[Poison] Nashville
『ナッシュビル』

【Part 2】

この映画のヴィデオの外箱にはさして美人でもないLily Tomlinの写真が大きく使われています。そして、24人の誰がトップでもおかしくない俳優名のトップもLily Tomlinです。ゴスペル・シンガーではあるが一介の主婦である彼女に興味を抱いたKeith Carradineの、忍耐強い誘惑が繰り返し描かれ、ライヴ・ハウスで彼から'I'm Easy'を捧げられた彼女が遂に彼の誘いを受け入れる…というプロセスが縦糸になっているからのようです。ヴィデオのケースでは不美人に写っていた彼女ですが、微かに微笑む笑顔が素晴らしく、'I'm Easy'に痺れる様も感動的で、浮気にも悪びれず淡々とまた主婦に戻って行く演技も絶品です。

'I'm Easy'を歌う前に、Keith Carradineが「この歌を、今晩この店にいるであろう特別な御婦人に捧げます」とアナウンスします。Geraldine Chaplin、Cristina Rainesなど、最近彼とベッドを共にした女性たちはみなその曲が自分に捧げられた思い、ほくそ笑みます。Keith Carradineは歌いながら、ただ一点を見つめます。Geraldine ChaplinとCristina Rainesは、彼の視線が自分に向けられていないことに気付き、視線を追います。彼が見つめているのは一番奥に座っていたLily Tomlinでした。このシーンは面白い。

問題は、何故こうまでKeith Carradineが彼女に執心するのかが全く解らないこと。8時間版、あるいは6時間版では二人の出会いがちゃんと描かれていたのかも知れませんが、大幅カットと共に消え去ってしまったようです。電話では「二ヶ月前にスタジオで会った」とKeith Carradineが云っていますが、こうまで執着する理由にはなっていません。

解らないと云えば、なぜオハイオの農大生がC&Wの女王Ronee Blakleyを射殺しようとするのかも解りません。この映画には暗殺されたケネディ兄弟に関する話が何度か出ますが、製作者達の意図は「どうせ大統領暗殺の動機だって解明されなかったじゃないか。C&Wの歌手暗殺の動機だって、どうだっていいんだ」ということかも知れません。その伝で行くと、Keith CarradineがLily Tomlinに惹かれる理由もどうだっていいということになります。

実は一回ヴィデオを観た程度では人物の相関関係がよく飲み込めませんでした。人数が多過ぎるので、最初は軽いあしらいの人物だろうと思っていると、結構重要な役だったりします。誰もがちょいと出て来て意味ありげな台詞を喋って、すぐ消えてしまいます。ちょっと聞きそびれると後で訳が解らなくなります。てなことで、実は早送りで二回目を観ました。そこで、やっと人間関係の全体像が解りました。しかし、上に書いたKeith CarradineとLily Tomlinの初期の出会いがどうだったのかは二度目でも解らず、三回目の早送り再生で、「やはり出会いのシーンは存在しない」ということを確認しました。

劇場でこれを観た人はどうだったんでしょう?普通は同じ映画を二回続けて観たりしませんから、多分一般の人はよく解らないまま呆然と映画館を去ったのではないでしょうか?

一回目の最後で農大生が歌手を撃つということが解ると、二回目では彼がちらちら登場するシーンに一種のスリルを感じます。しかし、一回目では、「何なんだ、こいつは」と思うだけでした。彼の役割を知っている製作者だけが楽しんでいる風です。こういう二回観ないと解らない映画というのは感心出来ません。名作とは一回でこちらを感動させてくれたり、楽しくさせてくれるものです。1/2の人数ですが『12人の怒れる男』は、集団劇ではありながら非常に明快でした。

前に“毀誉褒貶の激しい作家”という評を御紹介しましたが、ではこの映画はひどいのか?というと、実は相当評価されているのです。私はキネマ旬報社が1982年に刊行した『アメリカ映画200』という本を持っていますが、1903年の'The Great Train Robbery'『大列車強盗』から1982年の'E.T.'『E.T.』までのアメリカ映画200本に、この『ナッシュビル』も入っているのです。有名評論家数氏の投票を基にしたものなので、ある程度信頼していいでしょう。この映画を誉める要素は、「映画史に新しい手法を導入した」とか、「時代を映しとったテーマ」、「ドキュメンタリー・タッチのリアルさ」ということに尽きるようです。長年ドキュメンタリー番組制作に携わって来た私としては、この程度のものをドキュメンタリー・タッチと有難がる気はさらさらありません。

「新しい手法」、「時代を映したテーマ」ですが、'Easy Rider'『イージー・ライダー』同様、同時代を生き、当時この映画に自分を投影した人にはレトロ的、感傷的感動を与えるのかも知れませんが、私には何の感慨も湧きません。当時生々しかった要素ほど風化が早いような気がします。

