[Poison]

Roots

『ROOTS/ルーツ』

【Part 2】

【第四部】1806年(16年後)。Leslie Uggams(レスリー・アガムズ)演ずる、Kunta Kinteの娘Kizzy(キズィ)は成長し、結婚したい恋人もいた。彼女は農園主の娘と仲良く育ったため、読み書きが出来た。彼女の恋人が北部への逃亡を図った時、彼女は通行手形を偽造した。結局、恋人は捕らわれ、Kizzyの策も発覚し二人は別々に売られてしまう。Kunta Kinteは娘の足跡が残った土を握りしめ、娘の帰還を祈る。Kizzyは買われた先のノース・キャロライナ州の主人Chuck Connors(チャック・コナーズ)にてごめにされる。

1824年(18年後)、ノース・キャロライナ州。Kizzyには成長した息子がいた。Ben Vereen(ベン・ヴェリーン)演ずるKizzyの息子George(ジョージ)は闘鶏好きの主人Chuck Connorsの元で鶏のトレーナーになろうとしていた。

主人の友達の農園主George Hamilton(ジョージ・ハミルトン)がやって来て滞在する。その御者Richard Roundtree(リチャード・ラウンドトゥリー)がKizzyにモーションをかける。二人は結婚することになり、双方の主人も承諾する。一日馬車を使うことを許された二人はピクニックに出掛けるが、Kizzyは「両親の農園に行ってくれ」と懇願し、長距離を覚悟で馬を走らせる。

Kizzyの母は他へ売られていて、父Kunta Kinteは二年前に亡くなっていた。Kizzyは父の墓に「あなたが望んだ自由について、私の子供たちに教える。子供たちはその子供たちに教えるだろう。いつか、私たちが自由になれる日が来るわ!」と語りかける。彼女は貧しい木の墓碑に書かれた"Toby"という文字を小石で消し、"Kunta Kinte"と大きく記す。

二人が夕暮れまでに戻らなかったたため、農園主George Hamiltonはカンカンだった。Richard Roundtreeは必死で詫びを云う。Kizzyは彼の卑屈さにがっかりし、婚約を破棄する。

【第五部】1841年(17年後)。Kizzyの息子Georgeは結婚して子供もいた。彼は既に一人前の闘鶏師で、"Chicken George"(チキン・ジョージ)として知られていた。ある試合の後、彼は闘鶏師の一人が奴隷ではなく自由の身であることを知る。「俺は$2,000で自分を買い、自由になった。自由ほど素晴らしいものはない」とその男は云った。

試合から戻ると、主人Chuck Connorsの妻が銃を持って立っていて、Georgeに向って撃ちまくる。近くの黒人の一味が農園主一家を皆殺しにして廻っているという噂でノイローゼになっているのだった。Chuck Connorsも慌てて農園中の刃物を回収し、闘鶏も止めて家に閉じこもる始末。

闘鶏好きの穏やかな紳士がやって来て、George一家を買いたいと申し出る。五年経てば自由にしてやるとも云う。Georgeと妻は狂喜乱舞するが、主人Chuck Connorsは彼を手放そうとしない。Georgeは怒ってChuck Connorsを殺そうと決意するが、母親Kizzyが彼を止める、「あの人はあなたのお父さんなのよ!」Kizzyが買われて来た当時てごめにされて身篭もったのがGeorgeだったのだ。

英国紳士が闘鶏の試合にやって来る。ハイライトは英国紳士とChuck Connorsの組み合わせだった。掛け金はどんどん膨れ上がる。Chuck ConnorsはGeorgeに「これに勝てばお前を自由にする」と約束する。しかし、Georgeの鶏は負けた。掛け金が払えないので、Chuck ConnorsはGeorgeを英国へ働きに出す。

1861年(14年後)。Georgeが自由の身になって戻って来る。母Kizzyは一年前に亡くなっていた。町へ行くと雑貨屋の主人Lloyd Bridges(ロイド・ブリッジス)が絡んで来る。彼は徹底した差別主義者で、黒人を見下していた。「俺は自由の身だ」と書類を見せると、「この州に60日いれば、また奴隷に舞い戻るんだ」と宣告される。

Olivia Cole(オリヴィア・コール)演ずるGeorgeの妻は「あなたはこの家族で最初に自由の身になった人。私はその男の妻であることを誇らしく思う。私は奴隷の妻にはなりたくない」と云い、泣く泣くGeorgeを他州にやる。

南北戦争が始まる。雑貨屋の主人Lloyd Bridgesは将校となって幅を利かせている。Georg Stanford Brown(ジョーグ・スタンフォード・ブラウン)演ずるGeorgeの長男Tom(トム)は、ある夜、食料品倉庫で泥棒を見掛ける。泥棒に逃げられた後、Lloyd Bridgesに見咎められ、Lloyd Bridgesの弟から肋骨を折られるほど殴られる。家で介抱されていた時、ある男が「食べ物をくれ」とやって来る。それは例の泥棒Brad Davis(ブラッド・デイヴィス)だった。彼と妻は北部から来たため、黒人への差別意識は全くなかった。二人は次第にTom兄弟の一族と親密になって行く。

