[Poison] To Kill a Mockingbird
『アラバマ物語』

【Part 2】

山場はいくつかありますが、黒人容疑者をリンチにしようとする町民の動きを察知したGregory Peckの行動が素晴らしい。家から電気スタンドを持ち出し、留置場の前で張り番をします。銃を手にした大勢の町民に囲まれ、とても一人では防ぎ切れないだろうと思われたその時、心配した子供達が群衆を割って父親に駆け寄ります。Gregory Peckは子供たちに「家に帰れ」と命じますが、普段素直な長男は"No, sir."と動きません。Scoutが群衆の中に顔見知りの農民を見つけ、彼に話しかけます。彼の息子への伝言まで頼みます。純真な彼女の態度に呆気にとられた群衆は、一時の血を求める興奮が冷めて“やる気”を失ってしまいます。出来過ぎの場面ですが、ここで父親は子供達を誉めたり感謝したりしないのが印象的です。子供達を帰し、また静かに張り番に戻ります。

裁判の際に、子供達を二階の黒人傍聴席に座らせたアイデアも素晴らしい。一階の白人席だったらつまみ出されたでしょうが、二階には誰も関心を抱きません。裁判が終り、白人達は去りますが、黒人達は全員残っています。Gregory Peckが資料などを手に去りかけると、黒人達が一斉に立って(黒人の弁護に尽力したこと、彼が黒人を対等に扱ってくれたことに)感謝の意を表します。子供達に黒人牧師が、「あんた方も立ちなさい」と命じます。いいシーンです。ここでもGregory Peckは黒人達の行動に気付かないように演出されています。有罪の判決がショックだったからでもあるでしょうが、この映画ではものごとを想像通りに完結させないという方式がとられているからでもあるようです。観客が十分感じていることを画面でも繰り返すこと(Gregory Peckが黒人たちに答礼すること)は、あまりにも予定調和であり、だめ押しであり、くどいと考えられたのでしょう。この辺は脚本家Horton Foote(ホートン・フート)の功績です。

夜間、ハロウィーンの催しから家路を急ぐ兄妹が何者かに襲われます。いくら急いだからといって、子供だけであんな暗い森の中を歩くものでしょうか?また、襲撃者はどうして彼等があの道を通ると知っていたのでしょうか?私は原作を読んでいないので、この場面の成立に疑問を抱きます。

その襲撃者は別の何者かによって殺されてしまいます。Gregory Peckを信頼するシェリフは、兄妹および救助者を面倒に巻き込みたくないという配慮で、「あれは酔っ払った人間が自分のナイフの上に倒れた事故だ」と独断で決定。大岡裁きですが、しかし、いくら数十年前とはいえ、森の中で変死した死体を検視解剖もせず、何の捜査も行なわないということが可能でしょうか?

そう云えば、この映画には多数の「死」が登場します。狂犬がGregory Peckの銃で射殺されます。被告の黒人は監獄へ移送途中で逃亡を計り、警備の者によって射殺されます。最後が森の中の襲撃者の死です。それらの恐ろしさに加え、白黒画面で描かれた夜のポーチで風に揺れるブランコ、夜の森の移動ショットなども、不気味で恐ろしい。差別意識やすぐリンチにしようという住民も恐ろしい。アメリカ南部の恐ろしさを、ここまで“静かに”描いた映画も少ないのではないでしょうか?

原題'To Kill a Mockingbird'(マネシツグミを殺すことは)は、Gregory Peckの父が彼に教えた言葉の一部です。「銃を覚えると鳥を撃ちたくなる。だが、マネシツグミ(他の鳥の鳴き声を真似るのがうまい鳥)を殺すのは罪悪だ。彼等は畑を荒らしもしないし、穀物倉に巣を作ったりもしない。我々に楽しい歌を聞かせてくれる、いい鳥だからだ」 最後に、知恵遅れの青年Booが子供達のいい友達であることが分り、彼はマネシツグミのように無害なばかりか、いい存在であったという比喩として"mockingbird"が使われています。では、"mockingbird"が誰からも好感を持たれる鳥かと云いますと、実はそうでもありません。私の町にはうじゃうじゃいまして、そう珍重すべき鳥でもないのです。日本で云えば、ヒヨドリみたいなもの。我々人間や猫が表に出ると、「チッ!チッ!」としつこく警戒音を発し、低空飛行で猫を脅したりします。生意気な鳥です。

