[Poison]

For Us, the Living
(未)


【Part 2】

この映画のクレディットには"Consultant: Myrlie Evers"と出て来ます。このMedgar Eversの奥さんは、'Ghosts of Mississippi'『ゴースト・オブ・ミシシッピー』が自分の亡き夫でなく、担当検事を主役にしたことが不満だったようです。彼女にすれば、このTV映画に似たものを劇場映画にしてほしかったのでしょう。しかし、既にこれが公開された後で、同じ様なものを作る製作者がいるとは思えません。

もう一つクレディットで分る事実は、この1983年の映画の撮影がジョージア州アトランタで行なわれたということです。1997年公開の『ゴースト・オブ・ミシシッピー』は、屋外シーンのほとんどが物語の背景であるミシシッピ州ジャクスンで撮影されました。この間には1994年にMedgar Evers殺害犯のBylon De La Beckwith(バイロン・デ・ラ・ベックウィズ)の三回目の裁判があり、遂にこの男を刑務所に送っています。14年の間の変化が分ろうというものです。つまり、1983年にはまだとてもジャクスンでこのような公民権運動の英雄の撮影などは考えられなかったわけです。

『ゴースト・オブ・ミシシッピー』のコンサルタントを勤めた作家のWillie Morris(ウィリィ・モリス)は、彼の本'The Ghosts of Medgar Evers'において次のように書いています、「この映画'For Us, the Living'は破廉恥なまでに創作の自由を行使し、ディテールや出来事をでっち上げている(『ゴースト・オブ・ミシシッピー』以上である)。例えばMedgar Eversが白人の酔っぱらいの黒人夫婦への暴行をピストルを振りかざして止めるシーン、そしてNAACPオフィスへの客に南部連合軍の軍票(紙幣)印刷機を見せるシーンなどだ」ただし、Willie Morrisも黒人の貧しい暮らしぶりや黒人殺害事件の実態などは、かなり事実に近いと誉めています。

'For Us, the Living'では奥さんが相談役だったわけですから、かなりの範囲、事実に近いと思ったのですが、そうでもないようです。Willie MorrisはMedgar Eversの奥さんが書いた本を読んでいるからこそ“でっち上げ”と云えるのでしょう。勿論、亡き夫や自分達が達成したことを美化したい誘惑にかられるであろうことは理解出来ます。分らないのはピストルを振りかざすなどというアクション映画みたいなことを“でっち上げ”、その脚本を認めたという行動です。南部連合軍の軍票印刷機の自慢などは、ユダヤ人がナチのコレクションを自慢するようなもので、Medgar Eversの名声を高めるより神経を疑われかねません。

実際に黒人に学校の門が開かれ始めたのは1964年でした。Medgar Evers暗殺の翌年です。完全に差別校が無くなったのは1969年で、連邦裁判所が残る33の学校に命令を発してからです。

Medgar Eversは1963年6月に殺害されました。彼は軍に所属した時期がありましたので、アーリントンにある国立軍人墓地で軍による葬儀が行なわれました。その後、遺族(妻と子供三人)はホワイトハウスに赴き、ケネディ大統領から慰めの言葉を貰いました。そのケネディが暗殺されたのは、同年11月です。キング牧師が暗殺されたのは1968年ですから、Medgar Eversの行動がいかに突出していたかが分ります。

(May 19, 2001)





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