[Poison] Song of the South
『南部の唄』

【Part 2】

『ウサギどん、キツネどん』の代表的なお話は「タール・ベイビィ」です。キツネがウサギを捕えるためにコールタール製の人形を作ります。触ると手がくっついてしまうので、逃げられなくなるという罠です。キツネの思惑通りウサギはタール・ベイビィに捕まり、もがくうちに全身にタールがついて真っ黒になってしまいます。これをもじって、黒人をタール・ベイビィと呼ぶ差別主義者がいます。"Nigger"と同じ意味で使っているわけです。

しかし、NAACPがディズニィを脅迫したのは、そのタール・ベイビィが原因ではありません。彼等が問題としたのは、プランテーションの黒人奴隷たちが、歌いながら畑に通い、夕食後も焚火を囲んで歌をうたうなど、あたかも奴隷の生活が楽しいように描かれているという、その一点なのです。楽しいから歌をうたうのかと云うと、そうも云えないと思います。チェイン・ギャング(囚人の屋外労働)も歌無しだと辛いから歌うのであって、楽しくて歌っているわけではないでしょう。農作業の後は、解放感から歌うということもある筈です。確かに、ここには奴隷の働き詰めの生活や、白人の監視も出ていません。これは子供向けの映画であり、楽しい田園生活を紹介する映画であって、奴隷制度の実態を見せるものではないのです。こうした選択が“差別的”だとは思えません。

うちのカミさんは「でも、それは私達が判断することではなく、やはり黒人にしか分らないのでは?」と云いました。その通りですが、何十年も前に作られた芸術作品を、最近の尺度でうんぬんして製造・販売中止させるというのは、根本的に間違っていると思います。現在の、あるいはこれからの作品に目を光らせるのは結構ですが、既に発表されたものはそのままにすべきです。日本でも落語の中の言葉を変えさせたり、古い黒澤映画の差別語をカットするような乱暴なことをやっています。これらは伝統芸能への冒涜であり、偉大な作品を台無しにする暴力行為です。もし、ロゼッタ・ストーンに人種差別的言葉が入っていたら、そこを削って展示するのか?と私は云いたい。

私はこの“南部もの”大全集の試みで沢山差別との闘いを観て来ましたので、NAACPの活動には基本的に共感しますが、この『南部の唄』ボイコットには全く共鳴出来ません。不買運動をチラつかせてディズニィを脅迫したそうですが、完全にNAACPの勇み足だと思います。

(April 24, 2001)


映画'Amistad'『アミスタッド』には、平和に暮しているアフリカ人たちが突如“捕獲”され、アメリカへ売られてしまうシーンがありました。来たくてアメリカへ来たわけではなく、働きたくてプランテーションで働いていたわけではないので、どんなに明るく見えても黒人奴隷たちは不幸な存在です。世代が変わったとしても、その事実に変わりはありません。黒人たちからすれば、明るく描かれた奴隷の存在が不愉快であるのは分ります。

(April 27, 2001)





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