(February 21, 2001)


[Mockingbird]

Mockingbird: from 'Eastern Birds' by James Coe (Golden Press, 1994)

'Mockingbird'
from 'Encyclopedia of Southern Culture' by Charles Reagan Wilson et al.
(The University of North Carolina Press, 1989)

「mockingbirdは東部アメリカでも見られるものの、特に南部のイメージと結びついている鳥だ。南部の五つの州がmockingbirdを州鳥として選んでいる。アーカンソー、フロリダ、テネシー、ミシシッピ、テキサスなどである。

mockingbirdは39種類の他の鳥の囀りを真似することが出来、50種類の地鳴きを模することが出来る。また、鶏のクワックワッという鳴き声、手押し一輪車の軋み、蛙や犬の鳴き声、ピアノの音などまで真似する。雄のmockingbirdは昼夜を問わずに鳴く。

mockingbirdは攻撃的である。求愛中の雄は特に喧嘩腰で勇敢だ。mockingbirdはいかなるものに対しても縄張りへの侵入を許さない。目に付くどんなものをも恫喝のため即座に攻撃する」

(June 22, 2001)


【Part 3】

この映画のボーナスDVDを視聴しました。

1) Scout役のMary Badhamが1999年のNBC-TVのインタヴューで回顧する、映画撮影時の思い出。Gregory Peckは本当の父親のように可愛がってくれた。Mary BadhamはGregory Peckの子供たちとも一緒に遊び、撮影の合間にはGregory Peckの膝に乗せて貰ったりしたとか。彼女に云わせると、この映画の主人公はGregory Peckそのものだそうです。Gregory Peckが亡くなるまで、二人はお互いをずっと役名で呼び合っていたと云っています。

2) コメンタリーは監督Robert Mulligan(ロバート・マリガン)とプロデューサーAlan J. Pakula(アラン・J・パクラ)によるもの。

・監督Robert Mulliganはハリウッドの子役は使いたくなかった。何故なら、彼らは子供らしさを失ってしまっていたから。また、彼は南部出身の子供たちを使いたかった。演技(方言)指導などしなくても、自然に南部らしさが滲み出るからである。Mary Badhamはアラバマ州Birmingham(バーミングハム)の生まれ。彼女は全く演技経験はなかった。彼女の14歳年上の兄で現在映画監督のJohn Badham(ジョン・バダム)は当時舞台に立った経験があったが。Jem役のPhilip Alfordもアラバマ州生まれ。

・プロデューサーAlan J. Pakula「カラーで撮影する予算はなかったが、いまやこの映画のカラー版など想像も出来ない(白黒で良かったという意味)。

・子役の出演場面について監督Robert Mulliganはこう云っている、「子供たちはそう長く集中出来ないので、リハーサルが済むとすぐ撮影に移るようにした。そして、多くても2〜3テイクで撮り終えるようにした」

・この映画の悪役のレッドネックを演じたJames Anderson(ジェイムズ・アンダースン、アラバマ州出身)は、アル中の上によく揉め事を起こすので有名だった。プロデューサーAlan J. Pakulaは「撮影には素面(しらふ)で来ること。面倒は起こさないこと」という条件を出し、「約束する」という返事を貰ってから雇ったと云っている。

・撮影は全て南カリフォーニアのUniversal Studiosの中で行なわれた。美術監督Henry Bumstead(ヘンリィ・バムステッド)はスタジオの中に南部の田舎町を作り上げた。それは実に巧みに南部の特徴を活かしたものだったので、この映画を観た人々は「撮影されたあの町を知っている」とそれぞれ自分が知っている南部の町の名前を挙げたほどだ。

・法廷場面のコメントで、監督Robert Mulliganは「いい俳優と一緒だと演出などせずに見ているだけでいいから楽だ」と云い、プロデューサーAlan J. Pakulaは「演出の75%から85%はキャスティングだ」と断言している。

・黒人容疑者の裁判が終った後のシーン(書類をまとめ、二階で起立している黒人たちにも気づかず退出する)についてプロデューサーAlan J. Pakulaは「Gregory Peckは、自分がアカデミー賞を貰えたのはこのシーンのおかげだと語った」と云っている。なお、この法廷は原作者Harper Leeのホームタウンの法廷をそっくりに再現したものだった。

