[Poison] The Color Purple
『カラーパープル』

【Part 2】

カミさんに「'The Color Purple'観たことある?」と聞いたら、"It's a very sad story."という返事でした。女性は悲しいお話が好きなのに、「もう二度と観たくない」というニュアンスが篭められていたので、変だな?と思いました。

ただ悲しいお話じゃないんですね、これは。虐げられ、無視され、コキ使われた女性の数十年を描いた“不快な”映画だったんです。映画が不快というのじゃなく、とことん女性蔑視のDanny Gloverが不快だし、それに反発もせず数十年耐えぬくWhoopi Goldbergの姿も惨めで、うちのカミさんが"sad story"と云ったのはそこを指していたわけです。

夫婦の間で堪え忍ぶというのはよくある話ですが、夫が別の女を家に連れ込んで、目の前でその女にちやほやするのを黙認するばかりか、その女に奉仕するというのは理解出来ません。バイブルが示すような行動ですが、Whoopi Goldbergは敬虔なクリスチャンとして描かれているわけではないので、単に彼女の個性なのです。信じられないような個性です。

女性歌手との交流は巧みに語られています。尊大だった歌手が、次第にWhoopi Goldbergの心根に打たれる様子、群衆の中でWhoopi Goldbergに捧げる歌によって感謝するくだりなど。圧巻は、Whoopi Goldbergに歯を見せて笑うことを指導するシーン。歯を隠すことを止めた瞬間、Whoopi Goldbergは自我に目覚めるのです。このシンボリズムはとてもいい表現です。

私は一編の映画の中で人間が変わるという趣向は大好きです。そのためには、納得出来るきっかけが無ければならず、脚本・演出がキチンと練り上げられていなくてはなりません。'The Color Purple'はWhoopi Goldbergの人生観、生き方が変わる点は素晴らしいのですが、変わる前があまりにも酷すぎる。信じられないような前提条件から普通の状態になっただけという、トリックに近いものを感じてしまいます。

Steven Spielbergの演出は概ねいいのですが、シーン変わりを気の利いたものにしようと小細工をし過ぎているところがいくつかあります。影を使った映像も、「上手い!」と思う反面、あざといとも思えます。Steven Spielbergの映画はアドヴェンチャーものでも、一見ダイナミックに見えてどうも線が細い傾向があります。John Ford(ジョン・フォード)映画のような線の太さが無く、ガラス細工のように脆く見えるのです。彼の内面から迸り出たものでなく、過去の素晴らしい映像から学んだもの、名作の模倣などによる画面構成とモンタージュだからでしょうか?私の父は書家でしたが、私の書道入門時には父のお手本を下敷きにしてなぞって書かされました。なぞったものは、躍動感も無く、パワフルでもありません。これと同じことをSteven Spielberg映画に感じます。

(March 18, 2001)





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