[Poison] Purlie Victorious
(未)

【Part 2】

Ossie Davisは主役なのですが、あまりにも説教師の役作りに没頭し過ぎた嫌いがあります。彼の台詞のほとんどは美辞麗句かつ荒唐無稽な韻文の洪水で、彼の役の個性を表現するものではありません。こんな男に惚れ込むRuby Deeが浅はかに見えてしまいます。

また、教会復興という志は立派なのですが、農園主を騙して金をくすねようという彼の態度はまずいのではないでしょうか?農園主が黒人小作人たちを騙して奴隷のように縛り付けている事実は説明されているのですが、ではこちらも騙して相子で済むのでしょうか?一般人ならいざ知らず、Ossie Davisの役は聖職者ですからね。意図はどうあれ、詐欺はよくないと思われます。

不思議なのは、詐欺事件が発覚してもOssie DavisもRuby Deeも官憲から執拗に追われないことです。いつの間にか平穏無事に戻ってしまう。これはちと不自然です。

農園主がRuby Deeの頬にキスしたということを聞いたOssie Davisは憤激し、農園主の家に向って突進します。その後はかなりの時間経過が省略されて観客には何がどうなったのか知らされぬまま、Ossie Davisは500ドルの現金と太い牛追い鞭を持って帰って来て、興奮しながら農園主を鞭打って殺したような話をします。しかしそれは嘘であることがAlan Aldaの乳母の言葉ですぐ露見します。そこへ当の農園主がピストルを帯びてやって来て、「盗んだ金を返せ」と云います。この時のGodfrey Cambridgeの応答が痛快。「でえてえ、おらをアフリカから盗んで来た(拉致して来た)のは誰でやんすか?」

結局、500ドルはAlan Aldaが「父を殺さないでくれ」と頼んでOssie Davisにやったものだと証言し、さらに農園主が意地悪して教会の土地建物を買い取り燃やしてしまおうと思っていたのに、Alan Aldaは父親の名ではなくOssie Davisの名で登記したため、ここに教会は正式に黒人たちのものとなります。ショックで農園主は立ったまま心不全で死んでしまいます(弁慶みたい)。こうして、物語は映画の最初のシーン、教会における初めての礼拝と、人種差別のない教会であるため白人Alan Aldaも参列して農園主の葬儀が同時に行なわれることになるわけです。

公民権運動の最中だっただけに、人種平等をテーマにした演劇・映画が黒人たちから喝采を浴びたのは容易に想像出来ます。また、この時期は黒人たちと進歩的白人たちがとても打ち解けて公民権運動を共に闘っていた頃ですので、白人たち(特に北部の白人たち)もAlan Aldaの役に自分の姿を重ねて喝采を送ったことでしょう。このような麗しい関係が壊れるのは、1966年に過激な黒人活動家たちが"Black Power!"を連呼し、公民権運動を黒人だけの運動として暴力に訴え始めてからです。姉妹サイト『公民権運動・史跡めぐり』の「ジェイムズ・メレディスの恐怖への行進」(1966)を参照して下さい。

農園主の役名はStonewall Jackson Cotchipeeなのですが、最初の2パートは南軍の有名な英雄の名であるとしても、最後の苗字はどう考えてもインディアンの名前のようです。そうだとすると、これは「人種差別するけど、白人のあんただってアメリカ・インディアンの血が混じってんじゃないの?」という皮肉に取れますが。

(August 24, 2007)





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