[Poison] The Simple Life of Noah Dearborn
(未)

【Part 2】

脚本なのか演出のセンスなのか分らないいいシーンについて。Mary-Louise Parkerが土木工事のキャタピラー車と衝突して怪我をし、入院します。Sidney Poitierが自分の農園で採れた果物を篭に詰めて持って来ます。病院が嫌いな彼はあまり長居したがらず、そそくさと帰りかけますが、ドアのところで振り返って"tip"します。"tip"というのは日本語にないのですが、帽子のツバに手をやって挨拶する動作。Sidney Poitierは帽子は車に置いて来たようで、病院内では無帽です。無帽ですが"tip"することで、素朴な人間の律義さがよく出ていると思います。で、それに応えるMary-Louise Parkerの仕草も、一寸片手の指を上げるだけ(腕は上げない)。どちらもよく見ていないと分らない程度の挨拶で、これが逆に二人の友情が深まっていることを象徴していると思います。二人が大袈裟に手を振り合う演出と較べてみれば分ります。後者は陳腐で、只の近所付き合いに見えます。御存知でしょう。親しくなればなるほど、動作が小さくなることを。兄弟同士の挨拶なんてちょいと顎を動かすだけだったりするでしょう。

Mary-Louise ParkerはSidney Poitierに『嵐が丘』と『宮本武蔵』を渡して都会に戻ろうとし、彼の頬にキスし、"I'm gonna miss you!"(会えないとさみしくなるわ)と云います。この台詞は名優なら10通りも20通りにも異なるニュアンスで云えるでしょう。脚本で指定されていたのか監督の演出か定かでありませんが、この映画では彼女に独白のように、しかも、腹立たしそうに(吐き捨てるように)云わせているのです。「ったく、さみしくなるじゃないのーっ!」という感じ。おセンチな台詞を期待している観客をはぐらかし、頬へのキスと正反対のブッキラボーな云い方の対位法が見事です。素晴らしい処理によって、通り一遍ではない心情が溢れている、いい場面になりました。

物語の唯一の難点は、病院に拉致されたSidney Poitier救出に絡む部分。買収会社の陰謀による密告が因だったにせよ、「Sidney Poitierの精神状態が異常か正常かを調べよ」というのは「裁判所命令」です。Mary-Louise Parkerが単身病院に乗り込んで無理矢理Sidney Poitierを連れ帰ることは出来ない筈です。いや、半日か数時間は連れ戻せたとしても、裁判所が納得しない限りまた警察の車が彼を連れ去りに来るでしょう。彼女は裁判所に対して「不当である」とアピールしなければなりません。Sidney Poitierは町の誰からも好かれているわけですから、「彼は正常であるばかりか、心身ともに健康で勤勉で親切で、町民の模範である」というような署名運動を行なえば、またたくうちに100名ぐらいの署名が集まることでしょう。そんな風に裁判所を納得させるのが筋だったと思います。

私の不満は、この映画が“南部もの”らしくないことです。アメリカのどの州のどの町でもいいお話です。TV映画ですから、製作者は全国の視聴者が相手なので、別に南部に特化するつもりもなかったのでしょう。私も、『アメリカ映画“南部もの”大全集』などというものを編纂していなければ、別に不満を口にすることもなかったでしょうけどね:-)。

(July 31, 2007)





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