[Poison] Passing Glory
『栄光へのダンクシュート』

【Part 2】

私の解釈ですが、原題'Passing Glory'(栄光のパス)とは、「自分だけで得点しようとせず、チームの誰かに得点(シュート)のチャンスをパスする」ということも意味していると思います。スター・プレイヤーSean Squireは自分のシュート成功の数だけ勘定しているような選手だったのですが、コーチAndre Braugherによって自分が脇に廻らなければならない場合もあるということを学びます。その成果は、白人高校チームとの対戦の大詰めで生きることになります。Andre BraugherがSean Squireに「あんなパスをどこで学んだ?」と聞くと、Sean Squireが「いい先生に教わったんです。感謝します」と云います。いいシーンです。

そのSean Squireは家族と勝利の喜びを分かち合いますが、つと彼らから離れ、敗れて呆然としている白人チームのキャプテンに歩み寄り、"Good game."(いい試合だったぜ)と云います。相手も"You, too."(お互いにな)と云い、二人は握手します。握られた白い手と黒い手のアップ。これもいいシーンです。

最後に、「1967年(映画の二年後)、連邦控訴裁判所はSt. Augustineがルイジアナ州スポーツ協会に加入することを認め、これが州全体の高校スポーツの人種統合を推進した」という字幕が出ます。

ところで、普通こうした映画は最初に"This is a true story."(これは実話である)とか、"inspired by a true story"(実話にヒントを得た物語)などと字幕が出るものですが、この映画には何もありません。不思議でした。で、色々調べてみると、これはほんの少しの事実に大量のフィクションを交えた脚本なのでした。

1965年にSt. AugustineとJesuitのバスケットボール・チームが対戦し、St. Augustineが勝ったのは事実ですが、以下の諸点が事実と異なるそうです。【出典:http://www.black-collegian.com/extracurricular/sports/passglory1199.shtml】
・1965年当時のSt. Augustineのバスケットボール・コーチは14年間もヘッド・コーチだった人物で、映画のように新任の未経験の人物ではなかった。
・St. AugustineとJesuitの対戦は、生徒同士の口約束によるものではなかった。両校の生徒たちは、対戦までに一度も顔を合わせていない。
・初の対戦はハーフタイムまでにSt. Augustineが圧倒的にリードしていて、映画のように悲痛なハーフタイムではなかった。結果的にSt. Augustineは「きわどい勝利」などではなく圧倒的に勝利を収めたのだった。
・St. Augustineは公民権運動に積極的に取り組んだ学校だった。となると、職員会議の「教育に政治を持ち込むな」という発言も事実に反するようです。

とはいえ、「実話にヒントを得た物語」として観るならば、これは結構いい映画です。'Remember the Titans'『タイタンズを忘れない』(2000)や'Glory Road'『グローリー・ロード』(2006)と同じ路線、同じレヴェルと云っていいと思います。

(March 21, 2007)





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