[Poison]

Radio

『僕はラジオ』

【Part 2】

Cuba Gooding Jr.は、よく見かける知恵遅れ児童のように振る舞いますが、映画の最後に出て来る本人はもっとまともな表情・行動のようです。まともに演技したのでは他の人物との変化がつかないという演出方針かも知れませんが、ちょっとやり過ぎではなかったか?と思います。

Cuba Gooding Jr.とEd Harrisは、映画の最初の方で何度も出会いますが、すぐには二人を結びつけないような脚本になっています。これは自然でいいと思います。Ed Harrisが選手たちに暴行されたCuba Gooding Jr.に負い目を感じ、面倒を見ようという気になるのも分らないではない。しかし、「ウォーター・ボーイが必要だ」とか、「清掃係や道具整理係が要る」という状況でもなさそうなので、選手の練習の邪魔をしたりする人物を無理にチームに引っ張り込んだような印象になっています。

Cuba Gooding Jr.は'Forrest Gump'『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)のように選手に取り立てられるわけでもなく、'The Waterboy'『ウォーターボーイ』(1998)のように“水の専門家”として活躍するわけでもなく、ただフィールドでぎゃあぎゃあ喚いているだけというのが寂しい。

Ed Harrisの知能発育不良青年への“異常な”親切心も、よく理解出来ません(彼自身も説明出来ない)。動機が不明なまま知能発育不良青年に肩入れし、地元住民との対立も辞さないというのは、映画の観客からするとEd Harrisの“暴走”のように思えます。高校の校長の意見の方がまともで共鳴出来ます。

Cuba Gooding Jr.のお母さんが亡くなりますが、ではその後Cuba Gooding Jr.はどこに住み、誰が食事や洗濯の面倒を見てくれているのか?大事な要素ですが、何も語られません。

花形選手Riley SmithはCuba Gooding Jr.に何度も意地悪するのですが、Cuba Gooding Jr.はそれを悟らず逆にRiley Smithにプレゼントをしたりして、Riley Smithの人間性を目覚めさせます。この辺りが非常に甘い。Ed Harrisは「私は"Radio"に何かを教えようとした。しかし、結果として私は"Radio"に教えられた」などと云います。これもクリシェ(陳腐な表現)です。

ここまで書いたように、なぜこのチームにCuba Gooding Jr.が必要だったのかがよく分らないまま物語がどんどん進み、「これでもか!」という感じで主人公二人の関係でヒューマンな感動を誘おうとします。

たとえは悪いのですが、奥さんが燃え上がらないうちに旦那がどんどんセックスを始め、勝手に一人で果ててしまい、欲求不満のまま取り残される奥さんの気持というのが解ったような気がします:-)。独りよがりは止めて貰いたい。

私としては期待の一作だったのですが、似たような作品としては"Remember Titans'『タイタンズを忘れない』(2000)の方が数倍感動的で、よく出来ていたと思います。残念です。

なお、実話では"Radio"がチームに溶け込むまでには数年かかったそうです。最初に親しくなったのはEd Harrisが演じたコーチではなく、サブ・コーチだったとか。また、Ed Harrisが演じたコーチはコーチ専門で、映画のように授業はしなかったみたいです。道具置き場に閉じ込められたという事実もなかったそうです。ドキュメンタリーではないので、主役を際立たせコンパクトな映画にするためには、上のような要素を多少ねじ曲げ、ドラマを付け足すのも仕方のないことでしょう。

(October 29, 2003)


【Part 3】

'Based On A True Story' by Jonathan Vankin and John Whalen (A Cappella Books, 2005)という、実話を元にした映画100本を検証する本を読みました。その中の'Radio'『僕はラジオ』の章から、これまでの私の紹介に漏れていた部分だけ引用します。

「この映画の監督Michael Tollin(マイケル・トリン)は1996年のスポーツ誌'Sports Illustrated'でRadioのことを知り、映画にしたいと思った。彼は事実を歪曲しようとは思わなかったが、問題はRadioが昔と同じことを現在も続けていて、何の変化もないことにあった。彼の解決策はこの40年にわたる物語を一年の出来事に圧縮することだった。当然、様々なディテールが抜け落ちることになった。

また、シナリオ作法上、Radioと地域・学校・チームとの摩擦を作り出すことになった。しかし、摩擦と云えるものは存在しなかった。高校の校長(映画の黒人女性校長とは異なり男性だった)は、学校内でも競技場でもRadioが目障りだなどという電話を受け取ったことはなかったと云っている。生徒たちがRadioを縛って小屋に閉込めるなどということも起きなかった。Radioが現われた初期には、彼をからかう悪ふざけが行なわれたが、女子更衣室にRadioを赴かせるなどということはなかった。

なぜ、コーチがRadioを可愛がったかは、コーチ本人も説明出来ないことだった。しかし、監督Michael Tollinはそれでは済まされず、コーチが弱者がいじめられるのを助けなかったという過去の“原罪”を作り出し、その贖罪としてRadioを助けるという物語に仕立て上げた」

(February 28, 2011)





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