[Poison] The Liberation of L.B. Jones
『L・B・ジョーンズの解放』

【Part 2】

甥の弁護士Lee Majorsは、伯父の差別意識に呆れ返って元の町へ帰ってしまいます。彼だけが只一人、この町の差別意識に批判的なのですが(多分製作者側の正義感を代弁している)、残念ながらこの人物は描き込まれていず薄っぺらです。

そこへ行くと悪徳保安官ならびに助手達の言動は非常に丁寧に描かれています。不愉快な存在をここまで描かなければならなかったのか?と疑問に思います。彼等の行動のどれか一つでも十分に物語は転がったと思うので、それ以上付け加えるのは製作者側の好みだったろうとしか云い様がありません。

原作がそうなっているかどうかはともかく、L.B.ジョーンズの犬死にも問題です。彼には銃を持った白人から"Run! Nigger, run!"(走れ、黒ん坊、走れ!)と追われて、屈辱的に逃げた思い出があります。悪徳保安官達から逃げ切ることが出来そうになった時、この過去を思い出し「もう卑屈に逃げ回るのは御免だ」と暗がりから進み出て、訴訟の取り下げを拒否し、あっけなく撃たれて死んでしまいます。白人にさえ希な誇りを重んじた男を描いたつもりかも知れませんが、殺されるのは目に見えており、文字通り犬死にです。彼の死は何の結果も導きません。

Yaphet Kottoは保安官を殺しますが、それがL.B.ジョーンズの事件と直接関係あるかどうか定かでありません。保安官は共犯ではありますが直接の下手人ではないし、Yaphet Kottoには保安官達の悪事を知ることは出来なかった筈です。L.B.ジョーンズ殺害犯の保安官助手は、Lee J. Cobbと市長に護られて何の咎もなく、職からも解雇されません。アンフェアそのもので、観客に不愉快な後味を残します。勿論、それが狙いの物語で、南部の旧弊さを告発したかったのでしょうが、小説では良くても映画としては成立しにくい感じです。何度でも観たくなる『アラバマ物語』と対照的です。

Lee J. Cobbと保安官助手Anthony Zerbeだけがまあまあの芝居をしていますが、L.B.ジョーンズのRoscoe Lee Browneは鉄仮面みたいだし、Yaphet Kottoと育ての親の婦人以外はみな紙人形のようです。残念ながら、巨匠の焼きが回った時期の作品としか云いようがありません。

音楽はElmer Bernstein(エルマー・バーンスタイン)ですが、彼の賑やかなジャズ系のサウンドトラックはこの陰鬱な映画とは水と油のようです。

(August 08, 2001)





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