるようです。

'Chrystal'(2004)という映画には、"Ozark Mountain"(オウザーク山地)と呼ばれるアーカンソー北部とミズーリ、オクラホマにまたがる高原に残っている独特のフォーク・ミュージックを、シカゴの教授が録音しに来るという脇筋がありました。そこでも、主演女優がこちらの映画に似た鄙びたフォークソングを歌い、なかなか聞かせていました。アメリカの山岳地帯はフォーク・ミュージックの宝庫のようです。

この映画で唯一不満があるのは、エンディングです。Janet McTeerは女性を教授にしたがらない大学に愛想を尽かし、音楽ビジネスに活路を見出そうとします。そして、パートナーに山の男Aidan Quinnを選びます。彼は嘗て「おれたちを放っといてくれ」と云い、「人生は楽しまなくちゃ」と昼日中楽器を奏で、酒をがぶ飲みする男でした。彼を選ぶのは勝手ですが、こんな野生児みたいな男が都会で暮らして行けるとは思えません。しかし、Aidan QuinnはOKし、山を下りることにします。いくら惚れ合ったからと云っても、20代の男女じゃないんですから、この筋書きは脚本の勇み足でしょう。到底納得出来るものではありません。しかし、努力の結晶である録音と楽譜を失い、大学も去る決意をしたJanet McTeerは丸裸になってしまったわけで、シナリオ・ライターとしては何か餞(はなむけ)を上げたかったということでしょうか。一人寂しく山を下りて前途も分らぬ暮らししか想像出来ない主人公の姿というのも哀れなので、御都合主義ではあってもハッピーエンドにしたい気持は分りますが、Aidan Quinnが彼女になくてはならない存在であるように描けていないのが問題です。単に気持が通じ合ったとか、雄(おす)として魅力的だという程度では、やはり先行きは不分明で、観客としても心配になってしまいます。

もう一つだけ残念なのは、少女と恋人同士だった若者Greg Russell Cook(グレッグ・ラッセル・クック)の人物像が、南部のレッドネックの典型のようで手抜きに感じられること。無教養で粗暴で、偏見に満ち、女性蔑視…と、お約束通りのクリシェ(定型)です。こいつのせいで、モデルとなったアパラチア山岳地帯の人々が気分を害さなかったかどうか気掛かりです。

【歌曲'Barbara Allen'について】

歌手によって色々な歌詞で歌われるため、定番の訳詞というものはないようです。大意は以下の通りです。

「花咲き誇る五月。Barbara Allen(バーバラ・アレン)に恋する若者William(ウィリアム)が死の床にあった。彼は従者を使いに出し、町に住むBarbara Allenに『来てくれ』と伝える。Barbara Allenも病気らしく、ゆっくりゆっくり起き上がり、ゆっくりとWilliamの館へ赴く。

『あなた、死にかけているわね』とBarbara Allen。『よくなる見込みはない。あなたがもう私を愛してくれないなら』とWilliam。『覚えてる?この前、居酒屋で別の御婦人にちやほやして私を侮辱したじゃないの』とBarbara Allen。Williamは顔をそむけ『さよなら、皆の衆。さよならBarbara Allen』と云う。

Barbara Allenの帰途、彼女は弔鐘を聞く。Williamが亡くなったのだ。Barbara Allenには人々が彼女を冷酷だと責める声が聞こえるようだった。『お母さん、床を作って。Williamが今日私のために死んだの。私は彼のために明日死ぬわ』

人々はWilliamを古い教会の庭に埋めた。Barbara Allenも近くに埋められた。Williamの墓には赤いバラが咲き、Barbara Allenの墓にはブライアが育った。バラとブライアは塀の高さまで伸びると互いに近づき、真の恋結びのように絡まった」

(February 13, 2007)





Copyright © 2001-2011    高野英二   (Studio BE)
Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.