【Part 2】
Brian Dennehyは川下りの途中で顔や手が腫れ、「蚊が媒介した感染症だろう」と自己診断します。医者のくせに"poison ivy"(ツタウルシ)による「漆かぶれ」も知らないとはモグリです。彼がジャンク屋を殺したのは薮の中で、彼の手や顔が"poison ivy"に触れたのに気付かなかったという設定です。薮の中の医者というのが可笑しい(日本人だけでしょうが:-))。
うちのカミさんは"Master Gardener'(園芸の達人)というグループの世話人をやっているくらいで、園芸には本腰を入れてやっています。彼女から何度か"poison ivy"の見分け方を教わったのですが、いまだによく分りません。これに似た厄介者に"poison oak"というものもあるそうです。"Oak"(樫)とはいうものの、地面に生え始めたひょろひょろのものでもかぶれるそうです。カミさんはよくこれにやられています。私は「水難救助の係が溺れるようなもんだね」と笑っています。
ところで、この映画、お話は面白いのですが、いくつか気に入らない点があります。先ず、Tommy Lee Jonesの母親が13年間も孫娘を連れて刑務所に面会に行っていなかった事実。母親に息子が心を閉ざしていたそうですが、「じゃあ、子供を連れて行けば心がほぐれるのでは?」と考えるのが女性の思考パターンではないでしょうか?少なくとも、顔を見せに連れて行くのが人情でしょう。この映画は脚本・監督が同一人物ですので、脚本家に罪をなすりつけるわけにはいきません。
Martha Plimptonは目の芝居、口元の芝居など、非常に芸が細かく、なるほど子供時代から修練を積んで来ただけのことはあると思います。しかし、なんでこうマセてこましゃくれた口の聞き方をする役柄になったのでしょう。祖母に育てられた田舎の娘にしては、ニューヨークのスラムの子供のように話します。かわい気がありません。Tommy Lee Jonesが「なんでそんな風に喋るんだ?」と驚くのも無理はありません。
一番驚かされるのは「TVで観たんだけど、刑務所じゃ男が男を強姦するんだって?どうやるの、一体?」という質問です。父親も当然経験したような聞き方なので、Tommy Lee Jonesもゲッソリします。もう一つは、全裸で泳いでいる娘を止めたいが目のやり場に困っている父親に「近親相姦が心配なの?」とか聞く場面。あっけらかんとして云うからいいようなものですが、そういう知識がある年齢になったら、逆に云わなくなるのが普通ではないでしょうか?どうも、この脚本家は人物の個性を強烈にしようと思うあまり、リアリティを逸脱してしまったようです。もともとはPG(保護者同伴)という範疇の映画だったのに、映画批評家達からはPG13(13歳以上で保護者同伴)が相応しいというランク付けをされたそうです。殺人などのシーンが主たる原因でしょうが、この娘の台詞も一役買っているような気がします。
この映画は主にケンタッキー州Paducah(パデュカ)という町で撮影されました(墓地のシーンだけルイジアナ州)。Paducahには実はミシシッピ川は流れていません。Wabash Riverというのがあって、Paducahの100kmほど下流でミシシッピ川に合流しています。平均するとミシシッピ川はこの映画に出て来るほど巾広くありません。黄金色の逆光の川を走るボートという美しい場面が出て来ますが、私はこれはPaducah近くの湖で撮ったのではないかと疑っています。川が広過ぎます。
なお、『アメリカ200のキーワード』(秋間 浩著、朝日選書、1991)によれば、「世界一長いミシシッピ川」という定義は間違いだそうです。モンタナ州から南東に流れてミズーリ州セント・ルイスまで4,300kmのミズーリ川が、セント・ルイスからルイジアナ州ニュー・オーリンズまでのミシシッピ川に合流します。しかし、後者はたった3,800kmしかない。両者を合わせてミシシッピ川と総称すると、合計は6,200kmでこれは「世界一長い川」になる。普通、長い方の名前が総称になるのに、なぜここでは逆転しているかというと、未だ西部探検が十分でなかった頃はミズーリ川がこうも長いと分らず、全体をミシシッピ川と命名してしまい、そのまま現在に至っているという経過だそうです。
(June 14, 2001)