[Poison]

Eyes on the Prize

(未)

【Part 2】

私が「感動した」と書くのは、実は「泣いてしまった」ということです。「感動して泣くのは恥ずかしいことじゃないじゃないか」とおっしゃるでしょうが、いい年こいて泣くのはちとみっともない。それも、目は涙で曇り、鼻水ダラダラでティシューの山を作るぐらいですから、やはりみっともないのです:-)。

何に感動するかというと、例えばアラバマ州のバス・ボイコットはヴォランティアがガリ版で刷った35,000枚のビラで始まったのです。それが大学生の手によって各小中学校(黒人用)の生徒たちにわたり、父兄に渡りました。三日後、黒人対象の各教会は会衆にボイコットへの協力を訴えました。四日後の当日、州都モンガメリのバスは空っぽになりました。つまり、黒人たちはビラと牧師のアピールだけで(説得や集会など何もなしで)、一日のボイコットを黙々と成功させたのです。キング牧師をも感動させた、このモンガメリの黒人たちの団結は素晴らしい。実は、それまでに力を合わせて何かをしたなどということは皆無だったそうですから、黒人たちがこのバスにおける人種差別にいかに憤慨していたか、よく分ります。

「やれば、出来る!」と、彼らは実感しました。そして彼らは自発的に無期限ボイコットに突入します。車の乗り合いというのもありましたが、大多数は毎日毎日、職場へ、学校へ歩き通しました。一年間!想像しただけで、ゾクゾクしません?ほら、こう書いているだけで私の目と鼻は怪しい雲行きになって来ました。【この件についてもっと知りたい方はこちらを御覧ください】

'Eyes on the Prize'第一部には、そうした感動の素がそこかしこに詰まっています。弾圧する差別的権力がダーティな悪に徹していたので、キング牧師の指導による「非暴力の運動」を基本とする黒人たちをピュアにしていました。キング牧師と南部の黒人たちのチームワークは、公民権運動の華だったと思います。南部では黒人の暴動というものがありませんでしたが、北部の「ブラック・パワー」の暴動が圧倒的になる第二部には感動はあまりありません。

通して歴史を振り返ると、「南部」の「南部」たるゆえんが明確になります。アーカンソー州知事はアイゼンハワー大統領をだまくらかして、Little Rockのセントラル高校の人種統合を拒否しようとしました(1957)。ミシシッピ州知事は黒人大学生のミシシッピ大学への転入に際し、南北戦争の最後の一戦でもあるかのようにケネディ大統領に反抗しました(1962)。アラバマ州知事はアラバマ大学への二人の黒人学生の入学を阻止しようと、玄関前に立ちはだかるというショーを演じました(1963)。いずれも「北部(連邦政府)は南部のことに口を出すな」という態度です。「最高裁判決がなんでえ。州知事を憲法違反で逮捕出来るものならやってみろ」と云わんばかりです。レッドネックの真骨頂です。

2002年末に共和党の上院議員Trent Lott(トレント・ロット)が人種差別的発言で院内総務という要職を辞めるハメになりました。「院内総務」は実は英語では"Majority leader"であり、法案審議の順番を決め、審議前の根回しをしたりして、円滑に法案が通るように尽力する役目です。議員の出欠に目を光らせる役でもあります。通常は議員歴の長い人が選ばれる要職なのです。その辺の会社の「総務課」とはわけが違うのです。Trent Lottはミシシッピ大学在学中に黒人学生の転入に反対したリーダーでした。議員となってからも公民権法案に反対したり、キング牧師の誕生日を祝日にする法案に反対したりしました。今回もそうした彼の本音を吐露したため、ブッシュ大統領の援護も得られず、同僚議員たちからも見放される仕儀となりました。つまり、こうした輩がいる以上、'Eyes on the Prize'が描いた運動はまだ完結していないということです。

(December 29, 2002)





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