[Poison]

Big Bad Love


【Part 2】

映画の冒頭、浴槽の中で花嫁衣装の女性ともつれあっている男が出て来ます。それはすぐにその男の妄想だったことがわかります。以後、映画にはこの主人公の幻想・妄想・空想がさまざまに織り込まれます。以下はほんの数例。

・見も知らぬ雑誌編集者の女性が白馬にまたがって原稿を読み散らかす。
・別れた妻の家に設置された地雷原を兵士のように走り抜ける。
・妻への怒りが高じて、妻を驀進して来る列車の枕木に縛り付ける。
・原稿が飛ぶ、男も飛ぶ。

NHKではこういう場面をイメージ・ショットと呼んでいました。普通のドラマやドキュメンタリーに幻想的なシーンを付け加えたり、ディレクターやカメラマンの思いを込めたカットを挿入したりしたのです。うまく行けば、詩的で、情感に溢れ、視聴者の感性に訴えるシーンになりますが、独りよがりの理解不能な場面になる危険もありました。あるカメラマンは手持ち(ハンドヘルド)カメラを延々振り回し、あるカメラマンは番組内容にかかわらず花を撒き散らすということをやったりしていました。

私などはどちらかというと左脳派ですので、そういう情念を表現するのが苦手でした。やりましたけどね、一応。そういうイメージ・ショットが何を意味するのか?ということは説明しなくていいことになっていました。聞くのは野暮。聞いて「解らないの?」と云われると恐い。そういうことで、ディレクターやカメラマンも、実はただ面白がって撮ったというだけの説明不能なイメージ・ショットがまかり通っていたとも云えましょう(私も有罪)。

この'Big Bad Love'のイメージ・ショットは非常に解りやすい。主人公の心理を強調しているだけなんですね。前衛映画のような難解さは全くありません。前衛映画は理解しにくいので、「何かとてつもないことを意味しているのではないか?」と誰しもが恐れ、評価しないと「あの良さが解らないの!?」と指弾されそうなので、「褒めてしまおう!」と誰もが褒める。'Big Bad Love'は解りやすいので、そういう恐ろしさがなく、褒めなくても構わないという範疇です。

ついでですので、イメージ・ショットの国際的な意味合いについて触れたいと思います。日本映画に櫻の花が登場した場合、日本人の心には色々な意味合いが走馬灯のように展開します。春、入学式、新入生、浅野内匠頭、特攻隊、「満開の桜のもとに我死なむ」などなど(菊やススキなども同じ)。日本人相手であれば、制作者は花一つに沢山のことを託すことは出来ますが、外国人にはそういう意味合いは全く伝わりません。「なんで、重要な場面に花だの風景だのが出て来るのか?」ということになります。これは諸外国のTV関係者が集まって番組の視聴後、意見交換をして明らかにされたことでした。日本のシンボリズムは、日本だけのローカルなものなんですね。

'Big Bad Love'のイメージはシンボリズムではありませんから、世界共通語という感じ。しかも誰にでも理解出来るイメージ。前衛ではなく後衛。それで損をしています。シャープさを狙って、シャープになり切れなかった作品。

(December 05, 2003)





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