[Poison] Murder in Mississippi
(未)

【Part 2】

映画の後半です。黒人青年が行方不明の三人を探し廻り、ついに町外れの廃屋で白人女性Sheila Brittを発見し、レッドネックSam Stewartと殴り合いの末彼女を救出して森の中へ逃げ込みます。保安官助手とSam Stewartら四人の男が警察犬の先導で二人の男女を追います。走り疲れた男女は束の間の休息を取る際に、お互いに惹かれ合い、キスしかけたところで追っ手に包囲されます。保安官助手たちは黒人青年の両手両足を捉え、レッドネックSam Stewartが鋭利で大きいナイフで黒人青年のペニスを切り落とします。

白人女性Sheila Brittは保安官事務所で兄の胸に飛び込みますが、シェリフの犯罪については言及しません。(多分、数週間経って)近くの町の連邦裁判所で事件が審理されます。コミッショナー(裁判長)は女性ですが、根っからのレッドネックで、白人女性Sheila Brittの代理人(弁護士)の「憲法違反の謀略」という訴えに対し、「証拠を提出しなさい。でなければ、いくら証言を並べ立てても無駄」と退けます。Sheila Brittがシェリフらの犯罪を告発すると、「殺人は州裁判所の管轄であって、この連邦裁判所が扱うことではない」と、この一件の審理を終了してしまいます。

この「事件の性格による裁判所の管轄の違い」も正しい解釈です。連邦政府はK.K.K.の黒人や活動家迫害を何件も告発しようとしましたが、殺人で訴えると州裁判所が扱うことになり、黒人ゼロの陪審員で白人レッドネック男性同士の慣れ合い裁判により、いずれも有罪にすることは出来ず涙を飲んで来ました。そこで、憲法違反の謀略という嫌疑で連邦裁判所に訴えるという便法を取りました。殺人に較べると謀略は刑期も短いのですが、「とにかく犯罪者を野放しにしておくことは出来ない」という次善の策でした。というわけで、この映画のコミッショナーの論理は法的には正しいのです。なお、このコミッショナーを演じている女優は、南部訛りを駆使して非常にふてぶてしく憎たらしく演じていて印象に残ります。

『フリーダム・サマー』活動家三人の暗殺(1964)の事件当時、行方不明となった三人の捜索隊は、川や池で別な殺人事件によるいくつもの遺体を発見しました。そのうちの一件はK.K.K.の一人が二人の黒人青年を生きたまま錘をつけてミシシッピ川に沈めたという残虐非道なものでした。容疑者James Ford Searle(ジェイムズ・フォード・サール)の自慢話を聞いたK.K.K.仲間が彼を裏切り検察側の証人となりましたが、1964年当時は白人だけの陪審員だったので無罪放免でした。2007年になって、連邦政府はこの事件の再審理を請求し、殺人罪でJames Ford Searleを告発しました。『フリーダム・サマー』活動家三人の暗殺では連邦政府は容疑者に殺人罪を問えなかったのに、何故こちらの一件では可能だったのか?実は、容疑者は犠牲者を自動車に乗せ、橋を渡って一旦他州に入ったという証言が得られたからです。この件では、二つの州にまたがる殺人は連邦政府の管轄となるという法律を適用出来たのです。この事件、2007年6月の第一審では白人七人、黒人四人の陪審員の全員一致の「有罪」評決により検察側が勝利を収めています。

黒人男性がリンチで去勢されるという事件も実際にありました。'Three Lives for Mississippi'(1965)という本で、著者William Bradford Huie(ウィリアム・ブラッドフォード・ヒューイ)は、1957年にアラバマ州で起った事件について書いています。K.K.K.の六人のメンバーが34歳の黒人男性を拉致し、さんざ痛めつけた末去勢しました。犠牲になった黒人は貧しくひっそりと暮らしていて、活動や運動とは無縁の存在だったそうです。レッドネックの男女に共通する心理は、黒人男性が白人の女性と交わることを恐れ、それを忌避するというものでした。学校の人種統合(白人の学校に黒人を入れる)に反対した母親たちの心理も、自分たちの娘が黒人生徒に犯されたら…という恐怖でした。この映画の冒頭で保安官助手が「黒人と白人が一緒の車に乗ってる。女は別嬪だ」と報告し、シェリフが「許せん」と吐き捨てるのも、同じ心理です。

何故、公民権運動という真面目なテーマに活動家同士のセックスやシェリフからの売春婦の差し入れ、レイプなどが登場するかですが、これは共同製作・監督のJoseph P. Mawra(ジョゼフ・P・モウラ)のせいだと思います。彼の監督歴を見ると、大半が娼窟をテーマにしたS&M趣味の映画ですから、この一本でも彼のファンを失望させたくなかったのでしょう(去勢という要素を入れたのも、そういう観点からかも知れません)。この映画では拉致され、犯されたSheila Brittが空腹のあまり男に食べ物をせがむシーンがありますが、ほとんどセックス奴隷のように描かれています。この監督の旧作の一つの題名が'White Slaves of Chinatown'(中華街の白人奴隷)というのに呼応していると思います。結果として、この映画は公民権運動を支持する黒人や良心的白人たちからも嫌悪されるものとなったようです。レッドネックたちの暴力を描いていますから、南部の差別主義者からも嫌われたでしょう。つまり、誰からも評価されない映画となった筈です。この映画が保存されていたことすら奇跡だと思います(その価値があるかどうかは別な話ですが)。

(May 06, 2007)





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