[Poison] Prom Night in Mississippi

【Part 2】

このドキュメンタリーには珍しい趣向があります。撮影出来なかった場面(女子生徒同士の喧嘩とか、撮影クルーが入れなかった白人promにおける暴力沙汰など)を紙芝居風に見せるのです(画風まで丸で紙芝居風)。私は長くNHKでドキュメンタリー制作に携わり、名作ドキュメンタリーの数々も見て来ましたが、こういう手法は初めて見ました。目撃談が必要なら(間接話法の伝聞であっても)、誰かの証言として顔出しで撮影するのが当たり前で、顔出し証言が得られなければ残念でも割愛せざるを得ない…というのがNHK流ドキュメンタリー作法です。紙芝居で済むなら、カメラもマイクも要らないということになってしまいます。また、この映画には顔を隠し、声を変えた人物の証言が出て来ます。これもNHKではほとんど使わない方法です(少なくとも、私がやったことはありません)。われわれは何日掛けてでも対象を説得して、顔を曝して証言して貰うよう努力しました。それが叶わなければ諦めました。顔を隠しての証言でよければ、役者を雇って喋らせているとも受け取られかねない最も安易な手法だからです。

この映画は2008年に白人promに何人参加し、合同promに白人が何人参加したかを明らかにしていません。それが最も重要な情報なのに欠落しているのは何故なのか、私には理解出来ません。合同promの最後の記念写真の画像で白っぽい顔を数えてみました。14〜16人という感じ。黒人でもあまり黒くない人もいるので、集合写真の小さい画像では見当が付けにくい。全卒業生数を80人と仮定した場合、白人生徒数はその30%の28人前後と推定されますから、白人生徒の10人前後は合同promをボイコットした感じになります。製作者たちは白人生徒たちの多くが白人promに行ってしまい、合同promには来なかったことを観客に伝えたくなかったのでしょうか?「めでたしめでたし」にならないから?ドキュメンタリーは事実を伝えるものです。「これは事実に基づいた物語である」というドラマでさえ、最後があまりドラマチックでなく、カタルシスを感じない映画が結構あります。事実はそうだったのですから、ストーリー的には辛くても、粉飾したり事実を変えたりすることは出来ません。この映画はドキュメンタリーなのですから、当然「めでたしめでたし」にならなくたっていいのです。事実なのだから、仕方がないことです。数字を隠す必要はなかったと思います。

人種差別とは無関係ですが、同じミシシッピ州のprom関連で2010年3月にこんな出来事がありました。Itawanba County High Schoolで2010年に卒業予定のレスビアンの女子生徒(18歳、白人)が、自分はタキシードを着用してガールフレンドをエスコートしてpromに出ると表明したため、この学校の理事会と父兄は「今年はpromを開催しない」と宣言したのです。ACLU(American Civil Liberties Union、アメリカ自由人権連合)は、「学生の権利(同性愛をする権利)と表現の自由(=好きなものを着る自由)を損なうものだ」として理事会を訴え、地域の教育員会に女子生徒が参加出来るpromを開催するよう求めました。法廷闘争の結果、女子生徒は$35,000の慰謝料と弁護士の費用を勝ち得、ACLUは完全勝利の宣言をしました。

(March 09, 2010)





Copyright (C) 2001-2011    高野英二   (Studio BE)
Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.