[Poison] The Skeleton Key
『スケルトン・キー』

【Part 2】

この映画をこれから観ようと思われる方は、以下を読まない方がよろしいです。結末をバラしますので。

私はKate Hudsonがあまり好きではありません。親の七光りでスターになっているというのが先ず嫌いな要素。彼女の口元の品のなさも嫌いです。ですから、私にとってはKate Hudsonの運命がどうなろうと知ったこっちゃないという感じでこの映画を観ていました。しかし、それにしても意外な結末でした。多少、Kate Hudson演ずる主人公に同情したくなったほどです。

この映画の最大の欠点は、弁護士と称するPeter Sarsgaardを選んだキャスティングです。彼は誠実そうな演技で一貫していますが、そんな役に彼を選ぶ筈がないのはほとんどの映画ファンが感じ取ることでしょう。そして、これは脚本家に云わせれば“伏線”だと云うのでしょうが、映画の序盤で彼がGena Rowlandsに「女性はキミだけだ」という意味のことを口走ります。少壮弁護士と雇い主の老婦人の会話としては異常です。ここで脚本家はちとフェアプレイの精神が過剰だったようです。

英語の諺の"Curiosity killed the cat."(詮索好きも度が過ぎると身を誤る)の通り、好奇心から深入りし、生半可にHoodooの魔法を使ったKate Hudsonは、我と我が身を捕われの身とし、「犠牲の魔法」によって年老いたGena Rowlandsと入れ替わってしまいます。

詳しく云うと、黒人召使いの男性は魂を永遠に生かすための魔法を発明したのです。彼と妻は、吊るし首になる前に、黒人男性は少年(荘園主の息子)の魂と、黒人女性はその妹の魂と入れ替わってしまった。だから、主人や客たちが吊るし首にしたのは身体は黒人の召使い夫婦だったものの、魂は主人の息子と娘だったわけです。少年と少女になりすましたHoodooの術師たち二人の魂は、1962年に出会った夫婦の身体に乗り移った。その夫婦の肉体も年老いたので、Hoodooの術師夫婦は今度は若い肉体を物色した。先ず、男性の術師が若い弁護士の身体に乗り移った。この時点で老人John Hurtの身体には弁護士の魂が入ってしまった(だから、「助けてくれ」、「出してくれ」というのは、老人John Hurtの言葉ではなく若い弁護士の魂の叫びということになります)。

で、残るのはGena Rowlandsの身体に入り込んでいる黒人女性術師の身の振り方。高給で釣ってホスピス・ワーカーを雇うが、Kate Hudson以前の女性たちは気味悪がって皆辞めて行ってしまった。女性術師は自分と同じ黒人女性の身体の方が快適なので、黒人の看護師を選んでいたのだが、VoodooやHoodooに馴染んでいる黒人たちは、本能的に危険を察したらしい。彼らは術師たちが準備を始める前に辞めてしまったので、打つ手がなかった。しかし、VoodooやHoodooを心底から信じていないKate Hudsonは、術師たちに充分な時間を与えたのです。

Kate Hudsonは自分を護るための魔法と勘違いして、自分を拘束する魔法を使ってしまいます。Gena RowlandsがKate Hudsonに鏡を向けると、その中には元の家主の少女に混じって黒人召使いの男女が映り、Gena RowlandsとKate Hudsonの二人は失神します。「さて、どうなったのか?」我に返ったKate Hudsonが立ち上がって、最初に取る行動が意表を突いていて面白い。

こうしてGena Rowlandsの身体に封じ込まれたKate Hudsonの魂は、老人John Hurtの身体に封じ込められた弁護士の魂と一緒に救急車で病院へ。弁護士の身体に忍び込んだ黒人の召使いは、老夫妻の遺言として黒人女性の魂が占拠したKate Hudson(の身体)に大邸宅を与え、またも二人で仲良く暮らして行くのでありました。

上のようなカラクリは、DVDを観終わってしばらく考えた後で整理出来たものです。もし、映画館でこの映画を観ていたら、何がどうなっているのかよく分らないうちに場内灯が点き、お掃除のおばさんの立てる埃で追い出されることでしょう。何しろ、最後にGena RowlandsとKate Hudsonが対峙した一瞬後にこの映画のトリックが明かされ、映画はすぐ終ってしまうのですから。云ってみれば、奇術師や詐欺師があざといパフォーマンスの後、ネタがバレないうちにさっさと姿を消してしまうのに似ているような(噺家も“下げ”の後、さっさと退場しますよね)。

常にハッピーエンドを望むわけではないのですが、少なくとも腑に落ちる結末ではあってほしいと思います。この映画は「あ、そうなの?」という驚きはもたらすものの、「なーるほど」という納得や腑に落ちた満足感を与えてくれません。美味しい料理の匂いだけ嗅がされたような欲求不満が残ります。

疑問点は数々あるのですが、最大の疑問は「何故Gena Rowlandsは夫John Hurtを慈しむように介護していたのか?」というものです。表面的には素晴らしい夫婦愛に見えます。しかし、Gena Rowlandsの身体に巣食っているのは黒人の召使い女の魂で、John Hurtの身体に封じ込められている魂は弁護士のものなのです。黒人の召使い女が愛しているのは、弁護士の身体に入り込んだ夫(黒人の召使い兼Hoodoo術師)なのであって、John Hurtの身体に移送された弁護士の魂ではないのです。彼女にとってJohn Hurtの介護など、どうでもいい筈です。それなのに、脚本は「何故Gena Rowlandsは夫John Hurtを慈しむように介護していたのか?」という謎に答えを与えてくれません。私に云わせれば、後から考えればありそうにもない場面を観客に見せるのはイカサマだと思います。何がしかの理屈づけがなくてはなりません。Gena RowlandsがJohn Hurtを慈しむ風情は、単にKate Hudsonを騙そうとする以上の情愛に見えるのに、それが観客を騙すことに成り下がっているのは残念です。冒頭で「女性はキミだけだ」と弁護士に口走らせたフェアプレイの精神はここにはありません。

黒人のHoodoo術師とその妻が、飛び石のように他人の肉体を借りながら何世紀も(永遠に?)生き延びるというアイデアは面白いと思います。主人公がその犠牲になってしまうというのもユニーク。では、傑作か?もう一度観たいか?というと、少なくとも私は一度で沢山です(もう一度観たければ☆が1/2は増えたでしょうが)。この「もう一回観たい!」と思わせるかどうかが、名作とそうでない映画の違いだと思います。脚本の"tour de force"(力業、離れ業)は'Psycho'『サイコ』(1960)に近いと思いますが、'Psycho'は画面上で観客を騙すような卑劣なことはしませんでした。【Anthony Perkins(アンソニィ・パーキンス)が母親に話しかける声はしても、二人一緒の姿は画面に映りません。こちらの映画で「Gena Rowlandsは夫John Hurtを慈しむように介護している」映像を見せる嘘とは大違いです】 Hitchicock(ヒッチコック)は見せないのに、観客が勝手に見たように思い込むわけです。それこそが彼の“魔法”ですね。

(June 06, 2007)





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