[Poison] Absence of Malice
『スクープ・悪意の不在』

【Part 2】

私は長くNHKに勤めていました。報道部門ではありませんでしたが、NHKの報道は「必ず裏を取る」のが鉄則と聞いていました。例えば、日本のどこかでテロ事件があったという連絡が入っても、警察に確認する(=裏を取る)までは報道しないということです。これは「スクープ」(特ダネ)を逃すことになる非常に辛いことですが、遅い報道でも誤報を防ぐことは逆に視聴者の信頼が得られるという結果に結びつきます。民放ではこの「裏を取る」作業を怠ってスピーディに報道し、後でお詫びと訂正をするというケースがままあるようです。

NHKの選挙報道も同じです。早めに“当選確実”の報を出したいのは各社同じですが、NHKは「もう逆転はあり得ない」というギリギリの段階まで待って“当確”の太鼓判を押します。最近は候補者も賢くなり、民放が“当確”を打っても「NHKがまだだから」と大騒ぎやダルマに目を入れたりしなくなりました。これも信頼性の問題です。

この映画の新聞記者Sally Fieldは、司法省役人の意図的情報漏洩を受けて記事にしますが、ターゲットであるPaul Newmanに接触をしないまま発表してしまいます。後にPaul Newmanが云う通り、世間は「○○の容疑で取り調べ中」と報道されれば、ほぼその人物はクロ(有罪)のような印象を抱きます。そして、「その人物はシロ(潔白)だった」という報道はほぼ無視されます。つまり、一方的な報道は“ペンの暴力”と云うべきもので、メディアによる“レイプ”、時によってはメディアによる“殺人”にまで繋がる恐れがあります。

私もドキュメンタリー取材で何度も取材拒否にあい、ディレクター共々説得に当たったことがあります。利害の問題というよりも、単にTVに出たくない、報道されたくないというケースが大半でした。説得に失敗すれば、もうその対象を直接取材は出来ません。相手が明らかに犯罪者であったり犯罪行為を行なっている場合には隠し撮りをしたこともありますが、一般市民に対してはそういうことはしません。肖像権の問題もありますし、何よりも相手も視聴者の一人ですからね。

この映画の情報漏洩は六ヶ月も進展がない捜査陣が、「おれたちも給料分の仕事はしている」ということを世間に示したいために容疑者をでっち上げて、それを新聞に書かせたというものです。逮捕するつもりはないわけですから、ターゲットは誰でもよかったことになります。選ばれたPaul Newmanこそいい迷惑です。利用されたことも知らないSally Fieldの報道によって、Paul Newmanは事業に破綻を来たし、故郷を捨てざるを得なくなります。そこまでされても「悪意はなかった」(原題)という皮肉。官憲とメディアに圧殺されたと云えます。恐いですね、恐いですね、こういうことあってはいけませんね(淀川長治調)。

この映画では司法省のファイルを盗み見て公表したSally Fieldの罪は問われませんが、情報漏洩という意味では司法省の役人同様彼女にも罪があるように思われます。彼女には情報源を公表しない権利があるので本式の罪には問われないとしても、少なくとも道義的責任はある筈です。彼女は特ダネのためにはPaul Newmanの生活を破壊し、Melinda Dillonを自殺に追い込んでも、鬱病になったりしません。周囲も「キミのせいじゃない」と云い、当人も深く反省してはいないようです。新聞・TV・雑誌が特ダネを競う限り、Sally Fieldのような記事を書く記者は後を絶たないでしょう。彼らはニュースがなければ、ニュースを作らなければいけないのです。彼らの後ろで、デスクや部長が鞭を振るって記者たちの尻を叩いています。新聞や週刊誌に空白の頁を作ることは許されず、TVが「今日はニュースが少ないので漫画映画をどうぞ」というわけにはいきません。結局、記者たちは「おれたちもさぼっているわけではない」というところを見せるために“ニュースを作る”ことになります。この映画の司法省の役人が、給料分働いているところを見せるためにPaul Newmanを容疑者に仕立て上げたのと全く同じ構図になるわけです。恐いですね。

(August 13, 2007)





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