私はジャズ・ファンでしたので'Jazz on a Summer's Day'『真夏の夜のジャズ』(1959)は今でも大好きです。C&Wファンには、『ナッシュビル』は私にとっての『真夏の夜のジャズ』と同じ様なものなのでしょうか?しかし、歌の上手い俳優に混じって、わざと下手に歌う、ひどい歌が三回ほど出ます。一人にはストリップをさせるための意図的なものでもありますが、私はこういう音痴(を装った人)の歌は耐えられません。いくら物語の要素といえど御免こうむりたい。音楽ファンに音痴の歌を聴かせるのは拷問と同じです。

Robert Altmanの映画は、もう誰が何と云おうと、これを最後にしたいと思います:-)。

(May 04, 2001)


【Part 3】

「Robert Altmanの映画は、もう誰が何と云おうと、これを最後にしたいと思います:-)」と宣言したのに、また観てしまいました。今回はDVDの'Nashville: Special Edition'で監督へのインタヴューと、監督のコメンタリーを聞くのが目的でした。いろいろ、面白い話が聞けました。

・'A conversation with Robert Altman'

この短編(と云っても結構長い)は、実際には「会話」ではなく、インタヴューから質問を省いているので、監督の独り語りに見えるようになっています。本編にかぶさる監督のコメンタリーと同じ話も多少ありますが、どちらもそれぞれ聞き応えがあります。

「この企画は、当時C&Wの音楽出版社を買収したUnited Artists社が、誰かに脚本を書かせて持って来たものだった。私は、「脚本は自分で書く」とそれを断り、女流脚本家のJoan Tewkesbury(ジョーン・テュークスベリィ)をNashvilleに派遣し、「毎日日記をつけて、それを読ませてくれ」と頼んだ。私はNashvilleに行ったことはなかった。彼女が空港を出ると交通事故があり、二時間も立ち往生したと云う。映画もそれからスタートした。United Artists社はこれが気に入らなかった。ABC Paramount社の人間は「それで行こうじゃない」と云ってくれた。

Nashivilleの街を歩くと、そこここでギターケースを抱えて歩いている若者を見掛ける。ハリウッドのC&W版という感じの小宇宙だ。私は、このC&Wカルチャーとアメリカの感受性、政治などをパノラマとして描きたいと思った。

Henry Gibsonが演じたヴェテラン男性歌手の役は、最初Robert Duvall(ロバート・デュヴァル)を予定していたが、スケジュールの都合で駄目になった。Henry Gibsonは「おれにやらせてくれ。ちゃんと出来る」と志願して来た。

【註】IMDbによれば、Robert Duvallは「自分で曲も作る」と云ったのに、Robert Altmanが拒否したので、それで降板したのだそうです。

私はGeraldine Chaplinが好きなので、この映画のBBCリポーター役には彼女がベストだと思った。リポーターに質問させることによって、観客が知りたいことを伝えられるし、彼女に先導させて色々な人物を紹介出来るのも利点だ。Jeff Goldblum(ジェフ・ゴールドブラム)演ずる三輪バイクを乗り廻す無言の男も、あちこちに出没する役としてリポーターに似ている。

Lily Tomlinが演ずる主婦兼ゴスペル・シンガーの役は、Louise Fletcher(ルイーズ・フレッチャー、Robert Altmanの古い友達で、'Thieves Like Us'『ボウイ&キーチ』や'One Flew Over the Cuckoo's Nest'『カッコーの巣の上で』で有名)が演ずる予定だった。Louise Fletcherの両親は聾唖者だったから、彼女は手話が出来た。彼女はNashvilleまでやって来たのだが、出演を取りやめた。そこで私はLily Tomlinに代えた。

Karen Blackは、この映画の中で最も知られたスターだ。彼女は自分で三曲作った。彼女は自分の役がどういうものか、よく理解していた。

カリフォーニア帰りのヘンテコな娘を演ずるShelley Duvall(シェリィ・デュヴァル、'Thieves Like Us'『ボウイ&キーチ』や'Popeye'『ポパイ』)は非常に風変わりで、彼女の味は他のどの俳優にも見当たらないものだ。

Keith Carradineは最初から予定していた俳優だった。というのも、彼が作詞・作曲した曲が二つあり、それがABCにこの企画を売り込むためのパッケージの一つだったからだ。

我々の主な関心事は『我々は政治的キャンペーンをやっている』ということだった。この映画が公開されて大分経った頃、John Lennon(ジョン・レノン)が暗殺された時、'Washington Post'紙が私に電話して来て、『責任を感じないか?』と尋ねた。私が『なぜ?』と聞くと、『あなたは映画の中で有名人の政治的暗殺を描いたではないか』と云った。私は『私を非難するのでなく、私の警告を無視したあなた自身を非難すべきだ』と答えた。

