[Poison] Black Snake Moan
『ブラック・スネーク・モーン』

【Part 2】

この映画はとてもいい後味で終るのですが、やはり女性を鎖で縛って幽閉するというのは異常ですよね。この映画のプロデューサーの一人(黒人)は、「もし30年前、40年前のミシシッピ州で黒人が白人女性を鎖で縛って奴隷扱いするこんな話を映画にしたら、われわれはリンチで殺されるところだ」と笑っています。鎖というのは奴隷の象徴でもありますからね。いくら相手が色情狂の"white trash"(白人のクズ)のような女性であっても、黒人が白人を鎖で繋ぐというのは、現在でも南部の白人には抵抗があるのではないでしょうか?

この物語の大きな欠陥は常識の欠如にあります。もし意識不明の怪我人・病人を発見したら、発見者は直ちに911(日本の110番あるいは119番)すべきです。怪我人・病人を自宅に運び込むことさえすべきではないでしょう。症状によっては動かさない方がいい場合もあるからです。

他の映画で観たのですが、女性を助けて自宅に運び入れて介抱したら、助けた人物が彼女をレイプしたと周囲から誤解されたという例がありました。この映画のChristina Ricciは評判の尻軽女ですから、彼女が「レイプされた」などと訴えることは考えられませんが、助けた時点ではSamuel L. Jacksonは彼女の素行を知らなかったわけですから、「李下に冠を正さず」、「君子危うきに近寄らず」の態度が正しかった筈です。

後に分ることですが、Samuel L. Jacksonは「子供が欲しかった」と云います。彼にとってはChristina Ricciは娘のような年代ですから、白人ではあっても我が子のように「助けてやりたい」、「色情狂を直してやりたい」と思ったのでしょう。15〜16歳の黒人の少年が彼の留守中にやって来て、Christina Ricciから“レイプ”(?)されます。この少年もSamuel L. Jacksonにとっては息子のように可愛い存在なので、折角立ち直らせようとしているChristina Ricciと少年がセックスしたことを怒りもせず、自分の初体験を苦笑しながら述懐したりします。

Samuel L. Jacksonは牧師と少年をステーキの晩餐に招き、Christina Ricciと四人で楽しく食事します(まだChristina Ricciは鎖で繋がれているが、当人も客たちもそれを不思議に思わない)。客の二人が帰った後、Samuel L. JacksonとChristina Ricciは密造酒のような強い酒を呑みます。Samuel L. Jacksonは"To freedom!"(自由に乾杯!)と云い、Christina Ricciが怪訝な顔をします。彼は「他人の人生を変えるなんて、おれの役目じゃない。たった一度の人生なんだからやりたいようにやれ」と鎖を解きます。

Christina RicciのリクエストでSamuel L. Jacksonはエレキ・ギターを弾きます。問わず語りで、彼は「子供が欲しかったのに、妻は嫌がり、妊娠したのに堕胎して子宮さえ取ってしまった」と云い、'Black Snake Moan'を歌います。

Christina Ricciは自分のトラウマである少女期のセックス体験(相手は父親か、母親のボーイフレンドか不明)を直視しようと母を問いつめますが、母は児童虐待を黙認したことを認めません。Christina Ricciは母親を罵り騒ぎを起こします。

再びSamuel L. JacksonがChristina Ricciを自宅に保護した翌朝、Christina Ricciは自分で作詞した歌をぼろんぼろんとギターを爪弾きながら歌います。目を覚ましたSamuel L. Jacksonが彼女を励まし、自分のギター伴奏で歌わせます。彼女が自分自身を発見し、自分を表現する術を掴んだことを示すいいシーンです。

この後、Samuel L. Jacksonのジューク・ジョインツへのカムバックと、Christina Ricciの恋人の帰郷と山場が二つもあるのもいい趣向です。結婚式で、金の鎖がChristina Ricciの腰に巻かれるのも洒落たアイデア。

惜しむらくは、脚本の伏線の張り方がわざとらしく説明的であることです。伏線を張らないよりはいいのですが、最初の段階で「何でそうくどく説明するのか?」と不審に思ってしまうのです。その一つはChristina Ricciの恋人が、銃の名手ではあるが人を射つようなことは出来ない性格であるという説明です。

Christina Ricciを性的虐待した男の幻覚が何度か出ますが、最初の登場は男をピンぼけにして撮影しています。それはいいのですが、ピントは途中の空間に浮遊する埃(ほこり)に合っています。普通逆光ででもなければ見えないものを写してしまったというのは大失敗です。第一汚い。監督は観客にボケた男を見守ってほしいのに、カメラマンが埃を写したため、観客の意識はその埃に集中してしまいます。これは埃が収まってから撮り直すべきカットだったでしょう。

(July 21, 2007)





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