南軍は敗走する。Lloyd Bridgesの弟がやって来て、Tomに「雑貨屋から私服を持って来てくれ」と頼む。Tomがいない間に彼はTomの妻Lynne Moody(リン・ムーディ)をてごめにしようとする。戻ったTomと争いになり、Tomは相手を殺す。暫くして、Lloyd Bridgesが行方不明の弟を探しに来る。「弟の馬がこの辺にいた以上、お前等が知らぬ筈は無い」と迫る。

【第六部】戦争が終り、奴隷は解放された。Tomとその一族は踊り狂って喜ぶ。家族会議で、Tomは「自由になったのはいいが、どうやって暮して行くか?」と問題提起する。彼の弟の一人は「折角自由になったのだから世界中を見て歩きたい」と云う。Tomは「みんなでシェアクロッパー(農園主から土地・肥料などを借りて小作料を収穫物で納める小作農民)になろう」と提案する。Georgeの妻Olivia Coleも「私の夫、あんたらの父親が戻って来るまで、家族は離れてはいけない」と説く。

南部の白人達の怒りと焦りは大きかった。彼等はK.K.K.を結成し、黒人達の住み家や納屋、穀物などを焼き払って行く。Tomの主人の農場も焼かれ、主人は借金が払えず政治家Burl Ives(バール・アイヴス)に農場を売って去って行く。その管理は雑貨屋の主人Lloyd Bridgesに任された。一家の友人Brad Davisは小作人を見張る役として雇われる。

Tomは鍛冶屋で、町中の馬の蹄鉄を扱っていた。彼は蹄鉄に印を付け、K.K.K.の一人がLloyd Bridgesである証拠を掴みシェリフに訴える。シェリフがLloyd Bridgesに成り行きを伝えたため、K.K.K.がTomを鞭打つ。見兼ねたBrad Davisが「黒人の監督は俺だ!俺以外の人間に鞭打つ権限はない!」と主張し、涙ながらにTomに鞭を当てる。K.K.K.は去る。

Tomは助かった。彼が介抱されている時、老いたGeorgeが戻って来る。ジョージは「みんなでテネシー州の俺の土地に行こう!」と云うが、種や肥料の前借りがあって離れられないと聞き、一計を案じる。

Brad DavisはLloyd BridgesとBurl Ivesをペテンにかけ、六頭のロバを耕作用として追加して貰う。Brad Davisの妻が町からLloyd Bridgesを誘き寄せる。GeorgeはLloyd Bridgesを捕らえ、「まだ俺たちに付きまとうつもりなら、俺はあんたを殺す」と宣言する。

数台の馬車に分乗した家族は、無事テネシー州のGeorgeの土地に到着。そこにはアフリカの山野を思わせる自然が広がっていた。全員が丘の上でひざまずき、彼等の祖先Kunta Kinteに感謝の祈りを捧げる。ついにKunta Kinteの自由への願いは達成されたのだ。

作者Alex Haley(アレックス・ヘイリィ)が登場し、「この後、ああしてこうして、こうなって、Kunta Kinteから七代目の子孫が私である」と語って全編が終了する…。

やはり、時代が近くなると作家としても書き易かったのでしょう。前半に比べて第四部〜第六部は短い時間経過を綿密に描いています。KizzyとGeorgeが軸で話が展開しますが、ドラマチック過ぎる気がしないでもありません。多分、かなり創作的筆致が加わっていることでしょう。

感心するのは老けの特殊メークです。今なら出来て当然ですが、1977年ですからね。一つ分ったのは、登場した時のKizzyが16歳、Georgeが18歳なのに「いやに老けてる役者を選んだものだ」と思ったのですが、若い時よりも老けに相応しい役者を選んだのですね。Georgeの妻を演じるOlivia Coleの老け方も抜群です。

この映画の憎いところは、主な人物の死に際を見せないことです。彼等の死は数年経ってから伝えられるだけで、墓碑すら出ない人物も多い。若葉が力強い葉となり、やがて枯れ、地面に落ちて消えて行くように、この映画の人物たちも自然に消えて行きます。人間の連綿とした歴史そのものが伝わって来るようです。

映像も美しいし、話の緩急も素晴らしく、見応えのある一作です。唯一文句をつけたいのは、白人達の扱い方です。黒人を人間扱いしないのは全て教養の無い粗野な連中で、教養ある連中は(一定の範囲の中ではあるが)黒人を人間扱いする…という構図です。これは明らかに白人観客層におもねった意図が感じられます。教養があったって黒人を蔑視し、殺しても何とも思わない人間も沢山いたのです。後の公民権運動を迫害したK.K.K.には判事や説教師までいました。彼等は、一応“教養ある”人種の範疇です。その彼等が活動家を殺すのも辞さなかったというのは記憶に留めておくべきでしょう。

(October 21, 2002)





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