【註】“暗殺”という言葉は、(出来れば)誰がやったか分らぬように密かに(主に政治的に)対立する相手を殺そうとするものだと思うのですが、この映画の殺人犯もJohn Lennonを殺した人物も誰憚ることなく犯行に及んでおり、“暗殺”の“暗”に相当する気配が全くありません。またJohn Lennonは(若い世代に影響力はあったでしょうが)政治家でもなく、キング牧師のように運動のリーダーでもないので“暗殺”という言葉は相応しくないと思うのですが、ここでは"assassination"と表現されています。

この映画が公開された時、Nashvilleのミュージシャンや住民は、この映画を嫌悪した。『この映画の音楽はひどい。本当の音楽を使うべきだ』と貶(けな)された。彼ら自身の音楽を使うべきだという主張でもあった。しかし、何世代か過ぎ、今やこの作品はNashvilleで結構人気がある映画となっている」

・DVDコメンタリー by Robert Altman

「これは25年も前の映画である。

Thomas Hal Phillips(トーマス・ハル・フィリップス)はミシシッピ州の作家だが政治家の一家に生まれている。私は'Thieves Like Us'の撮影の時に彼と知り合った。私は彼を雇って『政治的キャンペーン風に云いたいことを云ってくれ』と注文し、彼が架空の大統領候補Hal Phillip Walkerの選挙カーの演説を考え、自分で録音した。これはJimmy Carter(ジミィ・カーター)の前の時期である。

冒頭のレコーディング・シーンでヴェテラン男性歌手から馬鹿にされるピアニストは、実はこの映画の音楽監督Richard Baskin(リチャード・バスキン)で、彼はこの映画のほとんどの曲の編曲も担当した。

【註】このヴェテラン男性歌手役のHenry Gibsonが歌う曲は二つともHenry Gibsonが作詞で、一曲はRichard Baskinが作曲、もう一曲は二人で共同作曲となっています。ピアニストを罵るのは楽屋落ちということになります。

高速道路における交通事故とそれによる渋滞は、登場人物たちをドキュメンタリー風に紹介するためだった。我々は人物の役柄に応じて、注意深く車種を選んだ。

この映画は42日間で撮り終えた。これは早撮りと云えるだろう。衣装合わせなどというものはなく、撮影現場に現われた俳優の衣装が似つかわしくない時だけ衣装係が別なものを見繕った。俳優は人々が見物している前で着替えた。ヘンテコ娘Shelley Duvallは、常に衣装と鬘を替えている。

脚本は人物の骨組みと荒筋だけあって、多くのシーンは俳優たちのアドリブの台詞で撮影された。我々はいたるところにマイクを設置し、俳優はいつ録音されているのか知らなかった。

最後にストリップしてしまう歌手志望の女性は音痴である必要があった。音痴の女優を探すのは難しい。下手に歌うことはさらに難しい。この役を演じたGwen Welles(グウェン・ウェルズ)には歌のレッスンを受けさせ、私は『最高の努力を望む』と云った。彼女は一生懸命努力したが、結果は御存知の通りだった。

この映画はオール・ロケで撮影された。スタジオは一切使っていない。Grand Ole Opryのシーンでは三台のカメラを使い、全てワン・テイクで撮った。我々はレコードを作るわけではないので、俳優の歌唱ミスは気にしなかった。

C&Wライヴ・ハウスのオーナー役Barbara Baxley(バーバラ・バクスリィ)がリポーター役のGeraldine Chaplinに話す場面で、私はBarbara Baxleyに『20分喋っていい』と云った。彼女は暗殺されたケネディ兄弟について語った。

この脚本には最初暗殺シーンはなかった。私はこの物語に何かが欠けていると感じ、暗殺を入れることにした。共同脚本家の一人は、それを聞いて『やってらんない』と降板した。

船を模した舞台でRonee Blakleyが歌う場面。三曲目のイントロが演奏されるが、彼女はお喋りを始めてしまって歌おうとしない。これが何度も繰り返される。ここではバンドの連中に段取りを説明していなかったので、彼らがずっこけ、呆れる様子が自然に撮れている。

最後のシーンであるギリシア風の神殿。これはNashvilleで百年祭の際に作られた一時的なものだったが、町の人たちが気に入りずっと残されているものだ。素材は舞台装置のように脆いので、多分その後作り替えられていると思う。でないと危ない。【註:現在はギリシアのパルテノンを完全に模した建造物になっており、中は美術館だそうです】集めた群衆にお金を払う余裕はないので、音楽で引き止めておくしかなかった。ここでは4〜5台のカメラを使い。リハーサルなしのぶっつけ本番で撮った。私は高いところにいて、各カメラと通話した。良かろうが悪かろうが、ワン・チャンスの撮影だった」

(March 23, 2008)





Copyright © 2001-2011    高野英二   (Studio BE)
Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.