3) 'Fearful Symmetry: The Making of To Kill a Mockingbird' は比較的長いドキュメンタリーです。上の二つは観なくても(聞かなくても)いいですが、これは必見です。このドキュメンタリーを作った人の詩的コメントがうざいですが、登場する証言者の数と彼らの話は素晴らしい。

・監督Robert Mulliganは「脚本家Horton Footeが、最初これを担当するのを渋った」と云っています。テキサス生まれで、南部もの映画を多く手掛けているHorton Footeは、自分の好きな小説であるこの原作を台無しにすることを恐れたようです。

・その脚本家Horton FooteはプロデューサーAlan J. Pakulaの二つのヒントでやる気になったそうです。一つは、物語を一年に集約すること、もう一つはMary Badham演ずるScoutを通して自然のままの世界のHuckleberry Finn(ハックルベリィ・フィン)やTom Sawyer(トム・ソーヤー)のルーツを示すこと…でした。彼は「この提案が私にドアを開いてくれた。脚本家として、とても助かった」と述べています。

・Gregory Peckの証言。Universal Studiosでの撮影の初日に原作者Harper Leeが見物に訪れた。最初の撮影は、裁判所から帰宅途中の父Gregory Peckを、息子、娘、友達のDillの三人が迎えに出るシーンだった。Gregory Peckはカメラの後ろにいるHarper Leeの頬に涙が光るのを見逃さなかった。そのシーンは一発OKとなり、映画は幸先のよいスタートを切った。Gregory PeckはHarper Leeに歩み寄り、「あなたの頬に光るものが見えたが?」と云うと、Harper Leeは「だって父にそっくりだったんですもの。特に太鼓腹が…」との返事。Gregory Peckは「太鼓腹も演技のうちですよ」とやり返した。

・監督Robert Mulliganによれば、原作者Harper Leeはスタジオに作られた町並みにびっくりした。それは南部の町にそっくりで、しかも彼女の生まれ育った町そのものに見えたから。Robert Mulliganは「これは美術監督Henry Bumstead(ヘンリィ・バムステッド)の功績だ」と褒め讃えています。

・プロデューサーAlan J. Pakulaは、この映画の二つの付加価値は、1) 先ずElmer Bernstein(エルマー・バーンスタイン)の音楽、そして2) Stephen Frankfurt(スティーヴン・フランクフルト)のメイン・タイトルだと云い、Mary Badhamのハミングだけで始まり、次第に音楽が加わって来る演出を絶賛しています。

・Gregory Peckの息子を演じたPhilip Alfordは、妹役Mary Badhamが台詞がない時に妙な具合に唇を眉を動かす癖に悩まされ、何度もNGを出した。特に食事のシーンでひどい目に遭い、ランチを23回、朝食は35回食べなくてはならなかった。

・兄役Philip Alford(当時13歳)は、妹役Mary Badham(当時9歳)とよく口喧嘩した。彼女がタイヤに入り込んで道路を転がるシーンの前にも喧嘩していた。彼はMary Badhamが死ねばもうトラブルともお別れ出来ると思い、彼女が入ったタイヤを撮影機材トラックにぶつけようとした。しかし、それはうまくいかなかった。

・悪役のJames Andersonは芝居をしていない時も不気味な存在で、黒人被告を演ずるBrock Peters(ブロック・ピータース)はもちろん、James Andersonの娘役のCollin Wilcox Paxton(コリン・ウィルコックス・パクストン)でさえなるべく近寄らないようにしていたほどだった。

・そのCollin Wilcox Paxtonが法廷で証言するシーンのために、衣装係はハイヒールを用意していた。Collin Wilcox Paxtonは「この娘がハイヒールを持っていた筈はない」と主張し、「どうしてもハイヒールを履かせたいなら、ソックスが必要だ」と云いました。衣装係が「ハイヒールにソックスを履く人はいない」と云うと、彼女は「私の出身地(ノース・キャロライナ州)では履いてたわ」と断言した。結局ハイヒールはなしになった。

・法廷で黒人被告Brock Petersが証言するシーンについて、Gregory Peckの証言。「Brock Petersは次第に涙を流し始めた。私は彼の顔を正視出来なかった。まともに見たら、私まで泣きそうになったからだ。被告と弁護士が二人で泣くなんて目も当てられないからね。私は彼の顔を見ないで演技した」

その他Robert Duvallや作曲家Elmer Bernstein、Mary Badhamなどの証言も出て来ます。

(January 23, 2008)





Copyright (C) 2001-2011    高野英二   (Studio BE)
Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.