[Poison] Nell
『ネル』

【Part 2】

私はJodie Fosterがあまり好きではありません。先ず、頬のこけた彼女の顔があまり好きではないし、監督までやろうという強い個性(他の映画で)にも落ち着かない思いをします。『羊たちの沈黙』はキリリとして良かったですが、この'Nell'は観ようとすれば観られたのに、日本公開時に観ませんでした。これがノース・キャロライナという「南部」の一部でなければ、多分ずっと観なかったことでしょう。

私が感心したのはLiam Neesonを選んだキャスティングです。彼はギラついたところが全く無いので、Nellや女性研究者に対して性的テンションがあるように見えません。ですから、そういう成り行きに心を奪われることなく、Nellの行く末だけ見守ることに専念出来ます。

女性研究者を演ずるNatasha Richardsonは、この映画で初めて見ましたが、顔だけでなく、演技も魅力的で好感が持てました。

Liam Neesonが、たった三ヶ月でNellの不可解な言葉を理解し、法廷で通訳までやるというのは、ちと出来過ぎだと思いますし、人間嫌いだったNellが大勢の人の前で雄弁に語るというのもちと疑問です。それを除けば(除けないので乱暴ですが)、Nell自身が判事と傍聴人を感動させ、研究素材になるのではなく湖に帰ることを納得させるというアイデアはいいと思います。

ラスト・シーンは五年後です。映画の論理で騙されてつい受け身で観ちゃいますが、何故五年後でなければならないのか?Liam NeesonとNatasha Richardsonの娘が育つのに五年必要だったわけです。何故か?Nellの双子の妹の死んだ年齢と同じなんですね。それで湖の岩の上で遊ぶ二人と、Nellの妹がオーヴァラップして我々を感動させるわけです。しかし、あれほどNellに入れ込んでいたLiam NeesonとNatasha Richardsonが五年も間を空ける筈はありません。恐らく、年に数回はNellを訪れていいたでしょう。その間に、二人の子も赤ちゃんとして、またよちよち歩きの娘として一緒に来た筈で、Nellだってその可愛い時期を知っている筈です。観客には五年後の御対面に見えますが、実はそんなことはないわけです。いきなり五年後にするのは、映画のトリックなんですね。

(March 23, 2001)


【Part 3】

この映画のDVDに含まれる二種類のコメンタリーを聴きながらメモしたものを紹介します。

【1】主演女優兼共同製作者Jodie Foster(ジョディ・フォスター)のコメンタリー

この映画の原作はMark Handley(マーク・ハンドリィ)の戯曲'Idioglossia'である。この戯曲の映画化には数年の準備期間が必要だった。脚本はWilliam Nicholson(ウィリアム・ニコルスン)と原作者Mark Handleyの共作である。戯曲では、Liam Neeson(リーアム・ニースン)演ずる医師は結婚生活に傷ついた男だったが、映画では大幅に変えられた。他の点も映画に相応しく、様々に変更が加えられている。

この映画の撮影地は、私のこれまでの人生で最も人里離れた所だった。一番近いスーパー・マーケットへも一時間半かかるという、スモーキィ・マウンテン(ノース・キャロライナ州とテネシー州の州境にある山岳地帯)の山中だった。近くにハイカー相手のレストランが一つあったが、CATVもなく、全く何もなかった。キャンピングみたいな撮影だった。

主な舞台となるNellの小屋は、われわれが場所を選んで建てた。

この映画はドイツ、フランス、イタリーなどで好評だった。特に自然を愛するドイツの人々に評価された。多分、私はこの映画の女優としては有名過ぎたと思う。もし新人女優としてのJodie Fosterが演じたら、もっと広く受け入れられたのではないだろうか。

音楽監督Mark Isham(マーク・アイシャム)はオーストラリアの原住民アボリジニの楽器を使用した曲を作り、私はとても気に入っている。

Liam NeesonがNellに聴かせる音楽は、Willie Nelson(ウィリィ・ネルスン)作曲で、カントリーの女王Patsy Cline(パッツィ・クライン)が大ヒットさせた'Crazy'という曲である。

湖で泳ぐシーンは寒かった。

Natasha Richardson(ナターシャ・リチャードスン)は英国生まれなのに、南部訛りで流暢に話した。誰も彼女が英国女性だとは思わないだろう。

Nellが森を出て行くシーンは、実際に五ヶ月の森の中の撮影を終えて、大都会Charlotte(シャーロット)に移動する際に撮影された。辺鄙な山の中から都会に出るのは、われわれ全員にとって変な気分だった。

最後(五年後)のNellと少女のシルエットのシーンは、日没前15分で2テイクしか出来なかったが、御覧のようにとても美しく撮れている。Nellはこの頃は、次第に南部訛りの言葉で話す現代女性に変貌している。私にとって、それはちょっと悲しいことだった。しかし、このほろ苦いエンディングはとてもいいと思う。

この映画は完璧な映画ではないし、ベスト・ムーヴィでもないだろう。しかし、これは真実を挑戦的に描こうとしたリアルな映画であり、私の人生を変えたものでもある。女優としての私にとって、この映画は大きな進歩だった。個人的なことだが、この映画に関して誰がどのように云おうが、私はこの映画で何かを達成したという感を抱いている。今後こういう気分になることがあるかどうか?多分、一生に一度のことだと思う。

【2】監督Michael Apted(マイケル・アプテッド)のコメンタリー

リハーサルには三週間かけた。撮影地は素晴らしい舞台だが、閉所恐怖症になりそうな場所だった。撮影監督のDante Spinotti(ダンテ・スピノッティ)は、小屋の前に陽が沈むショットのために最適の場所を選んだ。

Nellの不思議な言葉は脚本家William Nicholsonの発明である。旧約聖書の一部を改造したものだ。

Liam Neesonは、これがヒューマンなドラマであるということで関心を示した。女性心理分析医の役は何人かオーディションを行なった。

【註】選ばれたNatasha RichardsonはTony Richardson(トニィ・リチャードスン)とVanessa Redgrave(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の娘だったんですね。知りませんでした。さらに、Liam Neesonとはイギリスの舞台で共演した後、この映画でも共演、この直後結婚しているんです。ただ、悲しいことに彼女は2009年三月のスキー事故が因で亡くなってしまいました。

シェリフとその妻、双子の少女、新聞記者役の青年などを演じた人々は地元で採用した。シェリフの妻役の女性は俳優ではなく、画家である。

Nellの小屋の内部はRobbinsvilleという町の倉庫に作ったセットで撮影した。窓の外に湖や森が見えるシーンは、実際の山の中の小屋で撮った。撮影監督のDante Spinottiは両方のトーンを見事に合致させている。

Jodie Fosterの役作りにはモデルとして参考になるものがなかった。文献はあってもオーディオ・ヴィジュアルなどは皆無だった。台詞廻しだけでなく身体の動きを創造する彼女も大変だったと思うが、彼女のパフォーマンスを見守る私も、それが野性の少女にふさわしいものかどうか確信が持てなかった。二人にとって困難な課題だったと云える。

夜の湖でNellが泳ぐシーンでは、巨大な照明を一つだけ使用した。電気のない山の中という設定なので、光源は月明かり一つしかない筈だからだ。

天候には恵まれていた。キャンプのような生活だったから、スタッフ・キャストの宿泊費もかからず、リーズナブルな製作費で仕上がったと記憶している。

(June 03, 2009)





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