[Poison]

Separate But Equal

『裁かれた壁〜アメリカ・平等への闘い〜』

【Part 2】

アラバマ州Montgomery(モンガメリ)のバス座席差別に抗議するバス・ボイコット運動(1955年〜1956年)を背景とした法廷闘争も連邦最高裁による勝利を勝ち取るのですが、連邦最高裁の舞台裏では多分似たようなことが起った筈です。これまで、バス事件でも連邦最高裁の良識がスンナリ黒人に味方したように考えていましたが、この映画を観るとそう簡単な道のりではなかったように思われます。そして、そのバス・ボイコット運動の勝利も、この映画の「分離教育は憲法違反」という判決あってこその勝利です。この前例がなければ相当困難な道のりだったでしょう。

公民権運動の詳細をお知りになりたい場合は、以下のサイトの記事をお薦めします。
「1964年人権法(Civil Rights Act of 1964)の成立」 

映画では自動車修理工Tommy Hollisが「戦争で国のために闘ったのに、終ればまた元のJim Crow(ジム・クロウ)だった」と呟くところがあります。"Jim Crow"とは黒人を指す蔑称。実はこの彼の呟きには重要な意味が篭められています。第二次大戦には黒人兵士も志願し、白人と同等の働きをしました。生きるか死ぬかの前線では黒人も白人もなく、お互いに助け合わなくてはなりませんでした。また、ヨーロッパ戦線に行った黒人たちは偏見のないヨーロッパ人達に歓迎され、遂に白人と同等になったと感じたそうです。しかし、帰国すると南部は旧弊な南部のままで、一向に変わっていません。アメリカを代表して闘ったプライドを誇示すべく軍服を着用した黒人は、レッドネックたちの反感を買い、ことさら痛めつけられたそうです。つまり、第二次大戦後の黒人たちには「自分たちが認めれていない」という憤激があり、それが公民権運動へのバネとなるのです。

映画では二回、黒人の子供たちが教室で国旗に忠誠を誓うシーンが出て来ます。子供たちは知らないわけですが、親たちが払った税金で彼等より白人の生徒が四倍も教育予算を得ていることを知れば、国旗への忠誠に多分疑問を抱いたことでしょう。

黒人生徒たちに黒い人形と白い人形を見せてテストする場面は秀逸です。純真な表情の幼い少年、少女達が「黒い人形(彼等自身)は醜い」と結論づける成り行きは、残酷でもあり同時に胸を打たれます。

映画の後半が連邦最高裁の判事たちの決断に委ねられ、彼等の何人かが良識的行動を貫く部分が焦点となります。つまり、主役Sidney Poitierはしばらく出番がありません。事実、そうだったとしても、焦点がバラけるのは作品として一貫性に欠けるように思われます。とはいえ、事実に即した映画ですから、Sidney Poitierにありもしない名演説をさせてドラマティックに勝利させるようにも描けません。エンディングの締まりの無さは、ノンフィクション題材が常に抱える難問です。

また、同僚判事たちの説得に邁進する裁判長がゲティスバーグ(リンカーンが有名な演説をした土地)を訪れたり、リンカーンの伝記を読んだりして憲法の基本に立ち帰る気になる場面は、アメリカ映画がよくやるクリシェで、ちと子供騙しめいています。

連邦最高裁では判決までに二年かかっているのですが、映画の流れではそう実感出来ず、数ケ月のように見えます。黒人側の訴えが通ったニュースはラジオで放送されます。たまたま車に同乗していた牧師Ed Hallと最初の訴えを起こした小学生の父親Tommy Hollisは、静かに車を降り、地面にひざまづいて神に感謝の祈りを捧げます。遠景で捉えられたいいシーンです。

毎日5マイル歩いた当の少年は、差別の無い学校に行くことも、高校へ行くチャンスもなかったというナレーションで映画が終ります。事実、1954年に「分離教育は憲法違反」という最高裁判決が出てもなお、アメリカ南部諸州では人種を隔てる壁は取り除かれず、1957年にアーカンソー州Little Rock(リトル・ロック)では白人の学校への黒人の登校を阻むため知事が州兵を繰り出すという事件がありました。時の大統領アイゼンハワーが落下傘部隊を降下させて黒人高校生の登校を援護したそうです。「連邦」であるがゆえに、各州はエゴを剥き出しにするため、それを抑えるのは大変なことのようです。また、この歩みののろさが南部の旧弊さを強く感じさせます。

(August 11, 2002)





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