[Poison] The Green Pastures
『緑の牧場』

【Part 2】

アメリカの黒人たちの多くは奴隷解放以前から熱心なクリスチャンでした。辛く、苦しく悲しいこの世の生活に堪えるには、あの世での安楽な生活だけが心の支えだったのでしょう。当時、白人たちは黒人を束縛し、侮蔑し、脅迫し、陵辱し、虐げてとことん利用する存在でした。ですから、黒人が白人の神やイエス・キリストを信じるには違和感もあったことでしょう。解放後、黒人たちが恐れを知らなくなると、黒人のイエス・キリスト像が出現するようにもなりました。彼らにはそれが自然だったと思われます。

しかし、聖書の世界が黒人の存在を無視したように、この映画は白人の存在を無視しています。聖書が作られた頃の黒人たちは文明と無縁の生活をしていたでしょうから、白人たちが黒人を「取るに足らぬ存在」として無視したことは理解出来ます。しかし、この映画に白人が出て来ないのは、云ってみれば「強制排除」に近いと思います。白人は無視出来ぬ存在だったのに、敢えて無視しているのです。その作為の結果はどうなのか?

歌舞伎が女優を使わず、宝塚が男優を使わないのは不自然です。しかし、双方とも人類の半分(女性、あるいは男性)の存在を無視しているわけではありません。男性も女性も男装・女装で登場します。この映画は徹底的に白人を排除している点で、歌舞伎や宝塚とは異なっています。黒人たちはこの映画を喜んだことと思われます。黒人を虐げて来た白人のいない世界は、それだけで天国に思えたでしょうから。しかし、それはこの映画の中のファラオ(エジプト王)がヘブライ人を根絶やしにしようとしたことや、ヒットラーがユダヤ人を皆殺しにしようとしたことに通じる、肌寒い思いが禁じ得ない所業のように感じられます。オール黒人の世界というのは趣向としては面白くても、対立する相手を完全に葬り去ろうとする姿勢は無益である以上に危険でもあります。この映画のヴィジュアル・メッセージは、人種間の亀裂を深めたのではないでしょうか?

神を演ずるRex Ingramは、他にアダムほかもう一役(計三役)をこなしているのですが、その三つには何の関連もありません。それでなくても出ずっぱりの彼が、何故他に二役も演じなければならなかったのか?Rex Ingramは演技力を見せつけたかったのか?製作者が二人分の俳優のギャラを節約したかったのか?確かに、髭もじゃで燕尾服をまとって、いつも荘厳に台詞を云うだけではつまらなかったかも知れません。しかし、彼が演じた他の二つの役も、若く逞しい肉体を披露こそすれ、別に演技力を誇示出来るような役ではありません。ギャラの節約にもならなかったでしょう。一人二役のために画面分割して撮影し、ポジを焼く段階で合成する手間賃の方が高くついたと思われます。私にはRex Ingramが三役を兼ねる意味合いが理解出来ませんでした。DVDのコメンタリーは映画史や歴史の先生のお喋りで、彼らも私と同じ疑問を出すだけで、答えはありませんでした。このDVDのコメンタリーは最低です。監督や製作者、俳優たちは、とうの昔に天国へ行ってしまっていて、彼らのコメントを聞くのは不可能なので仕方がありませんが。

'The Ten Commandments'『十戒』(1956)を観ている当方としては、神がモーゼに十戒を伝える場面とか、紅海の海面を分けてヘブライ人たちが対岸へ渡る場面などを期待していたのですが、それらはあっけなく素通りでした。まあ、この映画のモーゼは常に神とコンタクトを取っているように描かれているので、十戒などを岩に刻む必要はなかったのかも知れません。紅海については、モーゼは海辺にすらも近づきません。高齢で疲れ切っていたようです。

素朴な感想ですが、神の御加護があった筈のモーゼなのに、なぜ40年も“約束の地”を見つけられずに砂漠地帯をさまよったのか?一説には「道を聞かなかったからだ」(!)という冗談があります。興味のある方は、私の姉妹サイト『英語の冒険・2』の「風俗・慣習」の「道を聞かないアメリカ人」をお読み下さい。

映画の最後で神の子イエス・キリストの受難が報ぜられます。神はその直前に人間の一人から「われわれは苦難を経てmercy(恵み)を見つけるのだ」と云われ、「それが信仰というものか!いいことを教わった」と感謝したことがありました。「神でさえ苦難を味わわなければならないのか」と慨嘆した神が、ゴルゴタの丘を登るイエス・キリストの姿を見て、この受難こそ恵みへの過程であると笑顔を見せます。

何故、この映画のタイトルが"Green Pastures"(緑の牧場)なのか理解出来なかったのですが、ある人が「われわれ人間は羊であり、キリストは羊飼いに擬せられることがある。だから、この世は牧場であるという解釈も成立する」と教えてくれました。

この映画のDVDにはおまけとして、全く関係ない'Rufus Jones for President'(本邦未公開、1933)という短編映画がついています。Sammy Davis Jr.(サミィ・デイヴィス二世、当時8歳、字幕に"Jr."の文字はない頃)の映画デビューという珍品。Ethel Waters(エセル・ウォーターズ)の息子役Sammy Davis Jr.が(子供なのに)大統領に選ばれ、母子で上院議員たち相手に議会で歌ったり踊ったりするという他愛無い夢物語。しかし、Ethel Watersの歌は聴きもの、Sammy Davis Jr.のタップダンスは見ものです。

(October 19, 2007)





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